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2014/05/01

「昭和」史の中のある半生(23)
新社会党広島県本部顧問小森龍邦

これから、革命後間もない新中国で感じたことを何号か続けて書
くことにする。
周恩来総理と握手を交わしたことがある。その手の柔らかさに驚
いた。これが中国革命の指導者として、辛酸をなめた人の手かと思
われるほどの柔らかさであった。
国慶節の前の晩の北京飯店旧館における建国祝賀のパーティに招
待されたときのこと、参加者は優に二千人はいたと思う。各国から
の訪中団など、その日北京滞在の外国人は二千人はいると言われて
いた。中国政府機関や共産党員など、それぞれ要職の人を交えての
ことであるから、外国人は一千人ぐらいはいたのではないかと推測
する。
周恩来総理は、その外国人の一人ひとりのところに盃をもって歩
き、握手し、乾杯してまわっていた。私のところにもやってきて、握手し、乾杯となったわけである。この人は、北京郊外の「十三陵ダム」(土堰堤)の工事現場に、政務の合間をぬっておもむき、半裸になってモッコを担ぎ、一輪車を押していたということを聞いていたが、まことにまめに動きまわる人だと思った。
北京滞在中、日本の青年と会食をしたいと二度、われわれの昼食
時を訪ねてこられた。
この時のスピーチに感動した。
「中国革命が段取りよく進んでいるので、みなさんからおほめの
言葉をよくいただいているが、どうか日本人の目を通して、遅れて
いるところ、よくないところを指摘してください。あなたがたの意
見を参考に、さらなる革命のために前進したいと思っています」
という要旨のものであった。中国はその頃さかんに、人びとの「批判」とか「忠告」を聞こうとする姿勢がみなぎっていた。
映画館のスクリーンの最後の字幕は「乞御批判」とか「乞御意見」
というものであった。
南博というどこかの大学の社会心理学の教授が「ヨーロッパを追
いこすもの」という副題のついた本『中国』を出していたが、その
中に、「この国が『乞御批判』という精神をおとろえさせない限り
発展しつづけるであろう」と書いているのを読んだことがある。
安倍晋三は「批判」を嫌う以前に、「批判」の材料になる事実さえ
伝わらないように「特定秘密保護法」なるものを強行採決してしまった。歴史は、半世紀あまりも前のことであるが、前進するものの思想とか精神状態はかくなるものかと思わされる。
その頃、中国は、日本と国交回復をしていなかったが、すでに、
五十数カ国との国交を樹立し、その国の数を次第に増やそうと努力
している最中であった「台湾を必ず平和的に解放してみせる」との
スローガンを、各地でよく見かけていたが、香港の方が早く新中国
に復帰した。「一国二制度」ということで歴史の過渡期を乗りきろ
うという判断であったようである。
尖閣諸島の問題をその後間もなく、国交回復の際、「後世の両国
人民が必ずよい知恵を出して、解決してくれるであろう」という柔
軟な姿勢をとりつづけていたことと同一思想と私は思っている。今
日のように抜き差しならぬ状況は、日本側のこれに対する頑なな態
度のしからしむること思っているところである
Olive Diary DX Ver1.0

Copyright © April,2005 新社会党広島県本部