≪最新の記事10件≫
2014/05/01 [4 月号]新社会党広島県自治体議員活動
2014/05/01 [4 月号]時言
2014/05/01 [4 月号]「昭和」史の中のある半生(24)
2014/05/01 [4 月号]「戦争をさせない1,000人委員会」呼びかけ
2014/05/01 [4 月号]翼
2014/05/01 [4 月号]見え透いた嘘
2014/05/01 [4 月号]新社会党広島この一ヶ月の動き
2014/05/01 [4 月号]「チェルノブイリデー」に参加
2014/05/01 [3 月号]時言
2014/05/01 [3 月号]「昭和」史の中のある半生(23)
【4月号】第34回 ソ連型社会主義をどう捉えるか
2007/04/14

社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自立的連帯を求めて
広島大学名誉教授 北西允

第34回 ソ連型社会主義をどう捉えるか
 今日ではソ連型社会主義が、プロレタリア革命後に達成されるべき望ましい社会だと説く者は皆無と言ってよかろう。あるものはそれを国家社会主義だと論じ、あるものはそれを堕落した労働者国家だと断じ、中にはそれを一種の国家資本主義に過ぎなかったと説く者もいる。いずれにせよ、ソ連型視野か胃主義は、マルクスが、理想の共産主義への過渡期として抽象的に論じた社会主義(マルクスは、それを社会主義とは言わず共産主義の第一段階と呼んだ。『ゴータ綱領批判』1875年)とは著しくかけ離れたものであったことは疑いを入れない。
 たしかにマルクスは、共産主義への移行期には勝利したプロレタリアによる旧支配階級=ブルジョアに対する独裁は不可避であり、過渡期には諸々の社会的不平等に象徴される「資本主義の母班」が残るのはやむをえないとも論じた。しかしそれは、あくまで「国家の死滅」(エンゲルス『反デューリング論』1878年)を志向するもの、つまり国家機能の縮小ないし弱体化過程を辿るものとして描かれたのであった。
 ソ連のマルクスからの逸脱要因は一体何だったのか。一つにはマルクスが想定していたプロレタリア革命が、先進資本主義国における同時革命であったのに対して、革命は後進国ロシアで達成され、しかも一国にとどまったという現実である。レーニンは、ロシア革命を正当化して、独占資本主義段階では世界は帝国主義列強による支配の網の目で覆われており、革命が帝国主義の中心部ではなく周辺部の最も弱い環で起こるのは必然だと論じた(『帝国主義論』1916年)。さらにスターリンは、「革命の勝利後に階級闘争はかえって激化する」と論じて内外の敵と非妥協的に対峙し、国家の死滅どころか強化に奔走した。ソ連では指導者以下、自国が資本主義の包囲のもと常に侵略の脅威にさらされているとの危機感を強く持っていたし、そうした危機意識を裏付ける事実にも事欠かなかった。
 次に、革命当時のロシアは圧倒的に農民社会であり、プロレタリアは人口のごく一部を占めるに過ぎず、総じて識字率なども甚だ低かった。そのためマルクスが、先進資本主義国では多数者となったプロレタリアに全幅の信頼を寄せ、革命党については殆ど論じなかったのとは対照的に、レーニンが鉄の規律を持つ革命党の大衆に対する指導性を強調し、スターリンがそれを個人崇拝にまで昇華させる一因になった、と見ることもできる。
 これらの要因のほか、革命の暴力性、人権や民主主義の軽視、議会制の蔑視、も権威主義的政治・社会体制、権力者間の暗闘等々の要因も挙げられようが、紙幅も尽きたのでひとまず稿を閉じたい。


Olive Diary DX Ver1.0

Copyright © April,2005 新社会党広島県本部