554<>0<>2010.4月どこに連れ込まれようとしているのか その2<>どこに連れ込まれようとしているのか その2

 現今のIT化・オートメ化の下で蔓延する単純労働化の流れは、小泉・竹中等による新自由主義強行の手段としての労働法制改悪も手伝って、膨大な数の非正規雇用を生み、資本の側の収奪強化として機能している。この単純労働化の流れを今後も「不可避」とする識者の論の問題点を、前回指摘してきた▼さらに当該識者は良識派ぶって「不可避」なるが故に社会保障の再編強化、すなわち単純・非正規・低賃金雇用者の生活を支えるセーフティネットとして、今流行のミニマムインカムと失業保険を充実させるべきとしている▼この「単純労働化を不可避(収奪強化の許容)として、これに対して最低限度の生活を保障する賃金によるセーフティネットの充実」という保守勢力による社会意識作りに、政権・メディア・学者等躍起になっている。しかし一皮剥けば、「労働の収奪強化を進め、その付けを収奪した税でミニマムインカム等で支払う」という二重収奪なのである▼しかもこの仕組みは、社会保障も含めた労働者への再配分が、メディアの跋扈・マーケティングの浸透等による資本主義的消費生活のパターン化の中で吸い上げられ、人の生き方そのものが画一化・単純化・退嬰化させられ、もはや労働や生きる意味、社会変革を問わない社会総体の貧困の中に連れ込む罠としても作動している▼その証左は単純労働化の最大問題たる「労働疎外」とそれの克服について、社会総体が見ぬふりをし、遣り過ごしていることである。この疎外克服の闘いこそ資本主義をゆさぶる起爆剤、との認識の共有と共闘が求められている。
      安保 英賢<>2010/05/15 553<>0<>2010.4月 社会主義の歩みと将来への展望第69回 東欧共<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自律的連帯を求めて
第69回 東欧共産圏の崩壊 上   
 広島大学名誉教授 北西 允

 ゴルバチョフ改革の一つに、F・シナトラの有名な歌「マイ・ウェイ」に因んで名づけられた「シナトラ・ドクトリン」というのがある。それは、1956年の「ハンガリー動乱」や1968年の「プラハの春」の武力鎮圧を正当化した「ブレジネフ・ドクトリン=制限主権論」を否認した新ドクトリンのことである。ゴルバチョフは、1988年にユーゴスラビアを訪問し、スターリンによるユーゴ共産党のコミンフォルム追放を謝罪するとともに、東欧諸国の自主決定権を認める「シナトラ・ドクトリン」を宣言した。
 この宣言を契機に、東欧では次々とソ連型共産主義からの離脱が企てられていく。ポーランド国民は、以前にも帝政ロシアの支配下に置かれ、東方正教ではなくカトリック教を信奉し、1939年の独ソ不可侵条約の秘密議定書によって国土の分割を強いられた厳しい経験を持つだけに、外からソ連型共産主義を押し付けられた東欧諸国民の中でも反ソ・反ロ感情がひときわ強かった。1980年頃からL・ワレサ(1943〜)の率いる自主管理労組「連帯」が活発に動き出し、一時非合法化の悲運に遭うが、なおも執拗な活動を続けて遂に1989年、統一労働者党(共産党)政権との話合いを通じて複数政党制による自由選挙の実施を勝ち取った。同年の選挙で「連帯」は圧勝し、翌90年ワレサは、新生ポーランド共和国の大統領に選出された。
 ハンガリーでは1988年、民主化運動の高揚を背景に開かれた社会主義労働者党(共産党)の全国集会で、1956年の反ソ暴動以来、ソ連の後ろ盾で権力の頂点に立っていたカダルが解任され、翌89年には党の指導性の削除、大統領制への移行、国名の人民共和国から共和国への変更を含む憲法改正が行われ、社会主義労働者党は、党名を社会党と改称して自ら脱共産化を図った。1990年に自由選挙が実施された結果、中道政党「民主フォーラム」が第一党となり、その後政局は二転三転するが、ソ連型社会主義には終止符が打たれた。 
 チェコスロバキアでは、「プラハの春」が踏みにじられて以来、改革派のA.ドプチェク(1921〜92)に替わるフサーク共産党第一書記兼大統領の支配下で「正常化」路線が採られていた。1977年に人権抑圧に対する抗議文「憲章77」を発表した劇作家兼俳優のV・ハベル(1936〜)らも弾圧の対象となった。フサークは、1987年に党第一書記をヤケシュに譲って、ある程度、改革を認める姿勢を示したものの、依然大統領職にとどまっていた。しかし1989年、スロバキアの大学生がブラスチラバ(現在の首都)で組織した反政府デモを皮切りに、プラハやその他の都市でもストライキとデモの波が急拡大し、政府は次第に追い詰められていった。政府は武力弾圧の意思を持っていたが、軍隊や警察は動かなかった。そして同年末、共産党と「市民フォーラム」等との間で複数政党制による選挙の実施が合意され、選挙の結果、チェコでは「市民フォーラム」が、スロバキアでは「暴力に反対する民衆」が、それぞれ第一党となり、親ソ政権は遂に崩壊した。この政変は俗に「ビロード革命」と呼ばれている。
  
 <>2010/05/15 552<>0<>2010.4月自治体議員選挙勝利に向けて 齋尾 和望<>自治体議員選挙勝利に向けて 齋尾 和望

 府中市議選がスタートしました。新社会党公認候補の小森龍太郎さんは、「人権大好き!」「府中も大好き!」のスローガンを大きく掲げ、元気に選挙戦に突入しています。府中市はこの8年間、伊藤市長による対話無視の独善的な行政が行われ、一方的に学校の統廃合が強行されたり、時代に逆行した土地開発で多大な借金を抱え、結果的に市民に負担を強いるなどの放漫な市政を行ってきています。
 こうした行政に終止符を打ち、市民との対話を中心にした本来の府中市行政を取りもどすために奮闘しているのが小森龍太郎さんです。そして小森龍太郎さんと手を組んでいる松坂万三郎市長候補です。両者の当選を勝ち取り、府中市行政を、府中市出身の市長による対話の行政・市民本位の行政に取り戻さなければなりません。
今日、合併によって私たちの仲間の議員は減少を余儀なくされています。こうした中、現職で頑張っている議員には大きな期待が掛けられています。しかし、議員が活動できるかどうかは、それを支える私たちの取り組み・闘いいかんに関わっています。
 さて全国情勢を見ますと、4月11日には、徳島県の三好市市会議員選挙で、天羽強さん(現・推薦)、平田政廣さん(現・推薦)がそれぞれ当選しました。
 4月18日には、埼玉県秩父市会議員選挙で、金崎昌之さん(現・公認)、
徳島県美馬市市会議員選挙で、武田喜善さん(新・推薦)、千葉県長生村村会議員選挙で、山口ひろゆきさん(現・推薦)、ましこ勇男さん(新・推薦)がそれぞれ当選しました。
 この勢いを感じながら、小森龍太郎さんの勝利に繋いでいきましょう。そして来年の統一自治体選挙では、呉市・尾道市・東広島市などの現職議員はもとより、福山において県会議員の当選を勝ち取りましょう。

<>2010/05/15 551<>0<>2010.4月歴史を正しくみつめよう <>歴史を正しくみつめよう
呉総支部 中室 茂

 かつて鎮守府・工廠がおかれ、先の戦争まで軍事都市・軍港として繁栄したのが呉市である。「海軍のまち」とも呼ばれた。まさに侵略戦争の巨大な基地であったため大規模な米軍の空襲にも会い、“廃墟の街”となったのだ。
 その呉が“廃墟と失業の街から復旧を果たせたのが、旧軍港都市転換“法そのものである。
 横須賀、佐世保等と共に旧軍用地を民間企業や公共用地に転用し、平和産業都市として再出発する画期的な特別法であり、その法律施行から今年60周年を迎える。
 その呉は今、「大和(の)ミュージア
ム」の展示に見られ
                  るよう“海軍を誇り”“戦争と共に栄えた呉のまち”を「ノスタルジック」に「政治的」に顕示し、それらを“誇れるもの”として子どもたちにもすりこもうとしている。
 『大和 根の・・・愛国の鐘がなる・・・呉市、呉市、大呉市』の歌詞をもつ戦前の「市歌」まで学校で強制されている。
 私たちはこの動きを決して許さない。「米軍基地」も存在し、「自衛隊と“共存共栄(呉市行政)”のまちでなく、60年に「平和なまち」として出発しようとした、そういう呉の地を求めていきたい。

<>2010/05/15 550<>0<>2010.3月小選挙区がつくり出した政治の構図<>小選挙区がつくり出した政治の構図
県本部副委員長 岡田英治

 来るべき参議院選挙・広島選挙区(定数2)に立候補する顔ぶれがほぼ出揃った。
 民主党は、教育問題や安全保障問題では思想的に自民党よりも悪いといわれている現職の柳田稔が立候補。自民党は7区で落選した宮沢洋一が衆議院から参議院に鞍替えする。
 国民新党は、広島の教育攻撃に憂き身をやつしてきた亀井郁夫が再出馬するか、河合案里(前自民党県議)へ交代するかで難航しているようである。いずれにしても厳しい選挙戦を強いられるのは必至で、亀井兄弟の政治力の衰退は避けられない。
 柳田と亀井郁夫は2月11日、広島市内で行われた「建国記念の日奉祝式典」に出席し、「折に触れて皇室の方々のお招きを頂戴いただき幸せ者であった」(柳田)、「道徳の時間に反日教育をしていた広島の教育も改善されたが、まだ完全ではないので一層の協力を」(亀井)とあいさつしたとのこと。
 一方、旧宮沢派・宏池会の谷垣自民党総裁は「復古的ナショナリズムで保守層を取り込む手法は取らない」「弱肉強食の構造改革には歯止めをかける」と言っている。
 前述のようなことを耳にすると、広島選挙区の候補の中では宮沢がリベラルに見えてくるから不思議である。小選挙区制がもたらす保守二大政党化が参議院広島選挙区や衆議院第6区(亀井と小島)では顕著だ。「投票する人物がいない」とぼやいてばかりではいられない。この選挙制度(政治の構図)こそが日本の進路を誤らせていることを新社会党が主張しなければ他に主張するもの(できるもの)はいない。

<>2010/04/16 549<>0<>2010.3月 翼<> 新政権の教育政 策の柱の一つが 「高校無償化」である。しかし、その対象校から朝鮮学校を外すという可能性が出てきた。発端は中井拉致担当相が除外論を展開し、鳩山総理が「国交のない国だから教科内容を調べようがない」と言って突如政治問題化した▼朝鮮学校は、いわゆる一条校から外された専門学校扱いである。つまりスタートから排外主義によって差別を受けてきたが、この間の闘いにより、インターハイなどへの参加、また、国公立・私立大学のほとんどが受験資格を認めてきた。広島でも、通信制高校を経ないと大学受験資格がないこと、またJR通学定期券が適用されないことに取り組んできた▼川端文科相は「外交上の配慮、教育の中身のことが判断の材料になるのではない」と、また鳩山首相は施政方針演説で「差別と偏見とは無縁に人権が守られて基礎的な教育が受けられる、そんな暮らしを国際社会の責任として、すべての子供たちに保障していかなければなりません」と述べている▼国際人権規約に照らしてみると、自由権(B)規約委員会・社会的規約委員会・子どもの権利委員会・人種差別委員会等が朝鮮学校への差別是正の勧告を出している▼鳩山総理・民主党の人権感覚、いや日本人の人権感覚が問われている。

<>2010/04/16 548<>0<>2010.3月 第15回定期全国大会・第23回臨時中央委員会<>去る2月20日・21日、東京晴海で第15回全国大会が開かれた。大会当日追加提案として原和美副委員長の「社民党入党・比例区統一名簿に入る」が提案されるなどで、大会は厳しい議論の場となり、第23回中央委員会に結論を持ち越すことになった。
 県本部は3月6日小森顧問出席の中で三役会議、翌7日には緊急の執行委員会を各総支部代表者を交えて開催し、全国大会での課題を議論した。そこでは、「戦術として理解できても戦略がはっきりしない」結党の精神に合うのかどうか」「財政的に問題があるのではないのか」「勝てる状況にあるのか」「県内での選挙闘争は具体的にどうなるのか」等々、総支部代表者からは率直かつ厳しい意見が出された。
 執行部はそれらを斟酌し、基本的には中央執行部の案を支持しながらも、とりわけ分裂するようなことは絶対に避けるという決意を持って臨む方向性を確認した。
 果たして中央委員会は、全国大会と同じように激しい討論となり、あわや分裂もあり得る状況となった。こうした状況を懸念していた小森顧問は、予め「意見具申」を中央執行委員や中央委員に提出していたが、その扱いが不明瞭であることを三木委員長が指摘をする中で中央委員会に披露された。休憩中での執行委員会を受け、中央本部は原案を撤回し、小森顧問の「意見具申」を本部提案として提出し可決された。
 最終的に確認されたことは次の通りである。@原和美さんの決意を尊重する。A共に闘ってきた兵庫県本部が党として取り組むことを認める。B全国の党員や党組織は、条件の許す範囲で支援する。C@を受けて社民党比例区候補となった原和美さんを新社会党は推薦するというものである。

 「党が自らの方針として社民党候補となった原さんを推すという自己矛盾」故に原案に反対・慎重論を訴える人たちの気持ちも汲み取り、原和美さん、そしてそれを支える兵庫県本部・近畿第三極の闘いも認められ、加えて、賛同するものも支援の闘いが出来るということになり、党の分裂は避けられることとなった。
<>2010/04/16 547<>0<>2010.3月がんばってます 132<>がんばってます
新社会党 広島県自治体議員活動132
三原市議会議員
   政平 智春

早いもので、市議会議員に当選して、1年が過ぎようとしている。
 この間、十分なことができたのかの自問に、反省しきりである。
 しかし、議会活動を通じて、「平和・人権・安全・安心」をどのように実現していくのかを追求し続けてきた。
 今まで4回の定例議会、4回の臨時議会を経験してきた。その中で、「生命と権利を守る」ことを目標に、取り組んできた。
 その最大の取り組みが学校教職員の長時間労働の問題である。
 昨年4月の教職員の時間外勤務の実態は、100時間を超える人が、実に25%を超えていた。
 月20日の勤務として、毎日5時間以上の時間外勤務を余儀なくされている人が、4人に一人の割合である。
 そのような勤務実態の中で、メンタル面での病による長期病休者が12人。病気休暇取得者も8人に上っている。
 このような実態を踏まえて、なぜ時間外勤務が多いのか、職務内容の見直しをすべき、学校安全衛生委員会を充実させるべきなどの追及を行った。
 また、長期病休者の実態などを公表させ、職員の健康管理を充実させることを求めた。
 また、全国一斉学力テストについても質問し、抽出校以外の実施を行わないように求めた。
 市職員の健康管理についても、教職員同様質問を行い、一定の改善を実施させてきた。
 これからも、労働者が、働き続け、生き続けるため、体制的合理化と闘い続ける一翼を担いたい



<>2010/04/16 546<>0<>2010.3月ピースウォークfrom沖縄」を尾道に迎えて<>3月4日(木)16時30分、沖縄を1月1日に出発した平和行進団が尾道に到着。
 準備していた横断幕とプラカード10本を持って参加。「世界一危険で、生命をおびやかす普天間基地を閉鎖し、国外移設を!」先頭に、「沖縄に軍事基地はいらない。命どう宝。」「アメリカのモノはアメリカへ」「子どもたちに平和を!」など小中学生の色とりどりの手形を捺したプラカードを掲げ、日蓮宗僧侶の唱え続ける名号に包まれて進んだ。
 尾道駅前芝生広場では「歓迎の集い」。“九条の会・おのみち”事務局の原田と城間市議より歓迎の挨拶。行進団から妙法寺石橋代表より答礼の挨拶後、さらに2号線を東行、宿泊先の妙宣寺へと向かった。
 警備に当たる公安警察官、私服刑事の方が人数が多くなるのではないかとの心配をよそに途中参加の人たちも加わっての行進となった。
 すれ違う車や歩道の人から振られる手に励まされ歩く歩く。
 夜19時からの交流会では、それぞれが自己紹介をし、「沖縄と自分」をかかわらせての思いや、「なぜ行進に参加するのか」など語りついだ。
 行進団の方からは「基地問題で大きく揺れている沖縄と比べて、歩いてきた感じでは“うねり”が小さい事が気になります。」としみじみと語られた。「沖縄の基地の問題は実は私たち、あなたたちの問題なのですよ。」と言外に、しかし厳しく論されたように感じられた。
 最後に“グループ・おとぎぞうし”の竹本さんは渾身の力を込めて“ドゥ−チュイムニー(独語=ひとりごと)”を歌い上げ、それは私たちにはウチナンチューの“恨”に聞こえ、揺り動かされ、打たれた。
翌5日、福山市の入り口まで歩き、前途の無事なることを痛いほどの握手で伝え、見送った。

<>2010/04/16 545<>0<>2010.3月時言 どこに連れ込まれようとしているのか <>時言 どこに連れ込まれようとしているのか

先日、時言子の近所の集まりでのこと。ある人が「この頃はどうして非正規や派遣ばかりになったんかねえ」と言うと、「そりゃあ小泉さんの時に雇う方に便利なように法を変えたけえじゃ」・「いや不況じゃけえよ」等、発展していった。しかし本当の理由は何か。下部構造はどうなっているのか▼現代社会を規定する概念に「工業(化)社会」がある。例えば数万個に分解された部品を熟練労働者が組み立てていく。その労働者は正社員として長期間雇用され、次の日の労働力の再生産に足る金額の賃金が「生活給」として支払われ、それで家計の維持、即ち消費生活が営まれる。すなわちそれによって需要が生み出されるのである。(自動車王ヘンリーフォードが労働生産性に反して賃金を引き上げ、消費拡大を図ったのは有名な話。そうしなければ、作った自動車も売れない)。加えてラジオ、テレビ等マスメディアで「自動車のある生活」・「テレビのある生活」等々生活スタイルを植え付け(広告)、消費意欲を喚起する。この「20世紀的消費生活」の進展が需要を膨らませた▼しかし、この工業社会はIT 化・オートメ化の中で激変する。先ずは特別の技能や、それの習得・熟練を必要としない、すなわち機械の手足となる単純労働〔誰でもいい、代替可能な労働力)への需要の激増である。これこそが非正規労働激増の原因であり、識者は今後もこの単純労働化の流れは不可避としている▼今後も家計維持者どころか全労働者の七割を「非正規雇用」とする「資本の側の収奪強化策が、貧困・格差の拡大、年金・雇用保険の破綻、少子化、人間性の崩壊等々の社会問題を惹起しているのである。
安保 英賢
<>2010/04/16 544<>0<>2010.3月社会主義の歩みと将来への展望<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自律的連帯を求めて
第68回 ゴルバチョフの「改革」   
 広島大学名誉教授 北西允

 ソ連ではスターリンの死後、フルシチョフが一定の非スターリン化政策に乗り出したものの、守旧的な党・国家官僚の抵抗、キューバ危機に関する対応のまずさ、農業改革の頓挫によって1964年に最高指導者の座を追われた。その後を襲った守旧派のL・ブレジネフ(1907〜82)らが支配した18年間は、「沈滞の時代」と呼ばれるように、ソ連の内外政策において見るべき改革は、なにも行われなかった。それに加えGDPがアメリカの半分程度のソ連が、激しい核軍拡競争に曝され続けたことは、民生を一層著しく圧迫するようになった。東欧諸国で噴出した「民主化」の嵐は、やがて社会主義体制を崩壊に導く勢いさえ見せていた。内外政策の早急な改革が急務となった。そこに登場したのがM・ゴルバチョフ(1931〜)である。
 1985年3月、ソ連共産党書記長の地位に就いたゴルバチョフは、まず党人事を一新し、「改革」への布石を打った。彼が主導した1985年から91年に至る「改革」は、ペレストロイカ(建て直し)、グラスノスチ(情報公開)、新思考外交の三点に要約される。それらについて詳述する紙幅はないので、本稿では要点を摘記するにとどめる。
 ペレストロイカの経済面では@軍事支出の削減と民需部門への投資拡大、A中央集権的で硬直した計画経済の是正、B技術進歩とその実用化による経済活動の活性化、C禁酒政策を含む労働者の勤労意欲の向上、C対外貿易の有効利用が図られた。政治面では@共産党と連邦政府間の権力の分離、A結社の自由と複数政党制の容認、B国家の最高機関としての「ソ連人民代議員大会」の創設、C従来の最高会議幹部会議長(国家元首)に代わる「大統領職」の導入(自ら初代大統領に選出される)等の施策が採用された。
 1986年4月に発生したチェルノブイリ原発事故を外国政府から初めて知らされたゴルバチョフは、グラスノスチ(情報公開)の必要性を痛感し、従来の秘密主義、言論統制の排除を積極的に推し進めた。@言論・思想・集会・出版・報道の自由の保証、A過去の事件・事実の再評価と反体制学者らの釈放、B「共産貴族(ノーメンクラツーラ)」の生活実態の暴露、C海外航空ショーへの最新鋭機の出品等に見られる軍事機密の一部公開、がその内容である。
 新思考外交の範疇には、@「ブレジネフ・ドクトリン(社会主義諸国の主権は絶対的なものではなく、社会主義圏全体の利益が優先され、内政干渉もやむをえないとする制限主権論)」の放棄、Aアフガニスタンからの撤兵、Bアメリカとの中距離核兵器全廃条約の締結(核軍備管理ではない最初の核軍縮条約)、C訪中による中ソ関係の正常化、Dレーガン米大統領とのマルタ島会談における東西冷戦の終結宣言が含まれよう。
 ゴルバチョフ自身には、社会主義やソ連邦を解体する意図はなかったと思われるが、上記の「改革」は、上からの改革であり、常に旧勢力との激しい葛藤の中で遂行された。そのため、彼の「改革」には、しばしばゆれが生じ、一貫性に欠けるところがあった。ゴルバチョフが最終的にどういう社会、連邦、国際関係の実現を意図していたのかは、必ずしも明確ではない。
<>2010/04/16 543<>0<>2010.3月2010年国際女性デー広島県集会を終えて<>2010年国際女性デー広島県集会を終えて
県本部女性委員     時本千恵美

2010年国際女性デー広島県集会が3月7日(日)、広島市内で約180人の参加者を得て開催された。
 今年は「国際女性デー提唱100周年」・「女性差別撤廃条約採択30周年」という節目であり、広島においても1975年国際女性(婦人)年の翌年、1976年3月から数えて今年は35回目の広島県集会だった。
 「女性差別撤廃に挑戦する世界の女性・問われる日本の女性運動」と題し、I女性会議常任顧問の清水澄子さんによる記念講演があった。
 その中で、「女性差別撤廃運動」の国際的な始まりと100年の歩み、5年に一度開催される国連世界女性会議における世界の女性たちの意識、具体的な女性差別撤廃のための行動の内容などわかりやすく報告された。
 そして日本政府における女性差別撤廃の取り組みは依然として進まず、国際機関である女性差別撤廃委員会より2009年、4度目の厳しい改善の勧告を受けているにもかかわらず、世界99カ国が批准している「女性差別撤廃条約選択議定書」をいまだ日本政府は批准していないのである。
 今後も、ジェンダー平等の視点で、人間らしい労働と生活を求めて、国内外の女性たちと共に行動の輪を広げ、特に日本国内においては早急に民法の改正を勝ち取ることなどが確認された。
 最後に副実行委員長の三木郁子さんの閉会のあいさつで締め括り集会を終了した。<>2010/04/16 542<>0<>2010.3月尾道総支部労働相談の取り組み<>尾道総支部労働相談の取り組み

「党全国一斉労働相談」のかけ声のもとに、尾道総支部でも労働相談に取り組む事になりました。
 2月12日から22日の間に5日間開設し、8名の党員が2名ずつ待機しました。まず、相談日時を地元新聞に広告を出しました。
 「一人で悩まずお気軽に電話を!!無料尾道地区労働相談」との見出しに連絡先を入れたものです。次に相談を受ける場合の注意事項を紙に書き出し、当番者に見えるように壁に貼りつけました。
 前半は電話もありませんでしたが、最終日には連絡と来訪者もあり直接相談も受けました。
 造船関連の下請会社より突然の解雇を言い渡されたり高齢者と障がい者の家族の生活総合相談などです。
 それぞれ即解決とはいかず、今後も継続的に相談を受ける事となりました。
 尾道総支部では、毎月第2と第4の月曜日17時〜18時30分に「なんでも市民相談」を以前から開設しているので、今後も相談活動を継続して取り組みます。<>2010/04/16 541<>0<>2010.2月党県本部「団結旗びらき」開催 <>党県本部「団結旗びらき」開催
府中市議選の必勝を   副委員長 高橋 晋作

 2010年1月16日、例年のようにホテルチューリッヒ東方二〇〇一で新社会党広島県本部の団結「旗びらき」が開催されました。第一部は、三木委員長挨拶に続いて、七名の来賓の方々からの挨拶、小森龍邦顧問からの「新社会党闘いの方向」と題した新春トークでまとめていただき、第二部は山田延廣弁護士から「今日の労働情勢をめぐって」と題して記念講演をいただきました。
 第三部パーティーは新しい年の決意も新たに、各総支部、支部の交流、懇親を深めました。県内各総支部からの支部紹介、自治体議員選挙予定候補者からは力強い決意表明がありました。とりわけ4月実施の府中市議選の小森予定候補から必死の訴えがありました。府中市議選は投票日まで、2ヶ月あまりです。取組みが大変遅れています。全県集中方式で、早急に取り組みの遅れをとりもどさなければ勝利の展望が開けません。予定候補者は勿論のこと、県内各地の党員、党友、支持者の皆さん方のご奮闘を心から要請します。

<>2010/04/16 540<>0<>2010.2月翼<>ベーシック・イ ンカムという言葉がある。昨年、中央の機関紙も小さな記事で取り上げていた。例えば、赤ちゃんから大人まで、最低限の生活保障ということで国民一人ひとりに5万円から8万円程度の金額を振り込み、それで生活をする人はそれで良いという考えである▼もちろん仕事を持ってその収入と合わせて生計を立てることも良い。その代わりに、失業保険や生活保護、さらには年金等の社会保障制度は全くない、という政策である。貧困対策、少子化対策等にもなるので、結果的にローコストの政策であると言う▼18世紀後半に社会思想家トマス・ペインが主張し、1970年代に欧州で盛んに議論されたようである。近年日本でも話題になり、昨年春先に週刊金曜日が特集を組んだり、新党日本が総選挙でマニフェストに上げていたのであるが、マスコミがほとんど取り上げることなく、広く浸透してはいないのが現実である▼もちろん財源問題や働かない生き方を認めるのかという批判や課題もある。心理学の勉強をしている者が「低所得者の人たちの相談も多いので、一定の勉強をしている」とのことで驚いた▼社会主義の範疇には入らない政策なので、我が新社会党のめざすものではないのではあるが、少し関心を持って見ていきたい。



<>2010/04/16 539<>0<>2010.2月県と厚生労働省広島労働局へ申入れ<>
 リーマンショック以来、依然として雇用情勢が悪く、このまま放置されれば、一昨年末の派遣村が再現しかねないと懸念される情況を背景に、昨年12月24日には広島県商工労働局、翌25日には厚生労働省広島労働局と二日連続で、三木委員長以下3名で申し入れを行った。
 私達は、雇用の確保、解雇権の濫用(労働契約法16条「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」)や偽装請負(「派遣」にもかかわらず、「請負」と偽って請負会社がメーカーに労働者を送り込み、メーカーの指揮下で仕事をさせるもので、職業安定法や労働者派遣法に違反する行為にあたる)の監視、さらに「労働者派遣法」の廃止を中心に強い申し入れを行った。
前年度の危機感に加えて政権が変わったこともあってか、既にいわゆるワンストップサービスや住宅の確保、「年末ぎりぎりまでの窓口開設」等、さも「やっています」と言わぬばかりの報告ではあったが、一定の動きが進んでいることがわかった。
「労働者派遣法」の改定について当局は、「そうした申し入れがあったことは中央に伝えます」という返答であり、一昨年より人数を増やして対応してくれたわりには、余りにも軽い対応であった。申入れの翌日、新政権が「労働者派遣法」の見直しを発表するというニュースがあったが、広島労働局にもその程度の情報は入っていたのではないかと思うと、対応の冷たさにいささか怒りを覚えた。
なお、前記の通り、前日の24日には、広島県商工労働局に対しても、雇用や住居の確保など、失業者等へ迅速な対応を要請した。<>2010/04/16 538<>0<>2010.2月全国自治体労働運動研究会西日本研修会へ参加 <>全国自治体労働運動研究会
西日本研修会へ参加   福山市議会議員 西本 章

1月26日・27日と見出しの会が神戸市であり、広島県本部から私西本と尾道市議の三木郁子さんの2名が参加しました。関西圏を中心に大阪・兵庫・広島・高知・熊本の仲間約30名の参加でした。
 はじめに千葉県野田市議の長南さんから「議会基本条例と議会改革について」の報告があり、続いて野田市と尼崎市から「公契約条例」についての現状報告と兵庫県内の自治体アウトソーシングの実態についての報告がありました。
 二日目は、本山美彦京都大学名誉教授の「新自由主義の総括と社会のあり方」と題しての講演と参加者の意見交流がありました。
 いずれも時宜を得た内容で、これからの自治体議員の方向性を示す貴重な内容でした。
 私自身も全国の仲間の現状や全国的課題について把握でき大へん勉強になりました。
 また、各参加者の最新版の議会報告を持参し、お互いの日常活動の交流もでき、有意義で密度の濃い研修会となりました。
<>2010/04/16 537<>0<>2010.2月がんばってます 131<>がんばってます
新社会党 広島県自治体議員活動131
 府中市議会議員
   小森 龍太郎

 市議会最大会派の市長与党・平政クラブは、とうとう論理に行き詰まった。昨年暮れに、『平政クラブ特集』と銘打って、差別意識を煽るビラを新聞折り込みで市民に配布した。八年前の府中市における「同和対策事業の終結」を報じた新聞記事をコピーして、あたかも「解放同盟が府中を牛耳っていたが、それをわれわれがやめさせた」と言わんばかりのものであった。
 桜が丘団地の造成、小中一体校の建設などに代表されるように、市長は、湯水のごとくお金を使う。その結果、府中の財政が危機に瀕しているということに異論をはさむ余地はない。伊藤市政の八年で、一般会計だけでも120億円も借金が増えている。その借金のツケを市民に押し付けたのがゴミの有料化である。さらには、各種団体の補助金削減、いきいきサロンや敬老祝い金の予算も削られ、放課後児童クラブの料金を値上げするなど、特に高齢者や子育て世代といった、「弱い立場」の人たちに負担を強いている。
 こうしたことに対して、私たちが、市民的立場での市政運営をしろと主張しても、はじめに市長擁護ありきだから、何ひとつとしてまっとうな反論ができない。論理的に追い込まれたものの最後のあがきは、差別意識を扇動することしかできない。市長の言いなりになる平成クラブも、四月の改選を意識して、そこに行き着くしかなかったのだ。
 今後の闘いの重要性と、自らの置かれた立場を自覚し、さらに気を引き締めて、闘う決意でいる。
 
<>2010/04/16 536<>0<>2010.2月必勝!自治体選挙<>必勝!自治体選挙
府中市議会議員選挙 定数22名(2名減)
4月18日告示、同25日投開票

小森龍太郎
新社会党公認 46才、
1998年4月府中市 議会議員に初当選。現 在3期目


 <プロフィール>新社会党府中・御調総支部書記次長を経て、同総支部副委員長(現在に至る)。部落解放同盟広島県連合会青年部長を経て、活動した。
<決意> 伊藤市長によって後退させられた市政を、市民の手に取り戻し、とりわけ、社会的に「弱い立場」に置かれた人たちをはじ
め、市民の声が反映される市政をめざします。護憲の旗を高く掲げ、平和憲法を護り、民主主義と人権の確立をめざして闘います。
新社会党の候補として府中で選挙を闘うことの歴史的意味と、自らの置かれた立場を自覚し、全力でがんばりぬきます
<>2010/04/16 535<>0<>2010.2月社会主義の歩みと将来への展望<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自律的連帯を求めて
第67回 ケ小平の「改革・開放」政策          
    広島大学名誉教授   北西允

 生涯に三度失脚し、三度復権を果たしたケ小平(1904〜97)は、文化大革命の収束以来現在に至る中国の基本路線を確立した中心人物である。
 過去二度の失脚後、一九五六年、党総書記の地位に上がり詰めた彼は、毛沢東路線に疑問を抱き、毛が「大躍進」「人民公社」政策の失敗を理由に、やむなく国家主席の地位を劉少奇(1898〜1968)に譲った後、ケは劉と組んで農家の自主生産を部分的に認めるなどの改革に乗り出した。1962年にケが唱えた「白い猫でも黒い猫でも鼠を捕るのが良い猫だ」との標語はあまりにも有名だが、それは、生産の発展に寄与する方策であれば、必ずしも社会主義の原理原則に捉われる必要はない、という趣旨と解される。
 こうした劉、ケの改革政策は、なおも党主席の地位を保っていた毛沢東の逆鱗に触れ、
二人は文革中「悔い改めない送資(資本主義への道を突き進む)派」のレッテルを貼られて失脚した。劉は幽閉中に死亡するが、1972年、ケは周恩来の工作によって三度目の復活を遂げた。1976年に周、毛が相次いで世を去った後、彼は、国家主席や党主席の地位には就かなかったものの、自他共に許す党と国家の「最高実力者」としての立場を築いていった。毛と異なりケには深遠な理論的著作類はない。毛が理想主義者だとすれば、ケは実務家であり、現実主義者だったと言えるだろう。
 中国の「最高実力者」として1978年から翌年にかけ、初めて米日両国を視察し、先進
資本主義国の現状に触れたのが「改革・開放」政策発想の引き金になったと言われる。「改革・開放」政策は、農村部では先ず人民公社を解体し、経営自主権の保証を通じて農民の生産意欲向上を目指す「生産者責任制」を採用した。都市部では外資の導入を促進し、広東省の深?、福建省の厦門には「経済特区」、上海、天津、広州、大連などの沿岸都市には「経済技術特区」をそれぞれ設置し、華僑・欧米などの外資を積極的に受け入れるとともに、企業の経営自主権を大幅に容認した。
 毛沢東時代に混迷を極めた中国政策は、ケの「改革・開放」政策によってようやく発展の端緒を掴んだと言えるが、それは同時に、中国社会に大きな亀裂を生み出す要因ともなった。沿岸部と内陸部、都市部と農村部の格差が著しく拡大し、加えてインフレや失業問題の深刻化、党・国家官僚の腐敗の蔓延によって人民の不満は次第に高まっていった。こうした情況を背景に1989年、「六・四天安門事件」が勃発する。
 1989年代初頭、ケは、信頼する胡耀邦、趙紫陽をそれぞれ党主席、国務院総理に配し、自らは党軍事委員会主席の地位にあった。胡や趙が学生・青年らの運動に一定の共感を抱いていたのに対し、彼は、ソ連圏諸国の動向に目を向け、若者らの「民主化」運動を武力で鎮圧することを厭わなかった。かつて中ソ論争の立役者として名を馳せたケ小平には、常にソ連型社会主義を反面教師とする視点が貫かれていた。
 「天安門事件」によって一時頓挫を余儀なくされた「改革・開放政策」は、ケの「先富論(富を築けるものを先行させ、そして落伍したものを助けよ)を導きの糸として継承・
発展されていくのである<>2010/04/16 534<>0<>2010.2月今こそ大幅減税を!<>「バブル」破綻後の、’90年代前半以降、労働者大衆の経済情態、さらには国の経済財政・金融政策はどのように変わったのか、あるいは変わらなかったのか。この間、「失われた十年」、小泉・竹中の新自由主義的強行による格差拡大、その後のリーマンショック以降の世界金融恐慌、そして政権交代等様々変遷してきた▼就中、小泉・竹中の市場万能・規制緩和等で資本の側へは巨利の保障、逆に労働者大衆の分断と収奪強化が進められた。因に、非正規雇用の拡大・成果主義等で賃金は10年近くダウンし続けているのである▼この資本の側優遇、労働側への収奪強化は前記に止まらず、例えば同じ要件の中で実施されたにもかかわらず暫定税率は廃止、引き下げられた法人税率は維持。所得税の累進税率は引き下げられたまま。加えて’95年以降15年間実質ゼロ金利を続け、国民は従来得てきた利息収入(年約30兆、15年間で450兆)を奪われ、企業や政府に貢いできたのである。これでは大衆の購買力が低下するのは当然であるにもかかわらず、デフレ・不況を喧伝し、あろうことかリーマンショックの以前からの400兆に及ぶ内部留保は吐き出させていない▼これに対し、小泉・竹中のつけ(・・)を返すとしつつ民主党政権は、子ども手当・農家への個別補償等直接給付による需要喚起を図るとしている。しかし、これとて諸々の方法で大衆から収奪し、その金で20年来行われてきた財政出動型の政策であり、これでは需要は喚起されなかった▼今こそ大巾減税等の真の需要喚起政策等、勤労大衆を経済主体に据えた政策に転換すべきである。  安保 英賢

<>2010/04/16 533<>0<>2010.2月総支部は今<>総支部は今
府中総支部 書記長 福崎裕夫

府中総支部は月例学習会を続けており、もうすぐ「空想より科学へ」の輪読が終わるところだ。
 伊藤府中市長は、売れない桜ヶ丘団地を造成して、莫大な借金を市民に押しつけるなど、デタラメな市政を続けている。それを支えているのが平成クラブと公明党のイエスマン議員たち。さらに共産党も。
 昨年、松坂万三郎氏が今年4月の市長選への出馬を表明し、暗黒の府中市にかすかな光がさした。そして、伊藤現市長はギリギリで出場を表明した。
 また同時に市議選もあり、わが新社会党からは小森龍太郎市議が出場する。議員定数は24人から22人に削減され、激戦が予想される。市長選、市議選ともに勝利して、府中市に希望をもたらさなければならない。当面はこのことが府中総支部の最大の課題である。
 党員の皆さまの御支援を強くお願い致します。<>2010/04/16 532<>0<>2010.2月今沖縄を考えてみよう!城間和行さん講演会から<> 普天間基地の辺野古移設が問題になっている中、沖縄にルーツを持つ尾道市議会議員である城間和行さんの講演を聞く機会があった。
 父が日本旅行中?尾道で生まれた城間さんが沖縄を考えるように
なったのは、1995年の少女暴行事件後に行われた8万5000
人の抗議集会に、識字を奪われていた叔母がバスを2つも乗り継い
で参加したという話を聞いて以来である。あの集会での中村清子さんのメッセージに涙したのは私だけではなかったと思う。
 今、普天間基地の辺野古移設問題が政治の大きな課題になっているが、基地の問題が始まったのは1995年でも、また、本土の防波堤となって集団自決を強いられたあの戦争、そして敗戦でもない。
 それは、1602年の島津藩による琉球侵略から始まるのである。 その後琉球は1872年の琉球処分(この言葉に本土の沖縄に対する差別意識が見て取れる)、1879年の鹿児島県への編入、12万2228人にも及ぶ県民の犠牲者数を出した十五年戦争。そしてなお今日まで続いているのである。
 この間、1903年の琉球人として見せもの扱いにされた「人類館事件」、1923年の関東大震災で朝鮮人と同じ様に虐殺されたことも忘れてはならない。
 さて、集団自決という名の日本(兵)による沖縄県民虐殺から辛うじて生き残った人々は収容所で敗戦を迎えるのであるが、厳しい収容所生活ののち家に帰ると、そこには有刺鉄線が張られ、自分の土地がなくなっていたのである。いつの間にかかってに基地にされていたのである。何の話も約束もないままにである。
 沖縄は「自らのことを自らが決められない」と言われるのであるが、その歴史は1602年に始まり、今日まで続いているのである。
 私たちは、普天間基地は勿論いらないし辺野古への移設にも反対である。沖縄だけでなく、岩国など、日本にある全ての米軍基地の撤去返還を要求する。

 城間さんは、「普天間基地の問題が沖縄問題ではない」と強く訴えられた。本土に在る私たちは今、普天間基地の問題を通して、沖縄の歴史を振り返って見なければならない。その時、傍観者であったという立場と、加害者であったという立場を忘れないようにしたい。 (齋尾 和望)

<>2010/04/16 531<>0<>2010年1月 翼<>2010年がスタートした。安保条約から50年、韓国併合から100年という節目のこの年、普天間基地の移設問題が大きな政治課題となっている▼もとより私達は安保条約に反対であり、従って普天間は勿論、全ての米軍基地の撤去を求める。長い時間はかかるであろうが、まず普天間基地の国外移設に着手し、安保廃棄の方向をめざしてほしい、と期待したい▼しかし、極東の安全保障における沖縄基地の重要性を説く日米両政府があり、困難であろう。その背景に、韓国併合100年の今日、なお日本と朝鮮(民主主義人民共和国)との国交が回復していないことが原因の一つと言えるかも知れない▼1910年の併合から36年に及ぶ植民地政策の後、戦後1965年の日韓協定により韓国との間には国交が回復するが、併合100年後、戦後65年後の今日、なお朝鮮との間においては、清算が出来ていない。結果、拉致問題も未解決のままであり、昨年11月には、京都の民族学校の行事に「在特会」なる右翼団体が妨害行為を起こす等の事件も起きている▼民主党政権には、新しい形で日朝間の国交回復に動いてもらいたい。ただ圧力をかけるだけなら、沖縄の基地問題と合わせて、結局自公政権と何ら変わりがない。

<>2010/04/15 530<>0<>2010年1月 2010年の諸課題にむかって<>2010年の諸課題にむかって
新社会党広島県本部 委員長  三木郁子

新年明けましておめでとうございます。
 昨年は半世紀以上続いた自民党政権へ国民はノーを突きつけ民主党を中心とする政権交代があり政治的には大きな変化がもたらされた年でしたが、一昨年の世界金融危機の影響は依然として尾を引いており、今年も経済の低迷は続きそうで雇用を取り巻く情勢も厳しい年明けとなりました。
 また、普天間基地移設問題を始めとするこれ以上の米軍基地機能強化を許さない闘いも日米安保50年となる今年必死でやり切らねばなりません。2月には党全国一斉労働相談の取組もあり県本部も東部と西部地区で計画を立てています。
 4月実施の府中市ほかの自治体選挙にも勝利しなければなりません。7月には参議院選の闘いもあり護憲共同候補を支援し議席の確保への具体的方向も2月の全国大会で提起されます。
 今年も私たち新社会党に課せられた多くの諸課題を各総支部・支部で一丸となってやりきりましょう。

<>2010/04/15 529<>0<>2010年1月県本部議員団会議開く<>党広島県本部議員団会議(得田正明議長)は、去る12月23日、府中市で総会を開き、役員体制、活動方針、規約改正等の確認と、自治体議員としての「社会的立場の自覚的認識」を深める研修を行った。
 来賓の三木郁子県本部委員長は、4月の府中市議選に党を挙げて必勝をめざすことを強く訴えた。記念講演として小森顧問は、「議員は哲学をしっかり学習すること、そして世間一般の模範となる生き方、行動をすること」を厳しく指摘し、更なる奮闘を要請した。
 予定候補の小森龍太郎市議からは、府中市政の退廃に憤りを強くしている現状と、市民の暮らしと生命を守るために、死力を尽くして闘い抜くとの力強い決意表明があった。
 これを受けて議員団会議は、議員団の総力を結集して必勝態勢の構築を図ることを確認して、総会を閉会した。
府中市議選の必勝を期そう!<>2010/04/15 528<>0<>2010年1月がんばってます 130<>2010年度の予算編成が大詰めに来ています。厳しい経済情勢が続く中、誰もが安心して働き、生活できる社会の実現に向け、新政権にはがんばって欲しいものです。
 昨年11月に会派の視察で沖縄を訪れ、現在焦点となっている普天間基地、嘉手納基地、そして名護市の辺野古に行きました。名護市の視察は、「中心市街地活性化事業」でしたが、本当に市民にとって必要な事業なのか?大いに疑問を感じました。市長が移設を容認して以来、名護市を含む沖縄県北部に、「北部振興策」という名目で約100億円の補助金が、すでに使われていました。天気のいい日で、辺野古の海の青さが際立っていました。このきれいな海を埋め立てて基地をつくるなど、絶対に許せることではありません。
 米軍再編計画で、岩国基地への空母艦載機移転が2014年までとされています。しかし、沖縄県民や名護市民の命を懸けた反対闘争に学びながら、粘り強く反対運動を続けていく決意です。
(2009年12月記)
 廿日市市議会議員
    石原 顕<>2010/04/15 527<>0<>2010年1月西日本大衆運動交流会<>11月28日・29日、岩国において中央本部主催による西日本大衆運動交流会が開催され、広島県本部からも7人が参加しました。
 初日の28日には、岩国市会議員の田村順玄さんリードによる岩国基地のフィールドワークが行われ、騙されて米軍の住宅地にされそうな愛宕山地区を見学した後、高台から岩国基地全体を見下ろしました。そして基地の周辺を回りました。
 田村さんは、議員活動一貫して米軍基地に反対の立場で、居住地と一体となって闘っておられ、行政側の、国側のでたらめさに対抗して4つの裁判闘争に取り組んでおられます。フィールドワークのあと名古屋高裁における「イラク派兵は違憲」の勝利判決報告集会もあり、闘いにますます闘志を燃やしておられます。我々も大いに元気付き、これからも支援していこうという決意を固めました。
 翌日は、上関原発問題について高島美登里さんの報告を受けました。パワーポ
イントを使っての、分かりやすく感動的な学習会となりました。原発が出来ると、周辺の海だけではなく、瀬戸内海そのものの生態系に大きく変化が生じると警告をされる高島さんは、住居を現地に移し、2月の町会議員選挙に立候補する決意を固めたばかりのところで、その意気込み参加者は圧倒された思いでした。
 今年初めての、東西における学習会の西日本版は、約50名の参加を得て成功裏に終えました。
<>2010/04/15 526<>0<>2010年1月時言 抑圧された力は出口を求めている<> 昨年、格差や貧困問題をテーマとした「朝まで生テレビ」で山口素明さん(フリーター全般労組執行委員)の「金持ちから奪えばいい」という発言が注目されている▼山口さんに発言の真意を尋ねると「『奪う』といっても、要は累進課税の強化や相続税率のアップによる再分配のことだ。刺激的な言い方をしたのは、貧困を自己責任として来た世論に対し、社会の構造的要因を問う狙いもあった(1月4日、朝日新聞)としている▼冷戦解体後、資本の側はグローバル化・新自由主義を手段にして空前の巨利を手にしたが、同時に貧困・格差問題、さらにはそれの克服手段として「金持ちから奪う」などの考え方を惹起することとなった。これでは今まで力を尽くして形成してきた、革命・社会主義等を「悪」とする社会意識が綻びかねないとの危機意識を抱いているであろう▼権力側は自らに利益をもたらす社会意識の温存助長に細心の注意と策略をめぐらせている。例えば、広島の教育を痛打した「文部省是正指導」は是正と言う冠をつけることで「悪しき広島」とのレッテルを貼り、「指導」の大義名分の中で、広島の教育を破壊したのである▼しかし、意識は存在の反映である。すなわち前記労組の動きのように、日々分断・序列化・差別等抑圧と閉塞の中で呻吟する人間の中から、そうでない人との、労働との、社会との関係性へと変えたい、との欲求が噴出し始めている▼同じように文部省介入以来定員内不合格・中途退学等で教育権を奪われた何千・何万の生徒や、呻吟する教職員の「変えたい」との欲求は出口を求めている▼事態は弁証法的に止揚されることを内包しつつある。
      安保 英賢<>2010/04/15 525<>0<>2010年1月 社会主義の歩みと将来への展望<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自律的連帯を求めて
第66回 ポル・ポトの「原始共産主義」    
広島大学名誉教授  北西 允

 カンボジアは、19世紀中葉以来フランスの植民地であったが、1953年にN・シハヌーク(1922〜)を国王にして宿願の独立を果たした。しかし、ベトナム戦争の勃発とともに政情は不安定となり、ポル・ポト(1925〜98)の率いる極左武装集団=クメール・ルージュの蜂起とアメリカや南北ベトナムの介入によって、カンボジアは次第に内戦状態に陥っていく。68年からは米軍の全土空襲が始まり、それが結果的にクメール=ルージュの勢力伸張を招いた。
 1970年3月、アメリカは、親米的な首相兼国防相のロン・ノルを唆して「容共派」と見ていたシハヌーク国王を放逐するためクーデターを決行させた。これに対しシハヌークは、外遊先の北京から反米、反ロン・ノルのカンプチア民族統一戦線の結成を呼びかけた。シハヌークは、かつては弾圧の対象だったクメール・ルージュと手を組むことを躊躇していた。だが毛沢東や金日成らの説得によって、彼は1975年に帰国し、名目上クメール・ルージュのトップの座に就いてその支持の拡大に大きく貢献した。
 圧制と腐敗によって国民の不興を買い、1973年のアメリカのベトナム撤退に伴い後ろ盾を失ったロン・ノル政権は、75年4月もろくも崩壊した。首都プノンペンを制圧したクメール・ルージュは、「米空軍による爆撃を避けるため」と称して都市市民を強制的に農村に移住させた。重病人や妊婦や幼児も例外ではなく、行き先も告げられず炎天下を何ヶ月も歩かされ、多数の死者を出した。翌年1月、シハヌークを元首とする「民主カンプチア」政権が樹立されるが、実権はポル・ポトに握られていた。
 ここからポル・ポトの「原始共産主義(原始共産主義社会には支配者は居なかったし、まして暴虐な独裁者など出るはずもなかった)の実践」が本格化していく。晩年の毛沢東思想が導きの糸となったと言われ、「文化大革命」の有力指導者の一人、康生の薫陶を受けたとも言われるが、ポル・ポトは、自己の理念を極限まで追求し続けた。市場、貨幣、学校、病院は廃止され、知識人や専門家は抹殺された。ポル・ポトの政策に不満や批判的見解を抱くものは、容赦
なく虐殺された。集団農場における過酷な仕事だけが、唯一の価値ある労働だと見做された。飢餓が蔓延し大量の死者が出た。
 危うく粛清を免れたクメール・ルージュの幹部、ヘン・サムリンらはベトナムに亡命し、78年12月にカンプチア救国民族統一戦線を結成した。救国戦線は、ベトナム軍の支援を受けてカンボジアに侵攻し、翌年1月にはプノンペンを占領して「カンプチア人民共和国」の樹立を宣言した。以後カンボジアの内戦は、ソ連が支援するヘン・サムリン、ベトナム連合軍対中国がサポートするポル・ポト軍という構図で続いた。 それとの関連で、79年2月には一ヶ月間の中越戦争が起きている。
1982年7月、カンプチア人民共和国に対抗して、ポル・ポト・シハヌーク・ヘン・サン(ロン・ノルの流れを汲む)三派から成る「民主カンプチア連合政府」が結成され、中国の支援のほか米(レーガン)英(サッチャー)政府からの資金援助を受け、国連も正統政府として認知した。しかし結局、ポル・ポトは、部下によって監禁され、裁判中の1998年4月に死去し、クメール・ルージュも翌99年には解体された。

<>2010/04/15 524<>0<>2010年1月 新社会党労働運動委員会に参加して<>新社会党労働運動委員会に参加して 土屋 信三
 
 昨年12月12・13日の2日間、箱根の「開雲」で開催された労働運動委員会の報告を行いたい。すでに内容については、週刊「新社会」にくわしいので、私の方からは、参加しての感想を述べさせてもらいたい。
 これまで労働運動委員会に参加してきて、党内に地域ユニオン活動についての認識が深まってきたという印象を強く受けた。たとえば、産別労働運動に関わってきた方からは、「自分たちの足下も十分にできないのに、どうして地域ユニオン運動に関われるのか」「現場放棄ではないのか」といった意見がよく聞かれたものだった。ところが、非正規雇用労働者が爆発的に増大し、格差が広がり、派遣切りといった悲惨な状況が大規模に引き起こされるという情勢の進行も相まって、地域ユニオン運動の必要性が意識され始めた。
 このことが、各地での新しい地域ユニオン結成の動きにつながっている。新社会党が本当に労働者の党として、自らの役割を果たしていく上において、地域ユニオンの活性化、ならびに地域労働運動の再構築は避けては通れない課題である。 今回の労働運動委員会は、その意味で新社会党が1700万人とも言われる非正規雇用労働者の拠り所となる出発点だったと言えるかもしれない。2月には全党一斉の労働相談活動が呼びかけられているが、大いに意気込んで取り組みを強化して、広島県下にも多くの地域ユニオンを結成したいと思う。
<>2010/04/15 523<>0<>2010年1月  「九条の会」中国ブロック交流会<> 「九条の会」中国ブロック交流会
広島総支部 佐々木孝

 全国にできた九条の会は7443。その交流と連携を図ろうとブロック別交流会が企画され、皮切りに中国ブロックの交流会が12月12日、岡山市民会館で開かれた。中国5県の地域、職域の九条の会から120人が参加、広島からは第九条の会ヒロシマ、女性九条の会、マスコミ九条の会ほかのメンバー25名が参加した。
 「九条の会」事務局の高田健さんが故加藤周一さんの話を引用しながら、運動を日常性に結びつけることや「9条を生かす運動」を呼びかけた。各県の九条の会から、それぞれ2、,3名づつがさまざまの活動状況を報告した。広島からは、女性九条の会の井野さんらが毎月9日の街頭宣伝活動などを、また60、70代を中心に活動する九条の会三原の伊藤さんが若い人の参加を追求している様子を語った。
 
「新しい政権と日本国憲法をめぐる情勢」と題して、一ツ橋大学の渡辺治さんが圧巻の講演。なぜ民主党は大勝したのか、民主党政権の動揺はなぜ起こるのか、9条改憲はどうなるかなどを詳しく述べ、九条の会の課題を提起した。
 5つの分散会に分かれ、それぞれで全員が発言する形で、活動の交流を行った。48の分会に職場九条の会を作った山口県高教組九条の会、大量チラシの地元新聞への折込み配布をした鳥取県中部・九条の会、「平和かるた」を作り販売している倉敷9条の会、毎月1回の「憲法を学ぶ市民の会」を定例化している津山9条の会など、苦心の活動例が披露され注目された。
 これからの憲法を生かす運動と組織を強めるために、この集いで共有できた情報やノウハウを役立てなければならない。



<>2010/04/15 522<>0<>12月 翼<> 新政権にとって、沖縄普天間 基地の移設問題 が重要な課題となっている。民主党が選挙中、国内もしくは国外移設を訴えていたことに加えて、連立政権を構成する社民党が、辺野古への移設に強く反対しているからである。社民党福島党首は、党内の事情を踏まえて辺野古への移設反対を表明した。かつて社会党を支持してきた仲間は当然と理解している▼そもそもこの問題は、「普天間は事故の危険性や騒音問題が大きいので移転する」で合意した96年の日米間の約束に始まる。その後移転先に辺野古が選定され、96年にV字型の2本の滑走路などの現行計画が日米間で決まった▼鳩山総理は、先の日米首脳会談後「日本外交にとって日米同盟は全ての礎」「日米同盟をさらに深化・発展させたい」さらに「建設的未来志向の日米同盟をつくり上げていきたい」と述べた。今のところ、沖縄県民の気持ちに加えて連立を大事にすると言っているが、一方では、アメリカとの約束も大事だと言っている▼国内で支持を失いつつあるオバマ大統領は「不滅のパートナー」「対等と相互理解」と日本を持ち上げた。軍事力をもってしか平和が維持できないと考えている二人である▼民主党政権が、沖縄を基地の苦しみから解放することは想像できない。<>2009/12/26 521<>0<>12月今こそ新社会党   新社会党広島県本部 委員長 三木 <>今こそ新社会党   新社会党広島県本部 委員長 三木 郁子
 
 社会情勢はむしろ昨年よりも生活者にとっては厳しい歳の瀬となっています。具体的には完全失業率は5ポイント台と高止まりが続いており、雇用を取り巻く情勢は依然として厳しく、生活保護世帯は過去最高の127万世帯を突破したなどが今日的側面を反映しています。
 8月の総選挙では、自公政権から民主党を軸とする三党連立へと政権が交代しましたが、構造改革路線の傷跡は深く、生活者一人一人の所が回復するには相当時間を必要としそうです。そこへ持ってきてデフレ状況や円高が影響し、ますます消費購買意欲は低下の一途となり経済は低迷しています。また、普天間をはじめとする米軍基地をめぐる状況も予断を許さない師走となりました。基地の拡大強化は絶対に許してはなりません。憲法を取り巻く状況も改憲手続法である「国民投票法」も3年間の凍結期間を経て来年5月には施行される直前にあり、ますます平和憲法が脅かされるに至っています。
 このような時だからこそ、私たち護憲を標榜する新社会党はがんばらねばなりません。
 <>2009/12/26 520<>0<>12月 総支部・支部交流会 開く<> これまで、各総支部代表が集まる県委員会という、定期大会に次ぐ第二の決定機関がありましたが、自由に意見交換をして、それぞれの取り組みを学び合おう、ということから今回の総支部・支部交流会を企画しました。
 11月21日(土)10時から、三原市の本郷人権センターで開催した交流会ですが、要請どおり委員長・書記長等複数の参加をいただいた支部も6支部ありましたが、一部、欠席の支部があったのは残念でした。
 委員長挨拶に続き書記長から今次交流会設定の経緯について説明を行い、その後、各総支部・支部から現状や取り組み等について報告を行いました。時間的制約がありましたが、支部同士がそれぞれ学び会う大変有意義な交流会であったと考えています。
 県本部には、「党費をしっかり催促したらどうか」、「情報誌をビラ配り出来るように配布してほしい」、「特に近くである集会等の案内をしっかりしてほしい」等々、厳しい意見を頂きました。
 県本部としては、直接党員から生の声を聞くチャンスとしての交流会を、来年以降も設定していきたいと考えているところです。
              (県本部書記長)


<>2009/12/26 519<>0<>12月 がんばってます 尾道市議会議員三木 郁子<>2月定例議会では3度目の代表質問に立ちました。
質問要旨は大きくは,@雇用を取り巻く情勢について、A児童虐待について、B農業問題について、C公契約条例制定に向けた取り組みについて、D教育行政についてです。
 児童虐待において尾道市の受付件数は、06年29件、07年47件、08年6件となっており、06年においては教育委員会では統計さえ取っていないことが明らかになりました。格差社会のひずみが子どもたちの所へ深刻な影を落としています。
また、教育行政については、尾道市における教職員の過酷な勤務実態が浮かび上がりました。今年の4月状況で、過労死基準と言われる80時間以上の時間外労働(超勤)が253人で29・3%、100時間以上が108人で12・5%、150時間以上が15人で1・7%となっており、若年退職者を多く出している大きな要因となっている事も明らかになりました。今後も福祉、教育、環境、雇用など積極的に取り上げて行きたいと思っています。

尾道市議会議員
   三木 郁子
<>2009/12/26 518<>0<>第65回 日本の新左翼による「大学闘争」<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自律的連帯を求めて
第65回 日本の新左翼による「大学闘争」
 広島大学名誉教授  北西 允 

 1960年代後半、フランスをはじめ欧米諸国で猛威を揮ったスチューデント・パワーは、たちまち日本にも波及した。1946年の結成時から共産党、58年以降は同党を離脱した共産主義者同盟(ブント)の指導下に入った、全員加入を原則とする「全日本学生自治会総連合(全学連〉」と異なり、1968年からは、新左翼急進諸党派が主導する有志学生の「全学共闘会議(全共闘)」が国・公・私立の主要大学に順次組織されていった。巨大な立て看板、学長らに対する「つるし上げ」とも言うべき「大衆団交」、教職員をキャンパスから追放する「パリケード封鎖」が、新たな闘争戦術の特徴であった。当初全共闘は、広範な学生の共感を呼ぷ改良要求を掲げる傾向にあったから、、ノンポリ学生を含め「大学の自治」から疎外され、逼塞した管理社会状況に不満を抱き、ベトナム戦争に代表される軍事情況に危機感を強めた多くの学生も、この斬新で強力な運動を支持した。
 当時、官憲は学長の承認なしにキヤンパスに入ることは許されず、他方、教職員も、ラジカルな新機軸の運動への対応に苦慮して右往左往するばかりで、有効な手立てを打つことが出来なかった。そのためキャンパスは、一時彼らの「解放区」の観を呈した。
 一ロに「全共闘」と言っても、それぞれの大学で、当時「五流十三派」といわれた新左翼の諸党派が、単独あるいは複数で主導権を握っていたため、大学によって闘争の形態や経過にはかなりの相違がみられた。有力な勢力としては、トロツキズムに依拠して「反帝・
反スターリズム」を標榜する革命的共産主義者同盟から分岐した中核派と革マル派を初め、
アナルコ・サンジカリズムの色彩を持つ社会主義青年同盟解放派、晩年の毛思想に依拠する毛沢東主義者、「ベトナムに平和を!市民連合(べ平蓮)」に繋がる党派、トロツキーが結成した「第四インター」系の党派、いずれの党派にも属さないノンセクト・ラジカルなどが挙げられよう。
 これら党派の大半は、色調の異なるヘルメットに覆面姿という出で立ちで、角材などで「武装」して学外闘争にも打って出た。各地で一部の労働者、農民、地域住民らが同調し、主に成田新空港や米軍基地に対する闘争で機動隊と激しい衝突を繰り返した。党派の多くは、社会主義革命の条件は充分成熟'していると主張していたが、フランス「五月革命」のように広範な組織労働者との共闘を実現するには至らなかった。
 

 
<>2009/12/26 517<>0<>12月 今 なぜ新社会党か<>今 なぜ新社会党か
時言
 先の「各総支部・支部交流会」で、東広島の鳴尾さんより「新社会党として『9条を守る』という時、他党とは違って非武装・平和外交等の力でこそ平和は守れる、もし武力でというなら核には核となり際限がない」と主張しているとの報告があった。さらに「攻められたらどうするのか」の問いに対し、多数を納得させる答の難しさを述べられた▼言うまでもなく、憲法9条2項を否定する「自衛隊合憲・日米安保容認」という旧社会党の突然の変節に抗して結党した新社会党にとって9条2項は由って立つ原点である▼平和憲法の下での戦後政治は、まず9条1項の実現のために2項は不可欠、という歴史的認識・それ故の2項の理論的正当性、あるいは国民的議論・合意形成、さらにはそのために有効な外交(善隣・全方位・平和等)を実現しなければならなかった。しかしそれを怠った▼それどころか逆に55年以降自民党は一貫して、改憲・自主憲法制定を掲げ、9条2項を攻撃の標的とし続けた。曰く「戸締り論・丸腰非武装論」等。加えて「ためにする戦力論の繰り返しと嘘言」の中、世界有数の戦力を保持する自衛隊を持つという9条2項違反の中に居るのである▼この二重・三重の憲法違反の中で、「攻められたらどうする」との攻撃に晒され、もう現状に合うように改憲するしかないと思わされるという罠にかかっているのである▼私たちは今この困難を自覚しつつ、「2項殺しは許さない」とする正しさに立ち、「チェンジ」をめざそう。それこそが「今なぜ新社会党なのか」の答と力になるのである。安保 英賢
 
<>2009/12/26 516<>0<>12月西松建設 中国人強制連行・強制労働を認め、歴史的和解へ<> すでに、新聞やテレビなどで大きく報道されたが、10月23日、東京簡易裁判所において、即決和解が成立した。
西松建設は、2007年4月27日に言い渡された最高裁判決付言に従い、安野発電所建設のために強制連行された中国人労働者360名が受難したことを歴史的事実であると認め、企業とし、その歴史的責任を認識し、当該中国人生存者および遺族に対して深甚なる謝罪の意を表明した。また、後世の教育に資するために事実を記念する石碑を建立することを確認した。さらに、西松建設は受難者360名と遺族らに対し、一括した和解金として2億5千万円を支払うこととした。
 1993年の交渉開始以来、16年を経て、中国人受難者への謝罪と一定の補償が勝ち取られたことは大きな成果である。特に、最高裁が「日中共同声明がサンフランシスコ平和条約の枠組みのなかにあり、中国人は損害賠償を求めることができない」などという独善的な判断を行い、法律的な請求権の存在そのものを否定したことを考えると今回の和解が画期的なものであることがわかる。
 この歴史的和解を心から祝おう!

西松建設 中国人強制連行・
強制労働を認め、歴史的和解へ

スクラムユニオン・ひろしま 土屋 信三<>2009/12/26 515<>0<>【11月号】自治体議員団会議開く<>自治体議員団会議開く
 
 10月19日(月)13時から県本部書記局で、第1回自治体議員団会議が開催されました。党や党活動の中心を担うべく、また顔とも言える議員団の活発化を図るために新役員体制を決定し、党費の見直しや年内研修を設定していくことが話し合われました。今までの反省課題なども多く出され、何点かについては早急に取り組んで行かなければならない課題とされ、事務局より文書発行などにより呼びかけや徹底を図っていくことなども決まりました。 
県内の自治体合併などの影響などもあり、しばらく停滞の感がありましたが、一気に遅れを取り戻すべく再稼動しょうとの出席者の決意新たに会議を閉じました。
 議員団会議の新役員体制は、次の通り承認されました。
 議長  得田正明(呉市議)
 副議長  石原 顕(廿日市市議)
 事務局長 池上文夫(福山市議)
 監査   城間和行(尾道市議) 
<>2009/11/29 514<>0<>【11月号】闘いの継続こそが変化をもたらす    <> 闘いの継続こそが変化をもたらす    
               新社会党広島県本部 副委員長                         岡田 英治
 弱肉強食、優勝劣敗の新自由主義が破綻したが、その爪あとは深く、いかにして傷跡を癒し、回復させるかが政治の最大の課題である。国民は、そのことを求めて政権交代を選択したといえよう。
 新自由主義が残した最大の傷は、派遣労働者に対する仕打ちに見られるような非人間的扱い・人権侵害である。人権侵害を横行させる社会づくりのために支配階級は、まず国内最大の人権団体である部落解放同盟を弱体化(融和主義化)させた。融和主義化に抗した広島の部落解放運動や、それと連帯する両教組に対しては、なりふり構わぬ弾圧路線で臨んだ。
 しかし、ここへきて新自由主義を謳歌してきた勢力が急速に孤立する状況となっている。その空気が読めないのは榎田県教育長ぐらいのものである。県の教育委員や地教委の教育長、学校長などからは榎田批判の声も出はじめている。
 『仏遺教経』の中に「少ない水であっても常に流れていれば石に穴をあけることができる」との言葉があるが、闘いの継続こそが変化をもたらすのである。人権を蹴散らかし、子どもの教育権を奪い、教職員を追い詰める県教育行政への批判をさらに強めよう。

<>2009/11/29 513<>0<>【11月号】 がんばってます 129<>
先の衆議院選挙での歴史的な政権交代は、30年近く続いた「臨調・行革」の反国民的な政治の転換をもたらそうとしている。私の所属する福山市議会では、公明党などの議員による鳩山連立政権に対する揺さぶりの意味もあって、地方自治体への財政的な悪影響の出ることを必要以上に喧伝している。
 彼らのこのような喧伝は、それまでの自公政権が犯した、後期高齢者医療制度に象徴される、福祉や医療、年金などの社会保障制度を徹底して切り捨ててきたことをを覆い隠そうとする動きとしか見えない。たしかに個々具体の政策や制度において、現象的には後退したり不満足な部分も出てくると思うが、弱いものに対する施策や制度においては、これまで後退してきた制度の復活をはかるなど、社会保障制度全体として、多くの国民の要望に真摯に応える内容になることが期待できるのではないだろうか。
 当面、12月議会にむけて、国の動向を見守りながら、弱い市民の立場に立った
施策展開に取り組む決意です.
 福山市議会議員
   池上 文夫
<>2009/11/29 512<>0<>【11月号】キューバ訪問記(5)<>キューバ訪問記(5)        齋尾和望


キューバ革命で記憶に残るのは、カストロ以上にゲバラが
あげられる。単に「チェ」とか「ゲバラ」とか、あるいは「チェ・ゲバラ」と言われるが、正式の名前は「エルネスト・ゲバラ」である。彼が話す時、スペイン語で「やあ」の意味を持つ「チェ」という言葉をよく使ったので、キューバ人が面白がってつけたあだ名が「チェ」であり、そしてそれがいつしかゲバラの愛称になったと言われる。
 私たちはゲバラが眠っている博物館・廟を訪問した。ハバナから東南へバスで約3時間の町サンタクララにそれがある。ゲバラは、キューバ革命の後アフリカでの革命運動に連帯するが挫折し、一時キューバに帰る。しかし再び革命闘争のためにボリビアに出向き、結局仲間に裏切られてアメリカの援助を受けたボリビア政府軍に捉えられ、銃殺されたのである。1967年10月のことである。廟には、一緒に虐殺された仲間と共に祀られていた。隣の博物館には、ゲバラの生涯を語る遺品や写真が展示され、参観者の心を引き付ける。
 バスで少し移動したところには、ゲリラ作戦の象徴的な戦いとして記憶されている列車爆破現場が保存されている。この作戦で革命軍の勝利がほぼ確定したと言われている。
 ゲバラが今日なお、世界の多くの人々から尊敬され愛されることには、次の手紙が影響しているのではないだろうか。ゲバラがカストロに宛てた最後の手紙である。
 「・・・今、世界の他の国が僕のささやかな力添えを望んでいる。君はキューバの責任者だから出来ないが、僕にはそれができる。別れの時が来てしまったのだ。喜びと悲しみの入り混じった気持ちで、こんなことをするのだ、と察してほしい。僕はこの地に、建設者としての最も純粋なもの、そして僕が最も愛している人々を残していく・・・また僕の息子のように受け取られた国民からも去っていく、それは僕としても哀しい気持ちにするのだが・・・。」
 命を賭けて闘った同士や家族、そして国民に対するゲバラの優しさが伺われる最後の手紙である。<>2009/11/29 511<>0<>【11月号】第64回 新左翼とフランス「五月革命」<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自律的連帯を求めて
第64回 新左翼とフランス「五月革命」         
    広島大学名誉教授 北西允   

 イタリア共産党が先鞭をつけたユーロ・コミュニズムは、国家権力の掌握以前に、市民
社会におけるヘゲモニーの獲得に主眼を置く新たな革命路線を指向した。だが、強大な資本の支配下で、市民社会のヘゲモニー獲得を目指す闘いは決して容易な作業ではなかった。
事実、この新路線を採択した西欧共産党の実績は、あまり芳しくはなかったし、それらの運動は、次第にいわゆる社民路線に収斂していくことになる。  
こうした事態に業を煮やした新左翼運動の一部、とりわけ学生らの若者たちは、トロツキズム、あるいは晩年の毛沢東思想やアナルコ・サンジカリズム等の所説に依拠して、1960年代後半以降、より過激な革命路線を追求するようになった。折しも先進資本主義国では、高度経済成長によってビッグ・ビジネスは巨万の富を手にするとともに、経済領域のみならず政治・社会・情報・文化の各分野で強大な影響力を行使して、社会生活全般の管理化を押し進めていた。同時に、アメリカのベトナムに対する
理不尽かつ非人道的な侵略戦争はその頂点に達していた。またソ連を先頭とするワルシャワ条約機構加盟諸国は、チェコスロバキアの民主化過程を不法にも封殺しようとしていた。
 ラディカルな新左翼運動は、こうした情況に対する強硬な異議申し立てという形をとって、欧米諸国や日本などの先進国で噴出していく。
 その嚆矢となったのはフランスの学生運動である。1966年にストラスブール大学では、教授が独占する位階制度に反対する運動が高まり、それはやがて、名門ソルボンヌ大学学生による自治と民主化の闘争に受け継がれ、類似の運動は、忽ちのうちに全国の大学に広がった、これらの学生運動は、世界的規模のベトナム反戦運動やチェコスロバキアの民主化を封じようとするソ連の動向に対する憤激とも重なり合い、多数の労働者が学生運動に同調して、翌68年5月には「自由・平等・自治」を標榜する約1万人規模の学生・労働者が、首都パリでゼネストに打って出た。交通システムはマヒ状態に陥り、学園・職場ではストライキが相次いだ。事態はまさに政府危機に発展する可能性を秘めていた。「五月革命」と名づけられた所以である。共産党も、最大の労組ナショナルセンター・労働総同盟(CGT)を通じてストライキを組織したが、一方では街頭バリケードの構築やカルチェ・ラタンなど地域占拠の挙に出た学生らの行動を一貫して非難し続けた。     
 第5共和制下に独裁的権限を握っていた大統領ド・ゴールは、警察力では事態を収拾できないと考え 、軍隊を出動させて運動の鎮圧に当たらせた。他方ド・ゴールは、学生の法的自治権の容認、教育制度の民主化、労働者の団結権の拡大等の措置によって危機的事態の沈静化に努めるとともに、国民議会を解散し、総選挙を実施して人心の一新を図った。この選挙でド・ゴール派は圧勝し、「五月革命」は急速に収束に向かった。
 フランスの「五月革命」は、中国の「文化大革命」とともに、世界規模で学生の叛乱を促した。1968年5月以降、ドイツ・イタリア、イギリスなどの大学で、また同年夏には日本でも「大学紛争」が一斉に噴出していくのである。
<>2009/11/29 510<>0<>【11月号】時言 展望を切り開く闘い<>時言
憲法を守りたいとの願望、負け続けても勝利するまで闘うという決意。数年来の、就中国政選挙における私たち新社の願望・決意に基づく闘いは諸々悪条件の中、果敢であり、今次原さんの闘いは善戦であり、互いに敬意を表しあいたい。それは党員・党友の願い・決意の強さの現象化に止まらず、多数の人々の願いでもあることを語っている▼その願い・決意は時代状況が極めて危機的であるとの認識に発している。例えばこの国は改憲・軍事大国路線を走り出している。金融資本主義・グローバル化・新自由主義の中での国際競争の名の下、賃金抑制・福祉低減攻勢。リーマンショックに象徴される如く、金融はグローバルで一国の政治では国民の不安・不満に対応できず、それまでの新自由主義への反発も手伝って、西欧(ラジカルな左派やファシズムの動き)・南米等で社会(民主)主義は加速し、投機的金融に陥った資本主義は破綻していく▼この時代認識が共有できても選挙勝利の展望が切り拓けないのは何故か。例えば、差別をエンジンとしているこの国では、人々は支配者側の思想を自分の思想とし、労働者的・社会主義的なものを敵視している。すなわち主要な生産の担い手がその社会的立場と真の敵を見失っている。GDPに比して個人所得は低位であり、正社員の組合である連合は非正規労働者への対応力をもたない等々は差別の現象化そのものである▼それ故私たちの展望を切り拓く闘いは、社会的立場の自覚的認識を確立する闘いをその根幹とすることが求められているのである。
     安保 英賢

<>2009/11/29 509<>509.jpg<>【11月号】11・3ピースフェスタin卑弥呼蔵<>11・3ピースフェスタin卑弥呼蔵
            三次総支部  井清 信恵
 若い人たちに平和への関心を高めてほしいと、昨年に続き11・3
ピースフェスタを開催した。県北九条の会が中心となり、市民有志で構成した実行委員会。呼びかけ文「平和や戦争の話って遠いお話しですか? 今も、世界のどこかで戦争は続いていて、子ど
もまで、たくさん殺されています。 『平和は大切』、そんな思いで、人と人とがつながればいいな・・・。そんな願いを込めてピースフェスタを開催します」
 ギター片手に各自の持ち味を生かし、若い人から定年を迎えた人たちと幅広い層の人たちが、グループでまた、一人だけで語りを入れながらオリジナル曲の演奏。
 広島からの女性は、上関原発に反対を続けてきた経緯をスライドと写真をもとに、多くの人たちの生活圏が脅かされている現実を熱く語られる。
 高校生のグループは、絵本や小道具を使い人を思いやることの大切さを伝えてくれた。
 展示では、“ガンと共にいきつづけて” と題し、余命3ヵ月と宣言された人が、山に癒され、山の魅力にとりつかれて8年目を迎えて、山登りを続け、写真に納められた風景。ビルマ(ミャン
マー)での状況を、パネルから一握りの権力者が多くの人々を痛めつづけ、その中で仲間と手をつなぎ、民主化への行動を見ることができた。支援のための物資販売もされる。
 また、上関原発反対をキルトに繋げられたもの等、それぞれの場での生きざまをみることができた。
 冷え込む中、出演者と観客が一体になれた一刻でした。
これからも、この繋がりを大切にしながら、さらに輪が広がることを期待し、改めて平和憲法を大切に守り抜くことを確認したいものです。<>2009/11/29 508<>0<>【11月号】蓮池透さんの講演を聞いて<>蓮池透さんの講演を聞いて    岡田 英治

 若い人たちに平和への関心を高めてほしいと、昨年に続き11・3ピースフェスタを開催した。県北九条の会が中心となり、市民有志で構成した実行委員会。
 呼びかけ文 「平和や戦争の話って遠いお話しですか? 今も、世界のどこかで戦争は続いていて、子どもまで、たくさん殺されています。『平和は大切』、そんな思いで、人と人とがつながればいいな・・・。そんな願いを込めてピースフェスタを開催します」
 ギター片手に各自の持ち味を生かし、若い人から定年を迎えた人たちと幅広い層の人たちが、グループでまた、一人だけで語りを入れながらオリジナル曲の演奏。
 広島からの女性は、上関原発に反対を続けてきた経緯をスライドと写真をもとに、多くの人たちの生活圏が脅かされている現実を熱く語られる。
 高校生のグループは、絵本や小道具を使い人を思いやることの大切さを伝えてくれた。
 展示では、“ガンと共にいきつづけて” と題し、余命3ヵ月と宣言された人が、山に癒され、山の魅力にとりつかれて8年目を迎えて、山登りを続け、写真に納められた風景。
 ビルマ(ミャンマー)での状況を、パネルから一握りの権力者が多くの人々を痛めつづけ、その中で仲間と手をつなぎ、民主化への行動を見ることができた。支援のための物資販売もされる。
 また、上関原発反対をキルトに繋げられたもの等、それぞれの場での生きざまをみることができた。
 冷え込む中、出演者と観客が一体になれた一刻でした。
 これからも、この繋がりを大切にしながら、さらに輪が広がることを期待し、改めて平和憲法を大切に守り抜くことを確認したいものです。<>2009/11/29 507<>0<>県内各地に「党・労組・民主団体連絡協議会」を<>県内各地に「党・労組・民主団体連絡協議会」を
新社会党広島県本部副委員長 高橋晋作

 民主党の政権が発足して1ヶ月が経過しました。自民党政権から代わった期待から鳩山内閣はいぜん高い支持率をまだたもっています。しかしそれは私たちが願っている政治体制ではないと思います。つまり、私たちが求め願うことにはなかなか遠いのでは・・・。
そこで、かねてから話しあっていたように、各地に「党・労組・民主団体連絡協議会」のようなものを組織して、さまざまな問題について話しあい協議して日常的に運動をすすめることが極めて大切だと思います。
今、県段階では新社会党県本部執行委員会の後に、午後は広教組、高教組、県労協、部落解放同盟、新社会党で当面する緊急課題やさまざまな問題について協議しています。協議会では組織から現状報告やいろいろな問題についての提起があり、真剣に話し合いをしています。
このような協議会を県内各地に組織して、それぞれの地域課題や、それぞれの組織課題を共通の課題として連帯して、問題解決の取り組みが今後一層重要になってくると思います。
憲法改悪を許さないためにも、生活を守るためにも。<>2009/11/11 506<>0<>第22回中央委員会 決意あれど展望描きがたし<>「総選挙総括と今後の方向」を主な議題とする第22回中央委
員会は、10月4日東京日本橋小伝馬町で開催された。議長選任・
委員長挨拶の後、原和美さんは「選挙後激しく落ち込み居場所
さえ見失ったが、見知らぬ人の一言『九条を守るため頑張って』
はとても嬉しかった。運動を支えてくれる人々の厳しい現実を
思えば、運動を創り上げていくことで応えていかなければなら
ない。頑張る」と表明された。
その後松枝書記長より、「全国で一人しか候補を作れず、中
央で社民との共同が作れず、加えて小選挙区制少数無所属排除
の選挙制度、さらに「21世紀臨調」の「政権交代を手段として
使う新たなイノベーション「戦略攻勢(所謂風)によって原選
挙は勝てなかったと分析。次に今次政権交代は、@大衆運動の
結果ではなく自公政権への巨大な怒りの結集であり、A日米同
盟優先企業高額所得者優遇税制温存、B改悪労働法制是正躊
躇等々前政権と大差なく、さらに無駄削減と称して公務労働20
%カット等強い政治指導を見れば極めて翼賛的で危険な方向に
向いている。今後監視を強化し、要求を突きつけていく。
続いて10年参議院選、今後のこの国の方向を決める重要な闘
いと位置づけ、第14回大会の決定に立って「東京を軸とした首
都圏、大阪・兵庫の関西圏から護憲共同候補擁立の動きを作る」。
11年統一自治体選挙は「今後の党勢を占う最大の攻防として全
力で闘う」との提案がなされた。
以上を受けての討論として、矛盾の激化する資本主義への怒
りから左傾化する西欧・南米と同じく「今こそ新社会党の出番」
と本部共々思いたい。しかし現実は阻害されている。その阻害
要因としてそれの克服の方途を明定しないと今後の選挙闘争の
展望は共有できない、との提起については時間切れで議論は深
まらなかった。<>2009/11/11 505<>0<>翼 <>新政権が動き出した。その動向を追い続けるのならまだしも、
一部マスコミは新人議員を追っかけている。河村たけし名古屋市長(元民主党議員)の秘書であった女性で、森元総理に惜敗し、比例で復活した女性議員である
▼「添乗員、ヌード映画出演、風俗ルポライター等々を・・・。
そのことを隠していた」という記事である。しかしこのどこに問題があるのであろうか。添乗員が、ヌード映画出演が、風俗ルポが悪いのであろうか。まるでそれらが悪い仕事であると言わんばかりである
▼これはマスコミによる職業差別ではないのか。彼女がどのよ
うな事情からそれらの職業に就いたのかは定かではない。様々な事情から人は職業を選び働いている
▼弁護するつもりはないが、所謂おぼっちゃまとして育ち、苦労などしたことのないまま総理大臣になった者より、庶民の気持ち社会の厳しさがわかるのではないだろうか
▼つくられた大不況の時代である今日、仕事や家を奪われただけでなく、命まで奪われた人も多い。マスコミは、支配者によってつくられた差別意識を利用して国民を煽り、競争で負けた者は自己責任として切り捨てる。このようなマスコミこそ撃たれるべきである
▼人権問題にどう立ち向かうのかについても、新政権の動向を注視しよう!<>2009/11/11 504<>0<>キューバ訪問記(4) 齋尾和望<>キューバ革命で記憶に残るのは、カストロ(フィデル・カストロ前最高会議議長)以上にゲバラが上げられる。単にゲバラは、あるいはチェ・ゲバラと言われるが、正式の名前はエルネスト・ゲバラである。彼が話す時、スペイン語で「やあ」の意味を持つ「チェ」という言葉をよく使ったので、キューバ人が面白がっ
てつけたあだ名が「チェ」であると言う。そしてそれが、いつの間にかゲバラの愛称になったと言われる。
私たちはゲバラが眠っている博物館・廟を訪問した。ハバナから東南へバスで約3時間の町サンタクララにそれがある。
ゲバラは、キューバ革命の後アフリカでの革命運動に連帯す
るが挫折し、一時キューバに帰る。しかし再び革命闘争のために
ボリビアに出向き、結局仲間に裏切られてアメリカの援助を受けたボリビア政府軍に捉えられ、銃殺されるのである。
1967年10月のことである。
廟には、一緒に虐殺された仲間と共に祀られていた。隣の博物館には、ゲバラの生涯を語る遺品や写真が展示され、参観者の心を引き付ける。
バスで少し移動したところには、ゲリラ作戦の象徴的な戦いとして記憶されている列車爆破現場が保存されている。この作戦で革命軍の勝利がほぼ確定したといわれている。
ゲバラが今日なお、世界の多くの人々から尊敬され愛される
ことには、次の手紙が影響しているのではないだろうか。
ゲバラがカストロに宛てた最後の手紙である。
「・・・今、世界の他の国が僕のささやかな力添えを望んで
いる。君はキューバの責任者だから出来ないが、僕にはそれ
が出来る。別れの時が来てしまったのだ。
喜びと悲しみの入り混じった気持ちで、こんなことをするの
だ、と察してほしい。僕はこの地に、建設者としての最も純粋
なもの、そして僕が最も愛している人々を残していく・・・
また僕の息子のように受け取られた国民からも去っていく、
それは僕としても哀しい気持ちにするのだが・・・。」<>2009/11/11 503<>0<>頑張ってます 128 小森龍太郎<>いつもの事と言ってしまえばそれまでですが、今回の九月議会での市長の態度は目に余るものがありました。手悪さをしたり、議場の座席にはロッキング機能があるのをいいことに、頭を背もたれの上に乗せ前後に椅子をゆらゆらさせています。これも、市長
が勝手に「野党」と定義している議員が質問をしている時に限ってです。小心者として知られている彼は「野党」議員に対して、こうした態度で「おまえらなんか相手にしてない」ということを表現したいのでしょう。また議場は対面式ですから、自分の正面に座っている「与党」議員と、目を合わせてはへらへらと笑って、「また、
バカなことを言ってるよ」というようなそぶりを見せます。
さらには、信じられないかもしれませんが、私たちが質問をしている時には「ヤジ」まで飛ばして質問を邪魔します。
その都度、質疑を中断して議長に注意を促しますが、議長も
注意したりしなかったり。たまに注意をされると今度は小声
で、質問に「相槌」のようなかたちで「おう、それから」「はあ、どうした」などとしゃべりだす始末です。つねに論理で負けているから、このような形でやり返すことしかできないのでしょう。哀れというほかはありませんが、市民からは、「市民のため
の政策を論じる場で、ふざけた態度をとるな」と市長への批判は日に日に高まっています。政策論争でも負けることはできませんが、こうした市民の批判も私たちのエネルギーとさせていただき、伊藤市政をさらに追い込んでいく決意です。引き続き、御指導をお願いします。
府中市議会議員
小森龍太郎<>2009/11/11 502<>0<>社会主義の歩みと将来への展望 第63回プラハの春<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自律的連帯を求めて
第63回プラハの春
広島大学名誉教授 北西 允

1956年以降、東欧諸国では、ソ連追従からの脱却に向けた
様々な動きが噴出してくる。
同年6月のポーランド・ボズナニにおける反ソ暴動に続き、
10月にはハンガリーの首都・ブダペストで労働者・学生の反ソ動乱が起きた。ソ連は軍隊を投入してこれを武力鎮圧し、改革に同情的だったナジ政権は打倒され、替わって親ソ派のカダルを頭とする新政権が樹立された。ナジはその後程なく処刑された。
東ドイツでも、農業集団化の加速策に抗して西ドイツへの逃亡者が急増し、その流れを阻止するため、政府は1961年8月から「ベルリンの壁」の構築に着手する。これらの動きの中で最も世界の注目を集めたのは、「プラハの春」と呼ばれる60年代後半のチェコスロバキアにおける一連の事象である。
チェコスロバキアでは、1956年以後も大統領と共産党第一書
記を兼ねるA・ノボトニー(1904〜74)の独裁体制は比較的安定していた。ところが60年代に入ると、独裁政治や経済の停滞に対する国民の不満が徐々に高まり、著名な劇作家V・ハベル(1936〜)は、67年6月に開かれた作家同盟大会で公然と体制を批判した。それと前後して共産党内部でも、ノボトニーの役職兼務問題が持ち上がり、10月の党大会では、ノボトニー支持の親ソ派と、A・ドプチェク(1921〜92)を先頭とする改革派の間で激しい論争が起きた。だが論争の決着は、ひとまず先
送りされた。
その間ドプチェクの党内多数派工作が功を奏し、68年1月の党中
央総会で、彼は党第一書記に選任された。総会は、同時に検閲を事実上廃止したこともあって、改革への流れは一層勢いを得た。その後ノボトニーと親密な関係にあった国防相幹部のアメリカへの亡命、彼を支えてきた党・政府幹部の辞任が相次いだため、ノボトニーは、同年3月遂に大統領職の辞任をも余儀なくされた。第二次大戦の「英雄」であり、穏健な改革派だったL・スボボダ(1895〜1972)がその後を襲った。
さらに4月の共産党中央委総会は、@党への権限集中の是正、A
粛正された犠牲者の名誉回復、B連邦制導入によるスロバキア問題の解決、C企業責任や市場機能の導入による経済の改革、D言論や芸術活動の自由化、E西側との経済関係の強化から成る『行動綱領』を多数で採択した。6月には、これとほぼ同工異曲の内容で、オリンピックの金メダリスト、ザトペックやチャスラフスカが署名したことでも知られる『二千語宣言』が、新聞紙上に掲載された。
事態を憂慮したL・ブレジネフ(1907〜82)らのソ連指導部は、67年5月から翌年にかけ、数次にわたりチェコスロバキアとの二国間会談、また改革の自国への波及を恐れたポ―ランド、東ドイツ、ハンガリー、ブルガリアの親ソ指導部を加えた多国間会談で、ドプチェクの改革路線を反革命的だと批判し続けた。
それとともにソ連を、盟主とするワルシャワ条約機構軍は、6月中旬から1カ月に及ぶ軍事演習を繰りひろげて圧力をかけた。
そして遂に1968年8月、ルーマニアを除くワルシャワ条約機構軍はチェコスロバキアに進攻し、ドプチェクら改革派幹部を一時拘禁した。翌69年4月ドプチェクに替
わって、改革派から親ソ派に転じたG・フサーク(1913〜91)が党第一書記に就任し、ドプチェクらの改革派幹部は除名されて「プラハの春」は終わりを告げたのである。<>2009/11/11 501<>0<>時言 真理は少数者にあり2<>「自公」を使嗾して、労働法制等を改悪させ労働者を恣に収奪し痛めつけ、それによって空前の巨利を手にして来た資本の側は、今次総選挙で自公政権(経団連は自民を推薦せず)に代わる、社民党まで吸収した民主巨大与党を実現させた。
自公に対する国民の強い怒りをテコとして、「痛んだ部分を手直ししより善き明日を約束する民主党への政権交代」という共同幻想を駆使したのである
▼この仕掛け人たる21世紀臨調は「政権交代を手段として使う
新たなイノベーション」との認識にメディア・労働界等々を結集させたのである。この場合、今日もなお冷戦対応型の自民党では国民の不満・怒りへの対処は出来ないとし、政権交代による保守の支配確保を計ったのであろう
▼冷戦後「経済はグローバル、政治はナショナル」という関係にあって、国際的金融危機・環境問題等資本主義が惹起する諸々の苦痛・困難への怒りや不満に、一国単位では対処し切れず、西欧各国の政権は不安定化している。
民意を正しく反映する比例代表制はそれを加速させているとも言われている
▼周回遅れのこの国の資本の側は、この西欧に学び比例代表制を封じ(今後も消滅の策動中)、公選法で政党要件のない者の政見放送・マニフェストを許さず、公示後のポスターの撤去までさせ
る。まさに少数者を封じ込め、例え民意を乖離しようとも、二大政党で国民の怒り、不満を吸収し封じ込めようとしている。
今次の民主党政権は、旧来の日米同盟基軸、税の累進制の緩和々旧来の保守の価値観を強化した巨大翼賛体制であり、極めて危険である。監視を強化し要求を突きつけることが求められている。
安保英賢<>2009/11/11 500<>0<>総支部は、今 尾道総支部<>10月16日、尾道総支部はヒロシマ人権財団事務所で第14回定期大
会を開催しました。大会は瀬崎和子さんの進行で、まず議長に岡田英治さんを選出、植田稔委員長があいさつを行いました。続い
て高教組・広教組・解放同盟・障生連の各組織代表から来賓としてのあいさつを受け、議事に入りました。
議事は
@08年度たたかいの総括に関する件、
A09年度運動方針ならびにスローガンに関する件、
B財政報告及び監査報告
の三議案についてで、いずれも全会一致で承認されました。
原田健書記長の提案は憲法と社会保障から衆院選の結果、自治体の問題に関しては三木郁子県本部委員長のコンパス21の論文を引用しながら、いずれも精緻な分析に基づいた熱のこもった内容でありました。
この後、いずれも役員を再任、熊谷良子副委員長の大会宣言朗読、しろま和行副委員長の団結がんばろうで大会を成功裏に閉じました。<>2009/11/11 499<>0<>9月 「分断・排除・差別」をエネルギーとしての政権交代<>「分断・排除・差別」をエネルギーとしての政権交代

 第45回総選挙でようやく自民党支配が終った。歴史的に見れば、すでに冷戦解体・55年体制終焉・細川政権誕生等の潮流で機は熟していたが、政治改革を切望する国民の声は,保守悲願の「小選挙区制」導入で韜晦(とうかい)された。温存された冷戦形思考は、社会主義(労働者)的なものの排除・殲滅に猛威を振るったのである▼時恰も跋扈していた新自由主義と一体化した冷戦形思考は、収奪戦略として機能し、例えば、それまで労務管理に活用してきた組合の弱体化・解体(労働者の団結阻止)、IT化も手伝っての生産工程の個別化、賃金の生活給から成果主義への切り変え、さらに労働法制の改悪による正規・非正規・間接雇用等の雇用形態の細分化。このように労働者の「分断と差別」を徹底し、結果資本の側には空前の冨の確保、労働者には生活・生命・人としての尊厳まで奪われたのである▼「自民」に痛めつけさせて、自らは暴利を貪る。湧き起こる怒りや不満は、「民主」に吸収させ、現体制の枠内で保守の支配を継続させる▼メディアはこれをもって「民主主義の発展」とするが、グローバル化の中、保守の執り得る政策に大差はなく、同時に小選挙区制によって私たち少数者を排除し、「友愛」を掲げ階級的始点を封殺した。まさに「分断と差別」による政権交代であることを忘れてはなるまい。(安保)

<>2009/09/19 498<>0<>9月 翼<> 衆議院総選挙は終わった。兵庫県でのみ立候補した我が党の原和美さんは、二大政党の波にもまれて当選には至らなかったが、次につながる実績を残した▼結果は予想以上に民主党の圧勝となった。わずかの差で大勝するという小選挙区制度の効果?がしっかり出たのが今回の結果である。つまり、47%程度の得票率で、議員の74%を占めたのが今回の選挙である。要するに投票者の過半数は民主党を支持していないのだ。その47%も民主党を支持したわけではない。自・公小泉政治で生活を壊され、将来への不安を持った人々の怒りが「今回は民主党に」ということで投票行動に出ただけであろう▼さて政権をとった民主党には、いわゆるバラマキに対して自・公からはもちろん、多くの人から財源論をつかれている。常識的に考えて大丈夫かと思うのは然りである。天下りなどの無駄をなくすことだけではなく、防衛費を削ればそれなりに可能と思われるが、民主党にそれは出来ない。年内にマニフェストの一つも達成出来ないとなればあっという間に支持を失い、混乱を招くであろう▼とりわけ私たちが特に注視しておかなければならないのは改憲問題である。多くの民主党候補は改憲をアピールしていたのだ。

<>2009/09/19 497<>0<>9月 8.5「反核・平和、反基地の闘い全国交流会」<>8.5「反核・平和、反基地の闘い全国交流会」

 8月5日、今年も原水爆禁止世界大会に参加する仲間たちを迎えて「反核・平和、反基地の闘い全国交流会」を企画・実施した。
会場は、昨年と同じ県本部隣のカレントコスモ会議室。
恒例になっているこの集会は、中央本部主催のイベントとして14回を迎えた。昨年の交流会において、各県本部からの参加者にレポートをもって発表していただいたのであるが、それぞれのレポートを議論する時間的に余裕がなかったことから、今年度の交流会では特にレポート等を用意することを要請しない形で呼びかけを行った。その結果、県外からの参加者が数名と激減し、広島の仲間の集会という形になってしまった。
結果的には呼びかけ方にも問題があったということができるかも知れないが、とりわけ今年は、例年参加していただいていた兵庫を中心とした関西の仲間たちにとっては衆議院選挙闘争中でもあり、広島に来る余裕がなかったと言うこことができる。加えて今年は、別途東西にて交流会を企画していると言うことも影響したと言えそうである。さらに言えば、原水禁大会のあり方がかつてより大きく変わっていることも原因であろう。いづれにしても来年度以降のあり方について、中央本部で十分議論をしておかなければならない課題が残った。
交流会では、広島三原総支部の田治幸信さんから「毒ガスの島大久野島」の話をしていただき、それを中心に意見交換を行った。県外からの参加者にとってはもちろん、県内の参加者にとっても初めて知る内容もあり、改めて学ぶ大久野島の話は大変有意義であった。
その後、県本部書記局に移りささやかな懇親会を持った。懇親会では、中央本部・千葉県本部・徳島県本部の参加者からそれぞれ率直な意見をいただき、広島県本部の今後の闘い方に大いに参考になった。
なお中央本部の高橋さんには大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。

<>2009/09/19 496<>0<>9月 原水禁大会『女性の広場』<>原水禁大会『女性の広場』

 被爆64周年原水爆禁止世界大会・広島大会が開催され、「女性の広場」分科会が8月5日、広島県民文化センター(鯉城会館)で行われた。120人の仲間が参加、私達新社会党の女性党員も積極的に参加しました。
「ヒロシマから反核・脱原発!」という今年のテーマの分科会では、まず、被爆証言者として、女学校一年生の時に学徒動員での作業中被爆しながらも奇跡的に生還した池田精子さんの被爆当時の実態を聞きました。
池田さんは、日本被団協の代表として国内はもとより世界各地に出向き、被爆者として、証言活動や核実験の抗議活動などに取り組み、核廃絶実現に向けて精力的に活動されていることを報告されました。
次に、「核のない未来を子ども達に引き継ぐために原発反対運動から学ぶ」というテーマで、ドイツ緑の党の国会議員(エネルギー担当)シルヴィア・コッティング・ウールさんからの報告を受けました。
シルヴィアさんは、ドイツ政府は原子力の段階的廃止法を法案化したが、反対派が、原子力推進の巻き返しを狙って、公然と段階的廃止法を攻撃しているので緊張感を持っている。原子力に頼らない、太陽・風力・水力・地熱・波力エネルギーなどの研究、開発のコストを提案されました。さらに、広島、長崎、チェルノブイリは二度とあってはならない。放射性廃棄物のつけを100万年残すという無責任なことはしてはならない、と訴えられました。
<>2009/09/19 495<>0<>9月 がんばってます127 西本章<>いま教育現場では

福山では学期末を控えた7月中旬の一週間に、4人もの教職員が救急車で病院に搬送されるという事態が起こりました。以前より「このままでは、誰がいつ倒れてもおかしくない」と言われていました。残念ながら現実のものとなってしまいました。
 子どもに接する時間よりも、説明責任との名目での書類作成等が最優先され、連日の超過勤務が続く教育現場の持つ課題を見せつけられることになりました。
 残念ながらその内の1名は、意識の回復もないまま、5日後に命を奪われました。もう1名も現在入院中で、後遺症と闘いながらリハビリを続けています。1日も早い回復と職場復帰を願うものです。
 それと同時に、こうした教育現場の過酷な状況を把握しながらも、何ら有効な対応をしてこなかった、教育行政の責任が強く問われなければなりません。
 組合としてもすぐに市教委に対し申し入れを行い、この間の教育委員会の対応について質しました。その後、研修会などでは、当然のことながら健康管理について触れられるようになりました。市民連合としてもそのことについて、可能な限りの支援を行いました。
 まわりのなかまを含め、私たちの健康は私たち自身で守らなければならないのは当然ですが、行政においての大きな課題でもあります。仲間の無念の死を単なる犠牲にすることなく、新たな闘いの一歩にしなければならないと思います。
     福山市議会議員  西本 章

2009.9.8
<>2009/09/19 494<>0<>9月第62回インドネシア共産党の抹殺<>第62回
インドネシア共産党の抹殺             北西 允

 1965年9月30日から翌年にかけて起きた「二重クーデター」と、CIAも深く関与した
スハルト(1921〜2008、後に第二代大統領)によるインドネシア共産党抹殺の全容は、
今日もなお厚いベールに覆われている。
 当時「建国の父」スカルノ大統領(1901〜1970)は、「指導性民主主義(形容矛盾)」
の理念のもと、民族主義、宗教、共産主義の諸勢力を統合した統一戦線=NASACOMを基軸に
独裁的権限を揮っていた。彼は、旧宗主国オランダによって長年押し付けられてきたモノカルチ
ャー経済から脱却すべく、オランダ系石油会社の国有化、外資の導入、ソ連、後には中国の援助
などを通じて民族資本の育成に努めた。しかし、その成果は直ちには実らなかった。物価は年々
高騰し、民衆は塗炭の苦しみを嘗めた。
 この間、アイジットの率いる共産党は、スカルノの庇護の下、農地改革の自力断行を通じて急
速に勢力を伸張させ、政変時には中国・ソ連に次ぐ300万人の党員を擁する巨大政党に成長し
ていた。それに対抗する支配層の地主勢力には、主として米国の軍事指導・援助を受け、親米反
共に立脚する陸軍将官らがついていた。一方、ソ連の援助・訓練に依存していた空軍将官には
親共のスタンスを採るものが少なくなかった。
 スカルノは独裁的権限を揮ったとはいえ、その直接的基盤は弱く、彼の役割は、共産党対陸軍・
地主勢力のバランサー以上のものではなかった。従って左翼が強くなれば、彼の姿勢も勢い左傾化
する。彼は、国連から脱退し、中国等と組んで新興国による第二国連創設へと動き出すとともに、
民衆の批判をそらすため、英国の肝煎りで統合されたマレーシア連邦を新しい植民地復活の脅威と
見立て、それとの対決姿勢を露にした。
 10月5日は国軍創立記念日に当り、全国から陸軍部隊が、首都ジャカルタに集結する。この強
力な武装勢力を背景に、左傾化するスカルノ政権の転覆を狙う右翼軍事クーデターが企画されたと
しても不思議ではなかろう。現にスカルノ親衛隊長のウントン中佐は、ナスチオン陸軍参謀総長、
ヤニ陸相ら7名からなる「陸軍評議会」のクーデター計画を嗅ぎ付け、直ちにスカルノに報告した。
スカルノはクーデターを阻止するため、首謀者の暗殺を命令したのではないかと思われる。ウント
ン中佐らの率いる部隊は、65年9月30日深更、7将官の私邸を襲い、危うく難を逃れたナスチ
オンを除く6名の将官を暗殺した。ナスチオンの指示を受けたスハルトは、直ちに配下の部隊を動
員し、スカルノ、アイジット、ダニ空相らが立て篭もるジャカルタ郊外のハリム空軍基地を包囲し
た。
 アイジットは共産勢力がより強力な中部ジャワへ飛んだが、スカルノは一旦中部ジャワに向かいな
がら、日和見主義に陥ったのか、ジャカルタに引き返しボゴール宮殿に篭って「この騒乱は軍内部の
紛争に過ぎない」として、国民に冷静を保つように呼びかけた。
 スハルトの共産党員狩は膨大かつ凄惨を極めた。「ブンガワン・ソロ」という歌で知られる中部ジャ
ワのソロ川は首なし死体で川床が盛り上がり、流水は何日も赤く染まったままだったと言われる。共
産党には皆殺しに対する備えは出来ていなかった。スハルトは次いで、真綿を首で締めるようにスカ
ルノを追い詰め、翌66年3月11日、遂に大統領権限委譲を認めさせた
<>2009/09/19 493<>0<>時言 「総選挙その1」<>「総選挙その1」

 総選挙の結果を受けて「人々の自己意識のありよう」・「選挙制度」の二点について考えてみたい▼冷戦解体・グローバル化への対応と称してこの国は、市場万能主義・構造改革・民営化・競争主義へと暴走し、労働組合等の組織を潰し、人々を個に解体することを収奪・支配戦略とした。これはバーチャルとはいえ世界に日々直面する個、あるいはネット上で自己展開する個という日常性とも相俟って、支配戦略としての個への解体は許容促進されてもいる。そこでは労働者・社員・国民等にとって代わって、市民としての自己意識が一般化していく。この個には仲間も組織もなく弱体で、恣な収奪によって仕事・生活生命まで奪われ、加えて年金・医療・介護等の不案の中に落とされている▼さらに自分が今日生きることが即地球の破滅を招くという矛盾に嵌り、もはや「進歩を約束してきた近代文明の限界」というニヒリズムに陥りつつもある。この不安を抱いた弱々しい個の存在こそが、05年に自民へ、09年に民主へと「意識や投票行動の流動化」を派生させたのである▼次の選挙制度について。今次民主の得票率は45%程度。獲得議席は64%である。少数者、あるいは半数を超える有権者を切り捨てての結果である。「民意を反映しない民主主義」という自己矛盾の中での政権交代である▼解体され・痛めつけられた個に個別補償して、個を直接取り込む民主党の手法に対抗し、私たちは社会的存在としての労働者が労働者として自己意識を確立する闘いを進めなくてはならない。さらには結党以来のテーマである小選挙区制解体を今こそ進めなくてはならない。           安保 英賢

<>2009/09/19 492<>0<>9月 朝鮮半島非核化を考える会<>朝鮮半島非核化を考える会

5月25日、朝鮮がに3度目の核実験を行ったと報道された。日本はもとより世界中で関心が高まり、日本の核武装推進派を元気づける状況をつくったことは否定できない。私たち新社会党は、人工衛星打ち上げ(日米両国を中心とした多くの国はミサイル発射と捉えた)の時にも、諸般の事情から当面は自粛するように求めたが、核実験に対しては、あらゆる国の核実験・核保有に反対する立場で「遺憾である」旨の声明を出した。
ただし、核実験に伴う物質が空中から未だに発見されないため、核実験はなかったとの見方もあるものの、日朝の国交を回復し、友好を促進しようとしている「日朝友好広島県民の会」(08年8月発足)としては無関心ではいられない。
こうした中、日朝友好広島県民の会主催による「朝鮮半島非核化を考える会」が7月17日(金)、広島市東区民会館にて行われた。席上、修道大学のキム・ヨンホさんの講演が行われ、ここ十数年の朝鮮半島に関わる様々な資料を提示しながら、状況を冷静に捉えるように訴えられた。
日米の慌てように加えて、韓国李明博大統領の「(過去政府が)去る10年間に莫大なお金を支援したが、その金が北韓社会の開放を助けるのに使われず核武装をするのに利用されたという疑惑が起きている」と外信インタビュー(7月9日のヨーロッパ3国歴訪中で)で発言したことを紹介された。しかしこれに対して、キム・ヨンチョル ハンギョレ
平和研究所長が「保守的扇動を目的にした“むやみに与えること”論を大統領が公式化したことで今まで出てきた対北発言中で最悪」と評していること、さらに、パク・チウォン民主党議員が「キム・デヂュン、ノ・ムヒョン政府で人道的支援を行い商業ベースで取引されたことが核開発費用に使われたとすれば、1994年キム・ヨンサン政府の時に行った核開発とミサイル発射はどのように説明するのか」と問い直していること、さらには、統一部長官を努めたチョン・ドンヨン議員から、「去る10年間、政府次元で北韓に現金を与えた事実はなく、鉱物や労働力など貿易決済が大部分だった」と批判されていることも紹介された。
つまり、韓国でも、大統領が先頭に立って北脅威?煽る状況にあるとのことである。
私たちはこうした状況に踊らされずあくまで冷静に考えなくてはならない。幸い、ジャーナリストの解放をめざしたクリントン元米大統領が訪朝したり、キム・デヂュン元大統領の告別式に朝鮮から代表団が訪韓したりで緊張感が少し緩む方向にあるようにも見える。
新社会党としては、諸事情で延期になっている「朝鮮半島問題プロジェクト」の立ち上げを急ぎ、党として訪朝に取り組むなど、積極的に朝鮮との友好関係を構築し、朝鮮半島の非核化に取り組まなければならない。
なお、10月16日(金)に日朝友好広島県民の会主催による蓮池透さんの講演会が計画されている。拉致被害者家族会のかつての事務局長であった蓮池さんから、拉致被害者の家族という立場から日朝関係について語られる貴重な機会であるので、多くの人に参加していただきたい。

<>2009/09/19 491<>0<>8月 衆院選原和美さんと上村好輝さんの必勝を!!<>衆院選原和美さんと上村好輝さんの必勝を!!

8月8日(土)~ 9日(日)と兵庫1区の原和美さんへの全国支援行動が呼びかけられ、2日間で約300人の行動となりました。
 広島県本部も2日間で延べ20名近くの者がかけつけ全国の仲間と一斉行動に結集することができました。
行き帰りの高速道路の渋滞などへ巻き込まれた班や猛暑と台風接近による悪天候にも遭遇するなど不順な天候にもへこたれず、現地では支持された箇所へのビラ配布や議員は街頭宣伝カーへと県本部としての日程をこなす事ができました。
5度目の国政選挙への挑戦となる原和美さんに何としても必勝を期してもらいたいと言う全国の仲間の強い思いが、今回も一斉行動を支えています。
政党要件をもたない、しかも無所属での立候補となる原和美さんにとって本番では、公選法上不利な条件が発生します。
自公政権に歯止めをかけるべく、自民でも民主でもなく「政権交代、Kobeからもう一つの選択を」との思いで、15万枚のビラ全戸配布をやり遂げることができました。
兵庫1区の原和美・広島1区の上村好輝(社民党公認)・比例区は社民党の必勝へ向けて、仲間のみなさんの引き続いての総行動を勝利へと結びつけようではありませんか。
<>2009/09/19 490<>0<>8月 「幻想としての政権交代」に抗して<>「幻想としての政権交代」に抗して

連日マスメディアは「政権選択選挙」・「政権交代」等の言辞をふりまき、「小選挙区制」導入の意義が機能し始めたとしている。この文脈は「自民対民主」という保守二大政党を前提にしており、その方向が「主権者が政権選択をする民主的方向」であるとの幻想へと誘導しようとしている。
しかし、この闘いは現体制の枠内で、A党が政権担当期に引き起こした矛盾で支持を失えば、B党が代わってその矛盾を手直しし大衆の不満を吸収・解消し、結果資本を持つ保守勢力による支配を貫徹していくという政権のたらい回しである。その意味で本当の政権交代ではなく、ましてや少数意見を排除する小選挙区制をその手段にしているのである。今政治に求められているのは「幻想としての政権交代」ではない。政治・経済・雇用・環境等々様々な危機、それも近代社会がそれを押し進めることで生み出した危機への対応である。歴史的にみてその方向はすでに限界に達しており、このままだと破滅しかない、と見破った人々がチェンジ=変革を求めている。限界は今の金融恐慌やツバルの現状に現象している。
 今こそ日本国憲法のめざす方向への変革が多くの人から求められている。今次選挙も改憲阻止勢力の拡大、原和美必勝へ向け集中しなければならない。因みに鳩山は9条改憲論者である。
<>2009/09/19 489<>0<>8月 翼<>64年目の原爆慰霊祭が行われた。秋葉広島市長は、オバマ米大統領のプラハでの発言(4月)を支持し、オバマジョリティなる言葉を使ってそれを支えにして、「核のない世界」への声を大にしている。国連総会のデスコト議長も「この世で最大の残虐行為」と述べ、核廃絶を訴えた▼しかし、式典に参列した麻生総理大臣は式後、アメリカの核の傘に入っていることを積極的に支持する発言をしている。アメリカの核の傘に入っているということは、日本が核の存在を肯定することになる。それは間接的に核保有を肯定することにもなる。▼この立場だと、朝鮮が核を保有することも認めざるを得ない。つまり、アメリカが核によって国を守るのなら、そして、日本がアメリカの核の傘の下で国を守るというのなら、私たち(朝鮮)も核を持って国を守らざるを得ない、ということになる。▼私たちは、広島は、世界の多数派は核を否定しているのである。アメリカの核もロシアの核も、中国・フランス・イギリスの核も、そして朝鮮の核も認められないのである。▼もちろん核兵器をなくすることが目的ではない。私たちの願いは、最悪の兵器である核兵器をなくすことから、地球上の一切の兵器をなくしていくことにつなげ、全ての人類が平和的に共存できる世界を構築していくことである。<>2009/09/19 488<>0<>8月 今年も高校が潰される<>今年も高校が潰される

今年度4月から自彊・高宮を募集停止にしてしまった「県立高等学校再編整備計画(二〇〇二)」に基づく募停攻撃は、既にこれまで二十校以上の学校を潰してきた。
この理不尽な整備計画は今年も吹き荒れた。私たちはこれに抗してさる7月10日、県庁前で抗議集会を行い、市中をデモ行進して「見直し」や「存続」を市民に訴えた。
この間当該校の保護者や同窓会、さらには地元の人たちは署名活動に取り組んだ。短期間ながら集められた署名は54,138筆に上った。また関係の8市町議会は意見書を採択し、知事・議会・教育委員会へ、また3市町長は要望書を送った。広島県全入協に連動した私たちも支援に取り組んだ。
しかし、8月5日(木)教育委員会会議は、白木高校、大和高校、尾道特別支援学校高等部、広島南特別支援学校呉分級高等部の来年度以降の募集停止を決定した。理由は、県教委の決めたかってな理由によってである。まさに地域の、少数者・弱者の小さな声は切り捨てられたのである。
私たちは「一人でも生徒がいるなら残すべきだ」、と極端なことは敢えて言わない。しかし、今回募停にされた高校にはたくさんの生徒が通っているのである。
そして彼ら彼女らにつづく子ども達もいるのである。その子ども達は、地域の学校への進路を閉ざされてしまったのだ。
過疎地域における高等学校は言うまでもなく、地域のいわば文化の拠点、学びの拠点である。それでなくても人口が減ってきている地域。その地域の学校を奪うことはますます過疎化に拍車をかけることになる。
また、障害を持った子ども達には、より居住地に近いところに学校を保障するというのが教育行政のあるべき姿ではないのか。
新自由主義の下、一方では競争を煽り一方では弱者・少数者をますます切り捨てていこうとする広島の教育に、私たちは強く抗議する。



<>2009/09/19 487<>0<>8月 キューバ訪問記(3)<>キューバ訪問記(3)        齋尾和望
 キューバ訪問の大きな目的は、革命50年を記念するメーデーへの参加である。前夜ショーを観て疲れた中でも早朝5時30分の出発に備えて全員が早起きをした。一年で最も道路が込んでしまうとともに、封鎖道路等も設置されて下手をすると会場に着けないということであった。 全員が配布された赤いTシャツに着替え、バスに分乗した。
全体は5時30分に出発したものの、案の定医学校の学生のバスに出くわし30分以上立ち往生をしたという。6時30分に会場である革命広場に着き、行進隊の目の前に陣取った。私たち代表団は少し送れて出たのは良いが、案の定封鎖路に出くわしたりした。結局抜け道や迂回路を通って会場近くにつき、そこからさらに歩いてやっと会場に着いた。私たちは、行進隊とは距離はあるものの多少上から見える階段状の来賓席に招かれて腰を下ろした。振り向いてみると斜め後ろには現在の最高指導者ラウル・カストロの麦藁帽子姿が、また、初日に会えなかったものの、昼食会を開いてくれたホルヘ・マルティ国際部長の姿も見えた。そして隣には在キューバ大使館の参事官が居座っているという席である。
キューバスタイルなのか、挨拶をしたのはラウル・カストロではない。そして好天に恵まれた中、パレードが始まった。
パレードをサポートするのは左サイドの音楽隊と合唱隊、そしてその奥には、ビル全体に描かれたチェ・ゲバラのモニュメント。右サイドには、政府関係者などの貴賓者に加えて2000名以上の世界各地からの参加者、そして労働者・市民の大観衆である。その間を延々と2時間続く大パレードである。労働者・学生・少年少女たちが、それぞれが趣向を凝らしたプラカードや横断幕を掲げて、そして、ダンスパフォーマンス等も交えての、何と35万人の行進である。ラテンアメリカ医学校の学生たちなのであろうか、自国の旗をなびかせながらの行進も目立った。かつては100万人パレードの時代もあったようであるが、現在は経済事情等もあり全国から集まるのはやめて、それぞれの地域でメーデーを行っているという。
メーデーの5月1日を中心に、一週間は学校も休みであるという。まさに国挙げての大イベントにふさわしい。私たちは、5月とは言え強い日差しの中、飽きることなくパレードを観覧した。
<>2009/09/19 486<>0<>8月第9回全国女性学習会・交流会―札幌市にて<>第9回全国女性学習会・交流会―札幌市にて

 7月18日(土)~19日(日)の2日間に渡って、第9回全国女性学習会・交流会が北海道札幌市において全国から関係者約50名11都道県本部からの参加で開催され、広島県本部からは、三木郁子委員長が参加しました。
 1日目は、栗原君子中央本部委員長の開会のあいさつなど開会行事の後、講演に入りました。演題は「憲法9条と市民自治」として講師は、森啓法科大学院講師によるものでした。
 その後、森啓さん、浦部浩行さん、谷百合子さん、川端順造さんの4名でのパネルディスカッション・座談会、質疑応答と18時まであり、それぞれの方から自らが取り組んできた活動内容を話され、質疑も活発に出されました。
 夕食交流会では、各県からの出し物に大いに盛り上がり1日目を閉じました。
 2日目は、8時30分からの再会で、本部報告や原和美さん支援要請などに続き学習会に入りました。
石井ポンペさんによる楽器演奏と歌を交えながらのトークで、アイヌ民族の土地を奪われ、ことば、文化も奪われてきた歴史について分かり易く語られ、奪われた権利を獲得していく運動を粘り強くしていく決意を最後に述べられました。
 共に運動にかかわっておられる白川せつ子さんより非正規雇用者の厳しい状況や高橋勇さんからは、JR貨物の下請へ28年勤務後、現在契約社員として同じ所で働いているが今後への不安を訴えておられました。
 最後に自ら障害者である新保清和さんより「障害者自立支援法」施行後の障害者が置かれている生活破壊の状況や新保さん自身の反原発運動などに積極的に参加されている日常活動について語られ、みなさんそれぞれの立場で日常的にたゆまぬ活動をされている事に参加者も大いに刺激を受け、元気のでる2日間の学習会を閉じる事ができました。
<>2009/09/19 485<>0<>8月 時言<>「もはや破綻しているのに2002年の新自由主義的「基本計画」を強行する矛盾」

今次県教委の高校潰しは、貧困の固定化・格差の拡大・格差の世襲・平等な民主主義社会の破壊・社会不安等を惹起する、まさに民主主義への挑戦である▼周知のとおり、敗戦後の民主化政策として、就中教育基本法では子どものもつ教育を受ける権利を保障する義務を行政に課し、それの遂行で民主社会の担い手を育成し、民主社会の建設をめざして来た▼就中60年代の高度成長期には、教育保障と労働・生活の向上(生活給としての賃金支給)が一体化し、一億総中流形成が進み民主主義も前進したとされている▼時あたかも新自由主義の破綻そのものである金融恐慌・経済不況は世界中を苦しめ、加えて新自由主義的に改悪された労働法制は非正規労働者等を深刻な貧困へと突き落とした▼この状況にあって、社会的・政治的最優先課題が貧困対策であり、その対策の第一に公教育の拡充や若者の就職支援等による貧困を固定化させない施策であることは社会的共通認識となっている▼さらに又時あたかも新聞(7月31日朝日)が年収200万円未満の家庭の子の4年生大学進学率が28%なのに対し、1200万円以上は62%という調査結果を報じている▼まさにそれにも拘わらずの高校潰し施策の強行である。時代の要請に逆行して、貧困の固定・格差拡大・民主社会の破壊を押し進めようとしている。激しい競争で他者を打ち負かし、破壊し差別することを自己形成の条件として正当化する新自由主義的教育施策。そんな教育行政は時代の一周遅れであり、もう要らない。
安保 英賢
<>2009/09/19 484<>0<>8月第61回 6年目に入るに当たって<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自律的連帯を求めて

第61回 6年目に入るに当たって

広島大学名誉教授 北西 允

当初は10回くらいで書き終えようと思っていた「社会主義のあゆみ」がとうとう今回で61回、6年目に入ってしまった。思想、運動、制度を含む社会主義の複雑多岐なあゆみを、あまり私見を交えずに、ほぼ暦年的に綴ってきたつもりだが、僕の不勉強、認識の誤り、紙幅の制約等によって、「欠陥シリーズ」になっていることを、自分自身強く感じている。
特に副題の「個人の尊厳と自律的連帯を求めて」については、突っ込んだ叙述を殆どしてこなかったことを深く反省している。「羊頭狗肉」「看板に偽りあり」との謗りは甘んじて受け容れなければならない。それは何よりも僕自身の人権感覚の未熟さと研究姿勢の甘さによるものである。
ただ、いささか言い訳になるが、マルクス主義者を含め過去の多くの社会主義者が、資本主義社会の中で虐げられる労働者の解放をめざすというとき、労働者を専ら階級として捉え、尊重されるべき、そして主権を分有すべき個人の問題にはあまり論及しなかったこともまた事実である。

社会を科学的に分析して法則性を導き出すには、集団的観察は不可欠である。個々人の人間に焦点を当てても、あるいは人間一般を分析しても、そこから社会的法則性を導き出すことは困難である。資本主義社会における労働者という集団、すなわち生産手段を持たず自らの労働力を売って、直接または間接に資本の再生産に参加しなければ生きていけない労働者階級、というのは集団的観察によって得られた概念であり、そこから階級闘争、社会主義革命という実践的指針もまた導き出された。しかし、民主、人権という市民革命の基本理念の継承抜きに、武力によって社会主義革命を達成した旧ソ連・中国をはじめ既存の社会主義社会に見られる権力者の専横、個人の尊厳軽視の実態は、社会主義という理念を著しく貶めた。
ソ連をはじめ東欧の社会主義国が、軒並み社会主義から資本主義へと逆旋回し、中国が共産党の一党独裁のもと、形容矛盾とも思える「社会主義的市場経済」を推し進めている今、社会主義理念の再点検と再構築が求められている。
例えば、ある思想を、進歩的あるいは反動的と判断する場合、マルクス主義者は、それが生産力の発展に寄与するか否かを基準にしてきたように思う。しかし、環境汚染、地球破壊が、深刻な問題として浮上している現在、こうした基準は当然ながら再検討されなければならない。また、社会主義国家機構のあり方も、できるかぎり分権化する方向で再検討される必要があろうし、個々人の「基本的人権」は最大限保障されなければなるまい。
これらの課題は、グラムシを始祖とするユーロコミュニズムの中で、そしてとりわけソ連型社会主義の崩壊以降、広くマルクス主義者の間で追求されてきた論点ではあるが、なお一層深めていく必要がある。本シリーズは、T・9モアに始まりようやく1世紀後半に入ったところである。12世紀にまで筆を進めるつもりはないが、今しばらく貴重な紙面を汚し続けることをお許し戴きたい。

<>2009/09/19 483<>0<>8月 声<>中国人研修生に支援の輪を
                   広島総支部 土屋信三

 いま、中国西安から来た研修生、薛民さんは労働審判を控えてスクラムユニオン事務所で生活している。彼はすでに実習生となっており、今年12月にはビザが切れてしまう。それまでにはなんとしても問題を解決して、無事に帰国できるようにしていかねばならない。
 事の発端は、ハシダ建設による残業代の未払いである。そして、残業代支払いを強く要求する薛民さんたちをなんとか強制帰国させようとしていたところに、経済不況が重なり、これ幸いと解雇してきた。理由は「仕事がなくなり、給料が払えない」といったものだった。同時に、宿舎からも追い出してしまった。薛民さんは、スクラムユニオンを頼り、あきらめずに闘うことを決意した。現在の研修生・実習生制度のもとでは、解雇された労働者は何の保護を得ることもできない。生活費を稼ごうにも、アルバイトさえ許されないのである。たったひとりの孤独な闘いではあるが、新社会党のみなさんの支援をぜひお願いしたい。そして、現代の奴隷制度である研修生・技能実習生制度の廃絶に向け闘いを構築していってもらいたい。
<>2009/09/19 482<>0<>8月 尾道総支部因島<>学習会開く
私たちの尾道総支部因島では、党のシンボルマークに因んで、「青鳩会」と名づけて毎月集まって意見・情報交換をしています。少人数ですが、まとまった意義ある会合になっていると思います。その会合をさらに意義あるものにすべく、年2〜3回の学習会を持っています。講師は、その都度、地の利を生かして三木委員長をはじめ優れた実績のある方をお招きし、小規模ながらも実のあるものになっています。
 今回は、7月4日に、党副委員長岡田英治氏を講師にお招きして、『キューバ社会主義の精神にふれて』というテーマで、キューバ訪問の体験を中心にお話をいただきました。
 話題は、チェ・ゲバラのことから、現在のキューバ情勢まで、多岐にわたりましたが、最も興味深かったのは、教育の無償と医療の充実でした。15〜20人の少人数学級で、子どもがいる限り廃校にしないという教育のあり方は、日本の大いに学ぶべきところだと思います。また、医療の方では120世帯をケアするホームドクターが配置されており、地区診療所の設備は必ずしも十全ではないものの、病状により大病院への転院が可能で、日本のようにやたらに高額な医療機器ばかりを導入して検査漬けにする医療とは、随分違うようです。
 お話はおもしろく、キューバの観光の話から、現在の日本の政治情勢にまで及びましたが、最後に岡田氏が言われた、「仏教で言うあきらめとは、明らかにすることであり、自分の努力でどうにかなることと、どうにもならないことの区別を明らかにし、努力で変えられるところで、自分が最大限努力して生きることだ。」という言葉が、心に残りました。
       尾道総支部因島 代表 則藤 了
<>2009/09/19 481<>0<>7月広島県本部副委員長 岡田英治<>広島県本部副委員長 岡田英治
第14回県本部定期大会は成功裏のうちに終了することができました。当面する最大の課題は、なんといっても衆議院選挙です。兵庫1区・原一美さん(中央本部副委員長)の勝利に向け全国の仲間の力を集中し、県内にあっては、広島1区・上村好輝(社民党公認)の当選に力を注がなければなりません。
今回の選挙では大方の国民が自公政権に嫌気がさし、「政権交代」を願っていることが強く伺えます。私たちも自公政権を終わらせたいと思っていますが、民主党が政権をとったからといって大きな変化は望むべくもありません。選挙結果がどうであれ、保守2大政党の構造が変わるものではないことを肝に銘じておかなければなりません。仮に政権交代が実現したとしても民主党の本質がそう遠くない時期にさらけ出されることでしょう。
保守2大政党ではなく、徹頭徹尾、勤労市民と被差別少数者の利益を守りぬく政党が存在感を増さない限り、日本社会に光が差し込まないことを、訴えていくことこそが重要です。
<>2009/07/31 480<>480.jpg<>7月県本部主催経済問題講演会<>投機的金融システムを批判 生活のための金融を
本山京大名誉教授が講演 県本部主催経済問題講演会

世界を覆っている経済危機の本質を学ぼう、と県本部主催の講演会が6月21日、三原市民福祉会館でおこなわれ、約100人が参加した。
「金融危機が生み出す新世界ー金融資本主義の終焉」と題して講演した本山美彦・京都大学名誉教授は、@米国の各州で、ドル以外の通貨発行を求める法案提出の動きがある(FRBへの反感が全米に広がっていることの証左)A09年の財政赤字は1兆1860億ドルでGDPの8.9%にも及んでいるB上位400人の資産が1億5000万人の資産に匹敵しているC原油取引の98%がプロの投資家によるものDオバマ大統領の経済政策が今回の金融危機を作り出した張本人たちによって進められているーなどと述べ、米国流の「カネを商品」とする投機的金融システムが生み出した現実を紹介するとともに、オバマ政権の経済政策に警鐘を鳴らした。
本山さんは、本来の金融システムである「生活のための金融」の実現について、貧者の銀行と呼ばれているバングラデシュのグラミン銀行(融資の相手は97%が女性で、その数は600万人といわれている。返済率は99%)の取り組みや日本でも始まっている市民の自立を助ける「NPO銀行」の試み、さらにはESOP(従業員持株制度)の導入などを紹介し、「金融ゲームを終わらせよう」と訴えた。<>2009/07/31 479<>0<>7月翼<>翼
「郵政」が話題になっている。鳩山総務相が、「かんぽの宿」など国有財産を不当に安く売り飛ばそうとしたとして西川社長を認めないと突っぱね、遂に辞任に追い込まれた。辞任後鳩山氏曰く、この件では「総理も認めていた」と。確かに麻生総理は「郵政には反対であった。たまたま反対できないポストにいただけだ」と言ったことがある▼そういう中、未だに郵政民営化問題はくすぶっている。小沢民主党元代表は、民営化反対の郵政関係者講演会で、「見直しをしっかりやるように新代表に伝えている」等の発言をしているようである▼一体民営化は何だったのか。民営化後小さな郵便局はなくなった。私の街でも集配の回数が減らされた。留守配達の時には、地域の局に行けば良かったのが本局に▼しかし本当の目的は、アメリカの保険会社の日本参入であったと言われている。そのことはクリントン政権下で始まった年次改革要望書に示されている。300兆円以上あった郵貯関係の資金に手をつけるためには、民営化して保険市場を開放させることがどうしても必要であった。このことをきちんと報道したマスコミがあったのか。良識ある人々は反対したけど、あの300議席の中で強行された。「民営化されると良くなる」という甘い?言葉に騙された人々は今何と思っているのだろう!
<>2009/07/31 478<>0<>7月「がんばっています」政平智春<>「がんばっています」
三原市議会議員 政平智春
 4月12日に執行された三原市議会議員選挙に初挑戦し、当選させていただきました。昨年月末で、38年間勤務した、三原市役所を退職し、1年間の選挙準備を行いました。
 後援会の役員の皆さんが、懸命な取り組み、オルグを重ねていただき、立派な成績を得ることができました。
 また、地元町内も、選挙直前から、ムードが盛り上がり、選挙終盤では、積極的な支援体制を築いていただき、地域にも密着した選挙ができました。
 五月八日の臨時議会で、議会人事が行われました。私は無所属であり、新人ということもあって、役職は何もありません。
三八年間、職員として外から見ていたことと異なり、議会の中に入って感じたことは、市政全般にわたって主張が述べられるということです。六月定例議会では、選挙スローガンに基づいて、「安全・安心」の街づくりを目指した問題について一般質問を行いました。
職員の健康問題、学校教職員の健康管理体制、瀬戸内海の環境問題など、緊急を要する問題を提起し、当局から、一定の答弁を引き出しました。
今後も「平和・人権・安全・安心」の政策実現に向けて頑張ります。
<>2009/07/31 477<>477.jpg<>7月広島県本部第14回定期大会<>広島県本部第14回定期大会

広島県本部は、約60名の党員・党友の参加のもと、6月21日(日曜日)、三原市市民福祉会館にて第14回県本部定期大会を開催しました。今年は、昨年の反省もあって、党員・党友だけではなく広く関係者に呼びかけを行って午前中に経済問題に関する学習会を設定し、その勢いで、初めて午後半日の定期大会として運営しました。
大会には、衆議院選で選挙協定を結んでいる社民党広島1区候補の上村好輝さん、フォーラムフリーの北西允先生、広教組委員長の小早川健さん、高教組委員長の守本秀樹さん、朝鮮総聯の金鎮道副委員長、全港湾の細谷宏之副委員長、ピースリンク広島・呉・岩国の世話人西岡由紀夫さん、中央本部から松枝書記長を迎えて、それぞれ激励や連帯の挨拶をいただきました。
加えて、土屋執行委員が取り組んでいるユニオンの関係者から、中国人研修生 さんのアピール、同じく執行委員尾小武さんが取り組んでいるチベット問題からの出店、さらには昨年、全国農業問題連絡会で見学をさせていただいた北原さん(有機農業むささび農園経営)の出店を開くなど、いつもと違った大会になりました。
執行部提案に対しては、呉・安芸総支部、佐伯・廿日市総支部等から補強すべく積極的な発言がありました。また、自治体選挙で当選を勝ち取った廿日市市議の石原顕さん、大崎上島町議の中村修二さん、三原市議の七川義明さん・政平智治さんからそれぞれ選挙支援のお礼と、今後の決意が表明されました。また、議長のはからいで小森顧問に発言を求める場面もあり、顧問から、新社会党広島県本部の今後のあり方について指針が示されました。
ここ数年、党員・党友の減少がつづき、党員・党友の中には新社会党の将来に不安を感じる傾向があったことが否定できません。しかし今年の大会は、党員・党友の減少にある程度ストップがかかり、新たに党員を獲得したり、かつての仲間を取り戻したりで、少しではあっても希望の持てる定期大会となりました。
この方向性を確かにしていくためには、各総支部・支部で定期大会の資料を改めて読み切るなどの学習を継続しつつ、日常的な活動に取り組んでいかなければなりません。県本部としても、具体的な提案を行ったり、学習会・講演会等を今後も企画するなどの取り組みを行っていきたいと考えています。

<>2009/07/31 476<>0<>7月第60回ユーロコミュニズムの台頭<> 第60回
ユーロコミュニズムの台頭           北西 允
 非スターリン化の進展、中ソ対立の顕在化(国際共産主義の不統一)、グラムシ理論の
公開を機に、イタリア共産党が1956年に採択した先進国革命路線は、ニュアンスの
相違はあれ、仏・伊共産党論争を経てフランス共産党で、さらにはフランコのファッショ的弾圧から解放されたスペイン共産党でも、党の公式方針として採用されるようになって
いった。これら3党、とりわけイタリア共産党は、その実績・力量において他国の友党に
抜きんでていた。
 西ヨーロッパでは、これら3党に続き殆どの共産党が構造改革路線に転換したが、当時資本主義国では最大最強の共産党であり、グラムシの盟友であったP,トリアッティ(1
927〜1964)が先鞭をつけ、E,ベルリンゲル(1922〜1984)が発展させ
たイタリア共産党の先進国革命路線が、転換の有力モデルとなった。
ユーロコミュニズムが台頭した背景には、とりわけ1970年代以降、ソ連・東欧型社会主義の低迷が明白となり、地続きの西欧では、亡命者らの証言を含め、絶えずナマの情報が流入し、労働者、左翼知識人らの間で、その欠陥や問題点が認識されるようになっていたし、
共産党員の間でもソ連型社会主義に疑念を抱く者が増えていた、という事情がある。つまり、
暴力革命を至上命題とし、反民主主義的組織体質を持った前衛党の一党支配というコンセプトは、多少とも民主主義的変革を経験した西欧では通用せず、時代錯誤の戦略だとの認識が党内外で拡大・深化していたし、当時、殆ど全ての西欧共産党で、党勢の減退が著しくなり、
選挙での後退や敗北が続いたからである。
 新しい路線は、スターリン批判の枠を乗り越えて、レーニン主義批判へと発展し、@暴力
革命路線の放棄、Aプロレタリア独裁論の破棄、B民主集中制・分派禁止規定の廃止へと
突き進んでいった。
 因みに日本共産党でも、1961年綱領の制定過程でグラムシの構造改革論に共鳴した
一部党員が、それに依拠した革命論を唱導したものの受け入れられず、離党あるいは除名
に追い込まれたことは前稿で触れた。しかし、上田耕一郎(1927〜2008)、不破哲三(1930〜)といった党を代表する幹部党員も、一時はこの新路線に共感していくつかの著書を公刊した。だが両人は、後に委員長・宮本顕治(1908〜2007)の逆鱗に触れ、自己批判を余儀なくされた。以後、党は、一時プロレタリア「独裁」を「執権」と改めるなどの姑息な手段を弄んだが、1976年の大会で「労働者階級の権力」と改め、2004年の「新綱領」では、この用語も見当たらなくなっている。ただし、民主集中制の組織原則は、今も堅持されている。
 なお伊・仏・西の場合、ニュアンスの異なる先進国革命論は、それぞれの国の革命的思想や伝統、さらには反ファッショ闘争、独裁政権の打倒、憲法制定などの過程を培ってきた力量を背景に構想されたものであったのに対して、日本の場合は、そうした要件抜きに、主としてイタリアからの直輸入の形で論じられた、という点に特徴があった。
<>2009/07/31 475<>0<>7月時言<>時言
「うちのこの出来が悪いのは、学校の先生が悪いからではないかしら」。そんな親の不信の耳に、幸福実現党や中山元国交大臣等右翼勢力、あるいは県内の保守勢力の「先生が悪いからだ」との声が届いて来る。では本当に教職員が悪いのか▼善悪の第一義的メルクマールは「全ての子に等しく教育権を保障していること」である。例えば本県に於いては一人ひとりの生徒の進路保障を実現するとして、学習の阻害要因の克服と自立をめざして、さらには「高校希望者全入・地元の子どもは地元の高校へ」のテーゼの下、制度的にも進路保障を進める大きな教育効果を上げて来た▼しかし、時あたかもこの国を席巻し始めていたグローバル化・新自由主義に教育を取り込む「九八年文部省介入」により状況は一変。「進路保障」は否定され、逆に「定員内不合格を出さないのは無責任」との教育長の暴言に支配され、その後毎年四・五百名を定員内でも不合格にし、千数百名の中途退学者を出すに及んだ。又全県一学区制により「地域の高校」の否定・過度な競争序列化主義に堕し、さらに少子化を口実に二〇〇三年以降高校の募停廃校が進められ、昨年の自彊・高宮に次いで、二〇一二年までに二九校が俎上に載せられている。九八年以降の子どもの被害は計り知れない▼今権力は教育が悪くなるように仕向けておいて「悪いのは教職員」と喧伝している。まさに階級闘争として仕掛けられた攻撃の最中にある▼この自覚こそが次に目論まれている教育の戦前回帰路線に抗し、再び国家犯罪に加担させられないための闘いのエネルギーとなるものと確信するものである。
<>2009/07/31 474<>474.jpg<>7月「ピース<>「ピース ! 尾道おんなたちの会」学習会開催
6月24日(水)19時から向島町人権センターにおいて約20名の参加の下、「ピース!尾道おんなたちの会」学習会が開催されました。
今回は、広退教や広教組の方々の参加を得て、全国退女教広島大会(1995年)で発表された“ヒロシマ退女教の願い”構成詞のビデオを視聴しました。歌と朗読による構成詞で、広退女教のみなさんの平和への強く熱い願いに感動しました。
一方で、今の学校現場の厳しい状況が報告される中で、お互いの情報交換を密にしつつ、知恵をしぼり、工夫をしながら大切な平和教育を継続していく事を改めて確認することが出来た学習会となりました。
また、熊谷代表の提案で、次回は憲法学習会を決定し参加者一同「やっぱり、がんばって先輩たちに続かなければ」との思いを強く抱きつつ閉会しました。
<>2009/07/31 473<>0<>7月 声 今年も高校潰し<>声
今年も高校潰しー子どもの未来を奪ってはならないー
 今年も又、白木・大和・豊田高校等が潰され、地域の子の教育が奪われようとしている。「県立高等学校再編整備計画(二〇〇二)」に基づく募停攻撃は、既に二〇〇三年から五年間で十校以上は、さらに二〇一二年までに延長された「計画」で昨年度自彊・高宮を潰してしまった。今年はこの「計画」にいう適正規模(一学年四〜八学級)に満たない二九校が整理再編の俎上に載せられ、その中の小規模校(一学年三学級以下)で、在籍生徒一八〇名以下の十七校の統廃合を「廃校・分校化・連携校化」で進めようとしている▼これに対して六月段階から該当校を抱える市町議会で意見書・要望書等の採択。該当校PTA・同窓会等による県教委要請。全入協呼びかけの広範な反対署名・街頭署名。さらに七月十日には豊教連主催による県庁前集会・デモ等々闘いが展開されて来た▼署名を求めて地域をまわると「県立高校を潰してどうしようと思ようるんか、家庭事情で遠い高校や私学に行けん子がおるで。行政の仕事は教育条件を作り守ることが一番大切じゃろうが。それにあの高校は地域のもんで作ったんじゃ」と反対の声ばかり▼元々「四〜八学級を一学年規模として適正」とする発想は「お上」のもので、子どもの教育保障から発していない。募停廃校は誰を利し、何を狙っているのかを明らかにして闘いを進めたい。
<>2009/07/31 472<>0<>7月呉・安芸総支部<>頑張ってます総支部活動
呉・安芸総支部 得田正明
「働く者の相談室くれ」の開設をめざして
長年の懸案であった「労働相談室」の開設は、郵政ユニオン呉支部や部落解放呉地区共闘会議の仲間の英智の結集によって、来る七月一七日に設立総会の運びとなった。
呉・安芸総支部として、毎年、定期大会の方針に明記し、今後の組織拡大や運動的力量の強化を図るには、「これしかない」と認識していたにもかかわらず、これまで躊躇を繰り返していた。
しかしながら今回、世界同時不況がもたらした労働者に対する人権侵害の怒りとスクラムユニオンの土屋さんの助言・指導が強く背中を押してくれて今日を迎えた。
昨年秋のリーマンショックや日本の製造大手企業の「派遣切り」、「雇い止め」の暴挙は、年の瀬を迎える派遣労働者の住まいを奪い、収入を奪い、正規雇用をめざす努力と希望を打ち砕き、公園や路上に非情にも放逐した。
額に汗して働く同じ人間として、余りにも不条理、余りにも悲惨、この国は一体、国民をどうしようとしているのか、人間をなんだと思っているのか、満腔の怒りがこみ上げた。
念願の「働く者の相談室くれ」を、新社会党としての社会的存在意義を広く地域社会に問う実践として、着実に取り組みたい。
<>2009/07/31 471<>0<>6月第14回広島県本部定期大会を成功させよう<>第14回広島県本部定期大会
講演会「今日的経済危機をいかに捉えるか」
 を成功させよう
広島県本部副委員長 高橋晋作
 6月21日(日)午前10時より三原市市民福祉会館において、本山美彦教授(京都大学名誉教授)の講演会を、引き続いて午後は新社会党広島県本部第14回定期大会を行います。すでに県内総支部にご案内をしておりますが、重ねて党員、党友の皆さま方の積極敵なご参加を要請致します。
 昨年7月に福山市西部市民センターで組織の再構築をかけた第13回定期大会を開催して意識統一をして再出発を致しました。そして1年間が経過しました。今次大会で1年間を総括してさらに強固な組織づくりと日常運動を構築していくための重要な大会です。代議員の皆さま方の活発な討論を期待しています。
 また「今日の経済危機をいかに捉えるか」と題しての講演会は、まさに今日的課題にせまる講演です。一人でも多くの皆様に参加していただいて学習していただきたいものだと思います。積極敵なご参加を期待しています。<>2009/06/26 470<>470.jpg<>6月 新社会党第13回全国大会<>第14回定期全国大会

5月23日(土)24日(日)に、新社会党第14回定期全国大会が開催されました。
今年の大会は、アメリカ発の金融経済危機というかつてない厳しい状況の中、また、ずるずる延び延びになった衆議院解散総選挙をいよいよ控えてという状況、さらには、「新テロ特措法」の強行可決や海賊対策といって自衛艦や哨戒機がソマリア海域へ派兵されるという、憲法改悪へのおおきな地ならしがされる中での大会、まさに日本の岐路、あるいは世界の岐路にさしかかっている時での大会であったということができる。
こうした厳しい状況の中、「新社会党の進むべき道が正しいことがはっきりした。
憲法第9条だけではなく、第25条をも前面に押し出しての党勢拡大をはかろう」とを訴えて党員の決起を呼びかけた栗原委員長は、改めて委員長に再選されました。
全国の代議員が我も我も声を上げる中、我が得田正明さんは二日目に壇上から、全国一合併が進んだ広島県の状況を厳しく捉えながら自治体選挙に全勝したことをユーモアを交えながら訴え、代議員の拍手喝采を受けました。

新社会党第14回全国大会
 今年の大会での特徴は、新しい党員の紹介や、本人からの直接のメッセージが あったことです。これまで全国の各総支部とも、党員が離れていくという流れをな かなか食い止められなかったのですが、今年一年は、獲得運動を提起したこともあ って離党を越えて新しい党員を獲得するというところがあり、全体として、党員増、 機関紙購読者増になったのです。
  派遣切りで路頭に迷っていた若者、外国人の支援で、長南議員(野田市)に助け られたのを機に自らも市議に立候補する決意を固めた女性等々、これまでにない感 動する場面がありました。
 衆議院総選挙については、予定候補の原和美副委員長から選挙区の状況を直接訴え ながら、また、「昨年9月の立候補表明以来、こんなに長期の候補者はいません。」と ユーモアを持ちながら自らの闘いへの決意を述べました。週刊新社にも掲載されていますが、昨年11月に続いて二度目のTV出演が5月3日にあり、ますます知名度が上がったということも報告されました。なおこの時のヴィデオが昼食中に会場で放映され、全員で原さんの頑張っている姿を確認しました。
8月かと言われるこの度の選挙は、これまでにない大きな、日本の進路を決定づけるかも知れない選挙になること必至です。国民の一票がそのまま、自・公政権か民主中心の政権かにつながる、極めて重大な選挙です。そしてそれを「決める」のが、支持政党を持たない大衆、いわゆる浮動層と言われている圧倒的多数の国民です。
しかし、忘れてならないのは、民主党も自民公明政権に劣らず、改憲政党です。こ のことを私たちはしっかり認識し、訴えていかなければなりません。徴は、新しい党員の紹介や、本人からの直接のメッセージがあったことです。これまで全国の各総支部とも、党員が離れていくという流れをなかなか食い止められなかったのですが、今年一年は、獲得運動を提起したこともあって離党を越えて新しい党員を獲得するというところがあり、全体として、党員増、機関紙購読者増になったのです。
 派遣切りで路頭に迷っていた若者、外国人の支援で、長南議員(野田市)に助けられたのを機に自らも市議に立候補する決意を固めた女性等々、これまでにない感動する場面がありました。
衆議院総選挙については、予定候補の原和美副委員長から選挙区の状況を直接訴えながら、また、「昨年9月の立候補表明以来、こんなに長期の候補者はいません。」とユーモアを持ちながら自らの闘いへの決意を述べました。週刊新社にも掲載されてい
ますが、昨年11月に続いて二度目のTV出演が5月3日にあり、ますます知名度が上がったということも報告されました。なおこの時のヴィデオが昼食中に会場で放映され、全員で原さんの頑張っている姿を確認しました。
8月かと言われるこの度の選挙は、これまでにない大きな、日本の進路を決定づけるかも知れない選挙になること必至です。国民の一票がそのまま、自・公政権か民主中心の政権かにつながる、極めて重大な選挙です。そしてそれを「決める」のが、支
持政党を持たない大衆、いわゆる浮動層と言われている圧倒的多数の国民です。
しかし、忘れてならないのは、民主党も自民公明政権に劣らず、改憲政党です。このことを私たちはしっかり認識し、訴えていかなければなりません。<>2009/06/26 469<>0<>6月 翼<>翼
報道機関のあるべき姿にかかわる講演会があった。報告者は、いわゆる従軍慰安婦からの聞き取りや、イラクやアフガンなどに従軍した経験を持つ記者と、裁判で勝訴した教師である▼記者は、妊婦の慰安婦として写真で紹介された女性を取材した時、対面するやいきなり拒否されたそうである。その理由は、髭を生やしていた記者が、かつての日本軍に見えたためだったそうである。50年以上経っても彼女たちにはトラウマなのである。まもなく理解され、記者はその後徹底して事実を伝え、慰安婦の問題を社会に提起してきている。また記者は、戦争の事実を報道することで戦争の抑止力にならなければならないのに、その逆に見せ物的になることがあったとも▲裁判闘争を闘った教師は、取材を受けて色々話をしたが、結局大事なことを報道してくれなかった。しかし、相手側の主張はしっかり報道される。担当記者から「申し訳ない」という言葉を聞いたという教師▼それが事実なのである。つまり、事実は報道しても一方的な事実で、逆からの見方についてはほとんどの場合報道されない。そこに庶民が知りたい、知らなければならないもう一方の大事な事実があるのに。教師の闘いはまだ続いているが、見守りしっかり応援したい▼マスコミによる報道だけを頼りにしてはいけないことを学んだ<>2009/06/26 468<>0<>6月 キューバ訪問記(2)齋尾和望<>キューバ訪問記(2)齋尾和望
 一昨年、強力なハリケーンにキューバ訪問記(2)        齋尾和望
 一昨年、強力なハリケーンに見舞われたキューバは大きな被害を受けた。カンパ要請に応えて全国からのカンパと支援物資が寄せられ、それを届けるために、旅行団全員がICAPを訪問しました。カンパには、部落解放同盟広島県連が特別に用意したものが加えられていた。ICAPは諸国民友好協会と訳されている、いわば国際交流の機関でしょうか。兄弟によるバイオリンとギターの歓迎演奏の後、ICAPの活動が紹介され、栗原委員長からカンパと支援物資が贈呈されました。
 同時にここでは、アメリカによって拉致されている5人のキューバ人の家族からの訴えを聞くことができました。事前の情報で知ってはいましたが、キューバはアメリカから経済封鎖を受けているだけではなく、同胞がテロ関係者と誤って捕らえられ、長期に拘束されているのです。日本では全く報道されていない話なのです。
 なお、先頃第14回新社会党全国定期大会を開催しましたが、来日中のICAPの国際部アジア担当のイルダさんが挨拶に来られ、再会することができました。
 青年共産同盟訪問では「革命の基本は青年である」とのチェ・ゲバラの思想が受け継がれ、青年が先頭に立って識字運動、サトウキビや食料増産に取り組んでいるという話を聞くことができました。まさに、青年がキューバの革命後の社会を支えているのです。
キューバで一番誇れることはやはり教育と医療、特に医療でしょう。私たちは眼科を訪問しました。そこには、最新の医療機器を若いスタッフが巧みに駆使して診療に当たっている姿がありました。アメリカ製の優れた医療機器は、経済封鎖のため直接輸入できないのでドイツ経由で、ドイツ製として輸入されるということで、結果としてコストがかかるということでした。
なお、顧問の小森龍邦さんは特別に診察を受け、日本では見つけられなかった新しい原因が見つかったとのことであり、早速文章化してもらい日本での治療に活かすということでした。
ハバナ郊外のカリブ海に面した風光明媚なところに、ラテンアメリカ医学校はありました。今現在、世界28カ国から約2000人の若者が勉学に励んでいるのですが、その経費はすべて無料なのです。交通費さえあれば、6年間無料で医学の勉強ができるのです。卒業後はそれぞれ故国に帰り、医療に従事するという大プロジェクトです。残念ながら豊かな国と見られている日本からの若者はいませんでした。一方、経済封鎖中のアメリカからは、ニューヨークのスラムから青年が来ているとのことでした。キューバの懐の深さを感じました。そういえばチャ・ゲバラが医者であったことを思い出しました。
見舞われたキューバは大きな被害を受けた。カンパ要請に応えて全国からのカンパと支援物資が寄せられ、それを届けるために、旅行団全員がICAPを訪問しました。カンパには、部落解放同盟広島県連が特別に用意したものが加えられていた。ICAPは諸国民友好協会と訳されている、いわば国際交流の機関でしょうか。兄弟によるバイオリンとギターの歓迎演奏の後、ICAPの活動が紹介され、栗原委員長からカンパと支援物資が贈呈されました。
 同時にここでは、アメリカによって拉致されている5人のキューバ人の家族からの訴えを聞くことができました。事前の情報で知ってはいましたが、キューバはアメリカから経済封鎖を受けているだけではなく、同胞がテロ関係者と誤って捕らえられ、長期に拘束されているのです。日本では全く報道されていない話なのです。
 なお、先頃第14回新社会党全国定期大会を開催しましたが、来日中のICAPの国際部アジア担当のイルダさんが挨拶に来られ、再会することができました。
 青年共産同盟訪問では「革命の基本は青年である」とのチェ・ゲバラの思想が受け継がれ、青年が先頭に立って識字運動、サトウキビや食料増産に取り組んでいるという話を聞くことができました。まさに、青年がキューバの革命後の社会を支えているのです。
キューバで一番誇れることはやはり教育と医療、特に医療でしょう。私たちは眼科を訪問しました。そこには、最新の医療機器を若いスタッフが巧みに駆使して診療に当たっている姿がありました。アメリカ製の優れた医療機器は、経済封鎖のため直接輸入できないのでドイツ経由で、ドイツ製として輸入されるということで、結果としてコストがかかるということでした。
なお、顧問の小森龍邦さんは特別に診察を受け、日本では見つけられなかった新しい原因が見つかったとのことであり、早速文章化してもらい日本での治療に活かすということでした。
ハバナ郊外のカリブ海に面した風光明媚なところに、ラテンアメリカ医学校はありました。今現在、世界28カ国から約2000人の若者が勉学に励んでいるのですが、その経費はすべて無料なのです。交通費さえあれば、6年間無料で医学の勉強ができるのです。卒業後はそれぞれ故国に帰り、医療に従事するという大プロジェクトです。残念ながら豊かな国と見られている日本からの若者はいませんでした。一方、経済封鎖中のアメリカからは、ニューヨークのスラムから青年が来ているとのことでした。キューバの懐の深さを感じました。そういえばチャ・ゲバラが医者であったことを思い出しました。
<>2009/06/26 467<>0<>6月 「がんばってます」 池上文夫<>「がんばってます」
福山市議会議員  池上文夫
 この時期は、6月定例会(教会)に向けての準備をすすめていますが、5月には国の人事院が経済情勢を反映して、公務員の夏の一時金の「O.2月削減」勧告を行ったことを受けて、各自治体がこの削減勧告について臨時議会を召集して提案しています。
 福山市では、5月28日に臨時議会が招集され「O.2月削減」について審議し原案通り可決しました。これと同時に提案された職員の勤務時間の「15分短縮」についても原案通り可決しました。この時短をめぐっては、尾道市では賛成少数で否決されていますが、どちらも人事院の勧告であり、本来自治体労働者にとっては国の人勧は直接的には関係ないものですが、国、県、政令市を除いては人事院(委負会)が設定されておらず、これに変わる法的根拠・機関がないことから「人勧準拠」で押し切られているのです。
 これも労使の力関係なのか、自治体労働運動に限らず、労働運動総体の強化が求められています。我が党をはじめ、労働者階級の利益をまもる政治勢力を前進も同
じです。

福山市議会議員  池上文夫
 この時期は、6月定例会(教会)に向けての準備をすすめていますが、5月には国の人事院が経済情勢を反映して、公務員の夏の一時金の「O.2月削減」勧告を行ったことを受けて、各自治体がこの削減勧告について臨時議会を召集して提案しています。
 福山市では、5月28日に臨時議会が招集され「O.2月削減」について審議し原案通り可決しました。これと同時に提案された職員の勤務時間の「15分短縮」についても原案通り可決しました。この時短をめぐっては、尾道市では賛成少数で否決されていますが、どちらも人事院の勧告であり、本来自治体労働者にとっては国の人勧は直接的には関係ないものですが、国、県、政令市を除いては人事院(委負会)が設定されておらず、これに変わる法的根拠・機関がないことから「人勧準拠」で押し切られているのです。
 これも労使の力関係なのか、自治体労働運動に限らず、労働運動総体の強化が求められています。我が党をはじめ、労働者階級の利益をまもる政治勢力を前進も同じです。
<>2009/06/26 466<>0<>6月第59回グラムシの先進国革命論<> 第59回
グラムシの先進国革命論       北西 允
1956年のソ連共産党第20回党大会において、フルシチョフは、スターリン批判の一環として、革命過程は多様であり、先進資本主義国では平和革命の可能性があることを公式に認めた。スターリン時代には、ロシア革命が社会主義革命の唯一のモデルであるとの見方が、世界中の共産党の共通認識であり、平和革命を云々する者は、右翼日和見主義者ないしは裏切り者として、除名ないし粛正の対象になるのが常であった。
ところが、イタリア共産党の創設者のひとり、A,グラムシ(1891〜1937)は、ムッソリーニ独裁政権下の過酷な獄中生活中(1926〜1937)にしたためた32冊に及ぶ「獄中ノート」の中で、ロシア革命を批判し、スターリニズムに異を唱えていた。
すなわち、ロシア革命は、「『資本論』に反する革命であり、革命時のロシアは後進的で、「市民社会」は極めて未成熟な「ゼラチン状態」にあり、そこでは国家が全てだったため、武力による国家権力の掌握によって、革命は一応の成功を収めた。しかし、ロシアと異なり先進資本主義国では、「市民社会」が成熟して、国家から相対的に独立しているため、ロシア革命型の、暴力によって国家権力を奪取しようとする「機動戦」は通用せず、まず「市民社会」におけるブルジョワジーの「ヘゲモニー」を掘り崩してそれを手中に収めない限り、社会主義への移行は望めないというのが、彼の主要な論点であった。グラムシは、この革命戦略を短期の「機動戦」に対して長期の「陣地戦」と名付けた。彼のキーワードである「市民社会」とは「教会、学校、メディア、組合」などを含み、「ヘゲモニー」とは「合意による知的、倫理的主導権」である、と受け取ることができる。
筆者は以前、初期マルクス・エンゲルスの革命路線を、国家権力の掌握→社会の変革→多数者の支持(少数者革命)、晩年の彼らの革命論を、多数者の支持→国家権力の掌握→社会の変革(多数者革命)という図式で説明したことがある。この図式を援用するなら、グラムシの革命論は、社会の変革→多数者の支持→国家権力の掌握という図式になろうか。
尤もこうした図式化は、当然に複雑な革命論をあまりにも単純化しすぎる、との謗りを免れないであろう。 ともあれ、スターリンの死とフルシチョフ報告を機に、初めて陽の目を見たグラムシの先進国革命論は、それを最初に採択したのが、当時、先進資本主義国の中で最強のイタリア共産党だったこともあって、国際共産主義運動の間に大きな波紋を広げた。平和的で長期にわたるこの革命路線は、紆余曲折はあったものの、次第に西欧諸国の共産党の中で一定の「市民権」を得るようになっていった。「ユーロ・コミュニズム」の台頭が、それである。
 日本では、共産党が初めて自前の「61年綱領」を策定する過程で。一部からグラムシ流の「構造改革論」が提起されたが、それは多数を制することができず、「構造改革」派は、やがて離党あるいは除名によって共産党に対立する「新左翼」運動に乗り出すこととなった。
「構造改革論」はまた社会党にも影響を及ぼし、記述の「江田ビジョン」を生むヒントになった、との見方もできよう。
<>2009/06/26 465<>0<>時言 「地域の子のために地域の高校を守ろう」<>時言
 「地域の子のために地域の高校を守ろう」
 教育の新自由主義に基づく1998年の文部省介入から10年、県内に新自由主義的雰囲気が蔓延している。そのため、小泉・竹中改革が若者から安定した職や人生まで奪ったのと同じように、「全県一学区で県内どこの高校へも自由に行ける」と言っているうちに、定員内不合格で年間何百人も、入学後千数百人もの中途退学者という形で、子どもの教育を受ける権利が奪われている▼加えて2002年に策定され、2008年までに十数校もの高校を募集停止にし、昨年は高宮・自彊を募停にした「県立高等学校再編整備計画」が、2013年まで延長され、その間の5年計画で「在籍生徒数180人以下の学校について、一学年一学級は募集停止・複数小規模校の連携」という三つの方向への再編が強行されようとしている▲端的に言えば、「地域の少人数の子どもの教育保障に金は使わない」ということである。それにしても何のためにこれほどまでに高校の消滅を強行するのか▼県立高校の受け入れ枠からはみ出した子どもは私学へ。この中曽根以来の民営化誘導。例えば東京等大都市部では以前から公私比率は四対六を超えており、米国ではより進行している▼しかし投資対効果から今こそ高校全県一学区制を廃止し、地域の子の後期中等教育の場の確保。中途退学者を出さず、全ての子どもの進路保障をめざして、署名活動等を進め、今次の募停攻撃を押し止めなくてはならない。
<>2009/06/26 464<>0<>6月 声 時本 千恵美<>声
「えっ何?」「なんで?」今私の回り「?」マークだらけ。ETC使用に限って、土日千円?CO2滅らすんじゃないの?京都議定書は?税金から2兆円? エコ家電?エコー?確かに地球環境は大事、でもなぜ高級家電?高級車なの?
 2011年には「地デジ難民」という人達か出て来るという。私の母も80歳。高齢者にはテレビは不可欠。しかし少ない年金生活で高価な「デジタルテレビ」など買い替えるのは大変!使い方を覚えるのも大変!
 百年に一度の経済危機?だから何?何でもあり?無地のゴリ押しで我慢しろ?一体この国はどこに行こうとしているのか。将来、私たちの子どもたち、孫たちの暮らしはどうなるのか、偉い政治家の人たち、そしてそれを動かしている官僚や大企業経済界の人たち、同
じ人間ではないのか、私たち国民はいくらでも騙せると思っているのか。わからない?
先輩たちが熱い思いを結集して結党に至った新社会党の精神、理念を忘れないで頑張る。  時本 千恵美
<>2009/06/26 463<>0<>6月く福山総支部活動について><>く福山総支部活動について>
               福山総支部 委員長 池上文夫
 福山総支部は、毎月1回定例の全党員集会を開催して、党活動や地域課題、県本部の行動提起などについて意思統一を図っています.党結成当時にくらべて党員数が激減している我が総支部は、その要因を党の主体的力量の課題としてとらえ党員数減は今日の労働組合、民主団体の活動状況の反映としてみて、党を支持している組織や市民の期待に応えられる、党組織の強化をいかに取り組んでいくのかを当面するテーマとしています。
 例えば、党の基本に関わる組織・運動について、去る5月18日に行った定例の全党員集会では、広島県の教育実態とこれに対する党の教育方針と対県への取り組みについて、元広高教組役員から問題提起をうけて学習・議論を行いました。その内容は、小・中・高等学校の子どもたちの学校、家庭、地域などにおける実態について、これをどのようにみていくのか。
 現下の経済・雇用情勢に照らしてみて、就学援助をうける子どもたちの割合が急激に高まっていることや、経済的理由によって高校を中途退学に追い込まれている子どもたちが増えている今日の実態に、我が党の運動がこれらの目前の課題に対して有効な取り組みを行っているのか、また該当の教職員組合との連携・共闘において、どのような運動に取り組んでいるのか.こうした議論を先の全党員集会において議論してきました。
 先般の全党員集会では、貴重な問題提起であることを確認し、次回集会でさらに議論を深めていき、これを総支部全体の取り組み課題とし行動におこすことも意思統一しました。
 党内外をとりまく厳しい情勢が続いていますが、非武装・中立の結党精神を常に党活動の基本において、我が総支部も活動を継続・強化・発展させていきます。
<>2009/06/26 462<>0<>5月 なくそう貧困広島集会開く<>派遣切りを許すな
なくそう貧困広島集会開く

垣根を越えた個人、団体の参加を呼びかけ去る2月7日に設立し
たばかりの反貧困ネットワーク広島が主催して、「派遣切りを許すななくそう貧困広島集会」が3月29日県庁前広場で開かれた。代表の山田延廣弁護士の挨拶に続いて、派遣労働者や解雇された
外国人労働者、労働組合の代表が次々と厳しい実状を訴えた。ネットに連携する労組、団体などから150人が参加。集会アピールを決議した後、市内をシュプレヒコールしながらデモ行進した。<>2009/05/05 461<>0<>5月 「檄」  岡田英治<>「檄」     岡田英治
アメリカのサブプライムローンに端を発した経済危機が世界を覆っている。各国政府や中央銀行は金融機関や巨大企業への緊急支援策、財政出動による景気回復策などを打ち出さざるを得なくなっている。新自由主義経済路線の破綻である。日本では、この路線を一気に推し進めた小泉構造改革の矛盾も噴出している。
新自由主義を標榜する連中は、同和教育、平和教育を破壊し、教育にまで市場原理を持ち込んだ。全国学力テスト、学校選択制、民間人校長の登用、小規模校の統廃合などがそれである。
しかし、新自由主義経済路線の破綻の後を追うかのように、教育への市場原理導入の破綻も顕在化し始めている。先の県議会では、教育勅語を信奉してやまない石橋県議と榎田教育長がタッグを組んで解放同盟と教組攻撃をおこなった。県教委が組む相手は、いまや極右以外にいなくなりつつある。反転攻勢に打って出る芽はいたるところにある。
「日の丸揚がって教育亡ぶ」となった広島の教育の現状を、ひとりでも多くの人に訴えていこう。
<>2009/05/05 460<>0<>5月 三原市議選勝利 政平智春 七川義明<>当選を勝ち取ることができました
三原市議選  政平智春
 初挑戦に勝利しました。県内各地からの皆さんの応援に心より感謝申し上げます。勝利の原因は色々ありますが、後援会長を中心とした地元町内会のご支援、中でもふるさと創生活動に取り組んでおられる皆さんの力が大きく、地元に22年ぶりに議員を生み出そうとするうねりが高まったことです。
 私のメインテーマは、憲法を基底にした「平和・人権・安心・安全」です。これまでのテーマであり、これからのテーマでもあります。このテーマに拘り、地域のため三原市のために一生懸命に頑張ります。引きつづきご支援を宜しくお願いします。

三原市議選
七川義明
4月12日、投開票が行われ、通算七期目の当選をさせていただきました。関係各位の皆さんに心より感謝と御礼申し上げます。
今回の三原市議選は、一市3町による合併後初の全市一斉選挙となりました。
大変広域となり、確定票の計り知れない難しいたたかいに終始したところです。
反面、今回の選挙活動を通じ、旧3町における住環境や地域性、また住民の考え方や思いなど知る良いきっかけになり、大きな成果を得たと思っております。
国の政治状況と三原市行政における諸課題、また市民ニーズを的確に捉え、議員活動の礎に、そして「平和・人権・福祉・環境」の確立・充実をテーマに、今後一層がんばってまいります。<>2009/05/05 459<>0<>5月 廿日市市議選勝利<>3月29日投開票で行われた廿日市市議選において、新社会党公認で4期目をめざした「石原あきら」さんは、1167票を獲得し28位で当選を果たした。5市町村の合併後、広くなった市域で全市一円の最初の選挙であり、定数も32から30と2減の中7人が立候補し、現職3人が落選するという激戦を制した。
 30日未明、当選の報をうけた石原さんは、事務所に駆けつけた約50人の支持者の前で、「地元や組織の皆さんの温かい支援のお陰で、4期目の当選を果たすことができ、心から感謝します。平和・福祉・教育を守るため,今後も全力で頑張り抜きます。」と全身で喜びを表した。
 その姿は、議会にたてるということだけでなく、地元や組織など支援者の皆さんの声を、議会に届ける事ができる喜びでもあったように強く感じた。                                   石原あきら後援会
                     会長 小柏 弘一<>2009/05/05 458<>0<>5月 町議選に勝利して 中村修司<>町議選に勝利して
大崎上島町議会議員 中村修司
 合併後3期目、旧大崎町から通算して5度目の選挙は、トップ当選という見事な勝利となりました。有難うございました。
 出身組織の高齢化による弱体化もあり、厳しい選挙戦を覚悟しながらのスタートでしたが、危機感の高まりが、組織内の動きを活発なものとし、共闘関係者や周辺地域への取り組みへと広がって行った事が、勝利への大きな要因となりました。
また、私たちが日常的に解放運動として取り組んできた、高齢者福祉や障害者福祉のあり方や、過疎地の教育を守る取り組みが、町の課題と大きく共通し、政策として評価を得られたことは、選挙の勝利と共に大きな喜びです。
今後も、議員活動と、運動的課題をしっかりと連動させながら、共闘関係者と共に頑張りたいと思っています<>2009/05/05 457<>0<>5月 がんばってます123 城間和行<>がんばってます123
 尾道市議会議員
 城間和行
 3月19日、市民連合会派(三木・城間など4名)による議会報告会・懇談会を行いました。これは政務調査費の有効な使途のひとつとして、また議会活動の市民への還流を目的に各定例会(年4回)ごとに行っているもので、今回で8回目となりました。毎回、一般質問(3月は総体質問)・4常任委員会・当該議会の全体的な流れを報告し、参加者からの意見・質問・要望を聞く懇談会で終了します。参加者はなかなか増加傾向にはならないものの、回数を重ねることで広く市民への市民連合会派の主張・動向が知られてきていることも実感できています。地域紙の広告や記事を見て、参加する方も若干ではありますが出て来ています。
3月27日、九条の会・おのみち3月例会で「戦後の沖縄の闘いに学ぶ」として話をさせていただきました。内容は戦後の琉球列島米国民政府・高等弁務官の下に置かれた琉球政府の統治形態。当初、琉球の独立案を持っていた、米国軍政が冷戦の勃発にともない、土地収奪と恒久的基地の建設に向かった時代と民衆の反米闘争。その象徴であった瀬長亀次郎と人民党事件。基地とレイプ被害。日本独立に伴う沖縄切捨て。平和憲法の下への復帰闘争などでした<>2009/05/05 456<>0<>4月 第57回 ドイツ社会民主党、マルクス主義と決別<>第57回
ドイツ社会民主党、マルクス主義と決別      北西 允
1933年、ナチスの政権獲得後、共産党に続いて社会民主党も非合法化され、両党は激しい弾圧の下、多くの犠牲者、転向者、投獄者、亡命者を出し、地下活動さえ逼塞状態におかれた。1945年5月のナチスの降伏直後、共産側の提唱により一時ドイツ全土で社共統一への動きが見られたものの、米英仏占領下の西独では、この動きは程なく掻き消された。
 ソ連占領下の東独では、共産勢力が半ば強制的に社民勢力を統合し、1946年ドイツ社会主義統一党が誕生した。かつて社民党の要職にあったO.グローテヴォール(1894〜1964)が、共産系のリーダー、W.ピークとともに同党の合同議長に選出され、1949年のドイツ民主共和国建国に際して初代首相に就任するが、実験はピークや1950年に党書記長となった同じく共産系のW,ウルブリヒトに握られていた。東西冷戦の激化とともに、旧民社系党員に対する冷遇や粛正が進み、新たな結社の試みも厳しく取り締まられた。
 一方、米英仏の占領下にあった西独では、1945年末、旧社民右派のK.シューマッハー(1895〜1952)を党首にドイツ社会民主党が再建された。社民統合の企図を断念した共産勢力は、1947年にドイツ共産党を設立し、東独の社会主義統一党との連携を深めた。
 ドイツ連邦共和国は、ボンを暫定的首都として1949年に成立するが、ドイツ連邦議会選挙では、ワイマール共和国時代の「多党乱立」の再現回避、共産主義の抑制、右翼の再興防止を狙って、全国で得票率5%に満たない党派には議席を与えない(その後1953年には、さらに3小選挙区での当選の必要が加わる)とのいわゆる5%条項を含む小選挙区比例代表併用制(日本の小選挙区比例代表並立制と異なり、実質的には比例代表制に近い)が採用され、同年、初の総選挙が実施された。社会民主党は、事前の予想に反してK.アデナウアーの率いるキリスト教民主同盟に敗れた。
 ヒトラーによって非合法化されるまで、ドイツ社会民主党は、レーニン主義には敵対的だったとはいえ、主流派はカウツキー流のマルクス主義を信奉する社会主義政党であった。ところが、再建後の同党は、右派主導の下、当初から反ソ反共の実績を積み上げていたが、東西冷戦の激化とともにその趨勢は加速度的に強まり、遂に1959年のバート・ゴーデスベルグ大会で、公式にマルクス主義との決別を宣言するに至った。共産党はそれに先立ち1956年、連邦憲法裁判所によって解散を命じられた。東西冷戦の最前線に位置するドイツの政治的状況の厳しさが、そこにあった。
 ゴーデスベルグ綱領によれば、「社会主義の基本的価値は、自由、公正、連帯にある」とされ、「ドイツ社会民主党は、思想の自由の党であって、異なる信条と思想をもつ人々の共同体」だと規定された。また社会主義は、「自由と公正のために闘い、それらを守り、その中で生活するための絶えざる仕事」であって、「究極的真理を宣言しない」とも述べられた。つまり同党は、もはや社会主義政党ではなく中道左派政党に転落したわけである。以後同党は、W.ブラント(1913〜1992)党首の下で、1966年にはキリスト教民主・社会同盟と「大連立」を組み、1969年には自由民主党と連立して政権与党に転身していったのである。<>2009/05/05 455<>0<>4月 声 自分をまもり仲間をまもる<>声 自分をまもり仲間をまもる
 私はかつて“うつ病”を体験した。以後“うつ”や、追い詰められ苦悩して自死を強く思う人たちの話を関心深く聞いてきた。結婚差別で自死した少女のことや、身近に起きた自死をとおしても思うことが多い。自死の多くは、直前に“うつ病“が多く窺えるという。そこには経済や文化や、この社会の様々な関係の矛盾が集中されている。“うつ病”は社会的な疾患だろう。大資本の莫大な利潤や、大富豪たちの富の蓄積のために、過重な抑圧や個人で解決できない苦悩を負わせて“うつ”に追い込む社会だ。彼らを糺し、職場や地域の関係を改良・改革する運動が重要だ。そこに、部落解放運動が育んできた、被差別体験を語り合うことで、生き抜く力を支える営みが意識的に求められていい。自分を守ることがどれほど大切か。それは自分と同じ仲間を守り、連帯を求めながら、いずれこの状況に追い込んだものを見定めて、反撃に転じる民衆の文化(思想闘争)でもあると思う。
                       2009年3月31日   立川金夫<>2009/05/05 454<>0<>4月 自衛隊のソマリア派兵に抗議する<>自衛隊のソマリア派兵に抗議する
 3月14日、海上自衛隊呉基地から護衛艦「さざなみ」「さみだれ」が
ソマリア海域に出航した。いかなる名目であれ私たちは自衛隊の海外派兵
に反対する。
 今回の派兵は、ソマリア近海の紅海からインド洋に向けての出口付近に
出没する海賊対策という名目である。海賊はソマリアの元兵士や漁民たち
であると言われているが、彼らが何故このような海賊行為をする様になっ
たのかを考えると、そこにはそれなりの歴史がある。
長い内戦による氏族間の対立、それに伴う社会・経済の混乱、ついには
国家の体を成さないくらいの状況に陥っていることが海賊行為の背景にあ
ると言われている。
こうした中、去る3月5日の院内集会(参議院会館)において、ソマリ
ア出身の青年ブルハン・ヘルシさんは次のように訴えている。
「内戦が理由で海賊になったと思う人が多いが、実はそうではない。大
国が密漁や核廃棄物、有害物質などを不法投棄して海をだめにしたからだ。
武力では解決しない。」と。
いずれにしてもこうした状況の回復に支援することを放置し、表面的な
海賊対策に派兵することは日本国憲法に照らしても許されないことである。
しかも、今回の派兵は、PKO法やテロ、イラク特措法による派兵と違っ
て国会への報告や承認がいらない。単なる海上警備行動だからである。つ
まり海上であれば世界中どこでも行けるということにもなる。加えて、国
家や国に準ずる組織への武器使用は憲法9条違反になるが、今回の相手は
民間人であるから武器使用も違憲には当たらないという見解を政府は持っ
ているとも言われる。
政府には、今回のソマリア派兵を自衛隊の海外派兵恒常化、そして、装
備強化を目論む恰好のチャンスにしようとする意図があると私たちは考え
る。また、民主党の動きと合わせて今回の動きは、憲法改悪に向けて非常
に大きなステップとなるのではないかと懸念される。
あらためて訴える。私たちはいかなる理由であっても自衛隊の海外派兵
には反対する<>2009/05/05 453<>0<>4月 府中総支部は今<>府中総支部では、毎週第一木曜日に、定例学習会を行なっています。『空想から科学へ』(エンゲルス著)を輪読し、小森龍邦顧問の説明を受けながら、身近な事例に当てはめての解説や、かつての闘いのエピソードなども聞き、学習を深めています。
集まることからはじめようと、また、理論学習の重要性から学習会という形でスタートさせました。必要に応じて、活動の打ち合わせなども行っていますが、時には、参加者から近況の報告などもあり、情報の交換もして、その一体感にホッとする時もあります。
 学習会としては定着してきたところですが、現在は十人程度の集まりです。やはり課題として、参加者の輪を広げていくことが挙げられます。仕事の都合などで、なかなか参加できない仲間もいますが、つねに声をかけつづけて、何かと課題の多い府中市における闘いを、盛り上げていきたいと考えています。<>2009/05/05 452<>0<>3月 許すな! 派遣切り・雇い止め福山集会<>許すな! 派遣切り・雇い止め福山集会
 2月17日(火)18時30分から寒風荒ぶ中、福山駅前において国鉄闘争支援福山地区共闘会議が地元地区労や福山ユニオンたんぽぽなどに呼びかけ、見出しの集会が約50名参加する中で行なわれ、三木県本部委員長も駆けつけて連帯と激励のあいさつに立った。
 シャープ福山工場にて、契約途中で派遣労働者が突然解雇され「福山シャープ関連労働組合」を結成して立ち上がっている若い労働者も参加して、労働者の生きる権利を守るため、今こそ力を合わせて「解雇撤回 ! 労働者派遣法抜本改正 !」の声を上げ、JR不採用事件の早期解決 ! 1047名の解雇撤回とともに声を上げて行こうと福山駅を行きかう通勤帰りの人々にかじかんだ手にハンドマイクを握り訴え、各組合旗や党旗が寒風にはためく中、集会を閉じました。

<>2009/04/16 451<>0<>3月 因島総支部は今<>因島総支部は今
 新社会党因島総支部は、1996年4月20日に結党、13年目をむかえました。旧社会党時代からの仲間も含め、党員・党友さらに協力支持者12名です。
 尾道市との合併により、新社会党尾道総支部に組織編入。その際に、新社会党因島「青鳩会」として名称を変更をし、役員も新たにスタートしました。
 「まずは集まろう」を合い言葉に、則藤了代表(高退教)のもと、毎月定例会を開いています。党費の徴収、執行委員会報告、みんなの近況報告や厳しい職場の現状、国政や姿勢についての学習や意見交換など、いつも話しは尽きません。
 幾多の選挙をたたかい、いろんな試練を乗り越えて来ただけに仲間意識も強く、「人を大事にする」ということが私たちの自慢です。「反差別、反戦、平和」を共通課題とし、三原市議選など当面する地方自治体選挙に勝利すべくできる限りの支援体制に取り組みます。
(時本千恵美)

<>2009/04/16 450<>0<>3月 声 「シラバスは止めろ!」<> 東広島総支部 鳴尾善彦
 県立高校の非常勤講師をしていて、現場でこれほど無意味な取り組みはないと思えるものがある。それはシラバスという年間授業計画のことである。各教科で春休み中に作成し、全教科を冊子にまとめ、新学期に全生徒を通じて保護者に配布する。冊子は数十頁におよぶ。シラバスの作成は県教委が義務づけている。中身は学習指導要領にもとづいて作られた教科書を一年を通じてどう教えるかということであり、教師用指導書を要約して書けばよいことだろう。とは言えかなり時間を要する。しかも大量の紙が使われる。それにどれだけの保護者が読むというのか。結局、教育統制が権力の狙いであろう。
 保護者にお願いしたい。PTAの会合に出席して、シラバスは止めろ、と声を上げてほしい。教職員は元気づけられることになるし、こうした無駄がなくなれば、子どもたちに向き合う時間が確保されることになろう。

<>2009/04/16 449<>0<>3月 第56回チェ・ゲバラ、更なる革命へ<>社会主義の歩みと将来への展望ー個人の尊厳と自律的連帯を求めて
第56回チェ・ゲバラ、更なる革命へ
広島大学名誉教授 北西 允

 カストロの盟友となってキューバ革命を成功させたチェ・ゲバラは、1962年の「キューバ危機」後、工業相という政府の要職を捨てて更なるゲリラ闘争に身を投じていく。それは、彼にとってソ連の核ミサイル持ち込みに端を発した「キューバ危機」を巡る、ソ連の頭越し対米外交(これについて毛沢東は、フルシチョフを冒険主義と日和見主義の二重の誤りを犯したと激しく弾劾した)に嫌気がさしたからであり、それにも増してアルゼンチン人である彼には、キューバ革命はあくまで一つの通過点であり、
「世界革命」が最終目的だったからである。
 カストロも、ソ連に対する不信感をある程度共有したものの、現実主義者の彼は、「キューバ危機」後もソ連の援助を不可欠と見、ソ連との友好関係維持に努めた。これに対し理想主義者のゲバラは、1965年、妻子を残し「別れの手紙」をカストロに託してキューバを後にした。最初に向かったのはアフリカのコンゴであった。当時コンゴは、ベルギーの植民地から離脱したばかりで、政治的にも経済的にも混沌の最中にあった。ゲバラは反政府ゲリラ闘争の指導に当たったが、兵士等の士気の低さに絶望し、
わずか1年で密かにキューバに舞い戻ってくる。
 しかし彼は、再び何人かの部下と共に程なくキューバを離れ、南米の中央部に位置する最貧国ボリビアに潜入した。彼は、ボリビア共産党第一書記のMモンヘと連絡をとったものの合意を得るに至らず、山中を移動しながら孤軍奮闘したが、キューバ革命の場合と違って殆ど住民の支持を得ることができなかった。
 米CIAは、ゲバラの動静を周到に追跡しながら、ボリビア政府軍を指導して次第にゲバラを追い詰めていった。そして遂に1967年10月9日、彼は政府軍に捕らえられ、裁判にかけられることもなく銃殺された。享年39歳であった。
 ところでゲバラは、革命キューバ政府の要職にあった間、国連をはじめ各種の国際会議に出席し、世界の諸国を訪問している、1959年、日本を訪ねた時大阪の宿を抜け出し夜行列車に乗って広島に来ている。ゲバラは、平和記念公園の慰霊碑に献花した際、案内人に「日本はアメリカにこれほど酷いことをされなが,未だアメリカの言いなりになっているのはなぜか」と問いただしたと言われる。
1 9 6 0 年代末、「大学闘争」が盛んだった頃、ゲバラは学生間でカリスマ的存在と崇められていたし、今なお彼は、そのカッコいい風貌とも相俟って、人民をこよなく愛する無欲で誠実な革命家の模範として広範な信奉者を集めている。確かに彼は、革命政権の中枢にあった時も、しばしば労働者や農民の間に入って汗を流して働いたし、多く社会主義革命家が政権の奪取後は、権力亡者として傲慢に振る舞った事実を知る者には、権力の座に安住することなく、更なる革命へと乗り出していった彼こそ、真に人民に奉仕する革命家の典型だと讃えられるのも、うべなる哉で
ある。<>2009/04/16 448<>0<>3月 時言 「今求められる課題意識」<>時言 「今求められる課題意識」
 先日「○○が若い頃からの夢で、今だにそれを追い続けている」と聞いて、「久しぶりだなあ」と感激を覚えた。あるいは又「若者が課題意識をもたなくなった。海外への関心を喪失している」との識者の指摘をたびたび聞く。「このままでどうにかなる」という、その場しのぎ、 あるいは内向きの狭隘な考え方の中に閉塞していることの反映であろう▽この傾向は政治家に顕著だが、それは選んだ国民意識の反映なのでもあろう。しかし、これをもって「江戸時代よりの日本人の精神構造」とする論があるが、果たして科学的か▽戦後一貫して、就中全共闘運動封殺後、さらには冷戦解体後資本の側は、人々の夢を喰う「貘」として機能した。とりわけ産学一体化政策で教育は産業に従属させられていったのである。教育等の中で夢・理想・課題意識をもつことを危険視しそれを封殺する。そうすることが、自らの支配的地位の確保を保障するとの資本の側の認識と戦略が貫徹されていく▽グローバル化は避けて通れない」とする右翼デマゴギーの扇動の中、国民の賃金・労働条件を「地球規模の標準」に引き下げる政財のグローバル化攻撃に、「やむなし」と受け入れ、内向きに萎縮するのも課題意識を奪われているからである▽「私たちにとって本当の意味でのグローバル化とは何か。社会は、自分の生き方はどう変えていくのか。国境は自分にどのように作用しているのか」等々深く考え、課題意識を回復しなくてはならない。オバマを選んだのは、米国の課題意識そのものなのである。
(安保英賢)
<>2009/04/16 447<>447.jpg<>3月 <>衆議院総選挙について
 09年度予算案が成立しました。しかし麻生内閣は、自民党内からも厳しい批判があるなか居座りつづけています。ここに来て、中川財務大臣の辞任や、小沢民主党代表の秘書逮捕で、またまた選挙近しの状況になっていますが、私たちはこうした状況に惑わされず、引き続き選挙準備を整えています。
 原和美(中央本部副委員長)予定候補者は、「何を言っても委員会」へのTV出演で、一部からメールによる批判・攻撃を受けていますが、多くの市民からの励ましの声を受けて元気をもらっています。1月31日には、比例近畿ブロックでの予定候補者である社民党の服部良一さんと共に決意を表明しています。この新春の集いには、栗原委員長はもちろん、社民党
近畿ブロック委員長の隅田康男さん、京都大学名誉教授の本山美彦さんが応援に駆けつけています。
 すでに広島では、広島第一選挙区・中国ブロック選挙区において社民党との選挙協定を結び、来るべき選挙に備えています。
<>2009/04/16 446<>0<>3月 三原市議選決起集会<>三原市議選決起集会(2月17日)
 三原市人権センターにおいて、4月に予定されている
三原市議選への立候補予定者七川義明さん・政平智春さんを激励する総決起集会が開催されました。集会では、呉市会議員の得田正明さんが、始めて選挙に臨んだ時のこと、そして広域になった昨年の選挙のことを振り返り、貴重な体験を報告して予定候補者を励ました。
二人は、これに応えて選挙戦への決意を延べ、全員の団結ガンバロウで閉会した。
<>2009/04/16 445<>445.jpg<>3月 石原あきら後援会事務所開き<>石原あきら後援会事務所開き
2月15日(日)午前10時より、4月を思わすほどの暖かい天候に恵まれ、廿日市市阿品台北団地の公園にて石原あきら後援会事務所開きが県本部執行委員、議員団、支援組織、地元町内会約230名の参加者に囲まれる中行なわれました。
まず地元後援会長のあいさつに続き、激励にかけつけた元廿日市市長の山下さん、元衆議院議員の小森龍邦さん、三木郁子県本部委員長、石原さんの出身組織、推薦組織とあいさつが続き、最後に新社会党公認候補として4期目へ挑戦する石原あきらさんが力強く決意をのべ、団結がんばろうで閉められました。
<>2009/04/16 444<>444.jpg<>3月 中村修司候補事務所びらき<>中村修司候補事務所びらき

 2月15日11時から中村修司候補の事務所びらきが行なわれた。大崎上島町内外の多数の支援者が参加され、県本部の齋尾書記長が激励のあいさつの後、各議員の紹介をした。
 大崎上島町は定員14名に対し、15〜16名の立候補予定者で少数激戦区。中村修司候補は、決意表明で島特有の課題として船の便、人口減と高齢者福祉、子どもたちの教育問題、さらに雇用問題等々の課題を力強く訴えた。必勝を期し、呉市議会議員、得田正明さんが団結がんばろうで締めくくった。
<>2009/04/16 443<>0<>3月 がんばってます<>がんばってます
 呉市議会議員 得田正明
 自治体議員といえども、今回のサブぷらいむやリーマンショックによって、世界同時不況や株価の下落、そして円高等、地方の隅々まで申告な影響を及ぼすことが、実感として認識できた。
 消費や需要が急激に冷え込み、自動車・電器等、大手製造業を中心とする大量の労働者、とりわけ派遣社員等の非正規雇用者の派遣切りや雇い止めは、まるで不用な道具を破棄するかの如き不条理だ。正月を前にして仕事を奪われ、住居を追い出され、路上か公園にしか居住できない非道さに強い怒りを覚えた。
 地方議会においても、離職者の相談窓口の開設をはじめ、住まい、生活資金、就労対策等々、一早く講じた。
 構造改革や規制緩和等、経済至上主義や市場原理主義など、新自由主義がもたらした資本主義経済の暴走だ。
 自治体としての雇用対策を今こそ創造すべきだ。不法投棄のパトロールや、竹林の伐採、職業訓練や履修の創設、福祉・介護・農林水産等、担い手不足が目立つ分野への人材育成をベースにした就労支援策を研究したい。さらには、安心が実感できるセーフティーネットの再構築、中小零細企業の低金利の融資制度等々、雇用を守るために、党の仲間と英智を結集したい。
<>2009/04/16 442<>0<>3月 翼<>翼
海賊対策のため、ソマリア沖への海上自衛隊呉基地からの派遣が決まった。新たなる自衛隊の海外派兵であり、自衛隊法に違反し、憲法違反に当たるものであると私たちは考える。▲ソマリアとはアフリカの東岸で、アフリカの角と呼ばれている国である。この国の北部アデン湾海域において、さらにインド洋側においても‘05年以降海賊が多発するようになった。▲言うまでもなく海賊行為は許されない。しかし、ソマリアの長い内戦が海賊行為の背景になっていることを忘れてはならない。氏族間の対立に伴う経済格差拡大、それに尾を引く国家の分裂的状況、米軍や国連のPKOによる介入等も安定化に寄与しないまま混乱が続いている。こうした背景を考えないまま自衛隊が派遣される。▲かつてマラッカ海峡における海賊対策では、現地当局と連携して海上保安庁が大きな役割を果たしたと言われている。今回も、近隣諸国のオマーンやイエメンなどが自主的に安全を確保するために様々な支援を求めていると伝えられている。「他国が軍隊を派遣している」という理由には、自衛隊の海外派兵を恒常化しようとする意図が読み取れ、大変危険であると言わざるを得ない。
<>2009/04/16 441<>0<>3月 派遣問題で申し入れ(12月22日・24日)<>派遣問題で申し入れ(12月22日・24日)
 昨年12月22日、三木委員長・安保副委員長・松村財政局長と共に、厚生労働省広島労働局長に対して、派遣切り問題について要請を行った(要請文書については各総支部に送付)。
 具体的には労働者派遣法廃止とセイフティーネットの確立を要請した。これに対して当局は、当初の思いとは違った方向へ向かってきたので労働者派遣法は改める必要があるという認識を持っていることがわかった。また、当面ハローワークの機能充実や雇用促進住宅へ入居に取り組んでいることもわかった。
 この後、広島市の市民活動推進課へ、さらに24日には広島県の商工労働局へも同様の申し入れを行った。三者とも、対応策を検討している上に要望を組み入れるように努力したい、という前向きの解答であった。
 年が明けて1月6日、連合広島の旗開きの席上、落合淳一広島労働局長が「派遣法は間違いであった」という挨拶をしたということが報道されたことは周知の事実である。
 なおこの問題については、1月30日に中央本部が、栗原君子委員長をはじめ、地区労・ユニオン関係者らと共に厚生労働省への申し入れを行っている。

<>2009/04/16 440<>0<>3月 地方自治体選挙 全県集中方式で勝利しよう<>地方自治体選挙
 全県集中方式で勝利しよう
新社会党広島県本部 副委員長 高橋晋作
 大崎上島町議選・中村修司さん(推薦)三月二十二日投票。廿日市市議選・石原あきらさん(公認)三月二十九日投票。三原市議選、七川義明さん(推薦)、政平智春さん(推薦)四月十二日投票。の各候補の選挙が行われます。町村合併が進んで現在では新社会党公認、推薦の地方議員の数もたいへん少なくなりました。何としても公認、推薦の各候補の当選を果さなければなりません。結党時の頃の選挙の取り組みを際限して各選挙に勝利しましょう。
 全県集中方式です。全県の党員・党友・支持者が全県の親戚、友人、知人、教え子等々を紹介していく取り組みです。自分の住んでいる選挙区だけでなく選挙が行われる各地に親戚がいないか、友人・知人はいないか等々、思い起こしてください。年賀状も出してみて下さい。この一つ一つの取り組みが勝利に結びつきます。がんばりましょう。
<>2009/04/16 439<>0<>2月 新社会党広島この一ヶ月の動き<>12月25日(木)中央本部との話し合い(神戸)
1月10日(土)部落解放同盟県連荊冠旗開き(福山人権交流セン
     ター)、福山市現労2009旗開き(福山みやび)、     広教組を強くする会(三原福祉会館)
11日(日)朝鮮総聯新年会(広島ガーデンパレス)
14日(水) 2009国際女性デー広島県集会第2 回実行委員会
(広島まちづくり市民交流プラザ)
16日(金)三原地区合同旗開き(三原福祉会館)
17日(土)「決意をあらたに!」決起集会、2 0 0 9 団結旗  開き(ホテルチューリッヒ東方2001)
18日(日)部落解放同盟南部地区協議会旗開き(竹原人権センタ  ー)、全港湾労組関西地方中国支部旗開き
22日(木) 労働者派遣法の廃止、派遣会社への行政指導などについ  て厚生労働省広島労働局および広島市当局へ要請
    「原爆被爆者の会」代表者会議(メルパルク広島)
23日(金)中央執行委員会(〜 24日)
24日(土)労働者派遣法の廃止、派遣会社への行政指導などにつ     いて広島県商工労働部へ要請中央本部2009旗開き
25日(日)部落解放同盟青年部第41回定期大会(三原人権センタ     ー)
27日(火)原水禁理事総会・学習会(自治労会館)<>2009/02/23 438<>0<>2月 声 つながること<>声

つながること
神石総支部森山郁夫
「一人ひとりが声を上げ、場所を作り、それによって仲間を増やし、守られる空間を作り、一人じゃないことを確認し、・・・
弱さの自覚の上に、強い絆を作る。それが私たちの運動」だ。
これは、2008 年10月19日の「反貧困“世直しイッキ“大集会」集会宣言の一節である。
2008年8月、倒産企業の負債総額は2720億を超え、2007年12月から特に悪化していた県内企業の業況判断が、2008年9月には中小の製造企業でマイナス20%台と著しく低迷。それまで4年間にわたり1倍以上であった有効求人倍率はこれを下回った。こうした社会のあり方に異議を唱え、生存権を守るため、経済土台から現象の本質をとらえ、与楽抜苦の精神基調をもって、さまざまな機関や福祉事業団体などとつながっていくことがますます大切だと痛感している。
自分にできる運動を追求しつづけたい。<>2009/02/23 437<>0<>2月 総支部は今−呉・安芸総支部<>総支部は今−呉・安芸総支部
 結成以来13年を迎えた。ここ数年来、執行委員会の定例化をはじめ、年間を通しての人権・平和連続講座(4回)や春の交流会、共闘組織との講演会など、恒例になった感がある。
 この間、反動勢力の横暴によって、連帯する組織の量的な縮小はあったが、質的には後退していないと実感している。
 むしろ、直面する危機的状況を踏まえ、内なる弱点や欠陥は何かの分析や課題克服のための方策は何か、主体の強化をどう図るかなど、組織内において、議論を深めた経緯がある。明らかになったことは、今自分自身がどのような時代、状況の中に生きているのかということや、社会変革をめざすために自己は何を成すべきかなど、社会的立場の自覚的認識を深めなくてはならないということだ。
 さらには、そのための学習・研修を積み重ねるということ。政治にしても経済にしても、権力の、搾取・収奪・分裂支配の絡繰りを鋭く見抜き、その不合理、矛盾を論理的に明らかにし、怒りをもって警鐘を鳴らすこと。
 総支部に結集する仲間、80才前後の執行委員もいる。いつも笑顔で出席される姿に、若い?我々は大いに見習うべきだし、集まるということが、仲間にとって最大のエネルギーとなる。       (得田正明)
<>2009/02/23 436<>0<>2月 時言 嘗(な)められてたまるか!<>時言 嘗(な)められてたまるか!
 今次の定額給付金、政策としては大多数の国民は反対しているが、「呉れるといなら貰う」と言っているとの、アンケート結果に依拠しての強行という。しかしその実は、一人一万二千円という、酒一升と比べものにならない大盤振舞で、一票を買えないはずはないという本音が透けている。嘗められたものである▽「例え反対があろうとやり切る」とし、「支持率なんか5%あればいい」と豪語する首相だが、民意を無視しての強行がいかに甚大な被害をもたらすかは、小泉イラク派兵で一目瞭然となったばかりなのに、である▽民意からの距離で政権の民主主義度(?)を計るということができる、というなら選挙を経ずに政権に就いた安倍・福田もさることながら、麻生政権は非民主の極みである▽なぜこのような非民主的な政治が、主権者が敵の思想にやられている、あるいは主体確率を阻む政治・社会システムが温存助長され続けているからである。例えば男性の育児休業は制度的に保障されていても行使は限りなくゼロに近い。子ども・家庭を犠牲にしても会社に尽くす、滅私奉公こそが出世の道であり、ジェンダーフリーは否定され、正規・非正規にみる雇用形態の細分化に象徴的なように、政治・経済・社会は差別を利用して作動させられ収奪され続けているのである▽支配の基本戦略「差別を温存し自立を阻む」 に抗して、自立した主権者として定額給付金に対し「嘗めやがって」と主体的怒りで対応したいものである。                     (安保英賢)<>2009/02/23 435<>0<>2月第55回チリの社会主義政権と9.11事件<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自律的連帯を求めて
第55回チリの社会主義政権と9.11事件
広島大学名誉教授 北西允

9.11事件と言えば、われわれの殆どは、2001年9月11目にアメリカ合衆国で起きた同時多発テロを想起するだろう.しかしラテン・アメリカでは、それよりも米国政府にパックアップされたピノチェト将軍らが、平和的・民主的に成立したサルバドール・アジェンデ(1908〜1973)の社会主義政権を、軍事クーデターによって転覆させた1973年9月11目の事件を指すことの方が多い。
 チリでは1938年と1942年に、急進党、社会党、共産党と労働組合を結集した人民戦線政府が樹立されている。だが、内部の確執によって後に社会党が離脱し、1946年には残った急進党と共産党の同盟による政権が成立したが、やがて両党の関係は非妥協的な対立に発展し、1948年に共産党は非合法化されるに至った。
 1956年、非合法下の共産党は、社会党その他の左翼諸党派と組んで新たに人民行動戦線FRAPを結成した。FRAPは1958年の共産党の合法化に伴い、同年の大統領選挙に社会党のアジェンデを候補者に擁立するも惜敗。アジェンデは、続く1964年の大統領選にも再度FRAPを基盤に立候補し、得票率を大きく伸ばしたものの、保守・中道政党が推すキリスト教民主党のA.フレイに敗れた。
 ところが1969年、キリスト教民主党左派の離党、急進党の左傾化などによって、FRAPはより広範な政党連合=人民連合UPに発展的解消を遂げた。アジェンデは、UPに推されて三たび大統領選に立候補し、首位を勝ち得たものの過半数には達しなかった。こうした場合、当時の憲法の規定では、票決は議会の決選投票に委ねられることになっていた。
 アメリカのニクソン政権は、キューバに続く反米政権の樹立に危機感を募らせ、シュナイダー陸軍総司令官にクーデターを持ちかけたが拒否された。彼は決選投票直前に暗殺されることになるが、この暗殺事件が、かえって各党の結束を促しキリスト教民主党さえUPに同調したため、アジェンデが大統領に選任された。
 アジェンデ政権は、主要産業である銅鉱山をはじめ企業の国有化政策を推進し、社会保障の充実を図り、キューバやソ連との友好関係を促進した。これに対しニクソン政権は、手持ちの銅を大量に放出して国際価格を下落させ、企業家に反致府ストを働きかけ、西側諸国を誘って経済封鎖を断行した。チリ経済は苦境に追い込まれたが、人民のアジェンデ政権支持は、さほど揺るがなかった。キッシンジャー国務長官(ノーベル平和賞受賞者)の意向を受けたCIAは、キリスト教民主党を反アジェンデに転向させ、そして遂に陸軍総司令官・ピノチェトを唆して、1973年9月11日にクーデターを決行させたのであった。
 アジェンデは降伏を拒み、燃えさかるモネタ宮殿にとどまり、ラジオを通じて呼ぴかけた。「彼らは我々を武力で屈服させるだろう。だが、犯罪によっても暴力によっても社会の進歩を止あることはできない。歴史は我々のものであり、人民がつくるのだ。チリ万歳、人民万歳、労働者万歳!」と。アジェンデは、自ら銃を取って応戦し壮絶な最期を遂げた。

 ピノチェト独裁政権の指導理念となった新自由主義の開祖・シカゴ学派のM.フリードマン(ノーベル経済学賞受賞者)は、その報を聞いて歓呼の声を上げ、後に民社党委員長になる大内啓伍は、チリを訪ねピノチェトに会ってクーデターの成功を祝福したという。
<>2009/02/23 434<>0<>2月必勝!自治体選挙<>必勝!自治体選挙
大崎上島町議会議員選挙3月17日告示、3月22日投開票

なかむら修司
5期目(新社会党推薦)、
1954年生まれ 54才
定数14人

<プロフィール> 1977年専修大学卒
業、大崎町役場勤務、
1983年大崎町役場を退職、漁業に従事
1991年大崎町議会議員初当選
2008年大崎上島町議会議員(通算4
期目)、総務福祉文教常任委員長、大崎内浦
漁業協同組合専務理事、部落解放同盟大崎上
島町協議長
<決意> 憲法を護り、部落解放に向け共に
闘う地域の仲間としっかり連帯し、離島の町
の革新の議席を守るため、全力で頑張ります。<>2009/02/23 433<>0<>2月がんばってます 三原市議会議員 七川義明<>がんばってます 
三原市議会議員
七川義明
 2009年2月5日早朝8時30分、後援会活動開始、毎日多くの方々と会い、会話を交わしながら今日の国政、市政についての想いや願いを聞き、一日の行動を終わり、思いをめぐらせて観るとき、三原市は一市三町による合併から4年が経過し、4月12日投票に向け市議会選挙の準備の真最中であり、連日全力投球を続けているところです。合併したことの評価はまだ明確には出来にくいところでありますが、長期にわたる経済活動の混迷による世相は国政への不満・不安の声が一段と多くなり、この先はどのようになるのか、暮らしは少しでもよくなるのか、良くなるようにできないか。子育てに不安を感じる、年を重ねると益々不安になる、年金が少ない生活が厳しい等、現在の生活の厳しさと将来の不安を聞く度に、議員となり22年間最も厳しい社会環境にあると実感するところです。社会全般的に大競争主義が生み出す弊害は、人間社会としてのつながりの希薄さ身近な人を対象に対立的に評価する隣人間のありよう。子どもの生活は学校と塾で終わる毎日。他と関わりをさける隣人と会話をさける新時代人の多さ。国政が重大な課題であることには替わりないが、変革を求めるには人と人のありよう、社会づくり共生社会づくりを進める地域住民間の生活のありようが、課題であり、社会変革は地域から。平和・人権・民主主義の課題を見据え、自分の出来ることは身近な地域から変えてくべき取り組みがと、選挙の取り組みを通して想いを強くしているところです。
 「物・心共に豊かな地域」づくりをめざし、今後一層頑張ります。
<>2009/02/23 432<>432.jpg<>2月「決意を新たに! 決起集会」・団結「旗びらき」開催<>「決意を新たに! 決起集会」・団結「旗びらき」開催
   広島県本部は「決意を新たに! 決起集会」・団結「旗びらき」開催
   広島県本部は、約70名の党員、党友の参加のもと1月17日(土)
1 0時から広島市内の「ホテルチューリッヒ東方2001」で団結「旗びらき」の前段に「決意新たに!」と表して決起集会を開きました。
 三木郁子県本部委員長のあいさつに続き、斎尾書記長より経過説明があり、3総支部、議員団からの決意表明があり、小森顧問からの集会のまとめがあり、、決議文の採択をし決起集会を閉じました。
 思い起こせば13年前、1996年3月3日の全国結党大会に先駆けて同年2月25日に広島県本部は、広島平和公園内にある国際会議場
において「―いま、はばたく護憲の党―新社会党広島県本部結成大会」を開催しましたが、そのスタートは熱気と希望に満ち溢れたものでした。
 当時、党員数も全国トップを誇っており、さまざまな集会、学習会など大規模に企画もされましたし、県内の組織拡大の勢いは凄まじいほどに進行していきました。その勢いで、3月3日の全国結党大会へ広島から相当数参加し「歴史的な大会に遭遇し、21世紀に向かう平和な新しい民主主義社会建設のためにお互いがんばろう!」と感動深く心に誓ったものでした。
 しかしながら、結党当初の5名の国会議員の議席を失い、政党要件も無くし、結党時から13周年を迎えようとしている今日、党員も激減し、県内総支部・支部も開店休業状況にまで陥っている所もあり、日常活動や党活動も衰退への途をたどる事となり、財政的にも窮地に立たされるに至り、「どうにかしなければ」とここ数年の間組織再生強化に向けての協議や議論を重ねて来ました。
 もちろん組織弱体化の背景に、小選挙区比例代表並立制という悪選挙制度や、90年代半ば以降グローバル化への対応としての新自由主義的な収奪強化策、すなわち社会主義的なものあるいは労働者の願い、例えば平等の実現等の価値を一方的に封殺していく。その現象化としての新社会党の排除あるいはヒロシマへの教育攻撃や解放運動への凄まじい攻撃があったことや、自治体合併に伴う議員定数の激減により、いわゆる革新議席が確保し難くなったこと等々の要因を考えてみることができますが、要はやはり党員一人一人の主体の鍛え方が弱かったのではないのかと言う反省に立っているところです。
 党員自らが主体的に日々の活動に関わることをお座なりにし、党員として当然納入するべき党費も怠るという体たらく。さらには「党は、党費やカンパばかり要請してくる。党員になっていても意味がない。」として、多くの党員が去っていったその要因もお互い戒め、反省していかなくてはなりません。
 以上のような状況を何とか打破していくためには、今「何が起きているのか。」をしっかり見極め、そこから「自らのとるべき態度と行動を自覚する。」との取り組みを各地域で展開していくことこそ再生への道と見定め、その方向を党員総体で合意し踏み出していく。その第一歩として、企画されたのが、今回の「決意を新たに! 決起集会」でした。
 まず、この集会に向けて文集づくりを計画し、結党当初から関っておられる人たちを中心に「新社会党によせる思い」を寄せていただくこととしました。なぜ今、決起集会を開催するのか、いやしなければならないのかとの「呼びかけ文」をつけて原稿を依頼し、小冊子ですが当日参加者に配付することもできました。
 「なぜ今、決起集会なのか」についての意思疎通にも時間がかかりましたが、結果的にそれらのやり取りを通じてお互いの思いも繋がって行くことにもなりましたし、県内各総支部、支部もこの決起集会へ向けた事前取り組みとして来た組織拡大へ向けて、もう一度自分たちの周りに声かけをしてみようとの動きとなり、当日は「勇気を出して、去って行った仲間にもう一度、声をかけたら戻ってくれた。天にも昇るくらいうれしかった。」などの報告もあり、久しぶりに元気の出る集会となりました。
 引き続いて来賓より連帯のあいさつを受け、団結「旗びらき」の一部・二部と移り、今春の自治体選挙の予定候補者である大崎上島町議選中村修司さん、廿日市市議選石原 顕さん、三原市議選七川義明さんと政平智春さんの決意表明に続き、県内総支部・支部の交流と懇親を深め、やる気と元気の出る新年のスタートをきる事ができました。
、約70名の党員、党友の参加のもと1月17日(土)
1 0時から広島市内の「ホテルチューリッヒ東方2001」で団結「旗びらき」の前段に「決意新たに!」と表して決起集会を開きました。
 三木郁子県本部委員長のあいさつに続き、斎尾書記長より経過説明があり、3総支部、議員団からの決意表明があり、小森顧問からの集会のまとめがあり、、決議文の採択をし決起集会を閉じました。
 思い起こせば13年前、1996年3月3日の全国結党大会に先駆けて同年2月25日に広島県本部は、広島平和公園内にある国際会議場
において「―いま、はばたく護憲の党―新社会党広島県本部結成大会」を開催しましたが、そのスタートは熱気と希望に満ち溢れたものでした。
 当時、党員数も全国トップを誇っており、さまざまな集会、学習会など大規模に企画もされましたし、県内の組織拡大の勢いは凄まじいほどに進行していきました。その勢いで、3月3日の全国結党大会へ広島から相当数参加し「歴史的な大会に遭遇し、21世紀に向かう平和な新しい民主主義社会建設のためにお互いがんばろう!」と感動深く心に誓ったものでした。
 しかしながら、結党当初の5名の国会議員の議席を失い、政党要件も無くし、結党時から13周年を迎えようとしている今日、党員も激減し、県内総支部・支部も開店休業状況にまで陥っている所もあり、日常活動や党活動も衰退への途をたどる事となり、財政的にも窮地に立たされるに至り、「どうにかしなければ」とここ数年の間組織再生強化に向けての協議や議論を重ねて来ました。
 もちろん組織弱体化の背景に、小選挙区比例代表並立制という悪選挙制度や、90年代半ば以降グローバル化への対応としての新自由主義的な収奪強化策、すなわち社会主義的なものあるいは労働者の願い、例えば平等の実現等の価値を一方的に封殺していく。その現象化としての新社会党の排除あるいはヒロシマへの教育攻撃や解放運動への凄まじい攻撃があったことや、自治体合併に伴う議員定数の激減により、いわゆる革新議席が確保し難くなったこと等々の要因を考えてみることができますが、要はやはり党員一人一人の主体の鍛え方が弱かったのではないのかと言う反省に立っているところです。
 党員自らが主体的に日々の活動に関わることをお座なりにし、党員として当然納入するべき党費も怠るという体たらく。さらには「党は、党費やカンパばかり要請してくる。党員になっていても意味がない。」として、多くの党員が去っていったその要因もお互い戒め、反省していかなくてはなりません。
 以上のような状況を何とか打破していくためには、今「何が起きているのか。」をしっかり見極め、そこから「自らのとるべき態度と行動を自覚する。」との取り組みを各地域で展開していくことこそ再生への道と見定め、その方向を党員総体で合意し踏み出していく。その第一歩として、企画されたのが、今回の「決意を新たに! 決起集会」でした。
 まず、この集会に向けて文集づくりを計画し、結党当初から関っておられる人たちを中心に「新社会党によせる思い」を寄せていただくこととしました。なぜ今、決起集会を開催するのか、いやしなければならないのかとの「呼びかけ文」をつけて原稿を依頼し、小冊子ですが当日参加者に配付することもできました。
 「なぜ今、決起集会なのか」についての意思疎通にも時間がかかりましたが、結果的にそれらのやり取りを通じてお互いの思いも繋がって行くことにもなりましたし、県内各総支部、支部もこの決起集会へ向けた事前取り組みとして来た組織拡大へ向けて、もう一度自分たちの周りに声かけをしてみようとの動きとなり、当日は「勇気を出して、去って行った仲間にもう一度、声をかけたら戻ってくれた。天にも昇るくらいうれしかった。」などの報告もあり、久しぶりに元気の出る集会となりました。
 引き続いて来賓より連帯のあいさつを受け、団結「旗びらき」の一部・二部と移り、今春の自治体選挙の予定候補者である大崎上島町議選中村修司さん、廿日市市議選石原 顕さん、三原市議選七川義明さんと政平智春さんの決意表明に続き、県内総支部・支部の交流と懇親を深め、やる気と元気の出る新年のスタートをきる事ができました。
<>2009/02/23 431<>431.jpg<>1月 新年のごあいさつ<>新社会党広島県本部
 委員長 三木郁子
  新年のごあいさつ
 新年明けましておめでとうございます。
 昨年9月には、安倍総理に引き続きの1年足らずの福田総理の突然の辞任劇、麻生総理へと代わり解散総選挙かと思いきや自公政権への国民の支持率も下がりっぱなしで、それも出来ない所へアメリカ発の金融破綻の影響を即座に受けた国内企業は、派遣労働者など非正規雇用にある労働者を大量に放り出すということをやってのけました。
 アメリカの金融支配力の崩壊であり、ひいては新自由主義の行き着く果てでもあります。アメリカ追従で来た我が国は規制緩和をせまられ、市場原理主義に走らされ、特に大企業にとっての安価な労働力として労働者派遣法の延長をも許した結果でもあります。
 広島県も自動車関連企業とその下請け関連企業は多く、私たちの
身のまわりに安易な派遣切れに追い込まれた多くの働く人々が出ているという極めて深刻な事態の年明けとなりましたが、このような流れに反撃しつつ社会変革に向かって前進しようではありませんか。
 本年もどうかよろしくお願い申し上げます。<>2009/01/14 430<>0<>1月 】第21回中央委員会が開催されました<>第21回中央委員会が開催されました。
アメリカのサブプライムローンの破綻を契機とする金融危機を受け、 うろたえるばかりで無策の政府、派遣切りに走る大企業の姿。
まさに、市場経済の崩壊、マネー資本主義の崩壊が始まってい
ますが、こうした中、12月6日に第21回中央委員会が開催され ました。この危機は、「社会的弱者を襲い、平和と民主主義 の危機がますます進行する。」との共通認識のもと、国民の怒りを
結集して衆議院選挙を戦う必要があります。しかるに、支持率の上 がらない麻生政権は選挙を先延ばしにしたままになっています。
委員会では、社民党との選挙協定も含めて、原和美選挙に関わる 各地の状況が報告されました。そして、年明けもしくは年度末にも 予定される衆議院総選挙に向けて、一旦は休止するも、引き続き カンパ・支援行動について態勢を維持していこうと確認しました。
 また、財政状況の厳しい新社会党として、全国の各総支部・支部 において党員の拡大運動に取り組むこと、週間新社購読者拡大に取り組むことを確認しました。
 詳しくは週間新社にゆずります。<>2009/01/14 429<>0<>1月 】 翼<>翼
新しい年が明けた。しかし、今年ほど経済状況の悪い年明けはない。米国発のサブプライムローン問題に始まる世界金融危機は、国内にも多大な影響をもたらした。円高による輸出の激減により、世界的企業であるトヨタ・キヤノンなどが企業防衛のためにリストラに走り、多くの非正規労働者・期間労働者首切りの嵐が吹き荒れた。▲自公政権下で企業は、法人税の大幅な低減に加え、製造業への派遣労働者容認等により巨額な利益を上げてきていたことが公表された。しかるに今次危機に際しては、蓄積された利潤はそのままにし、労働者の首切りで対応しようとする。そのやりかたを自公政権は容認し、何の有効な手も打たない。▲「派遣切り」の波は正規労働者にも波及しかねない。実際、このような状況の中にあっても、法人税を下げないと企業は海外に出て行くとか、製造業への労働者派遣制度は正しい等と論ずる政治家や学者がいる。そして彼らは、正規労働者の賃金が高すぎることが「派遣切り」を起こしているとも主張する。よくもそこまで言うものだ。▲法人税が84年の43%から99年には30%に下げられていること、03年以降労働分配率がしっかり抑えられている現実があることを知っておきたい。<>2009/01/14 428<>0<>1月 】がんばってます120 西本 章<>がんばってます120
福山市議会議員
西本 章
全世界に波及したアメリカ発の100年に一度と言われる金融危機は、日本においても雇用不安などさまざまな面で影響が出ている。政府としてそれなりの対応をすべきだ。
 しかし、現実的には自公政権も、民主党も、自己保身の為の主張をするだけで何ら、現実的な対応をしなかった昨年。
もし、この状態が今年になっても続くとすれば、苦しむのは国民で、彼らは選挙の事だけしか考えていないと言える。1月の通常国会の中では当然新しい動きが出て来るであろうし、そうでなければ彼らの存在意義そのものが無くなるのであろう。
市民連合は、昨年12月の定例議会で、『景気・雇用に対する市民不安に対応するため』市民からの専門相談窓口の設置、弁護士・関係機関との連携強化などのために、そして何よりも国や県の動向に注視しながら、今月中にも臨時議会を開き、緊急的な予算対応をするように主張した。そうした中、福山市は昨年末に『福山市緊急経済・雇用対策本部』を立ち上げ、当面する課題について具体的な対応を進めつつある。
また、国民健康保険について、保険税滞納世帯の医療保障の観点から、18歳以下の子どもについてはいつでも病院に掛かれるよう制度の改正を行った。
今、セ−フティ−ネットの確立と、一人ひとりの市民に寄り添う、暖かい行政が求められている。<>2009/01/14 427<>0<>1月 】三原市議会議員選挙 七川義明<>必勝  自治体選挙
三原市議会議員選挙
4月 

七川義明(新社会党推薦)7期目
(経歴)
・1941年生まれ 67歳
・(有)真和 代表取締役
・部落解放同盟広島県連合会委員長
・人権擁護委員
(現職)
・新社会党三原総支部総支部長
・三原市市議会議員(1期).旧三原市議5期
・部落解放同盟三原市協議会議長
(決意)
 私は、働く人々の声を市政へ!小さき願いを市政へ!を基本にし、人権・教育・福祉・環境の充実向上をめざす市政確立と地域経済の活性化のために、一身を投じ皆さまのご厚情にお応えすべく一層精進します。
(後援会事務所)
〒723−0046三原市明神町2丁目3-5 ☎0848-63-1180 FAX0848-61-2851<>2009/01/14 426<>0<>1月 】三原市議会議員選 政平智春<>三原市議会議員選
必勝自治体選挙
4月 

政平智春(新社会党推薦)1期目
(経歴)
・1949年 5月生ま 59歳
・1970年三原市役所に就職034年間勤務した後、2008年3月退職
・部落解放同盟広島県連合会書記長(現)
・広島県被爆2世団体連絡協議会副会長(現)
・原水爆禁止広島県協議会常任理事(現)
・全国隣保館連絡協議会副会長(元)
・広島県隣保館連絡協議会会長(元)
・長谷保育所保護者会会長(元)
・部落解放同盟三原市協議会副議長(現)
(決意)
 私は、「あなたとともに創ります!安全で安心して暮らせる三原を!」を基本に、平和・人権・環境・教育の諸課題に果敢に挑戦いたします。
 38年間三原市役所に勤務した経験、民主団体の活動家の経験を活かし、民主的な市政の確立、社会的弱者の権利の擁護などに邁進していきます。
 これまで頂いたご指導、ご鞭撻を励みに現世不退の決意で元弼長ります。
(後援会事務所)
〒723-0031 三原市須波町1948番地3
〠0848-81-0755 FAX0848-81-0756 Eメールtomo2318@yacht.ocn.ne.jp<>2009/01/14 425<>0<>1月 】時言「民主主義のことば 本質は現象する」<>時言「民主主義のことば 本質は現象する」
 オバマ次期米国大統領の演説等の言葉は、あれ程広く受け入れられるのか。識者曰く「彼の言葉が米国の現実の深いところで触れている」・「言葉に現実的な中味を与えようとしている」からと。彼の呼びかける「言葉」が「一人ひとりの米国人の人生・世界・現実を変えたいとの願いに触れ、それが実現すると思われた」という意味であろう▽図式的に考えてみれば、世界(国家)規模の抽象的・記号的な事象の本質が個々の生活実態の苦境・諸矛盾として現象していることを正しく把握して明示する。加えてその生活苦や諸矛盾克服のために、世界(国家)規模の記号的・現象的事象の方を変える。この現実との直面の仕方への信頼こそがオバマ支持の原点なのであろう▽この文脈で言えば、86年発足99年・04年と改悪を重ねて来た労働者派遣法の本質は、今般の金融・経済危機に即応して惹起した大量の馘首、住む所・明日の生活にも窮する大量の労働者を生んだことに現象している。グローバル化を悪用した低賃金で景気の調整弁等使い勝手のよい労働力の法的供給であり、資本の側にとってのセーフティーネットそのものである▽今てもなお派遣法は「労働の多様性の保障」・「雇用機会の拡大」・との強弁があるが、それは現実に触れていないし、民主主義ではない▽それにしても派遣法改悪時点で、前記の本質に言及したのは毎日新聞だけだったとは。極めて粗末なメディアの実態と言わざるを得ない。                           (安保英賢)<>2009/01/14 424<>0<>1月 】<声の欄>まぼろしの国歌<><声の欄>
まぼろしの国歌        三原総支部 田治幸信
 先般、三原のある集会で「われら愛す」という歌を唄った。この歌が、「まぼろしの国歌」だと言われている事を知らない人が多く、その反響を含めて、これから各地の集会などで唄ってはどうかと思う。
 1953年、堀内敬三、サトウハチロウ、西条八十、山田耕作など13氏の選者に、全国5万余の応募の中から選ばれたもので、NHKのラジオからも毎朝流されたのだ。
 ところが、政府の「日の丸」「君が代」復活の抑圧などで次第に消えていった歴史がある。(今なお各地の高校で唄われてはいるが)
山田耕作などが絶賛したこの「われら愛す」は、侵略戦争の反省に立って、日本の将来のために誇りを持ち力強く立ち上がろうという内容である。さわやかさの中に快活さもあるこの歌が、いろんな集会で唄われることを願っている。<>2009/01/14 423<>0<>1月 】(総支部は今-竹原総支部)<>(総支部は今-竹原総支部)
 アメリカのプライムローン以来グローバル的な経済不況は日本全国におよび、中高年者のみならず若年層に不就労者が増加し大変な年末となりました。このような状況の中、私たち竹原総支部は今年最後の学習会を開き反省なり学習なり致しましたが参加者が少なく来年の課題となりました。教師中心の党員となりまじめな先生方が多いだけに転勤転勤の繰り返しで気の毒でなりません。今後この課題をどのようにし、先生方の活動状況や学校現場をどう条件整備すべきか大きな問題です。
 2008年竹原総支部として大きな活動はありませんが憲法九条を基底として、広島平和学習や諸集会への参加を行って参りました。しかし新社会党が今一番やらなければならないことは微力ではあっても「労働者派遣法」の廃止であります。それは労働者とりわけ低所得労働者の死活問題であるからです。「労働者派遣法」の廃止を一年から三年位かけてでも訴え続けて無くしていかなければならないと思います。党費を取り立てるだけの小さな総支部ですが、党費を払うだけでも意義があると苦しい言い訳をしながら党運営をしています。
 心良く協力して下さる皆様に感謝します。<>2009/01/14 422<>0<>1月 】新テロ特措法案衆院通過に抗議する座り込みが<>新テロ特措法案衆院通過に抗議する座り込みが行われました。
 12月12日(金)、衆議院は新テロ特措法案を成立させました。先の国会では
民主党が反対の動きをしましたが、今回は、早く解散に持っていこうとして自民党に擦り寄り、あっさり賛成をしてしまい、平和を願う多くの国民を裏切りました。
もともとイラク戦争には正当性がなかったことが判明したにも関わらず、一向に反省しないアメリカ、それを何の恥じらいもなく支持している自公政権を私達は認めることは出来ませんが、民主党の姿勢も許すことは出来ません。
民主党が憲法を改悪しようとする姿勢が、改めてはっきりしたと言えるでしょう。
 こうした状況のなか私達は、平和運動センターの呼びかけを受けて原爆ドーム前で一時間の座り込み抗議行動を行い、イラク戦争反対・自衛隊の海外派遣反対を広く市民に訴えました。
私達は、自衛隊の海外派遣はもとより、存在そのものが憲法違反であると認識しています。今後とも、憲法9条を守るたたかいを継続してまいります。<>2009/01/14 421<>0<>12月 】1・17決意を新たに!県本部決起集会へ結集しよう!<>1・17決意を新たに!県本部決起集会へ結集しよう!!
新社会党広島県本部 委員長
三木 郁子
 2009年1月17日(土)10時から広島市東区のホテルチューリッヒ東方2001にて、例年の旗開きの前段において「決意も新たに!新社会党広島県本部決起集会」を開催します。
 目的は、総保守化と対峙するため、党勢拡大へと転じる契機とし、今日社会の国民のおかれている状況を思えばこそ、私たち新社会党の存在意義がそこにあることを各自が自覚し、共にがんばる決意を
新たに結集することです。
 各総支部・支部の党員、党友のみなさん、最大限の参加を呼びかけて意義ある決起集会となるようお互い声をかけ合おうではありませんか。
 わが党が結党して、もうすぐ13周年を迎えます。この間、国会における議席を失う中、全国の県本部がそれぞれに踏ん張り続けています。広島県本部もさまざまな課題を抱える中、活性化への模索もしつつ歩み続けているところですが、新たなる決意で集おうではありませんか!<>2009/01/14 420<>0<>12月 】旗開きに結集し、新たなる一歩を!<>旗開きに結集し、新たなる一歩を!
新社会党広島県本部は、結党13年目を迎える。
 結党当初は国会議員の存在も大きく勢いがあったが、その後、マスコミによる二大政党論の渦にも巻き込まれて党勢を失い、国会議員ゼロの政党になってしまった。
 しかし、党の基本的スタンスである「憲法を暮らしに活かす」と言う精神は今も色褪せず輝いている。加えて党員の政治にかける思いは少しも変わってはいない。 おりしも自公政権は行き詰まり状態にある。ここに至った原因は、財界と癒着した長期単独政権に続き、小泉政権の弱者切り捨て、憲法をないがしろにしたイラク派兵などである。受け継いだ麻生自公政権は、後期高齢者医療問題や年金問題等の対応に無策だけではなく、今次金融危機に見舞われてもなお無策である。その結果、国民生活はかつてない厳しい状況に追い込まれている。こうした現状を考えると、まさに私たち新社会党こそが国会に議席を持ち、憲法を活かす国造りに声を大きくしなければならない。
延ばされ続けているが、来年は間違いなく総選挙が行われる。私たち新社会党は、兵庫県において原和美中央本部副委員長を擁立して闘う予定である。
この選挙戦を勝ち抜くために、また、結党当初の思いを再確認し、新たなる第一歩を踏みだすため、全ての党員・党友に、来春1月17日の旗開きに結集することを呼びかける。<>2009/01/14 419<>0<>12月 】翼<>翼
今年は世界人権宣言採択60周年である。それを記念して
実行委員会主催による南京大虐殺記念館を訪ねる旅が企画された。南京事件は1937年12月13日から一ヶ月以上に渡り、首都南京で世界に類例を見ない残虐行為を日本軍が行ったという事件である。虐殺した人数については、南京軍事裁判での埋葬調査などの資料によると凡そ30万人に上るといわれる。▲
 過日、更迭された元航空幕僚長田茂神という人は、そんな事件は無かったと軽々しく言ってのけた。政府の統一見解を全く無視し続ける彼の発言は、参考人としても、外国人記者の前でも続いている。誇りを持てる自衛隊とか誇りを持てる日本とか言っているが、厳しく反省することが誇りを持つことに繋がると考えたことはないのだろうか。▲
歴史を学ぶということは、過去を反省し、謝罪するべきは謝罪し、補償すべきは補償し、そこから未来に向って友好関係を築いていくことが国益に繋がる。▲
 私たちが心配するのは、彼の発言を内心支持している人が政治家も含めて多いのではないかといいう事である。▲
 12月8日は真珠湾攻撃の日である。この日、南京大虐殺被害者の証言を聞く会が広島で開かれた。私たちは事実を受け継ぎ後世に伝えていく覚悟だ。<>2009/01/14 418<>418.jpg<>12月 】全国農業問題連絡会<>全国農業問題連絡会
新社会党全国農業問題連絡会の第6回総会を広島で開催した。一日目(11月15日)には三原高坂の坂本重夫さんの農場を見学した。坂本さんは30年以上に渡って有機農業を営んでいる。有機農業は大量生産が難しいことから、はっきり言って儲からない農業である。しかし坂本さんの農業や生き方を学ぼうと、全国から世界から若者が来る。彼ら彼女らの中にはここ数年、地域に定住して農業に従事する者が出てきた。そして坂本さんを中心に、生産した米を「てとてと米」として発売する事にも取り組み始めた。
参加者は、坂本さんの農業にかける思いや生き方に感動をもって話に聞き入った。
夕方から大久野島に渡り、大崎上島でブルーベリーの栽培に取り組まれている横本正樹さんの実践を学んだ。ブルーベリーが認知されるまでに相当苦労があったと報告された。
二日目(11月16日)は連絡会の総会の後、三原総支部の田治幸信さんのリードで「毒ガスの島大久野島」についてフィールドワークに取り組んだ。
東は千葉、西は熊本から20名の仲間が集結し、広島の参加者を合わせて38名による学習会は成功裏に終えることが出来た。なお来年は山形の地で行われる予定である。<>2009/01/14 417<>0<>12月 】「平岡 敬さん三原で講演」<>「平岡 敬さん三原で講演」
 11月3日、前広島市長で「広島マゝコミ九条の会J代表の平岡 敬さんが『今こそ歴史に学ぶとき』の演題で日本国憲法発布63周年を記念しての講演を行った。「九条の会・三原」と「九条の会・おのみち」の共催で持たれ、130人の市民が集った。講演では平岡さんの新聞記者時代に被爆者を取材した中で投げかけられた「なぜもっと早く戦争を終えることができなかったのか」の言葉にこだわり続けてきたことや、戦前戦中、マスメディアが戦争に協力荷担してきたこと、そして現在もなお全うな批判をなしえていないメディアの罪を自戒の意も込めて語った。戦争は決して突然こ始まるものではなく、そこに至るまでの積み重ねがある。 日本は今、あのいまわしい歴史を繰り返そうとしているかのようで危険な状況にある。対テロの名目のもとで自衛隊装備を際限なく強化しているが、「軍事力では平和は築けないことはアフガニスタンやイラクをみれば明らか」「今こそ、豊かで公正で命が守られ、安心して暮らせる社会を築くため、憲法9条を生かさなければならない」と強調した。平岡さん自身、現在、核実験による被爆者の救援活動に携わっており、その立場から「核兵器廃絶のため日本こそその先頭に立つべきだ」とも訴えた。
 平岡さんの講演に先立って、路上ライブや集会で、反戦・平和・反差別の自身の思いを
歌い上げてきた若き七河さんから歌とギターの演奏もあり、青年たちの参加も目立った全
体として若々しい雰簡気の講演会であった。<>2009/01/14 416<>0<>12月 がんばってます118 東 保幸<>がんばってます118 
広島県議会議員 東 保幸
サブプライムローンの破綻を契機として、世界経済は同時株安と金融不安に陥りました。海の向こうの出来事が津波のように日本経済社会に押し寄せ、私たちの生活を不安に陥れています。翻って、日本社会は2001年小泉構造改革が押し進めて来た三位一体による地方の疲弊が年々、深刻なものになっています。税源移譲とかけ触れた地方交付金並びに国庫負担金の減額が地方公共団体の財政を悪化させています。それは取りも直さず、県民サービスの低下に直結します。広島県予算は01年の1兆1900億円をピークに以後、毎年縮小し、08年は94400億円となりました.実に20%の削減率です。今ほど政治の流れを変えていく必嘗性を痛感することはありません。
 有権者の負託を受けて地方議会に携わるものとして、今、果たすべき役割の正大さ、そして責任をしっかりと受け止め、使命感もって県民福祉の充実に努めていかなければならないと思います。県内産業の足腰と言われる中小企業支援、高齢者が安心して受けられる
医療介護の充実、若年者の就業支援と安定した雇用の促進策、子どもたちの学びと育ちを支え、減らそう犯罪の推進など、課題は山積しています。
 現在、県議会の警察商工労働委員長としてがんばっています。これからも地域の隅々まで光のあたる政治、人の痛みのわかる政治を志していきます。

<>2009/01/14 415<>0<>12月 】時言 この民主主義否定を許すまい<>時言 この民主主義否定を許すまい
 アジアでこの国は「民意と政治とが韓国に次いで乖離している」、加えて「韓国ではスト等で国民が反撃しているが、日本ではそれもない」という報告を読んだ。どの時点の調査に基づくものであるのか不明であるが、現麻生政権を調査対象とすれば、乖離の度合いはもっと深い結果となったであろう▽しかし、ここで問題にするのは定額給付金や一兆円の地方交付金等の件ではない。それより考えられないような民主主義否定の政策がそれも国民の窮状につけ込んで行われようとしている問題である▽米国発の金融危機、それを受けての未曾有の経済危機の中(非正規) 労働者の大量首切り、内定取り消し等、「百年に一度」の危機への対応として大規模な財政出動へと政策転換しようとしている事である▽ ここでは財政出動の是非を言っているのではない。現在の自公の衆院議員は05年総選挙で、2011年をメドに国庫のブライマリィバランスを均衡させる。そのため今後毎年公共事業費3%削減、福祉関連各2200億円づつ削減等の財政規律を公約して、当選した議員である▽ その同じ議員が180度違う政策を行うのは詐欺・愚○・背信であり民主主義否定はきわまる。それも国民の窮地を助けるためだと自らの欺瞞を不況救済で糊塗する。許すべからざる暴挙である▽一日も早く総選挙を実施し、信を問わなくてはならない。それが民主主義守る方途である。この民主主義否定が許容され、前例となることを恐れる。(安保英賢)<>2009/01/14 414<>0<>12月 】総支部は今 広島総支部 <>総支部は今 広島総支部 
「働き方の多様性」「働き方の選択肢を広げる」こんなきれい事のうたい文句が見事にはがれ落ちている。現実は冷厳な事実でもって、派遣労働者が景気対策の調整弁であることを如実に示した。
 アメリカ発の金融恐慌が、実体経済にまで及び、ビッグスリーと呼ばれる巨大自動車産業が崩壊の危機に瀕している。その波紋は、日本の自動車産業にも及び、トヨタをはじめ、ホンダ、日産、マツダなどすべての自動車会社が軒並み減産に追い込まれている。前年比30%を超えようかという販売台数の減少により、ラインの停止、工場の閉鎖までがうわさに上っている。
 広島においても、マツダの減産によってマツダ本体で働く派遣労働者が800名も解雇されようとしている。下請けに至っては、すでに50名、100名単位で解雇が始まっている。12月5日には、ユーシン広島でも150名の派遣労働者に対して解雇予告通知が手渡された。
 このような情勢の急激な進展に対して、新社会党としての行動が問われている。新社会党が真に労働者階級、勤労人民を代表する党であるならば、いま手をこまねいて見ていることは許されない。広島総支部は労働相談室、スクラムユニオン・ひろしまと連携して、21日(日)には中野公民館で解雇された派遣労働者を対象に相談会を企画している。ことは労働相談にとどまらず、生活相談にまで及ぶだろうが、できる限りの対応を取って非正規雇用労働者を救い、組織しなければならない。
<>2009/01/14 413<>413.jpg<>12月 】声<>声
11.3 ピースフェスタ 卑弥呼蔵
「県北九条の会」は、これまで学習会を続けてきたが、いかに多くの人たちへ呼びかけるかが課題であった。
 今回のメーンは、河野康弘さんの被爆ピアノの演奏、「平和は大切」で人と人とがつながり、音楽や絵画(大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国・イラクの子どもたちの) 写真(ガン患者の登山での山の風景) ・絵本の読み聞かせ・朗読に感動。演奏の合間の語り「所が変われば味方も変わる。『北朝鮮』に行き話をすると『日本は怖い国』と言う。韓国は国名で表現するが『北朝鮮』は北名で表現。全く交通せず圧力だけでよいのだろうか。世界有数の軍事力を持ちながら、同盟国ということでアメリカ軍駐留」
演奏もギター・フルート・三線・オカリナ等の楽器を使い、出演者も広範囲。福崎さんの「九条行脚」と憲法前文と九条の語り。入場者も組織動員でなく、小学生から高齢者と幅広い人たちが集う。
 第一回のピースフェスタから、山代巴さんの考え方「一人の百歩より百人の一歩」を大切に、第二回に向け足下をしっかり見つめていこう。
(井清信恵)<>2009/01/14 412<>0<>11月 】がんばってます118小森龍太郎<>がんばってます 118
府中市議会議員
小森龍太郎


九月議会では、一般家庭ごみ有料化を、もとの無料化に戻すための条例改正案を提出しました。一般家庭ごみ有料化については、導入前から、圧倒的多数の市民の反対があり、私たちが行なったアンケートでは、実に92%の市民が反対と回答されました。
当初、この有料化案が出されたとき、市長は、財政難のため有料化すると議員に説明しましたが、自らの放漫な財政運営によってできた借金のツケを市民にまわすのかとの批判を受け、その後、ごみを減量させるための有料化だと言い換えました。仮に、百歩譲って減量のための有料化であるのならば、有料化導入以前と比べ、20数%もごみの減量に成功し、当初の目標数値(5%)を大幅に上回っていることから、無料化を提案しました。
加えて、10月1日から、袋代の値上げが市長によって強行されるということも、議会に図ることなく、ましてや市民の声を聞くでもなく、一方的にこれを強行することは断じて許すことはできないということも大きな要因でした。
袋代値上げの理由は、原油高によって、原材料費が高騰しているから、経営さえ困難になっているので値上げしてほしいと、ごみ袋製造業者からお願いがあり、業者は存亡の危機に立っていると市長は説明しました。原油高による物価の値上がりは、何も1業者に限ったことではなく、むしろ、苦しんでいるのは市民のほうです。しかしながら市長は、業者の経営は助けるが、市民には負担を押し付けるというやり方です。
 採決は、市長与党の平成クラブ、公明党の反対多数で否決されましたが、無記名投票で採決をして、ごみ無料化に反対したことを隠そうとする市長与党のやり方無茶苦茶で、滑稽だったことも報告しておきます。
<>2008/11/19 411<>0<>11月 】新社会党の存在意義<>新社会党の存在意義
広島県本部副委員長 岡田英治
尾道高須小学校・慶徳校長の自死をめぐる裁判で原告の広教組と若井さん(当時、高須小に勤務)が逆転完全勝訴した。県教委と尾道市教委は、自死の原因を「教職員との対立」だとする「報告書」発表し、組合とその中心で活動していた若井さんに責任を擦り付けようとした。若井さんは、「人殺し」といわれながらも、真実をあきらかにするため、5年間、裁判を闘った。広教組は、「尊厳ある自己」をかけて闘った若井さんを支えた。
東京では、都教委が出した職員会議での挙手・採決を禁じた通知(職員会議は校長の伝達機関で、職員の意見が反映するような機関としないため)に、ひとりの校長(土肥信雄・三鷹高校校長)が「生徒の問題については全体の意向を聞くべき」だとして猛反発、都教委と対峙している。毎日新聞が報じるところでは、土肥校長は都教委にたいし公開討論も申し入れており、9月末、校長に賛同する市民が主催した集会には会場超満員の350人が参加し、会場に入りきれない200人以上が帰ったという。まさにひとりの「尊厳ある自己」が、人々の心を揺さぶっているのである。
新社会党の存在意義を問う声が党内外から聞かれる。若井さん、土肥さんの政党版に新社会党がなれるかどうかで存在意義のあるなしは決まる。<>2008/11/19 410<>410.jpg<>11月<>衆議院議員総選挙について
安倍・福田と二代続いた政権の投げだしで総選挙が近いという情勢になったものの、
麻生総理は、アメリカ発の経済不安を理由に延び延びにし、ついに年内総選挙は見送られることになった。
しかし、選挙の洗礼を受けていない政権の居座りは許されない。年明けの早い内に総選挙が実施されることを私たちは要望する。
さて私たちは、中央執行副委員長の原和美さんを兵庫一区でたてて闘うことを決定している。既に兵庫での支援行動に3回出向いてきた。
一方広島選挙区では、一区に社民党から上村好輝(社民党広島県連合副幹事長)さんが立候補することが決定され、
代表の金子哲夫さんと上村好輝さんが推薦依頼書を持って県本部に来られた。
県本部執行委員会は20日、推薦を決定し社民党に連絡した。なお比例区については、中国ブロックでの対応が必要と考え、各県の県本部と連携を取りつつ、近々対応を決定する。
<>2008/11/19 409<>0<>11月 】翼 <>翼 11月号

食の安全が相変わらず脅かされている。ミートホープ・白い恋人・赤福・中国産餃子・吉兆・汚染米。そして最近ではカップ麺・生キャラメル・ウインナー等々と、話題に事欠かない。汚染米の流通に関しては、農林水産省にも大きな責任がありそうだ。▲今年
我々は、農業問題連絡協議会を三原本郷で、そして大久野島で開催する。本郷では、Sさんの農園を見学しさらに大久野島で実践報告をしていただく。Sさんは、30年以上有機農業を営んでいる。農薬や化学肥料を使わないので手間が何倍もかかる。しかも
作物は決して出来映えが良いとは言えない。大きさも形も不揃いである。しかも大量生産が出来ない。従って収入は大きくない。▲しかし、何と言っても安全である。そして作物本来の味を味わうことが出来る。Sさんにとっては、食の安全は基本の基本であ
り、生活そのものである。▲こうした生き方を貫く坂本さんのところには、全国から、世界からその農業を学ぶために若者がやってくる。最近、Sさんを頼ってやってきた若者たちが、それぞれが生産した米を「てとてと米」として販売することを始めた。▲私たちの身近には、こうした優れた農業者がいるのだ<>2008/11/19 408<>408.jpg<>11月 】新社会党尾道総支部 第13回定期大会<>新社会党尾道総支部 第13回定期大会
 新社会党尾道総支部(植田稔委員長)は第13回定期大会を10月15日、ヒロシマ人権財団事務所1F会議室で開きました。大会には党員・党友約40人が参加して、熊谷副委員長の司会で開会、議長に岡田英治さんを選出しました。植田委員長の深刻な経済状況の中、戦争へと突き進む現政権の目論見を打ち破り護憲勢力の伸張のため全力を挙げよう
とのあいさつに続いて、障生連・高教組・広教組の代表からそれぞれ連帯のあいさつを受けました。07年たたかいの総括、08年運動方針、三木いく子・しろま和行両市議の活動を含めた経過報告、財政・監査報告が原田書記長から提案され、新役員体制(全員再任)とともに全会一致で成立しました。大会宣言案を村上美鈴元向島町議が読み上げ、採択。団結がんばろうで大会を締め括りました
解散近しの政治状況のなか、「われわれは何をなすべきか」そのことが熱く議論され、確認された大会となりました。 (文責 しろま)<>2008/11/19 407<>0<>11月 】「決意新たに!決起集会」の開催について<>「決意新たに!決起集会」の開催について

 米国発の金融危機・恐慌への不安・新自由主義の挫折、小泉改革の失敗と反撃・資本主義限界説等々。この混迷が全体主義や戦争の引き金に利用されることを封じ、平和・生存・人権を守る確かな護憲の内実を作り上げる。まさに今私たちは、分岐点にいる。
 以上の認識に立って、新たに踏み出す契機として「決意を新たに!新社会党広島県本部決起集会」の開催が決定された。
@とき 09年の旗開きの前段。 ところ 東方2001
A基本的には党員・党友で創り上げる集会であり、就中地方自治
  体議員のみなさんには集会  成功のための重要な役割を担っ  ていただく。
B「決意を新たに、踏み出す」のだから結党以来の総括を、それ
  も党活動の先頭で活動してい  る総支部の位置から「どのよ
  うな課題に取り組み、あるいはどのような困難の中に党員と
  して立っているのか」等、様々な視点からの総括を提起して
  いただき、党員・党友で共有する。
C「集会」は一つの契機であり、私たちのめざす内容は、計画の
  立案決定・提起以来すでに取り組まれている。各総支部毎に
  設定した数の新規党員を獲得する。すなわち、時代の求め
  る方向の活動を新たな仲間と共に作り出し、党勢拡大へと反
  転させていく。
Dその場合、三木委員長の「呼びかけ文」を活用する。
E縁の深い党員の「党」への想いを文集の形で披瀝していただ
  き、想いを受け継ぎ、又明日への糧とする。
F最後に小森顧問の「まとめ」をいただく。

 以上、全党員の力の結集で集会を成功させ、反転攻勢へと踏み出す契機としていく<>2008/11/19 406<>0<>11月 時言 政治的主体である自分を回復しよう<>政治的主体である自分を回復しよう。

「11月税金や健保・介護保険料等々をなぜ支払っているのか」との問いに「一人ひとりの生命・自由・財産を守るという政府との業務契約の履行として」、さらに「例えば見ず知らずの人であれ、お互いに助け合い苦境から救い合うための紐帯として」であるからと答える▽それ故に政府に対しては医療・介護・生活保護・失業保険等々政治としての福祉や社会保障として「救い合う紐帯」を有効に機能させ、社会全体として信頼を確立していく責務を担わせている。これが政治的主体としての基本認識である▽しかし現実は、食品偽装・年金不正・子殺・親殺し等々荒廃は深刻化し、不信は蔓延し前記契約論をあざ笑うかのようである▽周知のようにグローバル化は資本・サービス・商品等の地球規模での政治的に許容し、一方では労働力たる「人」を原則「国」に縛りつけている。この「途上国の安価な労働力による安価な商品供給」という仕組みが、多国籍資本の地球規模の収奪を促進し、一方先進国内の労働条件切り下げ、格差拡大・社会分裂を深刻化させている▽こま推進者たる米国とそれに追随する各国保守政権・政治家は、政治献金も含めた利益・権益(世襲議員の多さがその証左)を確保し、一方で前記荒廃を惹起させた。これこそ国民との相務契約履行違反であり、私たちの政治的存在者としての基本認識を崩壊させるものである。これが社会全体への相互不信・絶望を生む根本原因である。早急に自然権を取り戻し、新たに契約することが求められている。 (安保英賢)<>2008/11/19 405<>0<>11月 声<> 竹原総支部   松村賢治

世界の経済に思う

 アメリカのサブプライムローンに端を発した地球規模の大不況は、金持ちが損をするから「まあいいか」と思っていたがどうやらそうばかりではないらしい。いつの間にか有形無形に我々貧困層にも忍び寄って来た。生活必需品は値上がりし、賃金や年金は安くなるという本当に厳しい社会状況となっている。このような中、麻生政権は公的資金を10兆円投入すると発表したが、資本主義経済で国が会社に金を投入すべきではない。企業は自然淘汰されるべきである。
 10年前の日本におけるバブルの崩壊も土地ころがしや先物取引等、いわゆる汗水流して働いた代価ではなく、一部金持ちの架空の生産であった。今のアメリカ経済も全く日本の二の舞で、ブッシュが招いた派手な金遣いの結果である。イラクやアフガンその他、多方面での軍事費の浪費、何十兆円という金はアメリカの貧困層をどれだけ救えることか。アメリカは軍事費抑制だけでも幸福になれる国ではないか。
 麻生は公共投資や減税等々、総選挙向けに国民に甘い言葉を投げかけているが、今、一番必要としているのは国民所得であろうと思う。とりわけ、若者たちの賃金であろう。これから結婚や子どもの教育、住居等々の費用がかかる。日本の労働者の三分の一を占める、非正規雇用者。私は、このような若者たちが愛しくてならない。一生懸命、汗水流しても低賃金で昇格もしない。このような社会をなくさねばならない。そのためには、「労働者派遣事業」の廃止しかない。それが景気対策であるといえるのではないか。<>2008/11/19 404<>0<>11月 】福山総支部 <>福山総支部 S.T
 福山総支部は神辺町、新市町と合併して大きな総支部となりました。しかし逆に党員、党友は年々減少して、結党時の面影はありません。極めて残念です。昨年頃までは定例的な会議・学習会、総支部機関誌の発行などそれなりの活動もありました。最近は党員・党友が月に一度集まることさえなかなか出来ないありさまです。こうなった要因はさまざまあると思います。
 党員・党友の減少、多忙化、支部活動のありよう。内外の政治状況、党と支持基盤との関係、党員の自覚の問題等々さまざまです。でも、今日の憲法改悪の動向、生活破壊の状況をみるとき、今のままの状況でいいはずはありません。
 党員、党友集まって率直に今の現状、問題点を出し合って、今まで何が欠落していたのか、今後何をどうするのか、話し合いをしたいと思っています<>2008/11/19 403<>0<>11月 】社会主義の歩みと将来への展望<>社会主義の歩みと将来への展望
−個人の尊厳と自律的連帯を求めて−
第52回 日本共産党の再建から「自主独立路線」へ
北西允

戦争中、度重なる弾圧によって壊滅状態に陥っていた日本共産党は、戦後釈放された徳田球一(1894〜1953)らによって1945年末に再建された。同党は翌46年、中国から帰国した野坂参三(1892〜1993)のイニシャチブの下、合法的手段によって民主主義革命を完成し引き続き社会主義革命に発展させる、との方針を採択した。
 ところがコミンフォルム〔国際共産党情報局、1948年創設、1956年解体〕は、1950年1月、占領軍を解放軍と規定し合法的革命を目指す日本共産党の方針を、マルクス=レーニン主義とは縁もゆかりもないと激しく論難した。この批判を受けて、党は、徳田、野坂らの「所感派」(主流・武闘派)と宮本顕治(1908〜2007)らの「国際派」(反主流・反武闘派)に分裂し互いに激しく抗争した。同年6月に勃発した朝鮮戦争を契機に、占領軍は混迷する共産党に対し、国会議員の公職追放・レッド・パージなどの厳しい弾圧を加えた。そのため徳田、野坂は密かに中国へ亡命したが、主流派は、彼らの指示に従って「軍事方針」を採り、「山村工作隊」『中核自衛隊」を組織して各地で火炎瓶闘争などの過激な運動を繰り広げた。この戦術転換は、支持者にさえ受け入れられず、1952年の総選挙で党は議席ゼロに追い込まれた。
 その後、徳田は中国で病死するが、1955年に帰国した野坂は宮本らと和解して、非公式の全国協議会(六全協)を開き、党は合法的活動方針に立ち返っていった。宮本は1958年の党大会で書記長に選出され、合法路線が党の公式路線として定着するようになった。だが、こうした路線転換に反対する一部の学生・労働者党員らは、武力革命を唱えて反帝・反スターリニズムを標榜する様々な運動体を立ち上げた。
 共産党は1961年の大会で、党史上初めて自前の綱領を策定した。それは、日本を「高度に発達した資本主義国でありながら、なおアメリカ帝国主義に半ば占領された事実上の従属国」と規定し、「党と労働者階級の指導する民族民主統一戦線が、国会で安定した多数を占めることによって統一戦線政府を樹立し、それを革命権力に発展させる可能性がある」と説いた。綱領はまた、日本の革命は、反帝・反独占の民主革命を経て社会主義革命の段階へ移行できると述べ、伝統的な二段階革命論を踏襲するとともに、革命が平和的に遂行できるか否かは「敵の出方」によると述べた。なお、引き続き綱領に明記された「プロレタリア独裁」という用語は、後に「執権」と改められ、結局は削除される。一方、レーニンの党組織論に由来する「民主集中制」はそのまま維持された。
 この綱領策定過程で、日本の独占資本を主敵と見、当面する革命を社会主義革命だと主張した党員らは除名され、イタリア共産党の創始者の一人・A グラムシ (1891〜1937)の思想を基に新左翼諸党派を結成した。その後日本共産党は、1963年の部分的核実験禁止条約に反対してソ連共産党と対立関係に陥り、また1966年には毛沢東による「修正主義批判」に反論して中国共産党とも袂をわかった。これらの過程でソ・中を支持した一部党員らは除名されて、それぞれ別党コースへふみだしていった。<>2008/11/19 402<>0<>10月 】解散総選挙への緊急対応<> 解散総選挙への緊急対応

新社会党広島県本部
 副委員長 高橋晋作
 
 解散総選挙が一気に早まる情勢の中で、新社会党中央本部は緊急に三役と在京中執、ブロック担当中執が協議して次のように県本部に連絡がありました。
◎生活と憲法にとって重要な選挙であり、有 権者の政治への切実な願いが高まっている にもかかわらず、「保守2大政党」の間で護 憲勢力が大きく後退しかねないという情勢 です。それでは政権交代できても、その後 一層政治は流動化し悪化しかねません。私 たちは主体的、積極的にかかわらなければ なりません。二0一0年参院選も視野に護 憲勢力の共同と前進に向け多様な可能性を 追求し闘います。
◎原和美中央本部副委員長を兵庫一区から共 同候補として擁立し、原候補の闘いが大き な共同として実現し、勝利する勢いを示す ことが、今後の共同を決定的に左右します。 全国的な支援にとりくみます。
等々の連絡がありました。今後は中央本部と社民党全国連合等との話し合いをふまえ広島県本部の取り組みについて総支部を通して連絡します。<>2008/10/17 401<>0<>10月 】「迫り来る解散総選挙へ向けて」<>「迫り来る解散総選挙へ向けて」
 小泉改革の所為(せい)で労働・家計・福祉等生活そのものを破壊された。さらに原油・穀物の急騰、米国発の金融危機等内外の激変。それでも小泉郵政選挙の結果にしがみつき、四人の首相がそれを悪用して来た。解散を求める声に「解散は私が決める」と見得を切る首相の頭は、与党勝利の選挙戦略のみという貧困▽確実に選挙は迫りつつある。「二大保守政党の政権争奪攻防の中に、憲法や生活破壊の苦しみを埋没させてはならないと、護憲共同候補として原和美中央本部副委員長が兵庫での立候補を表明した。必勝へ向け全国の力の結集が求められる▽九月二二日社民党の金子代表より、広島一区擁立候補への支援要請があった。これを進めるに当たり護憲共同形成へ向けた松枝書記長「要請書」の方向が、中央でも前進するよう働きかけると金子さんも表明した。今後は9.13中央本部「通知」の方向で、地域における護憲勢力前進へ向けて、党の総力を傾注していかなくてはならない。<>2008/10/17 400<>0<>10月 】翼<>翼
福田総理の突然の辞任、そして自民党総裁選挙。余りの出来レー
スに自民党員ですら白け投票率は上がらなかった。5人の立候補と
いう見え見えの人気取りに多くの国民も白け、安倍・福田の政権投
げ出しによるマイナスを払拭できなかった。▲登場した麻生太郎
新総裁は、母方の祖父が言わずと知れた吉田茂元総理である。思いだせば、小泉元総理の祖父・父は閣僚どまりであったが、安倍元総理も福田前総理も祖父や父が元総理大臣である。そして、新閣僚も過半数が二世議員であると言う。▲果たして小泉元総理が引退を表明したが、何と後継者に次男を指名した。自民党をぶっ壊す(壊したのは国民の生活であった)と言って人気?を集めたあの人も、他の多くの自民党議員と同レベルであったと言わざるを得ない。▲二世三世議員が罷り通る背景には、いわゆる地盤・看板・鞄があると言われる。しかしもう一つ、抱えている秘書たちの処遇の問題があるらしい。小泉元総理にも約10人(公設は3人まで)の秘書がいる。つまり、これら秘書の解雇に関わる経費が億単位であるとも言われる。▲子どもを後継者にすればそのまま雇用できるので、双方にとって好都合であるということなのである。
<>2008/10/17 399<>0<>10月 】第51回 60年安保後の日本社会党と新たな綱領的文<>第51回 60年安保後の日本社会党と新たな綱領的文書の採決

 安保改定時に右派が離脱して民社党を結成したあと、社会党内では新たな路線対立が顕在化してきた。江田が、社会党が目指すべきは、抽象的で迂遠な目標ではなく、人類が既に現実化したもの、すなわち@日本国憲法の戦争放棄条項、Aイギリスの議会制民主主義、Bアメリカの高い生活水準、Cソ遵の優れた社会保障制度を組み合わせた社会であるという「江田ビジョン」を提唱したのが、その発端であった。このビジョンは、ほぽ同じ時期、共産党内をも揺るがせたイタリア共産党の「構造改革路線」にヒントを得たものと見ることができる。
 親中派と目された佐々木更三(1900〜85)派や親ソ的傾向のあった向坂逸郎(1897〜1985)が指導する社会主義協会派は、「江田ビジョン」を社会党の目標を貶めるものであり、新たな装いを凝らした改良主義に過ぎないと反発した。ただ、協会派に勢力を侵食され続けた佐々木派には、後に江田派に組する局面もみられたが、江田派は徐々に劣勢となり、1966年には伸張著しい協会派主導下に、綱領的文書とも言うべきマルクス主義的な「中期路線」『日本における社会主義への道』(通称『道』)が、党大会で採択された。
 『道』は、独占資本主義国日本の社会主義的変革を唱えた。主敵は日本の独占資本であり、対米従属は外交交渉によって解決できる、とした点が共産党の立場と異なっていた。社会主義的変革は平和的に達成できる、と『道』は主張した。その根拠として、@民主主義制度および意識の発達と定着、A社会主義への移行のための物質的基礎の成熟、B勤労大衆の力量の増大、C国際環境の有利な変化が展望できることが挙げられた。
 『道』によれぱ、社会党単独、あるいは社会党主導の過渡的連立政権を樹立し、自衛隊・警察の中立化ないし革新側への傾斜を図り、官僚を掌握するとともに、マスコミを中立化または革新側に引き寄せ、保守派を孤立に追い込んで、「護憲・民主・中立」の諸政策を実現する。ついで過渡的政権を、漸次社会主義政旛に発展させ、国家機構を掌握し、アメリカの干渉を排除しつつ、生産・流通の主要部分の社会主義的変革をはかり、労働者階級と社会党の指導権を確立して、民主的多数派を社会主義的多数派に転化させる旨が説かれていた。
 『道』が猫く社会主義のビジョンによれば、重要産業およびサービスは、有償によって公有化し、農業は自主的に協同化をはかり、中小企業は業種別に協同化し、商業にはあえて無用な規制は加えないという。経済計画は、中央・地方に分かれるが、漸次地方計画に重点をおいて、労働者・農民その他の代表を参画させることになっていた。
 しかし程なく、このような協会派主導の古典的マルクス主義の路線は、日本の実情に合わないという反発の声が、党内の大きなうねりとなって高まっていった。
<>2008/10/17 398<>398.jpg<>10月 】必勝 自治体選挙廿日市市議会議石 原 顕<>必勝 自治体選挙
廿日市市議会議 2009年3月選挙実施予定
  石 原 顕(新社会党公認)
(略歴)
1951年生まれ (57歳)
新社会党大竹・廿日市総支部書記長
新社会党広島県本部執行委員
廿日市市議会議買 (3期)

(抱負)
 教育基本法が改悪され、平和憲法改悪にむけての動きが着実に進む今、あくまでも平和憲法を守り、憲法をくらしに生ガすことを追及します。地方から政治の流れを変えていくために、平和・人権・教育・福祉・環境を
守り前進させることを理念としている新社会党ガら、引さ続さ公認候補として立候補することを決意しました。2度にわたる合併で面積は10倍に拡大し、定数は削減された中、全市一円での初の選挙です。激戦が予想されますが、社会的弱者、勤労者の生活を守るため全力で闘います。<>2008/10/17 397<>397.jpg<>10月 】「南京大虐殺」の学習会開催<>「南京大虐殺」の学習会開催
「ピース!尾道おんなたちの会」は、9月26日、向島町人権センターにおいて「南京大虐殺」の学習会を開催しました。講師は、8月に「世界人権宣言60周年企画南京を訪ねる旅」に参加した三木郁子さんに依頼しました。
 南京市内にある「大虐殺記念館」は、1982年に日本の高校教科書検定で、「侵略」を「進出」に修正する動きがあり、これを契機に「歴史の真実を後世に伝える」ために建設されたとのこと。
 当時11歳であった女性証言者の話からも、日本軍の軍をあげての非人間的で信じがたい行為は、同じ日本人として恥ずかしく、また同じ女性としても許せない思いです。
 いつの時代でも、戦争の最大の被害者は女性、子どもたち、貧しい人々
が常です。
 今も世界のあちこちで、また日本でも、戦争への策略が進行しています。憲法9条改悪の動きや国際貢献の名の下に、戦争への加担を続ける日本政府。国民の暮らしを犠牲に押し進められる策動に対し、二度と再び過ちを犯さないために、私たち一人一人が何をなすべきかが問われる学習会となりました。  
                         熊谷良子
<>2008/10/17 396<>0<>10月 】がんばってます117 呉市議会議員得田正明<>がんばってます117 
呉市議会議員 
得田正明
 仕事がら新聞を精読しているが、ある日の朝刊記事に息苦しさを強く覚えた。
 汚染米の拡大と不信による健康、風評等の被害が深刻とある。日本人の主食であるコメまでも偽装し、不正転売で金にするとは・・・・。
 採用権限なし、バイトより時給低い「名ばかり管理職」に基準の記事は、今さら労働基準法の管理監督にあたるかどうかの基準を示したものとあるが、何をとぼけたことをと思う。真面目に働いて、生活・結婚・子育てが出来ない「労働」に対する価値基準がまったくおかしい・・・。
 「パート多い企業に痛手」の見出し。企業が運営する健康保険組合の財政が悪化し、健保組合の解散が相次いでいるという。何のことはない「前期高齢者納付金制度の新設で、国の肩代わりを健保組合がしている訳で、制度の矛盾が働く者の健康や生命を脅かしている・・・。
「生活苦しい」最多の57%、6年連続更新、「教育投資、日本は最下位」先進28ヶ国中GDP
に占める教育予算は、前年度比0.1ポイント減の3.4%で最下位。
 どの内容も、人間らしく生きる上において極めて重要な事項だ。社会制度全般が後退、悪化、崩壊している現状は、人間の尊厳が大きく損なわれ、生命や存在そのものが「単なる物」として位置づけられているのではないか。地方自治に身を置く議員として、あらためて、人間の尊厳、市民的権利を自覚したい。<>2008/10/17 395<>0<>【10月 】時言「中山発言の本質について」<>時言「中山発言の本質について」
 「暴言三連発」の前国交相は言うに及ばす、彼の言う「同じことを言いたいけど言わないだけ」の人にも議員辞職を勧告したい▽謝罪のあった二点はここでは置くとして、日教組攻撃発言についてのメディアの批判、例えば「学力テストの成績と教組関係の事実誤認」・「ぶっ潰す」発言について団結権否定等は本人意に介さず。発言の狙いは「もうけるためなら嘘言を言ってもいい。子殺しとか親殺しとか...。」等の荒廃を、利己主義・道徳観の欠如・行きすぎた自由が惹起したと断じ、その責任は教育・日教組にあるとした点である▽戦後、資本・保守政治は「自由の拡大→欲望の解放→新たな欲望創造」の連鎖で内需拡大・経済発展を図り、安定した利潤を確保してきた。例えば音楽・ファッション・性情報・携帯電話等々どれも何兆円産業となった▽それに対し学校現場は流行するスカートの長短、携帯の校内持ち込み等々をめぐって、利潤追求戦略の標的とされる生徒を守、まさに防戦に明け暮れて来た▽この現実を無視しての中山発言の本質は、資本・保守政治が利潤至上主義によって招来させた人間・社会の荒廃(小泉改革がその代表例)の責任を教育・日教組に転嫁し、自らへの批判をかわすことにある。加えて教育批判をテコに教育予算をOECN内の最低位に陥らせ、民営化促進・結果自己責任へ誘導し、国(行政)の教育保障義務を見失わせる奸計である。本当に悪いのは資本であり、教育行政なのである。
(安保英賢)<>2008/10/17 394<>0<>【10月 】声 尾道市 友野 利与治<>声 新社会党に期待する

私は、新社会党が「地方政党から全国政党になって欲しい」と願っている。
地方自治体の議会には進出してはいるものの、小森龍邦氏や谷田部理氏が国会を引かれてからは国会の議席がなくなった。やはり国会議員の存在は大きい。
  昨年七月の参議院選挙では、一人は当選されるだろうと資金カンパし、周りの方々にも働きかけたが残念な結果となった。本紙(8月号)には県定期大会の事が報じられ、地区割り当ての代議員50人が出席して大会が成功裏に終わったと言う。全県的に多い少ないがあっても、組織ができていることを頼もしく思った。この代議員の方々を核に、枝葉を伸ばしてほしいと活動家に期待するものである。
 歳の話はあまりしたくはないが、体力・行動力が衰え、活動が鈍くなって戦列に加わることができないのが残念で申し訳ない気持ちで一杯である。各位の奮闘に敬意を表し、ますますの党勢拡大を期待して止みません。
                 尾道市 友野 利与治<>2008/10/17 393<>0<>【10月総支部は今 本郷支部 】<>総支部は今
本郷支部
 本郷支部は、新社会党結成以来、党員の変動がほとんどないのが自慢である。現在、一般党員5名、年金党員2名(内一人は元町議)、無収入党員2名、議員党員1名の10名である。今日まで、ほぼ毎週定例会をもって七川松美(本郷町議から現在三原市議)・伊東辰巳(元本郷町議)両議員の議会報告や地域の話題を出し合って、結束固めてきた。そして、町会議員選挙はもちろん、国政選挙にも取り組んできた。
さて来年はいよいよ新三原市として、本郷・大和・久井を含む全域選挙が行われる。この選挙には、七川松美議員が引退し、弟の七
川義明三原市会議員がその地盤を譲り受けることになった。私たちは、七川義明議員支援選挙の取り組みをするのは初めてである。
そういう意味もあって先般、七川義明議員を囲んで親睦を深める交流会をもった。党員はもとより地元解放同盟員や有志も加わり、総勢14名の参加で焼き肉パーティーを開き、来春の選挙への決意を誓った。七川義明議員はもとより、七川松美議員の引退に代わって立候補予定の政平智春さんの当選に向けて、今後も取り組んでいく。
         本郷支部書記長 齋尾和望
<>2008/10/17 392<>0<>【9月】8.5「 反核・平和・反基地の闘い<>8.5「 反核・平和・反基地の闘い
全国交流広島集会」開く

8月5日、恒例の「平和を考える新社会党の集い」に代えて、「反核・平和、反基地の闘い全国交流集会」が広島市中区のカレントコスモで開かれた。1都8県から31名が参加し、それぞれの活動を報告しあい、交流した。
 中央本部の江原栄昭大衆運動委員長の司会で進められ、三木県本部委員長と栗原中央本部委員長の挨拶に続いて、中央本部松枝佳宏書記長が集会の主旨を述べ、問題提起を行った。

 千葉県本部の本池さんがPAC3配備反対運動の取組みについて、山口県の玉木さんが県内の岩国市長選など一連の選挙闘争の状況について報告した。神奈川県本部の山城保男さんが横須賀の原子力空母母港化反対運動の取組みについて、党四国ブロック協議会の河村洋二さん(徳島)が、四国各県の護憲平和闘争の現状について、詳しく報告した。愛媛の川崎さんからは伊方原発プルサーマル計画の中止を求める県民運動の取組みを、また兵庫からは、「憲法を生かす会」の結成など、多様な取組みを報告した。
 地元の三木委員長が尾道での活動状況を説明し、集会を締め括った。

<>2008/09/15 391<>391.jpg<>【9月】新「県版」の発行によせてのごあいさつ<>新「県版」の発行によせてのごあいさつ
          新社会党広島県本部委員長 三木郁子

 新社会「県版」は、1996年に県本部結成以来、毎月発行いたしております。
今日まで、広報活動にかかわって頂いた多くの関係者の皆様のご労苦に対しまして、改めてお礼と感謝を申し上げます。
さて、12年間以上にわたって発行して参りましたが、この間、多くの関係者の皆様からさまざまなご意見を頂いておりますので゛、それらも含めて、執行委員会及び編集関係者にて協議を重ねて参りました。
その結果、今回のような形式にて9月、10月号の合併号としてリニューアル発行となりました。
記事も県本部の動きや各地域活動がより見え易いように、あるいは党員の声が届き易いように等々編集関係者で協議しながら進行してきましたが、今後も購読される方にとって読み易く、また時の動きやそれぞれの行事や活動もわかり易くをモットーに、より工夫を重ねて参る所存でございます。
今後とも、今までと変わらぬ関係者のみなさんの多くの記事を寄せて頂くことやご意見や感想も含めてご指導、ご助言を頂きながら新社会「県版」の発行に努めて参りたいと存じます。
引き続きまして、どうかよろしくお願い申し上げます。
<>2008/09/15 390<>0<>【9月】翼<>朝鮮民主主義人民共和国の建国60周年を祝う会があった。関係者の間では「共和国」、巷では「北」朝鮮と言われている国だ。「北」という表現は、「南」に対しての「北」ではない。国としてまだ認めていない、国交がない国という意味である。大韓民国を「南」朝鮮とは誰も言わないことがそれを表している。▲なぜ国交がないのか。かつて36年間も植民地とし、歴史上極めて異例の強圧支配を行ってきた国である。南の大韓民国とは1965年に課題を残しながらも国交を回復した。しかし共和国とは国交回復どころか、米軍の核の傘の下で未だに敵対関係を続け、結果的に「共和国」も核計画が進んでいるのではないかと言われるまでになってしまった。▲繰り返して言おう。「共和国」とは2008年の今日も国交を回復させていない。多くの国が国交を樹立している中でである。むしろ日本は、国交回復は言うに及ばず、世界に先駆けて復興に援助をしなければならない国であるはずなのにである。これではいわゆる拉致問題も解決しない。▲こうした中、放置された被爆者の医療支援に広島の医師団が訪朝する。素晴らしい取り組みだ。こうした民間の取り組みと合わせて、先に結成された超党派の国会議員団の動きも期待される。<>2008/09/15 389<>0<>【9月】第5回全国青年学生交流会に参加して<>第5回全国青年学生交流会に参加して
 8月30日31日の両日、7都県から約30人が参加して、神奈川県湯河原町で第5回新社会党青年学生交流会が開かれました。初日は全体討議を行い、基調報告に続いて、兵庫の武庫川ユニオンの活動が自作のDVDを使って報告されました。今年3月尼崎市役所に勤める5人の女性職員が無期限ストライキに入り、結果勝利した件については、女性5人の粘り強さ、彼女たちは時給や年休の獲得日数だけを訴えたのではなく、乱暴な労務管理が仕事に関する責任感を減退させる、もしくは責任感のかけらもない人が仕事に就く、個人情報を扱う部署が多い行政で、それを許してはいけないのではないか。それが彼女たちの訴えの中心であった、だからこそ広範な人たちから支援を受け勝利できたのではないかと報告されました。夕食後分散会に別れ、それぞれの職場の問題点を出し合い議論を深めました。2日目は全体討議にうつり、参加者全員が意見発表し「アウトソーシング」「非正規雇用への転換」と人件費削減のため雇用形態を激変させた結果、特に若者たちの学びと労働への意欲の後退を招いた。他者との共生能力をなくした若者はひたすら孤立し、結果秋葉原のような事件になるとの発言を全体で確認しました。まず実態を知ろう、業界業種を超えて、同じ職場で隣にいるのにメールですませてしまうことをやめ、話をしようとの意見に賛同し、来年は徳島で開くことを決めて、日程を終了しました。
(三原総支部 池田剛)<>2008/09/15 388<>388.jpg<>【9月】被爆63周年原水禁世界大会・広島大会関連行事に参加<>被爆63周年原水禁世界大会・広島大会関連行事に参加
 「核も戦争もない平和な21世紀に!」をスローガンに被爆63周年原水爆禁止世界大会・広島大会が、酷暑の中8月4日〜6日の3日間開催されました。
 初日の午後からは、広島大会実行委員会および大会運営委員の合同会議が市内の自治労会館であり、大会の最終的な合意と確認がなされました。私も分科会の司会担当でしたので出席しました。
会議後は、平和公園資料館前に移動し、新社会党各県本部からの仲間と合流し、党旗を手に平和公園から県立総合体育館大アリーナまで参加者6,500人となった「折鶴平和行進」へ参加しました。
 私たちの陣営も何本もの党旗やのぼり旗がはためき夕方の心地よい風も受け、仲間といっしょの元気の出る平和行進となり、到着後は、「核兵器廃絶2008平和ヒロシマ大会」で初日は締めくくりとなりました。
二日目は、第5分科会「脱原子力社会をめざして1−学習編−温暖化と脱原発に向けたエネルギー政策の展開−」の司会進行として参加しました。講師に海外ゲストのハンスヨーゼフ・フェルさん(欧州緑の党国会議員)と藤井石根さん(明治大学名誉教授)を招きプロジェクターによる発表で、247名の分科会参加者も大変わかり易く、脱原発による「小エネルギー社会」への実現にむけた政策転換の必要性が理解し易かったのではと思います。
(三木郁子)<>2008/09/15 387<>0<>【9月】総支部活動(1)-尾道総支部<>「尾道総支部は、今」
新企画の本紙を手にしておられる皆さん!全県各地それぞれの総支部に結集しておられる皆さん!こちらは尾道総支部です、今日は!  7月27日の松永での第13回県本部定期大会、大変ご苦労さまでした。 その後、それぞれの支部で活動を続けてきておられることと思います。
さて、私たち尾道総支部は、今のところ、その13回県本部大会をうけて尾道総支部の定期大会を持つための反省と総括の仕事に入っているところです。                  
「10月中旬開催を目標にしていこう!」ということで、活動分野ごとの担当者を決め総括文案を作り始めています。「自治体選挙」については福山市議選に全力投球された三木さん、「平和と民主主義のたたかい」については城間さん、「女性部活動」については熊谷さん、「運動方針」は書記長が良かろうということで原田がまとめる、と言う具合です。しかしどの分野でも、活動が不十分で内容が薄く、総括の文案は具体性がないものになりそうです。 「学習活動」についてみても、総支部として持った学習会は県本部の小武正教さんを講師としてお招きして「仏教と非暴力」をテーマに学習したものだけでした。ただ、尾道総支部は『運動方針』でも極めて大切な柱だとしている“市民運動への積極的参加”は行ってきています。毎月、色々な形で持たれる『九条の会・おのみち』の活動へはかなりの党員・党友の方が参加しています。 毎回、会員か賛同者の方が講師になって問題提起や報告が行われますが、その内容も豊富ですし、奥が深くて大変勉強になります。 8月20日に行われた「8月例会」では福崎やすおさんの講演「9条全国行脚の旅から」がありましたが、その講演の中で、「私は新社会党の党籍を持っています。」との言葉には大いに励まされました。 「情宣活動」にしても今のところ、毎月の24日を「平和行動の日」と決めて、“芙美子像”前でリーフ配りをやっているだけです。参加者もきまっていて、増えることも無いのですが“継続は力”を胸に、これからも続けていくつもりです。     
毎月県本部から届けられる「要請・報告」の中にいつも書かれている“執行委員会の定例化”については実行していますが、今年度からは御調と因島からも参加していただいて、新しい雰囲気の中で毎月行っています。ただ今後の課題は、その執行委員会で話し合った中味を党員・党友の皆さんに伝えるという、このことこそが大切なことなのですがそれができていません。この点については広島総支部の皆さんの実践に学びたいと思っています。 
週刊「新社会」の購読者を増やすことや、党費の本部納入の遅れを少しでも縮めていくことなどなど抱えている宿題は沢山あります。                   
尾道はなんと言っても県本部委員長の三木さんの地元です。毎日毎日東奔西走され「いつ休んでおられるのだろうか、いくら頑丈な方だといっても・・・・、家のことはどうしておられるのだろうか・・・・。」など気になり、心配なのです。三木委員長のことを想えばじっとしてはおれないという気持ちが一杯の尾道総支部です。今後ともどうかよろしくお願いいたします。
(文責者 原田)
<>2008/09/15 386<>386.jpg<>【9月】がんばっています(116)<>尾道市議会議員 三木郁子
 9月定例議会の会派代表質問に立ちました。今議会の質問事項は大きく分けて、○公民館の運営について○美術館の運営について○食育推進計画の策定について○病院事業についてなどでした。公民館の利用が市民にとってそれぞれの地域で利用しやすいように、また、6館ある美術館が一部の人たちの利用ではなく、市民だれでもが行きやすく市民のための美術館となる取り組みをするべきと訴え、「食育推進計画の策定」の
取り組み状況についてと病院事業については、「病院改革プラン」で求められている経営効率化の側面のみを優先させ市民病院の赤字決算を理由に短絡的に運営形態の見直しや機能の縮小や人件費などの削減を図るべきではないことや無医地区の百島や県立瀬戸田病院の移管問題など市の
今後への対応などについて質問しました。
 少子高齢化が進む島嶼部の医療提供をどう市行政が取り組んで行けるか大きな課題です。
 尾道市民病院については、昨年「地域医療支援病院」に承認されており、この9月議会に他の医療機関の紹介状なしに市民病院に来院した患者さんから、一部例外はある者の医療費に1,050円上乗せして徴収
する議案が提案されました。
 私の所属する民生委員会の所管だったので、「患者が公立の市民病院への来院経路によって、上乗せ金を支払う条例改正はおかしい。」と反対討論をしました。
 今後も市民への医療提供が一部の人たちに届き難くならないようにチェック機能を果たす努力をしたいと思っています。

<>2008/09/15 385<>0<>【9月】声(1)<>地域ユニオンをいたるところに建設しよう(1)土屋信三
 「格差社会」「ワーキングプア」ということが言われて久しい。1700万人を超える労働者が、非正規雇用労働者となり、低賃金と不安定雇用のなかに置かれている。これらが、すべて新自由主義、グローバリズムと呼ばれるむき出しの資本主義によるものであることは明らかとなっている。労働者人民に対する徹底した搾取と収奪が行われ、その結果、大独占資本には莫大な利潤が保障されている。だが、物事は行き過ぎれば反転する。現在、若者を中心に「蟹工船」がブームとなり、いたるところで異議申し立てが湧き上がってきている。闘わなければ生きていくことさえできない、食べていくことさえできない状況が、否応なしに彼らを立ち上がらせている。
 しかしながら、彼らを組織し、ひとつの力のまとめていく受け皿が圧倒的に不足している。それこそが、地域ユニオンである。砂粒のように分散化させられ、不満の声を上げようにも上げられず、泣き寝入りし、虐げられた労働者にとって、唯一の武器というべきものが 、地域ユニオンである。
 新社会党の総支部のあるところはすべて、労働相談から始めて地域ユニオンを建設し、時代の要請とも言うべき労働者の声に応えよう。
(広島総支部−土屋信三)
<>2008/09/15 384<>0<>【9月】保守政治の混迷・瓦解<>時言
 就任一年もたたない九月二日、安倍に続いて福田も政権を投げ出した。巷間言われる通りこれは民主党がらみの、政権維持をねらう戦略辞任であり、選挙なしで三つもの政権をたらいまわしする御都合主義・民主主義否定・主権者をなめきった政治運営である。今後自公政権維持へ向けたメディアの意識操作に警戒しつつ、保守政治の混迷・瓦解を見きわめ、私たちの対応を見きわめたい▽IT技術の進展による情報量は激増し、同時に生活苦・社会不安等による国民の政治意識・自己意識の進捗度合は、世襲議員による旧態然たる保守政治を追い越し、保守政治が資本の側への利益保障・大衆への抑圧機構として作用していることを暴露しつづけている▽国際的には資本・労働力の移動、情報伝達・運輸等の進展によるグローバル化は、収奪の地球規模化として機能し、そのボーダレス状況は一国単位の支配・被支配の枠組みを無力化させている。例えば原油・穀物高騰、金融不安・地球環境問題等、一国の主権では対応し得ないのである▽前記国内外の困難の中、本当は対応力がないのに興奮し、グローバル化を口実・悪用し新自由主義に依拠しての収奪強化で資本を肥らせ、国民を窮地に陥れたのが小泉改革▽今、資本主義・国民国家は共に末期症状にあり、政治不安・不信は充満している。これをテコにして保守大連立・改憲・軍国主義化等危険な方向へと誘導させないために、護憲勢力の大同団結は必須である。私たちの役割は大きい。
(文責 安保英賢)<>2008/09/15 383<>0<>【9月】第50回 日本社会党の統一(再分裂) と55年体制の<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自立的連帯を求めて
広島大学名誉教授 北西 允
第50回 日本社会党の統一(再分裂) と55年体制の成立
 保守勢力が改憲の勢いを加速させる中、左右に分裂していた社会党に統一の機運が高まり、1955年、左派の階級政党論と右派の国民政党論を折衷した「階級的大衆政党」という規定で左右両派の統一が成った。統一綱領も、左右両派の妥協の産物で、護憲という点では一致しつつも、総体としては、首尾一貫性に欠けていた。委員長には左派の鈴木が、書記長には右派の浅沼が選ばれた。統によって社会党の衆議院での議席は156にまで拡大した。
 社会党の統一に政権喪失の危機を感じた自由・民主両党は、財界の強い働きかけもあって、戦前の政友vs民政以来の長年にわたる確執を乗り越え、同年、自由民主党を結成し保守永続政権の基礎を固めた。左右社会党の統一は、保守合同を促しただけではなかったのかとの疑問が残る。というのも統一した社会党は、わずか5年後、基地貸与条約から一種の軍事同盟条約に転換を遂げる60年安保改定に際して、反対の左派と賛成の右派に分裂したからである。離党した右派の西尾、河上派の一部は、民主社会党(民主社会主義という表現を嫌って後に民社党と改称)を結成した。民社党離反の背後にはアメリカ政府の支援もあったと言われる。
 民社党の離党後も、社会党の野党第一党の地位は揺るぐことなく、保守勢力に対する革新勢力の中軸の地位を占め続けた。社会党は、安保改定反対闘争と三井三池党争を全力で闘った。それらは空前の歴史的大闘争であった。だが、安保条約の改定は阻止できず、三池闘争は敗北に終わった。浅沼委員長暗殺後の1960年の総選挙で、委員長代行を務めた江田三郎(1907〜1977) の率いる社会党は145議席を獲得、民社党参加者の議席数をかなり奪い返した。だが一方、岸信介内閣が倒されたあとを継いだ池田勇人の自民党は、296もの議席を獲得した。ここに、保守vs革新のいわゆる「55年体制(政治学者・升味準之輔の造語)」「一か二分の一政党制」が定着することになった。それは、社会党が議員党的体質、日常活動の不足、労組依存(成田三原則)を深めることによって政権獲得の展望を切り開くことができず、自民党は党是である改憲に必要な両院の三分の二の議席を確保できない、という体制だった。それはまた、両党が日本の政治を主導した体制であったとともに、表面=対決、裏面=妥協の政治体制という側面をもっていた。<>2008/09/15 382<>0<>【8月 定期大会を節目に新たな一歩を踏み出そう!<>定期大会を節目に新たな一歩を踏み出そう!
新社会党広島県本部
     委員長 三木郁子
 7月27日(日)に広島県本部第13回定期大会が猛暑続きの中、県内各地から来賓や代議員の参加を得て開催されました。
 新執行部体制も承認され、新たなスタートという所ですが、思い起こせば、小選挙区比例代表並立制と選挙制度が改悪され、新自由主義が拡大し続ける中、自衛隊合憲・日米安保容認と自らの党是をかなぐり捨てた旧社会党と決別し、絶対平和主義を掲げて新社会党に結集して13年目を迎えます。
 今日、市場原理主義が世界的規模で押し進められ、その流れを受けてわが国もまた不安定雇用の拡大などにより格差がより固定化される状況にあり、富める者の投機収奪の影響をもろに受け、庶民は諸物価高騰に
苦しむ中、夢や希望を失った若者からは「戦争待望論」を口にする者までが出たりと極めて世紀末的様相を呈しています。
 このような状況に社会全体が追い込まれている中、小なりと言えどもそこに私たちの存在意義があります。私たちの目指す方向を見誤ることなく、党員一人ひとりが主体を鍛えつつ今次定期大会を節目に結党時の原点を忘れることなく、新たな一歩を踏み出そうではありませんか。<>2008/08/31 381<>381.jpg<>【8月 新社会党広島県本部第13回定期大会<>新社会党広島県本部第13回定期大会
 新社会党広島県本部は、第13回定期大会を7月27日、福山市西部市民センターで開いた。
大会には各総支部から約50人が参加、改憲阻止、市場原理万能主義との闘いなどを誓い合った。
大会の冒頭あいさつを行った三木郁子委員長は、「市場原理最優先の政治によって、非正規労働者の増大に見られるように、多くの勤労市民が収奪のターゲットにされています。若者、子どもたちの夢や希望も奪っています。今こそ新社会党結党の原点に返り、絶対平和主義、絶対平等主義の立場に立って小なりといえども頑張りましょう」と呼びかけた。
中央本部からは松枝佳宏書記長が駆けつけ「状況が厳しい時は、本物の労働運動、社会運動をつくるチャンスでもある。新社会党は本物の運動をつくりだす任務を持っている」と激を飛ばした。
 続く来賓あいさつでは、平和、人権、教育、環境のための活動家フォーラム、広教組、高教組、部落解放同盟、朝鮮総連、全港湾、ピースリンク広島・呉・岩国の代表から連帯のあいさつを受けた。
議事では、「2007年度たたかいの総括」に続いて、資本主義は今や地球を破滅させ、あるいは世界の多くの人を餓死させる有害な経済システムに変質した、との認識に立って@イラクからの自衛隊の即時撤退、岩国基地機能強化反対A改悪教育基本法による教育反動化阻止B非正規労働者との連帯強化、労働相談室の開設と地域ユニオンの結成C民意を反映しない小選挙区比例代表並立制廃止運動の強化などを盛り込んだ「2008年度運動方針案」が提案され、尾道総支部、呉・安芸総支部の代議員から活動報告、意見、質問が出され、執行部答弁の後、満場一致で採択された。
選出された役員は次のとおり
委員長 三木郁子(再) 副委員長 安保英賢(再)高橋晋作(再)岡田英治(新) 
書記長 齊尾和望(新) 書記次長 土屋信三(再)<>2008/08/31 380<>380.jpg<>【8月 呉・安芸総支部第十三回定期大会<>呉・安芸総支部第十三回定期大会
 呉・安芸総支部は、七月十九日山の手コミュニティセンターで、第13回定期大会を開いた。
 あいさつに立った得田正明委員長は、これまでの活動を振り返り「今一度、原点にたちかえり動くこと、言い続けること、継続すること」の重要性を訴えると同時に、継続課題となっている『市民相談窓口の開設』を掲げ、就労・生活・医療・福祉等々の政策・制度の矛盾を是正することを目的に、新たな動きを起こすことを提起した。
 来賓として広島県本部から三木郁子委員長が駆けつけ、昨今の厳しい社会情勢に触れ、「私たちは、小さな政党ではあるけれど、地域住民にとって一番大きな課題に取り組んでいる。一歩でも一センチでも確実に前進していくことが大切で、こうして、年に一度の定期大会を実施することがその大きな一歩となる。」と檄を飛ばした。
 続いて、一年間の活動の総括と人間らしく生きようとする人々と固く連帯し、人間賛歌の平和的社会を建設しようとした、向こう一年間の活動方針を全員一致で採択し、大会を閉じた。
引き続き行なわれた学習会では、「スクラムユニオン・ひろしま」の土屋委員長から、『ワーキングプア・外国人労働者の実態と課題』について学習を深めた
外国人労働者の実態として、賃金が月5万円程度で、月200時間以上の時間外を強いられ、その時給は300円から330円であること。さらに、パスポート、外国人登録証、預金通帳なども会社に預けさせられていること。また、危険な職場に就かされ、ケガをしても労災保険を適用されなかったり、雇用保険にも加入しなかったり労働基準法は無視し、無権利状態で雇用している実態などが明らかとなった。「今は、そうした外国人労働者が日本の産業を支えているといっても過言ではない」と訴えた。
スクラムユニオンの役割として、「外国人労働者の支援と協力」「地域ユニオンとして、一人でも入れる労働組合に」、「地域でのネットワーク作りと産別労働組合との結合」など、さまざまな取り組みをされていることが理解できた。<>2008/08/31 379<>0<>【8月 広島総支部第13回定期大会開く<>広島総支部第13回定期大会開く
土屋信三委員長を選出

 広島総支部は、7月21日(月)13時から広島市の東区民文化センターで第13回定期大会を開催した。山廣賢治さんが議長となり、加藤委員長の挨拶に引き続き、県本部安保副委員長から来賓挨拶を受けた。  
加藤委員長は、「9条ネット方式をすすめて厳しい結果を突きつけられ、重い空気を引きずってきた。長期低落を乗り越えようと努めてきたが、十分な成果を上げることができていない。憲法改悪、自衛隊海外派兵恒久法など、敵側の攻撃は容赦なくのしかかっていて、なすべき課題は大きい。この大会を、入党・結党の原点に返って活動を問い直す機会にしたい」と述べた。
安保副委員長は、「身の丈にあった運動をどう作っていくか。物価高、不安定雇用、憲法審査会への動きなど、追い込まれている。労働者が分裂工作にのせられてなかなか団結できないでいる。労働者の階級的連帯と、分断に対抗する団結が問われている。しっかり受け止めることができればチャンスだが、恐慌や戦争という破局を引き起こす危険性もある、瀬戸際にきている。小なりとも、魂は捨てない。団結し、状況に対応できるよう力を合わせて踏み出していこう」と訴えた。運動方針では、反戦・平和、反改憲の闘い、労働者の組織化と支援連帯活動などの課題を明確にした上で、執行委員会と党員の連携、総支部レターの定期発行、財政の健全化、党員・党友と機関紙の拡大、学習交流会の定例開催、宣伝活動の強化など、党建設に向けた具体的な取組みを決定した。
役員改選を行い、退任の加藤委員長に代わって土屋信三委員長を選出した。<>2008/08/31 378<>0<>【8月  翼<>翼
高等学校が潰される。現在の「基本計画」では、4〜8学級を適正規模とし、3学級以下は統廃合の対象だとして いるようだ。適正規模の学級数に明確な根拠はない。これでは、山間部や島嶼部の学校のほとんどが統廃合の対象校にされてしまう。今回対象にされたのは県北の高宮高校(3学級)と福山市の自彊高校(7学級)である。自彊高校はもとより福山市内の子どもが、高宮高校でも一時はなれて行った地元の子どもが帰って来ていると言われている。このような地域にとって重要な決定は地元行政を抜きにはできないものと考えるが、どうも今回とりわけ自彊高校の地元行政である福山市には事前に十分な説明がなされていなかったのではないかと疑われる。
 つまり、募停反対の動きを封じ込めるために、極秘裏に行われたのではないかと・・・。関係者がことの情報を掴むことが大変困難になっている今日、教育委員なり県議会議員の存在は極めて大きいのではないだろうか。地域文化の拠点とも言える学校がなくなるということは、過疎化に拍車をかけることである。そういう意味において、教育委員なり地元の県会議員は地域の過疎化を積極的に進めることに加担していると言わざるを得ない。両校の校歌は、広島に縁の深い音楽家の作曲である。<>2008/08/31 377<>0<>【8月 時言 「そのねらいは明らかである」<>時言
「そのねらいは明らかである」
 先日、若者の絶望的な言葉に出会った。「まわりが自分のことを必要としない」。そんな生活をしていると自分自身が自分を必要としなくなっていく」・「派遣会社でもののように軽んじられてきた。そのようにされていれば自分も他人をもののように見てしまう」▽
この絶望は自然に発生したのではなく、人為的であることは自明であ。それを生み出す要因の大部分は「99年に派遣を許容する対象業務を原則自由化」・「04年に製造業も解禁したことにある。目的はグローバル化への対応として「使い捨て自由・使い勝手のいい安価な労働力の供給である」▽さらなる「ねらい」は、その結果として2000万人近いワーキングプアとその一方で一部の資産家層の形成・肥大化が示す通り、民主主義の担い手である中流層の解体にあるのである。「もののように使われる」・「明日の仕事も決まっていない」・「働いても食えない」等々、不満・不安・絶望が社会全体に充満させられ、荒廃し、閉塞は出口を求めている▽このような内部矛盾・うっ積するエネルギーを外へ向け、侵略戦争強行のエネルギーに利用してきた権力の策動について私たちは知悉している▽安倍の改憲策動に対し中曽根は「まだ時期でない。一度失敗すれば相当長い間不可能になる」と戒めたと伝え聞くが、その後の小泉・安倍の荒廃策動によって、その時期を迎えつつある感さえある。しかし、一方抑圧すればするほど、それに比例して団結は生まれるのである。
(安保英賢)<>2008/08/31 376<>0<>【8月第49回 中国の「文化大革命」(その2)<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自立的連帯を求めて(49 )
第49回 中国の「文化大革命」(その2)
毛沢東の「党中央を砲撃せよ」「造反有理」等のかけ声のもとに開始された「文化大革命」
であったが、時の経過とともに遂には毛自身も収拾できないほどの大混乱に陥った。犠牲者の数は、一説には千万人台に上ったとも言われ、工業生産は20%も下落し、多くの貴重な文化財が失われた。
 毛沢東は、混乱した社会を立て直すため、1971年の林彪の死後、失脚していたケ小平を党中央に呼び戻し、毛と親密な関係を保ちながら文革派と実権派の調停者の役割を務めてきた周恩来と協力させて、党権力の維持と国力の復興を図ることにした。しかし、の方針転換に反対する江青らの文革強硬派は、周の失脚を狙って新たに「批林批孔」(林は林彪、孔は孔子にかこつけて周恩来を指す)運動を起こし、なおも強引に文革を推進しようとした。だがこの企ては、文革によって言語に絶する辛酸をなめた国民大衆の支持をもはや得られず、結局失敗に終わった。1976年の周、毛の死後、江青らの「四人組」は逮捕され、これによって10年間に及んだ「文化大革命」はようやく終息をみた。
 1981年の共産党中央委員会総会は、文革を「指導者が誤って発動し、反革命集団に利用され、党と国家、各民族人民に重大な災難をもたらした内乱」と総括し、その意義を全面的に否定した。なお毛沢東については「文革では重大な誤りを犯したが、功績の方が誤りより大きい。功績第一、誤り第二である」との評価が定まっている。
だが、「文化大革命」の全容は、今なお明らかではなく、党中央の総括も生煮えの感をぬぐい得ない。
 毛沢東思想の特徴のひとつは、指導部が孤立し硬直化して、大衆から遊離する危険性を絶えず力説したこと。そしてその危険性を矯正する方法として、単に下からの批判や挑戦を受け入れるだけでなく、積極敵にそれを奨励し助長した点にあった、と言ってよかろう。しかし反面、彼の「民主主義論」は、党が、常に指導的立場に立たねばならず、何がなされるべきかを決める最終的な採決者でなければならない、ということを当然視する、という特徴を兼ね備えていた。
 毛は、自らが巻き起こし、励ました運動が、党を埋没させそうな気ざしを見せたとき、党の指導性を確保することが決定的に重要であると考えるに至った。毛は「文化大革命」の嵐の中で各地にいわば自然発生的に生まれた「革命委員会」が、党と同様の担うことができるとか、あるいは党に取って代わられるべきだ、などとは一言も言わなかったことは記憶に値しよう。<>2008/08/31 375<>0<>【8月】がんばってます115 しろま和行<>がんばってます115
新社会党広島県自治体議員活動
 尾道市議会議員 しろま和行
さる、7月16日、尾道市議会・市民連合会派の「議会報告会と市民懇談会」を開催しました。この報告会・懇談会は私と三木議員が所属する市民連合(4人)が、各定例会後に広く市民を対象に開いているもので、今回で5回目となりました。開かれた議会活動や政治活動のため、また政務調査費の有用な使途として今期から取り組み、参加市民からの自由な問題提起や質問などが、各議員の支持組織員以外からも聞かれるようになってきました。一定の成果が現れてきていると考えています。直近の6月議会では私が今期2回目の会派を代表しての一般質問を行いました。
質問内容は、1農業・食料問題2、格差を生まない学校改革3、後期高齢者医療制度など5項目について行いましたが、1では朝食欠食児童・生徒の推移を明らかにするとともに地産地消の徹底を議論しました。2では親の経済力・塾が学力に影響していることを認めさせ、生保世帯の子どもたちへの学力保障を求めたところです。またタテ型の「改革」とは全く異なる「学びの共同体」導入や被爆サクラを育てる学校での取り組みなど、是正以降の枠組みを越える取り組みを認めさせることができました。過日、非核・平和行進に参加するなかで「平和教育」について今一度考えを深くしましたが、議会の傍聴者や懇談会で受けた「もっと市民に向いた言葉で政治・議会を語れ」との意見をいま、胸のなかで噛み締めて行動しています。「いつしか市民と遊離していないか」厳しく自分をチェックし続ける他はありません。<>2008/08/31 374<>374.jpg<>【8月】初めての訪朝(2)−齊尾和望−<>初めての訪朝(2)−齊尾和望−
翌日は板門店視察に出かけた。片道約3時間の行程である。道路は舗装はされているものの、かなり痛んでおり、トヨタ製のマイクロバスの乗り心地は決してよくない。のどかな田園風景では、みなが集まって田植えをする光景をあちこちで見かけた。見る限りでは食料不足を感じさせない。後でわかったことであるが、国土の平地は広くなく、しかも多くが赤土でもあり食糧生産は順調に進んでも十分ではないとのことであった。加えて先頃の水害もあり、見かけではわかならい食料事情とのこと。
板門店
3年前に南から板門店を訪ねた。こちらはソウル市内から結構近かったと思う。道路が整備されていらせいかも知れない。
さて、軍人もバスに乗って敷地内に入り、いよいよ見学するという時になって平屋建ての建物に入れられたのだが、そこで署名をさせられた記憶がある。何かと言うと、「ここでは何があっても文句は言いません。」という内容のもので、何と鉛筆を与えられてほとんど読まずに書名をさせられたのである。署名というものは元来鉛筆なんて有り得ない、これは正式な文書にはなり得ないものだと誰もが思いながらも、言われるままに署名をしたのである。見学途中も、「あちらに北の兵士がいます。変な態度をとると何があるかもわからないので注意してください。」という感じであった。
果たして今回北からの見学をしたのだが、案内役は南と違って軍人であった。それもかなり位の高いことが胸の勲章で理解できた。彼の誘導で休戦の話しをしたところ、関係の資料が展示されているところ、
金日成の記念碑、南北が署名をしたところ、監視員の建物などを見学したのであるが、なぜかまったく緊張感を感じなかったのである。もちろん緊張感を煽るような署名もなかった。あまりの違いである。<>2008/08/31 373<>0<>【8月】関根秀一郎講演会<>関根秀一郎講演会
−「ワーキングプア」の逆襲
 はじめに、全港湾中国支部、川田委員長から、労働者派遣法がどのような歴史経過から作られてきたのか、また、どのように規制緩和され、現在のようなまったくの無権利状態が形作られてきたのかという挨拶があった。その上で、労働運動に携わっている者の責任として、現状を打破するための行動が訴えられた。
 関根さんの講演は、自らの体験にもとずいたもので、特に、日雇い派遣の実態を知るために自ら派遣登録をして、倉庫作業を行い、早朝駅に集合するところから帰宅するまでの拘束時間で賃金計算すると、時給あたり最低賃金にも満たない水準であったと。さらに、あの悪名高き「データ装備費」と銘打ったピンハネの構造を肌身で知ることになった。この体験をもとに、フルキャストユニオンが結成されることになる。団交の席上、役員は、小さい白旗を用意してきて「私たちの立場はこれです」と述べてきた。だが、この時のやりとりで感動的であったのは、フルキャストが何千万円かの金で闘争収拾を打診してきたとき、派遣労働者たちが「自分たちのためだけに闘っているわけではないですから」といって拒否したことであった。ここには疑いもなく、労働者の魂がある。結果、フルキャストで開かれた突破口が、次のグッドウィルユニオンの結成、グッドウィルの廃業にまでつながっていくのである。
 生きた現実の闘争が、関根さんの口から語られると、新聞でしか知り得なかった内容の意味、背景を含めて理解された。今後、広島の地でも同様の闘いを組んでいかねばならないと強く印象化された講演会であった。<>2008/08/31 372<>0<>【7月】今こそ新社会党の出番だ<>今こそ新社会党の出番だ
 全県で取り組もう党の再建に
高橋晋作
 6月16日の第8回県本部執行委員会において、△「改憲の手続法」が成立し、さらには「憲法審査会」はすでに設置され、2010年以降改憲の発議に踏み出せる状況にある。それ故、96年段階より、より強大な護憲の結集と闘いが求められている。△加えて、イラク派兵等の動きの中、平和が危うい。△収奪強化の中で労働力(人間)の商品化、労働疎外、人間疎外が強まり、平和は崩れ民主主義の基盤が壊されている。△解放教育が封殺され、格差を生み出す優者優先の教育が強行されている。以上のような状況は看過できない。このような状況に対峙して行こうとすることこそが結党時の基本理念であったはずである。今こそ原点に立って、今日的時代状況への認識を確かなものとして、それへの対峙、対抗が求められており、私たちのあり方、闘いを再認識して党を再建していこうということを徹底した論議の中で確認決定しました。
 具体的には、県本部での取り組み、総支部・支部での取り組み等々いろいろあります。その詳細については、今後提示していきたいと思います。全県で党員、党友、支持組織のみなさん、一丸となって党の再建に向けがんばろうではありませんか。今こそ新社会党の出番です。<>2008/07/31 371<>371.jpg<>【7月】新社会党第13回定期全国大会に参加して<>新社会党第13回定期全国大会に参加して
高橋晋作
 2008年6月28日〜29日の両日、新社会党第13会定期大会が東京総評会館で開催されました。広島県本部からは、、三木郁子、安保英賢、高橋晋作、岡田英治、土屋信三、橋本春雄、小寺好の7名の代議員が出席しました。中央本部栗原君子委員長、中央本部顧問小森龍邦、中央執行委員齋尾和望の三氏ももちろん出席されました。
 大会は28日13時より中央本部前書記長横堀正一さんに1分間の黙祷をささげてはじまり、議長選出、大会運営委員選出、続いて栗原委員長の挨拶、各会からの来賓の挨拶があり、執行部によって総括、方針が一括提案されました。(週刊新社会5月27日号外新社会党第13回定期大会第1号議案参照)執行部の提案を受けて19時30分まで各県代表による質疑討論が行われました。その間財政小委員会も本会議と併行しておこなわれました。
 第2日目は9時に再会し、昨日に引き続いて質疑討論を再会し12時30分の閉会まで、34名の代議員による活発な討論が行われました。その詳細は「週刊新社会」に発表、掲載されますので省略いたします。
 ただ広島県本部でも第13回全国大会の決定を受けて早急に論議しなければならない点についてご報告します。
(1)2010 年参院選を闘う準備を今からはじめる。○解散総選挙にあっては拠点で候補を擁立し「第3極」を形成できる選挙共同をめざす。
○今までにもまして自治体議員を作り出す。等々です。(「週刊新社会号外」を参照して下さい)
(2)財政活動については2010年1月をめどに全都道府県で定率制(党費)に移行できるようにする。以上の2点については広島県本部で十分な論議が出来ていませんので早急に論議しなければならない課題です。
 大会第2日目は、財政小委員会報告、選挙管理委員会報告、本部提案の採決があり、満場一致で可決決定いたしました。
 各県とも大変厳しい状況の中で、党活動の様子がよくわかりました。わが広島県本部も全国の仲間に連帯してがんばらなければという思いを強くしたところです。
 大会終了後、日本教育会館での「横堀正一さんを偲ぶ会」にも出席しました<>2008/07/31 370<>370.jpg<>【7月】「反核平和の火リレー」<>第27回「反核平和の火リレー」出発式

 今年も「反核平和の火リレー」が第27回目を迎え、去る6月16日(月)平和公園慰霊碑前を8:15分に出発しました。
 出発前に、黙祷、献花、「平和の灯」採火から第一走者への点火に続き激励の言葉の後に第一走者の誓いの言葉で出発となりました。
かつて86市町村あった県内自治体も広域合併が進み、23の自治体となりましたが、毎年このリレーは、県内23自治体を回ります。それぞれの地域の人々によりリレーされます。島嶼部や山間部などかつてのようにその姿をみる事ができなくなった地域もある事は残念ですが、被爆県ヒロシマとして多くの県民がこのリレーに関わることは意義ある事と思われます。
リレーでは、@平和行政の推進と核廃絶にむけての行動参加A日本の核燃料サイクル政策の転換とプルサーマル計画中止B被爆者援護法の「国家補償法」への改正と被爆二世・三世への保障体制の整備C軍備増強反対と平和外交の推進D被爆体験などの被爆の実相・「ヒロシマの心」を世界に広げようと訴えながら各自治体に要請書を渡しながら、7月8日には平和公園に到着となります。
県内各地では、子どもたちや若い人々にもたくさん関わってほしいと願うものです。
(三木郁子)<>2008/07/31 369<>369.jpg<>【7月】ねずみ男旅日記(7)<>ねずみ男旅日記(7)
6月20日宗谷岬にたどりついた。北海道大学の駐車場で野宿した翌日の交流会で、「あのあたりにもヒグマはいますよ」と教えられた。29qの日本一の直線道路を歩いた。遙か前方の自動車が止まってみえる。宗谷岬では風雨の中で記念写真を写した。雨が降ると雨やどりをする軒もなく、30q以上をノンストップで歩いた。軒がなければ、ただ歩けばいい。
 ここで行脚の秘訣を披露。左右の互いの足を交互に出すこと。今のこの一歩が大切。最初の一歩が大切。引き返すのはくやしい。
一歩を踏み出せば、最後の一歩につながるもんだとつくづく思った。
 これから府中市上下町にまっすぐ帰ろうか?
だがこの旅は9条に関心をもっていただく旅。そうだ、広島市へ帰ろう。まだ終わってはいない。6月22日午後、原爆ドーム前で報告会を小武さんに準備していただいた。おかげで、新聞社やテレビの取材も受けた。感謝。
 「一人でやれたとは思いません。多くの方々の善意にすがって出来たこと。人の手を借りようとしなかった私の傲慢さを知ることができました」と報告。多くの皆さんと共に出会った旅でした。多謝。<>2008/07/31 368<>0<>【7月】翼<>
翼 
 ひとつの数字が、その社会の特徴を際立って表すことがある。3万3千人。昨年の自殺者の数である。過去10年にわたって、3万人以上の人が自ら命を絶っている。1年間にひとつの市が消滅するほどの人数が、自ら死を選ぶという事実。これはきわめて異常な事態である。これは社会が発している悲鳴である。
 一人ひとりの自殺の原因を追求することはできない。だが、いまの社会構造が、人間として生きる希望を奪い去り、経済的困窮や病気、事故といった原因で立ち直れないほどのダメージを与えていることは間違いない。
 「格差社会」「勝ち組、負け組」「いじめ」「うつ病」「ワーキングプア」…さまざまな言葉が、自殺者の背後を飛びかっている。決して個人の性格の問題や弱さの問題に収れんさせることなく、現在の資本主義の矛盾、グローバリズムの進展のなかに原因を求めていかなければならない。
 希望はあるのか?ある。それは社会主義の実現である。生活のなかから、社会のあらゆるところから成長し続けている社会主義の萌芽を、確実に育て、組織することから闘いは始まる。そこに新社会党の存在意義と役割がある。<>2008/07/31 367<>0<>「がんばってます」114<>「がんばってます」        大崎上島町議会議員
                     中村 修司
 小さな自治体の存続は認めないと、さまざまな締め付けが続いており、交付税の削減に加え、消防施設の整備にかかる費用の国庫補助も、50万人規模が基準とされ、やむなく竹原広域行政から東広島市消防局への事務委託が決定となっています。
 吸収合併への引き金となっては大変と、懸命に抵抗はしたものの、大勢は動かず、島の消防体制を後退させないための協議の場を設置する条件整備にとどまっています。
 原油の高騰が続く中、海上交通手段のフェリーや高速艇の減便・値上げ・航路廃止が相次ぎ、生活不安を増大させている。こうした状況の中、県行政は、地域事務所の統廃合や安芸津県立病院の規模見直し、また小規模県立高校の統廃合計画などを相次いで発表。
 規模の適正化・効率化を理由に、過疎に拍車をかけるための方策としか思えないのですが・・・・。
 こうした県行政への批判的な思いを目一杯したためて、それぞれ要望書を作成し、議決を提案。さすがに反対者はなく、全員賛成で可決し、県行政・県議会への要望活動。
 しかし、残念でならないのは全て保守系県議を経由して、要望活動を行わねばならない現実です。
 地域課題への対応の単なるお願いではなく、弱者を切り捨て、少数者を切り捨てる政治のあり方を糾し、本来の政治を取り戻す活動と連動できればと、わが陣営からの県会議員誕生を改めて願っています。
 いずれにしても、非常に厳しい政治状況の中、決して自分の足元を見失うことのない日常活動を心がけねばと言い聞かせています。<>2008/07/31 366<>0<>【7月】時言「失敗の責任をとらせよう」<>時言「失敗の責任をとらせよう」
 侵略戦争、その惨禍への反省、戒めの要は、主権者たる国民が憲法という「約束」の中に政治権力を封じ込め独走させない、さらに財閥解体・独禁法等々の規制によって、資本の独走・横暴を封じ、二度と戦争を起こさせない絶対平和(平和主義)・絶対平等(基本的人権の尊重)を実現することであった。さらに「この憲法が国民に保障する自由及び権利は国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」(12 条) の教え通り、労働者の闘いは、例えば池田政権に所得倍増、社会保障・国民福祉の増進を図らせ、民主主義の担い手である中産市民形成をめざしてきた▽しかし小泉は「格差はあっていい」と主張。その一事をもってしても国民の代表たる資格はないが、差別・分裂の中に国民を追い込み、平和も生産も共に危機に陥れた。社会主義による○○○、労働者の闘いを共々消滅させ、その結果自らを見失しないこう慌廃したのは資本・政権担当者であったのだ▽資本の走狗小泉が、自信と確信の下で強行した規制緩和等、例えばタクシー関連の緩和措置は見直しを、04年労働者派遣法改正は「日雇い派遣」原則禁止へ、さらに後期高齢者医療制度・福祉関連予算毎年2200億円カット等も見直されていっている▽この「誤りであった小泉政治」で仕事・生活・声明まで奪われた多数の人々に誰が責任をとるのか▽私たちは「国家無答責」を断じてゆるさない。そこに胡座をかく政治家には主権行使の選挙で対決しよう。
          (安保英賢)<>2008/07/31 365<>0<>【7月】第48回 中国の「文化大革命」(1)<>第48回 中国の「文化大革命」(1)
「大躍進政策」の失敗を認めて、劉少奇に国家主席を譲った毛沢東は、やがて奪権の機会をうかがうようになる。国防部長だった彭徳懐は、「大躍進政策」「人民公社」に公然と異議を唱えて既にその座を追われ、林彪が人民解放軍の頂点に立っていた。毛は林を頼み西、林は国民の間に広がっていた毛に対する個人崇拝熱を一層激しく煽りたてた。1964年、林彪は『毛沢東語録』というタイトルの文庫本を編纂し、その大々的普及に努めた。
 毛沢東は、フルシチョフに代表される「現代修正主義者」を、対ソ融和・対中封じ込め政策を強めるアメリカ帝国主義を利する者だと考えていた。アメリカ帝国主義は、現代修正主義者の授けをかりて中国革命を平和裏に転覆させようと狙っている(和平演変)という考えである。毛は、フルシチョフの路線に極めて批判的だった劉少奇やケ小平らの「実権派」さえも、現代修正主義に通底する者と断ずるようになっていった。毛沢東はまた、ソ連の経験に鑑み、それを「反面教師」として国家と党官僚の特権や腐敗を根絶しようとの意図を持っていたように思われる。軍の階級章の廃止や肉体労働の重視は、それを端的に表している。平等主義こそ毛のモットーだったのだ。
 1965年1月、毛沢東は公然と「党内の資本主義の道を歩む実権派」に対する闘争を開始した。大文化革命はまず文芸の分野からはじまった。「現代修正主義者」を批判する壁新聞がいたるところに張り出され、学生らを中心に「近衛兵」が大掛かりに組織された。批判の対象は、やがて経済・社会・政治の全領域に及び、遂には党や国家の幹部にまで上り詰めた。「実権派」「走資派」との糾弾を受けた劉、ケらは失脚し、劉は幽閉中に死亡し、ケは監察処分の下におかれた。替わって台頭してきたのが、毛の新たな連れ合い・江青(1914〜91)らの「四人組」である。彼らは、毛の意を汲んで林彪とともに文革を指導するようになった。 文革の嵐は止むことを知らず、全国各地に拡がって次第に先鋭化していった。この間、知識人らは「下放」されて厳しい農業労働に従事させられ、「ブルジョワ分子」は激しい糾弾にさらされ、武闘に乗り出した近衛兵は各地で荒れ狂い、互いに衝突を繰り返して夥しい数の犠牲者を出した。この大混乱の最中、党規約で毛沢東の後継者とまで謳われた林彪は、毛沢東崇拝の行き過ぎを咎められて?毛の暗殺を企他といわれる。だが、それに失敗した林彪は、1971年ソ連への亡命の途次モンゴルで墜死するという、いささか不可解な事件がおこった。
<>2008/07/31 364<>364.jpg<>【7月】初めての訪朝(1)<>初めての訪朝(1)
去る6月21日から4泊5日の日程で初めての訪朝の旅に出かけた。近くて遠い国といわれる共和国への旅は、まさにそのことを実感することになった。
丁度本国に修学旅行で帰る朝鮮学園の高校生と一緒であったが、彼らが先に高麗航空機に乗り込み、かなり遅れて私たちは別便の小型機に搭乗。一時間の飛行で平壌に。通関は至って簡単であった。これは驚きであった。
出迎えの対外文化連絡協会(以下対文協)の3人に案内されて一路市内の豪華な高麗ホテルに迎えられた。
夜は、対文協による歓迎の晩餐会である。対文協からは国際局長の黄虎男さんが出席された。歓迎の席で黄虎男さんから凡そ次のような挨拶をいただいた。
「大変難しい時期に訪朝していただいたことに感謝します。懐かしい方も初めての方も心より歓迎いたします。広島は新潟と共に最も朝鮮に近いところです。加えて広島は被爆の地です。朝鮮にも被爆者が住んでいます。かつての植民地の問題はもちろん、被爆者の問題も未解決な状態が60年以上も続いています。今回の訪朝が、こうした課題解決のきっかけになり、両国はもとより、アジアの平和に寄与することを念願します。 
教育は国の将来を左右する大切なものです。かつて民族教育が潰された事件がありました」以来日本の政策は南一辺倒で、私たちの同胞はあらゆる形で差別されてきました。しかし、横間先生を始め皆さん方は、在日同胞の権利を守るために当局と厳しく対峙し現在も闘ってこられています。心より感謝いたします。
 今日本は繁栄していますが、その出発点は朝鮮戦争ではないでしょうか。そのことを知らずに国民は拉致のことばかりに目が向いています。私たちの同胞は、かつて800万人がまさに連行・拉致されました。うち20万人が従軍慰安婦にされました。皆さん方には、過去の歴史をしっかり伝えるような教育を今後も続けてください。 
私たちの経済は大変厳しい状況にあり、食料状況の改善に取り組んでいます。戦争の準備などできる状況にはありません。しかし、アメリカ帝国主義には妥協するものではありません。素晴らしい綱領を持っている新社会党とも連帯しながら新の平和を構築していきましょう。」
<>2008/07/31 363<>0<>【6月】ますます生活弱者の人々の命が削られる施策が続出<>ますます生活弱者の人々の命が削られる施策が続出
新社会党広島県本部
委員長  三木郁子

 今、私たちは「高齢者に負担増と差別医療を押しつける後期高齢者医療制度の廃止を求める請願」の署名を全国の県本部で取り組んでいます。
 今まで保険料負担のなかった扶養家族も含め、75歳以上の人全員から保険料がとられ、特に低所得者への配慮が欠けることや、しかも多くの人が年金から天引きされます。
 今までの診療報酬とは、別立ての体系に分けられるため、高齢者医療が制限されたり、治療や入院もしにくくなり、高齢者の生活を直撃し命さえも削られることと成りかねない内容です。
 また、この8月から一部の高齢者の医療費の窓口負担が1割から3割に上がります。
 生活保護家庭の通院のための交通費補助も打ち切られる方向が出されました。
 また、全国の多くの自治体で来年から65歳以上で年金額が18万円以上の人から住民税が年金から自動天引きへとシステム変更がなされるようです。
 ますます生活弱者の人々の生活破壊と命が削られる施策が続出します。
今こそ、街頭で署名をとったり、生活者の声を大きくし訴えようではありませんか。<>2008/06/17 362<>0<>【6月】尾道総支部の日常活動<>尾道総支部の日常活動
 今年度の活動の具体的な中身は当然のこと定期総会で申し合わせた運動方針の一つを着実に、ねばり強く実行していくことだと思っています。特に日常活動に関わる運動方針では、『学習会、講演会、街宣・リーフ配布、「24平和行動」などの活動を通して、まず私たち党員の主体の強化に努めます。市議会会派市民連合の集会への参加も広げます』(方針13項)、『党・労働組合・民主団体の連絡会を組織し、日常的な連携を強化していきます。また「九条の会・おのみち」「ピースふる熱気球」などの市民運動と密接に連携してその活動に参加して行きます』(方針第5項)
などを掲げています。これらの活動をしていくためには、定例の執行委員会が必要です。今年度は14人体制で取り組んでいますが、今年から因島、御調の参加も得て、張りのある委員会になっています。また地味な活動ですが、週刊「新社会」の配布活動もあります。毎週金曜日に東京から小包が届けられます。折り、帯封かけ、宛名シール貼りそしてバイクで2時間の各戸配布へ、配り終えた時の達成感は爽快。毎月24日の“芙美子像前”での「平和行動」リーフ配布も今年をやり切れば10年を迎えます。三木・城間議員出席の議会報告会市民懇談会への参加も定着。「九条の会・おのみち」の月例会参加も格好の学習の場です。来る6月30日には浄土真宗本願寺派の住職小武正教さんをお招きして「仏教と非暴力」をテーマに学びます。そして7月には三木・城間それぞれの議員さんを囲んでの会を予定しています。一つひとつからの解放感が味わえ、なかなか楽しみです。
(原田健)<>2008/06/17 361<>361.jpg<>【6月】働く者の相談室ひろしま 第7回定期総会<>働く者の相談室ひろしま 第7回定期総会

『働く者の相談室ひろしま』は、5月14日18時から第7回定期総会を東区地域福祉センターで開催した。
  総会議案は、年間を振り返って3点に亘って総括がされている。その1として「さらなる知名度のアップを」、第2として「相談窓口を県内各地に開設する」、第3として「活動能力、解決能力の強化にむけて」が総括の柱となっている。
具体的には、「パート・アルバイト・派遣トラブル110番」が昨年11月と今年2月に取り組まれ、年間2回の開設が定着出来たことが評価されている。しかしその一方では相談件数は年間で161件、「パート・アルバイト・派遣トラブル110番」は11月に16件、2月に18件の相談件数は1桁少ないと総括されている。加えて、「活動能力、解決能力の強化」は、活動スタッフの養成が急務の課題と指摘している。
これらの指摘について、方針案では相談件数を飛躍的に伸ばすには県内各地に相談窓口を条件が整い次第、早期に開設していくことが決意として述べられている。
こうした中、昨年度の特徴は12・1安田浩一講演集会に見られるように、今日社会問題となっている「研修生、技能実修生」問題を、90名の参加者とナショナルセンターの枠を超え、広島で開催できたことは大きな成果ではあったといえる。今後もこうした運動を追求、発展させていくことに期待が寄せられており、「労働相談ひろしま」としてもこうした運動の全面的な支援が求められている。

定期総会は毎年のことではあるが、質疑・討論が乏しいことに失望を感じており、総会を盛り上げる工夫がされてもいいのではなかろうか。たとえば、相談者からの意見、感想、要望、決意、等々。あるいは記念講演を総会終了後に行うなど、参加者の一人として素直な感想を提起させていただきます。                   <>2008/06/17 360<>360.jpg<>【6月】広島総支部訪問<>広島総支部訪問
4月30日(水)広島総支部を訪問しました。18時からという事でしたが、執行委員全員が時間通りに集合して、議案レジメも作成し第6回執行委員会の開催となりました。                    
定期的な会議の開催と合わせて「総支部レター」なるニュースを党員に発行し、県本部、総支部の動きが党員に伝わるように継続的に取組まれています。カラー版で大変立派なものです。
定例執行委員会は、開催していても、広島総支部のように全党員にその動きや活動を伝えるための総支部版ニュース的なものは、少数箇所に限られているので、この取組をぜひ広げたいものです。
広島総支部は几帳面な担当党員さんが、パソコンを得てとされているのがフルに生かされている感じでした。
党費とは、別に年間活動費を集金されており、その収支決算報告と機関紙会計の報告も合わせてあり、総支部が会計的にもきちんとした運営に心がけている側面をうかがい知ることができまし、どこの総支部にも共通する苦労の一旦もよく分かりました。
県本部と総支部をつなぐ県委員会の充実などについての積極的な意見要望等もあり、今後へ活かすべき課題も何点かあり県本部としてよい刺激をもらった総支部訪問となりました。
(三木郁子より)<>2008/06/17 359<>0<>【6月】翼<>翼
 ローマで、緊急の食料サミットが開かれた。食料が暴騰して、買うこともできなくなった人たちの暴動までが起きたり、食料の輸出制限などの事態が起こる中での会議であった。この食料サミットでは、各国の利害関係が浮き彫りとなった。
 日本国内では、にわかに食糧自給率が40%を切っていることが注目を浴び、危機感があおられている。いくらお金を積んでも、食料が手に入らなくなるのではないか?といった論調がまことしやかに語られるようになっている。だが、誰もがふれようとしないところに真実がある。それは、日本の経済界、とりわけ大独占資本と呼ばれるトヨタなどの商品輸出を保障するために、日本の農業を売り渡してきた事実である。車や機械、鉄鋼を大量に輸出する代わりに大量の農産物を輸入する、これが過去、大独占資本とその代理人である自民党が行ってきた政策であった。
 新自由主義、グローバリズムの発展に伴って、食料までが投機の対象となった。利益にさえなれば、人が飢えて死のうが関係がない。圧倒的な貧困と巨大な富の集積、これがグローバリズムの現実である。日本の大独占資本も、このグローバリズムの中で巨万の富を形作ってきたが、それが足下から崩れだしたという歴史のパラドックスが現在の事態である。<>2008/06/17 358<>0<>【6月】がんばってます113<>がんばってます113
福山市議会議員
西本章
 「選挙をやるならみんなで創り上げるものを」、そんな気持ちが私にも周りのなかまにもありました。組合組織だけでなく、支援していただく地域の人たちも、気軽に参加できるような選挙が出来たらいいなあ、そんなことを考えながらスタートしました。
 市政報告会なども、既成の概念にとらわれることなく、市役所へ一緒に行ったお母さん、色んなところを一緒に飛び回った人、地元町内会の役員さんなど、身近に行動を共にしてきた人に前面に出てもらうようにしました。集会では必ず楽器の演奏か歌声など、文化的な要素を取り入れました。一方的に話を聞いてもらうだけでなく、映像などを利用して活動の足跡などを、わかりやすく理解してもらい、何らかの形で参加してもらえるような会を企画しました。
 選挙戦では、地元の街頭演説の時間をなるべく確保し、毎日朝・夕2時間ずつくらい、スーパーや団地など徹底して地元での活動をしました。毎朝地元の街頭演説では、私がたすきを掛けてスクーターに乗り、選挙車を先導し、演説場所を自分で選びながら2時間で多い時には10カ所ぐらい精力的に街頭に立ちました。何よりも地元の人に私の政策を聞いてもらい、立候補していることを知ってもらえるよう考えました。アナウンスや運転も初めてね人に一人でも多く参加してもらうようにしました。
 でも、まだまだたくさんの課題を背負いながら2期目の選挙戦を終えました。<>2008/06/17 357<>0<>【6月】時言「これも小泉のなせる業である」<>時言「これも小泉のなせる業である」
 後期高齢者医療制度はその内容の問題もさることながら「健保全体からすれば厄介者を別枠の医療制度に押し込み、医療費のかさむ者同士で面倒をみなさい」というものである。この後期高齢者に高負担を強いる発想は「医療費が際限なく上がっていく痛みを、後期高齢者が自分の感覚で感じていただくこととした」(厚生労働省後期高齢者医療制度施行準備室長補佐)との発言にも鮮明に現れている。これでは国民全体で支え合い守っていく保険の基本理念に違背し、世代間対立を煽る分裂支配そのものである▽この制度に見られる問題は、前記の室長補佐発言を誘発している当該制度の発案者(その政権)の政治姿勢の問題である。第一に社会的強者も弱者も自己責任とし、福祉政策を切り詰める小さな政府・新自由主義経済に立つ。第二に一千兆円近い借金、それ故の財政再建を口実にして、二0一一年まで毎年二二00億円の福祉予算を切り詰める。第三に規制緩和・労働法制改悪で今や若者の2人に1人は非正規雇用である▽これ等は皆、小泉の言う「悲鳴を上げて、もうこれでは生きられないから増税でも何でもしてくれ」と言うまで絞り込めという発想の現象化であり、富を弱者から吸い上げ強者に配分するという資本の走狗の所為である▽そのことは法人税大幅減税、株取引きの優遇措置、消費税の払い戻し制度等々資本の側への優遇措置をみれば明らかである。決して許してはならない。
(安保英賢)<>2008/06/17 356<>0<>【6月】第47回 中ソ、蜜月から対立へ<>第47回 中ソ、蜜月から対立へ
 毛沢東は、1949年10月の中華人民共和国建国宣言後、「向ソ一辺倒」の外交戦略を打ち出した。同年12月、毛はモスクワを訪問してスターリンと会談し、国際共産主義運動におけるスターリンの「功績」を高く評価した。それを受けて翌年2月、中ソ両国は、軍事同盟や技術協力など多方面にわたる協力関係を盛り込んだ有効期間30年の「中ソ友好同盟相互援助条約」を締結した。スターリンの存命中、両国関係は蜜月状態にあるように思われた。
 ところが、1956年ソ連共産党第20回大会におけるフルシチョフのスターリン批判に際し、毛沢東はフルシチョフの改革路線を「現代宗制主義=右翼的偏向」だとする見解を抱き、以来両党、引いては両国の関係は次第に悪化の一途をたどるようになる。
 1957年10月、ロシア革命40周年記念式典に出席のため、再度訪ソした毛は、モスクワ大学で、「東風は西風を圧す」との講演を行い、暗にフルシチョフの「平和共存政策」を批判した。翌58年7月、今度はフルシチョフが初めて訪中し、中ソ共同艦隊の創設等を提案したが、中国側の同意を得ることはできなかった。
 この間、中国の社会手記的発展が進まないことに苛立ちを覚えた毛沢東は1958年、工業・農業生産を飛躍的に増大させるという「大躍進政策」に乗り出した。だが、この政策はあまりにも無謀だった上、自然災害も重なって膨大な数の餓死者を出した。そのため、毛は59年4月に政策の誤りを認めて国家主席の地位を降り、その後を受けて劉少奇(1898〜1969)が国家主席に、ケ小平(1904〜97)が党総書記に就任した。
 しかし国家主席の交替後も、中国のソ連に対する「修正主義」批判は止まなかった。これに対しソ連は1959年6月、中国への原爆供与に関する技術協定を破棄し、翌60年6月には中国に派遣していた技術専門家を引き上げた。またソ連は、1959年〜62年の中印国境紛争に際しインドに対して武器援助を行った。一方中国は、キューバ危機に際してソ連がとった政策を、「左翼冒険主義」と「右翼日和見主義」の二重の過ちを犯したと厳しく非難した。さらに中国は、1963年の米ソ英三国の部分的核実験禁止条約を、核兵器廃絶を望む世界の世論を欺く大ペテンだと罵った。フルシチョフは1964年、農業政策の失敗のかどで失脚し、L.ブレジネフ(1907〜82)が党書記長に、A.bコスイギン(1904〜80)が首相に就任するが、中ソ関係の改善は見られず、1968年、ソ連がワルシャワ条約機構軍を率いて「プラハの春」を軍事力で圧殺したころには、中国のソ連「修正主義」批判は「社会帝国主義」批判へとエスカレートしていった。
 ところで野に下った毛沢東は、1962年頃から学生らを組織して思想改革運動を開始した。「文化大革命(次回に詳論)」の勃発であった。文革中、毛の復権とともに中ソ対立は一段と激化した。1969年には国境問題を巡って軍事衝突(珍宝島事件) まで起こり、70年代には「敵の敵は味方」との論理から米中接近が計られ、遂に1979年4月、すでに形骸化していた中ソ友好同盟相互援助条約は、正式に破棄されるに至ったのである。<>2008/06/17 355<>355.jpg<>【6月】〘連帯-ビルマ難民キャンプ支援〙<>〘連帯-ビルマ難民キャンプ支援〙
 5月2日に大型サイクロンがビルマ(「ミャンマー」)を襲い、10万人以上が死亡、そして今も
被災者240万人の内、100万人以上の人たちが物資が配給されない状態にあるといわれます。のビルマのサイクロン災害は、予報の伝達そして避難という備えについても、また災害が起こった後に、被災者救援よりも新憲法への国民投票の成立を優先させ、諸外国のNGO.救援隊の入国拒否をするなど人災の面が問題となっています。
 軍事政権は5月30日に新憲法の成立を宣言しました。、「国会の1/4の議席は軍事政権が指名し、議会の3/4以上の賛成が無ければ、憲法改正発議はできない」「外国の支援を受ける者(アウンサン・スーチーさんを念頭に)は議員に立候補できない」など軍事政権維持を念頭に置いたものです。ビルマ難民で民主化を求めるココラットさんによれば、「国民投票で反対票を入れた者は誰か今調べられている」という中での国民投票だったということです。
 ビルマの僧侶と連帯する会では、ビルマ難民の支援に2月25日から29日までタイ北部のビルマ国境の14000人の入るメラウーキャンプを訪れました。発電機からパソコン・プリンターを贈り、「未来コンピューターセンター」を開設しました。難民キャンプでは生産活動が許されないため、子ど゜もたちはいずれキャンプの外で自立していかなければなりません。子どもたちが軍事政権を倒すために銃ではない選択をしてほしいと願わずにはおれませんでした。次は女性に足踏みミシンを届けることを約束して帰りました。
 サイクロンの被害に対しては、ココラットさんは、「諸外国の報道・支援がへり、再建に向けて動き出す半年後をにらんだ支援をしてほしい」とのことでした。
 「関係・関心を持ち続ける」ことが何より大切かと思います。
(ビルマの僧侶に連帯する仏教徒の会 小武正教)

*郵便振替
口座名:ビルマの僧侶に連帯する仏教徒の会
     口座番号01390-7-86201 <>2008/06/17 354<>0<>【5月】組織を再構築し日常活動を大切にして前進しよう <> 組織を再構築し
 日常活動を大切にして前進しよう 
新社会党広島県本部
副委員長 高橋晋作
 新社会党結党当時は、広島県本部に結集した党員・党友は一千名をはるかにこえた大組織でした。結党から十数年が経過した今は、全国的にみると着実に党員・党友を増やして、党勢も拡大して頑張っている組織もあります。しかし、極めて残念ですが、わが広島県本部は一部の支部を除いて党員・党友も減少して党勢もおとろえているのが正直な実態です。このような状態になった要因はさまざまあると思います。そのことには今はふれませんが県本部執行部の責任も大きいと反省しています。この現実から目をそらさず、組織を再構築し党の主体的力量をつけていかねばなりません。そのためには県本部はもちろん、総支部・支部で
○役員会、学習会、全党員集会など定例的に
 着実にやりきろう。何ごとも集まることから
 です。
○広島総支部に学んで、月一度の支部レター
 の発行を
○党財政を確立するために徹底的に論議して
 党費徴収の最善の方法を確立しよう。
○機関誌「新社会」拡大の取り組みを本気で
 やろう。<>2008/05/30 353<>353.jpg<>【5月】9条世界会議ヒロシマ<>9条世界会議ヒロシマ
 広島市アステールプラザで開催された「9条世界会議ヒロシマ」には、会場を埋め尽くす1200名の参加があった。集会では、ノーベル平和賞を受賞したマイレッド・マグワイアさんの講演に始まり、日本の平和憲法、とりわけ第9条の持つ意味についてのリレートークが行われた。マグワイアさんは、自身のアイルランド紛争の経験から武器を取って闘うことの無意味さを訴え。おそらくは宗教的な思いもあってかと考えられるが、「許しと癒し」という呼びかけがあった。 憲法9条の持つ意義が、日本にとってのみ必要なのではなく、世界の国々がめざすべき方向性であること。そして、日本はその方向へ進むようリーダーシップを取ることによって、世界でも尊敬される国家となるであろうことが語られた。 リレートークの中でも、9条の持つ普遍性、人類の歩むべき方向としての9条ということが強調された。21世紀を迎え、戦争のない世界を実現しようとしていたにもかかわらず、世界はテロと戦争に明け暮れることとなってしまっている。
だからこそ、軍備をなくし、戦争を拒否する9条の持つ意味がますます重要となっている。「9条世界会議ヒロシマ」はあらためて、その内容を確認し、日本の人々に9条を守り、発展させ、世界に向けて平和の発信を行うことを要請するものとなった。
<>2008/05/30 352<>0<>【5月】憲法記念日に思う<>憲法記念日に思う    
  小森 龍邦
日中戦争にひきつづいて、太平洋戦争に至る長い15年戦争は、1945年の広島・長崎における原爆投下の悲惨な状況を経験し、やっとその終焉を迎えた。
国民の多くは言うと言わぬとの差はあったが、戦いの勝ち負けに執着するというより、毎晩の如く襲いかかるB29の爆撃が止まっただけでもほっと一息ついた。
「これでなんとか貧しくとも、穏やかな生活ができる」という実感をもった。
これからの日本は「平和国家」「文化国家」で立っていくのだと、有識者が、当時のわれわれ青少年をふるいたたせた。私もまた、そのことに深くうなずいた。
間もなく、新憲法の制定ということになった。1946年11月に公布され、翌47年5月に施行された。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」(第9条)
中学校の2年生であった私の胸は、高鳴るものを覚え、これなら日本という国は再生できると思った。私は憲法の文章全体を暗誦した。あれから60余年。私は憲法の殆どの条文を今でも暗誦できる。
もうこれで、人類は再び戦争のような愚劣で悲惨なことは繰り返さないだろうと、私は思った。
しかし、警察予備隊、保安隊、自衛隊と名称変更をおこないながら、世界有数の軍事力を保有する国となり、憲法条文が形骸化されていったことは勿論、いまでは、アメリカの無謀なイラクへの軍事行動に、「後方支援」と銘打って、軍事行動に加担している。
人間というものは、なかなか性根に入らぬものだと、この生涯を通じてつくづく思わされている。
「安保堅持」「自衛隊合憲」と村山内閣は突然変容を演じ、当時、日本社会党の衆議院議員であった私は、「トチネンボー」を振った。
日本社会党はもろくも崩壊した。民主党に行き遅れた社民党が、もとの社会党のような声をかすかに響かせている。しかし、この人たちには、あの方針変換が日本と日本国民の運命を狂わせたという反省をしない。
われわれは、保守反動の全面包囲を受けて、いま小さな勢力に甘んじている。しかし、いずれの日か、この一貫した姿が本当の世界平和の道であることが証明されるであろう。
そのために日本国憲法の尊い精神は守りぬかねばならない。
<>2008/05/30 351<>0<>【5月】佐川急便闘争支援のお願い<>佐川急便闘争支援のお願い
スクラムユニオン・ひろしま
           委員長 土屋信三 
                    
 貴労組、貴団体の日頃の活動に敬意を表します。
 今般、スクラムユニオン・ひろしまは、佐川急便(株)を相手取って損害賠償請求訴訟を提訴いたしました。これは昨年6月20日に発生した、佐川急便福山店内での島村店長(当時)による暴行事件に対するものです。スクラムユニオン・ひろしま佐川急便分会長である根来さんは、当日、作業中に耐えきれなくなって立ち小便したことから、事務所に呼び出され、10数分にわたって殴る、蹴る、打ち付けるといった暴行を受けました。その内容はすさまじいもので、電話機で殴る、パソコンのモニターを投げつける、胸ぐらをつかんで机に打ち付けるといったものでした。無抵抗の根来さんは、まさにサンドバック状態でした。同僚証言でも、島村店長の机の上には何も残っていなかったとされています。この結果、根来さんは首などをねんざし、全身に打撲を受け、今もって就労できない状況です。しかも、佐川急便は根来さんに対して、仕事を遅らせたとして、現場にいた同僚一人ひとりに土下座させて謝罪させ、あまつさえ退職願に署名させて退職強要まで行いました。後日、根来さんが依頼した弁護士からの交渉によって退職強要は撤回されましたが、会社としての謝罪や補償は一切行われていません。当事者である島村店長に対する処分も行われていません。当初、会社側は「刑事告訴、するんならしてみいや」と強気でしたが、その後、「できれば和解してくれ」と態度を変えてきました。そのため、根来さんは我慢してきました。しかし、会社は誠意ある態度を示すどころか、結成された組合分会との団交にも応じず、いやがらせに終始してきました。
 ここにいたって、スクラムユニオンとして不当労働行為救済申し立てを行い(4月17日)、さらに損害賠償請求訴訟を起こしました。(4月24日)島村店長に対する刑事告訴も行う予定です。
 貴労組、貴団体におかれましては、この間の経緯をご理解の上、佐川急便に対する闘いへのご支援、ご協力をお願いいたします。具体的には、
1,このような暴行傷害事件を引き起こした犯罪企業である佐川急便利用の   停止、契約解除を行なって下さい。
2,佐川急便本社、中国支社への抗議ファクスを送って下さい。
  本  社FAX番号 075−682−3784
  中国支社FAX番号 082−256−6070
3,労務担当、日名内(ひなうち)への抗議電話を集中して下さい。
  電話 090−7379−3791
抗 議 文


佐川急便株式会社
代表取締役 栗和田榮一 殿
佐川急便(株)中国支社
支社長 川畑昭博 殿
 佐川急便(株)中国支社福山店において、従業員に対する暴行事件が発生していながら、すみやかに対処せず、うやむやにすることなどは許されない。当時の店長であった島村に対して厳正な処分もせず、被害者である根来さんに退職強要するなど言語道断である。
 しかも、スクラムユニオン・ひろしまからの団交要求に対して、さまざまな言いがかりをつけ、団交を引き延ばし、あまつさえ、団交を拒否するなど許されないことである。スクラムユニオンとの誠実な団交を行い、暴行事件に対する謝罪と損害賠償を行うべきである。コンプライアンスを語りながら、その実、正反対の対応を行うなど、社会的責任のある企業のとるべき態度ではない。
 われわれは、スクラムユニオン・ひろしまの行動を断固として支持するとともに、佐川急便(株)の対応について、強く抗議する。


*佐川急便(株)は、スクラムユニオン・ひろしまと誠実な団交を行なえ!
*不当労働行為を繰り返すな!
*根来さんに対する謝罪と損害賠償を行なえ!
*島村元店長を懲戒解雇とせよ!<>2008/05/30 350<>0<>【5月】翼<> 翼
 5月3日、5月5日と、平和憲法、とりわけ9条を守るための市民集会が開かれた。3日には「輝け9条・活かそう憲法」と題して、高作正博関西大学教授の講演会があり、5日には「9条世界会議ヒロシマ」があった。それぞれ参加された方も多かったと思う。
 小泉・安倍政権から福田政権へと移る中で、むき出しの改憲論議はなりをひそめたかのように見える。だが、改憲手続き法である「国民投票法」が成立してしまっている現在、3年の時を経れば、いつ改憲発議がなされてもおかしくない状況は引き続いており、油断は許されない。ガソリン税や年金問題、後期高齢者医療制度の問題(これらも、もちろん大事な問題ではあるが)などに耳目を奪われているうちに、水面下での改憲の動きが強まっていることに注意を喚起しておくことが必要であろう。
 普段の生活の中で、空気や水のことをあまり意識しないように、平和憲法も意識されることは少ない。しかし、空気や水がなければ生きていけないように、平和憲法がなければ日本の政治構造は大きく変化してしまう。軍国主義の道、戦争の道を歩まないためにもいまが踏ん張りどころである<>2008/05/30 349<>0<>【5月】第46回 キューバ革命<>第46回 キューバ革命
 長年「アメリカ合衆国の裏庭」と蔑まれてきた中南米に、近年、反米帝の左翼政権が続々と誕生している。その先駆となったのは、1959年のキューバ革命によって樹立されたF.カストロ(1926〜)政権である。
 1898年の米西戦争に勝利したアメリカは、カリブ海の要衝、旧スペイン領キューバを事実上の保護国とし1903年にはグアンタナモ基地の永久租借を認めさせ、基地周囲を地雷原にして外界からの隔絶を計った。今や米軍による人権侵害のシンボルとして世界中の非難を浴びるようになったこの基地は、メディアの接近はおろか、アメリカ国内法やジュネーブ条約の適用もない米軍の恣意的な監獄の役割を担い続けている。
 戦勝後、歴代アメリカ政府は、キューバに対し親米政権の維持と主要産業は砂糖きび生産だけというアメリカ依存のモノカルチャー経済を押しつけてきた。ところが1952年、政情不安の中、軍事クーデターによって政権を握ったバティスタは、対米依存を深める一方、強権支配を恣にした。この暴政に抗して、学生や左翼団体等による反バティスタ運動が高揚してくる。1953年夏、カストロはわずか130名の同志とともに武装蜂起の挙に出たが、この企ては失敗に終わり大半の者は討ち死にした。逮捕されたカストロは15年の刑を宣告された。だが2年後、恩赦により釈放されてメキシコに亡命する。
 アルゼンチン生まれの医師、チェ・ゲバラ(1928〜1967)は、ラテンアメリカ放浪の途次、各地の悲惨な状況を見聞するうちマルクス主義に共鳴し、グアテマラでは米企業の接収やインディオの復権のために闘っていたアンベンス政権を支持するが、CIAの工作や内部の裏切りによって政権が崩壊するとメキシコに逃れた。彼はそこでカストロと出会い、キューバ革命への参加を誓うことになる。この時点では、カストロはまだ社会主義者ではなかった。
 カストロ兄弟とゲバラらは、プレジャー・ヨットに乗って秘かにキューバに入国し、山中に立てこもってゲリラ活動を展開し、一進一退ののち次第に勢力を拡大して1959年初頭には首都ハバナに迫った。政府軍は内部から崩壊し、バティスタは国外に逃亡を余儀なくされた。カストロは政権を掌握したものの、直ちにラディカルな政策に打って出なかったため、アメリカもほどなくカストロ政権を承認した。
 しかしカストロ政権が、アメリカ企業財産の没収、国有化政策に手掛けるに従い、両国の関係は急速に悪化した。1959年末、アメリカ国家安全保障会議は、カストロ政権転覆を計画し、有名なビックズ湾事件をはじめ数次にわたってカストロ暗殺、革命政権の転覆を謀ったが、ことごとく失敗に終わった。翌60年、なおキューバ国内にあったアメリカの製油所が、石油の供給を拒否するに及んで、キューバはソ連からの石油購入に踏み切った。それを契機に、アメリカはキューバとの国交を断絶し、キューバはソ連に急接近したのであった。<>2008/05/30 348<>0<>【5月】時言 「司法は憲法81条に立て」<>時言 「司法は憲法81条に立て」
 名古屋高裁は4月17日、イラクに於ける航空自衛隊の支援活動は米軍等と一体化したものであり、憲法9条に違反するとの判断を示した。長沼ナイキ基地違憲判決以来、実に35年ぶりの「違憲判決」である。「国の特定の行為については司法は判断権を有しない」という積年の統治行為論を退け、「司法の審査に服さない国の行為」は許されないとする憲法81条に基づいての判断である。これによって司法の独立・法治国家たる原則に立ち返ったとも言えるのである▽さらに私たちが、平和のうちに暮らす権利(平和的生存権)を具体的権利として認めた。すなわち「この権利を侵害する違憲行為の差し止め、損害賠償請求等の方途により救済を求めることが出来る」とした画期的な判決である▽今回、この「平和的生存権」に基づく差し止め・損害賠償請求は棄却されたが、被告国側の勝訴故上告の方途は絶たれ判決は確定した。故にイラク派兵違憲・平和的生存権の具体的権利としての確立も確定したのである▽さらに感動せずに居れないことがある。前記「長沼」判決後、福島重雄裁判長は高裁・地裁の「判事」からはずされ、定年まで6年を残して退官したが、この例のとおり最高裁が下級審を支配する手段として「人事権」を濫用しているのである。今回の青山裁判長は判決言い渡しの時、すでに退官していたことを知るにつけ、最高裁の支配権の強大さを思い知らされる。残る陪席判事2名を孤立させない闘いが求められている。
(文責 安保英賢)<>2008/05/30 347<>347.jpg<>【5月】チベットの僧侶・市民を殺すな 殺させるな‼第2段<>連帯
チベットの僧侶・市民を
 殺すな 殺させるな‼第2段

 4月26日、長野で北京オリンピック聖火リレー当日、9時すぎより12時まで、「非暴力・仏教徒の会」の呼びかけにより、原爆ドーム前で 「チベットの人たちの文化と人権を守ろう」と、「平和を願う集い」が開かれた。 原爆ドーム前では、日の丸を掲げた別団体も、中国に抗議の集会を持っていた。
 非暴力・仏教徒の会は、チベット問題は日本人としての立ち位置が大事だと、以下の言葉を横幕に大書した。
「日本は63年前まで、中国をはじめアジアの国を侵略し、2000万人を超す人々の生命を奪い、はかりしれない苦しみを与えるという大きな過ちを おかしました。その懺愧の思いを胸にし、今、願わずにはおれません
○チベットの人々に、一日も早く平和な日々
 がおとずれることを。
○親愛なる隣人である中国の人々が同じ過ち
 をこれ以上おかさないことを。」
 チベット問題は、反中国を前面に掲げる右翼の声も大きく、またチベット問題を取り上げることは逆に米国等を利する行為につながると批判の声もあり一筋縄ではいかない。
 しかしたとえ前近代的な社会であったとしても、他国が武力で介入してその変革を図ることは決して許されない。「殺すな 殺させるな」は無条件でなくてはならないと非暴力・仏教徒の会は訴えた。
                     (事務局小武正教)
<>2008/05/30 346<>0<>【5月】がんばってます113<>がんばってます
府中市議会議員
小森龍太郎
 臨時議会が二月二十日に行なわれ、小中一体校建設工事の入札、ごみ有料化、桜が丘団地造成と販売に関わって疑義があり、私たちは百条調査委員会の設置を求めましたが、否決されました。
賛成したのは私の会派である社会クラブと、新政クラブ、自由クラブの八人。反対したのは平成クラブ、公明党の十三人、共産党の二人は棄権しました。
 平成、公明の反対理由は、「憶測に過ぎない」「緊急性がない」からだと言います。しかし、証拠は資料として示しました。また、市長は巨額な市民の血税を湯水のごとく使っているのだから、早急に真相の解明をせねばなりません。しかも、私たちの提案に何ら質疑もせず、言いたいことだけを言って終わり。「理解できない」と言いながら、質疑をしないのだから、はじめに結論ありきで、真相が暴かれることを恐れ、何が何でも市長を助けなければならないとする姑息な思いが見えてきます。共産党に至っては、私たちのこの取り組みを「パフォーマンス」だと切って捨てました。賛成せず棄権するのだから、いくら普段「市民本位の市政を」と言っても、市長を助けることにしかなっていません。今回の「談合疑惑」で、主導権が取れなかったからといって、賛成しないのは、セクト主義のなせる技でしょうか。
 いずれにせよ、平成クラブ、公明党、共産党によって、臭いものにふたがされ、また、「市民のため」ではなく、「市長のため」の議会となりました。<>2008/05/30 345<>0<>【4月】福山市議選勝利を今後の組織強化へつなげよう<>福山市議選勝利を今後の組織強化へつなげよう

新社会党広島県本部
委員長 三木郁子
 3月30日告示、4月6日投開票の福山市議選に我が県本部は、現職3名を推薦しこの一週間を全県集中方式を呼びかけ、みんなで3候補の支援にかけつけました。
 46定数に51名の立候補者で、まさに少数激戦の選挙戦の闘いでしたが、3候補とも個人演説会を複数箇所連日こなし、また近隣総支部役員や議員団も連日応援弁士や選挙カーにての支援にかけつけました。
 今回は、広域合併後初めての一円一区の選挙で票の読みにくい選挙戦でしたが、川崎卓志候補5期目、池上文夫候補3期目、西本 章候補2期目のそれぞれの当選を勝ち取ることができました。 それぞれの候補者の日常活動のがんばりもあり、各地元後援会と支援組織が一体となり共に相乗効果を挙げ、3候補とも前回票に大きく上積を図り議席確保となりました。
 県東部の中核都市に引き続いて3議席がとれた意義は、かかわった多くの人たちにとっても大きいものがあります。
 今回の福山市議選勝利のさまざまな経験を活かし、今後の私たちの組織強化や運動の発展に何としてもみんなで繋げて行こうではありませんか。<>2008/04/29 344<>0<>【4月】福山市議選挙 推薦候補全員当選<>福山市議選挙
推薦候補全員当選
高橋晋作
 3月30日告示、4月6日投開票の福山市議選挙は、46名の定員に対して現職41名、元職1名、新顔9名の少数激戦の闘いでした。
 新社会党広島県本部が推薦した、西本章候補19位4161票、池上文夫候補20位4097票、川崎卓志候補29位3780票の高成績で全員議席を得ることができました。しかも全員が4年前の選挙の得票にかなりの票の上積みをしての当選です。このことからも3名の推薦候補の日常活動の確かさが証明できるのではないでしょうか。
 西本章候補は「人がすき、平和がだいすき」をメインテーマに「子ども、障がい者、高齢者にやさしい街」こんな街を創りますなど4つの具体的な政策を。
 池上文夫候補は「市民が主人公の政治」をメインテーマに「情報を公開し公正で公平な市政」など8つの具体的政策を。
 川崎卓志候補は「あなたと市政のパイプ役」をメインテーマに7つの具体的政策を訴えて選挙戦をたたかいました。
 各陣営とも終始ひきしまった選挙戦を展開したと思います。その間県内各地から議員団の皆さん、労組役員のみなさんをはじめ、多くの方々の個人演説会の弁士、街宣車に乗っての宣伝活動等々、ほんとうにお世話になりました。また、県内各地の支持者の皆さん、党員・党友の皆さんのご奮闘に対しても、心から感謝致します。
 この選挙戦が一つの契機となって新社会党福山総支部の日常活動や学習活動が活性化できることを念じています。<>2008/04/29 343<>0<>【4月】三原総支部党員学習会<>三原総支部党員学習会

 3月28日(金)に新社会党三原総支部の党員学習会を開きました。
三原総支部では、定期的に学習会を開こうと支部総会で決定し、これが2回目の開催となりました。
定例市議会がこの日終了したこともあって、七川市議会議員(総支部委員長)が議会報告をされました。三原市の財政状況の解説をされ、他の自治体同様厳しい財政状態にある三原市の現状を市民がもっと注視して、夕張が他人事でないことを考えなければいけない。このような課題も学習のテーマにしていこうと話されました。
 つづいて刊行されたばかりのKOMPAS21vol10「貧困と冨・階級社会の実相」をつかって学習しました。数字やグラフの多いものはさけて、最後の章 津和 崇さんの文章を代表者が読んで意見交換をしました。津和さんの貧困と格差を推進する成果主義にたいして、推進より正当化固定化している成果主義の実態を元教員が話されたり、「努力し、成果をあげた者が報われる制度という魅力的な旗印に共鳴した労働者は多い。」の一文に対して、後期高齢者保険制度が始まるが中身を知ろうともせず、魅力的な旗印に踊らされてはいけない。と後期高齢者・・・を長寿ナントかに名前をかえてはどうかといった、厚労大臣の発言に後期高齢者が憤慨したりなど意見がだされました。最後に冒頭の雨宮さんの論文。冊子4ページ終わりから5行目からのところが、貧困の本質ではないかとの指摘をうけて学習会を閉めました。参加者は途中からの人も入れて9人と少なかったのですが、読みやすいとの評判のいい今回のKOMPASをつかってこれからも学習活動をつづけていこうと確認しました。<>2008/04/29 342<>0<>【4月】9条世界会議ヒロシマ集会に参加しよう<>9条世界会議ヒロシマ集会に参加しよう

 イラク戦争は5年経っても終結しません。世界の各地で紛争が続く中、武力に頼らないで平和を目指す日本の憲法9条は各国の市民にぢのように見られているのか。「世界は9条をえらび始めた」を確認し、9条の理念を拡大する『9条世界会議』は5月4日〜6日、千葉県・幕張メッセに国内外から1万人を結集しての開催予定です。広島では5月5日『9条世界会議』一連の集会が市内で開催されます。ヒロシマ集会にはマイレッド・マグワイヤさん(北アイルランド・ノーベル平和賞受賞)など多彩なゲストによるスピーチや歌も計画されています。
 新社会党は『憲法の改悪を許さない広島県民会議』として実行委員会に入り集会成功のため関わってきましたので、みなさんも積極的にご参加いただきたく、下記の通りご案内致します。
 日時 5月5日(月)13:00−(12:30開場)
場所 アステールプラザ
入場料 999円(高校生以下・障がい者無料)<>2008/04/29 341<>0<>【4月】翼<>翼

先日、同居している義母に後期高齢者医療制度発足に伴う知らせが届いた。中を開けてみると、わずか10万円足らずの年金から6000円ずつ天引きするとの通知であった。もう80歳を超える年となっているが、原爆手帳を持っているために医療費はかかっていない。本人も「年を取っても、お医者にかかるのにお金がかからないので安心だ」といつも言っていた。ところが、今度は否応なしに年金から天引きされていってしまう▽義母は、原爆手帳のおかげで医療費はかからないが、普通の人は主治医制度の下で初診で診療費6000円を払っていかなければならなくなる。「福祉国家」を標榜するのであれば、高齢者に対する医療費は無料とするのが当然であろう▽独占資本のために投資された膨大な赤字国債の穴埋めに、もっとも取りやすい高齢者から吸い上げるという、この政策は完全に白紙に戻し、撤廃すべきである。そして、敗戦後から、現在の日本の発展を築いてきた高齢者からの収奪でもって、財政の立て直しを図ろうとする自民・公明の政治に終止符を打つべき時であろう。<>2008/04/29 340<>0<>【4月】第45回 フルシチョフのスターリン批判<>第45回 フルシチョフのスターリン批判

 歴史には数十年もの間、状況が殆ど変わらない場合もあれば、1年のうちに状況が一変する場合もある。社会主義関係について言えば『共産党宣言』が発表された1848年がそういう年だったし、またソ連共産党20回大会が開かれた1956年がそういう年に当たると言ってよい4.1848年には、フランスでは2月革命、ドイツでは3月革命が起こり、イギリスではチャーチスト運動が最後の盛り上がりを見せ、オーストリア等でも革命的動乱が発生した。1956年には、エジプト・ナセル大統領のスエズ運河国有化断行に対し、英仏両軍はいったん出兵するが、国際的非難の大合唱の中で撤退を余儀なくされた。それは旧い帝国主義に弔鐘を打ち鳴らした事件であった。同年、共産主義運動にも大きな変化が現れた。2月のソ連共産党第20回大会におけるN2フルシチョフ(1894〜1971)の「スターリン批判」と、同年末のハンガリー事件がそれである。これを契機に国際共産主義運動の中で「非スターリン化」の動きが表面化し、中ソ対立も次第に激化して、かつてスターリンの専制下に一枚岩を誇った共産主義運動は、次第に分解と崩壊の道をちどることになる。フルシチョフは、大会の「秘密主義」でスターリンを非難したのだが、ソ連当局はその後もこの報告を公にしなかった。それを全文スッパ抜いたのは、なんとアメリカ国務省であった。
フルシチョフは「秘密報告」の中でせ大要次のように述べた。@スターリンに対する個人崇拝の強要は、党生活や社会主義建設に重大な障害をもたらした。Aレーニンは死の直前、スターリンの指導者としての資質を問題視したが、スターリンはこの指摘に耳をかさず、党の規律を無視し専横な独裁者として振る舞った。Bスターリンは、1934年の第17回大会で選出された中央委員・同候補の70%、代議員の56%を粛清したが、その大半は濡れ衣だった。Cスターリンの弾圧は、有能な活動家・軍人・知識人から無辜の市民にまで及んだが、彼らに科せられた罪状は殆どデッチ上げだった。Dスターリンはヒトラーの野望を見誤り、対独戦初期にソ連が蒙った兵士・国民および財産の莫大な犠牲は、もっぱら彼の責任に帰せられる。Eスターリンは、ソ連と東欧諸国との関係維持にも責任があり、その最たるものはチトーとの関係悪化で、結局ユーゴスラビアを敵対陣営に追いやってしまった。
 こうした「スターリン批判」にも拘わらず、フルシチョフはその年の10月〜11月、「非スターリン化」をさらに推し進め、ソ連から離反しようとしたハンガリーに軍隊を差し向け、抵抗する市民ら多数を殺傷した。ここにフルシチョフ改革の不徹底さを端的に見てとることができる。フルシチョフは農業政策の失敗を口実にやがて権力の座を追われ、守旧派のL.ブレジネフ(1907〜82)がそのあとを襲うのである。<>2008/04/29 339<>0<>【4月】がんばってます112<>がんばってます112
三原市議会議員
七川義明
 3月議会終了し、ふりかえって見ると討議回は3月3日にはじまり、27日に終日を迎える25日間であった。今日市民生活を見るとき、又私の市議として20数年続けて来た市民相談活動の中で特に感じることは、中・小の建設業を中心にした受注減による経営難、小売店の客離れ、集客力の低下、職を離れた者に対する求人は、パート・派遣労働条件等の中、生活を支えるには大変厳しい環境下に立たされ、家計の収入・支出のバランスのくずれからくる諸問題か多くなって来ている。金融事故(借金)、家庭内トラブル、税金、公共住宅家賃等の滞納、隣人とのトラブル。小売店はさらに街から消え、残るはシッターの下りた店舗跡、又は駐車場。話しを聞く度に展望の見えないまま、解決の難しい相談が多い。これらに対し行政的課題は重大である。
 しかし国の政治に左右され行政施策は国・県の補助事業が中心で単市事業はほとんど出来ない。市民に密着型事業は課題解決が出来ない。生活道の関連事業小集落農業に対する手当、小売業に対し自力で先の事を考えて行けといわんばかりの状況はそのまま廃業につながる。本当に対処しなければならない市民生活に影響する施策が本年も市政に反影出来ないで終わった。今後微力ではあるが今以上移民の皆さんの声を、生活実態を、相談活動を等して自己の課題として取り組んでいきたい。
 特に家計収支のアンバランスの原因解決、家庭崩壊、地域崩壊を招く生活意識の課題、民主主義教育に逆行する教育行政の是正、行政(教育)の権力による教職員の健康・精神破壊につながる権力思想の押しつけや管理強化・過重労働につながる合理化の進行、分別しない民間移譲課する重要な事柄は多大である。私の持ち分として頑張っていく決意である。
<>2008/04/29 338<>0<>【4月】再び小泉幻想に陥らないために<>時言 再び小泉幻想に陥らないために

 「サブプライム問題」に端を発した世界の金融不安の中で、日本の株安は際だっている。「ねじれ国会等政治の混迷への失望」・「政治的無策批判」・「改革の後戻りへの批判」等々による外国人投資家の「日本売り」が、その主要原因とされている。ここに到ってマスコミの口の端に「ポスト福田」として小泉再登板策動が見うけられ看過できない▽例えば「ぬじれ」と呼ばれている両院で多数党が異なる状況は、郵政に限定しての小泉選挙による衆院2/3の巨大与党を出現させ、その反動として参院選野党勝利によって生起した。そこに「ねじれ」・「混迷」の原因がある▽加えて「国際発行30兆円以下」としつつ小泉政権期間中通算250兆円もの借金増。累積借金800兆の利息軽減のため日銀に長期ゼロ金利政策を取らせ(預金者なら一説では200兆円もの利息を奪った)、利下げなど金融緩和政策の求められるサブプライム問題の対処は、何一つできなくなっていた。それ故の「無策」批判。まさに「ねじれ」「混迷」・「無策」等は小泉改革の産物なのである▽後期高齢者医療に典形する高齢者・弱者の負担増・非正規雇用の激増・貧困層の拡大・格差の拡大等々、弱者を蹴落し明日を奪い、強者の富と明日を保障する小泉改革。それでも懲りずに国民の多くが抱く改革幻想と小泉人気が再登板策動に利用される▽
前記改革は「社会は収奪形態むそのもの」との確かな認識に立ち、自らの暮らしの反映としての認識を武器に、連帯して踏み出そう。(安保英賢)<>2008/04/29 337<>337.jpg<>【4月】地産地加工・上下ぎゅ〜そば」<>−地域から−
「地産地加工・上下ぎゅ〜そば」

府中市上下町産の牛肉とそばを使い、町内製めん所で加工した「地産地加工・上下ぎゅ〜そば」が、町内の10店舗以上の飲食店で扱われ、人気となっている。地域のNPO法人理事長(つまり私)が呼びかけたもので、農業・畜産業・製造業・飲食店・観光をつなぐことができたと思う。
 当初準備していた2000食を完売し、地域産のそばを仕入れて継続している。1食750円なので飲食店で150万円、それに製麺業者、生産者の売り上げが経済効果となる。
 潤った分地域の消費につながれば、それも経済効果である。地産池消の経済効果を体感することができた。
 今のグローバル経済が世界を襲っている。人件費の安いところで製造された安価な商品を手に入れることの代わりに、ワーキングプアや失業を生みだしている。インターネットの普及で経理や会計なども、世界中どこでも受注できるようになり、そういった業種でも空洞化がすすむ。世界中で低賃金競争を煽り、格差を生んでいるのがグローバル経済である。
 今我々はそうした勢力に対してあまりに弱い。だが地産池消を進め成果を上げれば、より理想的な社会のモデルを示すことが出来る。
 そうか「上下ぎゅ〜そば」はグローバル経済に対する非暴力ゲリラだったんだ。
(NPO法人上下まちづくりネットワーク・わいわいがやがや 理事長.福崎裕夫)
<>2008/04/29 336<>0<>【4月】チベットの僧侶・市民を殺すな 殺させるな−<>−御案内−
チベットの僧侶・市民を殺すな 殺させるな−非暴力仏教徒の会−

 3月26日、非暴力・仏教徒の会は原爆ドーム前の寺院・西向寺にてチベット支援をつづけている修道大学講師の野村正次郎さんを講師に集会を行い、その後市内で平和行進を行いました。参加者は約140人あまり。
 チベットでは1951年に中国軍がラサにと進駐し宗教や言論の自由が認められない状況が今に続いています。1959年3月10日には民族蜂起が起こり、ダライ・ラマがインドに亡命しています。『チベット白書』によれば この間、600万人と言われるチベット人のうち約120万人が、弾圧や飢餓などで亡くなっているといわれます。
 今年も3月10日に、ラサで信教の自由を求めて400人ばかりの僧侶が平和行進を行っていたことに対し50 名以上の僧侶が逮捕・拘束されたことが今回の出来事の発端です。
 非暴力・仏教徒の会は、いかなる理由があっても「殺すな 殺させるな」の声をヒロシマの地から多くの市民の人たちと引き続き上げていきたいと思います。
(この会は、北京オリンピックを支持し、独立を求めないとするダライラマの立場を支持しています)
*第2回 原爆ドーム前の平和の集会 
*4月26日(土)10時-12時(長野聖火リレー当日)<>2008/04/29 335<>0<>【3月】全県集中方式で 福山市議会議員選挙勝利を<>全県集中方式で 
 福山市議会議員選挙勝利を
 新社会党広島県本部
 副委員長 高橋晋作
 3月30日告示、4月6日投開票で実施される福山市議会議員選挙に新社会党県本部は、西本章(2期目)、池上文夫(3期目)、川崎卓志(5期目)の3人を推薦して全力をあげて取り組んでいます。選挙情勢は46名の定員に対し51名の立候補が予定されており、文字通り少数激戦で極めて厳しい状況下にあります。04年に各候補が獲得した三千数百の票で新しく合併した新市、神辺、沼隈、内海の票を考える時、当選ラインには達しません。何としても票の上積みが必要です。全県の党員・党友、支持者のみなさん、福山の親戚、友人、知人等々、一人でも多くの方々を紹介してください。電話での投票も依頼して下さい。
 新社会党結党当時に各自治体議員の選挙の時には全県の仲間がその自治体の選挙に積極的に関わり集中して取り組んできました。そのことを思い起こしてやりきりましょう。
 投票日まで残りわずかです。時間が許せば選挙事務所にも立ち寄って下さい。「一人でも多くの紹介カードを」、「知人に電話を」重ねて強く要請します。
三候補事務所電話
川崎卓志084-951-8968/池上文夫084-934-4154/西本章084-940-4488
<>2008/04/29 334<>0<>【3月】三原総支部党員集会について<>三原総支部党員集会について

 2月13日三原市人権文化センターにて、新社会党三原総支部の党員集会が行われました。冒頭七川総支部委員長から、党・支部活動への感謝と本来なら6月に開くべき総支部定期大会が、参議院選挙のため延期したことのお詫びがありました。「開催が大幅にずれごみましたが、この党員集会を07年度の定期大会に代わるものとして、位置づけて頂き党活動の活性化にむけて活発な議論をおねがいします。」との挨拶のあと、参加者の討論に移りました。
 これまでの活動の総括、参議院選挙の取り組みから学習活動が不十分であったことへの反省や、地元の9条の会や市民グループの活動が紹介され、彼らと共に活動のすそ野を広げていこうなどの意見が出されました。
 活動や学習活動の不十分さはあったにせよ、格差が厳しくなり、社会全体が不安定さをましている中で、党の存在意義を今一度確認しなければいけない。私たちが何を目指してきたのか思い出そうとの意見もだされました。
 七川さんの三原市定例議会にむけての情勢報告と三原市の課題などの問題提起の後、特別決議と集会宣言を確認し、総支部主催の学習会を定期的に開催することと、6月に定期大会を行い、改めて活動の総括と2008年度の運動方針を決めることを参加者全員で了承して会を閉じました
<>2008/04/29 333<>0<>【3月】2008年国際女性デー広島県集会に参加して<>2008年国際女性デー広島県集会に参加して
〜基地と女性の人権−狩俣信子さん(沖縄県議会議員)講演〜
 3月2日、広島市女性教育センターにおいて、2008年国際女性デー広島県集会が開催された。今回は「基地と女性の人権」をテーマに、沖縄の闘いに学び広島の闘いに生かそう計画された。この集会の準備過程において、2月19日海上自衛隊イージス艦「あたご」の漁船との衝突事故、2月10日沖縄北谷町で米軍海兵隊員による女子中学生暴行事件がおこった。憤りの中200名の市民が参加した。
 オープニングの三線演奏、実行委員会挨拶の後、狩俣信子さん(沖縄県議会議員)による講演が行われた。沖縄のように基地のあるところでは事故や犯罪が後を絶たず、常に女性に対する暴力、犯罪が頻発していること、日米地位協定の見直し、基地の撤去がなければこのような暴行事件はなくならないと強調、この集会に参加している高校生、若者が安心して暮らせる世の中にするためにも、参加している大人たちは闘い続けなければならない責任があると呼びかけられた。最後に、「相次ぐ米兵犯罪に抗議し、日米地位協定の抜本的見直しと基地の縮小撤去を求める特別決議」、集会アピールを全体で採択した。<>2008/04/29 332<>332.jpg<>【3月】9条ピースウォーク<>9条ピースウォーク
     〜平和公園を2月24日元気に出発!

 今年5月4日〜5日、千葉・幕張メッセで「9条世界会議」が開催される。この会議を成功させるため、市民による平和行進「9条ピースウォーク」が24日原爆ドーム前を出発、71日間かけて東京に向かう。
 正午から行われたスタートイベントには、ときおり小雪の舞う中、350人の市民が参加。「原爆忘れまじ」の独唱にはじまり、9条世界会議ヒロシマ共同代表の浅井基文さん、ウォーク実行委員会共同代表の浅見靖仁さんらがあいさつ、この世界会議の重要性を訴え多くの人々の参加を呼びかけた。全行程を歩かれる日本山妙法寺上人の加藤行衛さん、元米軍兵士のアッシュ・ウールソンさんらのスピーチ、学生実行委員の発言、さらには県内外のミュージシャンによる歌と演奏がイベントを盛り上げた。最後に、「イージス艦衝突事故の真相究明と日本政府の9条を遵守した安全保障政策」を求める声明を採択し、広島駅に向かって出発した。                   (土屋みどり)<>2008/04/29 331<>0<>【3月】 翼<>翼

 闘いが弱くなるにつれて、権力は横暴になっていく。それも権力側の自己意識(思想・価値観)を「常識」として一般化した社会意識としての差別観念を徹底的に利用して支配するという奸計である。それ故多くの人は敵を利することになることも見失って、「弱者」を自己責任と断じたり、悪しき社会意識としての観念は、情報化社会の中で相対化される等の言説にだまされる。一方でミス込みは社会意識の再生産に加担し続ける▽例えば、主要全国紙は社説で、政府の武藤日銀総裁案に反対した民主党中心の野党批判を展開した。しかし、長期のゼロ金利政策で国民から200兆円もの金利を奪い、銀行には巨利を保障し、1000兆円近い国の借金の金利軽減に寄与した福井・武藤ラインの金融政策が、国民を利するものであったかの検討は疎かにしたままである▽しかもその与党は予算書を、参院の否決があっても衆院再可決可能な日数を残し、強行採決している。まさに野党の踏みつけておいて「話し合いに応じない野党が悪い」は通らない▽この積年の自民多数党独善主義は、マスメディアで再生産される社会意識で支えられ続けている。今こそ自立、今次地方自治体選挙でそこをうち破り勝利しよう。<>2008/04/29 330<>0<>【3月】「日の丸・君が代」強制反対!2.11ヒロシマ集会<>「日の丸・君が代」強制反対!「不起立を拡げよう」2.11ヒロシマ集会
 卒業式のシーズンを前に、2.11ヒロシマ集会ガ開催された。120人が参加し、集会後原爆ドーム前までデモ行進をした。主催は、教職員が呼びかけた実行委員会。
 まず、「不起立からはじめよう」と題してアピール。昨年の入学式で着席したとき、「何ものにも代え難い開放感、自分を生きている自分自身がいた」と語り、不起立は、職場の支配権を権力者から奪い返すたたかい、職場からの戦争協力拒否・改憲阻止の価値あるたたかいだと提起した。
 講演は不起立で停職3ヶ月の処分を受けている八王子東養護学校の河原井純子さん。河原井さんは、長い障害児教育の実践の経験を通して、職務命令や通達など上からの命令によって教職員を服従させるのは教育の破壊だと批判し、教育実践を否定する「起立」の強制にはどうしても従えないし、従わない。あきらめることなく、楽しみながら、つながりを求める。あえて「がんばる」とは言わずに「不起立」を宣言する彼女の姿は、参加者に、さわやかな「決断」を促すものだった。
 後半は、教育基本法改悪反対!ヒロシマ実行委員会の栗原君子さんや広大教職員組合の吉田先生などが発言し、最後に教育労働者が次々と不起立宣言して集会をおえた。<>2008/04/29 329<>0<>【3月】第20回中央委員会報告<>第20回中央委員会報告
一、はじめに
(1)、3月1日午後、東京八洲ホールで開催された標記の委員会は、配布済の議案書の通り@、横堀書記長の急逝にともなう執行体制の補強の件、A情勢と2010年に向けての中期方針骨子(第13回全国大会へ向けて)(以下B〜Eは議案書に譲る)等六つのテーマを議題とするものでした。
(2)、会議は冒頭、横堀さんへの黙祷から始まり、栗原委員長挨拶、上野前副委員長挨拶と続いた。上野顧問は横堀さんと同じ千葉県で闘って来た同志として横堀さんを偲び「個人も組織も主体の確立が大切であり、そのためには総支部の学習・日常活動強化が求められること、加えて大合併後にあっての各県に於いて地方議員増と社会主義建設を競いあってほしいと願っていた」との披瀝があり、遺志の継承を訴えられた。
 続いて加藤晋介副委員長より「国鉄闘争」についての特別報告を受け、来る3月13日の勝利判決獲得へ向け認識を共有しました。
二、提案・質疑・討論について
(1)、一の(1)で記述のとおり、議案に沿って順次@〜Eまでの提案がなされ、横堀さんの後の書記長を石河さんが定期全国大会まで代行することになりました。提案の中で取り上げておきたいのは以下の点です。
ア、04・07年の参院選挙、私たちは護憲の共同戦線結集の動きを強め、9条ネットへ結集して闘っても来たが、成果を上げきれていない。この間、憲法を巡る情勢は「国民投票法」成立、「憲法審査会」設置と明文改憲への圧力は強まりつつある。この時に当って、まさに2010年の参院選を闘わないわけにはいかない。それ故選挙への準備体制作りとして、第13回全国大会で「選挙闘争資金として一人1000円(月)の積み立てを行う」との提案を行う。
イ、衆院解散総選挙には候補者を必ず擁立し、第三極形成のできる 選挙共同をめざす。
ウ、党建設をめざし機関誌活動・党員拡大と党学校・交流会活動の 展開。
エ、2年後とされている党員の定率制への移行。
(2)、質疑・討論
 @、前記(1)のア・イについて、例えば9条ネット方式への疑問、あるいは社民党等との共同戦線作りへの注文等があったとはいえ、逃げることは出来ないので大方は本部提案に賛同するものであった。それ故広島から、改憲勢力の攻撃から逃げられず引き込まれるような選挙闘争は闘えない。それよりも07参院選を厳しく総括し、2010年へ向け党員・護憲勢力の共感の下、闘うエネルギーの湧き出る闘いの組立、道筋を提案することの大切さを提起しました。
 A、前記ウについては総支部としての学習・日常活動の強化による総支部強化が求められます。
三、まとめとして
 前記一・二を受けて今後、県内各総支部で本部議案就く中前記二の(1)のア〜エについて議論を積み上げることが求められます。それを集約して県本部は、全国大会議案に反映させなければならないと考えています。
<>2008/04/29 328<>0<>【3月】第44回 国共内戦と中華人民共和国の誕生、そして危機<>第44回 国共内戦と中華人民共和国の誕生、そして危機 

 1945年10月、蒋介石と毛沢東は日本の降伏を受けて重慶で会談し、統一国家の建設について論議を交わした。だが両者の対立は鋭く、翌46年7月、国共両党は遂に全面戦争に突入する。当初は国民党軍が優勢だったが、共産党軍は、農村部では地主の土地を没収して農民に配分し、都市部では「賢弁官僚・資本家」の腐敗・堕落を糾弾して国民の支持を集め、アメリカの武器援助に支えられた国民党軍を次第に圧倒していった。
 共産党軍は、1948年には瀋陽、翌48年には北京、上海、南京を相次いで占領し、蒋介石は台湾に逃れた。内戦はなお1951年まで続いたものの、勝敗の帰趨はもはや明らかであった。1949年10月1日、毛沢東は、中華人民共和国の成立を宣言し、自らは国家主席に就任し、国務院総理には周恩来(1898〜1976)を任命した。
 先述(第35回)のように、毛は1940年に『新民主主義論』著していたが、そこに説かれていた当面の革命路線は、孫文の遺志を継承・発展させて、プロレタリア独裁政権ではなく、中間層や敵の一部までも引き込んだ「連合政府」の樹立を目指すものであった。したがって建国時は共産党の単独政権ではなく、、政府の方針も、@封建制度の打破、A賢弁官僚・資本家の一掃、B帝国主義からの解放に力点がおかれた。まず@では、1950年に「土地改革法」を公布し、土地改革を押し進めて自作農の創設に努めるとともに、把頭(親方)制の解体、女性解放、少数民族差別の解消などの施策が実行された。次にAでは、賢弁官僚に対する反汚職、反浪費、反官僚主義の「三反主義」に続き、資本家に対して贈賄、脱税、国有財産の横領、手抜き工事、インサイダー取引を断罪する「五反主義」が追求された。さらにBでは、列強の半植民地状態に置かれていた中国の帝国主義からの解放を目指した。朝鮮戦争への派兵もその一環だと言えよう。
 1950年6月に勃発した朝鮮戦争は、建国間もない新中国にとって死活の試練となった。当初は金日成(1912〜94)の率いる北軍が、圧倒的軍事力でソウルを席巻し、李承晩(1875〜1965)の南軍を朝鮮半島の一角に追い詰めた。アメリカは、ソ連の国連ボイコットを好餌に安保理の決議を取り付けて参戦した。D.マッカーサー(1880 〜1964 )の率いる「国連軍」は仁川上陸作戦に成功し、38度線を突破しピョンヤンを陥れて中国との国境線・鴨緑江に迫った。このとき中国は、彰徳儴(1898〜1964)を司令官とする「人民義勇軍」を投入して反撃に出た。以後戦線は38度線を挟んで一進一退を続け、膠着状態に陥った。アメリカは、原爆の使用や華南侵攻をちらつかせたが、主戦派のマッカーサーは解任され、1958年には「停戦協定」が締結されて朝鮮戦争は一応の終息を見た。このように新中国は、軍事緊張下における国の再建という厳しい道を強いられたのであった。
<>2008/04/29 327<>0<>【3月】時言 諦念を乗り越えよう<>時言 諦念を乗り越えよう
「国・地方あわせて1000兆円もの借金は、経済成長等で返せない。となればインフレも戦争もいやだから、増税は止むを得ない」あるいは「改憲手続き法が成立し、憲法審査会も設置された今、もう平和憲法を守り切れない」・「世界がグローバル化し競争は激化している。もはや均質・平等は望めない。格差はやもを得ない」、「耕地面積の狭いこの国で食糧100%自給はとても無理だ」等々、近所のお年寄りと話ししていて、その喪失感や展望を見失った姿に心が寒くなる。この「改憲・増税(インフレ・戦争)・格差拡大・貧困等々まさに生命を削られる方向に追い込まれている。「諦念としての明日」などと自虐的にもなる▽それにしても資本の側は何故ここまで追い込んでくるのか。思い出す小泉流は「福祉など絞り込めるだけ絞り込め。そしてもうこらえてくれ、このままでは生きられないからどうか消費税引き上げてくれと言わせる。そうしたら増税だ」。このように資本の側は徹底した収奪とメディア支配によって作り出した「改憲・増税・・・やむなし」と言う社会意識(諦念)を利用して自らの政策を実行していく▽米アカデミー作品賞「ノーカントリー」での老保安官の独白「この国はどんどんおかしくなっている」。しかし、この「明日なき社会」は自然災害ではない。新自由主義と称しての収奪の現状の今こそ、自らの社会的立場から的確に分析し、明確な問題意識を共有し反撃を始めよう。今次地方自治体占拠に勝利して一歩を踏み出そう。
                        (安保英賢)<>2008/04/29 326<>0<>【3月】がんばっています111<>がんばっています111
尾道市議会議員 城間和行
 はや、07年統一地方選挙から1年近くが経過しようとしています。ご支援いただいた皆様には再度、お礼を申し上げるところです。現在は福山市議選の真最中。私自身も、推薦現職3候補の全員当選のため微力ながら全力で取り組む決意です。
 さて、尾道市議会も08年新年度予算の審議が終わったところです。私は県本部委員長でもある三木議員とともに4名で市民連合会派を結成し副代表を務めています。会派では政務調査費の意義ある使途として、また市民からの要望に沿って議会ごとに報告会・市民懇談会を開催しており次回3月26日で4回目となります。私自身は文教経済常任委員会に所属し、教育・文化行政を中心に厳しく理事者を追及、或いは提言を行ってきたつもりです。6月定例では他会派からも驚きの声がでた尾道市教職員の勤務実態について、9月には市内児童生徒の不登校の実態について、11月決算委員会では人権一般に逃げ込んでいるとしか思えない人権教育の内容、12月では最大20倍の格差が生じていることを明らかにして小中学生の就学援助の現実を、それぞれ追及してきました。今議会では国の弱者切捨て政策を反映した社会保障・医療の問題が大きく議論になりました。おそらく尾道市議会に限ってのことではないと思います。私のスローガン「じじばば子どもはみんなの宝」を実践していく正念場だと考えています。<>2008/04/29 325<>325.jpg<>【2月】必勝自治体選挙・池上文夫<>池上文夫 新社会党推薦・3期目
(プロフィール)
・1951年生まれ(56歳)
 ・2000年福山市議会議員初当選
 民生福祉委員会副委員長(現職)
 文教経済委員会副委員長 
 他多数の役職
・NPO法人.ふくやま環境会議顧問
福山市学校給食を守る会代表
 福塩線をよくする会代表
 福山市現業労働組合委員長(歴任)
(抱負)
 私は4月の市議選・3期目を闘うにあたり、3つの方針を持って臨んでいます。
 一つは、福山市民47万人の幸福を、格差社会の犠牲者である特に行政の施策を必要としている社会的弱者に行政の光を当てることです。
二つには、自治体現業部門のサービスの直営を堅持することによる住民サービスの維持・向上です。また多忙な学校現場の解消と民主的な学校現場の確立です。
 三つは、バランスの取れた市域全体の振興策の推進です。内海町など、4町との合併により、面積は518kuとなり、従来にましてきめ細かな住民福祉が求められ、また合併地域の歴史性等を尊重した施策の推進です。
 市議会の情勢は極めて厳しいものがありますが、必勝に向けて全力をあげて闘う決意です。
(事務所福山市神村町4820-3☎/FAX084-934-4154)
<>2008/02/15 324<>324.jpg<>【2月】必勝自治体選挙・川崎卓志<>川崎卓志 新社会党推薦.5期目
(プロフィール)
・1947年福山市山手町に生まれる(現在60歳)
・1992年福山市市議会議員に初当選(現在4期目)
・2006年部落解放同盟広島県連委員長(現在2期目)
・福山地区消防組合議会議員 副議長
福山市基本構想審査委員会 副委員長
他多数の役職に今期就任
(抱負)
 今日のわが国は「勝ち組」「負け組」という言葉に象徴されるように、格差社会の歪みがますます大きくなっています。社会の荒廃が進み、国民生活が追い詰められて「上見て暮らすな、下見て暮らせ」という意識に陥りやすい状況がつくり出されています。
 私は長年の部落解放運動で学んだ経験から、政治は本来社会的・経済的に弱い立場の人たちのために存在していることをあらためて認識し、市民生活に焦点をあてた政策に、市政の場で取り組む決意であります。具体的には「安心・安全のまちづくり」「すべての市民の人権が大切にされた町、すべての子どもの進路が保障された教育」さらに「高齢者や障がい者の暮らしを守り、子育て支援の充実」などの福祉政策にも積極的に取り組みます。
(事務所福山市山手町6-18-12
 ☎084-951-8968 FAX084-971-6538)
<>2008/02/15 323<>323.jpg<>【2月】必勝自治体選挙・西本章<>西本章 新社会党推薦2期目
(プロフィール)
・1955年生まれ(55歳)
・1973年 広島県教職員組合福山地区支部
・1992年〜94年福山市立引野小学校会長PTA会長
・2000年 広島県立大門高等学校PTA会長
・2004年 福山市市議会議員初当選
福山市議会総務委員
福山市議会競馬事業特別委員会委員
(抱負)
 厳しい経済状況を物語るように、市民には厳しい暮らしが続いている。企業の利益は内部留保され、働くものには届くことはない。市民の悲鳴に近い声が至るところから聞こえてくる。
 こうした中で、行政の役割は何かと問い直し、私に課せられたものも考え直す。
 日常の暮らしのこと、福祉のこと、教育のことなどさまざまな相談がよせられる。
 そうした一人ひとりに寄り添うことから始めてきた。相談者と市役所に行ったり、ある時は市役所の担当者に直接相談者の自宅に来てもらったり。どうすれば解決への方法があるのか一緒に考えてきた。そうした取り組みをこれからも続けていきたい。<>2008/02/15 322<>0<>【2月】アンドレス・ゴンザレス・バジェスルテ参事官を囲む会<>アンドレス・ゴンザレス・バジェスルテ参事官を囲む会
 キューバ共和国大使館のアンドレス・ゴンザレス・バジェステル参事官を囲む会が1月15日、尾道市人権文化センターでおこなわれた。
 医療や教育に力を入れているキューバ社会主義の精神に学ぼう、と部落解放同盟広島県連合会が主催したもので三木郁子県本部委員長や城間和行尾道市議なども参加した。
 アメリカの経済封鎖が45年も続いているにもかかわらず、国連加盟国192か国中181カ国と外交関係を持っキューバは、主として医師を養成し、国内の医療活動を充実させるとともに貧しい国々に医師を国費で派遣している。その数は79カ国35000人(キューバの全体の医師70000人の中で)に及ぶ。
 アメリカの経済封鎖によって、農産物などをヨーロッパやアジアから輸入しなければならないためコストが高くつき経済的には厳しい。
 厳しい経済状況の中でも、医療、教育(大学も含め)は無料であることについてアンドレスさんは「武器に投資するのではなく、人間に投資している」と胸を張った。
 また、貧しい国への医師の派遣や、貧しい国の学生を受け入れて医師を養成し、それぞれの国に帰す取り組み、ベネズエラやニュージーランド(先住民・マオリ)などにキューバ人を派遣しての識字運動などについては、「私たちも貧しいが、世界の国々で貧しい人が、貧しいままであってはならない。人が喜ぶことは、自分の幸福である」とキューバ社会主義の精神を語り、参加者に感銘を与えた翼
<>2008/02/15 321<>0<>【2月】翼<>翼
 冬本番を迎え寒い日が続いている。
 原油の高騰で、灯油代、ガソリン代も高値のままだ。灯油を節約するため、できるだけストーブを焚かない、ガソリン節約のため車の使用を控えているという声をよく聞く。
 1月18日に開会した今通常国会では、ガソリンの暫定税率が大きな問題になっている。 野党特に民主党は、ガソリン価格の高騰により、価格引き下げを求める多くの国民世論を背景に、暫定税率廃止そして道路特定財源の一般財源化を訴え、解散・総選挙のシナリオを考えていた。しかし、衆参両議長の斡旋による玉虫色の調停案に合意し、雲行きがあやしくなっている。もともと多くを望むのは無理と承知しているが、しっかり腰を据えて議論してほしい。
 今年前半の大事な自治体選、4月6日投開票の福山市議選がせまってきている。県本部は、川崎さん、池上さん、西本さんの現職3人を推薦し、全員の当選を期して全力を挙げている。合併した新市域を含め、全市一区の初めての選挙だ。現在、55.6人が立候補予定で、46の議席を争う大変厳しい選挙となっている。
 親戚、友人、知人など1人でもいいので、ぜひとも紹介していただくよう心よりお願いする。<>2008/02/15 320<>0<>【2月】がんばってます110<>がんばってます110
府中市議会議員 小森龍太郎 
 十二月議会には、教育委員の選任同意案が出されました。事実上の教育長再任を認めるかどうかということです。これに対し過半数ぎりぎり(十二)の賛成で同意されました。本来、このような選任同意案は、全会一致かそれに準ずるぐらいの賛成で可決されるものと考えますが、このような結果が出たということは、府中の教育のあり方に問題があるということが、少しずつ議会に広がってきたものと思います。
 また、小中一体校建設工事の入札に関わる問題も追及しました。落札した業者は、一昨年三月に防衛施設庁の談合で指名除外の処分を受けていましたが、入札告示の直前に解かれる二カ月の処分でした。府中市の指名除外要綱に従えば、最低四カ月の処分で対応せねばなりません。期間を短縮させたのはなぜかと追及しましたが、市長は「問題ない」との答弁に終始。しかし、続けて調査をしたところ、年明けには、さらに疑念を抱かせる文書を入手したため、「重大な決意」のもと、百条調査委員会設置を求めて、同調してくれる八人の議員とともに臨時議会の開催を請求しました。
 市長与党は、真相の究明を恐れ、市長を助けるために百条調査委の設置には否定的ですが、この原稿が紙面に掲載される頃には、百条調査委が設置されているかどうか……。
 引き続き、全力でがんばります。<>2008/02/15 319<>0<>【2月】時言「投時言企的金融資本主義の危うさ」<>時言「投時言企的金融資本主義の危うさ」
 低所得者向けサブプライム(SP)ローンの焦げ付きもあって崩壊した、米国の住宅バブルから、約200兆円とも言われる流動資金は、金・原油・穀物へと投機対企対象を変えた。原油はバレル当たり100ドルに迫る高騰、さらに温暖化対策としてのエタノール需要増も手伝っての穀物の高騰等による値上げラッシュは、私たちの生活を直撃している▽小泉改革以来、資本の側は空前の利益を確保し続け、逆に非正規雇用、高齢者等弱者の負担は急増し、格差は拡大の一途である。この状況への批判をかわす、陰りの出た輸出中心から内需拡大へ、さらには物価上昇への対応として、春闘での賃上げは確実視されて来た▽しかし、SP問題・世界同時株安・地方債等の(モノライン)保険会社の格付け下落等による信用不安・金融収縮・リツェッション(景気後退)への警戒から賃上げもおやしくなっている▽このように世界を揺るがす「未因の破綻」はイラク戦等の巨額戦費支出による史上2番目の財政赤字に起因してもいる。しかし、要の問題は米国国民の生活に深く浸透している金融資本主義にある。例えば、借金(ローン)で買った住宅の値上がりとさらなるローンでワンランクアップを目ざす。実質的な収支という「身の丈」を越えた金融取引き故に、右肩上がりの政策を支持せさせるを得ないように、埋め込まれている▽この国のゼロ金利の長期化・「貯蓄から株式等への資金運用」という金融資本主義的な小泉・竹中誘導の危険性を見抜かなくてはならない。(安保英賢)<>2008/02/15 318<>0<>【2月】社会主義の歩みと将来への展望43回<>社会主義の歩みと将来への展望
第43回コミンテルンは解体 だがスターリニズムは存続・拡大
 もともと「単一の世界共産党」とも言うべき性格を持っていたコミンテルンは、スターリンが「一国社会主義論」を唱え、左右の「大粛清」を通じ自己の絶対的指導権を確立して以降は、各国の革命運動の支援などではなく、ひたすらソ連の外交手段として機能するようになった。F.フランコ(1892 〜1975 )の叛乱によって危機に瀕したスペイン人民戦線政府への支援も甚だ不十分であったし、中国では国民党との提携を重視し同党の共産党に対する弾圧を黙認したほどである。だが、1939年の独ソ不可侵条約の締結と第二次大戦初戦のポーランド分割ほど、そのことを露骨に表し世界を驚倒させたものはなかった。コミンテルンの人民戦線戦術はこれによって終止符が打たれた。
 しかし結局、ナチス・ドイツは、1941年に不可侵条約を破棄してソ連に侵攻し、ソ連は連合国側に加わって枢軸諸国と戦うことになる。スターリンは、1943年、同盟諸国への譲歩の一環としてコミンテルンを解散させた。ソ連は、ナチスの不意打ちを喰らって大苦戦を強いられ、首都モスクワさえ一時陥落の危険にさらされた。だがソ連軍は、アメリカなど連合国の支援もあってスターリングラード攻防戦を凌いだ後、一気に反転攻勢に出、クルスクの戦車戦を勝ち抜き、ドイツ軍を追走してベルリンを占領しヒトラーを自殺に追い込んだ。軍民を通じ二千万の犠牲を蒙りながら勝利したソ連は、ファシズムの支配から解放した東欧などの国々と地域にスターリニズムを信奉する政権を押しつけた。
 第二次大戦をいわば同床異夢の形で戦った米ソ両国の関係は、戦後悪化の一途を辿った。1947年、ソ連はコミンテルンの後身として東欧の共産主義諸政党に仏・伊の共産党を加えて新たにコミンファルムを結成した。これは表向き加盟各党間の情報交換を目的に掲げたが、世界の共産主義運動をスターリンの支配下に留め置くことを狙いとしていた。コミンファルムが、1950年、アメリカ占領軍を解放軍と規定し、占領下平和革命論を唱えた日本共産党の方針(野坂理論)を「マルクス=レーニン主義とは縁もゆかりもない」とこき下ろしたことは、その象徴的出来事である。
 ソ連はまた、アメリカ主導のNATO(1948 〜)
に対抗してワルシャワ条約機構(1955〜1991)
を結成し、マーシャル・プラン(1948)に対抗してコロコン(1949)を編成した。これらによって東欧諸国はソ連の衛星国化することとなった。こうしたスターリニズムの支配拡大に抵抗したのは、ユーゴスラビアのJ.B.チトー(1892〜1980 )と晩年の毛沢東である。左右の違いはあるにせよ、かれらは、いずれも殆どソ連軍の援助なしに自国を解放し、あるいは社会主義革命を成功させた点に共通点があった。
<>2008/02/15 317<>317.jpg<>【2月】『瀬戸内海の静かな環境を守る住民ネットワーク』結成集<> 『瀬戸内海の静かな環境を守る住民ネットワーク』結成集会
 1月20日、岩国市内において上記の結成集会が行れれ、広島県や山口県の住民約70人が参加した。岩国墓地への空母艦載機移転に反対する両県の7つの住民団体が、県境を超えて移転中止の運動を協力して行うため結成された。
 集会の冒頭、市民の先頭に立つて反対し続けひる井原前岩国市長が、「合併後市域が拡大しての初めての選挙で非常に厳しい情勢だが、地方自治を守るため全力で闘い抜く。大さな支援をお願いしたい」とあいさつ、会場から大さな拍手をうけた。廿日市市の真野勝弘市長は、宮島への影響が懸念され、反対姿勢を貫いていく」とのメッセージを寄せた。
宮島、岩国、周防大島なと各地域での運動の状況を報告しあい、今後協力しあいながら反対運動をすすめていくことが確認された。宮島の大聖院の吉円正裕座主ら廿日市市、大竹市、広島市、岩国市市なと6市町の15人の世話人、代表世話人には「大島の静かな空を守る会」の河井弘志さんを選んだ。
最後に、「岩国基地の今以上の機能強化は絶対に許さない」というアピールを全員の大さな拍手で採択し、結成集会を終えた。(石原)
<>2008/02/15 316<>316.jpg<>【2月】三原地区合同旗開きについて<>三原地区合同旗開きについて
 二00八年一月一八日、三原市福祉会館で恒例の三原地区合同旗開きが開催されました。実行委員会に参加した単組・民主団体が集まり新年の挨拶と決意表明をリレートーク形式で行いました。
 まず実行委員長の七川さんから、「良いお年をも、明けましておめでとうも、気持ちよく言えない、当たり前の挨拶さえも白地らしく聞こえるような社会情勢に、それでも私たち民主団体・労働組合は毅然とした態度でのぞまなくてはいけない」と挨拶されました。
 つづいて来賓として、新社会党県本部を代表して執行委員の松村さんから「参議院選挙での我が党のいたらなかったことへの反省と、にもかかわらず厳しくあたたかく支援して頂いた皆さんへのお礼」が述べられました。
 同じく来賓の地区労センター別所さんの挨拶の後、今回はお茶で乾杯し軽食をとりながら会を進めました。広教組三原地区支部、高教組尾三地区支部、解放同盟、新社会党三原総支部、現公評の役員、私立学校の職員組合の皆様から抱えている課題と取り組みの内容が話されました。
 最後に解放同盟から、「お互いに励まし合い助け合いながら、過酷な政治決戦が予測される二00八年を闘い抜きましょう」とまとめの挨拶がありました<>2008/02/15 315<>0<>【1月】2008年のスタートにあたって<>2008年のスタートにあたって
新社会党広島県本部
副委員長 高橋晋作
 新年あけましておめでとうございます。今年が皆様方にとって良き年であるよう祈念します。さて、07年の反省の上にたって今年は私たち新社会党にとって前進の年になるよう、同志の皆様のご健闘を心より期待しています。昨年10月21日の第12回定期大会で確認・決定した方針に沿って日常的な歩みを続けていこうではありませんか。
 学習活動の定例化、機関誌の拡大と配布体制の確立、党費の滞納整理、地域活動を通しての党員、党友拡大の取り組み、それぞれの職場での党員、党友による活動の活性化、宣伝活動の工夫、総支部単位の連絡網の確率、折りにふれての党員、党友全体集会の企画、レクリエーション活動の企画等々あらゆる方法で党活動を活性化していこうではありませんか。
 96年に「正真正銘の護憲」の政党として結党した私たち新社会党です。安倍内閣から福田内閣になって一見、憲法改悪の動きがにぶるように考えられますが本質はまったく同じです。近い将来やってくるであろう憲法改悪の大波に抗して闘うためにも、私たち新社会党ががんばらなければなりません。結党以来12年、あらゆる逆風に抗して闘ってきた私たちです。がんばりましょう。<>2008/01/29 314<>314.jpg<>【1月】2008年新社会党広島県本部 団結『旗びらき』<>2008年新社会党広島県本部 団結『旗びらき』
1月12日(土)午前11時より、ホテルチューリッヒ・東方2001において、広島県内の新社会党の党員・党友、そして支援いただく多くの来賓の人たちを迎えて、2008年新社会党広島県本部・団結『旗びらき』が開催された。 冒頭、昨年11月の県本部大会において新たに就任した三木郁子委員長が、「格差社会が厳しく明けましておめでとうとは言い難い状況である。昨年の参議院選挙では多くの人々の期待が民主党によせられたにも関わらす、昨日1月11日新テロ特措法を可決させる状況を生みだしている。この流れに抗していく闘いを粘り強く進めていきたい。取り分け今年4月に投開票される福山市議選は、現職3人の方(川崎・池上・西本)の必勝を期して、もう一度全県集中方式をとっていきたいと」あいさつ。
 続いて来賓の、山今彰・広教組委員長が、「昨年12月の中国人研修制度にみる学習会で、現代の奴隷制度とでもいうべき状況があり、その上に非正規労働者の実態、そして正規労働者と、弱肉強食のグローバルスタンダードの名の下、労働者が分断されている。若い労者に労働者の権利を伝えてきたかが問われている」と連帯の挨拶。
 有田耕・広高教組委員長は、最近の高教組が広島県教委を相手に闘って完全勝訴した、ホームページの書き込みを巡る裁判などについて報告。
 山下真澄・部落解放同盟広島県連副委員長は、自己疎外状況が進む中、部落差別の事件も頻発しているとし、特に戸籍謄本の不正取得に対する闘いと状況が報告された。
 金鎮湖・朝鮮総聯広島県本部委員長からは、朝米を巡る年内に国交を結ぶ可能性に言及。朝鮮半島の統一の流れと、その中で日本の立場について言及。さらに全港湾の高橋さん、ピースリンク広島・呉・岩国世話人の新田さん、広島県全労協議長の池上さんから、連帯の挨拶をいただいた。

 続いて新春トークでは、小森龍邦さんが、「2008年私たちが考えておかなければならないこと」として、「1月11日に憲法の2/3条項が57年ぶりに使われたが、小選挙区比例代表制が1994年細川内閣で成立した際、衆議院可決・参議院否決であった。にもかかわらず、当時の土井たか子衆院議長が、「衆参あいととのった」としたため、2/3でなく、1/2で可決された」と、現在の政治状況のスタートを確認。その上で、「向こうの智慧に負けないだけの智慧と表現力を身につけていかなくてはならない。そのためには、日頃の勉強とまず自分の所作をどうするのかが最も大切であると」党員・党友に語りかけた。
 12時より会場を移して、石黒ひかりさんの司会で呉・安芸総支部の大正琴の演奏、そして恒例の各支部の挨拶のパーテイーが開催された。
福山総支部のように、自治体選挙全員必勝の決意を語る総支部、町内会の役員を率先して引き受け、回覧板に平和・人権の思いを書く取り組みを紹介する三原総支部等々、集まったみんなが今年一年、党活動に元気を出して頑張ろうという集いとなった。<>2008/01/29 313<>0<>【1月】「12.16 岩国シンポジュウム」<>
「12.16 岩国シンポジュウム」
 12月16日、「国の横暴をはね返そう!米軍再編と地方自治を考える、と題したシンポジュウムが、岩国市の市立図書館ホールで開催されました。このシンポは、「地元の実行委員会」と「週間金曜日」が共催し、空母艦載機移転拒否を理由に、岩国市への35億円もの補助金を国が凍結していることに抗議するためのもので、会場に溢れんばかりの250人の市民が参加。井原勝介岩国市長のほか、佐高信「週間金曜日」発行人、天木直人元レバノン大使、上原公子前国立市長、知花昌一読谷村議の各氏が、パネリストとしてそれぞれの国の姿勢を厳しく批判する意見を述べました。
 井原市長は、「決して何でも反対と言っているのではない。互いに誠意を持って協議し、解決策を見つけたいのに、国は一方的に市役所建設の補助金まで突然カットしてきた」と経緯を説明し、市の姿勢に理解を求めました。佐高さんは、「国の圧力に屈することは、補助金をカットした汚職まみれの守屋前防衛省事務次官に負けること。市議会の移転容認派は、何を考えているのか」と批判しました。
 続いて参加者からの質問・意見が出され、パネリストが発言を再開。井原市長は、「市民の間には『反対しても来るものは来るのだから、妥協して金を受け取った方がいい」という意見もあるが、主権者は国民であり、どんなに困難でもおかしいことはおかしいと言い続けなければならない」と、次の世代のために国の仕打ちには屈しないと語り、会場から大きな拍手がおくられました。<>2008/01/29 312<>0<>【1月】2008年国際女性デー広島県集会の開催決まる<>2008年国際女性デー広島県集会の開催決まる
 昨年12月20日、「2008年国際女性デー広島県集会準備会結成および第1回実行委員会」が行われた。国際女性デーは、1908年にアメリカで女性たちがパンと参政権を要求して行ったデモに由来し、1910年ドイツで行われた国際会議で3月8日を「女性の政治的自由と平等のために闘う日」として提唱され、各国で取り組まれるようになった。広島の地においても30数年の取り組みがあり、その歴史の上に立って今年も広島県集会が行われる。
と き:2008年3月2日(日)午後14:00から
ところ:広島市女性教育センター
集会内容など詳細は第2回実行委員会を受け、改めてお知らせしたい。(土屋)<>2008/01/29 311<>0<>【1月】翼<>翼 
 2008年あけましておめでとうございます。
年末からの寒波で、1日は沿岸部でも「白い」朝を迎えた。あちこちで子どもたちが元気な声をあげて雪遊びに興じ、例年とはやや違う正月であった。この子どもたちが、元気にすくすくと成長することを心より祈る。
 昨年末、岩国の井原市長は、5度目の予算案提出とともに辞表を提出し、2月10日に市長選挙が実施されることになった。言うまでもなく、基地の大幅な機能強化につながる空母艦載機の移転の是非が、最大の争点だ。投票の結果は、在日米軍再編の流れやわが国の防衛政策にも、大きな影響を及ぼす。
 岩国市は今、空母艦載機移転を容認しないため、本来受け取れるはずの35億円の補助金までカットされ、完成間近の新市庁舎の工事費の支払いがままならない状況に追い込まれている。公然と約束を破り、言うことを聞かない自治体に対して、あからさまな兵糧攻めを強行する。それが今の国の姿勢だ。これを許せば、国と自治体との信頼関係は壊れ、地方自治そのものが成り立たなくなる。この選挙、絶対に勝たなければならない。さまざまな人と協力し、地域の安全なくらしと、地方自治を守るため、全力を尽くそう。<>2008/01/29 310<>0<>【1月】第42回 日本社会党 結党から左右の分裂へ<>第42回 日本社会党 結党から左右の分裂へ 
 敗戦の、1945年11月に戦前の無産政党関係者らが大同団結して、他党に先駆け日本社会党を結成した。社民民衆党系の片山哲(1887 〜1978)、西尾末広(1891〜1980)らは同党右派に、日本労農党系の河上丈太郎(1889〜1965)、浅沼稲次郎(1898〜1965)らは中間派に、日本無産党系の鈴木茂三郎(1889〜1970)、全国水平社の松本治一郎(1887〜1996)らは左派にそれぞれ位置した。結党当初は右派が主導権を握っていた。
 社会党は、労働運動の高揚と占領当局のバックアップによって新憲法施行直前の1947年4月の総選挙で比較第一党の地位を得、日本民主党お呼び国民協同党と組んで党委員長・片山を首班とする連立内閣を組織した。しかし片山内閣は、財源確保を巡る大蔵省と経済安定本部の対立が社会党左右両派の対立に飛び火し、わずか十か月で崩壊した。その後を継いだ芦田均(民主党総裁)内閣にも社会党は政権与党として参画し、西尾は副総理を勤めたが、GHQ内部の権力闘争の過程で発覚した昭和電工疑獄事件で芦田や西尾が逮捕されたため、同内閣も八か月で瓦解した。なお、片山内閣では、西尾の強行な反対で左派の入閣は認められず、芦田内閣には左派からも入閣したものの、最左派の黒田寿男(1899〜1986)らが予算案に反対して除名され、労働者農民党を結成するなど内部抗争は絶えなかった。 1949年の総選挙で、社会党は前回の143から48へと議席を激減させた。その結果を受けて開かれた党大会は党の路線を巡って紛糾した。森戸・稲村論争として知られる「国民政党か、階級政党か」という路線の対立である。この対立は「階級的大衆政党」ということで一応は収拾された。
 しかし、1950年の朝鮮戦争勃発、翌51年の講話・安保条約締結によって左右の分裂は不可避となった。すなわち左派は、@全面講和A中立堅持B外国軍基地反対C再軍備反対の「平和四原則」に基づいて両条約に反対したのに対し、右派は再軍備に積極的な西尾と消極的な河上との対立もあって明確な方針を打ち出せず、安保条約にのみ反対の立場をとった。1951年10月の臨時党大会は分裂の大会となり、以後左右両派は、それぞれ同じ党名を名乗って左右に分裂した。
 分裂直前、社会党の委員長に就任した鈴木が、「青年よ銃をとるな」と訴え、非武装中立論を唱えたことは、特記されるべきであろう。党内では左派が優勢になっていたが、それは労組から共産党の影響を排除しようとしてGHQの肝いりで結成された日本労働組合総評議会(総評)が、急速に左旋回を遂げて左派を支持したのが主たる要因であった。
<>2008/01/29 309<>0<>【1月】時言「なぜ防衛利権の闇は深いのか」<>時言「なぜ防衛利権の闇は深いのか」
 武器取引に聞かれる世界の共通認識は「腐敗はつきもの」である。「国家の安全」・「国家機密」、あるいは「高度の専門性」等の大義名分や口実による取引の闇は深い。闇が腐敗を生み、必要のない武器が取引される▽この国の防衛利権は巨大である。五兆円にも及ぶ防衛装備品の調達、それもほとんどが随意契約であり、それ故にこそ闇は巨大でより深まるのである。さらにそれ故にこそ、三菱等有力防衛商社等の歴代長官・大臣・防衛族議員・防衛庁幹部への働きかけは執拗であり、用意周到であると言われてもいる▽この闇からこぼれ出たのが、守屋防衛時間・山田洋行等の贈収賄事件であるが、この事件そのもの、さらには腐敗・疑惑の温床総体の解明については、政治あるいは検察の取り組みは今のところ、極めて不的確・不鮮明である。このままでは、インド洋上の給油支援をめぐる「イラク作戦への転用疑惑・給油量取り違えの隠蔽疑惑」等と同じく、あるいは英国のブレア前首相や独国コール元首相と同じように、軍事機密の曖昧の中に逃げ込まれそうである▽そこに切り込み闇を切り開く政治・メディアをその役割通り機能させるのは私たち一人ひとりの力である。「どうせ言ってもダメ。軍事の闇に私たちの手は届かない」など私たちに刷り込まれた疎外意識を払拭しなければならない。そして政治への信託の質を向上・厳正化させる。まさに疎外からの自己回復の年にするために新年を踏み出したい。(安保英賢)

<>2008/01/29 308<>0<>【1月】がんばってます109<>がんばってます109
呉市議会議員 得田正明
 昨年の統一自治体占拠において、6期目の闘いに朝鮮し、人権・平和の議席を呉の地において死守することが出来ました。ご支援をいただいた関係団体の皆様に心から感謝とお礼を申し上げます。
 地方分権の名の、三位一体の財政改革が推進され、多くの自治体は財政難と地方としての自立?に苦慮しています。
 呉市の場合も同様で、9月5日には財政集中改革宣言が出され、約400億円余の赤字をどう埋めるか、職員定数や給与の見直しをはじめ、事務事業の大幅な改善、聖域なき見直しをせまられておのます。
 財政健全化の基本的方向は、人件費の削減、企業誘致と市有地の処分、公共施設の管理運営の見直し、施策の選択と集中、経常経費の削減(各種団体への負担金・補助金等)、公共料金の値上げ、市税などの収納率の向上対策等や、むこう5年間で第2の夕張にならないための集中改革となります。
 改革の成否は、市民の理解と協力が第一であり、情報の公開、説明責任の徹底が不可欠といえます。数年前から「市民協働のまちづくり」と称して、条例も制定し、取り組んではいますが、市民協働が提唱された本質的要因について明らかにされておらず、表面的に市民の自立や自覚を求めることによって、これまでの行政サービスの保障を上手くすり替えたものとしか考えられません。
 行政・議会などの情報量と、市民が把握し認識する情報は、質・量とも雲泥の差があります。共通の土俵とか、良きパートナーとして、課題の共有というのは現実には極めて困難であります。一地方議員として、行政情報をいかにわかりやすく、平易な言葉で、具体的に説明し、物事の善し悪し、考え方、将来展望等を議論したり、意見を拝聴する場の設定に全力をあげるという重大な責務があると考えます。社会的弱者の生存権と人間の尊厳を確立するために。

<>2008/01/29 307<>0<>【1月】三木委員長の総支部訪問(1)<>三木委員長の総支部訪問(1)
三原総支部との交流
 新委員長になり、先ずは各総支部・支部との交流訪問を出来るだけ実践し、各地域のみなさんの声にじかにふれることにより、その地域の実情も直接感じ取れ、県本部としての課題も見えやすいのではと思っています。
 さっそく12月7日(金)夕刻、三原総支部の12月執行委員会に私三木と松村県本部執行委員とが参加しました。自治体合併により広域となりましたが本郷地区からも出席されていました。           
 執行委員会も定例化されており、「週刊新社会」の意見広告の本数の報告や1月12日の県本部「2008新春旗開き」の参加や「三原総支部全員集会」の日程打合せなどが予定されていました。
 私たち二人が参加するとのことで、当日はちょっぴり豪華版のお菓子が並んでおり、普段は何もなしでするとのことだったので、余分な出費を招くことになり、すまない気がしました。
 引き続く国政選挙での惨敗に全体に元気をなくして目標が定まらない感もありますが、三原総支部地域内での2008年には、最も身近な自治体選もあるので具体的議論をお願いし、県本部からの依頼事項の説明と状況報告をしました。予定されている「全員集会」も日程が許せば参加したいと思っています。<>2008/01/29 306<>306.jpg<>【1月】連帯−ビルマ難民キャンプに連帯の支援を<>連帯−ビルマ難民キャンプに連帯の支援を
 9月26日、ビルマ(ミャンマー)においてガソリン関連製品の高騰に端を発する、僧侶・市民の民主化要求デモに対して、軍事政権が発砲、200人を超すといわれる死者と当初だけでも4000人を超す逮捕・拘束される人間を発生させました。日本人ジャーナリスト・長井さんが軍の発砲によって殺害されたことで、日本メディアもビルマ状況について一時報道をしましたが、今は殆どメディアの報道はありません。しかし、軍政がデモに参加した僧侶・市民を捜査・拘束している状況は続いており、ヤンゴン市内の僧院は軍の管理下で空っぽであると言われています。
 非暴力の手段での訴えに、権力が武力をもって弾圧することは、断じて許されることではありません。
 1988年以来、ビルマ国境の隣国に避難せざるをえなかったビルマ難民キャンプ(タイ・メラウーキャンプ)を2月25日から29日に訪れ、難民支援と連帯のための現状の確認を行えればと願っています。
義捐金ご支援をお願いします。 (小武)<>2008/01/29 305<>0<>【12月】ストップ ! アメリカ型投機経済<>ストップ ! アメリカ型投機経済
           新社会党広島県本部委員長 三木郁子

 国内の燃料価格がかつてない高騰をつづけており、ガソリンなどの車輌燃料は、最高値となり続けています。         
 師走に入り本格的な冬シーズンなのに、暖房や給湯にかかせない灯油価格の値上がりに加えて、食べ物からタクシー料金までありとあらゆる生活密着品が、今回の原油高に影響され庶民の生活破壊へと襲っています。     今後も原油価格の安定は、当分望めそうにない状況なので、その影響は国民生活に一層深刻な打撃を与えそうです。
 そもそも、アメリカ型の投機経済がグローバル化の中で原油高を生み、全世界にその影響を及ぼしています。         
 各国の石油会社の支配力の強化により、低所得者向け住宅のサブプライムローン市場から新たな投機先としてファンドマネーが石油市場へと流れ込んだ結果として、わが国の国民生活破壊をもたらしているのです。
 アメリカ型の投機経済への暴走を許さない流れに方向転換されなくてはなりませんし、ましてマネーゲームの延長線として、これ以上わが国は巻き込まれてはなりません。   防衛省や自衛隊をめぐる一連の疑惑の徹底解明をし、これ以上の日米同盟強化を許さず新テロ特措法を成立させない方向に党の主体でもって粘り強く訴えましょう

<>2007/12/28 304<>0<>【12月】安田浩一講演会に参加して<>安田浩一講演会に参加して
                スクラムユニオン・ひろしま                         土屋信三
 12月1日、カレントコスモ中ホールにて、安田浩一さんの講演が開催された。当日は会場が一杯となり、急遽いすを追加して座ってもらうほどの盛況であった。参加者は90名で、「事件から浮かび上がる中国人研修生問題」と題した安田さんの講演に聴き入った。
 安田さんは、これまでの取材から明らかになった中国人研修生のおかれている実態について、具体的にくわしく報告された。時給200円から300円といったとんでもない残業代で、過酷な長時間労働を強制される研修生たちの実態。アメリカでは、この研修生制度を「強制労働」として認識し、批判していることなども指摘された。そうなのだ。研修生・実習生問題は実は強制労働であり、現代の奴隷制度といっても言い過ぎではない状況なのである。そして、この現代の奴隷制度ともいうべき研修制度が、きわめて歴史的に構造的に作り出されていることが明らかにされた。この制度の成立に関わった日中両国政府の責任や、いわゆる日中友好人士たちへの痛烈な批判も行われた。
 最後に、研修・技能実習制度の廃止と、日本が、日本人が外国人労働者を移住労働者として受け入れる覚悟を持ちうるのかと重い問いを投げかけられて講演を締めくくられた。

<>2007/12/28 303<>303.jpg<>【12月】尾道総支部第12回定期大会開かれる<>尾道総支部第12回定期大会開かれる
 先の11月27日、党員党友80人が参加し、熱のある第12回定期大会が開催された。司会の熊谷さんの、「三木・城間2尾道市議誕生が総支部の活動に大きな弾みとなった。今年度も平和・生活を守る取り組みに力を合わせて行きたい」との挨拶に続いて、広教組尾道支区・長谷川委員長、部落解放同盟尾道市協・下副委員長、市民運動グループ「ピースふる熱気球」の小林代表の3人の方から、それぞれ直面する課題とその解決に向けての取り組みの決意と連帯の挨拶が行われた。
 引き続いて原田書記長より、今年度総括と新年度運動方針の提案がなされた。総括では、小泉、安倍、福田と民意との乖離の度合いを強めながら、財界と密着し、極めて巧妙狡猾な手段を弄してきているが、それを批判し、超克しようとする私たちの側に確かな状況分析力と高い志を持った主体が求められる、という立場から、この1年間の自治体占拠の取り組み、組織・機関誌拡大の取り組み、学習活動、平和と民主主義のたたかいについて反省がなされた。運動方針では平和や教育、生活や労働、人権確立などこれまで掲げてきた方針に加えて、広域合併によって生じている地域改善の実践を明らかにしていきその解消に努めていくいくことや、広島・福山にならって「労働相談室」の立ち上げに向けて取り組むことなどが挙げられた。また、「給油新法」の成立の阻止も緊急の課題とされた。
 役員選出では、新しく因島から柏原委員、御調から下委員が加わり、前年度の植田委員長の再任の下、15人体制で執行体制が承認された。
 岡田議長は解任の挨拶で、新社会党の存在意義を、「小さくとも色々な場面・局面で全体の右傾化を阻止し、流れを修正することが出来る点にある」ことを強調。大会宣言を採択し、城間市議の“団結がんばろう”で閉じたが、質疑応答も教育の現状について行われるなど、活気と熱が感じられた大会となった。<>2007/12/28 302<>302.jpg<>【12月】国の仕打ちに1万人集会<>国の仕打ちに1万人集会
 山口県・岩国において12月2日、米空母艦載機移駐の反対により市庁舎建設費35億円を渋る国に対し怒りの集会が開催、1万1千人が錦帯橋の河川敷を埋め尽くした。集会に先立ち地元・書道家による畳十畳ほどの紙に『怒』と大きく書かれ、錦川の土手に掲げられた。集会では、最初に実行委員会の岡田久男代表が「井原市長は水戸黄門、悪徳代官は国、悪徳商人は議員、みなさんが助さん・格さんになったつもりで市民生活を守ろう」と挨拶。井原勝介市長は「岩国市は長年、国に協力してきたはず、基地撤去までは言っていない。庁舎建設は国が約束したこと、2年間で14億円貰ってきたのに3年目にして何故出せないのか。住民投票という民意を大切にしたい」と語った。来賓として参加した9人の国会議員からは激励のリレートーク、地元代表の「国が出さないなら自分たちで35億円集める意気込みで頑張る」などの訴えもあった。
 参加者は汚職疑惑で逮捕された防衛省の守屋前事務次官が自らの論文「わが官僚生活に悔いなし」の中で、「厚木の艦載機部隊の岩国移駐は自分が思いついた」と誇らしく述べていることからも、政官財汚職まみれの基地問題は許せないと怒りを露わにした。会場内では実行委員会による市庁舎建設のカンパ箱も回された。最後に全員で『怒りの1万人集会アピール』の採択、続いて『怒』と書いた水色の紙を高く掲げ国に対し抗議を行った。『故郷(ふるさと)』を合唱して散会した。
(栗原君子)<>2007/12/28 301<>0<>【12月】翼<>翼
 さまざまなことがあった2007年も終わる。いつの頃からか、年齢わ重ねるとともに、1年が経過するのが本当に早く感じる。
 今年は選挙の年であった。4月の統一自治体選。前半の県議選では、広島の東さんは当選、福山の山下さんは残念ながら惜敗。後半の市議選では、呉の得田さん、尾道の三木さん、城間さん、東広島の鈴木さんと全員当選を勝ち取った。
 7月の参院選比例、新社会党は「9条ネット」の一員として闘ったが、6年前より得票数を減らし、残念な結果に終わった。
 9月、参院選惨敗にも関わらず続投を続けた安倍首相が、唐突に辞職し福田政権が誕生した。「希望と安心の国づくり」を掲げ、前政権の政策に修正色をにじませているが、「憲法改正」と構造改革という根幹は変わらない。
 日本経済は好景気わ持続しているというが、それはごく一部の大企業の話しであり、多くの国民にはその実感は全くない。収入は減り、物価は上昇し、税・保険料なとの負担は増える。
 このような状況を変革し、多くの国民が将来の生活に希望がもてるよう、私たちは頑張ってきた。情勢は厳しいが、粘り強く闘いながら、元気を出して、新しい2008年を迎えよう。
<>2007/12/28 300<>0<>【12月】『九条世界会議ヒロシマ実行委員会』結成総会<>『九条世界会議ヒロシマ実行委員会』結成総会

「憲法九条は日本だけのものではない世界のもの」と来年5月、千葉県・幕張メッセで開催される『九条世界会議』に合わせて、広島、仙台、大阪でも地域集会が計画されている。広島では11月23日、36名が参加してヒロシマ実行委員会結成総会が開催された。

当日はDVD「世界は九条を恋している」の上映に続き、準備会を代表して下中奈美弁護士が「05年、紛争予防のための国際NGO会議では日本の憲法九条が高い評価を得た。紛争解決に武力を持たないという九条への思いは海外でも70カ国に広がっている。世界に誇れるものとしてもっと広めよう」と世界会議の意義を述べた。経過説明を受け、今後の活動や予算案などを協議した。広島集会は来年の5月5日、アステールプラザ大ホールに於いてノーベル平和賞受賞者のマイレッド・マクガイアさん(アイルランド)、核問題のハーグ平和アピールの中心、コーラ・ワイズさん(アメリカ)など国際ゲストを招いて開催することや事務局を下中法律事務所に置き、これから広報活動、財政作りに賛同金の依頼、オリジナルグッズの販売などの提起がされた。また、東京から参加の妙法寺・加藤上人は世界会議のプレ・イベントとして「来年2月24日、広島を出発し幕張までピースウオークを行うので協力して欲しい」と訴えた。実行委員会は今後、月一回のペースで開催することを確認して散会した。<>2007/12/28 299<>0<>【12月】廿日市市議会議員 石原 顕<>『頑張ってます』
廿日市市議会議員
 石原 顕
 時の経つのは本当に早いものです。ついこの間、3期目の選挙を闘わせていただいたばかりと思っていましたが、約3年が経過しました。『初心を忘れず』を胸に刻み、日々さまざまな活動に取り組んでいます。
 一昨年、在日米軍再編計画により、神奈川県の厚木基地から岩国基地へ、空母艦載機59機が移転してくることが明らかになりました。廿日市市では市長が呼びかけて、反対の連絡会議が、近隣の首長、議長、労組・民主団体の参加で組織されました。議会でもいやがる保守系の議員の尻を叩き、反対の意見書をすぐに採択させました。また、私の記憶では初めてですが、各自治会を通じて反対の署名も集められました。市民団体、労組主体の団体も組織され、連携をとりながら粘り強く反対運動を続けています。
 しかし、時が経過する中で、県内で唯一「周辺自治体」と認められる大竹市が、容認に転換し連絡会議から抜けるなど、情勢は厳しくなってきています。廿日市市では、4期16年間勤めた山下市長(旧社会党議員)が引退し、この11月の選挙で、前副市長が市長に当選しました。新市長に前市長の姿勢を継承することを働きかけ、12月議会では、明確に「前市長の姿勢を継承し、艦載機移転には強く反対する」という答弁でした。
 移転は2014年までにということですから、これからも多くの市民のみなさんと繋がりながら、粘り強く反対運動を続けていく決意です。
<>2007/12/28 298<>0<>【12月】時言「子どもの進路保障から出発しよう」<>時言
「子どもの進路保障から出発しよう」
 守屋前防衛事務次官逮捕等、巨大な防衛利権問題は次回に譲り、近年顕著な「論議の二項対立的処理」に関して▽これは二大政党論の正当性の立論として、同時に第三極の排除を目論む権力側の意識操作の手法であるが、それが大衆の思考にまで介入・蔓延し、少数の中にこそある真理・真実を葬るという民主主義否定、さらに思想の封殺、貧困化として機能している▽例えば国際的なテストでの成績低下の原因を「ゆとり教育むと決めつけ、それを学力向上の対立項目と位置づけ攻撃する。あるいは規制緩和(教育の商品化)による学区撤廃・自由の拡大等の中、教育サービスの消費者(保護者)に教職員は従うべきだとする市場万能主義的発想が強化され、極めて身勝手な生徒や、いわゆる「モンスター・ペアレンツ」まで出現している。これを批判する対立項として、教職員は公務員であり、政府の手足なのだから、当然政府に従うべきだとの国家主義が強調される▽しかし、98年度の文部省是正指導、その後の広島の教育の状況を見る時、私たちは是正と称する介入という国家主義の管理強化、その後の行政主導の規制緩和・全県位置学区制など市場主義的施策こそが、教育破壊の元凶と断ぜざるを得ない。優勝劣敗・差別化は促進強化され、高校定員内不合格、中途退学は激増し、子どもの教育が奪われている▽今こそ国家主義・市場主義的施策と対峙し、子どもの教育を奪い返す闘いの中で、一人ひとりの進路保障を実現しなくてはならない。                (安保英賢)<>2007/12/28 297<>0<>【12月】社会主義の歩みと将来への展望41<>第41回 社会主義インターの結成
    北西 允

 第二次世界大戦が終結に近づいた1945年3月、イギリス労働党のイニシアチブによって、主に連合国側に属する社会民主主義政党の代表者らがロンドンに集まり、インターナショナルの再建を決議した。それを受けて、1947年には国際社会主義会議委員会(コミスコ)
が結成され、コミスコは1951年6月、社会主義インターナショナルに発展的解消を遂げた。結成時、社会主義インターには、主として英、仏、西独、伊など西ヨーロッパの社会民主主義政党を中心に世界34ヵ国の政党が加盟した。
 第二次大戦を同盟国側に立って共に戦った米ソの関係は、戦後年を追って悪化し、冷戦状態、というより1950年に始まった朝鮮戦争に代表されるように、「熱戦状態」に陥るほど敵対的になっていった。それに呼応するかのように、社会主義インターき、反ソ反共の旗幟を鮮明にし、資本主義よりも共産主義を主敵とみなす新たな理念として、旧来の「社会民主主義」に替わる「民主社会主義」を標榜し、共産主義勢力との提携や接触さえ禁止した。
 したがって1951年の結成大会で決議された『宣言』には、1930年代後半における共産主義勢力との統一戦線の結成などという発想は、まったく影を潜めた。基調演説を行ったイギリス労働党代表のM.フィリップのごときは「(ソ連を仮想敵国とする)軍備の再構築が平等を犠牲にして進められても、それは社会の発展に役立さえする」と説いたほどである。西欧の社会民主主義政党は、ほとんど一様に1949年に設立された北大西洋条約機構(NATO)を支持する立場をとっていた。他方、同時に採択された『民主社会主義の目的と任務』では、「社会主義インターは、思想の固定化した一様性をまったく要求しない国際的運動である」と謳い、加盟政党の自主性を尊重する緩やかな国際連帯の組織であることも明らかにした。
 当時、反共右派の主導下にあったとはいえ、なおマルクス主義の影響を残していた日本社会党も、進んで社会主義インターに加盟した。だが社会主義インターには、当初から西欧偏重の嫌いがあった。そのため、1953年の第3回大会では、植民地問題を巡ってその解決に消極的だった西欧社民諸党に対するアジア社会民主勢力の不満が高まった。そうした状況を背景に、同年、ビルマ(ミャンマー)、インド、インドネシアの社民政党の呼びかけで、社会主義インターの枠内にアジア社会党会議が設置され、日本社会党もこれに参加したのである。
<>2007/12/28 296<>296.jpg<>【12月】ねずみ男旅日記6<>ねずみ男旅日記6
 12月6日、三次市において一人芝居「旅立ち」と行脚の報告会をさせていただいた。一人芝居は旅先で5回演じているが、身近な友人の前で演じるとなると別な緊張感がある。
 この行脚、旗を持って歩いているイメージが浮かんだことからはじまっている。それは、ガンや倒産を経験し、生かされているという感覚をもつようになり、使命を意識するようになったことによるものだと思う。
 以前よりは思ったことを軽く口に出すようになった。「旗を持って歩こうと思う」と言う。それを紹介され、三次市の国際交流の会のクリスマスパーティーでマイクを握った。「歩きます」と断言するしかない。では準備をしなくちゃ。登山をしているガン経験者の知人に相談すると、リュックサックをいただいた。このリュックサックを使わずに終わるわけにはいかないな。
 憲法前文と9条も覚えよう。もう少し長いパフォーマンスもできたらいいな。一人芝居も。そして三次で演じさせていただいた。感謝。
 現実を無視すべきではない。だがあまりにとらわれると自分に枠をはめてしまう。理想をイメージし、流れに身を委ねるのもいいのでは?。<>2007/12/28 295<>295.jpg<>【11月】第12回 広島県本部定期大会<>第12回 広島県本部定期大会
10月21日、県内各総支部からの代議員50人が参加して、広島市内において、第12回新社会党広島県本部定期大会が開催された。
 冒頭、栗原委員長は「7月の参院選では大変お世話になったが、残念な結果に終わった。しっかりと総括し、今後の運動に生かしていこう」とあいさつ。続いて、中央本部から石河副書記長をはじめ、フォーラムフリー、広教組、高教組、解放同盟、朝鮮総連、全港湾、県労協など8人の来賓から激励のあいさつがあった。
 議事にはいり、参院選の総括を中心とした06年度の総括、また各総支部の日常活動の強化、財政の確立などを中心とした07年度の運動方針が提案された。昼休みには財政小委員会が行われ、06年度決算、07年度予算など非常に厳しい県本部財政の実態が話し合われた。
 午後の初め、財政小委員会委員長の報告があり、質疑・討論にはいった。「結果が如実に示しているように、9条ネットで今参院選を闘うべきだったのか?」など参院選の総括を中心に行われ、活発な意見が出された。最後に小森顧問が、「さまざま意見はあろうが、私が委員長であったとしても、この参院選は闘っていたと思う」とまとめた。議案はすべて賛成多数で承認された。
 県本部役員の選出では、結党以来11年間委員長を勤め、多くの功績を残した栗原委員長にかわり、三木郁子さんを新委員長とする新しい役員が承認された。三木新委員長は、栗原前委員長の活動への感謝と、今後の決意を力強く述べ、参加者から大きな拍手がおくられた。
 続いて、「憲法9条の改悪を許さず平和を守る」「働く者の権利、命とくらしを守る」2本の決議、そして「大会宣言」を採択。最後に、新委員長の音頭で、全員で「団結頑張ろう!」を行い、厳しい情勢ではあるが、元気を出して頑張ろう!との思いをそれぞれが新たにして、大会を終えた。<>2007/11/25 294<>0<>【11月】新社会党第12回定期全国大会に参加して<>新社会党第12回定期全国大会に参加して
 10月27日〜28日東京都内にて開催された第12回全国大会に、広島からは8名の代議員が参加した。栗原委員長のあいさつ、来賓あいさつに続き、中央本部より議案の提起が行われた。焦点は、7月に行われた参議院選挙敗北の総括から護憲の共同戦線を担える党組織をいかに強化するかにあり、全国の代議員の発言の多くもそこにあった。9条ネットの取り組みが遅れた問題点も出されたが、日常の党活動の不十分さを反省する声が多かった。もっと日常の総支部・支部活動を重んじ、党員同士の信頼関係を強化し、地域・職場の闘いに取り組んでいかなければならない、選挙を闘える力量を作っていかなければならない、と前向きに総括されていた。選挙後まだ元気の出ない広島にしっかりと持ち帰り伝えていかなければならないところである。
 本会議と平行して行われた財政小委員会では、党費の定額制から定率制への移行について論議は集中し、「2年間の移行期間を設け、定率制に移行する」ことが採択された。  
                    代議員 土屋みどり
<>2007/11/25 293<>0<>【11月】新社会党労働運動委員会総会に参加して <>新社会党労働運動委員会総会に参加して 
土屋信三
10月6,7日の両日にわたって開催された労働運動委員会では、地域ユニオンへの関わりについて、掘り下げた論議がなされた。総労働人口の3分の1をしめる1700万人の労働者が、すでに非正規雇用労働者となっている。そして、賃金は150万円から200万円の年収で、生活できるかどうかというぎりぎりの所にまで追い込まれている。このような非正規雇用労働者の組織化に向けて、新社会党は全力を挙げるべきだとする提案がなされた。このことはきわめて重要である。新社会党が本当に労働者階級に基盤を持つ政党となるためにも、大胆に非正規雇用労働者の中に入り、組織し、闘いを領導しなければならない。そのための武器が地域ユニオンに他ならない。参加者から、どのように地域ユニオンに関わっていけばいいのかというとまどいもあったが、問題は簡単である。各地域に地域ユニオンを立ち上げ、専従的に動ける人と事務所を確保し、活動を支える資金を恒常的に支えていけばいいのである。力のある人は力を、物のある人は物を、金のある人は金を、集中して形とすること、そのための意志一致と行動が何よりも求められている。<>2007/11/25 292<>0<>【11月】全国女性委員会・開催<>全国女性委員会・開催
新社会党全国女性委員会は10月7日、8日に東京都内に於いて全国女性党員党友交流会を開催した。初日の開会行事では中央本部・本池なみえ女性委員長が主催者挨拶、開催地を代表して富江栄子都本部副委員長の歓迎挨拶に続き、栗原君子中央本部委員長が情勢を含め「新社会党の任務と女性党員に期待する」など問題提起をした。その後、二班に分かれて加害の歴史を学習するため「靖国史観」満載の『遊就館』並びに、故松井やよりさんの遺言でもある女たちの戦争と平和資料館『アクティブ・ミュウジアム』の見学を行った。女性たちは説明を聞きメモを取り、資料に目を通し、この国を再び戦争国家にさせてはならないと反戦の決意を新たにした。夜の夕食交流会では若干お酒も入り参加者の自己紹介、なかでも先の自治体選挙を闘った元気印の女性議員団の報告、日常活動の悩みやうっぷん晴らしと英気を養った。二日目は、『許すな!憲法改悪・市民連絡会』の高田健さんが、ビデオを使って改憲手続法反対の闘いの様子の報告、講演をおこなった。高田さんは「安倍内閣に代わって調整型の福田内閣が誕生したのは1960年岸内閣が倒れた時の状況とよく似ている」など述べた。この後、質疑応答、本池女性委員長がまとめを行い、来年度は茨城が担当することを確認して散会した。
<>2007/11/25 291<>0<>【11月】翼<>翼
 秋らしいさわやかな日は短く、夏から冬へ季節が一気に移ったような気がする。春夏秋冬の四季のバランスが、壊れてきたように感じるこの頃である。
 在日米軍再編による岩国基地の機能増強問題、昨年3月の住民投票、4月の市長選挙で示されたように、「移転反対」の民意は明らかだ。しかし、相変わらず国のかたくなな姿勢が続いている。
 井原市長はも「市庁舎建設の補助金交付を前提に反対の旗をいったん収め、協議に臨みたい」と、やや軟化した姿勢を示したが、国は、補助金交付はあくまでも米空母艦載機の岩国移転容認が先とする、従来の考えに固執している。「国の決めたことには黙って従え!」という態度には、心から怒りをおぼえる。このような中、広島市内において、米海兵隊岩国基地の米兵4人が、19歳の女性に集団で暴行した事件が報道されている。全く許すことの出来ない事件であり、岩国・広島市内で大きな抗議の声が上がっている。
 地元の意向を全く無視して、一方的に「アメとムチ」でごり押ししようとする国の姿勢に大きな問題がある。国はただちに計画を白紙撤回し、地元と十分な話し合いを始める、そこからしかこの問題解決の道はない。<>2007/11/25 290<>290.jpg<>【11月】「10.28 ヒロシマ集会」<>「10.28 ヒロシマ集会」
 快晴の10月28日の午後、広島県庁前広場において、『テロ特措法・イラク特措法は廃止を!在日米軍再編・岩国基地機能強化を許さない!10.28ヒロシマ集会ガ行われ、県内だけではなく、山口・神奈川県などから、約1000人が参加した。この集会は、平和運動センターの呼び掛けに賛同した新社会党広島県本部、憲法の改悪を許さない広島県民会議など、18の団体で組織した実行委員会が開催した。
 主催者、来賓のあいさつの後、「岩国新庁舎募金の会『風』からの訴え、ピースデポから「テロ特措法の問題点」、神奈川から「米兵犯罪の実態報告」が行われた。広島市内で、米兵4人による女性への暴行事件があったばかりで、特に神奈川からの報告には、大きな拍手がおくられた。続いて「テロ特措法・イラク特措法は廃止を!在日米軍再編・岩国基地機能強化反対!米海兵隊の犯罪を許さない!」の内容の集会決議を採択、最後に向井実行委員長の音頭で、「団結がんばろう!」を参加者全員で怒りを込めて行い、集会を終えた。
 集会後、県庁前から相生通りを通って稲荷橋西詰めまでデモ行進を行い、日曜の午後行き交う多くの人々に、参加者の思いを大声で訴えた。

<>2007/11/25 289<>0<>【11月】時言 11月3日を前にして<>時言 11月3日を前にして
 薬害肝炎問題で、例えば製薬会社は血液製剤フィブリノゲン投与者の個人名を特定しつつ隠し続けてきたこと、年金記録の不備は以前から社保庁内では把握されていたこと、さらには03年2月25日に補給艦「ときわ」から米補給艦ペコスへ、それが空母キティーホークへと給油され(イラク戦争への転用疑惑)た量「20万ガロンは実は80万ガロンの誤りであった」ことは、03年当時から海上幕僚監部は知っていた等々。これ等は関係者、当該組織の利害・保身・防衛等のために意図的に隠蔽され続けてきた▽しかし、昨今次第次第に証されて来る真実は、隠蔽加担者を追い詰めてきている。それもこれも患者の、例えば裁判闘争、あるいは年金被害者の提起等、当事者の、さらには大衆の(参院選にも現象化した)闘いと、それを報じるジャーナリズムの成果でもある▽まさに伝えられ、知ることで判断・批判・行動するという「知は力」となることの証であろう。その力によりベルリンの壁も突き崩されたと、かつてメディアは自賛したものでせある▽しかし、メディアをそのようにあらしめているのは、人の内奥で60年も培われてきた憲法精神・主権者としての自覚の発現である▽この期に及んでも「知らしむべからず、由る裸子宜使」とする封建制を堅持する権力を縛ることを基本とする憲法の保持者は、まさに一人ひとりの「私」なのである。11月3日は61年前に憲法の公布された記念日であり、その「私」の記念日でもある。
                       (安保英賢)<>2007/11/25 288<>0<>【11月】第40回 二大政党制とイギリス労働党<>社会主義の歩みと将来への展望 北西允
第40回 二大政党制とイギリス労働党
 かつてエンゲルスは、『イギリス労働者階級の状態』1892年版への序文の中で、、イギリス二大政党制を「ブルジョア支配を永久化させるシーソー・ゲーム」だと論じたことがある。「議会がすでに封建制度に対する闘争の道具としての連枝的使命を果たし終えた後も、ブルジョワジーは、議会が労働者を縛り付けるのに適しているかぎり、大衆を惑わせ、階級闘争を抑制する最も有効な基盤としてそれを温存し、保守・自由の両党をシーソーの両端に据えることによって労働者の攻撃をたくみにかわそうとした」と。この定式は、保守・自由の二大政党制が、第一次大戦時の自由党の分裂、両大戦間の保守・自由・労働の三党○立期を経て、第二次大戦後の保守・労働の二大政党制に変貌した後も、基本的には妥当するように思われる。
 戦間期に労働党は、1923〜24年と1929〜31年の二度、少数党政権を担当しているが、主としてこれらの経験を通じ、労働組合党として発足した労働党は、政策・組織の両面で既成政党に追随する姿勢を強めていった。すなわち政策面では資本主義体制の根本には手を触れず、組織面では党首と議会党(議員グループ)の優位を確率したということである。そのため、労働党が自由党に替わって二大政党制の一翼を担うようになっても、政権の交代はスムースに行われ、政策の大転換は起こらなかった。
 アトリー政権が実行した社会改良政策は、保守党の政権奪還によって一部後退したものの、基本的には維持された。以後「鉄の女」M.サッチャー(1925〜)が、1979年に政権に就くまで、労働党がアメ、保守党がムチの役割を演じながら、ほぼ同じ年数、政権を分かち合い、「シーソー・ゲーム」を演じてきた。それを可能にした一つの大きな要因は、小選挙区単純多数代表法という最も非民主的な選挙制度だったと言えよう。それは、1884-85年に男子普選の実現と抱き合わせの形で初めて導入された選挙制度で、勃興してきた労働者ないし社会主義政党の議会進出を阻止する点に主眼があった。
 表示するゆとりはないが、イギリスの議会選挙史上、この選挙制度は、第1党に対し得票率を大幅に上回る議席を与え、第2党には得票率にほぼ見合った議席を与える一方、第3党以下には投票率をはるかに下回る議席しか与えないか、あるいは全く与えないという結果をもたらしてきたのである。
<>2007/11/25 287<>287.jpg<>【11月】頑張ってます107三原市議会議員七川松美<>頑張ってます107
信頼される地域活動をめざして
 国民の、異常なまでの支援を受けて発足した小泉政権は、腐敗と堕落の政治責任を、痛みの共有と国民を犠牲にして、三位一体改革、郵政民営化・広域市町村合併等を強行しました。しかし、一連の改革は、国民の生活を直撃する増税と、地方経済を大きく後退させる結果となっています。その後、安倍政権から福田政権へと変わりましたが、旧態依然の政治腐敗と堕落の土壌の中での交代であり、国の政治には益々不安を感じています 
 さて新設合併から3年目を迎え、三原市本郷地区を活動の拠点に、地域の活動・要請に応えながら、頑張っております。
 更に、旧社会当時から、地域の連帯をめざした取り組みも、多くの壮年者と連携する中で、河田川の鮎を主業に組合を設立し、今日では、地元特産物の地鮎の商品化を目標に掲げて、地域のイベント等にも積極的に参加して、地域に信頼される地元議員の交流と連帯の輪の活動になっております。
 更に又、交流事業の一環として、沼田川沿線の地域の小学校と連携して、小学校全校と、3年生を中心にした校外体験学習を毎年4回に亘って「4月に稚鮎の放流、6月に水辺教室、8月に鮎祭り体験学習、11月に鮎の収穫祭」を開催し交流を深めてまいりました。
 本郷町内の活動時、行事に関わった子どもたちと出会い、声をかけあう中で、地域活動の大切さを実感するところであります。
 三原市本郷町本郷1536番地
新社会党
三原市議会議員七川松美
<>2007/11/25 286<>0<>【11月】廿日市市議補選(大野選挙区)惜敗!<>廿日市市議補選(大野選挙区)惜敗!
 10月14日告示、21日投開票で実施された廿日市市議補欠選挙(大野選挙区、定数1)で、新社会党支持の西本善治さん(前大野町議)は、2944票を獲得したが、健闘及ばず次点に終わり涙をのんだ。
 市議が市長選に立候補するため、急に市長選と同時に補欠選挙が実施されることになったが、定数1に対し、前町議3人と新人1人の4人が立候補する激戦であった。西本さんは2年前の廿日市市議増員選で惜敗した後も、議会を傍聴したり、署名を集めたり、また定期的に「まちづくり通信」を発行するなど地道な活動を続けており、住民からは大きな評価を得ていた。しかし、近くの地域から新人が立候補し、票が分散して涙を飲む結果となった。
 この結果を真摯に受け止め、また次の機会をめざすと力強く語っている。暖かいご支援をいただき、ありがとうございました。
<>2007/11/25 285<>0<>【9.10月号】 県本部大会・全国大会へ向けて ! <>県本部大会・全国大会へ向けて !
新社会党広島県本部
副委員長 三木郁子
 暑い中での参院選挙も惨敗に終わりましたが、護憲運動の構築を基底に、困難な中にも
運動継続をどう日常活動の中で、積み上げていくか問われるところです。
 10月21日(日)は県本部大会、 10月27日(土)〜28日(日)は全国大会と共に第12回の大会を控えています。
 各総支部・支部ともに元気を無くしている声が、聞こえて来ています。「声をかけても集まってくれない。」、「党費等への主体的意識がない。」とか「役員からの呼びかけがなされていない。」、「機関紙配布が一部の者に集中し、なかなか拡がりが持てない。」等々です。
 その多くは、党員・党友が主体的に活動すべき、最も基本的姿勢のことがらが含まれています。
 小泉構造改革以来、経済格差、所得格差と格差社会が拡大の一途をたどり、そのしわ寄せは、弱いところへと集中しています。
 具体的には、子どもたちのところで、不登校やいじめが過去最悪になったとの速報。  合わせて児童虐待の件数も過去最高い数値が発表されています。
このような社会情勢にあって良いわけは無く、やはり日常活動への主体性が、今こそ問われるのではないでしょうか。
党員一人一人が、自省すべきはし、組織再生への確立も含めて再点検をし、両大会がお互いにとって元気が出る大会へと向かおうではありませんか。

<>2007/10/23 284<>284.jpg<>【9.10月号】 呉・安芸総支部第12回定期大会<>呉・安芸総支部第12回定期大会
=組織の存亡をかけて=
 呉・安芸総支部(得田委員長)は、8月23日、山の手会場において、第12回の定期大会を開き、参院選の総括、党としての使命、党員の自覚など当面する課題について、活動方針案を代議員30名で確認した。
 来賓より栗原県本部委員長は、参院選のお礼と今後の党活動のあり方について話し、党員の結束と果たすべき役割を訴えた。
 06年の活動報告の後、07年の方針を提案。一、組織強化。二、選挙闘争。三、財政確立。四、教宣活動。を中心に活発な議論が展開された。代議員からは、党の政策や理念を広報する具体的な方策についてや仕事保障や労働保障等、市民の生存権や暮らしを守るための「市民相談所」の開設、党員や機関紙の拡大等々の建設的意見が続出した。得田委員長は、
「やらねばならないことは山積している。要は、日常不断に誰がどのように任務を遂行するかだ。やりきるだけの主体的力量の構築が急務であり、組織存亡の危機感を自覚して、共に課題を克服しよう」と答弁。
 特別決議は「憲法を守り、生活者優先の政治の実現と党組織の強化」を、大会宣言は、権力の弾圧や攻撃に屈することなく、結党の精神を自らのものにし、団結と連帯で日々の活動を展開することを確認した。<>2007/10/23 283<>0<>【9.10月号】 必勝自治体選挙<>必勝自治体選挙
廿日市市議会議員補欠選挙(大野選挙区)
新社会党支持
10月14日告示10月21日投開票
西本喜治(前職)
(プロフィール)
・1948年生まれ 59才
・1971年県立大竹高校勤務(17年)
・1988年県立養護学校勤務(13年)
・2001年広島県立養護学校勤務(1年)
 この間広高教組での組合活動、平和・人権 ・環境を守るための市民運動。
障害者ととねに活動(共生の森)
・2005年3月 大野町議会議員補欠選挙に当       選
・2005年11月廿日市市議増員選挙に立候補惜    敗
・現在 「まちづくり通信」を発行し住民と の対話を続ける/新社会党大竹・廿日市総 支部副委員長/「ともに生きる会」代表
(抱負)
 教育基本法の改悪、国民投票法の成立、防衛省への昇格など、日本を戦争できる国にしていく動きが加速している中、国民生活は破壊され、人権無視の社会へ突き進んでいます。長年にわたり学校現場で障害者とともに生活してきた経験、8ヵ月ではあるが議員であった経験を生かし、障害者をはじめとして疎外される状況にあるすべての人々と連帯し、地方行政や教育のあり方を変えていくことをめざします。
 定数1という大変厳しい選挙ですが、社会的弱者、勤労者の生活を守るため、全力で闘い抜く決意です。
<>2007/10/23 282<>0<>【9.10月号】 翼<> 翼
 ビルマ(ミャンマー)では、大幅な燃料費の値上げに反対した僧侶のデモが、9月24日には10万人ものデモに膨れ上がった。同26日、ついに軍は民衆に発砲、10月初め、すでに200人を超す死者、4000人を超す被拘束者を数えまだ増え続けているとビルマ情報ネットワークは伝えている。1988年にも3000人を超す死者、行方不明者を出したビルマの軍政の武力弾圧。しかし、ビルマの民衆は、武力蜂起をせず、この度は僧侶が中心となってやはり非暴力の手段で訴えた。非暴力では無力なのか?無惨に殺され殴られる人々を見、もどかしい思いも胸に抱く。デモをする僧侶・市民には、どなん理由があろうとも「殺さない」という仏教の教えが確かに生きている。▽ただ、自国の民衆に銃を向け、自らの私利私欲を貪る権力者が営々と続いたことはない。将来、軍政は必ず崩壊するに違いない。それが、非暴力的に成し遂げられた時、今世界においても大きな意味を持つに違いない。そのためは世界がビルマを注視しメッセージを送り続けることが不可欠な条件となる。特に日本政府の「人道支援」の中身が軍政を援助することになっていないかと。しかし、その時までどれ程多くの人々の血が流されることだろう。 

<>2007/10/23 281<>0<>【9.10月号】 新社会党第19回中央委員会報告<>新社会党第19回中央委員会報告
一.@07年参院選挙の総括案の提示
  A10月27〜28日の第12回全国大会へ向け
ア.大会の意義と任務(案)の提示
   イ.大会議案の各分野の草案提示
B財政活動方針(案)の提示、等々提案・確認・採決を行う   目的で、標記の委員会は9月15日、東京の八重洲ホール    で開催されました。 
二.中央本部提案の「参院選挙闘争の反省」としては、小選挙区  制の下での選挙として、政権交替可能な保守二大政党の競い  合いとして、すなわち「第三極」、例えば護憲派や少数は最  初から排除された。この排除姿勢はメディアにも共通、加え  てメディアは選挙の争点を「年金・政治と金・格差」等へと  誘導し、憲法問題は争点からはずされた。加えて「9条ネッ  ト」は歴史初の選挙を巡る共同戦線として評価しつつ、5月  の立ち上げという決定的遅れ、それ故の浸透力のなさ等々が提
 示されました。
三.前記一のA・B(共に内容は略)の提案の後の質疑・討論  は、冒頭での委員長要請も手伝って20数県からの発言があって 活発でした。「闘ってよかった。闘わなければ党が消滅する」 「『戦争よりくらし』という危機感が有権者になく、上すべっ た」「1/3の党員しか動かず総力戦にならなかった」。さらに今 後「地域の人と悩み苦しみを話し合う場が大切。学習会を」  等々の声に止まり、なぜ総力戦にならなかったのか等の総括は 深まらず、護憲の共同戦線としての「9条ネット」の維持等本 部提案了承の後、終了。<>2007/10/23 280<>0<>【9.10月号】 「がんばっています」106<> 「がんばっています」106
尾道市議会議員 
三木郁子

 この4月の統一選挙で、多くのみなさんに支えていただきまして、厳しい諸条件をふりきる事ができ、尾道市議会議員選挙において、初当選を果たさせていただく事ができました。
所属会派は、先輩議員でこの4月 勇退をされた植田 稔前市議が所属されていた「市民連合会派」に、城間和行議員といっしょに所属し、他の先輩議員と共に会派4名での活動をしています。
尾道市長もこの4月から、また副市長も6月から変わり行政・議会ともに新体制でスタートを切っています。
会派から、4委員会へそれぞれ所属することができ、私は、「民生委員会」へ所属しています。
6月定例議会の会派代表質問では、1.市長選挙とマニフェストについて2.尾道市第二次障害者保健福祉計画・尾道市障害福祉計画策定に関わって3.尾道発「教育改革の改革」について4.(仮称)尾道市民センターむかいしま建設についての項目で、私は、2の項目原稿を担当致しました。3の教育行政からの答弁では、質問している数字などがまったく示されず、議会運営委員会にて、理事者側へ「誠意ある答弁をするよう」異例の申し入れがなされる一面もありました。
「三木いく子市議会だより」の第1号2007.夏号が8月後半に印刷が出来上がり、「こんにちは、暑い夏でしたね。」と会話しながら、もっか配布中です。<>2007/10/23 279<>0<>【9.10月号】 第39回第2次世界大戦後のイギリス労働党−<>第39回第2次世界大戦後のイギリス労働党多数政権
 人類史上もっとも凄惨かつ広範な人的・物的被害をもたらした第2次世界大戦は、1945年夏にようやく幕を閉じた。大戦は、とりわけ被侵略国や敗戦国の民衆に対し想像を絶する災厄を与えたが、戦火にまみれた戦勝国の人民にも耐え難い苦難を強いた。
 イギリスは、バトル・オデ・ブリテンニ勝利してナチスの侵入を辛うじて食い止めたものの、多くの命が失われ、首都ロンドンをはじめイングランド南半分はドイツ軍の執拗な空襲に遭うなど国土は荒廃し、アメリカやカナダは莫大な戦債を負った。それを全額弁済し終えたのは、実に昨年末のことである。
 イギリスを勝利に導いた「英雄」が、W.チャーチル(1874〜1965)であることは衆目の一致するところだが、イギリス国民は、1945年の総選挙でチャーチル率いる保守党を見捨て、むしろ無名と言ってもよかったC.アトリー(1883〜1967)を頭に戴く労働党に、結党以来始めて絶対多数の議席を与えた。その要因の最たるものは、わずか二十年の間隔で、イギリスが戦った二つの大戦による民衆の犠牲の厳しさであった。
 労働党政権は、反マルクスの姿勢をとるフェビアン社会主義にケインズ経済学を加味した綱領に基づき、基礎サービスと、石炭産業など一部基幹産業の国有化に踏み切るとともに「揺りかごから墓場まで」と称えられた無料の医療サービス(健康保険ではなく国家には国民の健康を保障する義務があるとの発想による)を中心とするかなり充実した社会保障政策を実施した。だがこれらの施策は。資本主義体制を揺るがすものではなかったし、社会改良主義の域を出るものではなかった。
しかし、イギリスのような大国で、労働組合を主要な基盤とする単独政権が誕生し、一定の社会改良政策が実行されたことは、当時世界の注目を集めた。戦前、社会民主主義の拠り所と看做されたマルクス主義の流れを汲むドイツ社会民主党は、ヒトラーの政権獲得後もろくも解体され、一挙に権威を失墜していた。替わって戦後、イギリス労働党が、共産主義に対抗する社会民主主義の結集軸しなった。
 1947年に結成された国際社会主義会議委員会(コマコス)の政綱は、イギリス労働党の1945年綱領と瓜二つであった。コミコスは、1951年に社会主義インターナショナルへ発展的に解消することになる。<>2007/10/23 278<>0<>【9.10月号】時言1「戦後レジュームの子という自覚」<>時言1「戦後レジュームの子という自覚」

 先日亡くなられた小田実さんは、戦後民主主義を支えたのは、一定程度の経済力を持った大多数の中流の国民であると指摘されていた。この中流は憲法が国民に保障した「教育を受ける・労働する権利」等の現象化であり、言わば憲法の子どもが民主主義の担い手として、憲法のいう「不断の努力」で形成されたという意味であろう▽この小田さんの論の内実を知悉している資本の側は、労働者的なものの無力化・社会的抹殺を策して労働力の商品化の多様化を促進し、同時にグローバリズムを口実にしての新たな収奪の段階に突進している。この新自由主義の具体的戦術は、労働者を保護して来た労働法制の規制緩和。それによって許容された多様な雇用形態の現実化。そこに惹起される労働者の分断・格差拡大の一層の促進である。教育もバウチャー制導入計画にみるように商品化の一途である。まさに権利としての教育や労働が収奪され、自由権が抑圧され、人間がより一層手段化されていく社会へと堕ちていく▽「すべての人に等しく一票を与える形式平等主義を止め、納税額に応じて票数を与えるべきだ」との声まで聞こえる今、強者(資本の側)を利する国作り、逆らう者は国の内外を問わず暴力(軍事力)で封殺する国(安倍流・美しい国)作りが「戦後レジュームからの脱却」の名の下で強行されている▽それ故今、この強行と闘うことこそ、教育・労働・自らの生活を守る闘いであり、即護憲闘争そのものである。(安保英賢)<>2007/10/23 277<>0<>【9.10月号】 時言2 「『合理』は主権者に宿る憲法精神<>時言2 「『合理』は主権者に宿る憲法精神である」
 中島みゆきの歌に「・・・シュプレヒコールの波通り過ぎていく、・・・時の流れを止めて、変わらない夢を見たがる者たちと闘うため・・・」▽今の自民党の大多数が安倍総裁を選択した。「昭和の妖怪」を祖父とする彼は、教科書から従軍慰安婦の記述を削除させる。あるいは東京裁判を否定する勢力の急先鋒であり、「戦後レジュームからの脱却」・「美しい国」も、そんな活動の延長戦上での観念的独善だったのでしょう。▽安倍首相は、彼を潰した主権者の思いや力を知らないが故に潰れた。(安倍の常套句)「私の内閣では・・・」なのではなく「国民の内閣」なのである。彼を「選挙の顔」とし、選挙のこと等自分の功利しか考えない自民党は、安倍を潰した主権者の思いや力を知らないが故に、いづれは潰れる▽一千万を越すワーキングプア、9年連続の労働者賃金の減少、そしてさらなる収奪強化をして、(今の価値に換算して)日給一億円超の大正・昭和初期の時代を「美しい国」として、そこへ帰ろうとする資本の側▽しかし、止まらず、遡及せず、時代は進捗する。その間「合理」は確実に歩み進み、人間を自覚めさせる。就中、情報化社会の今、その歩みは素早く、しかも強い。▽米下院の従軍慰安婦問題決議や、ラントス外交委員長が安倍首相のパール判事の遺族訪問に「とんでもない」と批判した事等に、厳しい批判を浴びせるこの国の反動の非合理(安倍政治の本質)こそ国民を苦しめて来たのだ。▽「合理」なは主権者に宿る憲法精神であり、今年で60才・還暦を迎えた。
(安保英賢)<>2007/10/23 276<>276.jpg<>【9.10月号】ねずみ男旅日記(6)<>ねずみ男旅日記(6)
 8月21日、長岡京から行脚再開。3日野宿して岐阜県可児市の国枝さん宅に泊めていただいた。
 25日には御岳で憲法誕生の真相に触れた映画『日本の青空』の上映会があり、上映後「九条の会みたけ」の呼びかけ、その後で9条行脚の報告をさせていただき、新聞社の取材も受けた。
 ジャズピアニストの河野さんに国枝さんを紹介していただき、そのお世話で地元紙の取材を受けた。
 こんな人生・・・好きです。ご縁ですね。売名行為が目的ではないが、9条について多くの人に考えていただきたい。インターネットを使って全国の9条の会がつながれば、もっと効率よくPR出きると思う。
 さかのぼって7月には行脚を中断し、参院選のため9条ネットのポスター貼りなどした。残念な結果だった。でが、今が大切。
 9条ネットのネットはネットワーク。であるならば、全国に自然発生的に生まれている9条の会の情報の共有等、ゆるやかに繋いでゆくのが9条ネットの役割りではないだろうか<>2007/10/23 275<>0<>【8月号】参院選挙から 今思うこと <>参院選挙から 今思うこと
新社会党広島県本部
副委員長 高橋晋作
参院選挙闘争は終わりました。まず何よりも先に、栗原委員長に大変お疲れでした、ご苦労さまでしたと、そのご健闘に対して心からのお礼を申し上げます。
 さて、今回の参院選挙で、党員、党友のみなさん各自それぞれ存分の行動が出来たでしょうか。私自身で考えてみればほんとうに大変でした。しかし、この参院選は改憲阻止とある意味で新社会党の命運が決まる闘いであると考えれば・・・懸命に取り組みましたが極めて残念な結果で正直落ち込んでいます。この選挙の総括は中央本部、県本部とも早急にされると思いますが、今私の頭の中に浮かぶ何点かについてみなさんと共に考えてみたいと思います。
@改めて新社会党結党のことを思い起こして
 います。
A新社会党の理念や方針は正しいと思う。し
 かし今の現実は・・・
B今の現実の中で私たちはそれぞれの地域や
 職場の中でどう運動を構築していけばよい
 だろうか。
C今の組合運動はこれでよいのだろうか。み
 んなでもう一度考え話しあってみたいもの だ。
D選挙の結果をふまえて今後新社会党はどう
 あるべきなのだろうか。
等々
<>2007/08/30 274<>274.jpg<>【8月号】選挙戦をふり返って 栗原君子<>選挙戦をふり返って

今参院選は与党の「年金問題」「政治とカネ」「閣僚の失言」などが民主党を有利にしました。私たちが自民党の悪政批判をすればするほど、民主党は票の積み重ねをしました。『9条ネット』の敗因は私たちの力量不足です。「戦争より平和」「戦争よりくらし」と憲法9条の平和主義に25条の生存権を絡めて訴えましたが及びませんでした。『9条ネット』は政見放送と選挙公報以外はマスコミからも消されてしまいました。東京の事務所には「政見放送が良かった」とか、広報を見て「自分の考えと同じ人たちがいてよかった」「応援します」など激励の対応で4本の電話が鳴りっぱなしであったと聞きます。「盛り上がってきたと思っていたら選挙戦は終わった」などと言っていました。小選挙区制の下では有権者に多様な選択を許さず、基本政策は変らない保守Aか保守Bかを無理やり選択させるものだと思います。有権者のなかには「戦争なんか起こらない」「憲法は難しい」という意識があるのでしょうか。先の国会で改憲手続法が通り、自民党の参院選マニフェストでは憲法改正(悪)が一番に約束され、安倍首相も「自分の内閣で憲法改正をおこなう」と公言し、集団的自衛権行使に踏み込むと言っているのに、憲法問題が争点にならなかったのが残念です。得票は伸びませんでしたが、改憲国民投票に向けて種は蒔いたかな?という感じです。「憲法九条」というタガをはずさせないために頑張りましょう。ご支援に感謝します。
(栗原君子)
<>2007/08/30 273<>273.jpg<>【8月号】選挙戦をふり返って 栗原君子<>選挙戦をふり返って

今参院選は与党の「年金問題」「政治とカネ」「閣僚の失言」などが民主党を有利にしました。私たちが自民党の悪政批判をすればするほど、民主党は票の積み重ねをしました。『9条ネット』の敗因は私たちの力量不足です。「戦争より平和」「戦争よりくらし」と憲法9条の平和主義に25条の生存権を絡めて訴えましたが及びませんでした。『9条ネット』は政見放送と選挙公報以外はマスコミからも消されてしまいました。東京の事務所には「政見放送が良かった」とか、広報を見て「自分の考えと同じ人たちがいてよかった」「応援します」など激励の対応で4本の電話が鳴りっぱなしであったと聞きます。「盛り上がってきたと思っていたら選挙戦は終わった」などと言っていました。小選挙区制の下では有権者に多様な選択を許さず、基本政策は変らない保守Aか保守Bかを無理やり選択させるものだと思います。有権者のなかには「戦争なんか起こらない」「憲法は難しい」という意識があるのでしょうか。先の国会で改憲手続法が通り、自民党の参院選マニフェストでは憲法改正(悪)が一番に約束され、安倍首相も「自分の内閣で憲法改正をおこなう」と公言し、集団的自衛権行使に踏み込むと言っているのに、憲法問題が争点にならなかったのが残念です。得票は伸びませんでしたが、改憲国民投票に向けて種は蒔いたかな?という感じです。「憲法九条」というタガをはずさせないために頑張りましょう。ご支援に感謝します。
(栗原君子)
<>2007/08/30 272<>0<>【8月号】第21回 参議院選挙<>第21回 参議院選挙
 暑い中県内各地で、9条ネットに結集し今参院選を全力で闘った党員・党友・支援者の皆さんに、心からお礼を申し上げます。
投開票日の29日夜、厳しい表情の安倍首相、これと対照的に笑みを浮かべる民主党幹部。「政権選択、2大政党制」を煽るメディアの報道の中、与党(自民・公明)への批判票は民主党に流れ、民主党の一人勝ちという結果になりました。新社会党もその一員として闘った「9条ネット」にとっては、まことに厳しい結果でした。比例代表得票数273.755票(団体票176.668票、個人票97.087票)、得票率0.46%で、3年前の得票数377.014、得票率0.69%にも及びませんでした。
 候補者の栗原委員長は、比例区のため広島県内には、公示日の12日、13日、そして最終日の28日の3日間だけで、あとの14日間はまさに東奔西走、全国を駆け巡りました。広島県内では公示前に続き、各地域のみなさんの手によって、14日〜27日の2週間、「栗原カー」の街宣車が県内各地を走り、県民に9条ネット・栗原君子への支援を訴えました。街頭でマイクで訴えていたら、知らない人がよってきて、「9条は絶対に守らんといけん!頑張れ!」と励まされもしました。中国ブロックの他4県では、9条ネットの街宣車が4日間づつ各県内を走り、8条ネット・栗原君子をアピールしました。
 公示前の栗原ビラに続き、公示後の4万枚の法定ビラの配布、個人ビラへの証紙貼りなど、それぞれ全力で取り組みました。
 しかし、主要な支援組織との関係がこれまでの国政選挙とは異なり、人員・資金面で非常に苦労がありました。また、残念ながら、議席の獲得に遠く及ばなかったのは事実であり、今参院選をしっかりと総括し、次のたたかいに備えなければなりません。各区戦対には、6項目を中心に選挙の総括をお願いしていますので、それぞれ忌憚のない意見を聞かせて下さい。

第21会参議院選挙「9条ネット」得票結果

比例代表
9条ネット 得票総数273.755
得票率 0.46%

得票内訳
      政党名(9条ネット)176.668
個人名       97.087

個人名の得票内訳
      栗原きみ子    17.884
天木直人     29.158
ZAKI 19.665
      藤田 恵     10.134
      石川一郎     8.276
      小山広明     3.783
      鈴田渉      3.367
成島忠夫     2.981
      小松猛      1.835


<>2007/08/30 271<>0<>【8月号】 翼<>翼
 人をみれば「暑いですね」と、あいさつをする毎日である。残暑が長引くそうだから、今後も元気をだしてこの時期を乗り切りたい。また7月や8月上旬に台風がやってきた今年は、これからまだまだ台風の上陸が予想される。地球温暖化の影響で、台風の勢力が強くなると聞く。被害のないことを祈る。
 さて、暑い中で行われた第21回参議院選挙が終わった。候補者はもちろん、各地で全力で闘ってくださった党員・党友・支援者のみなさんに、心よりお礼を申し上げる。
 ご承知のように結果は、新社会党もその一員として闘った「9条ネット」にとって、まことに厳しいものであった。「2大政党制」を煽るメディアの報道の中、政治と金、年金、政治家の失言(本音)など自民党への批判票が、民主党に流れ、民主党の一人勝ちとなった。
 それにしても、メディアの報道の仕方には心から怒りを覚える。政党要件のある7党については報道するが、9条ネットなど他の確認団体については、全く報道しない。「これでいいのか?」と、テレビにむかって文句を言っていたのは私だけではないと思う。
 しかし、議席に遠く届かなかったのは事実であり、しっかりと今選挙を総括し、次の闘いに備えよう。

<>2007/08/30 270<>0<>【8月号】研修生・技能実習生制度を打ち砕こう<>研修生・技能実習生制度を打ち砕こう
 スクラムユニオン・ひろしま
       委員長 土屋信三

 研修生・実習生制度は、現代の奴隷制度である。この間、中国からの研修生・実習生からの命がけといってもいい訴えをうけての実感である。最低賃金で法定労働時間を働かされ、年間に2日しか休日がなく、月に100時間から多いときには200時間を超える残業が強制されている。
 本来は残業が禁止されているはずの研修生時代から、このやり方が行われ、彼女たちが日本に滞在して労働する3年間、ずっと続くのである。年に2日しかない休日以外は働きづめで、労基法をまるで無視した低賃金でこき使う、このような研修・実習生制度をなんと呼べばいいのか。現代の奴隷制度という以外に何があるというのか。
 研修生・実習生制度の建前がどんなに立派なものであっても、このような制度はもはや打ち壊して、終わりにするべき時である。まずもって、彼女たちが人間として、労働者として当然にも扱われるべき待遇で働けるようにならなければならない。今後日本で労働人口が急速に減少する中にあって、外国人労働者をいかにして労働市場に導入すべきか。戦略的、大局的な検討を進め、研修生・実習生制度に替わる新たな制度を構築していかねばならない。
<>2007/08/30 269<>0<>【8月号】時言 「選挙にならなかった私たちの選挙」<>「選挙にならなかった私たちの選挙」
 小田実さんがなくなった。笑顔が浮かんで来る。本当に惜しい。殺される側で訴える絶対平和主義等、教えられたことを羅針盤にして進む決意である。病の床から「戦争への道はありふれた日常の中で進行した。ヒトラーも『国民と国家の困窮を救う』ためとして改憲はせず、ワイマール憲法を一時棚上げにし再軍備、それでも防衛用に限ってと宣伝し突き進んだ。結果は周知の事態への突進・・・」。ファシズムは笑顔でやって来ると警鐘を鳴らし続けられた。心より御冥福を祈りたい▽改憲をマニフェストの第一項に掲げ、「手続法」の強行、さらに三年後には改憲は次の目論見となけば今次当選の参院議員がその任期中に改憲の是非を判断する。この時に逢って護憲勢力が「9条ネット」を結集し改憲阻止を闘うのは必定である▽選挙は年金・格差・政治と金等に終始し、私たちの「選挙にならなかった」▽安倍政権の大敗を「民意が読めなかった」からとしているが、小泉・安倍政権は官邸主導と称して、民意に左右されない独裁を強行して来たのである。郵政選挙の刺客で沸いたことに典型するように民意は自らの政策貫徹のために利用されてきた▽この「新自由主義という差別」・「小選挙区という荒廃」の中、主権を信託された議員の責務を無視し、自らの価値観やイデオロギーを国民に押しつける独裁が進行している▽この意識操作と人心荒廃の中、「選挙にならなかった私たちの選挙」を早急に総括しなくてはならない。
(安保英賢)<>2007/08/30 268<>0<>【8月号】社会主義の歩みと将来への展望38<>第38回 社会大衆党の結成と大政翼賛会への    合流
 先述したように、日本における戦前の無産政党(「無産政党」という用語は、共産党を除く社会主義政党全体の呼称として一般に使われた)は、結成当初から政府・官憲の厳しい監視と激しい弾圧のもと、離合集散や党派間闘争に明け暮れ、社会の変革はおろか国政に影響を及ぼすだけの力量を培うことさえできなかった。それどころか、日本帝国主義の中国侵略がエスカレートするに伴い、無産政党は、やがて軍部や革新官僚(安倍晋三の祖父・岸信介はその代表者のひとり。「革新」とは、当時世界大恐慌の埒外にあって5ヵ年計画を強力に推進していたソ連を参考に国家主義的統制経済を目指したところから来る)に迎合する姿勢を強めていった。
 1931年には労働農民党、全国大衆党と社会民衆党の一部が合同して全国労農大衆党が結党され、さらに翌32年には全国労農大衆党と社会民衆党が合同して社会大衆党が結成された。これによって無産政党の統一が実現し、委員長には安部磯雄(1865-1949)、書記長には麻生久(1891-1941)が就任した。
 しかし麻生はじめ党幹部の中には、資本主義を変革する主体として、労働者と青年将校の結合に期待するものも多く、党の姿勢はますます国家社会主義的方向に傾いていった。
廬溝橋事件を契機に日中戦争が本格化した1937年の総選挙で、社会大衆党は37議席を獲得するが、これによって自信を深めた党指導部は、むしろ一層軍部への接近を強めた。社会大衆党は、日本軍の中国侵略を積極的に支持し、文部省編纂の『国体の本義』に沿って綱領を改定し、挙国一致体制への参画を公然と表明するに至った。同党は、近衛首相が1938年、帝国議会に提出した国家総動員法案に積極的に賛成したが、同法は、政府に広範な委任立法権を付与して議会の機能を無力化し、政党の比重を全体として著しく低下させる内容の法律であった。
 さらに第2次近衛内閣は、かねてから計画されていたファッショ的新体制運動を本格化させ、1940年10月には一国一党を目指す大政翼賛会を結成した。社会大衆党は、すでにこれに先立つて解党していたが、続いて他党もそれぞれ解党してこれに合流し、ここに明治時代以来の日本政党史の幕は一旦閉じられたのであった。
<>2007/08/30 267<>0<>【8月号】がんばってます105<>がんばってます
府中市議会議員
小森龍太郎
 ゴミ有料化に対する市民の反対の声を受け、再考のため実施時期を当面延長するよう心有る議員数人で、条例一部改正の発議を提案しました。議員提案の発議であるから本会議の議題に追加するため議会運営委員会(議運)に諮りました。しかし、議運(委員長=市長与党の議員)はこれを取り上げず、議題(日程)に追加させないという他に例を見ないような態度をとりました。
 ならばと、本会議で直接提案をすれば、市長与党(平成クラブと公明党)が、この提案を議題とすることに反対をし、議論さえもさせないという暴挙に出てきたのです。
 有料化導入にあたっては、十二対十一(無記名投票だったので、表面上は誰が賛成したかは言えない)の僅差であり、引き続き反対する市民の声は多いので、再考を求め時間をかけて議論をすべきと考えましたが、与党は、この議論をすることさえ、しようとしないのです。いかに、市長の言いなりになっているとはいえ、反対する市民がこれだけ多くいるにもかかわらず、その議論さえ拒むというのでは、民主主義も何もあったものではありません。
 しかし、これで事実上、ゴミ有料化に賛成の議員は誰か、市民の前ではっきりしました。再考に反対するということは、ゴミ有料化は、そのままでいいということになるからです。
 また、引き続きゴミ有料化の矛盾を訴え続けなければならないという決意を強くしました。
<>2007/08/30 266<>266.jpg<>【8月号】ねずみ男旅日記(5)<>ねずみ男旅日記(5)
広島市以西を終了したので、6月15日原爆ドーム前より東に向かって歩きはじめた。この日は呉市の由木栄司さんの空手道場で交流会を催していただいた。
 平和や日中友好のことが話題となつた。由木さんは日中友好の活動を続けておられ、今は日本軍による重慶大爆撃の被害者の訴訟の支援もされている。
 確かに日本は被爆国であるが、原爆だから悪いというだけでなく、無差別爆撃も悪い。ピカソはドイツ軍による無差別爆撃をゲル二カという作品に表現した。それと同じころ日本軍はもっと執ように中国の重慶市に対して無差別爆撃を繰り返していた。無差別爆撃を拡大した日本の責任は大きい。
 さて由木さんとは、85年の中国青年友好の船の広島市での歓迎会で私が青年団関係の代表として挨拶させていただいたことで知り合った。その時私は「私は戦後生まれだが、先の加害責任は引き継ぐ」と述べた。楽しく交流しながら、そんな記憶もよみがえってきた。
憲法9条の戦争放棄は先の大戦の日本による被害者への贖罪でもある。
 そうだ。この旅を始めていなかったら、嘘つきになるところだったんだ。

<>2007/08/30 265<>0<>【7月号】今こそ「9条ネット」栗原選挙に結集を!<>今こそ「9条ネット」栗原選挙に結集を!
新社会党広島県本部
副委員長 三木郁子
 強行採決に明け暮れる国会は、会期の延長まで自公の賛成多数でごり押ししてしまいました。
 何でも数にまかせての強行ラッシュに「最高の決議機関」の名は地に落ち、小泉・安倍政権とエスカレートする一方です。国民投票法、教育関連3法、イラク復興支援特措法と国民にとって危険な法案成立のめじろ押しです。
 それに加えて国会延長してでもと公務員法改正法案を何としても通過させようと躍起になっています。また参院選では、噴出した国民の年金問題やコムスン問題などへの関心の高さに、憲法論議をさけて生活問題重視にシフトしようともしており、与党マニュフェストの重点政策は、年金社会保障としているようです。
 安倍首相が自分の任期中に憲法改正をとはばからず言ってのけている今回の参院選は、まさに改憲阻止の闘争です。「憲法9条を守る」この一点に結集し「9条ネット」で何としても国政における栗原委員長の議席奪還を図らねばなりません。
 暑い暑い時期の選挙ですが、法定ハガキ、告示前までのビラ配布と一つ一つこなしていきましょう。
 子どもや孫たちのためにも、この闘いに無関心であったりあきらめたりしないで、今こそ「9条ネット」栗原君子選挙に総結集をしましょう。

<>2007/07/12 264<>264.jpg<>【7月号】いよいよ本番です!<>いよいよ本番です!
    9条ネット 立候補予定者 栗原君子
1年前から「改憲阻止」のオルガナイザーとしてがむしゃらに走り続けてきました。最終地点の参院選に突入です。
 中には『9条ネット』そのものがどのような政治確認団体であるのか知らない人もありますが、除々に盛りあがつてきました。
 街頭演説中に、地元の仲間さえ知らない人がカンパを下さったことも何度かありました。
 6月25日から27日は北海道に入り、札幌、帯広、釧路を街宣車で回りました。札幌市内では何ヵ所もの街頭演説や道庁出勤者への訴えに、チラシ配りの仲間から「今までにない程受け取りがよかった」と言われました。寸暇を惜しんで連日の街宣行動や挨拶回り、集会を懸命にこなしています。丈夫な体に生んでくれた親に感謝しながら、体力勝負の日々です。
 個々面接ひとつとっても仲間の皆さんが平素から地をはうような地域活動をしているからこそ、見ず知らずの私が玄関先に伺っても親切な対応で迎えてもらえたのだと思います。
 宣伝部のデザインや録画撮りのアシストも『9条ネット』に期待する専門家がボランティアで手伝ってくれています。
 参議院の全国比例代表選挙戦は、あまりに拡大過ぎて雲をつかむような感じです。それでも訪問した先々で激励されると、ここにも応援者があってよかったことを実感しています。全国の仲間に心配かけて申し訳なく思いながらも、私としてはやるだけやって後は皆さんに判断をおまかせするしかありません。
わが夫いわく、「何と大勢の人を巻き込んで迷惑をかけることよのー」。
私いわく「子どもや孫たちから『何であの時戦争を止められんかったん?と言われないために、今頑張っとかんといけんのよ」と言い返しの日々です。


<>2007/07/12 263<>263.jpg<>【7月号】9条ネットひろしまの西部地域決起集会<>9条ネットひろしまの西部地域決起集会が、6月23日夕、広島市東区民文化センターで開かれ、約50名が参加した。
 三線の演奏でオープニン。共同代表の北西允さんが、「新社会党こそ最も憲法に忠実な党だ」「栗原さんを再度国政に送り込もう」と挨拶した。安保選対委員長が情勢報告立ち、何としても議席の奪還に向けて必勝を期していく、とその取り組みを提起した。
 栗原君子さんが立候補の決意を表明。小泉・安倍と続く「改革路線」のもたらしたものは、アメリカの手先となって戦争のできる国に変え、金持ち優遇の格差社会であることを説明し、その先に9条改悪が目指されており何としてもこれを阻止しなければならない。八割の世論が9条改悪に反対と出ているが、その票を社民・共産だけでは獲得できない。9条ネットが埋もれた票を掘り起こすことができる。私も最後の挑戦として全力で闘う、と力強く締めくくった。
 室本けい子さんが手作りの看板で今日の政界構造を喝破し、自公・民主の黒山と社共の小山に挟まれながらも、9条ネット・新社会党を支える国民世論のマグマがフツフツとたぎっていることを分かりやすく示した。前回立候補され惜敗した岡本三夫さんの連れ合いさんと娘さんが、激励に参加された。
 郵政の谷本さんの音頭でガンバロウ!コールを三唱、最後に石原選対事務局長さんから、「賛同の金、推薦の葉書、町中にポスターを」と簡潔明瞭な呼びかけがされた。
<>2007/07/12 262<>262.jpg<>【7月号】「9条ネット・ひろしま」東部地区決起集会<>6.30 「9条ネット・ひろしま」東部地区決起集会
6月30日(土)尾道市内会場において、18時より見だしの集会が開催されました。
 東部地区から約150名が参加しての集会となりました。開会前から会場には、視覚障害の安藤さんの生演奏が流れており、柔らかい雰囲気につつまれての開会となり、村上美鈴さんの司会により進められました。
 まず決起集会実行委員会を代表して原田健さんの熱のこもつた挨拶に続き、「9条ネット」事務局の石原顕さんの情勢報告とお願いがあり、共同代表の一人でもあります小森龍邦さんより「今回の参院選を闘う意義むと題しての話しと続きました。
 各地区からの応援メッセージは、三原の池田さんからは、「本当の意味でのしなやかさとしたたかさをもつて日常の活動をがんばろう!」。またピース!おのみちおんなたちの会の熊谷さんは、「決して初めから無理だと決めつけないで、あきらめないで今回の栗原さんの選挙を共にがんばろう!」と。福山の林さんからは、「憲法9条があったからこそ60年間他国の人を傷つけ殺すこともなかったし、自国の人も殺されることはなかった。子や孫たちの未来がそうあるように、今回の栗原選挙をがんばりたい。」と力強くよせられました。
 予定候補者の栗原君子さんの決意表明。激励の花束贈呈と安藤さんの「トルコ行進曲」の演奏をバックに団結がんばろうコールと盛り上がりの内に東部地区決起集会を閉じることができました。
<>2007/07/12 261<>0<>【7月号】翼<>翼
 暑い夏を迎えた。健康には十分留意しながら、元気にこの暑さをのりきっていきたい。
 西銀、私の家の投書箱に入っていた住民の声を紹介する。「年金問題に関する報道が毎日のようにされているが、見たり読んだりするたびに嫌になる。少ない収入の中から、何十年も真面目に払い続けた年金が、こんなにも杜撰に扱われていたのかと思うと、腹の底から怒りをおぼえる。また、6月に入って届いた住民税の通知書をみて驚いた。昨年に比べ約3倍の額になっている。少ない年金だやっと生活をしているのに、どこを削って税金を払えというのか。政治とは誰のために行われているのか。福祉を削り、憲法9条を変えて戦争のできる国にするような政治を、絶対に許してはならない」と言うものだ。
 このように考える市民は、私たちの周りにまだまだ多くいるはずた。公示前までには、賛同人の拡大、栗原リーフ・9条ネット政策ビラの配布、法定ハガキの記入など、勝利をめざして全力でやのきろう。今回の参院選、9条ネットには10人の立候補予定者がいるが、真の候補者は『9条』なのだから・・・・。
<>2007/07/12 260<>0<>7月号】社会主義の歩みと将来への展望第37回<>社会主義の歩みと将来への展望
第37回 コミンテルンと異なる毛沢東の抗日戦略
広島大学名誉教授  北西 允

 1936年末の西安事件を契機に、翌37年9月には、国民党総統の蒋介石と西安入りした共産党代表の周恩来(1898-1976)の間でようやく「抗日民族統一戦線」の結合が合意された。それまで蒋は、日本軍の侵攻に消極的には抵抗しつつも、国内の敵・共産党軍の党伐に重点を置いてきた(先安内後攘外)。しかし第2次国共合作の成立によって国共間の10年に及ぶ内戦は収束に向かい、同年9月に北方の共産党軍(紅軍)は国民革命軍第八路軍(八路軍)と改称して蒋の統率下に入り、10月には南方でも各地で活動していた紅軍遊撃隊を結集して国民革命軍新編第四軍(新四軍)が編成された。こうして抗日統一戦線は、名実ともに一応の完成を見た。
 時あたかも日本軍は、1937年7月の廬溝橋事件を口実に、「満州事変」の場合と同様、軍が独断専行し政府がそれを追認するという形で中国に対する全面侵略に乗り出していた。日本軍は華北では天津・北京を占領する一方、8月には上海でも新たな戦端を開き、12月には首都・北京を攻略するに至った。この時、日本軍は30万人以上とも言われるおびただしい数の中国人を虐殺し、世界中から激しい非難を浴びたことは周知である(南京虐殺事件)。
 この間、1万5千キロに及ぶ長征途上の遵義会議(1935年)で、毛沢東は、都市プロレタリアの蜂起に固執するコミンテルン派に対して農民に依拠する長期革命路線を力説し、党内の指導権をほぼ手中に収めた。その後、毛は根拠地・延安にあって抗日戦を指導する傍ら、『矛盾論』『実践論』(1937)を発表して自らの革命路線を定式化した。
 しかし、共産党内には抗日戦を巡ってなお意見の対立が残っていた。コミンテルン中国代表部の王明らは、英・米・ソなどの国際的支援を期待して、蒋介石統一指導下の国民党軍による短期決戦を唱えたのに対し、蒋に信を置かなかった毛沢東らの中国共産党幹部は、国民党軍は抗日戦の主体にはなり得ないとして、コミンテルンの方針に反し、八路軍、新四軍を主力とする時久的遊撃戦論(毛『抗日遊撃戦争の戦略問題』1939年)を主張した。
 蒋は日本軍の南京攻略に先立ち武漢、さらには重慶へ首都を移転した。一方、日本軍は南京攻略の翌年10月には武漢三鎮、広州を占領する一方、重慶に対する国際法違反の無差別爆撃を強行し続けた(38年−43年)。だが日本軍は点と線を確保したに過ぎず、戦線は膠着状態に陥り、コミンテルンの短期決戦論は現実によって破綻を証明されたのである。

<>2007/07/12 259<>0<>【7月号】時言<>時言
「投票日を前にして、見定めておきたきこと」
 冷戦解体とその後のグローバル化の中、超過利潤を安定的に確保するため資本側は、戦後のケインズ主義を放棄し、新自由主義と称して市場万能・競争激化・優勝劣敗・自己責任等々の収奪強化に狂奔している▽走狗たる小泉・安倍政権は、例えばイラク派兵に見る通り大多数の国民の願いを無視して、資本の意図を自らの意志とし、官邸主導の名の下資本に隷属し続けている。さらに今、小泉的専横を強さと錯覚させられた国民の閉塞・阻害感を安倍政権は、最大限に利用しようとの奸策にある▽前記の収奪具体策である小泉構造改革で、労働法制改悪(例えばそれまで原則禁止であった労働者の派遣を原則自由とした等により、今や非正社員は3人に1人になり、年収200万以下の労働者の割合は05年21.8%にまで急増。就中、25才−34才までの年長フリーター等にみる、安定した職も賃金も得られない若者の閉塞・疎外感は、「痛苦の平等化」のためには「戦争も辞さない」と明言するまでに至っている。その絶望・悲哀を外に向けるために北朝鮮や中国等への敵対的政策、拝外主義▽食えなければ(高給待遇の)兵隊になれ。さらにテポドン等の外の恐怖が煽られれば「お願いだから改憲して軍事力を強化してくれ」との国民の要望の中、改憲は実現する▽「国民のため」との嘘を見抜こう。奸策にだまされまい。9条熱とに結集する一人ひとりの力で栗原君子を国会に送り、9条を守ろう!あなたの一票で安倍政権に終止符を。
(安保英賢)<>2007/07/12 258<>0<>【7月号】参院選・9条ネット−栗原選挙の闘い−<>参院選・9条ネット−栗原選挙の闘い−
 年金問題が浮上して以来、参院選の争点は年金問題に絞られてきた感があります。しかし、今参院選の最も大きな争点は、憲法9滋養の改悪を許すかどうかです。9条ネット・栗原きみ子は、「変えるな9条!戦争より平和、戦争よりくらし」をキャッチフレーズに、全力で闘っています。
比例区の選挙ですので、栗原きみ子は公示後広島県内には、12.13.28の3日間しかおれません。広島県を中心とする中国ブロック、関西ブロック、関東ブロック、北海道、新潟県と全国各地を駆け回っています。街頭や個人演説会などで、変えるな9条!を精力的に訴え、着実にその反響が大きくなっています。本当に暑い時期ですが、候補者は元気に頑張っています。
 しかし、9条ネットは資金と知名度がまだまだ不足しています。選挙期間中ですので、私たちに出きることはかなり限られてきますが、

◎一人でも多くの賛同人(1口:1000円)をあ つめて下さい。
◎場所を確保して「栗原きみ子」のポスターを
 一枚でも多く貼って下さい。
◎9条ネットの法定ビラを配りきって下さい。
◎友人・知人に呼びかけてください。

 候補者本人がいつも言っています。

「私が立候補しているが、真の候補は憲法9条です」と。
<>2007/07/12 257<>257.jpg<>【7月号】ねずみ男旅日記(4)<>ねずみ男旅日記(4)
 6月前半は佐多岬から熊本までの間を歩いた。よく知られた岬だから食堂はあると思っていたが、あったのは風の吹き込む食堂の跡。
バスも不便で大隅半島の現状が身にしみる。
 新聞掲載のおかげで、大きく手をふってくれる人、車を停めてカンパしてくれる人などあった。串木野市では出会った人に泊めていただいた。感謝。
 私は理学部に進み、「数式」や「物質」で構成された世界に住もうとしていた。ところが、この無計画な旅では「ご縁」や「お導き」の世界を歩いていることに気づく。一人旅にこだわりはなかった。だが、こんな旅に道づれはいないだろうと一人始めた。無計画だからこそ「泊まれ」と誘われ、「ありがとう」と泊めていただけるのである。そして今歩いているこの地において、受容し受容されていると感じること。これがあって無計画な旅が可能となる。
 「憲法9条を忘れているぞ」と言われそうである。でも平和のためには個人相手でも、国家が相手でも、意見の違いを受容し受容されることが必要なのだと思う。そこに対話が生まれる。憲法前文や9条の精神とつながっているように思う。

<>2007/07/12 256<>0<>【7月号】「がんばってます」104<>「がんばってます」       
 大崎上島町議会議員
               中村 修司
 人権は非常に重要な問題との返答はあるものの、全く進まないどころかほとんど無くなってしまいそうな、住民啓発や人権擁護の取り組み。
 何度も繰り返し、議会での質問や要望を繰り返す中、ようやく昨年から「人権対策協議会」がスタートし、今年度の住民意識調査へと取り組みが始まろうとしています。調査の過程において浮かび上がってくると思われるさまざまな問題点を、行政課題へとつなげながら、部落差別実態調査に発展させ、今一度、人権を町政の柱とさせなくてはなりません。
 教育の現場では、全国学力テストが復活されるなど、ますます差別選別教育が鮮明となり、小中学校、給食センターの統合なども進みつつあります。
 文部科学省や県教委の推進する方策を全て「是」として取組むことが、過疎地の教育をいかに追い詰めているかを、町教委に迫りながら、人権平和教育などの実施も含め再考を求めていますが、現状は悪化しています。
 ならば地域の取り組みとして教育・福祉・人権などにおける現状を広く共有し、住民要望を高めようと「人権確立のための連絡会議」を発足させ、昨年から活動を始めています。
 今年から、町内最大の職場となっている福祉法人も構成団体に加わり、大きな広がりとなっています。
 島であり過疎地であることから、国の政策への地域的な疑問も大きくなっており、広く着実な取り組みを展開しながら、地域の声を高めたいものです。<>2007/07/12 255<>0<>【6月号】「9条ネット」で参院選に勝利しよう <>「9条ネット」で参院選に勝利しよう
新社会党広島県本部
副委員長 高橋晋作
 安倍政権は憲法9条の明文改憲を政権の課題と明言して憲法改悪のための国民投票法案を多数にまかせて衆議院で強行採決し、5月14日参議院でも可決、成立しました。
 PKO法に端を発して自衛隊の海外派遣を積み重ね、ついに米軍等によるイラク侵略への加担では、武装した自衛隊が派兵される状況にまでなってしまいました。
 私たちは憲法9条を死に追い込む狙いに抗
したたたかいを今までも展開してきました。
しかし、もうこれ以上の後退は許されません。
 平和は福祉やくらし、そして民主主義の大前提です。その平和が脅かされようとしている今日、憲法9条を守ろうとする勢力は大同団結してこの事態をのり越えなければなりません。
 憲法9条を変えてはならないとする国民の期待に応えるために全国規模での結集体である「9条ネット」です。この運動を広島県内でも展開するために「9条ネットひろしま」が5月19日に結成されました。私たちは当面する参議院選挙において9条を守る共同候補、とりわけ栗原君子予定候補の勝利に向けて、
戦争より平和
戦争よりくらし
変えるな9条
を訴え、県内に一人でも多くの賛同者を募る取り組み、さらにこの輪を広げる取り組み県内各地でやりきりましょう。

<>2007/06/11 254<>254.jpg<>【6月号】参議院選挙も一ヶ月後になりました<>参議院選挙も一ヶ月後になりました。

昨年3月の中央本部大会において、護憲の確認団体ができるなら新社会党の代表選手として闘うことが決まり、点々であったかもしれませんが、護憲のオルガナイザーとして各地を回らせていただきました。『9条ネット』が立ち上がり、10名の候補者が揃い前進のみでエンジンがかかってきました。党の活動家の中には「党名で選挙できないのが残念」などと思う人があるかもしれません。『9条ネット』の呼びかけ人の皆さんは「党籍はそのままで良い。参議院選挙が終われば、また党活動に戻ればよい」「選挙は確認団体でやりましょう」と言われて共産、社民に何度も出向きながら候補者探しに東奔西走してくださいました。今や党利党略は置いて「憲法9条を変えさせない」の一点で大きく結集すべきとの判断は間違っていなかったと思います。私自身、予定候補者のなかで今まで全く知らなかった方もあります。始めてお会いした方なのにずっと以前から顔なじみであったような感じでした。この方たちと『9条ネット』で目的をひとつにして一緒に闘うのも何かのご縁であって、楽しみでもあります。この間、参議院の比例区選挙はマスコミで名前が知られている人たちが出て浮動票をさらっていました。それでも一人ひとりに声をかけて票固めをしたところが勝利しています。暑い最中の選挙戦、あきらめないで最後まで共に頑張りましょう。(栗原君子)

<>2007/06/11 253<>253.jpg<>【6月号】『9条ネット・ひろしま』結成総会<>『9条ネット・ひろしま』結成総会
 5月19日広島県尾道市において、約50人の市民、党員などが参加して、「9条ネット・ひろしま」の結成総会が行われた。
 三木郁子さん(尾道市議)の司会で、まず呼びかけ人を代表して北西允さん(広島大学名誉教授)が、「憲法9条の改悪を阻止するためには、より広範な市民に呼びかけながら、議席獲得のため全力を尽くしていこう」とあいさつ。来賓挨拶で横堀中央本部書記長が、この参院選の意義、広島への期待をわかりやすく訴えた。そして栗原君子予定候補者が、「9条改悪が具体的な動きになってきた今、平和とくらしを守るため、9条ネットに結集するみなさんとともに全力で闘い抜く」と力強く決意表明を行い、参加者から大きな拍手を受けた。
 続いて呼びかけ人の安保英賢さんより、これまでの経過報告、今後の活動方針、役員(共同代表、事務局)の提案が行われ了承された。最後に、呼びかけ人の室本けい子さんが結成アピールを読み上げ、結成総会を終えた。7月22日の投票日まで2ヶ月しかないが、賛同人の拡大、栗原リーフの配布、ポスターの貼付、街宣車を使っての街頭行動など、勝利にむけてこの限られた期間を全力で取り組むことが確認された。
 総会終了後、JR尾道駅に移動し、街宣車を使って「9条ネット・ひろしま」としての街頭行動を行い、道行く市民に支持を訴えた。


<>2007/06/11 252<>0<>【6月号】翼<>翼
 暑い夏の到来を予感させる。5月の末には、大分・宮崎県では早くも「猛暑日」(気象庁が新設した、最高気温が35度以上の日)を記録した。これからの蒸し暑い梅雨の時季、お互い元気に乗り切りたいものである。
 5月23日参議院本会議で、自民・公明の与党は野党の強い反対にも関わらず、「在日米軍再編特別措置法(在日米軍再編推進法)」の採決を強行し成立させた。この法律は、再編に関係する自治体が再編計画を受け入れた場合、その進捗状況に応じて交付金を交付しようというもの。自治体の同意を金で買うという極めて露骨な行為であり、「アメとムチ」
で計画をごり押しする全く許せないものである。岩国市にたいしては、新庁舎の補助金について、米空母艦載機移転反対を理由として、2007年度分35億円をすでに凍結している。
 それにしても気になるのが、メディアの報道姿勢だ。5月24日の各新聞社の社説の見出し。地元紙は「出来高払い受け入れられぬ」とはっきり反対を言い切っている。一方全国紙の2紙は、「説明不足の見切り発車だ」「まだ国民の理解が不十分だ」とかなりトーンが落ちる。
 各メディアには、反対なら反対と、もっと明快に言い切って欲しいものである。

<>2007/06/11 251<>0<>【6月号】小さいが確かな反撃の一歩<>小さいが確かな反撃の一歩

 技術ビザで来日しながら、単純労働につけさせられていた中国人労働者5名の権利をめぐっての闘争に決着がついた。株式会社セレクトは、解決金として各自45万円の現金を支払い、家賃等の控除は行わないこと、中国に帰国する航空チケットを用意することで基本的な合意にいたり、6月6日には無事、中国に帰国できる運びとなった。
 もともと、彼らが日本語をあまりできないことを知っていながら、日本に連れてきたのは、単純労働につけさせて利益を得ようとしていたからに他ならない。今回は、資格外労働をしていたことを入管が知って、調査に入ったために問題が明るみに出たが、セレクトは同様のことを繰り返していた可能性が高い。
 研修生や実習生の問題は比較的知られてきたが、今回のように技術ビザで入国し、劣悪な労働条件の下で搾取されている多くの外国人労働者がいることが明らかとなった。日本の労働者がこのような実態を知り、彼らに手をさしのべ、連帯して闘わなければ、「次は我が身」となることは明らかである。新グローバリズムの中で、資本は世界の低賃金労働者の存在を認識した。そして、その最低水準に日本の労働者を持って行こうとしているのである。
 今度の闘いが、新グローバリズムに対する小さいが確かな反撃の一歩となれば幸いである。         (土屋信三)<>2007/06/11 250<>250.jpg<>【6月号】ねずみ男旅日記(3)<>ねずみ男旅日記(3)
 広島・阿蘇平和巡礼に参加した。参加者は日本山妙法寺・日蓮宗・天台宗などの宗教者やアメリカ先住民・ベトナム復員兵など約40人。宿泊所も臨済宗や天台宗などのお寺やキリスト教会や民家など様々。自分で宿の確保をしなくてもいいので楽をさせていただいた。
 ただ一人思い立って9条の旗をもって旅をすることにしたのだが、一人旅にこだわつているわけではない。平和への祈りを共にして歩く活動があるのなら合流すればいいと思い参加した。
 朝は4時半から5時起き。それから朝のお勤めとそれに続く各宗派の祈りの時間。般若心経やキリスト教の祈りなど様々な祈りが行われる。この祈りの時間に3回ほど憲法前文・9条を暗唱させていただいた。
 そこで祈りについて考える。祈りは神頼みだ、祈る暇があるなら活動した方がいい、そう思っていた。目標に向けた活動は必要である。私は歩く。だが、世界平和という理想は遙か彼方。それをつなぐのが祈りではないか?。祈りは共感を呼ぶ。祈りは自己を超える。そう思う時、憲法前文・9条は祈りのように思えてくる。祈りの時間に暗唱する時、違和感がない。一度音読してみてもらいたい。<>2007/06/11 249<>0<>【6月号】第36回 抗日統一戦線・第二次国共合作へ<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と死せ立的連帯を求めて
広島大学名誉教授 北西 允

第36回 抗日統一戦線・第二次国共合作へ

 第一次国共合作は、蒋介石(1887〜1975)の反共「上海クーデター」(1927 )によって崩壊した。クーデター後、蒋介石は、武漢からさらに「北伐」を進めながら各地で共産党を攻撃し続けた。共産党は南○蜂起、各地でのソビエト政権樹立、「広東コミューン」など一連の企てに失敗し、この間リーダーも陳独秀から翟秋白(1899〜1935 )、さらに李立三(1899〜1967)へ交替した。
 李立三は、中国を大恐慌下における世界資本主義体制の矛盾の焦点とみなし、中国こそ世界革命の起爆庫だとの観点から、都市蜂起を通じてソビエト政権を樹立する方針をとった。だが、李立三が指導する諸都市の蜂起はことごとく失敗に終わり、共産党は多数の犠牲者を出すとともに、根拠地喪失の危機にもさらされた。李立三はコミンテルンに召還され、替わって共産党指導部を襲ったのは、モスクワから送り込まれた王明(1904〜1974)らの留学生グループであった。彼らは、李立三一派をトロツキーストとして粛清したため、党内は一時大混乱に陥ったが、その中からやがで毛沢東が頭角を現してくる。
 一方蒋介石は、自己の支配下に国の統一をはかるべく「北伐」を続け、1928年には遂に北京を手中に収めた。ところが東北地方(満州)南半分に権益を持つ日本(関東軍)が、張作霖爆殺事件、柳条湖事件を仕組んで東北地方全土を制圧し、さらに華北を窺う姿勢をみせた。日本は、1932年、華中でも「上海事変」を引き起こして新たな中国侵略に乗り出してきた。列強の注目がこの事件に注がれている間に、日本は同年、傀儡国(満州国)を東北地方に誕生させた。
 蒋介石は日本軍の侵略に直面して、共産党討伐の勢いを削がれた。共産党は、1931年生き残った根拠地の代表を瑞金に集め、中華ソビエト共和国の樹立を宣言し、毛沢東を臨時主席に選出するとともに対日宣戦を布告した。だが瑞金は1934年国民党軍の手に落ち、共産党はやむなく「長征」によって僻地、延安に根拠地を移さざるを得なくなった。毛沢東は、そこから抗日民族統一戦線の構築を呼びかけた。 張作霖の息子・張学良(1901〜2001)は、父の残死後、蒋介石に恭順の意を表すようになったが、共産党の唱える抗日統一戦線の構築に耳を傾けるようになり、共産党軍党閥を督戦するため西安を訪れた蒋介石を幽閉し、しぶる彼を説得して抗日戦争遂行のため共産党との和睦を認めさせた(西安事件)。これによつて翌1937年、第2次国共合作が成立したのである。
<>2007/06/11 248<>0<>【6月号】時言 「改憲攻撃に抗して急がれること」<>時言
 「改憲攻撃に抗して急がれること」
 安倍の改憲攻撃に抗する私たちの闘いが今、直面している困難を冷静に見極めておかなくてはならない。そのことは、それぞれの項目が私たちの主体を問う側面をもっているからである。しかしここで取り上げるのは改憲勢力のデマゴーグが、例えば「制定から60年、変化する時代へ対応し得ない」等、予断やためにする論を振りまき、それによって操作されていく国民意識の問題ではない▽困難の一つは、市場万能・競争激化の小泉改革が惹起した格差、就中極端な貧困層の派生は「生存権や労働する権利の保障」等による調和のとれた福祉国家の実現という憲法の方向性を否定しているにもかかわらず、一定程度社会的に許容されている。「憲法否定が許容されている」という現実の派生の問題である▽二つ目は、格差や貧困は社会的問題であるのに、個人責任に帰すことで憲法の基本理念を否定しているが、それを多数の国民が許容する程までに個人主義(ミイイズム)が万円させられている現実の派生▽三つ目は、改憲攻撃の目標が「九条二項の改変」、すなわち「二項殺し」(軍隊を正式に保持する)であるにもかかわらず、それの周知徹底、さらにそのねらいが意味する「軍事的権力体系の確立の憲法上の正統性の形成」、さらにそれによって派生かる市民的自由の抑圧、あるいは市民的権力体系との対立、阻害等の危険性等が周知徹底されていないことである。「二項殺しとあなたの生活」の周知方が急務である。
                     (安保英賢)
<>2007/06/11 247<>0<>【6月号】「がんばってます」103 城間和行<>「がんばってます」103

尾道市議会議員
 城間和行
 4年前の落選の翌日、私は市長室を皮切りに再選への決意を胸に、「お世話になりました」と市役所庁内の全部課にあいさつ回りをしました。
 そして市議会議員任期初日の本年5月1日、「謙虚に、しかし厳しくいきますので」と市長・副市長・教育長から、同じ順序でのあいさつ回りを済ませました。会派は、やはり高位当選をはたした三木郁子さんと、あと2名の4議員による「市民連合」を結成し、私は文教経済委員会への所属が決定しました。
 再び尾道市議会の議席を得て一ヶ月、調査・研究や研修会、新人のときにはなかった市民相談の多さなどで充実した忙しさが続いています。無年金の外国籍市民やDV被害も深刻な無収入のお母さんなど格差・差別社会のひずみを背負わされた方たちが私の事務所を訪ねてくれます。教育現場の異常な労働実態の報告が入っても来ます。私は新社会党の自治体議員として「地域活動においては保守よりきめ細かく、相談活動では公明・共産党よりも丁寧に、平和・人権運動の分野では社民党を上回る広がりを持つこと」を自分自身に言い聞かせています。地元の女性グループや若手支援者のグループなどからは議会ごとの「市政懇談会」の開催とともに私が担当する6月議会の一般質問や委員会の傍聴を希望する声を多くいただいています。
 「市民連合」控室では従前の「議員以外の入室を禁ず」と扉にあったボードの上に「ご自由にお入りください」と紙を貼りました。政治を庶民の手に取り戻す小さな一歩をやっと歩みはじめたところです。皆さんにはこれからもご指導をお願いいたします。<>2007/06/11 246<>246.jpg<>【6月号】憲法施行60周年5.3ヒロシマ県民集会<>憲法施行60周年 
5.3ヒロシマ県民集会
 憲法施行60年ヒロシマ県民集会が、5月3日、平和祈念館メモリアルホールで開かれた。 記念講演には、前広島弁護士会長の山田延広弁護士が『憲法施行60周年と私たちのくらし』として、憲法によって守られているわたしたちの暮らしのついて述べ、憲法が改悪されて起きる状態について話をされた。特に憲法をかえる手続き(国民投票法案-5月14日成立)について厳しく批判、まず改憲ありき、改憲派に有利な法案の問題点を厳しく批判した。
 続いて、女子高校生や教員、市会議員によるリレートークがおこなわれ、最後に憲法の改悪を許さない広島県民会議の栗原君子さんが、「日本国憲法の三大精神である平和主義・基本的人権の尊重、国民主権を根底から覆す憲法改悪の発議を許さない世論作りを」とするアピールを提案、全員で採択をした。<>2007/06/11 245<>245.jpg<>【5月号】当選お礼 得田正明<>得田正明 呉市議会議員選挙 2179票38位
人間賛歌の地方自治をめざして
とくだ正明
新社会党をはじめ、推薦をいただいた労組、民主団体の熱いご支援によって、6期目の闘いに勝利することが出来ました。心からお礼と感謝を申し上げます。
 さて今回の闘いは、地方分権や行財政改革に伴う市民の生存権や市民的権利が問われる闘いであり、1市8町の合併後、初の選挙でもあり、合併建設計画の位置づけ、今後のまちづくりなど、合併町住民の不安の解消を図る闘いでもありました。
 極めて厳しい闘いとなりましたが、党の政策や人権・教育・福祉など、人間らしく生きたいと願う多くの市民の支持、市政に対する課題の共有によって、貴重な議席を死守することができました。
 更に精進を重ね、人間が主役、人間賛歌の地方自治の確立をめざし、奮闘することを誓い、7月参院選の闘いに邁進する決意です。
ありがとうございました。

<>2007/05/11 244<>244.jpg<>【5月号】当選お礼 三木郁子<>三木郁子 尾道市議会議員選挙 2171票16位
 今回の尾道市議選は、合併後初めての15万都市を一円とする選挙で、居住地向島以外では、ほとんど無名の新人である私に取りまして、大変厳しい条件のみの選挙でしたが、支援組織と地域の皆様の最後までの粘りと結束とで勢いをつけての最終日を迎えることができ、結果2171票という貴重な一票一票を積み重ねて頂きまして、かつての町議選時代の3倍増という驚異的な結果を生みだして頂きました。
 福祉や保育・教育の充実や職場の整備を切実に願う人々の貴重な思いの票だと今後の活動への責任の重さをひしひしと感じています。
 あらためて総結集して闘うことの大切さを実感している所でもあります。
 厳しい条件のみの今回の尾道市議選を多くの皆様のご支持ご支援で勝利させていただきました事に心から感謝とお礼を申し上げまして、今後とも変わらぬご指導を頂きますようお願いいたしましてお礼の言葉とさせて頂きます。
<>2007/05/11 243<>0<>【5月号】当選お礼 城間和行 <>城間和行 尾道市議会議員選挙 2783票3位
 4月22開票が行われた尾道市議会選では三木いく子さんと共に2議席奪還の悲願を果たすことができました。2783票、3位での当選、本当にありがとうございました。今回の尾道市議選は、合併後の人口15万人に増大した全市域での初の選挙でありました。私自身前回選挙で落選、まさに背水の闘いでした。今回の私は「じじばば子どもはみんなの宝」「うちらわしらでつくろう新尾道」の2つのスローガンを立て、福祉・教育の充実と若者の政治参加への思いを込めました。選挙戦は格差社会・介護制度・自立支援法・強権的管理教育・平和教育弾圧の問題点を「政治のせいで人が泣いてはいけない」「大人のせいで子どもが泣いてはならない」と具体例をあげ徹底してわかりやすい言葉で訴え続けました。支援組織は引き締まり、その動きに地域・支援者が連動し、勢いある闘いが構築できました。皆さん本当にありがとうございました。ますます謙虚に、地道に市民の声を救い上げる政治・議会活動に専心する決意です。
<>2007/05/11 242<>0<>【5月号】当選お礼 鈴木利宏 <>鈴木利宏 東広島市議会議員選挙1733票25位鈴木としひろ選対 鳴尾善彦
薄氷を踏む思いの勝利でした。広域合併後、初の選挙で、定数32に39名が立候補する激戦で、18名が元郡部の少ない地元をかっちり固め、旧市内に攻め込むという図式でした。
 鈴木は、3月初めに立候補を表明するという立ち遅れで、終始不安をかかえての闘いでしたが、幸い、広教組、高教組、解放同盟、新社会党の推薦をいただき、他候補より有利な条件で戦うことができました。選挙区が拡大したのでなおさらです。
 これに加え、前回同様、四人の弟さんたちを中心とする家族の協力があったこと、さらに今回は、地元の皆さんの支援が盛りあがつたことが大きな勝因だつたと言えます。
従って結果には満足です。鈴木の日常活動の不足、支えるべき東広島支部の努力不足を反省し、2期目の課題とします。
 選挙活動の中心を担っていただいた解放同盟をはじめ、関係者の皆さんに厚くお礼を申し上げます。

<>2007/05/11 241<>0<>【5月号】 翼<>翼
 憲法施行60年を迎えた今年、5月3日の憲法記念日前後には、護憲・改憲さまざまな角度からメディアも大きく取り上げていた。社会全体に「改革」の幻想が蔓延している。内容についての論議ではなく、「この60年間一言一句も改定されていない。そろそろ改定してもいいのではないか」というムードが拡げられることが怖い。
 統一自治体選の後半は、呉の得田さん、尾道の三木さん・城間さん、東広島の鈴木さん4人全員の当選を果たすことができた。素晴らしい結果であり、大いなる元気と勇気をいただいた。わが党や支援組織を取り巻く状況が大変に厳しい中、候補者本人、総支部、支援者のみなさんの努力に、心から敬意を表したい。選挙中に聞いた「平和とくらしを守ってほしい」との市民の願いが、少しでも実現できるよう、日常活動の中で、議員を先頭に取り組んでいこう。
 統一自治体選も終わり、参院選が目前にせまってきた。7月22日の投開票日まで2ヶ月余りしかない。全国比例は、確認団体「9条ネット」で闘うことを決定している。当面は賛同人の拡大、「9条ネット」のポスター貼付に全力で取り組んでてこう。県選挙区は、河野さんの具体的な支援について今後協議していく。
 
<>2007/05/11 240<>0<>【5月号】第35回 中国社会主義革命への序章<>第35回 中国社会主義革命への序章
 中国は、第1次世界大戦を連合国側に立って戦ったものの、ベルサイユ講和会議は、日本の露骨な帝国主義的要求である「対華21か条要求」(1915年)にそって山東省におけるドイツの権益の日本への移譲などを決定し、中国の期待を無惨にも裏切った。
 激昂した北京の大学生らは、1919年5月4日、天安門に終結し「条約調印拒否」「売国三官僚の罷免」を口々に叫びながら公使館区域に向かってデモ行進をはじめた。だが、デモ隊は「治外法権」区域への進入を阻止されたため、今度は親日派官僚・曹汝霖の屋敷に火を放って気勢を上げた。学生の間に逮捕者も出たが、その翌日から抗議のストライキは、各学校に波及し、学生たちは街頭に出て日本商品の不買を呼びかけるなど、抗議行動は一気にエスカレートした。さらに抗議運動は、官憲の弾圧をはねかえして上海・天津をはじめ全国主要都市に広がり、労働者や商人もこれに呼応して立ち上がった。追い詰められた政府は、逮捕者を釈放するとともに、遂に10月゜「売国三官僚」を罷免し、ベルサイユ条約の調印を拒否した。こうして五・四運動は勝利の裡に終結した。
 その前年の1918年には陳独秀(1879〜1942)らがマルクス主義研究会を発足させ、1919年には、ソ連が帝政ロシア時代の対中既得権を放棄して国交を回復し、孫文(1886〜1925)は、中華革命党を中国国民党に改組して広く国民大衆に門戸を開いた。
 こういう政治状況を背景にコミンテルンの指導の下、1921年には陳独秀を委員長とする中国共産党が上海で結成される。しかしソ連は、中国の独立と統一が緊急課題であるとして国民党を積極的に支援し、弱小な共産党の国民党への浸透を図るという方針を採った。
 この方針に基づきコミンテルンは、1923年、ボロディンを孫文の顧問として派遣し、すべての革命勢力を国民党の下に結集されるとの方針を決定させた。
 これを受けて、1924年の第一回国民党大会は、国民党と共産党の提携、共産党員の国民党への入党は可、国民党員の共産党への入党は不可、「連ソ、容共、扶助工農」、孫文の三民主義(民族・民権・民主)を具体化した新三民主義(抑圧民族の解放・直接民主主義・耕作者に土地を与える)を採択した。これによって第1次国共合作(1924.1〜27.8)が成立した。なお、新三民主義は、後に毛沢東(1893 〜1976 )の『新民主主義論』(1940年)に受け継がれていったのである。         (北西 允)<>2007/05/11 239<>0<>【5月号】時言  立憲主義とは何か <>時言 立憲主義とは何か
 国家主義・滅私奉公・戦争という戦前・戦中の辛酸故に、戦後平和憲法に救われて今日があるとする戦前・中派、あるいは憲法体制をあるがままとしたが故に、憲法を「空気のような存在」とする戦後は等々論じられている今、「あなた」は憲法をどのように受け止めているのか、と問われている ▽総じてマスコミは憲法を「理想の灯」として対象化し、外に位置づけようとの作意にあるようだ。例えば、自衛隊という現実を受け止めつつ九条を理想として守るというように、憲法の保障するどの権利・自由についても制限された現状を許容しつつ、憲法の内実を理想として大切にするという、人々の現実を踏まえてのことであろう▽このように憲法はその内実そのままには、各個人の血肉とはなっていない。この憲法と乖離した現実は、権力によって政治的に作り、拡大されてきた。今、安倍反動政権はこの乖離を改憲のエネルギーとして利用し、さらには各個人の内に残る明治以来の古い価値を「美しい国」の名の下、戦後レジュームからの脱却と称して呼び覚まそうとしている。それもわざわざ人心や社会を荒廃するにまかせて▽しかし私たちは知っている。「闘いの中にこそ自由も権利も現実化する」のが事の真実なのである。となれば60年代以降の反安保・反教育反動化・反差別等々の闘いの中で、憲法は人々の血となり肉となっている。まさに政権の専横を憲法で縛り、憲法を守らせる闘いこそが憲法の血肉化であり、それが即、立憲主義の本旨であると確信するものである。
(安保英賢)
<>2007/05/11 238<>0<>【5月号】自治体議員活動報告 七川義明<>自治体議員活動報告
三原市議会議員 
七川義明
 さる3月25日(日)私の住んでいる町内会(270戸)で2007年度町内会結成30回目の総会が行われた。この間私が初代会長となり今日まで29年間さらに今年も会長を引き受け30年目の出発をしたところです。総会で会員の皆さんと話したことは、会員皆さんの総意と総力を結集し、住みよい街づくり、住んでよかったと言われる街づくりをめざし、又子ども達にとっては数多くの行事を開催し、わすれることのないふる里に、何時もも思い出される街づくりをめざし日常活動をすることをさらにそれには、互いに会員一人ひとりの人格を尊重し会の民主的運営をこころがけていくことをあらためて決意をしたところであります。
 近年市内各地において、そこに住む人たちが隣保組織に加入しない人が増えており、その理由は隣人と関わりを持ちたくない。他の人の世話をしたくない。したがって隣人との交流・声をかけることのない状況が増えており、反面子どもたちは学校を通じて友達となりながら、親が町内会に加入していないことにより、日常数多くの町内会活動に参加できず、子ども間における矛盾となり、生活の場での互助組織のあり方、地域の子ども育成にとって新たな課題となっている状況があります。
 現在の政治・経済のあり方からくる生活の場での変化は多種多様に現れ、特に格差拡大の様相からくる歪みに子どもや高齢者が影響を受けている現実を感じる中、子どもたちや高齢者の行事を多くし、隣保組織加入と地域活動参加を呼びかけながら、社会づくりの一歩として、生活の場である地域活動を通して、民主主義・人権確立のありようを地道ではありますが、日々念頭に置き頑張っております。

<>2007/05/11 237<>237.jpg<>【5月号】ねずみ男旅日記(2)<>ねずみ男旅日記(2)
 晴れた日の海岸沿いの道。雨と風で旗が飛ばされそうな!。いろいろありましたが、沖縄縦断は完了した。
 4月15日は宮古島へ。旗を持って歩いていると、呼び止められ事務所の中へ。「どの組織に属しているのか」「天下国家のことより近所のことに取りくめ」などという。私は9条の大切さを訴える。金はないからただで泊めてもらっている。倒産前に社長となり、負債は5億円あることなどを話すと、少々同情してくれたようだ。お茶をいただき、お菓子をもらった。ありがとう。なぜ歩くのか?9条を守る人だけであつまっても、国民投票にあまり影響はない。改憲派、中間派に働きかけてこそ9条は守れる。旗をもって1人歩いていれば、誰でも気軽に話し懸けられる。先の事務所の人たちの考えが変わってはいないが、私の考えを聞いてはもらった。自動車を止めて、おにぎりをくれた人。「自分は軍族だったが、2度と戦争をしてはいけない」と声をかけてくれたおじさん。軽くクラクションをならしてくれたバスの運転手さん。みんなありがとう。でも、それとともに意見の違う人と話が出来たことに感謝。

<>2007/05/11 236<>0<>【5月号】『07参院選』の情勢<>『07参院選』の情勢
 改憲手続法(国民投票法)案も5月中にも成立の情勢で、まさに平和憲法は危険水域です。7月22日投開票予定の参議院選挙で、憲法を守り活かそうという声がどれくらい示されるかが、憲法の命運を左右します。
 「全国比例」は、5月12日東京での第2回9条ネット世話人総会で、第2次の予定候補が発表されます。現在つたわつてくる情報によれば、順調にすすんでいるとのことです。また、具体的な選挙運動の内容についても決定されます。12日の決定をうけ、広島県でも19日(土)に、「9条ネット・ひろしま」の結成総会を尾道市内で開催し、全力で選挙闘争に突入していきます。ポスターの貼付、賛同人の拡大など全力で取り組んでください。
 「広島選挙区」は、5月1日産婦人科医の河野美代子さんが、正式に立候補表明されました。県本部もこれまで候補者の擁立に向けて懸命に努力を重ねてきました。報道されているように、河野さん自身が最終的に政党の支援は受けず、無党派層の支持拡大をめざす方針という決定をされましたので、今後の対応については、執行委員会で協議していきたいと思います。
<>2007/05/11 235<>0<>【4月号】「自治体選挙闘争」を「九条ネット」拡大にも繋げよう<>「自治体選挙闘争」を「九条ネット」拡大にも繋げよう。
          新社会党広島県本部
                     委員長 栗原君子
自治体選挙必勝に向けての取り組みは終盤の追い込みとなってきました。候補者はもとより連日、健闘されている仲間の皆さまに敬意を表します。平成の大合併により自治体の数も減り、護憲政党全体にとっても厳しい状況ですが、県・市議予定候補者の6名中誰ひとりとして欠けることのないように全力で闘いましょう。私たちは県本部発足当時、中間選挙を一点集中方式で闘って、多くの自治体議員を誕生させ、全国の仲間から注目されたことがありました。今回はかつての統一自治体選挙と違って自治体数も少なくなっていますので、それらの貴重な体験を生かしましょう。お金をお持ちの方はカンパしてください。年休のある方は年休を取ってください。退職者の方で時間があると思われる方は時間をカンパしてください。みんなで知恵を出し合い総力をあげて勝利しましょう。2月24日、東京都内で300人を超える人々が集い『九条ネット』が発足し、この枠で闘う3名の第一次公認候補が発表されました。「あなたは戦争を選びますか、平和を選びますか?」「9条への思いを一票で!」をキャチフレーズにして参議院選挙を闘うことになりました。これから全国的に一口 1000円で賛同人の募集、マニフェスト作り、全国一斉キャンペーン活動など様々な取り組みが計画されています。自治体選勝利闘争と併せ『九条ネット』拡大もお願い致します。
                       (栗原きみ子)
<>2007/04/14 234<>234.jpg<>【4月号】東さん見事再選<>東さん見事再選
 広島県議会議員選挙で新社会党推薦の東保幸県議会議員が二期目の当選を果たした。
 東議員は二期目の選挙は厳しいと言われる中、前回よりも1500票あまり得票を上乗せした。これは「地域の隅々まで光の届く県政を
」を合言葉に、地道に誠実に政治活動に取り組んできた東議員の活動が評価されたものりである。
 東議員は、災害時にはいち早く現地に駆けつけ、被災地の人々の声を聞き、対策に努力するなど、熱意と行動力で実績を積み上げてきた。また、平和教育、人権教育の推進を強く訴え、議会で再三質問を行ってきた。知事後援会の「政治資金不正資金」では真相の徹底糾明を強く訴えてきた。
 東議員は「今後も志を同じくする仲間と協力して、現議会の改革わ進め、全力で県政不信の一掃に取り組みたい。また、教育現場は多忙化と管理化で、教職員の病気休職者は増え続けている。教職員が元気の出る教育行政を進めたいむとお礼と決意を述べた。<>2007/04/14 233<>0<>【4月号】『9条ネット』が元気にスタート<>『9条ネット』が元気にスタート

迫り来る改憲、福祉の後退、教育の国家統制化など安倍政権による格差拡大と再び戦争のできる国づくりへと突き進むことに危機感を持つ人々によって『9条ネット』が立ち上がりました。先日、東京・築地に新しく事務所を構え活動を始めています。参院選では比例代表と選挙区で10名以上の候補者を擁立して共同で闘います。連日、全国から賛同金一口1000円を振り込んだ賛同人名簿が事務所に届いています。とりあえず10万人以上の賛同者を募ることを目指しながら、5月中に数万人の賛同者を確保します。各県においても『9条ネット』の組織をきめ細かく作って、参議院選挙が終了しても継続させ、改憲阻止のために活動し続けるものです。嬉しいことにはこの間、いずれの護憲政党も全く手付かずであったなかで、新しく憲法を守りたいと願う人々が期待されて名前を連ねていることです。共同代表の方たちは「各県で賛同者の拡大競争運動を展開してほしい」とも述べています。これから賛同者の拡大と幅広い市民に『9条ネット』を知ってもらうために全国各地で集会や街頭宣伝、チラシ配布など積極的に行います。現在、栗原委員長を含めて3名の予定候補者が確定していますが、5月12日には第二回の全国世話人会議を開催し第二次公認候補を発表することになっています。さらに『9条ネット』は憲法を守りたいと考える自治体選挙の候補者についても推薦・支持をして闘いました。<>2007/04/14 232<>0<>【4月号】翼<>翼
 菜の花、桜、花見、入学式、新社会人・・・、今年も4月が巡ってきた。この時季はいくつになっても、何かしら心がうきうきする。
 小学校の入学式が終わった後、校門横の桜の下で、親子3人の記念写真のシャッターを押す機会があった。真新しいランドセルを背負った新一年生、安全に健やかに成長することを心より願う。
 統一自治体選の前半が終わった。政治と金が大きな争点になった県議選では、良識ある県民の判断で、自民党現職が議席を減らした。
 推薦した安佐北の東さんは当選を果たしたが、福山の山下さんは、健闘及ばず次点に終わった。候補本人をはじめ、福山総支部、支援組織のみなさん、後援会のみなさんは全力で戦ったが、現職の壁は厚く、涙をのむ結果になった。みなさんの健闘に心から拍手をおくりたい。
 4月15日からは、後半の市町村議選が始まる。呉市の得田さん、尾道市の三木さん・城間さん、東広島の鈴木さん。この4人全員の当選を目指して、地元の総支部を中心に、全力で頑張り抜こう!
わが党や支援組織にとって厳しい状況ではあるが、1人1人が全力で頑張ることにより、必ずや展望は開ける。

<>2007/04/14 231<>0<>【4月号】2007年国際女性デー広島県集会に参加して<>2007年国際女性デー広島県集会に参加して
                       土屋 みどり
 3月4日、広島市のあいあいプラザで2007年国際女性デー広島県集会が開催された。
 国際女性デーは、1908年にアメリカで女性たちがパンと参政権を要求して行ったデモに由来し、1910年ドイツで行われた国際会議で3月8日を「女性の政治的自由と平等のために闘う日」として提唱され、各国で取り組まれるようになった。これにちなんで広島でも毎年集会が行われている。今年は、「護憲運動の強化を」をテーマに130名が結集した。
 8団体で構成する実行委員会を代表して秋光民恵委員長があいさつ。柳澤厚労相の「産む機械」発言をとりあげ、今こそ女性たちが声を上げ行動していこう」と力強く呼びかけられた。来賓の呉栄順在日本朝鮮女性同盟委員長からは、在日朝鮮人の人権と生活を脅かす政治弾圧が厳しさを増していることに対し、日本人自身の声を上げてほしいと訴えかけられた。
 続いて広島市立大学広島平和研究所所長の浅井基文さんが、「護憲運動の強化のために−ヒロシマの課題−」と題して講演を行われた。
 浅井さんからは、広島の地にあって被爆地ヒロシマのこだわりがうすれてきていること、その理由の一つとして保守土壌が強いことが指摘された。過去の歴史をさけようとする風潮が大きいなか、歴史を直視しなければ平和憲法を守ろうとならない、もっと歴史にこだわってほしいと訴えられた。平和憲法の改悪を阻止するため今こそ踏ん張り時であることが強調された。
 最後に、自民党の「新しい憲法」案に反対し、女性蔑視に強く抗議する集会アピールを採択し集会を終えた。
 
<>2007/04/14 230<>230.jpg<>【4月号】ねずみ男旅日記(1)<>ねずみ男旅日記(1)
 4月6日、ねずみ男の姿で那覇空港へ到着。
テレビと新聞の取材を受ける。その後、徒歩で法華寺へ向かう途中、テレビ放送を見た人が自転車を押して、「激戦地だった沖縄が9条のため頑張らなければ」と話しかけてくれた、感謝。その後法華寺をベースに交流を続け、4月9日沖縄本島最南端をめざす。
なぜ、ねずみ男か。ねずみ男は寝返る。だが鬼太郎のような致命的な武器は持っていない。ねずみ男が劣化ウラン弾を使用でき、正義を振りかざしたら・・・・イラクの惨状。ねずみ男のごとき愚かな私たちは9条のおかげで60年以上にわたり、戦闘により人を殺さずにすんだのではないか。人の愚かさを自覚すれば、全世界が9条を採用する以外に世界平和はない。9条は古くない。今日本が9条を捨てれば世界平和の実現に決定的ダメージを与え、アジアに不安を広げ軍拡をもたらすことは明白である・・・とねずみ男は教えている。ねずみ男から学ぼう。
HP:http://kyujyou.blog.shinobi.jp/
<>2007/04/14 229<>0<>時言「せめて今より・・・」<>時言
 冷戦解体後のグローバル化した世界は、人々の想像・分析等による対応力を越え、人為的コントロールに不安を抱かせる程までに複雑化・巨大化し、それ故に世界は不透明を深めている。人々は「世界のことはようわからん、どうなっていくんじゃろう」等、ある種の潜在的不安に陥っている。新しい世紀になつても戦争は多発する。歴史認識・領海等をめぐる隣国との摩擦。あるいは1000兆にも及ぶ国の借金。医療・年金・介護への不安、また犯罪(総数は減少)の多発報道・・・。近所のおじさんの弁「これまで頑張って来たが、わしらはええ死に目に会えんでぇ」も無理からぬ。このように政治的・社会的に醸成・増幅される不安の中、人はいつの間にか大樹の蔭わ求め、多数に身を寄せる。心理学の教える通りである▽そらに加えて、正規・非正規、非正規の中の多様な雇用形態による分断を喰った労働者は、社会的立場による団結や、その視点からの真の敵を、見失い、上や下を見て「せめて今より悪くなりたくない」との現状維持に埋没する▽この「不安」「寄らば大樹・・・」「せめて今より・・・」という大衆の意識こそ、自らの票田を知悉している保守政治家は、意図的に不安を煽る▽私たちはその大衆の心にどのように呼びかけ、灯をともし、自己回復・自立をめざいのか。マイノリティであるが故の困難を克服し、状況を切り開くためには私たち自身状況認識し闘争方針の共有の下での総団結と熱中こそが求められている。
(文責 安保英賢)
<>2007/04/14 228<>0<>【4月号】第34回 ソ連型社会主義をどう捉えるか<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自立的連帯を求めて
広島大学名誉教授 北西允

第34回 ソ連型社会主義をどう捉えるか
 今日ではソ連型社会主義が、プロレタリア革命後に達成されるべき望ましい社会だと説く者は皆無と言ってよかろう。あるものはそれを国家社会主義だと論じ、あるものはそれを堕落した労働者国家だと断じ、中にはそれを一種の国家資本主義に過ぎなかったと説く者もいる。いずれにせよ、ソ連型視野か胃主義は、マルクスが、理想の共産主義への過渡期として抽象的に論じた社会主義(マルクスは、それを社会主義とは言わず共産主義の第一段階と呼んだ。『ゴータ綱領批判』1875年)とは著しくかけ離れたものであったことは疑いを入れない。
 たしかにマルクスは、共産主義への移行期には勝利したプロレタリアによる旧支配階級=ブルジョアに対する独裁は不可避であり、過渡期には諸々の社会的不平等に象徴される「資本主義の母班」が残るのはやむをえないとも論じた。しかしそれは、あくまで「国家の死滅」(エンゲルス『反デューリング論』1878年)を志向するもの、つまり国家機能の縮小ないし弱体化過程を辿るものとして描かれたのであった。
 ソ連のマルクスからの逸脱要因は一体何だったのか。一つにはマルクスが想定していたプロレタリア革命が、先進資本主義国における同時革命であったのに対して、革命は後進国ロシアで達成され、しかも一国にとどまったという現実である。レーニンは、ロシア革命を正当化して、独占資本主義段階では世界は帝国主義列強による支配の網の目で覆われており、革命が帝国主義の中心部ではなく周辺部の最も弱い環で起こるのは必然だと論じた(『帝国主義論』1916年)。さらにスターリンは、「革命の勝利後に階級闘争はかえって激化する」と論じて内外の敵と非妥協的に対峙し、国家の死滅どころか強化に奔走した。ソ連では指導者以下、自国が資本主義の包囲のもと常に侵略の脅威にさらされているとの危機感を強く持っていたし、そうした危機意識を裏付ける事実にも事欠かなかった。
 次に、革命当時のロシアは圧倒的に農民社会であり、プロレタリアは人口のごく一部を占めるに過ぎず、総じて識字率なども甚だ低かった。そのためマルクスが、先進資本主義国では多数者となったプロレタリアに全幅の信頼を寄せ、革命党については殆ど論じなかったのとは対照的に、レーニンが鉄の規律を持つ革命党の大衆に対する指導性を強調し、スターリンがそれを個人崇拝にまで昇華させる一因になった、と見ることもできる。
 これらの要因のほか、革命の暴力性、人権や民主主義の軽視、議会制の蔑視、も権威主義的政治・社会体制、権力者間の暗闘等々の要因も挙げられようが、紙幅も尽きたのでひとまず稿を閉じたい。

<>2007/04/14 227<>0<>【4月号】がんばってます(101)植田稔<>がんばってます(101)
尾道市議会議員
植田稔
 3月30日告示、4月8日投票の福山・安佐北の県会議員選挙を皮切りに、尾道市も合併後初めての市議会議員選挙が4月15日告示、4月22日投票で行われます。
 この選挙の前哨戦も終盤にかかり、予定候補者の動きが激しさを増してきています。
 尾道市議会議員選挙では三木いく子さんと、城間和行さんが、二市三町の合併により市域が拡大したことで様子が変わり、戸惑いながらも奮闘されています。
 いずれにしてもこの選挙は今後の運動の行方を大きく左右する大事な闘いであり、何としても勝利しなければせなりません。
 さて私は1991年、皆さまの温かいご支援をいただき、尾道市議会議員に初当選することが出来ました。以来今日まで4期16年何とか勤めてまいりましたが、今期をもって議員を退くことにいたしました。
 今日までの皆さまの本当に心温まるご厚情に感謝申し上げます。そしてこのご恩は決して忘れることなく、終生胸に刻んで参ります。ほんとうにありがとうございました。
 今後は議員を退いても今まで通りの活動を続けて参りますし、当面の私の使命は統一地方選勝利に貢献することだと考えています。
よろしくご指導くださいますようお願いいたしてご挨拶といたします。<>2007/04/14 226<>226.jpg<>【3月号】東広島市議会議員選挙鈴木としひろ(新社会党推薦〉 <>必勝自治体選挙 
東広島市議会議員
4月15日告示4月22日投開票  
鈴木としひろ(新社会党推薦 2期目)
(プロフィール)
・1959年生まれ47才
・1985年東広島市社会教育指導員
・2003年東広島市議会議員に初当選
    文教厚生委員会副委員長
(現在)
・東広島市議会総務委員会委員
・高屋東小学校区子育て推進協議会会長
・高屋東小学校PTA副会長

(二期目の決意)
「めざします 夢がもてるまちづくり」
 −人にやさしい 安心して暮らせる 
  人が輝く 東広島市の実現にむけて−
 安心して生活を営み希望に満ちた子どもを育てられる東広島にするため、正念場となる東広島市議選へ、二期目の立候補を決意しました。
 子どもや教職員が主役の教育環境を実現し、お年寄りや困難に直面している市民の声が反映できる東広島市政を創るために全力で取り組みを進めます。

〈後援会事務所〉
 〒739-2113 東広島市高屋町高屋東4497-6
☎(082 )420-4680 FAX(082 )420-4688
<>2007/03/13 225<>0<>【3月号】07参院選−「9条ネット」立ち上がる<>07参院選−「9条ネット」立ち上がる
頓挫した前回から4年。党派、所属、地域等々、様々な属性を越え「9条を守る」・「平和を選び取る」という一点を結集軸として選挙を闘う「確認団体」がようやく立ち上がった。名付けて「9条ネット」。暖冬とは言え寒い2月24日、東京・文京区民文化センター3階Aは古びた建物であった▽1時15分から「9条ネット世話人総会」。2時までの間、
@共同代表の前田弁護士からの経過と基本的
 考え方
A会則や基本政策
B第一次公認
等の提案があり、了承された。
 2時からいよいよ「9条ネット」発足総会。第一部は、
@前記世話人総会の決定事項の報告と第一次 公認発表。
A各地からの報告と意見表明
がなされ、広島からも報告・表明。
第二部では「私と憲法と勝利への展望」と題しての予定候補者(三名)と三名の文化人を加えてのパネルディスカッション。そして閉会時の「突き上げ拳」の大合唱。
 第一次公認予定候補者は、栗原君子、藤田恵、鈴田渉の三名。選挙にのぞむ確認団体として成立するには10名が必要。今後の困難を一つひとつ乗り越えなくてはならない。今参加400名弱の熱気の中に立ち上げた「9条熱と」を飛び裁たせるのは、平和を願う全国の仲間のネットへの結集である。
<>2007/03/13 224<>224.jpg<>【3月号】「大竹市長に抗議」<>「大竹市長に抗議」
−突然の岩国基地への移転容認−
 2月9日、岩国基地の機能強化に反対する「西部働く者の会」のメンバー8人が、大竹市長へ抗議文を提出しました。昨年12月下旬、大竹の入山市長は、市長選時(昨年6月)の「空母艦載機の岩国への移転には絶対反対!」という公約を反古にし、全く唐突に「移転容認」へと変節しました。
 変節の理由として、市民の意見を確認した結果、補助金等を含め条件闘争に移るべき時と判断したということです。しかし、市長になってから開催した住民説明会は3ヶ所、しかも参加者は合計で300人足らず。これらの参加者の意見だけを聞き、市民の安全を確保する保障のないままに、決めたというのですから全くおそまつです。
 岡原会長をはじめ参加者からは、強い非難の声があがりました。最後に、対応した助役に、次回は市長との話し合いの場を、必ず設定することを強く申し入れました。
<>2007/03/13 223<>0<>【3月号】「自治体選挙対策委員会を開催」<>「自治体選挙対策委員会を開催」
 2月19日県本部書記局において、選挙を抱える総支部を中心に10人の参加者の名か、4月の統一自治体選挙の勝利をめざして、自治体選挙対策委員を開催しました。
 得田委員長の今日的課題を含めたあいさつの後、福山、安佐北、尾道、呉、東広島と選挙が実施される自治体ごとに、情勢分析を行いました。どこも大変に厳しい状況ですが、全体の志気を高めるという意味でも、前半の県議選、特に福山の山下さんの当選に全力をあげることが確認されました。また後半の市議選は、どこも合併後の選挙で、定数が大幅に削減されます。従って候補者本人の積極的姿勢はもちろんのこと、これまで以上に強固な支援体制を組織し、一日も早い組織的活動が必要であることが確認されました。
 またどの事務所でも、紹介者カードの枚数が非常に少ないことが報告されました。正月の年賀状など今一度見直し、一人でも多くの親戚・友人・知人の紹介をすることが必要です。まだまだ間にあいますので、ぜひ、党員・党友・支援者の皆さんは、まず紹介活動に全力をあげてください。何といってもこのカードが大きな力になります。勝利に向けて、全力で頑張りましょう。

<>2007/03/13 222<>0<>【3月号】翼<>翼
 いくら暖冬といっても、まだまだ寒い日もあるだろうと思っているうちに、春がやってきた。昨年は雪が多かったこともあり、特に今年は暖かく感じる。
 3.4月は別れと出会いの時である。特に学校では、卒業式、入学式のシーズンだ。国旗・国歌法、そして学習指導要領を楯に、教委や各校長は「日の丸・君が代」の強制に必至になっている。
この所「日の丸・君が代」の強制について、裁判所が興味ある判決を示している。昨年9月東京地裁は、第一審での判断とはいえ、実に明快に「思想及び良心の自由を保障した憲法19条違反」また、「教育への不当介入を禁じた教育基本法第10条違反」とした判決を示した。すっきりとしたいい判決だ。
 一方、2月27日、他の裁判で最高裁は「入学式での君が代のピアノ伴奏命令は、思想・良心の自由を侵害しない」として、職務命令を合憲と判断した。「日の丸・君が代」の強制をめぐる初の最高裁の判決で、他の裁判への影響が心配だ。
 しかし、5人の裁判官のうち1人は、「伴奏命令と思想・良心の自由の関係を慎重に検討すべき」として、反対意見を述べている事実は大変に重い。最高裁でも判断が分かれることを、強制しているということだ。<>2007/03/13 221<>0<>【3月号】時言「手前勝手に教育を壊しているのは誰か」<>時言「手前勝手に教育を壊しているのは誰か」
安倍政権の教育改革は、例えば低下(?)した「学力」の向上とか、いじめ・不登校の問題解決をめざしたものではない。そのためとする喧伝は国民の意識をそらすためである。第一に彼等は子どものことを考えてはいない▽結論から言えば、旧教育法が「教育の目的」とする「人格の完成」は憲法の保障する基本的人権を具有する主体的な個人の確立である(その個人が民主社会の担い手となるのだ)が、その考え方そのものが、人々や子どもの手前勝手・自己中心主義を生み、教育荒廃・青少年の退廃、社会の荒廃を惹起している。それ故、「個人は国家(公)のためにある」とする教育勅語の方向に切り変えるという方向の攻撃である▽すでに改定教育基本法では、国を愛する態度や、「公」を重んじる方向が規定され、教育再生会議を受けての教育関係法案の方向は、教員免許の更新制導入、地方教育委員会の文科省支配という因承主義が強行されようとしている▽今まさに、自分の身体を含む生活のすべてを自分でコントロールし主体的個(主権者)として国家を作る方向と、国家主義による個の抑圧という方向がせめぎあう、今「公」の概念を国家主義的支配に包摂しようとする策動に警戒しつつ、自立した主体的個々こそが「公」の形成者であることを示さねばならない▽98年以降の是正指導攻撃が解放教育のめざす主体的人間作りを破壊するためであったことが、より鮮明になってくるが、その認識をきっちり踏まえた現状への対応が大切である。       (安保英賢)

<>2007/03/13 220<>220.jpg<>【3月号】がんばってます100 呉市議会議員 得田正明<>がんばってます100
新社会党広島県自治体議員活動
呉市議会議員
得田正明
 早いもので地方自治に身を置き、議員として5期20年が経過しようとしています。
 この間の関係者の皆様方のご支援とご厚情に心から感謝申し上げます。
 さて、6期目の闘いにあたって、自己総括を表明するとすれば、やはり議員としての社会的立場の自覚的認識の一言に尽きると思います。組織や団体の代表者として、社会的弱者の代弁者として、運動的課題や市民の願いに応えて、制度・政策の在り様や充実を図ることが第一の使命であります。
 そして、人々の声に耳を傾けることによって、その人のもつ苦しみ、悲しみ、人間らしく生きたいと願う心に、しっかりと身を寄せ、課題を自己のものとして共有することが、第二の使命であると考えます。
 第三は、そのプロセスを通して、己自身がどれだけ人間的度量や力量を身につけ、社会構造の不合理矛盾と人間破壊の相関関係を客観的に位置づけ、社会改革の先頭に立つかということです。
 第四は、そうした多くの人々の人間的生き方と共に自分が歩むことによって得られる人工エネルギーや自己実現の世界を創造することであります。
 今回の闘いも極めて厳しいものがありますが、私は良き先輩、良き仲間、価値観を共有する良民とともに、信じきることによって、必勝を期す決意であります。変わらぬご支援を心からお願い申し上げます。
<>2007/03/13 219<>0<>【3月号】第33回 スターリン体制下のソ連<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自立的連帯を求めて(33 )
広島大学名誉教授  北西允
第33回 スターリン体制下のソ連
 左派(トロツキー)右派(ブハーリン)のライバルを屠ったスターリンは、自らをマルクス及びレーニンの政党後継者に任じ、「マルクス・レーニン主義」なるものを唱導して、自らを含む個人崇拝の気運を醸成した。彼は、民主集中制の党組織原則を一層強化し、一切の分析、すべての異論を容認しなかった。こうした体制は、単にソ連内部にとどまらず、コミンテルンを通じて各国共産党にも普及した。
 それにも拘わらず、スターリンは、1936年に新憲法(スターリン憲法として知られる)
を制定し、プロレタリア民主主義の発展と労働者の幅広い権利の保障を盛り込んでみせた。そのことは、ソ連が1930年に世界を揺るがした大恐慌の影響をなんら受けることなく、5カ年計画の推進によって大きな経済成長を遂げたことあいまって、資本主義諸国の社会主義者の一部からも高い評価を受けた。反マルクス主義の立場を貫いてきたフェビアン社会主義の創始者の一人であり、劇作家としても名高いG.バーナード・ショー(1856〜1950 )でさえ、この時期のソ連を「失業も階級もない理想の国」と讃えたほどである。
 スターリンによる一国社会主義体制は、数百万人とも数千万人とも言われる犠牲者を出す一方、ロシアが長年にわたって引きずってきた富の偏在に大鉈を振るい、絶対的貧困の解消や公衆衛生の改善などの社会政策面で一定の成果をあげた。後に日本社会党の江田三郎が「新しい社会主義のビジョン」の一つに挙げた「ソ連の充実した社会保障制度」には確かに見習うべきものがあった。学校教育はすべて無償で、公共料金なども低く抑えられた。
 ところでソ連は、革命当初から内外の脅威にさらされてきた。自衛軍との内戦、外国からの干渉戦争。日本もシベリアに出兵し最も長くかの地にとどまった。レーニンやトロツキーらが期待した社会主義革命の他国への波及は阻止されたが、スターリンは一国社会主義の実現の可能性を主張して、自己の絶対的支配下に国力の充実と外的への備えに専念した。
 1935年におけるコミンテルンの反ファッショ統一戦線戦術の採択も、大義である世界革命という能動的立場ではなく、「社会主義の砦」ソ連の防衛という受動的姿勢に立脚していた。独ソ不可侵条約(1939年)という世界を驚かせた奇策も、こうした観点から打ち出されたのであった。
<>2007/03/13 218<>0<>【3月号】広島総支部全党員・党友集会報告<>広島総支部全党員・党友集会報告
 2月23日、広島総支部は今年7月の参議院選挙の持つ重大性に鑑み、党の意思統一を図るため、全党員・党友集会を東区民文化センターで開催した。
この集会は、参議院選挙が憲法9条を守る最後の国政選挙になるかも知れないという情勢の中で、護憲の共同戦線を追求してきた党中央方針が事実上できなくなったことをふまえて、われわれとしてどう判断し、どう行動すべきかを検討するために開かれたものである。この集会には、県本部から石原書記長が参加し、今年2月の党中央委員会の報告も行われた。
 護憲の旗を掲げて闘うことには誰も反対はないが、問題は現実に勝てるのか?護憲の候補を国会に送り込むことができるのか?共同戦線が事実上できなくなったいま、新社会党単独で闘うということになるのではないか?選挙資金の準備はできるのか?選挙は闘ったものの借金だけが残って、党員にすべての負担が回るという事態になるのではないのか?さりとて、参議院選挙を闘わないという選択肢はあるのか?さまざまな疑問が提起されている中で、率直な討論が行われ、以下の3点が確認された。
1,統一地方選・選挙区選挙は、公認・推薦 候補の必勝を期して闘う。
2,比例区選挙に就いては、3月21日の県 委員会決定を待って具体的な方針を決定す る。
3,党員・党友にこれ以上の財政的負担をか けないよう、再確認を求める。
 すっきりした結論は出なかったが、これが現状の反映であった。<>2007/03/13 217<>0<>【3月号】「9条全国行脚の旅へ」<>《ご支援のお願い》
「9条全国行脚の旅へ」 福崎やすお
 ガンを経験し、生かされている身となった。生かされている身に使命が宿る。「歩け」と言う声がする。改憲の動きが加速している。隣国の攻撃に備え武力が必要だとの声。非武装の方が安全だとの声。でも仮想敵国を想定した時、すでに私たちはその国の敵になっている。日本国憲法前文を読み返す。もっと崇高な平和を呼びかけている。世界平和の実現のために我らの安全と生存を懸けている。自らの生存のために武器をとらなければならないとしたら、そんな社会は生きるに値するのか。そなんことをボーと考えていたら、声が聞こえてきた。「一人9条の旗をもって歩け。食も宿も行く先々の善意におすがりせよ」この声が使命か。4月から沖縄を出発点として歩こうと思っている。正確には旅をするのは9条である。私は9条の足、お助けいただく方々とともに進みたい。この旅で何かを得たいわけじゃない。でも、こんなことでも平和に貢献できたらと思う。旗もまだない。インターネットなど活用すれば・・・とも思うが、それも誰かにおすがりしたい。
 憲法前文の結びのように、国家の名誉までかける力はありませんが、私に出きることをやりたいと思います。ご協力よろしくおねがいします。

(福崎さんをサポートするため口座を開設し ました。カンパを お願いします:小武正教)
 名称:「WALK・9条の会」
口座番号:01340−7−96465<>2007/03/13 216<>0<>【2月号】“自治体選挙勝利を全県集中方式で  高橋晋作<>再度の訴え
“自治体選挙勝利を全県集中方式で”
広島県本部副委員長
高橋晋作
 2007年1月も残り数日です。日々の過ぎるのは本当に早いものです。「新社会ひろしま12月号」で問題提起したことを再度訴えます。4月8日は投開票で実施される県議会議員選挙を皮切りに統一自治体選挙が始まります。
選挙戦はもう中盤に入ったような状況です。
 市町村合併によって選挙区が大きく変わっています。例えば福山選挙区は旧福山市に新市町、神辺町、沼隈町、内海町も加わり福山選挙区です。この例のように尾道にしても、因島市、瀬戸田、御調町なども加わり選挙区は大きくなっています。これと同じように呉の得田さんの選挙区も同じことです。
 市町村合併による選挙区の変化をもう一度確認して、親類、縁者、知人、友人を思い起こし、探して、それぞれの公認、推薦候補の選挙事務所に早急に連絡をとる取り組みをやりきりましょう。全県の党員、党友、支持者の皆さまのきめ細かい取り組みは選挙戦勝利に結びつきます。
 自治体議員選挙の勝利は7月の参院選の結果に直結します。がんばりましょう。
<>2007/02/13 215<>215.jpg<>【2月号】2007 広島県本部 「旗開き」<>2007 広島県本部 「旗開き」
1月13日広島市のチユーリツヒホテル東方2001において、2007新社会党広島県本部『旗開き』が、各方面からの来賓のみなさん、マスコミ各社、県内各地方ら約80人の参加の中、開催されました。
 第一部で冒頭あいさつに立った栗原委員長は、「富める者と貧しい者の格差は歴然とし、多くの国民は将来に不安を抱かざるをえない。教育基本法改悪、防衛省への昇格、そして今通常国会では、憲法改悪のための国民投票法案の成立を目論んでいる。いよいよ今年は選挙の年。これらの動きに抗していくため、4月の統一自治体選、困難な状況があううとも7月の参院選、の勝利にむけて団結して頑張うう」と力強く訴えました。そして来賓あいさつに移り、山今彰広教組委員長、秋光民恵広高教組委員長、山下真澄解放同盟県連副委員長、金鎮湖朝鮮総連委員長、池上文夫広島県労協議長、最後に川田澄全港湾常任顧問より、それぞれの立場からの現状認識と新社会党への激励のあいさつがありました。
 続いて行れれた新春トークでは、小森顧問が「2007年の年頭にあたって」と題して講演し、「社会の現状を正しく認識し、行動していくためには、私たちはもっともっと学習を深めていかなければならない」と強調しました。
 会場を移した第二部のパーティーは、広島総支部・石黒さんの元気な司会で行れれ、まず呉・安芸総支部の平賀さんのすばらしい三線演奏で始まりました。出席していた今年の選挙立候補予定者である山下さん(県議選、福山)、得田さん(呉市議選)、三木さん・城間さん(尾道市議選)、栗原さん(参院選)からそれぞれ力強い決意表明が行れれ、会場から大さな拍手と声援が送られました。恒例の各捻支部からの報告は、参加者の多い所、1人の所、話のとても長〜い所などなど、いい交流になりました。
 選挙の年の年頭、元気のでるいい旗開きになりました。

<>2007/02/13 214<>0<>【2月号】尾道市議会議員選挙 中盤戦<>尾道市議会議員選挙
定数34に対し、45人前後の立候補が予想される尾道市議会議員選挙。激戦をなんとしても勝ち抜きたい、との思いで三木いく子さん(党公認)、しろま和幸さん(党推薦)が連日、活発な活動を展開している。両候補とねも「全県的なご支援を」と訴えている。
 三木いく子さんは“めざします。福祉の充実”をスローガンに、福祉や人権、教育に対する対策とこれまでの歩みを語る中で一人でも多くの人に人柄を知ってもらおうと「囲む会」を各地で開催。また、合併による行政サービスの低下、福祉の後退で生活を切り詰めなければならない実態、多忙化で子どもと向き合うことの出来ない教育現場の現実など生の声が活動のエネルギー。
 しろま和幸さんは「じじばば子どもはみんなの宝」「うちらわしらでつくろう新尾道」が2本柱のスローガン。地区社協・ボランティア活動を通してのきめ細かな講演会加入活動に全勢力を傾けている。1月28日には支援組織・支援者・地域の代表が60人結集し後援会総会を開催。市議選勝利に向けて、それぞれの決意を固めた。2月10日には因島市民会館で「ライブアンドトーク」の開催も決まっている。

<>2007/02/13 213<>0<>【2月号】2007年三原地区合同旗開き<>2007年三原地区合同旗開き

  1月26日三原地区合同旗開きが広教組三原支区・高教組尾三地区支部・全水道三原・解放同盟・新社会党三原総支部がそれぞれ準備を分担し、80名の参加で行われました。
 三原支区のバンド演奏に続いて「緑の山河」の斉唱で幕を開けました。七川実行委員長の挨拶のあと、県本部委員長栗原君子さんから、政治・社会状況の分析や、統一自治体選挙・夏の参院選と続く政治決戦の年、「中異をこえて大同につき、政治を私たちの手に取り戻そう」「民主主義の正念場を闘いぬこう」決意を込めた挨拶を頂きました。三原支区委員長の乾杯の音頭で和やかに交換会に入り、アルコールやお茶でのどをうるおしながら、来賓や単組の挨拶を受けました。今回は市職員労働組合連合会の委員長と三原地区労センターの事務局長が来賓として来ていただき、それぞれの立場から思いや決意・示唆に富む話をされ、改めて横のつながり、広い視野と深い思考の大切さを感じました。
つづいて地元市議会議員2名の挨拶と単組の現状報告がありました。特に両教組、三原の私学の組合の人からは教育現場の格差・不平等がいかに深刻であるかが話されました。  いついかなる時でも、やめた時が負けるとき、強かに続けているかぎり希望はある
私たちが信じてきたものは今風前の灯火の状態にあるが、それを必要としている人は内のも外にもたくさんいて、それは色あせてもなく、古臭くもなく、輝き続けている。07年も08、09、10もまだまだ頑張ろうと全員が気持ちを新たにして会場を後にしました
<>2007/02/13 212<>0<>【2月号】「翼」<>「翼」

 1月末広島市安芸区で、脳内出血で寝たきり状態だった60歳の男性を「介護放棄」で死なせたとして、妻と長男、次男の3人が逮捕された事件は、本当に痛ましい。財政難を理由に、福祉予算を削り続ける国・自治体はこのままでいいのか、真剣に考えてほしい。
 折しも通常国会が、会期は6月23日までの150日間で、1月25日から始まった。7月の参院選を控え、与野党の真摯な討論を期待する。安倍首相は就任後初の施政方針演説を行った。相変わらず意味不明の「美しい国」の連発で、国民の暮らしがどう変わるのかは全く見えないまま。憲法「改悪」への意気込みだけはうかがえた。
 安倍内閣の支持率は、どの世論調査でも一貫して下がり続け、とうとう40%前後で支持する、支持しないがほぼ並ぶまでになった。当然の結果であり、まだまだ下がり続けていくはずだ。閣僚や与野党幹部の事務諸費をめぐる問題、厚生労働相の女性を蔑視する発言など、まさに「信じられな〜い」ことが続く。
 安定雇用、教育・福祉の充実など、今多くの国民が真に求めているものは何か。その声をきちんと受け止め、議論しない政党や候補者には、選挙できっちりお返しをしていこう。<>2007/02/13 211<>0<>【2月号】「がんばっています」99 池上文夫<>「がんばっています」99
福山市議会議員  池上文夫
 私は今、今春4月に県議会議員選挙(福山選挙区)を戦う、山下真澄さんの取り組みで忙しくしています。
 今回の選挙は、定数が9から11に2増となり、議席奪回の絶好の機会でもあります。過去2度の選挙で惜敗をしており、今回は何が何でも勝たねばならない選挙であります。県内の皆さんから病ましたさんへの支持・支援を寄せていただき、県議会に新社会党系の議席を確保しましょう。
 県議会では、県知事選挙にからんだ「裏金疑惑」が県民の政治不信を加速させ、一方で県民不在の県議会と汚れた県議会議員の側面をさらけ出すものとなつています。
 それだけに、まったく汚れもない新人・山下真澄さんの清新なキャラクター、県政にまじめに取り組み、平和・教育・福祉・産業など幅広い政策を掲げて、県議選に望む山下さんの勝利を勝ち取るために、重ねての支援をお願いします。

<>2007/02/13 210<>0<>【2月号】時言「寄せ手を押し止める」<>時言「寄せてを押し止める」
 「改憲論者」を自認する中曽根元首相は「今強行して失敗すれば、今後長い間むづかしくなる」として、現時点での改憲強行に懸念を表明した。これは改憲に必要な条件がいまだ整っていないとの認識を示しているとされている▽例えば、@福祉関連の財政支出は先進諸国中(対GDP)で最低に押さえ込み、雇用をめぐる規制緩和で一千万近いワーキングプアを生みだし、病気・貧困は自己責任とする「厳しく不安な日々」に人々を陥らせた。Aそのような中、作られた例えば「北朝鮮」のような外の敵へ向け、敵愾心が煽られナショナリズムは増幅しているがしかし、それ等はまだ「ぜひ改憲」の大合唱にまで到っていないとの認識▽さらに三公社五現業の解体に伴う総評ブロックの解体、その後自治労も日教組等も「連合」に取り込むことで封じ込め、今や防衛省・教育基本法改定に加え、公務員制度改悪、教員の免許更新制導入で息の根を止めようとしているが、いまだ不十分との認識▽それ故用心深い彼等は、B抵抗の牙を抜き去るべく(与党・民主党合意案)、刑事罰は設けないとしたとはいえ「公立私立教育労働者・公務員労働者の活動規制」を明示した改憲手続法を強行しようとしている▽前記の@ABの攻撃激化が予想される今、闘いの困難性は時間が連れてくる。猶予はない。しかし反動の戦略・戦術を知悉している私たちは、反動側の「時期尚早認識」を更新させ続けるのは、攻撃に即応した闘いの継続の力であると深く自覚している。(安保英賢)<>2007/02/13 209<>0<>【2月号】第32回 スターリンの大粛清<>社会主義の歩みと将来への展望
 個人の尊厳と自立的連帯を求めて(32)
第32回 スターリンの大粛清 北西允
 ソ連崩壊前後からスターリンによる理不尽な粛清の具体的事実が一層明らかにされてきた。事態の全貌はまだ必ずしも明確ではないが、粛清は暴力革命にはつきもののようにも思われる。古くはフランス革命時、ジャコバン派・M. ロベスピエール(1758〜1794)の恐怖政治下における粛清の例があり、近くは中国革命にともなう毛沢東による粛清もよく知られている。だが、ソ連における粛清は著しく冷酷かつ大規模゜で、レーニンに始まりスターリンに至ってその極点に達した。
 レーニンの死後、スターリンは一応党の実権を握ることになるが、古参党員を中心に彼の方針に抵抗するものが少なくなかった。そうした状況の中、1934年、スターリンの右腕と言われたC.キーロフ(1886 〜1934 )が暗殺されるという事件が起きた。これがスターリンによる粛清のきっかけとなった。事件直後、トロツキーに対してスターリンと手を組んだジノビエフ、カーメネフが、事件関与の疑いで逮捕され結局は処刑された。事件はスターリン自身が仕組んだとの有力な説もあるが定かではない。
 いずれにせよこれを契機に、スターリンの粛清は次第にエスカレートしていった。とりわけ、1937年から1938年にかけ「大粛清」の嵐は、クレムリンからソ連全土に吹きすさび、途方もない数の犠牲者が出た。ブハーリン元コミンテルン議長、ルイコフ元首相をはじめ、中央委員及び同候補139人中98人が処刑された。赤軍創始者だったトロツキーの影響が残ると目された軍隊の粛清は苛烈を極めた。「赤いナポレオン」と謳われたトゥハチェフスキー元帥を筆頭に、元帥5人中3人、将官295人中185人が刑場の露と消えた。
 粛清は、党や軍にとどまらずそれ以外の人々にも及んだ。犠牲者の総数については説が別れているが、1930年代に「反革命の罪」で命を落としたものは約70万人。このほか農業集団化に伴う富農撲滅政策で死亡したものは、最大の推計で700万人にも上るといわれる。強制収容所で死んだものも合わせれば総数は千万人規模に達するという。外国人粛清者の中には、山本懸藏、伊藤政之助、国定定洞をはじめソ連亡命中の日本の共産主義者十数名も含まれている。
 代行主義は頂点を極めた。プロレタリアの独裁は、スターリン個人の独裁に取って代わられた。翻ってみればロシア革命、共産党政権樹立そのものに問題があった。制憲議会でわずか4分の1しか議席を取れなかったボルシェビキが武力で議会を解散させ一党独裁体制を築いたこと、戦時共産主義下で農民から食糧を強制挑発したこと、クロンシュタットにおける水平の叛乱を無惨に鎮圧したこと、反対者を逮捕・投獄し処刑したこと等々。「大粛清」の種は、すでに革命過程において蒔かれていたのである。<>2007/02/13 208<>208.jpg<>【2月号】山下真澄事務所開き<>山下真澄事務所開き
「澱んだ県議会に新風を起こそう」をスローガンに、県議選・福山市選挙区から立候補を表明している、新社会党推薦で新人の山下真澄さんの事務所開きが、さる1月28日に山下さんの地元・神村町で行われ、福山市内や県内各地から1000人を超える支援者が集い山下さんの必勝を誓い合いました。
 福山選挙区の県議選をめぐる情勢は、定数11に対して現職11人、新人2人の13人の立候補が予定されており、県内屈指の激戦区とも言われています。
 新社会党は過去2度の選挙で惜敗しており、今回は議席確保の絶好のチャンスとして、新人・山下真澄さんの勝利に向けて党の総力を結集しています。
 福山市内の友人・知人などを紹介するなど、全県的な支援体制で、県議選・山下真澄さんの議席を確保しよう。
<>2007/02/13 207<>0<>【2月号】護憲勢力の結集を九条の会呉 第三回研修会 <>護憲勢力の結集を
 =九条の会呉 第三回研修会
 九条の会呉(加藤貫二代表)は1月24日山の手会館において第3回の研修会を開催した。
 法失効後における内外の意識の変化による運動の後退や不祥事に触れ、今濃さ社会的立場の自覚的認識と理論学習の必要性が求められること。格差社会の拡大と社会荒廃が深刻化する中、人々の人権意識が蝕まれ、市民的権利の剥奪と生活破壊がもたらされていること。教育基本法改悪の強行採決にみられる国民に対する管理・統制強化の危険性や経済至上主義による大手企業のコンプライアンスの崩壊。さらには、政治と金にまつわる政府・地方自治体の不正等によって多くの国民が将来展望を喪失し、不信と不安が飽和し、結果として人間相克の悲惨な事件が激発していると怒りをこめて訴えた。
 平和・人権・民主主義を希求する人々に、苛政の不合理、矛盾をわかりやすく説明し、日本国憲法、改悪前の教育基本法の理念を自らの生き方として実践することが重要だと力説した。会員からは、教育現場における厳しい実態や様々な課題を共有して共に闘うことの決意表明も出され、団結の深まりを確信できた研修会となった。
<>2007/02/13 206<>0<>07.【1月号】07年をがんばろう!<>07年をがんばろう!
新社会党広島県本部
副委員長 三木郁子
 新しい年を迎えましたが、今年こそ党を挙げての「07年勝利むへ向けてまさに命運をかけた年のスタートとなります。
 統一選のトップをきっての県議選、自治体選、参院選と続きますが、何としても07年決戦が勝利するよう一丸となって突き進まなければなりません。
 先の国会では、教育基本法の改悪と防衛省法案があっけなく通過してしまい、事態はますまいす憲法改悪へ向けてまた一歩譲ってしまった中、この流れに抗してゆく重要な手段の一つが、来る選挙戦に勝利することである事は言うまでもありません。
 広域合併・定数等々さまざまな悪条件も課題も多々ありますが、これらを乗り越えて07年を切り開こうではありませんか。
 お互いの生活の場や職場の状況が日々きつくなり厳しさを増していますが、しかし決してあきらめたりせず、歯を食いしばって声をかけあい繋がって行きましょう。
 護憲を旗印に集まったものの責務がそこにはあり、例え厳しい状況だからと言えども闘わずしてじっとしてはおれません。
 07決戦勝利に向けてお互いが確認しながら前進の年の幕開けに自らを奮い立たせ、がんばりましょう!
<>2007/01/09 205<>0<>07.【1月号】 2007年選挙日程<>2007年選挙日程
〔前半〕4月8日投開票
 県議選 福山選挙区 山下真澄(推薦・新人)
  安佐北選挙区東 保幸(推薦・現職)

〔後半〕4月22日問投開票
 市議選 呉市    得田正明(公認・現職)
     尾道市   三木郁子(公認・前職)
      同 城間和行(推薦・前職)

〔参議院選〕7月5日:公示、22日:投開票(予定)

 比例区は、中央本部の方で、確認団体をつくり「平和の共同候補」擁立にむけて懸命な努力を続けています。しかしなかなか話しがまとまらず、新社会党を中心に、他の政党は入らず、市民団体と共に確認団体をつくり選挙を闘うことも視野に入れ、現在最終的な努力を行っています。2月4日に開催される中央委員会において、どのような枠組みで闘うのかが決定されます。
 広島選挙区は、市民団体、社民、新社とで、昨年5月以来協議を続けてきました。「平和・くらしの候補擁立を!市民の会」を結成し、正式な集まりを3回もちました。現在、候補者を絞り込み、擁立にむけ懸命な努力を続けています。
<>2007/01/09 204<>0<>07.【1月号】「翼」<>「翼」
 2007年明けましておめでとうございます。今年こそ誰もが安心してくらせる社会であってほしいとつくづく思う。
 正月の楽しみの一つは年賀状に目を通すことだ。日頃、話しをする機会のない知人の近況を知ることができる。その中の一つを紹介する。「2年前にいわゆるリストラで30年間働いた会社を去った。次の仕事を探したがなかなかみつからない。やっと見つけた今の職場は、賃金面では半分で、しかも自分のやりたい仕事ではない。昨年末、郵政造反議員11人が自民党に復党した。『再チャレンジできる社会』を掲げる安倍内閣。この11人だけではなく、本当に誰もが再チャレンジできる社会にしてほしいものである」 全く同感である。
 今年は選挙の年、まず4月8日、22日には統一自治体選、7月には参院選が行われる。5年間の小泉構造「改革」によって、一部の富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなり、国民の間に「格差」が歴然としてきた。多くの国民が将来に明るい展望をもてない状況に追い込まれている。この格差の是正こそ、政治の緊急の課題である。私たちは、勇気を出して自分の周辺にいる人に声をかけ、何としてもこれらの選挙に勝利していこう。
<>2007/01/09 203<>203.jpg<>07.【1月号】1000ヶ所集会・がんばっています<>1000ヶ所集会・がんばっています。
  栗原君子

11月末から12月半ばにかけて福岡、長崎、佐賀、茨城、群馬、京都に伺いました。

参加者は議員後援会の方や『週刊・新社会』の愛読者、市民運動関係の方、新社会党の委員長なる者どんな人物かひと目観てみようじゃないかという人など様々です。受け入れ態勢によって差はありますが集会や挨拶周り、街宣活動など行います。栗原が来るので仕方ないということかもしれませんが「新社会党が呼びかけた集会で近年に無い多数の参加者であった」というのが地元主催者の言葉です。今回の行動で印象に残ったのは、京都においてダイダンという一部上場企業と言っていましたが、その下請けである京ガスの倒産により従業員60名が年末の寒空の下に解雇されてしました。そのため3労働組合員が共闘し「解雇撤回」「親会社のダイダン、大阪ガスは交渉に応じろ」などと、24時間体制で闘っているところに激励いきました。報道ではイザナギ景気を超えるなどと言っていますが何処の話かと怒りが湧き、妻子もあろうと思われる若い闘争団員を前にして、どのような言葉で激励すればよいものかと悩みました。労働組合があるから闘えるけれども未組織労働者の中には闘うことすら知らないで泣き寝入りさせられている労働者も多いのではないでしょうか。
<>2007/01/09 202<>0<>07.【1月号】教育基本法改悪と今後の闘い<>教育基本法改悪と今後の闘い
広島県教職員組合小早川 健

 昨年12月22日、2006教育基本法が公布・施行された。これを受けて、政府は、学校教育法など32本の関連法令の改正に着手することとなる。
 教育基本法は「教育の憲法」と呼ばれ、憲法の理想を実現するために作られた法律である。今回の「改正」が憲法改悪の一貫として行われたことは明らかだ。臨時国会の議論の中で伊吹文科大臣は「改正」法案は自民党新憲法草案の精神と一致すると述べ、自民党新憲法草案との整合性はすでにチェック済みであるとの発言を繰り返した。
 また、安倍首相は年頭の記者会見で、首相在任中に憲法改正をめざすと強調し、7月に行われる予定の参議院選挙の争点にする考えを表明している。
 私たちの教育基本法改悪反対の運動により、慎重審議を求める声は過半数を大きく上回り、教育基本法「改正」を求める世論は少数となっていった。2006教育基本法を具体化しようとすれば、憲法や子どもの権利条約など国際条約に抵触する矛盾が必ず出てくる。今後、教育再生会議答申、学校教育法等の改正案、学習指導要領の改訂などの2006教育基本法を具体化する動きに反対し、多くの仲間を結集して憲法を護る闘いをすすめながら、教育の国家統制に闘っていかなければならない。<>2007/01/09 201<>0<>07.【1月号】社会主義の歩みと将来への展望 31<>〈社会主義の歩みと将来への展望〉 
 個人の尊厳と自立的連帯を求めて
  広島大学名誉教授 北西 允
第31回 スペイン人民戦線政府の樹立と内戦、そして敗北

 第一次世界大戦後、スペインでは左右両派の対立が激しく、その上カタルニアやバスク地方では独立の動きもあって政局は混迷を続けた。一時は軍事独裁政権が誕生するが、1931年には左派が選挙で勝利し王制は共和制に取って替わられた(スペイン革命)。その後1933年の選挙で右派が一旦政権を奪還したものの、1936年の選挙で左派が再び勝利を収め、共和主義左派のM.アサーニャ(1880〜1940 )を首班とする人民戦線政府が樹立された。これに参画したのは、共和主義左派、社会党、共産党、マルクス主義統一労働者党等の諸勢力であった。
 選挙によつて成立した人民戦線政府に対し、モロッコ派遣軍のF.フランコ(1892〜1975 )が間もなく軍事反乱を起こし、政府軍はこれを迎え撃った。そのためスペイン全土が次第に血なまぐさい戦場と化していった。ヒトラーのナチス・ドイツ、ムッソリーニのファシスト・イタリアは、叛乱軍を全面的かつ積極的にバックアップした。また、A.サラザール(1889 〜1970 )の独裁政権下にあったポルトガルもフランコを支持した。(1937 年4月、独伊両空軍のバスク地方の都市・ゲル二カに対する無差別爆撃は、それに抗議して描いたピカソの代表作「ゲル二カ」で知られる。)
 一方、人民戦線内部では、トロツキストやアナキストと共産党の間で紛争が絶えなかった。社会主義革命戦争の遂行を主張する前者と反ファッショ民主主義擁護に徹すべきだとする後者の対立がそれである。ソ連は人民戦線政府を支援し、当初は人民戦線内部で劣勢だつた共産党が次第に力を増していった。コミンテルンの肝煎りで主に各国の共産党員から成る国際義勇軍(E.ヘミングウェイ、A.マルローらも参加)が編成されたが、ここでも内紛が絶えず、政府軍の拠点の一つであったバルセロナでは干戈を交えるまでに至った(G.オーウェルは、共産党批判の立場から『カタルニア賛歌』を書いた)。フランス人民戦線政府は、最初はスペイン政府軍を支援したが、ほどなくイギリス・アメリカとともに中立的立場をとるようになった。因みに、ローマ法王は早くからフランコに肩入れし、メキシコ政府は終始スペイン政府を支持した。
 ドイツ・イタリアによる大量の軍事支援を得た叛乱軍は、圧倒的な軍事力で政府軍の拠点を徐々に制圧し、1939年2月遂にマドリードを攻略して勝利を決定づけた。ファランヘ党党首にも就任していたフランコは、以後1975年の死に至るまでファッショ的独裁政権を維持し続けることになる。

<>2007/01/09 200<>0<>07.【1月号】時言「民主政治は誰のためのものか」<>時言「民主政治は誰のためのものか」
 年末、近所の人と一頻り政治談義。「首相から『戦後レジュームからの脱却』と言われるとわし等は戦後という間違った時代の間違った子と、決めつけられているように感じる。ほんまに一生懸命生きてきたのに…」「小泉・安倍さん等は誰のための政治をしようるんかのお」と疑問のことば▽悲惨な侵略戦争への反省、その反省の上に成立した憲法の下での戦後レジュームは、主権者たる国民一人ひとりが平和の内に、平等に自己を実現する場であり、それをめざしての悪戦苦闘によって経済復興・繁栄と一定程度の民主体制は確立されても来た。その意味からすると戦後レジュームとは、資本の収奪強化策動に抗しつつ労働や日々の生活で、人々が流した汗や涙の結晶体である。そんなレジュームを「悪しき・脱却すべきもの」と断じ、首相をさらに使嗾しているのは誰か▽戦後、資本の横暴を封じ込めるために作った規制を「戦後レジューム」と非難し、貶しめ、一挙にそれを緩和し、労働関係法令を改悪し、非正規雇用を激増させ、同一労働同一賃金の原則を空洞化させ、そこで空前の利益を手にしたのは誰れか。若者を悲惨なワーキングプアに陥し込んだのは誰か▽こんな暴政を「民意の反映むと強弁する政治家を選ぶまい。自分の首を締めることになる代表者を選んではならない。時代は今、マスコミの意識操作、「国民」幻想を撃ち、疎外からの自己回復・階級的自覚の確立をめざす私たちをこそ求めている。   
   (安保英賢)
<>2007/01/09 199<>0<>07.【1月号】がんばっています98<>がんばっています98
 県政発展に向けて汗をかくことが議会人の責務です。社会を構成し運営する一員として自立した人間として生きていくための総合的
な力、いわゆる「人間力を備えた次世代を育成することの重要性が今こそ問われている時代はありません。私は、広島県で生まれ育った子どもたちが、引き続いて広島県で学びたい、働きたいと思える魅力あふれる県づくりが最も大切だと考えています。そのためには、何よりも子どもを安心して生み育てることのできる社会の充実と制度の整備、そして次代を担う子どもたちの育成に向けた学びに対する支援の拡充をしていくことで、一人ひとりの子どもたちがイキイキと学び、そして働き、社会人として自立し、社会に働きかけ不合理・不正をただし、より良くしていこうという意識をもった「人間力」を身に付けていくものと考えます。住みやす県、住んで良かったと思える県を創ることが県政に課せられた最も重要な課題です。これは、県はもとより国においても同じことが言えます。安心して住める国、生まれて良かったと思える国を創っていくことが国政の重要な責務です。しかし、偽装・改ぎん・隠蔽・談合といった様々な不正が横行し、さらには「やらせ」という事態の中で、社会のあるべき姿を見通すことなく改正教育基本法が12月8日に成立しました。これで終わったわけではないと思います。今後、出される様々な関連法案を注視してしていかなければなりません。                                広島県議会議員 東保幸<>2007/01/09 198<>0<>07 .【1月号】−上映会開催の推薦−<>−上映会開催の推薦−
ドキュメンタリー映画
「シリーズ 憲法と共に歩む」第1篇
「戦争をしない国 日本」
11月30日広島市西区民文化センターで上映会と片桐監督の挨拶がありました。
この映画は憲法公布60周年にあたり、日本国憲法とその平和主義をめぐる規定がなぜ、どのように誕生したのか、それは日本社会と国際社会にどのような役割を果たしてきたのか、日本国民と各階層はそれをどのように受けとめてきたのか、などについて歴史的な映像によって検証するものです
この映画は次のような映像によって構成されています。
■「戦争」に備える自衛隊 − 自衛隊の存在 と役割、米軍再編を問う
■なぜ日本国憲法は「戦争放棄・戦力不保持」 を謳うことになったのか
■自衛隊の発足と海外派遣の背景にあるアメ リカの意向 − その歴史の事実を知る
■基地反対闘争・安保闘争・核兵器廃絶のた たかいを学び国民の力を再確認する
■自衛隊の海外派遣がすすめられ、いよいよ 「憲法改正」を唱える内閣が発足
■「九条の会」など憲法改悪反対運動の高揚

★2月11日(日)15:00-
三次市社会福祉保健センター(図書館) 4F
主催 九条の会・県北.高退協九条の会

<>2007/01/09 197<>0<>07 .【1月号】新社会党三次総支部 再発足<>新社会党三次総支部 再発足
ここ数年、活動が止まっていた新社会党三次総支部が昨年暮れ再発足して出発しました。県本部より96年当初の党員・党友名簿に載っている一人ひとりに意思確認を行った結果、9人から党員・党友の再登録がありました。一桁という数少ない人数ではありますが、三次地域の市民運動、労働運動などとも連携しながら、活動の輪を広げていきたいと思っています。
 まず新社会党員・党友としての認識をたかめ、広島県本部との連携をはかるため、昨年11月より「新社会みよし」という1枚ものの広報誌を出しはじめました。それに併せて、新社会党から出される冊子、グッズなどの資料も配付しはじめた所です。口座もやっとこの1月開設しました。
 県内の新社会党の皆さまと共に、再び頑張りたいと思います。
新社会党三次総支部委員長 小武正教
書記長 井清信恵
会計 亀本和江<>2007/01/09 196<>0<>06.【12月号】全県集中方式で、自治体選挙を勝利しよう!<>全県集中方式で、自治体選挙を勝利しよう!
           新社会党広島県本部
           副委員長 高橋晋作
新社会党広島県本部を結成した頃のことをいま思い出しています。県内の各自治体に一人でも多くの議員を誕生させ、それわバネに力にして国政選挙の勝利に結びつけようとの思いでした。例えば○○市で市議会議員の選挙をすれば県内各地の総支部、支援組織のみんなが必死で親類、縁者、知人、友人をさがし、たずね紹介するという取り組みです。
 今でもこの取り組みはやっていますが、当時に比べかなり弱い取り組みになっていませんか。党結成当時の原点にたち、全県集中方式をやりきりましょう。勿論、私たちを取りまく状況は市町村合併をはじめいろんな意味で大きく変化はしていますが、理屈は同じです。07念の自治体議員選挙は、県議会議員選挙は、福山選挙区「山下真澄さん」.安佐北選挙区「東保幸さん」.尾道市議会議員選挙は「三木いく子さん」.「しろま和行さん」、呉市議会議員選挙は「とくだ正明さん」を公認、推薦と決定しています。それぞれの選挙大変厳しい状況ですが、懸命な取り組みが続いています。全県集中方式による県内各地からの応援を心から要請するものです。この自治体議員選挙の勝利は参院選での栗原君子委員長の勝利に直結するといっても過言ではないと思います。重ねて全党員、党友、支持者のみなさんよろしくお願い致します。<>2006/12/11 195<>195.jpg<>06.【12月号】必勝 尾道市議会議員挙 三木いく子 <>三木いく子 1期目(新社会党公認)
(プロフィール)
・1952年 尾道市生まれ
・尾道市立栗原中学校から広島県立尾道東高
 等学校へ
・広島県立専修校に学び税理士事務所へ勤務
・向島町手をつなぐ親の会の結成に参画
・1995年4月 向島町議会議員初当選(3期連 続当選)
・2000年5月 広島県議会議員御調郡区補欠 選挙惜敗
・2005年4月合併に伴う尾道市議会議員選挙
 増員向島選挙区落選
法務省人権擁護委員.心身障がい者共同作業所所長・社会福祉
法人理事・向島町手をつなぐ親の会会長
(現在)
・新社会党中央本部執行委員
・新社会党県本部副委員長
・社会福祉法人施設運営委員
・ヒロシマ人権財団理事

(抱負)
 憲法改悪に向けて一気に突き進もうとしている今日、「教育基本法改正案」も衆議院を野党欠席のまま通過し、参議院での審議に写されています。「防衛省法案」「国民投票法案」「共謀罪法案」と悪法の提出前夜において、地方での議席確保は、極めて重要と認識しています。これらの事を念頭に来春の自治体選挙を全力で闘う決意です。

具体的政策は、
・平和と人権の確立
 平和憲法を守り、いのち・くらし・人権が 大切にされるまち
づくりに取り組みます。
・豊かな教育
 子どもたちと教職員を追い詰める競争主義 の教育に反対し、
一人ひとりが大切にされ る個性豊かな保育・教育の充実、進
路保障の確立に取り組みます。
・福祉の充実
 障がい者・高齢者など社会的弱者の生活と
 諸権利を守り、市民が安心して暮らせる社 会制度の充実に取
り組みます。
・少子化対策
 子育て支援策の諸制度の充実に取り組みます。
・雇用の創出.合併後の整備などを政策の柱
 として訴えます。<>2006/12/11 194<>194.jpg<>06.【12月号】必勝 尾道市議会議員選挙 しろま和行<>しろま和行 1期目(新社会党推薦)
(プロフィール)
・1960年 尾道市生まれ 46歳
    筒湯小学校・久保中学校・尾道東高等学校卒業
ジャズバー経営の傍らバンド活動を行うとともに
文化イベント・コンサートなどの企画を手がける
沖縄を中心テーマに平和・人権問題に関しての講演
・著述活動を行う
・1999〜2003 尾道市議会議員1期
現在 広島平和教育研究所研究員

(抱負)
 教育基本法改悪が現実味を帯び(11月28日現在)改憲策動がますます強まる今日、学校や生活の現場に国家主義・新自由主義の暗い影響がはっきりと影を落とし始めています。組合つぶしのための広域人事やエセ教育改革により教職員は疲弊し、子どもたちとの教育的で本来的な関わりが奪われ、厳しい家庭実態を抱える子どもたちの苦しさは増大するばかりです。高齢者や障がい者への国家による冷酷な「自立」の強制は社会そのものの破壊であり、放棄であると言わなければなりません。自治体と議員の責任は重く、限られた財源をどこに使うのかが厳しく問われる時代になります。われわれが軸足を置くべきは、言うまでもなく国家によって切り捨てられようとされている人たちの現場です。私は以下のスローガンで2007年尾道市議選を闘い抜く決意です。
 じじ ばば 子どもは みんなの宝
 うちら わしらで つくろう 新尾道
なんとしても三木いく子さんと二人、議席を獲得し、参院選勝利に結びつける決意です<>2006/12/11 193<>193.jpg<>06.【12月号】第6回新社会党女性委員会学習交流会に参加<>第6回新社会党女性委員会学習交流会に参加して

 今年で第6回目となる新社会党女性委員会学習交流会が、11月4日、5日の2日間、
熊本県荒尾市で行われました。広島からは、土屋みどり1名が参加しました。初めての参加でしたが、千葉、東京をはじめ全国から女性党員26名が集い、地元総支部の男性党員などの参加もあり、とても有意義な学習交流会でした。
 1日目は、熊本県本部委員長の岩中伸司さん、中央本部女性委員長、本池奈美枝さんのあいさつにはじまり、山口大学大学院生の鈴田渉さんから「現在の憲法情勢と展望」のテーマで講演がありました。改憲にむけた具体的な動きについて講義された後、「憲法を守らなければならない」というだけでなく、具体的な運動としてどのようにつくっていくのか考えなければならないと問題提起されました。鈴田さん自らもホームレスの人たちの支援について憲法25条の生存権と結びつけて活動されているということでしたが、このように具体的に人びとの生活の悩み苦しみをとりあげ、解決する活動と結びつけて憲法を守る闘いをしていかなければならないと強調されました。次に、熊本総支部委員長で、元新日窒労組の石田博文から「水俣病50年のたたかい」の講演がありました。
 2日目は、各地から活動報告があり、最後に来年の統一自治体選、参院選勝利を誓い合いました。交流会後、三井三池万田坑を見学し、解散しました。
          (土屋みどり)<>2006/12/11 192<>0<>06.【12月号】翼<>翼
 気がついてみるとすでに師走、2006年も終わる。明るいことより暗いことが多かったような気がする。みなさんにとって今年はどのような年だったろうか。
 1月:記録的な豪雪.ホリエモン逮捕。2月:偽メール問題.冬季オリンピック。3月:岩国市の住民投票。4月:教育基本法改悪案国会提出。5月:在日米軍再編の最終報告合意。6月:サッカーワールドカップ。8月:小泉首相靖国参拝。9月:日の丸・君が代訴訟違憲判決.安倍内閣の誕生。10月:医療制度改悪.障害者自立「支援」法全面施行。11月:沖縄県知事選などなど、思い起こせばさまざまなことがあった。
 自治体選挙は、2.3月尾道市議.福山市議増員選は候補者擁立を見送り、4月:府中市議選で当選、11月:竹原市議選で惜敗など、市町村合併の影響もあったが非常に厳しい結果となった。
 富める者と貧しい者の格差は確実に拡大し、さらに固定化する方向で各種の施策が行われている。来年は、4月には統一自治体選、そして7月には参院選が実施される。だれもが平和で安心してくらせる社会にしていくため、ひとりひとりの力を結集し、勝利をめざして全力で頑張っていこう。

<>2006/12/11 191<>0<>06.【12月号】惜敗−竹原市議会議員選挙<>惜敗−竹原市議会議員選挙
ご支援へお礼
  中島敏彦新 社会党推薦674票18位
任期満了に伴う竹原市議会議員選挙は、11月5日告示、11月12日投票で行われました。今回の選挙は定員がこれまでの18人から16人となり、立候補は20 人と、激しい選挙戦が繰り広げられました。広島県内はご存じのように全国有数の市町村合併が進んでいますが、竹原市はどことも合併せず、今後は財政問題が大きな課題となります。また、財源獲得のため、企業誘致や観光開発も大きな行政課題となります。人口も毎年200人前後減少しており問題となってきます。あげればきりがない程の大きな荷物を背負っての門出となります。
 12日午後9時から開票され、夜半頃迄に16人の議員が選出されました。
新社会党の皆さまのご支援に心から感謝申し上げます。<>2006/12/11 190<>0<>06.【12月号】 社会主義の歩みと将来への展望(30)<>第30回 フランスの反ファッショ人民戦線
 広島大学名誉教授 北西允
 1933年にナチスが政権を握った後、それまで対立抗争を重ねてきた社会民主主義と共産主義の両勢力は、ようやくファシズムの危険性を明確に認識するようになった。ドイツやイタリアでは、ファッショ政権の苛烈な弾圧によって公然と抵抗運動を企てる余地はなかったが、隣国フランスでは、ナチスの政権獲得以前から両勢力の歩み寄りが始まっていた。 1932年、フランスの著名な作家らのイニシアティブによってアムステルダムで国際反戦大会が催され、38ヵ国から2194人が参加し、翌33年にもパリで第2回大会が開かれた。フランスの社共両党はこの動きを積極的に支持した。さらに1934年2月、右翼がフランス議会を攻撃した事件を契機に、社会党系の労働総同盟が提唱したゼネストに共産党系の統一労働総同盟も参加し社共両党間の提携が実現した。また政府レベルでも翌年5月、ソ仏間に相互援助条約が締結された。
 こうした状況を受けてコミンテルンは、1935年7月、従来の方針を一転させ「反ファッショ人民戦線」戦術を打ち出した。それは単に社共間の統一戦線というにとどまらず、ファシズムに反対し平和と民主主義を擁護するすべての勢力を結集しようというものであった。フランスでは社共両党に急進社会党(名称からくるイメージとは異なり、穏健な改良主義政党)が加わり、1936年4月の議会選挙で人民戦線派が圧勝した。その結果、社会党のL.ブルム(1872 〜1950)を首班とする人民戦線内閣が成立し、共産党も閣外協力の形でこれに参画した。人民戦線政府は、長期有給休暇(いわゆるバカンス)の保障、労働組合の地位向上、週40時間労働制、教育の民主的改革など価値ある施策を遂行した。
 しかし人民戦線政府は、先に成立していたスペイン人民戦線政府に対してF.フランコ(1892〜1975 )が企てた軍部の反乱に毅然とした態度をとらず、また急進社会党と共産党が抜き差しならぬ対立に陥るにつれ、1938年には事実上解体の方向を辿った。さらに同年9月、チェコスロバキアのズテーテン地方の割譲というヒトラーの理不尽な要求に対し、フランスは、イギリスとともに当事国チェコ抜きの独伊とのミュンヘン会談で「宥和政策」を採ってそれを受け入れたため、ソ仏の協力関係にも終止符が打たれたのであった。<>2006/12/11 189<>0<>06.【12月号】時言「自立した労働者の一歩こそ」<>時言
「自立した労働者の一歩こそ」
 総務省の発表によれば、規制緩和による派遣やパート等の非正規雇用は労働者の1/3に達している。年収も低く、雇用は不安定。結婚や子どもをもつ事もままならず、年金・医療税も支払いにくい。まさに社会の根幹が揺らいでいる。これは人々の労働や人生を豊かにする政治本来の責務を放棄した資本への隷属政治の所産である。▽日々の犯罪の多発・高齢者の年金・医療・いじめ・自己中心主義の蔓延等々人々が陥っている混迷・不安・絶望・怒り・貧困・苦悩等々は枚挙に暇がない。それなのに何故、小泉・安倍政権の支持率は高いのか。▽この時思い出す小泉発言「財政支出の削減は福祉も含め徹底して削り、国民がもうたまらんから増税でもしてくれと言うまで徹底しなければならない」。この文脈で考えれば、今の貧困・苦悩は入り口であり、権力側はさらなる攻勢を加え拡大する格差の中で人々を追い詰めようとしていることが読み取れる▽今の生活苦の中、国民は教基法改悪に反撃する余裕をもたなかった。次は改憲がねらわれている。かって大不況時に囁かれた「これじゃあもうやっていけん。戦争でも起こさにゃあやれんで・・・」が甦る。▽冷戦解体後政治を独占した資本の側は、小泉・安倍等々の僕を使嗾して空前の利潤を手にし、さらに法人税率の引き下げ、規制緩和をさらに進める「労働ビックバン」を策動している。▽国民は賢くならなければいけないとテレビが宣うが、大切なのは自立した労働者の一歩である。
                       (安保英賢)<>2006/12/11 188<>0<>06.【12月号】がんばってます97 石原顕<>がんばってます97
新社会党広島県自治体議員活動
廿日市市議会議員 石原顕
 時の経つのは本当に早いもので、みなさんの暖かいご支援で初めて議会に送っていただいてから、10年になろうとしています。この間、「初心を忘れず」「常に市民の目線で」を胸に刻み取り組んできました。今後もよろしくお願いいたします。
さて、昨年6月、在日米軍再編で岩国基地増強が明らかになりました。計画通りすすめば、厚木基地から空母艦載機が移転し、極東で最大級の基地になります。地元の岩国市では、3月、4月の住民投票、市長選挙で明確に機能増強に反対の意思を示しています。私の住んでいる廿日市市も岩国から近く、自己の危険性、騒音の拡大は必至です。
 「移転反対」の署名が、旧廿日市市域でも自治会を通じて集められました。市長も県内西部の市長・議長・関係者で連絡会議を組織し、移転反対運動の先頭に立っていますし、議会でも「計画の白紙撤回を求める意見書」を全会一致で決議しました。住民の間にも移転反対の住民団体も組織され、また地区労を中心に働く者の会も別につくられ、互いに連携しながら、粘り強く反対運動を続けています。
 このような住民の意向を全く無視し、今年5月、日米両政府が在日米軍再編について最終合意し、そして閣議決定がされました。計画によれば2014年までに移転を完了することになっています。これからさまざまなことが予想されますが、多くの住民と繋がりながら、計画の白紙撤回にむけ、粘り強く反対の運動を続けていく決意です。<>2006/12/11 187<>187.jpg<>06.【12月号】「反戦・反核・平和 11.19ヒロシマ集会<>「反戦・反核・平和 11.19ヒロシマ集会」
 11月19日午後、広島県平和運動センターの呼び掛けにより、広島県庁前広場において標記の集会が行われた。あいにくの冷たい雨が降りしきる天候ではあったが、1800人が参加した。
 主催者あいさつの後、来賓としてあいさつに立った栗原委員長はも「11月15.16日、衆議院特別委員会・本会議で、教育基本法改悪が野党が欠席のまま与党だけで強行採決されたことは絶対に許せない。これから参院審議の山場にむけて、このヒロシマの地からも大きな反対のうねりをおこしていこう」と力強く述べた。
 続いて、教育基本法改悪反対・岩国基地機能強化反対・核兵器廃絶への取り組みの報告がそれぞれ行われ、最後に「集会決議」と「教育基本法の改悪に反対する特別決議」が採択された。集会の後参加者全員で、県庁前から稲荷橋まで約1時間雨の中を元気よくデモ行進し、特に「教育基本法改悪反対!」を沿道の人々に訴えた。<>2006/12/11 186<>186.jpg<>2006【11月号】広島県会議員選挙 山下真澄<>広島県会議員選挙
福山選挙区
山下真澄(1期目)新社会党推薦
(プロフィール)
 ・1949年 福井県に生まれる。
・1975年 広島大学教育学部を卒業、福山市役所に就職。
・1985年 部落解放同盟広島県連合会執行委員に就任。その後      16年間書記次長。2006年から副委員長に就任。
・1996年 新社会党福山総支部執行委員に就任。(3年間)
・2006年10月31日付で福山市役所を退職
(抱負)
教育基本法と憲法を改悪しようとする反動派の動きが加速しており、平和と人権が危機にさらされようとしています。また、勝ち組・負け組、ワーキングプアという言葉がまかり通るほど階層間の格差が拡大し、社会的弱者やマイノリティの暮らしが脅かされています。
このような状況にあつて、県議会では、平和教育・同和教育を破壊して子どもの学ぶ権利と教職員の主体性を奪い、ヒロシマの心を踏みにじる勢力がのさばり続けています。その一方で、知事選挙の際の裏金問題については、「十数人が受け取った」と報道された県議の名前さえ明らかにせず、自浄能力のない、県民無視の運営がされています。
私は、
○憲法第九条を守り、世界の人々に平和を発信する広島、
○力による管理ではなく、子どもの意欲と感性を育む広島、
○あらゆる人権侵害を許さず、いのちと暮らしを守る広島、
○さまざまな産業が発展し、みんなが活き活きと働く広島、
○人間の生活と自然環境の調和を保ち、災害に強い広島、
を県民の英知を寄せ合って創ることをスローガンにして、来春の県議選に挑戦します。
皆さんの絶大なお力添えをお願いいたします。
<>2006/11/20 185<>185.jpg<>2006【11月号】広島県議会議員選挙 東保幸<>広島県議会議員選挙

東保幸(2期目)新社会党推薦
(プロフィール)
・1954年生まれ52歳
・1957年金沢大学(経済学科)卒業
・1991年広島県教職員組合勤務・学生協.広    教組情宣部.教文部を担当し、教育ウ    運動・平和運動・労働運動に取り組 む。
・2003年広島県議会議員選挙安佐北区選挙区    において初当選。
(抱負)
 03年4月、初当選に当たり、私は「有権者の信任にこたえて、憲法、教育基本法に従い、誠実に全体の奉仕者として議員の仕事を全うすること」を有権者の前で誓いました。微力ながらも力いっぱい取り払んできました。しかし、今、県政は「広島県の悪しき習慣」が白日のもとに晒され、私利私欲の政治が大きな不信を招いています。
07年4月の統一自治体選挙に望むに当たり、県政の正常化はもとより、ワーキングプアと呼ばれる階層を産みだした「格差の拡大」、自己決定・自己責任の名のもと瀬祉とはなじまない過度の競争社会ではなく、共育共生社会の実現、そして誰もが安心して暮らせる社会の実現に向けて頑張ります<>2006/11/20 183<>183.jpg<>2006【11月号】1000ヵ所集会・全国行脚<>1000ヵ所集会・全国行脚
新社会党中央本部委員長
栗原君子
 3月の全国大会で決定されたように来夏の参院選にむけての1000ヵ所集会に挑戦しています。この間、熊本、四国ブロック、東北ブロック、北海道ブロック、関東の一部など、何と日本は広いものと思いながら回っています。10月20日〜24日は奈良から始まって和歌山、兵庫、大阪の近畿ブロックを回ってきました。行動は繁華街での街宣、支援労組や民主団体への挨拶回り、夜の演説会などの日程を消化します。どこに行っても「市民生活が悪化、住民税増税はなんとかならないのか」「これ以上、福祉を切り捨てないでくれ」「憲法と教育基本法の改悪を阻止すべきだ」などの発言が続出しました。自治体や教育関係者の声、障害者や高齢者施設の現状、非正規労働者の実態など、出向いていかなければ分らなかったと思われる現場の生の声もしっかり聞かせて貰っています。西宮集会で「僕に彼女ができました。しかし彼女のお母さんからアルバイトはあかんと反対されています・・・」と発言した非正規職の青年労働者の発言にはショックを受けました。正職員と同じ作業服で同じ仕事をしながら、好んで非正規労働者をやってはいません。にもかかわらず、悩まなければならない青年労働者に責任はなく、責任は他にあるはずと思いました。
<>2006/11/20 182<>0<>2006【11月号】翼<>翼
 秋も深まり、朝夕は冷え込む頃となった。ふと気がつくと、今年もすでに11月、師走はもう目の前。だんだんと時の経つのが、早く
感じられるようになってきた。1日1日を大切にしたいものである。
 メディアで、いじめによる自殺と、高校の必修科目の履修漏れ問題が大きく報道されている。北海道の滝川市、福岡県、岐阜県と相次いでいじめによる自殺が続いている。子どもたちの大きな可能性を秘めた将来を思うと、本当に痛ましい。教育委員会、学校、地域、保護者それぞれ何が足らなかったのか、何が必要だつたのか、真剣に考えなければいけない。
 また、履修漏れ問題については、起こるべくして起こったとどの教育関係者も言う。都道府県教委から、「大学進学率の向上」で競争を強いられる高校側の苦肉の策だ。いじめ・履修漏れ問題は、「学力の向上」で子どもたちや学校に競争を強いる現在のしくみの中で現出したもので、根っこは同じである。
 現在開かれている臨時国会では、教育基本法「改正」が山場にさしかかっている。このような問題を、基本法「改正」に利用させてはならない。基本法「改正」ではなく、子どもたちを救うために、今しなければいけないことはたくさんある
<>2006/11/20 181<>181.jpg<>2006【11月号】11.3ピースフェスタinヒロシマの成功<>11.3ピースフェスタinヒロシマの成功を祝おう
 11月3日広島県立総合体育館(グリーンアリーナー)は7000名を超える参加者の熱気に包まれた。それぞれが、憲法9条を守らなければならない、教育基本法を改悪させてはならないという危機感に支えられて参加してきた人たちである。
 出演者の顔ぶれは紹介するだけで字数が無くなってしまうほど多彩であった。歌や社会風刺、そして小田実さんや池田香代子さんの講演、ゴダイゴのタケカワユキヒデさんのイマジンなど、心打つ内容が多かった。
 問題は広島の地から、力強く反戦・平和・憲法擁護の声を発信し続けることであろう。護憲の力は決して弱まってはいない。小選挙区制度のもとで、国会から護憲勢力が駆逐されたがために改憲の現実性が高まっただけである。だが、この改憲攻撃のなかで、多くの人民大衆が政治の世界に否応なく引き込まれてきている。これは決して悪いことではない。新社会党が自らの政治主張を大胆に訴える基盤ができてきているからである。われわれは人民大衆を信じ、自らの政治主張をいまこそ強力に訴えていくべき時であろう。
                       (土屋信三)<>2006/11/20 179<>0<>2006【11月号】社会主義の歩みと将来への展望第29回<>社会主義の歩みと将来への展望
第29回 ナチスの制覇によるドイツ社会主義運動の崩壊
広島大学名誉教授  北西允
 第一次大戦後、敗戦国ドイツに成立したワイマール共和国は、男女普選とともに生存権や団結権などの社会権をも保障する当時としては世界で最も民主的な憲法をもっていた。ところが、社会民主党主導の政権は、過酷なベルサイユ条約による莫大な賠償金の支払いに苦しみ、労働者を始め、市民生活はうなぎのぼりのインフレによつて極度に圧迫された。
 社共の確執は募る一方で、その間隙をつくかのようにヒトラー一味が台頭してくる。1932年のミュンヘン一揆に失敗したヒトラーは体勢を建て直し、左右激突の狭間に埋没する中間層を取り込んで徐々に勢力を伸張していった。当時のドイツは、西ヨーロッパでは後進資本主義国の部類に属していたとはいえ、市民社会がある程度生育していたため、ヒトラーが権力を獲得して野望を実現するには大衆運動を組織して社会の民主的基盤を掘り崩す必要があった。「天皇制ファシズム」が上からのファシズムと言われるのに対して下からのファシズムと言われるゆえんである。
 それはともかく、1924年以降アメリカ資本のバックアップ(ドーズ案等)を得てドイツ経済は復興に向かい、1925年のロカルノ条約、翌26年の国際連盟加盟を経てドイツは国際社会に復帰した。ただ、社民党主導の政権は次第に右傾化を深め、社民党大統領F.エーベルト(1871〜1925)の急死後、「第一次大戦の英雄?」ヒンデンブルク(1847 〜1934 )が1925年に主に軍部と保守勢力に推されて大統領に選出された。
 1929年、ウォール街の株式暴落に端を発した大恐慌はドイツを直撃した。資本家とユンガー(大地主)、さらには軍部が急速にナチス支持に傾き、多くの国民もベルサイユ体制の打破を唱えるヒトラーを支持するようになった。そのため、ナチス党は1930年以降一挙に得票と議席を伸ばし1932年には第一党の地位に進出した。さらに翌33年2月「国会議事堂放火事件」を仕組んで政敵・共産党を非合法化に陥れ、同年3月ヒンデンブルクの任命を受けて首相に就任するや、ヒトラーは議会に「授権法」を制定させてあらゆる権限を一身に集中し、全政党を解散させた。長年の伝統と強大な組織力を誇った社会民主党も解体され、ワイマール共和制はわずか十数年で終わりを告げたのである。
<>2006/11/20 178<>0<>2006【11月号】時言<>「資本の側の脚本を喜々として演じる小泉安倍政権」
 現憲法のもと、政治権力は自らの成立根拠を、国民一人ひとりの自然権(生命・自由・財産を守る権利)を等しく守る約束の下での、主権の信託に置いている。それ故自然権を抑圧・侵害する政権からは、それを取り戻す革命権を行使し得るのはロックやルソーの学ぶ通りである▽「平等」を実現するという政治本来の目的を放棄し、平等を社会主義的とか悪平等等とか揶揄し乏しめ、不平等・格差を是認・前提するのは、民主主義の否定に迎合する政治の自殺である。就中、昨今の歳出削減にあっては、弱者切り捨てが前提され、それに融和主義そのものの「再チャレンジ」が過乗される安倍政治は、資本の側を潤す善○政治そのものであり、そんな政治はいらない▽平等の実現のために戦後、「規則」の中にどうにか嵌め込んで来た「猛獣たる資本」を構造改革とか景気回復等々の口実で、解き放つてしまった。財界からの圧力と一体化して「力ある者にひき上げてもらう」等の妄言を吐いての弱肉強食である。結果は脚本通りで、大企業は空前の巨利を手に入れ、逆に非正規労働者360万、高齢者・貧困層は追いつめられている▽それ程過酷な状況を作った張本人の言う「美しい国・愛国心」は誰れのためのものか。まさに搾取・収奪かくし、階級意識の消去、共同幻想強化策動である▽資本の側の思想や論理を一般常識とする社会意識や共同幻想を打破するのは、社会的立場の自覚的認識に立つ労働者の闘う力である。(安保英賢)<>2006/11/20 177<>0<>2006【11月号】がんばってます96 植田稔<>新社会党広島県自治体議員活動
がんばってます96
尾道市議会議員 植田稔

日頃の皆さまのご厚情に感謝申し上げます

 さて少子社会にあっていま、尾道市では通学区域再編を理由にして、学校の統廃合が進んでいます。
 旧尾道市では近年2つの小学校が統合によって廃校になってしまいました。児童の減少で複式学級にせざるを得ないことを楯に、児童にとって好ましいことではなく、これの解消のためには統合より方法がないというのがその理由です。
 これまで私たちは、子どもたちに行き届いた教育のため少人数学級の実現を求めてきましたが、教育委員会はそうしたところに意を用いての姿勢は見ることができません。
 それを如実に現したのが、先の議会における尾道市立久山田小学校を栗原小学校に統合する条例の提案でした。
 当事者である保護者の99%は「十分に協議がされていない」等の理由で統合に反対されています。
 私は最も大切な「保護者との協議」が尽くされないままでの、いわば見切り発車という強引な手法は認めることができず、それでなくても県内トップを走る市教委の横暴を看過すれば堰を切った形で統廃合が加速すると考え、これに反対しました。
 しかし、残念ながらこれを止めることはできませんでしたが、今後もこの考えは持ちつづけ、微力ですが頑張りたいと思います。<>2006/11/20 176<>0<>2006【11月号】呉地区共同会議第2回学習会<>憲法とくらしを考えよう
 呉地区共同会議第2回学習会
呉地区共同会議が主催する連続講座に、栗原君子新社会党中央委員長を招いて、「憲法・くらし・平和」について学習を深めた。
 栗原委員長は、来夏の参院選勝利をめざして、全国1000ヶ所を目標に、各会場で支援者との交流や護憲・平和の闘いの態勢づくりをめざして奮闘中。
講演の中で社会格差の拡大の要因や規制緩和がもたらした悲惨な事故、事件、さらには有事関連の共謀罪、国民保護法、米軍再編等々の危険性と権力の横暴性などを指弾し、平和憲法、教育基本法の改悪阻止を訴えた。
 会場からの意見として、「今の情勢の問題点が国民に認識されていないのではないか」、「マスコミ等の報道の仕方にも問題がある」、「私たちが政治や経済、教育等の矛盾の本質を認識し、世論にもっと訴えるべきだ」等々、白熱した議論が展開された。
 第2講座は、得田呉安芸総支部委員長が行い、先の呉市行政においての職員不正採用問題の概要と、それを受けて呉市議会における「呉市議会議員倫理条例」の内容を具体的に説明した。不正な口きき、人事への介入、採用にかかわっての紹介等々、厳しい規制のもと、不正の審査要求、議員辞職勧告等もできる内容となっており、県内市議会では初の条例制定となると報告した。
 西岡呉共同会議議長は、「人権・平和・教育等、全て危機的状況にある。これは政治の矛盾、経済の腐敗がもたらしたものだ。究極は人間性の破壊をもたらす。今こそ結束して、来春の得田市議選、夏の栗原参院選を我々の力で勝利しようと力強くまとめた。<>2006/11/20 175<>0<>【10月号】コンパス21 学習会<>コンパス21 学習会
 東京地裁が「日の丸・君が代強制」裁判で画期的な判決を出した翌9月22日、第13回目のコンパス21学習会が、23名の参加で、東区民文化センターで開かれた。
 今回の学習会は、安倍町反動政権による臨時国会での「教育基本法改悪」を見越して「憲法とくらし、教育を考える学習会」の一貫として取り組まれた。メインタイトルを「教育基本法改悪阻止に向けてーいま私たちがなすべきこと」と題して講師に広高教組秋光民恵委員長を迎えて行われた。また、来年の参院選に比例区で立候補する栗原君子新社会党委員長からもあいさつを受けた。
 秋光委員長は、教育基本法改悪の歴史をたどりながら、「経済・社会の破綻や教育荒廃の責任を教師や教育基本法にかぶせ」、「政治主導で改憲の手始めに教育基本法を変えよう」という流れが形成されてきたことを明らかにされ、そのねらいが新国家主義教育の確立にあることを暴露された。秋光委員長は「それでもあきらめず、多数派を形成して廃案に追い込む」と決意を述べられて講演を締めくくられた。
 新しい参加者も含めて、第13回学習会は大きな成果を収めた。これをどう発展させ、改憲と教育基本法改悪を阻止していくのか。07年選挙に打ち勝っていくのかが提起された学習会であった<>2006/10/19 174<>0<>【10月号】連帯ロード2006<>連帯ロード2006
 国労闘争団の中野勇人さんたちが、去年に引き続いて、国労闘争勝利に向け、連帯ロード2006を企画し、取り組んだ。8月29日には、山口から広島入りし、翌30日には広島から福山までの135キロを駆け抜けた。郵政ユニオンのピースサイクルの仲間や、スクラムユニオンの山口さんも加わって、伴走車も含めるとかなりにぎやかな連帯ロードであった。
 この連帯ロード2006が、各地の闘いを結びつける赤い糸となり、労働者の階級的な団結を強めるものとなれば、大きな成功であろう。中野さんたちの闘争を支え、自分たちの闘争を発展させることが何よりも必要である。
 私たちは「鉄建公団訴訟に連帯する会広島」と連携し、8月29日の受け入れ集会には40名が参加し、30日の福山での到着集会でも40名が結集して国労闘争団を励まし、連帯して闘った。30日当日は郵政ユニオンの仲間も実走し、135qという長丁場を最後まで走りきった。言葉だけの連帯ではなく、汗を流し、共に闘うことを行動で示したことの意義は大きい。沿道の人々にも強い印象を与え、国鉄闘争がいまなお重要な闘いとして継続していることをアピールできたことは大きな成果であった。

<>2006/10/19 173<>173.jpg<>【10月号】第30回『9・2不戦の集い』開催<>第30回『9・2不戦の集い』開催
 9月2日広島市内において『9・2不戦の集い』が開催されました。この集会は日本ジャーナリスト会議広島支部が、幅広く市民に呼びかけて開催しました。はじめに主催者を代表して中国新聞退職者の大田さんが「戦後、自分たちは日本を戦争のできる国にさせないために努めてきた。憲法を改悪させないために頑張ろう」と挨拶しました。続いて早稲田大学の水島朝穂教授が『「改憲」を先取りする「在日米軍再編」』と題して記念講演をおこないました。水島教授は「米軍再編は九条改憲の先取りである。陸上自衛隊のイラク撤退の一方で、航空自衛隊はその活動範囲を拡大し、米軍へ補給部隊として活動を強化する」
「核に良い核が無いように、戦争にも良い戦争はない。日本国憲法は一切の軍事行動を否定している」「憲法は押しつけではない、原案は当時の自由民権運動家が作ったもので、権力者は自分たちを縛るものから優しいものにしたいと考えての改憲でもある。平和とは、戦争をしないだけではない。その国が国内で
民主政治をやることだ」などと述べました。最後に閉会の挨拶を弁護士・九条の会の石口俊一さんが「みんなで憲法を活かし、力を合わせて11.3憲法九条1万人広島集会を成功させましょう」と訴えて集いを終えました。<>2006/10/19 172<>172.jpg<>【10月号】中東・世界に平和を!イラク占領・レバノン侵略反対<>『中東・世界に平和を!イラク占領・レバノン侵略反対! 海外派兵のための恒久法はいらない!
9.11座り込み』
 米国同時多発テロからちょうど5年が経過した9月11日の夕刻、県平和運動センターと県原水禁の呼びかけにより、組合員、被爆者、市民など約200人が原爆ドーム前で座り込みを行った。夕刻ということもあり仕事帰りの人など、通常の座り込みに比べ2倍以上の人が参加した。
 集会では、平和運動センターの向井さん、原水禁の片山さん、市民団体の横原さんらがマイクをもち、それぞれの立場から「憎しみ、暴力、報復の連鎖では何も解決しないこと」を訴えた。
参加者は、「テロとの闘い」の名のもと、米軍の侵略戦争によってイラクで数万人の市民が犠牲になっていること、憲法に抵触する自衛隊派兵などで米軍を積極的に支援してきた日本の外交を厳しく批判。また「被爆地ヒロシマの心を世界に伝えよう、暴力に暴力で応じるのではいつまでも戦争は終わらない、在日米軍再編・岩国基地機能強化に反対していく、平和憲法の遵守を求めるなどのアピールを採択した」



<>2006/10/19 171<>0<>【10月号】翼<>翼
 秋も深まり、朝夕は寒く感じる頃となった。台風13号で被災されたみなさんには、こころよりお見舞いを申し上げる。
 9月末、安倍政権が誕生した。周りを自分の都合のよい取りまきだけで固めている。52歳で、戦後生まれの初の首相と、若さ・清新さを強調する。しかし、清新さは全く感じられないし、彼の思想や言動、わずか13年の議員経験などを思うと、大きな不安を覚えるだけである。
 戦後生まれの首相でありながら、「戦後体制からの脱却」を主張している。要は、憲法を改悪し、戦争のできる国にかえていくということである。彼の言動をしっかりと注視しながら、来年の統一自治体選、参院選勝利にむけて、私たちは日々の活動に取り組んでいこう。
 公務員の飲酒運転が大きな社会問題になっている。言うまでもなく、少しでも酒を飲んだら絶対に車を運転すべきではない。当然のことである。しかし、気になるのは、公務員バッシングの視点での報道である。公務員の削減を至上命題の1つとする現内閣にとって、まことに都合のいい報道が続く。このようなことに利用されないためにも、公務員のみなさんには今一度、襟をただして職務に専念してもらうことを期待したい。<>2006/10/19 170<>0<>【10月号】95がんばってます 西本章<>がんばってます
福山市議会議員 西本章
 障害者自立支援法が施行された4月以降、多くの人から悲鳴にも近い声を多く聞く。 今も今年9月の代表質問の中で障害児・者をかかえた家庭の実態を、具体的数字をあげながら質問をした。自立支援という名の下に実際には障害児・者の生活を脅かしているのではないかと。新たな定率負担のため、生活実態を考える中で、今まで通りの施設利用が出来なくなり、そのことにより生活のリズムは崩れ、薬を多用せざるを得なくなり、本人の日常生活だけでなく、家族全員へも大きく影響をしていることを。
 10月からの本格施行により、悲鳴の声は益々大きくなって来るのではないかと思う。
 福山市では各種サービスの利用者負担が大きくなることから、市独自の負担軽減策を講じることになった。県内では広島市や廿日市市でも市単独で支援策を導入した。
 3年間の制度の見直し期間があるとは言われているが、今回の障害者自立支援法は根本から見直すことも必要なのではないか。出来ない場合は、国としての支援策、県としての支援策も考えられなければならないと思う。 利用者への影響だけでなく、施設への影響も大きく出ているとのことだ。
 必要なサービスは平等に受けられるべきで、自治体による格差は望ましいことではない。国として、障害者の所得や生活実態に応じたきめ細やかな対策を早急に講じてほしい。
<>2006/10/19 169<>0<>【10月号】時言「自らの保守性とは何か?」<>時言「自らの保守性とは何か?」
 戦後60有余年。その間私たちが政治・思想にかかわって抱き続けてきた危惧や不安は、安倍新首相の「開かれた保守主義」・「保守の再構築」によって刺激され、増幅もしている。それ故、保守の政治・思想を点検・検証してみることは、自らを照らし出す作業ともなり極めて重要である▽それにしても私たちは「保守」をどのように理解し、批判してきたのか。対極的に言って「保守」は、歴史の連続性の中で形成された伝統や権威を重んじ、歴史的な階級社会秩序を肯定し、個人より家族・地域・国家を優先する。それ故個の確立・自立は社会や「公」の中に埋没・抑圧され、不平等は社会的に固定化され、差別は温存・拡大再生産され続け、人は疎外の中に呻吟する▽一方小泉改革にみる保守は能力主義・市場万能・競争主義・破壊・革新・進歩主義等々は、自立した個人、自力で人生を切り拓く個人が前提されている▽前者から見れば後者は保守主義ではなく、自由主義的個人主義であるが、戦後のこの国々はこの相矛盾する内容が「保守」の名の下に共存して来た▽識者によればこの共存は、敗戦とその後の米国の占領、さらに冷戦構造の中、社会主義に与する者を革新、それに反するものを保守とし、米国と一体化する形で自民党を中心に自己形成してきた▽私たちは、以上のどちらの「保守」も時こそ外・収奪を強化するものとして、それよりも新しい社会主義に立つものであるが、それをより強固な希求にするためにも、自己の内なる「保守」の二つの側面を問い直してみなくてはならない。                (安保英賢)<>2006/10/19 168<>0<>【10月号】第28回 日本における社会主義運動の受難<>第28回 日本における社会主義運動の受難  北西允
 1901年創設の社会民主党、後身の社会平民党が即日解散の憂き目にあった後、初めて合法的社会主義政党として産声をあげたのは1906年結成の日本社会党である。幹部は堺、西川、片山ら、党員は約200人、機関誌『光』日刊紙『平民新聞』を発行し、東京市電運賃値上げ反対闘争、足尾銅山争議等を指導したものの、党内の幸徳らアナキストとの対立を深め、政府は翌年、直接行動論の台頭による過激化を理由に同党を解散に追い込んだ。さらに1910年、幸徳らの「大逆事件」に対して政府は大弾圧を加え、その後しばらく社会主義運動は「冬の時代」を迎えて沈滞を余儀なくされた。
 しかし、第一次世界大戦、ロシア革命、米騒動などを契機に社会主義運動再興の気運が高まり、1920年には社会主義勢力を総結集すべく一旦は日本社会主義同盟が結成されたものの、内部抗争はやまず同盟はまもなく分解した。その後左派の堺、荒畑寒村(1887〜1981)山川均(1880 〜1958 )らは、1922年、コミンテルンの指導下に非公然の日本共産党を結成した。共産党を除く「無産政党」は、しぱらくこれに遅れをとっていたが、1925年の男子普選の成立を機に改めて単一無産政党の創設が呼びかけられ、翌26年に日本農民組合委員長の杉山元治郎(1885 〜1946 )を党首に労働農民党が誕生した。しかし、地方支部が組織される過程で容共的立場をとる地方党員と反共主義に立脚する右派幹部との対立が激化し、同年末、右派の安部磯雄(1865〜1946 )
らは別個に社会民衆党を結成し、これと相前後して中間派の三輪壽壮(1880 〜1956)らも日本労農党を創設した。分裂後の労働農民党は、新たに大山郁夫(1880〜1955)らの指導の下、共産党の合法組織的役割を演じ普選後最初の1928年の総選挙では28万票2議席を獲得した。だが、共産党が1926年に制定された悪名高い治安維持法によって28年3月15日に致命的弾圧を食ったのに続いて、同年4月には労農党も結社禁止処分を受けるに至った。労農党衆議院議員・山本宣治(1889〜1929)はその翌年右翼青年に暗殺された。これより先、アナキズムの流れを汲むサンジカリズムは、1928年の関東大震災の際、大杉栄(1880〜1923)が憲兵によって虐殺されて以来壊滅状態に陥っていた。他方、社会民主主義諸党は、とりわけ1931年の日中戦争勃発以降、国家社会主義的傾向を強めて自壊の道を辿っていった。

<>2006/10/19 167<>0<>【10月号】「平和を考える夕べ」<>「平和を考える夕べ」
 安部政権となり改憲の動きが加速している。戦争は殺人である。今の子どもたちが将来殺されたり、殺人者となる問題であり、生活の場で話題となってもおかしくないはずた。世間の関心の低さが薄気味悪い。
 人は多くあつまらなくても、地元でさまざまな立場の普通の人が平和について語りあう場が必要である。そんなことを日本キリスト教団上下教会の東岡山治牧師や水田豊府中市議と話していて「平和を考える夕べ」を開催することにした。場所は上下教会礼拝堂。
 第一回は今年8月11日、日本基督教団三次教会の原野和雄牧師に「憲法9条を宝として」という演題で講演していただいた。日本国憲法の主語は「国民は」であるが、自民党新憲法草案の第9条の2では、主語は「わが国」、「自衛軍は」となっており、戦争や徴兵制へとつながるものであることなど指摘された。次回は10月13日に世羅町の真澄瑛智住職に「憲法9条を考える」という演題で講演していただく。ささやかな活動だが地道に続けていきたい。 (福崎裕夫)
<>2006/10/19 166<>166.jpg<>【2006.9月】必勝 自治体選挙 中島敏彦<>必勝 自治体選挙
竹原市議会議員選挙
11月5日告示・11月12日投票
中島敏彦 5期目(新社会党推薦)
(プロフィール)
・吉名中学校卒業
・忠海高等学校卒業
・仏教大学卒業
・中央仏教学院通信教育専修過程粗卒業
・浄土真宗本願寺派僧侶
・吉名西正寺衆徒
・小学校教員21年
・竹原市議会議員4期16年
・全国水平社80周年功労者表彰
・竹原市制45周年人権施策推進功績表彰賞・・部落解放同盟竹原市協顧問
・広島部落解放研究所長
(抱負)
○憲法を守り、平和で、それぞれの人権が尊
 重される竹原市の実現に努めます。
○子どもの教育条件の充実、障害児者の支援
 対策の拡大と女性の立場向上に努めます。
○豊かな自然と環境を守ります。
○単独市政の健全化をはかり、合併は多様な
 選択枝の中で慎重に考えます。

<>2006/09/20 165<>165.jpg<>【2006.9月】第11回新社会党平和の集い<>第11回新社会党平和の集い
 今年で11回目となる「平和を考える新社会党のつどい」が、好例の8月5日、広島市中区のカレントコスモで開かれました。東京、兵庫、岡山、徳島などからの参加者も含めて30名が出席しました。山口大学教授纐纈淳さんの「在日米軍再編ー岩国基地の機能強化」と題する講演に熱心に聴き入りました。纐纈教授の講演はわかりやすく、問題の具体的な解明をしてもらいました。なぜ、いま平和憲法を変えようとするのか。自民党政府や民主党などの保守党の動きの背景には、アメリカ帝国主義の世界戦略がはっきりと存在し、日本の経済力と軍事力を活用しようという意図があることが鮮明に語られました。
 小泉が、アメリカ戦略にのっとりながら、「痛みを伴う構造改革」を推し進めてきたことがよくわかりました。同時に、事態はもはや「戦争のできる国」どころか、「臨戦国家」にまで進んでいるという指摘から、護憲闘争の重要性と、陣形作りを急ぐ必要性を強く認識させられました。
<>2006/09/20 164<>0<>【2006.9月】憲法と暮らし教育を考える集会<>憲法と暮らし教育を考える集会(三原)
 全国1000箇所集会を敢行中の栗原君子さんを迎え、三原でも8月22日に三原市人権文化センタ−で「憲法をめぐる今日的状況」と題して講演学習会を開きました。
 「小泉構造改革。規制緩和路線が何をもたらしたか、私達の生活は良くなったか、ホリエモンのような人や大手都市銀行などは給料が上がったようですが、普通の生活者はどうか、税制改革で富める者は景気と刺激するため優遇され、生活者はかえって増税になる。そのつけは消費税の税率増となって襲ってくる。医療制度改正によって高齢者の負担は増したが、医療サービスの質は保障されていない、特に高齢者が小泉改革の毒牙にみまわれたのが年金者控除・配偶者控除の見直しで、住民税と国民保険料・介護保険料が一気に上がった」これには参加者の1人で当事者になった人から思わず声が上がり、小泉改革に懐疑的だったその人も、ここまでいじめられるとは思ってみなかった、役所へ問い合わせに行っても、担当者はなれたもので適当にあしらわれたと憤慨していました。
「小泉改革では社会が萎縮し、生活者の悲鳴はあちらこちらで聞こえる、人は苦しくなると隣の人や身近な存在を羨み妬むようになる、心は荒廃し、最近世間を騒がしている事件や事故などはその典型的なもの、モラルが無くなったというが、無くなったのではなく壊されているのだ、何でもありの弱肉強食の経済効率至上主義を根付かせるために。当たり前のことが当たり前に出来ない世の中にしたのは誰か、またいつか来た道を歩いてはいないか、名も無き人の声なき声をかき集めて悪政にぷつけていくのが、私の使命だと感じ、頑張っています。」との話には参加者全員がうなずき心を一つにしました。

<>2006/09/20 163<>163.jpg<>【2006.9月】8.6憲法の改悪をとめよう!ヒロシマの力で<>憲法の改悪をとめよう!ヒロシマの力で
−3000人が結集し、改憲阻止誓う−
 8回目の8・6ヒロシマ大行動は、8月6日12時30分から、県立総合体育館で開催されました。開会のあいさつは栗原君子さんで、「イスラエルのレバノン攻撃は許せない。改憲阻
止、反戦・反核・反遠別に向けて大同団結してたたかおう」と訴ました。そして被爆者の
栗原真理子さんの詩の朗読。東広島市原爆被爆者の会会長の高山等さんが被爆の体験と反核の強い思いを語りました。
 北西允さんは「イラク戦争で使っている劣化ウラン弾は核兵器だ。小泉は非核三原則を
守るなどと言っているが、実際は戦争を進めていて許せない。「『ヒロシマ』は反核を誓
うことば」と訴え、全力で改憲阻止をたたかうことを呼びかけました。
 そして、イラクの医師・ハナーさん、韓国の被爆二世患友会顧問、中国の重慶大爆撃損
害賠債訴訟団代表などが発言し、国際連帯で戦争阻止を訴えました。さらに・「日の丸・
君が代」強制・教基法改悪とたたかう教育労働者や1047名の解雇撤回をたたかう国鉄(JR)が決意を表明、沖縄の桑江テル子さんと広島の湯浅一郎さんが米軍再編とのたたかいを訴えました。午後3時からは猛暑の中、「反戦・反核」「9条を変えるな」と訴えてデモ行進を行いました。

<>2006/09/20 162<>0<>【2006.9月】翼<>翼
 水の事故が目立った夏であった。特に埼玉のプール事故は、現在の社会の歪みがはっきりと露呈した。民間委託、丸投げ、下請け・・・利潤の追求が最優先され、安全は二の次にされる。徹底的に点検し、安全こそが最優先されるシステムに改めていく必要がある。
 2学期がはじまり、学校はまた子どもたちの声でにぎやかになる。登下校も含め、子どもたちが、元気で安心して過ごせる社会でありたいとつくづく思う。
 5年半におよんだ小泉首相がやっと退陣する。やれやれと思いたいが、なかなかそうはいかない雲行きである。実質的に次期首相を決める自民党総裁選は9月20日投票、22日に臨時国会が開会し新内閣が誕生する予定である。最もなってほしくない人が、圧倒的に次期首相の呼び声が高い。
 安倍官房長官し、1日広島で、「次の内閣は改憲内閣」と声高に主張し、正式に総裁選立候補を表明した。憲法9条を改悪し、集団的自衛権を認め、日本を戦争のできる国にすることが、どうして「美しい国」につながるのか、とても理解出来ない。
 総裁選の投票権のある人には、候補者の3人とも大きな違いはないが、せめてこの人には投票してほしくないものである。<>2006/09/20 161<>0<>【2006.9月】94.がんばってます議員活動<>がんばってます議員活動   
大崎上島町議会議員 中村 修司
 テレビから流れる情報も、新聞から入ってくる情報も、いまや憲法を変えろ、教育基本法を変えろの、大合唱です。 
 今年の3月議会には、国民保護法に基づく保護条例が提案され、
「国民を護るという名目で、いざ戦争となったときに、否応なく国民を従わせるための準備ではないか。住民が何も判らないうちに、こうした条例を作ってしまうのは非常に危険。提案する前に広く周知し、住民の声を聞くべき」と反論するも、結果は、13対2であっさりと可決。
 学校では、当然のごとく平和教育や部落問題を排除した教育が推し進められ、高齢者福祉や障害者福祉は、利用者の負担増が打ち出されるも、国が決めたことだからと、ほとんど議論もなく次々と議会を通過。一議員の抵抗などまるで無意味なのかと・・・。
 しかしながら、つい最近設置された人権対策協議会の中で、「ここ数年まったく部落差別についての学習がないのは何故?おかしいのでは」と女性会や民生委員の女性委員が迫り、人権は思いやりの心との発言に「発想が間違っている」と噛み付く委員も。社会の流れがおかしいと感じている町民は少なくないと元気づけられました。また、地域の共闘関係者で、年間を通して、平和と部落解放に向けての学習する場をつくり、地域に提供しようと準備を進めています。
 ともすれば、あきらめの発想に囚われがちな今日の情勢ですが、住民の社会や政治に対する危機感を束ね、過疎地域からの声を大きなうねりにし、改憲阻止に向け頑張らねばと思っています。

<>2006/09/20 160<>0<>【2006.9月】「草の根右傾化論の演出」<>時言「草の根右傾化論の演出」
 まだ立候補もしていないのに、安倍総裁確定との想定で、例えば自民党各派閥が「安倍支持」で雪崩をうっているなど、利を求めての迷走が始まっている▽何故それ程までの想定とそれによる自己喪失なのか。ここまで来ると戦前・戦中と酷似するマスメディアの報道の所産そのものと言わずには居れない。情報を選別し、戦争を煽ったかつての報道姿勢は当局による言論弾圧のせいよりも、そのように報道しないと情報(新聞等の媒体)が売れなかったからだとする草の根右傾化論がある。
しかし、その実この右傾化の演出はマスメディアやそれを利用する政治が行っているのが厳然たる事実である▽それにしても、この期を逃すまじとして安倍勢力は、それ改憲だ、集団的自衛権だ等々、国民を舐め切った右翼的妄言のかぎりをつくしているが目にあまるものがある。私たちはそれを指弾せずにはおれないが、この政治姿勢・方針とてことごとく資本の側の要請そのものなのである▽「四季の会」(トヨタ・日航・東電等20数社のトップが参加。その中の葛西JR東海会長は有名な改憲論者.西岡三菱重会長は武器輸出三原則緩和の推進者等々)がすでに安倍勢力を押し上げており、これは奥田前経団連の要請を改革の内容とした小泉流と同じである。そしてそれを大資本たるメディアが報道し、世論を作る▽私たちはこの政財界・メディアの作戦を自覚し、自分の首を自分で絞めないようにしなくてはならない。自治体選・参院選の一票は私の手中にある。   (安保英賢)

<>2006/09/20 159<>0<>【2006.9月】第27回 日本社会主義の他律性、だがしかし<>第27回 日本社会主義の他律性、だがしかし
  北西允
日本の社会主義の歴史を振り返ってみて、その中にヨーロッパ諸国で生まれた社会主義とは異なる独自の発想を見いだすことは、甚だ難しいように思う。社会主義には左右に大きく広がるスペクトルがあるが、日本の左、右、中間いずれをとっても、かの地で提唱された社会主義祖述の閾を出ていない、といっても過言ではないかろう。
 日本最初の社会主義政党だった1901年結成の社会民主党が、ドイツ社会民主党エルフルト綱領を下敷きにして『社会民主党宣言』を策定したことは既に述べた。1922年にコミンテルン日本支部として誕生した日本共産党の『日本共産党綱領草案』(1922 )も、当然ながらソ連共産党の指導の下にボルシェビズムを踏襲していた。同党の有名な二七テーゼ、三二テーゼがいずれもソ連製だったことに、今や疑問を挟むものはいない。この傾向は、第二次大戦後も変わっていないのではないか。戦後の日本社会党は、主としてウカツキーないしベルンシュタインの流れを汲む社会主義を提唱していたし、社会党から分離した民主社会党綱領に至っては、ニュー・フェビアニズムに基づくイギリス労働党綱領の引き写しに他ならなかった。日本共産党は、スターリン存命中はスターリニズムを唱導していたし、非スターリン化の流れの中では「自主独立」を唱えながら、実際上はイタリア共産党を開祖とするユーロ・コミュニズムの後を追っていった。
 しかし、上述のような断定はいささか乱暴との謗りを免れないかも知れない。というのも、例えば1901年の『社会民主党宣言』の第一に掲げられた「同胞主義」が、「人種の差別、政治の異同に拘わらず人間は美奈同胞たり」と謳ったことは、植民地支配の現実を軽視しがちだった西欧社会主義より進んでいたと言えようし、第二の「平和主義」が「万国の平和を為すためには先ず軍備を全廃すること」と主張したことは、世界に冠たる憲法9条を先取りしたものとして注目に値するからである。
<>2006/09/20 158<>0<>【2006.9月】『原水爆禁止世界大会・広島大会』<>『原水爆禁止世界大会・広島大会』
 被爆61周年を迎える今年、原水爆禁止世界大会・広島大会は、8月4〜6日の3日間、広島市内を中心に各会場で開催された。4日15
時、平和公園こは全国から約2500人の人々が集まった。参加者は猛者の中、核兵器廃絶などを訴えながら県立体育館まで折り鶴平和行進を行った。
 開会総会は、昨年に続き今年も原水禁、連合、核禁会議3団体での主催となり、「核兵器廃絶2006平和ヒロシマ大会」として開かれた。
 参加者全員で黙祷し、まず主催者を代表して高木連合会長等があいさつした。
 被爆者からの訴えは坪井県被団協理事長が行い、「自らの被爆体験、原爆症認定集団訴訟の全面勝訴の報告、核兵器廃絶へむけた決意」などを熟く語った。特に、「命ある限り命をかけて核兵器廃絶にむけ行動する」のくだりでは、会場から大きな拍手が送られた。その後ヒロシマアピールを採択し、最後に全員で「原爆許すまじ」を大合唱し、集会を終えた。
 5日は、各会場で「平和と核軍縮」など8つの分科金、5つのひろば・フィールドワークが開催された。被爆60周年の昨年に比べるとやや参加者は少なかったが、暑い中、熱心に聞き入る姿、熱心に議論する姿が目立った。6日はまとめ集会を行って広島大会を終え、7日からの長嶋大会に引き継いだ。



<>2006/09/20 157<>0<>【2006.9月】【投稿】本紙連載北西論文を読んで<>【投稿】
本紙連載北西論文『社会主義の歩みと将来への展望
―忘れかけていた知的関心を覚醒させ運動的ありようを刺激する
立川金夫

本紙に北西允さんの『社会主義の歩みと将来への展望――個人の尊厳と自立的連帯を求めて』と題する論文が連載されている。三年目に入るに当って北西さんは「この間、読者からはなんの反応も聞けなかった」と、社会主義社会へ向けた党綱領をもつ党員の社会主義への関心度に憂慮しておられるように感じる。
自らを振り返るとその憂慮は妥当だ。彼我の状況と社会情勢は歴史とともに変化しているのに、取り組みのある状況に臨んでこれまでの歩みの上にある現在と将来展望を十分吟味もせず、覚え知っているつもりのマルクスやエンゲルスの、それも片言隻語を想起したり、あるいは引用してなんとなく納得してしまうことがあるからだ。
 私たちは2002年に「憲法を基に平和・人権・民主主義を確立し、平和革命によって民主的な新しい社会主義社会を実現する」ことを目標にした党綱領『21世紀宣言』を決定した。そこには憲法改悪阻止の大胆で柔軟な大衆的な運動を自ら組織し、参加し、発展させることを基本にして憲法を生かす広範な共同戦線を構築し、資本や権力から自立した労働者の運動、平和や民主主義、人権、環境などの多様な過大や要求と取り組む市民の運動、直接民主主義や自治のための住民の運動、これらとの共同・協力で人間らしい街づくり、農村づくりをめざす小経営者や農漁民の運動、国境や国籍を越えたアジアや世界の人びととの連帯の運動など、人びとのエネルギーと声を総結集した新しい政治勢力を基盤にして連合政府の樹立を展望している。
 北西さんの連載を読み返すと忘れかけていた知的関心を覚醒させ運動的ありようを刺激する。多忙だとしても時間は自己管理するしかない。社会主義に向けた党綱領を我がものとしたのだから、どんなにささやかな運動に携わっていようとも、たとえつまみ食いであってもマルクス、エンゲルスなどの理論と、そしてレーニンの覚悟や実践、ディミトロフの反ファシズム統一戦線論などに改めて学び返し、わが党綱領に照らして自らの行動を律することが迫られているようだ。
<>2006/09/20 156<>156.jpg<>尾道総支部第11回定期大会が持たれる<>尾道総支部第11回定期大会が持たれる
 7月6日、尾道、御調、因島の党員・党友が集い第11回定期大会が持たれた。合併後初の定期大会で参加者の顔ぶれも新しくなり、また新社会党結党10周年目の記念すべき大会でもあり、清新でしかも緊張感のある大会となった。司会の三木いく子さんより、11回大会が現在の政治状況からすれば極めて重要な意義を持つものであることを強調する挨拶があり、続いて原田健書記長より、05年総括報告、06年活動方針の提案が行われた。総括に関しては、支部執行委員会は毎月きちっと行ってきたが、全ての党員にその内容を伝えることが出来ていなかったこと、また党費の本部納入が遅れていることなど執行部とそれぞれの党員の責任と自覚が薄かったとの反省が述べられた。また活動方針では、最も重要な課題として来年4月の尾道市議選と7月の参院選があり、市議選では三木いく子さん、しろま和行さんの2人を、参院選では栗原君子さんを擁立し、直ちに態勢を整え、勝利に向けて全力で取り組むことを確認した。続いて2人から決意表明がなされ、背水の陣を敷いての不退転の決意に身が引き締まる思いがし、大きな支援の拍手を送った。議長を務めた熊谷良子さんから、この大会は熱のこもったものとなったし、展望を開くことができた、との退任の挨拶があり、最後にしろま和行さんから「党勢を拡大し07年の完全勝利」に向けての“団結がんばろう”があり、記念すべき結党10周年の大会を閉じた。

<>2006/08/22 155<>0<>広島総支部大会の総括<>広島総支部大会の総括
 7月19日、広島市東区民センターを会場に第11回広島総支部定期大会が開催された。また大会終了後には、結成10周年記念レセプションが「中南海」において開かれた。
 大会は、議長に吉井さんを選出し、加藤委員長の挨拶を受け、来賓として県本部、広教組、高教組よりそれぞれ挨拶を受けた。
 議事は、05年度活動の総括、06年度運動方針、05年度決算報告、会計監査報告、06予算の報告・提案を受け、それぞれ提案どおり承認・決定された。最後に新年度役員を選出し、大会決議を採択して終了した。
 反動と亡国の小泉政権五年の決算を迫り、改憲を阻み格差社会を変えていくためには、何よりも小泉への不満と批判を吸収し闘いに組織していく党が求められている情勢下にあって、新社会党が低落傾向に歯止めをかけ、党再建から党勢拡大に転ずるべき重要な節目の大会であった。そして、危機感を共有できずに終わった先の県本部大会を受けて、広島総支部として、07年選挙闘争を闘うにあたって党勢拡大と独自活動の展開が不可欠であり、執行部を先頭に獅子奮迅の努力が強く求められていることを、全体で再確認する任務を有していた。その点に論議は集中し、率直で突っ込んだやり取りが行なわれた。
<>2006/08/22 154<>0<>呉・安芸総支部第11回定期大会<>呉・安芸総支部第11回定期大会
 とくだ・栗原の必勝をめざそう!
7月20日、19時から山の手会館において28名の代議員が結集して、記念すべき結成10周年の定期大会が開催された。
 得田委員長は、昨今の社会経済情勢にといて、小泉構造改革がもたらした富めるものと富めざるものとの社会格差の拡大によって、社会不信や人間疎外が深刻化していること。さらには憲法・教基法の改悪をはじめ、共謀罪、国民投票法案等々によって戦争への道に多くの国民が無意識に誘導されようとしていることを指摘し、新社会党の存在意義と社会的使命を自覚しようと挨拶。
 来賓には石原県本部書記長、谷口市協議長が駆けつけ、07統一自治体選、参院選の勝利に向けて檄を飛ばした。
 活動報告は、組織強化を軸に「春の交流会」、「秋の連続講座」の成功、さらには「九条の会・呉」結成の準備が整ったことを報告。 財政については、決算・予算とも一般会計.機関誌会計いずれも順調に推移し、適正に運営されていることを報告。これを受けて代議員より、年度収支、責目等の位置づけをもっと明瞭にすべきだとの意見が出され、財政委員会の中で改善策を協議し、提出すると答弁。
 選挙闘争にかかわっては、早急な準備をし態勢の確立を図るべきだとの意見や党としての理念、政策をもっと大衆に訴え、組織の拡大や支持を図ろうとの決意も表明された。
 総支部の重点活動方針として、@07統一自治体選、参院選の勝利。A組織強化として共闘団体との連帯、安川総支部との再編協議。B財政確立をめざしてイベントの企画。C教宣活動は「呉安芸ニュース」の発行と結成10周年記念誌の発刊等々を確認した。
 大会宣言として、10年の闘いの歴史を総括し、党の組織を胸に刻み、広範な市民の平和的生存権を確立しようと訴え、全代議員の熱い拍手で確認し、大会を終えた。(役員全員留任)
<>2006/08/22 153<>0<>「07年参院選・平和の共同候補を求めて7.7シンポジュウム」<>「07年参院選・平和の共同候補を求めて
 7.7シンポジュウム」に参加して
1.標記のシンポが、7月7日東京都千代田区の日本教育会館で開催されました。会場を埋め尽くした950名の一員として広島県本部より石原書記長と共に参加しました。自民党の第二次憲法素案、日本経団連の動向、ポスト小泉政権に予想される改憲策動等々を見る時、「全国に改憲阻止の風は吹いているのか」との不安を抱いても来ましたが、パネリストが自らの戦争・戦後の体験から、あるいは政治やジャーナリズムの世界での活動に於ける諸々の事実から、平和憲法の大切さを提起され、加えて神田香織さんの講談、アピールの提案と採択へと進む中、比較的高齢者の多い会場は自ずと喚起され、共感もし、護憲の風をもっと強く吹かねばとの思いが高まりもしました。最後に「7.7アピール」をして、「九条改憲を阻止し、憲法を生かす」ために、多様な形での選挙協力・共同の実現が提起され、当面選挙区での共同候補擁立、理想として比例選挙区での共同リスト作成をめざし、全国各地で「平和の共同候補を求める連絡会」発足が提案・採択されました。
2.翌8日、都内で「護憲共同候補擁立懇談会」と「『平和への結集』を求める市民の会」共催の全国交流会が29都道府県、70名の参加の下開催され、広島からも前記2名が参加しました。開会の挨拶の後、「平和への結集」の小林正弥さんから「平和共同候補を求める連絡会」の発足が提起されました。これを受けて長い討議がなされましたが、「連絡会」の構成として、世話人を置き、8月末までにネットワークを作る。その後、選挙区共同候補の擁立へ向けた行動、さらに9月末、10月初めには各都道府県の世話人の会合を、その後の方向を協議することとしました。<>2006/08/22 152<>0<>翼<>翼
 今年もまた暑い8月が巡ってきた。被爆60周年の昨年に比べると、今年はメディアの扱いも少ないように感じる。各地域で行われるさまざまな平和行動に積極的に参加していこう。
 7月15日、廿日市市内で「岩国基地増強問題を考えるシンポジュウム」が、廿日市、広島、大竹、江田島、三次の県内5市が主催して開かれた。県内西部から岩国から、広い会場を埋め尽くす約1100人が参加し、住民の関心の高さが示された。
 第一部では、岩国市の井原市長が「岩国基地の現状」と題して報告。市民の理解を得られない移転計画には、あくまで白紙撤回を求めていくと話し、会場から大きな拍手が贈られた。第二部では、秋葉広島市長、山下廿日市市長、学識経験者・住民の代表ら5人のパネルディスカッションが行われ、それぞれの立場から移転反対の思いが語られた。
 「外交、防衛は国の専管事項というが、自治体住民の理解なしに進めることは、住民の福祉と安全を守るべき自治体にとって、絶対に容認できない」という3人の現職市長の発言は、非常に重く感じられた。計画では2014年度までに移転を完了することとなっているが、これからも多くの人々とともに、粘り強く反対運動を進めていこう。
<>2006/08/22 151<>151.jpg<>がんばってます93 竹原市議会議員 中島敏彦<>がんばってます93
竹原市議会議員 中島敏彦
 今、竹原市議会では、竹原市教育委員会のファッショ的な姿勢に問題が集中している。
 これは、竹原市政の問題だけではなく、県教委のファッショ性が、県内の各教委に反映していることは言うまでもないことである。
 竹原市教委の状況を述べてみると、03年4月東幼稚園(31人)を休園にし、 西幼稚園統合(地元では反対運動)。04年4月小梨小学校廃校(8人)、05年4月田万里小学校廃校(19人)は、反対の意見を押さえ込んで実施。次は「特認校」でもある仁賀小学校を06年4月より休校(将来は廃校)も画するが、地元の強い反対運動の中で、07年4月に当面変更したが、このままでは強行実施される。
 仁賀小学校の反対運動は、まず「休校撤回の請願」として出されたが、議会は僅少差でこれを否決(私は当然の如く賛成)するが、良心のある議員によって、議員提案による「休校決定撤回」議案を僅少差で採決したが、市教委は、これを「重く受け取る」としながらも「休校」を再確認してきている。
 これを受けて、地元自治会は、市長へ「撤回への協力要請」、教育委員会・教育長へは「撤回の申し入れ書」、各教育委員には、「決定への抗議書」をそれぞれ送付し徹底抗戦の構えである。私は「関係者の合意形成」を執行の基本として、引きつづき地元関係者と強く連帯し、休校=廃校を撤回させるべく闘う決意である。
<>2006/08/22 150<>0<>時言 「若者を収奪する“擬装請負”とは?」<>時言
 「若者を収奪する“擬装請負”とは?」
 7月31日の朝日新聞は、一面トップで「擬装請負広がる」とし、ここ十数年来生産拠点の国内回帰、「ものづくり日本の復活」の内側で進捗する労働者切り捨ての実態を報じている▽「擬装請負は技術流出を避けたい企業」の思惑による国内回帰、そのための代案条件としての「海外に劣らない程低い労働コスト」という二面から、バブル崩壊後に生産体制に組み込まれた。「もうあたり前のビジネスモデル。今の新工場は大量の請負労働者を使うことを前提に設計しているんです」と大手請負会社幹部は言う▽「擬装請負」とは、メーカーが例えば人材派遣会社を請負会社として形式上もの作り業務を委託し、それを請け負った会社は(製造した製品を納入するのではなく)、低賃金で集めた労働者を、発注元のメーカーに送り、そこで正社員が請け負い労働者の指揮命令を行う▽この様な実態を受けて、小泉改革は04年、製造業も派遣自由化を行い、擬装請負を派遣に切り変えようとした▽しかしメーカー側は派遣法の使用者責任、労働安全上の義務を負う派遣契約を結ぶより、責任や義務を負わずにすむ請負契約で請け負い労働者を使い続けている▽正社員の半額に満たない賃金の請負労働の担い手は、20〜30代半ばの若者。ボーナスも昇給もない低賃金・不安定雇用。こんな法令違反状態が労働局の改善指導だけで放置されて来たのは、労働局が指導企業名を公表しなかったから▽まさに小泉改革・行政が誰のために機能しているのかを物語ってあまりある。我らの反撃の拠点はそこにある。
(安保英賢)

<>2006/08/22 149<>0<>社会主義の歩みと将来への展望(26)<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自立的連帯を求めて(26)
広島大学名誉教授 北西允

第26回 日本における社会主義の胎動

日本は明治維新以来、「富国強兵」政策によって急速に帝国主義列強の仲間入りを果たしていくが、政府の治安対策・官憲の弾圧は、西欧諸国に比べて殊のほか厳しかったため、社会主義運動発足にも言語に絶する困難を伴った。
 最初に産声をあげたのは、1901年結成の社会民主党である。創立者は、社会主義研究会(1898年発会)が脱皮してできた社会主義協会(1900年開設)のメンバー、片山潜(1859〜1933)、安部磯雄(1865〜1949)、木下尚江(1869〜1939)、幸徳秋水(1871〜1911)、河上清(1873〜1949)、西川光二郎(1876〜1940)の6人。彼らは、社会主義の研究から実践へと一歩踏みだしたわけであった。同党はドイツ社会民主党綱領を下敷きにして、党則の第一条に「我党は社会主義を実行するを以って目的とす」と規定し、「人類同胞主義、軍備全廃、階級制度全廃、土地・資本の公有、交通機関の公有、公平な財冨の分配、参政権の平等、教育の公費負担」の「理想」を含む『社会民主党宣言書』を公表した。しかし結党を届け出た翌日、警視総監は、治安警察法(1900年制定、1945年廃止)に違反するとして直ちに結社禁止処分を下し、『宣言書』を掲載した新聞等もすべて没収した。創設者らはその直後、政策に若干の変更を加え、党名も社会平民党に変えて結社届を提出したが、これまた即日禁止処分に遭った。
 その後1903年、本格的な帝国主義戦争である日露戦争に反対して『万朝報』を退社した堺利彦(1871〜1933)、幸徳らは『平民新聞』を発刊すべく平民社を結成し、石川三四郎(1876〜1956)、西川は社員として、また安部、木下らも相談役としてこれに参加した。週刊『平民新聞』は、社会主義協会と提携して平民主義、社会主義、平和主義を唱え、その宣伝活動を通じて各地に社会主義グループが生まれた。しかし『平民新聞』は、政府の弾圧と財政難によって1905年1月に廃刊となり、平民社も同年9月内部対立のために解散するに至った。 
<>2006/08/22 148<>0<>労働運動委員会全国常任幹事会報告<>労働運動委員会全国常任幹事会報告
 7月22日、中央本部において、労働運動委員会全国常幹が開催された。ここでは、07年参院選勝利に向けて、労働者部隊が先頭に立って闘うことが強調された。現実に栗原委員長を迎えての1000カ所集会の開催、職場に憲法を生かす会をどのように形成するのかといった議論が行われた。
また、国労闘争団の闘いの現状と今後の見通しをはじめ、各産別の闘いの状況が報告された。いずれも困難な状況の中で、さまざまに奮闘している同志からの報告で、新社会党としてどのように労働運動を展望するのかという問いかけでもあった。
 労働運動委員会で、きわだった論議になったこととして、@団塊世代の定年退職にともなって、党も労働組合もいかに対応するのか、A労働運動の今後をいかに切り開いていくのか、があった。@については、今から退職する仲間の活躍場所を確保し、それぞれの力を生かしていくこと、今後の5年というスパンで具体的な運動を構築していくことが確認された。Aについては、地域ユニオン運動と産別運動の結合をどのように具体化するのか、9月に行われる全国交流集会までに戦略構想を打ち出すことで確認した。この2点は、新社会党の労働運動の未来を決定することとなるだろう。(土屋信三)
<>2006/08/22 147<>147.jpg<>「憲法とくらし、教育を考える学習会」in因島<>「憲法とくらし、教育を考える学習会」in因島「憲法とくらし、教育を考える学習会」in因島
「憲法とくらし、教育を考える学習会」が7月20日19時より、因島人権文化センターで開催された。
 「護憲・平和」を求めてとりくむ実行委員会の主催で開催されたこの集会は、3名の地元代表の現状報告で始まった。
 まず解放同盟より、「2006年実態調査と部落差別の現実」として、数値から見えてくる差別の現実を報告、続いて教育現場より「校内での平和教育の現状」として、平和カレンダーが学校現場から姿を消してゆく過程や教師自らの責任において行われる平和教育の実態が発表された。
 又、高校現場からは、「是正指導後の現場」として、8年前から「君が代」の校内演奏をめぐる生徒と教師集団、校長とのやりとりが発表され、校長権限の増大や生徒との人間関係が薄れてゆく現状が報告された。
 元向島町議の三木郁子さんからは、小泉構造改革が社会的弱者にもたらした格差の拡大とその現実を数値をまじえて説明した。全人
口の5%が経済の80%を占める状況にふれ、「小泉はこのアメリカ型社会をめざしている」と厳しく批判した。
 最後に登壇した、元参議院議員栗原君子さんは、「小泉の改革という名前にだまされないで」と、これまでの弱者切捨て、金持ち優先の政治を語気強く批判。先の税制改正により、生活弱者はより厳しい中身になり、医療制度改正により、高齢者は負担増となった。又、38万床あった総べット数は、15万床に削減される。そればかりか、軍事費にいたっては、アメリカ軍に対し、3兆円もの思いやり予算を組むしまつ。「何としても私たちの手で止めよう」と強く訴えた。
 護憲・平和実現のため、来年の政治決戦勝利に向け闘い抜こうと参加者一同確認し、集会を終了した
「憲法とくらし、教育を考える学習会」が7月20日19時より、因島人権文化センターで開催された。
 「護憲・平和」を求めてとりくむ実行委員会の主催で開催されたこの集会は、3名の地元代表の現状報告で始まった。
 まず解放同盟より、「2006年実態調査と部落差別の現実」として、数値から見えてくる差別の現実を報告、続いて教育現場より「校内での平和教育の現状」として、平和カレンダーが学校現場から姿を消してゆく過程や教師自らの責任において行われる平和教育の実態が発表された。
 又、高校現場からは、「是正指導後の現場」として、8年前から「君が代」の校内演奏をめぐる生徒と教師集団、校長とのやりとりが発表され、校長権限の増大や生徒との人間関係が薄れてゆく現状が報告された。
 元向島町議の三木郁子さんからは、小泉構造改革が社会的弱者にもたらした格差の拡大とその現実を数値をまじえて説明した。全人
口の5%が経済の80%を占める状況にふれ、「小泉はこのアメリカ型社会をめざしている」と厳しく批判した。
 最後に登壇した、元参議院議員栗原君子さんは、「小泉の改革という名前にだまされないで」と、これまでの弱者切捨て、金持ち優先の政治を語気強く批判。先の税制改正により、生活弱者はより厳しい中身になり、医療制度改正により、高齢者は負担増となった。又、38万床あった総べット数は、15万床に削減される。そればかりか、軍事費にいたっては、アメリカ軍に対し、3兆円もの思いやり予算を組むしまつ。「何としても私たちの手で止めよう」と強く訴えた。
 護憲・平和実現のため、来年の政治決戦勝利に向け闘い抜こうと参加者一同確認し、集会を終了した<>2006/08/22 146<>146.jpg<>【2006.7月】三原総支部定期総会<>三原総支部定期総会

 6月22日(木)大雨洪水警報発令の中、三原市人権文化センターに於いて、第2回三原総支部定期総会を開催しました。
 昨年三原・本郷・久井/世羅・大和が統合された後の活動総括のため、全党員参加型の総会として開催しました。
 七川総支部委員長の挨拶のあと、県本部の三木副委員長から07年の参議院選挙や、護憲共同候補について若干の情勢報告を兼ねた
激励の挨拶を頂き、来賓の紹介の後、議事に入りました。
 2005年度の活動報告の後、県本部定期大会で確認された方針を元に総支部の活動の方向性を確認した後、参加者の討議に入りました。最低でも4半期に1回は総支部党員集会を開いて党員の意識統一を図るべきとか、結党10年にあたり、全国で2番目に総支部を立ち上げた情熱を思い出して頑張ろうなど、提案や意見、困難な現状に対峙するが故の厳しい指摘がだされました。
 総会終了後学習会にうつり、「ポイズン・ダスト」というイラク戦争における、劣化ウラン弾の使用実態についてのDVD見ました。
 米国の世界軍事戦略に進んで巻きこまられようとしている政府が、六ヶ所村で生産された劣化ウランを兵器に転用し使用する日は近い、核兵器ではないにしても、放射能汚染はそれに引けをとらないものを、ヒロシマナガサキのある国が使ってはならない。そんな時代を来させてはいけないと参加者で確認して総支部定期総会と学習会を終えました。
<>2006/07/17 145<>0<>【2006.7月】働く者の相談室・ひろしま<>働く者の相談室・ひろしま
 新社会党広島総支部のもとに形成された「働く者の相談室・ひろしま」の活動は、さまざまな広がりを見せている。とりわけ、外国人労働者を中心として、派遣会社に所属する人からの相談が相次いでいる。平均して、月に7〜10件ほどの相談があり、解雇問題、労災、有給休暇の取得について、賃金未払い、残業代のごまかしなど、労働基準法に違反した内容が多い。これらの問題は、スクラムユニオンとの連携で、比較的すみやかに解決できている。その意味では、一定の闘争経験の蓄積が生まれてきたということである。現実的に、最近は解雇問題の相談が相対的に減少し、労災事案が増えてきている。これは、広島近在の派遣会社が、解雇すると「労働相談室」に駆け込まれ、スクラムユニオンが出てきてやっかいだと考えるようになったからである。
 宣伝ポスターの効果が現れてきている。広島市内に掲げられた「労働相談室」の宣伝ポスターを見て、電話をしてくる件数が増えている。ポスターの数がまだそれほど多いとは決して言えないが、スタッフが苦労して貼って回ったのを見て、電話相談が入るようになっている。内容は、法律相談のようなことが多いが、劣悪な労働条件で悩んでいる労働者が、潜在的に多数存在していることをうかがわせる。
 「労働相談室」も5年目を迎えて、さらに飛躍をしていこうとスタッフ一同考えている。このニュースを見ている仲間に呼びかけたいこととして、まわりの労働者の中で、さまざまに悩んでいることをすくい上げ、積極的に「労働相談室」に相談するようにしてもらいたい。問題解決を通じて、労働者の団結の輪が広がるように、力を合わせていこう。
<>2006/07/17 144<>144.jpg<>【2006.7月】「憲法と暮らし、教育を考える集会」<>県内初の
 「憲法と暮らし、教育を考える集会」
 6月27日(火)に福山市人権交流センターで、県内トップを切って集会が開かれた。
 ウィークデーの18時30分開会ということで、集会参加者数を心配していたが、広教組、高教組、福山市現業労組、部落解放同盟、退教協、等に結集する仲間を中心に60名ほどの参加で意義深い学習会が出来た。29日(木)に次回を予定している。
 最初に広教組より教育基本法について説明があり、改悪を阻止する事で各組織連帯してがんばろうと決意表明があり、次に高教組より「豊教連」の資料にもとずついて広島県内の高校入試の現実と問題点の提起がありました。次ぎに部落解放同盟より人権行政の実態、問題点についての提起と今後の運動の方向について決意表明がありました。最後に新社会党栗原委員長から小泉政権下、国民の暮らしはますます苦しくなり大企業優先の政治により、格差は一層拡大している現状、世界に冠たる憲法の改悪を何としても阻止しなければならない。07年の参議選で護憲の勢力の総結集で参院選を勝利しようと力強く訴え、参加者全員の大きな拍手でしめくくった。(文責 高橋晋作)
<>2006/07/17 143<>0<>【2006.7月】翼<>翼
 つい最近まで「寒い寒い」と異っていたような気がする。また暑い時季が巡ってきた。健康に十分留意して、元気に夏を乗り切っていこう。
 合併特例法の時期である今年3月末までで、86市町村が23市町になり、議員数も激減した。県の強う指導もあり、広島県は全国でも最も合併が進んだ。その結果、面積が10倍にも拡大した自治体が出現している。
 これまで役場であったが合併により支所となり、議員数は減り、訪れる住民も減り、周辺の商店街も寂しくなってきた。さまざまな面でサービスの低下が目立つ。また市役所まで行くのは本当に遠くなったなどという声をよく聞く。今後も周辺部と中心部の格差が拡大していくであろうことは、容易に想像がつく。合併した自治体には、今後10年間これまでと同額の地方交付税を保障すると言っていたが、現実は三位一体改革の影響で地方交付税は確実に減っている。
 来年4月は統一自治体選。ほとんどの自治体は面積が拡大し、議員数も大幅に減り、新人の擁立、現職の再選も非常に厳しい状況になっている。日常の活動を大切にし、早くから周到に準備し、確実に当選をはたすため全力で取り組んでいこう。<>2006/07/17 142<>0<>【2006.7月】おのみち・24平和行動<>おのみち・24平和行動
 1999年の5月24日、日米軍事同盟強化をさらに強めることを目的とした、日米安保条約の枠さえ越える「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」を実施するための「周辺事態法」を含む「ガイドライン関連法」が参院で可決し成立しました。私たちは、“この日”を忘れることなく、また“これからの法の廃止”に向けて取組を続けていこうという思いから毎月24日を『平和行動の日」としました。丸7年が経ちました。反戦・反核を訴えるものが多いのですが、社会保障の充実や豊かな教育・安定した生活を求めるリーフも配ってきました。先の6月24日には、国会で継続審議となった教育基本法の改悪を廃案にしようという内容のものを配りました。憲法の精神をうけた現在の教育基本法はほんとうにすばらしいものです。子どもたちへの暖かい眼差しと、平和な社会の到来を願い未来を託そうとするおとなたちの強い思いが伝わってくる“至宝の法”です。「教育基本法が改悪されようとしています。教育が壊されようとしています。子どもたちが危ないんです。これを読んでください。」と一人ひとりに語りかけながら、この日、一時の行動をしました。
<>2006/07/17 141<>0<>【2006.7月】がんばってます92<>がんばってます92
府中市議会議員 小森龍太郎
日頃の厚情に感謝を申し上げます。府中市での市長による反動市政につきましては、色々とご心配をおかけしておりますが、いよいよ、そこまでするかというようなところまできてしまいました。5月16日、臨時議会が開かれ、議会選出の各審議会や協議会の委員を決めました。それらの審議会や協議会は今の市長になつて以降、市長の思うままの議論の場にしようと、市長の意に添うような委員が選ばれています。しかし、議会からの委員選出は、各会派の代表によって決めてきたので、必ずしも市長の思うようにはなりません。能力のない市長(本会議で私の質問に対し「自分は市長としての能力がない」と答えたので、あえて書く)が自分の意にさぐわない人間を排除するため、これまでの審議会を「整理」し、「健康地域づくり審議会」という名の審議会に一本化しました。そこへ、わが会派の議員を私が送り込んだことに腹を立てた市長は、議会の決定を無視して、「人事権は私にある」と豪語し、わが会派の議員に委嘱状を出さず、彼に変えて、いわゆる「市長与党」の議員に委嘱状を出すということになったのです。議会議長は、市長の言うままに、委員の変更を「議長権限」で行う有様です。字数の関係で意を伝えることが十分できませんが、「わが世の春」を謳歌する市長と、その市長の言いなりになる与党議員(自民党はもちろん公明党も。共産党も与党宣言をした)が多数を占める府中市議会を変革させるため、信念を貫き、がんばり続けていきます。<>2006/07/17 140<>0<>【2006.7月】第25回 社会主義のあゆみ <>第25回 社会主義のあゆみ 連載第3年次に 入るに当たって
 「社会主義のあゆみ」を連載し続けて丸2年を超えた。新社会党は基本政策に社会主義の実現を掲げているが、党員の皆さんが、果たして社会主義のこれまでのあゆみを踏まえて、どういう社会主義をどのように達成しようと考えておられるのか、率直に言っていささか心もとない感じがしたので耄碌もかなり進み、社会や思想の発展についていけなくなっている僕が、石原書記長に乞われるまま、自分の専門分野でもない「社会主義の歴史」について、生半可な知識をもとに2年間、文字通り拙稿を書き綴ってきた。
 この間、読者からはなんのはんのうも聞けなかった。党員の皆さんは、今は社会主義本来の理念とは真反対の新自由主義の潮流に抵抗するのが精一杯で、新しい社会主義の構想やそれに至るプロセスに思いを馳せるゆとりがないからだろうか。僕は毛沢東主義者ではないが、彼の「戦術的には敵を重視し、戦略的には敵を軽視する」という標語が好きである。当面は強力そうに見える敵の攻撃に体を張って抵抗しながらも、将来はわれわれが結局勝利するのだという確信を、いまこそ持つことが重要ではないか。社会主義者とは、本来そうした楽観主義者なのだ。そういう意味で、現在を闘いながら過去を総括し未来への展望を見据えることが常に必要だ、と僕は思う。
 24回に及ぶスケッチを、いまはまだ改めて読み返して自省したりはしない。
 ただ、1965年まで僕は日本共産党員だつた、という事実は告白しておかねばなるまい。離党した直接の理由は、原水協の分裂後、共産党が原水禁の指導部を分裂主義者とののしり、存在理由がなく、不倶戴天とまで言ったのに承伏できなかったからである。共産党を辞めたからといって、僕には学生時代に洗礼を受けたスターリニズムの残像が色濃く残っていると思う。そういう事情を念頭において、今後も独断と偏見に満ちた僕のスケッチを批判的に読んで欲しい。
<>2006/07/17 139<>0<>【2006.7月】時言「参議院選挙に向け<日々決意を固めよう<>時言
「参議院選挙に向け 日々決意を固めよう」
 1000兆円にも及ぶ借金返済・財政再建をめぐって、現段階直近での増税論を抑えて「無駄を排し徹底した歳出削減をはかる」という経済財政諮問会議・自民党税調の動きがある。27日の新聞は削減の項目をめい明定しないまま14兆を越す総額を決定したと報じている。「無駄を排し徹底した切り詰めなしに増税など御願いできない」と良識めいた仮面をつけて見せているが、それは国民を欺く虚言である。▽第一には、07年参議院選挙対策としての増税隠しであり、第二には官僚の天下り先である政府機関等の見直し、削減は一向に進めていない。第三に公的年金等控除額の「改正」・老年者非課税措置の排し・定率減税の半減等々の制度改変による増税はすでに高齢者を直撃している。▽さらにむごたらしいのは「増税か」「歳出削減か」という二者択一を迫る小泉流である。22日の経済財政諮問会議で首相は「歳出をドンドン切り詰めていけば『やめてほしい』という声が出てくる。増税してもいいから必要な施策をやってくれ、という状況になるまで、歳出を徹底的にカットしなければならない」と言い放っている。▽高齢者医療・介護保険等を削減し、国民を痛めつけ「もう増税してくれ」と言わせるための罠である。その声に応じての「増税」というきたない手口である。▽これに対抗する私たちの方策は「音をあげる」のではなく、「来年の参院選を見ておれ」との意を固めることである。(安保英賢)<>2006/07/17 138<>0<>【2006.7月】『岩国基地機能強化に反対する西部働く者の会<>『岩国基地機能強化に反対する
  西部働く者の会学習会』
 7月6日、西部働く者の会は廿日市市内で提起学習会を開催し、組合員・市民など約60人が参加しました。
 岩国への空母艦載機移転計画に反対し、今外2日、山口県周防大島町に発足した「大島の静かな空を守る会」の河井弘志代表委員が、問題提起を行いました。河井さんは、神奈川県大和市に6年間在住し厚木基地の騒音で体調を壊した自らの体験から、「大島の静かな空が壊される危険がある。経験者として反対し続けることは私の責任」と強調。山口県東部、広島県西部の住民がそれぞれ結束を固め、連携を強めることが必要と訴えました。最後に今月15日、廿日市市・広島市など5市が主催して開催する「岩国基地増強問題を考えるシンポジュウム」への積極的参加を確認し、集会を終えました。
 同会は、計画の白紙撤回を求め息の長い運動を続けるため、基地問題の理解、関係自治体の市民グループとの連携強化を目的に、2〜3ヵ月に一回のペースで学習会を行うことにしている。
<>2006/07/17 137<>0<>【2006.7月】映画『ガーダ パレスチナの詩』<>映画『ガーダ パレスチナの詩』
古居みずえ監督を迎えての上映会が6月24日、25日に東広島市内と広島市内でそれぞれ開催されました。広島では古井監督と宇野昌樹さん(広島市立大)の対談も開催されました。古井監督は37 歳の時、原因不明の病魔に襲われながら奇跡的に回復し「一度きりの人生なら何かを表現したい」とOLから写真家に転身、写真展がきっかけでパレスチナへ入りました。その時、通訳をしてくれたのが1970年生まれの主人公・ガーダでした。ガーダが結婚、出産、子育てをしながら仕事を続ける様子、ガーダを取り巻く人々の生きぎまを50
0時間を越すフィルムに収め編集したドキュメント映画です。
 隣国のイスラエルが戦車やブルドーザーを使ってパレスチナに進入し、入植地を拡大することに対し、子ピもたちは戦車に右を投げて抵抗すればイスラエル軍が片っ端から撃ち殺す様子もあります。現在、イスラエルの行動を見て見ないふりする米国政府、それを支持する日本政府の態度も疑問です。戦車に石を投げる子どもたちに対してメディアが「テロリスト」と決め付けるのも疑問です。パレスチナ人はヒロシマのことを知っており、広島巾民には好意的と聞きます。女性がカメラの前に立つことさえ許されない国で多くの女性たちが世界中の人々に訴え掛けています。女性監督だから撮れた映像かも、機会があればご覧ください。<>2006/07/17 136<>0<>【2006.6月】改憲勢力へかけよう包囲網!<>改憲勢力へかけよう包囲網!
新社会党広島県本部副委員長 三木郁子

 年金保険料の不正な免除や猶予問題で、連日マスコミをにぎやかしているが、広島県教委における学力テストの学校間競争のおしつけによるテスト回答改ざん問題が発覚したのと同じ構図と思われるが、小泉構造改革のもたらした当然起こるべくしておこった市場原理の結果である。
 おりしも国会は審議が終盤へと移っているが、改憲へと直結する悪法のオンパレードというところである。
 教育基本法にいたっての民主党の対案は、政府の原案のそのまた先端を行く始末である。
 医療制度改革法案も強行採決され、参議院へと送られてしまったが、今後ますます医療を受ける人と、受けたくても医療機関にかかれない人の大きな格差が生命の分野へも押し寄せることになり、ますます国民生活は破壊されることになってしまう。
 国会の会期延長なしの雰囲気の中で、「共謀罪」も含め「教育基本法改悪」も継続審議にされたとしても、廃案でない限り秋の国会にまた提案されるであろうから、ここは心ある市民と連帯し何としても踏ん張りどころである。
 党員のみなさん、改憲勢力への包囲網の一人たりえる行動に参加しようではありませんか。

<>2006/06/14 135<>135.jpg<>【2006.6月】『第11回広島県本部定期大会<>『第11回(結党10周年)広島県本部定期大会』 

5月14日、新社会党広島県本部は第11回(結党10周年)定期大会を、三原市において開催した。県内各総支部からの代議員82人、来賓として各支援組織から、また中央本部からは横堀書記長が参加した。
 まず、栗原委員長が「厳しい情勢下ではあるが、市民のくらしと命を守るため、07年統一自治体選・参議院選勝利にむけ全力で頑張ろう」と力強くあいさつした。横堀書記長からは、07年統一自治体選・参議院選勝利にむけ、具体的な提案をうけ、続いて、フォーラムフリー、広教組、解放同盟、県労協などから激励のあいさつがあった。
 議事に入り、2005年度総括、2006年度運動方針に加え、結党10周年の節目の大会ということで、「結党10周年に当たって」というみの10年間の総括が提案された。10年前の結党時の思いを、それぞれ各自が思い起こし、新たな気持ちで日常活動に取り組むことが確認された。特に、各総支部での執行委員会・学習会の定例化、きめ細かな党費納入をすすめる取組の強化、習刊「新社会」の拡大、中間・統一自治体選挙の勝利にむけてなどが議論された。また、午後の冒頭では、鉄建公団訴訟原告の原田さんより、情勢報告と支援のお願いがされ、大きな拍手をうけた。採決にはいり、提案された議案はすべて賛成多数で可決され、この1年間の方針が決定した。
 そして、「働く者の権利、命とくらしを守る」「07年参院選勝利と『憲法九条』の改憲を許さない」の2本の特別決議、07年参院選勝利に向けての決意とも言うべき「大会宣言」を全員で採択、最後に栗原委員長の音頭による「団結がんばろう!」で、10周年の節目の定期大会を終えた。

<>2006/06/14 134<>134.jpg<>【2006.6月】中・四国ブロック自治体議員等交流会<>中・四国ブロック自治体議員・予定候補者・選対担当者交流会
 5月20日(土)〜21日(日)広島市内において、見出しの通りの交流会が開催され、中・四国の関係者20名が参加しました。まず冒頭、上野中央本部選対委員長より07参院選へ向けて「護憲共同候補」擁立へ向けての全国の状況報告につづき、07決戦を勝利するためにも栗原1000箇所集会への全国の具体的な取り組みと、統一選へ向け一人でも多くの候補者擁立をし、参院選とセットにした取組を展開してほしいと檄がとびました。全国各地の情報交換も成されました。続いて岩中伸司熊本県議の「選挙闘争の実践報告」が成され、日常活動の幅広さと細やかさ、また行動がすべて伴っていることに一同感嘆の声があがり、選挙をこれから闘う関係者にとって大変参考になった講座となりました。
 次に小森龍邦中央本部顧問より「護憲共同候補を擁立して闘うのが基本的テーマであり、栗原君子さんをその第一陣として国民に訴える旗印として進めているという事であり、当然、自治体選と連動して参院選の憲法第9条を支え、かつ国民の生活を支えるためにも具体的行動につなげることが大切。だからこそ行動というものが大事である。憲法9条の思想的裏づけを国民に訴えることが必要。国民的広がりをもって多数派を形成しようとしているのだから、それぞれが学習を積まなければならない」とし、1日目を終了しました。
 2日目は、栗原委員長が関東地区から帰り参加され、07決戦勝利への決意表明がなされ、上野選対委員長のまとめで閉会しました。
<>2006/06/14 133<>133.jpg<>【2006.6月】中・四国ブロック自治体議員us@<>中・四国ブロック自治体議員・予定候補者・選対担当者交流会
 5月20日(土)〜21日(日)広島市内において、見出しの通りの交流会が開催され、中・四国の関係者20名が参加しました。まず冒頭、上野中央本部選対委員長より07参院選へ向けて「護憲共同候補」擁立へ向けての全国の状況報告につづき、07決戦を勝利するためにも栗原1000箇所集会への全国の具体的な取り組みと、統一選へ向け一人でも多くの候補者擁立をし、参院選とセットにした取組を展開してほしいと檄がとびました。全国各地の情報交換も成されました。続いて岩中伸司熊本県議の「選挙闘争の実践報告」が成され、日常活動の幅広さと細やかさ、また行動がすべて伴っていることに一同感嘆の声があがり、選挙をこれから闘う関係者にとって大変参考になった講座となりました。
 次に小森龍邦中央本部顧問より「護憲共同候補を擁立して闘うのが基本的テーマであり、栗原君子さんをその第一陣として国民に訴える旗印として進めているという事であり、当然、自治体選と連動して参院選の憲法第9条を支え、かつ国民の生活を支えるためにも具体的行動につなげることが大切。だからこそ行動というものが大事である。憲法9条の思想的裏づけを国民に訴えることが必要。国民的広がりをもって多数派を形成しようとしているのだから、それぞれが学習を積まなければならない」とし、1日目を終了しました。
 2日目は、栗原委員長が関東地区から帰り参加され、07決戦勝利への決意表明がなされ、上野選対委員長のまとめで閉会しました。
<>2006/06/14 132<>132.jpg<>【2006.6月】在日米軍再編に関する閣議決定に抗議!<>在日米軍再編に関する閣議決定に抗議!
 岩国基地機能強化の白紙撤回を強く求め  る!』座り込み

 5月30日の午前中、在日米軍再編最終合意を実施する政府方針が閣議で決定された。これを受け、県原水禁と県平和運動センターのメンバー、市民ら約60人が、12時過ぎから原爆ドーム前で抗議の座り込みを行った。
 平和運動センターの向井議長は「政府は地元に対して全く説明責任を果たしていない。地元住民の声を無視し一方的に進めることは、民主主義の破壊である。あくまでも計画の白紙撤回にむけ粘り強く闘っていこう」と述べた。続いて参加者の3人から発言があり、県被団協の坪井理事長は「人間の知恵で弱者を救うのが政治であり、民意を押さえ込むこのようなやり方は真当な政治ではない」と怒りをあらわにした。
 参加者は、閣議決定への強い憤りと計画の白紙撤回を今後も粘り強く求めていく内容の抗議文を、全員で採択し、直ちに首相、防衛庁長官宛てに送付した。最後に原爆ドームに向かって全員で黙祷を捧げ、座り込みを終えた。
<>2006/06/14 131<>0<>【2006.6月】翼<>翼
 さわやかな季節はあっという間に過ぎ、梅雨の頃となつた。生け垣に咲く紫陽花に気分は和むが、このジメジメした蒸し暑さは何ともやりきれない。健康に留意し、この時季を元気に乗り切っていこう。
 教育の憲法といわれる教育基本法「改正」案が、終盤国会の大きな焦点になっている。与党(自民党・公明党)間で、3年間にわたり計70 回も審議してきたというが、すべて密室での審議、資料などはすべて回収している。今年3月の全国PTA協議会の調査では、教育基本法の内容をよく知らないという人が88.8%にもののぼっている。また5月の朝日新聞の世論調査では、今国会で採決せず議論を続けるべきと答えた人が、73%と群を抜いている。「改正」論議の中心は、「愛国心」「宗教教育」「教育行政」の扱い。
それにしても理解に苦しむのが、公明党の態度だ。「愛国心」「宗教教育」の内容で、なぜこれほど妥協できるのか。戦前の厳しい弾圧をどのように考えているのか。
 今一度この機会に読んでみよう。教育の理念を定めたその内容は、59年が経過した今も輝いている。全く変える必要はない。継続審議そして廃案にむけ、それぞれの地域で全力で取り組んでいこう!<>2006/06/14 130<>130.jpg<>【2006.6月】がんばってます91<>がんばってます91
 七川松美 三原市議会議員
 ある国会議員が挨拶の場で、悪びれる事もなく語った言葉に、国の借金は1000兆円を超えた。すべて国民の大型事業の要望に応えた結果だと誇りげに締めくくった。まさしく政府与党の、国民を欺く放漫な政治は、800兆円をはるかに超える膨大な国の赤字と化して、国民を脅やかしている。
 一方で、大企業への優先政策は規制緩和、公的資金の導入等で保護し膨大な利益誘導を計り、着実に実績を上げているが、一般的に景気は回復せず地域の中小零細企業者は、厳しい経営を余儀なくされている。
 市町合併も、すでに一年が経過した。国の財政難を地方分権、少子高齢化等の政策を掲げ、やまかしの行財政改革の名のもとにを地方財政に責任転嫁をするもの。わが新市に於いても合併協議で約束された事業は実施の状況にあるが、多年に亘って地域の人が育んで来た最も重要な地域の伝統行事、人権教育活動等の予算が減少して文化交流が後退している。又、平和憲法の擁護については、アメリカ外交を最優先する小泉政権によって平和憲法第9条の改悪、それに連動する教育基本法が改悪されようとしている。小泉首相は、A級戦犯を合祀する靖国に参拝し、かつての占領国を挑発し、過去の日本が歩んだ50余年の侵略の歴史と軍国教育を美化し軍事国家を目指すもので、断じて憲法の改悪は阻止しなければならない。地域住民の多種に及ぶ要望を、新社会党議員の重要な任務として、今後も取り組んで参りますので、一層のご支援をお願いします。
<>2006/06/14 129<>0<>【2006.6月】時言 「新しい踏みだしのために」<>時言 「新しい踏みだしのために」
 「選挙で選ばれた国会議員・首相なんだから悪いことをするはずがない」。身内の年寄のこの底抜けのお人好ぶり、あるいは民主主義幻想に当惑させられる▽岩国の大多数の民意を無視しての閣議決定。あるいは教基法改悪・憲法九条改悪攻撃、郵政民営化等々、国民の多数の反対を承知の上で政権与党は自らの意向を強行し、一部の人の利益を保障し、国民には服従を求める。最後は近所の郵便局はなくなり、若者が再び戦場に駆り出される。口をすっぱくして話しても、冒頭の「・・・・悪いことをするはずがない」と繰り返す▽近代ブルジョワジーによる王権打倒の正当化論としての社会契約説において、J.Jルソーは抵抗権を行使しなければ、投票後の国民は常に権力に隷属させられることになると戒めている。そのことを見失っての民主主義幻想である。確かに契約説的民主国家そのものが幻想としての国家であり、階級を
韜晦(とうかい)しての国民国家幻想の下で、ブルジョワは権力を維持し、自らの利益を確保して来た▽この収奪の根幹をなす幻想の補強作用を果たしているのが小泉改革幻想であるが、今や幻想としての民主国家、金融資本主義は新たな幻想で補強しなければならない程追いつめられている▽三万の自死をもっての抗議は五年も続き、子どもを生まない抗議は合計特殊出産率を1.25にまで下げた。このような自己否定的抵抗を乗り越えるためにも、社会的位置の自覚による幻想からの自己回復が求められている。
(安保英賢)
<>2006/06/14 128<>0<>【2006.6月】第24回 イギリス労働党、政権担当へ<>第24回 イギリス労働党、政権担当へ
                          北西允
 1900年に誕生したイギリス労働党が、政権獲得をめざす政党に脱皮したのは1918年のことである。この年、労働党は政策と組織の両面を整備して、ようやく政党としての体制を整えるに至った。
 まず政策面では、結党以来初めて党綱領を策定した。それは1884年創立のフェビアン協会が提唱した反マルクス主義的な一種の社会主義思想に基づくものであった。フェビアニストは、資本主義を批判するに際して、当時サンジカリストを含め広く社会主義陣営で採用されていたマルクスの余剰価値説を斥け、D.リカルド(1772〜1823 )の地代論とW.Sジェボンズ(1835〜1882)の限界効用学説を援用した。綱領は、社会の基底を資本家と労働者の対立ではなく、生産者と消費者の対立と捉え、搾取は生産過程ではなく分配ないし流通過程で起きると説いた。生産手段は将来、国有や自治体所有に移されるべきであるが、その管理、経営に当たるのは、フェビアニズムを体得したエキスパートが最適者だと述べ、社会主義は、改良の積み重ねを通じて漸進的に実現されると主張した。
次に労働党は創立以来、労働組合を主体とする団体加盟一本槍の特異な組織形態をとっていたが、1918年の再編で初めて個人にも加盟の道を開き、選挙区に党組織を設置して本格的に選挙戦に備えるようになつた。労働党は、普通選挙戦の段階的実現、自由党の一時的分裂によつて党勢を伸ばし、1924年と1929年には少数党ながら政権を経験することになる。
 しかし、労働党の政権体験には、実は支配階級による党の体制への馴致策という側面があった。大恐慌下の1931年、国王は自由党党首の進言を受け入れ、労働者に厳しい犠牲を強いる緊縮財政を実行させるため、労働党党首マクドナルド(1866〜1937)に「挙国一致内閣」の組閣を命じたのである。<>2006/06/14 127<>0<>【2006.6月】護憲共同『7・7シンポ』に期待する<>護憲共同『7・7シンポ』に期待する

「今こそ市民の風を!07年参院選・平和の共同候補を求めて7・7シンポジューム」が開催されます。これは「護憲共同候補擁立懇談会」と「『平和への結集』をめざす市民の風」が呼びかけているものです。昨秋成立した自民党の「新憲法草案」は世界の宝である憲法9条2項を削除し「自衛軍」を明記しています。この国は有事法制化で戦争のできる国となりながら、軍隊を堂々と海外派兵できる普通の国になるには『憲法9条』が邪魔だというのです。これは世界を軍事力で支配しようとする米・ブッシュ政権と日米財界の要請でもあるのです。憲法9条を変えて市民の人権や民主主義、命よりも国家を優先させるものです。今国会で『共謀罪』の新設、『教基法』の改悪、改憲手続きを定める『国民投票法案』などの審議がなされています。このように危険極まりない状況下で心ある人々が立ち上がり、04年参院選での沖縄選挙区・糸数慶子さんを勝利させた平和統一候補方式をモデルにして新社会党、社民党、共産党、沖縄社会大衆党、虹と緑の500人リスト、各地の生活者ネットワーク運動など幅広い提携で国会に三分の一以上の改憲阻止議員を送り込むことをモットーに強力な活動を始めています。『7・7シンポジューム』には広島からも代表を派遣し成功させたく思います<>2006/06/14 126<>126.jpg<>【2006.6月】日の丸・君が代の強制に反対し申し入れ<>日の丸・君が代の強制に反対し、宗教者の会が県教委へ申し入れ

小武正教

2006年3月の卒業式、そして4月の入学式に際して、「日の丸・君が代」の強制に不服従・不起立を貫いた先生に対して県教委が「処分」を加えないよう(処分の撤回を求めて)県内の宗教者有志で県教委に対して計3回の申し入れ行動を行った。(06.3.27。5.11。5.24)
特に3回目は、「宗教者の会」のみならず、強制に反対する「大学教職員の会」や「文化人の会」そして「処分をうけた先生」と一緒に県教委に出かけ、抗議と申し入れを行った。
県教委の窓口の総務課長は、「お聞きして上司に伝えます。しかし回答はしないことになっています」の一点張り。「教育現場に強制はしないという政府答弁の下で“国旗・国歌法”は成立したはずなのに、現状はまさに強制になっているがどう思っているか」、「学校現場で、先生はいうまでもなく、生徒にまで起立することが指導の名の下に強制されているが、それは生徒の思想・信条の自由の侵害ではないか」「保護者や来賓にまで、強制が及んでいる事実をどう思うか」等々。しかしまるでロボットしと向き合っているようなものである。「会話の成り立たない所に教育はないでしょう、これでは“教育”委員会ではなくて“服従訓練”委員会と名称を変えたらどうですか」と皮肉を込め、職員全員に聞こえるように声を張り上げる場面もあった。まさにファシズムはこうして進められるということを目の当たりにし、許すことの出来ない思いを強くした。
<>2006/06/14 125<>0<>【2006.5月】「11月3日・1万人集会」の計画<>「11月3日・1万人集会」の計画

「11.3 憲法九条ピース・フェスタ」1万人集会を成功させるため打ち合わせが進んでいます。広島県下、33団体の「九条の会」(結成準備中2団体)が、総力をあげて1万人集会を成功させようと、4月29日に準備会が広島市内で開かれました。
 45名の参加があり実行委員会を結成しました。場所は、広島県立総合体育館「グリーンアリーナ」です。1万人の集まりで、「ヒロシマ」に憲法改悪反対の更なるうねりをつくるため、是非ご参加を。 <>2006/05/14 124<>0<>【2006.5月】結党十年の節目 がんばろう!<>結党十年の節目
 がんばろう!
          新社会党広島県本部
         副委員長  高橋晋作
 新社会党中央本部は3月11日・12日に結党十周年記念定期大会を開催しました。
 広島県本部も5月14日に十周年記念の定期大会を開きます。1996年、当時の日本社会党は自衛隊合憲、日米安保条約堅持、原発容認など次々と基本政策を転換し、さらに小選挙区制にも賛成するなど大きく変質しました。 それに対して栗原委員長、小森顧問など当時の衆・参の国会議員5人によって「護憲の党の再建」を合言葉に新社会党は結党されました。みなさんご承知の通りです。結党十年の節目にあたり、改めて結党の精神を再確認し、その主張の正しさを行動で示さなければなりません。当面の緊急課題となってきた教育基本法改悪を許さない運動に、広教組、高教組と連携して県内各地で取り組まなければなりません。教育基本法改悪は「戦争のできる人」をつくるためのものだといっても過言ではありません。
 さらに私たちの最大の課題は、迫り来る憲法改悪をいかに阻止するかです。そのために主体をきたえつつ県内各地で働く人々の生活と生命、権利の破壊を許さない運動を粘り強く構築していくことです。私たちをとりまく情勢は極めて厳しいですが、団結してがんばりましょう。
<>2006/05/14 123<>123.jpg<>【2006.5月】「憲法とヒロシマ 5.3集会」<>「憲法とヒロシマ 5.3集会」
 毎年恒例の「憲法とヒロシマ 5.3集会」が平和祈念資料館地下のメモリアルホールで今年も開催された。中国新聞の田城明さんが、「ヒロシマの記者の目を通して」の題で講演。インドやパキスタンを取材してきた経験から、「ヒロシマの役割は紛争地の和解や仲介にイニシアティブを発揮して欲しいというものそれなのに、逆のほうに行っている」と現状を憂慮。そして、「アメリカに従属していたら、アメリカのステータスが今下がっているので日本も地に落ちてしまう」としたうえで、(護憲派が)「国内だけの小さな反対勢力になってはいけない。もっとひろくアピールすることを考えるべき」と話した。
 弁護士の足立修一さんが、共謀罪を中心に緊急アピール。共謀罪などの背景にはアメリカの世界戦略があるとし、労働組合が、交渉で社長を交渉の場に引き止めようと話し合っただけでも監禁罪を話し合ったとして、逮捕対象になるとその危険性を指摘した。
 高教組の秋光民恵さんからは、教育基本法改悪についてのアピールがあり、最後に主催者を代表して栗原君子さんが挨拶して集会を年だ。
<>2006/05/14 122<>122.jpg<>【2006.5月】当選 府中市議会議員選挙<>当選 府中市議会議員選挙
小森龍太郎 新社会党公認 3期目
 786票 第23位
 任期満了に伴う府中市議選が4月23日、投開票され、公認候補の小森龍太郎・府中・御調総支部副委員長が786票を得票し、第23位で3期目の当選を果たした。
 今回の選挙は、上下町との合併後初めてであり、また、定数24に対して27人が立候補し、選挙戦は少数激戦を極めた。
 その中で、小森候補は議会において唯一市長と論戦をはり、横暴を許さない姿勢を貫いてきたことを前面に出し、今日抱えておる財政問題、教育問題、福祉問題を連日市民に訴えた。
 さらに、共産党を含めたオール与党体制の中での選挙戦は、連日差別感情を煽ったビラや街頭でのキャンペーンを繰り返すという大変厳しい情勢だったが、
連日地元はもとより県内各地から、支援者の必死の取り組みによって、逆風をはね返し、当選にこぎつけた。
 当選が決まり、あいさつにたった小森候補は、厳しい選挙戦を支えた支援者に深々と頭を下げ、感謝の意を表すとともに、「市民のみなさんのために選挙中に訴えた政策を実現するために全力で邁進していく」と決意を述べた。
<>2006/05/14 121<>0<>【2006.5月】 『署名の集約に全力で』<>『署名の集約に全力で』
 〜教育基本法「改正」案、国民投票法案寮をめぐって〜

「教育の憲法」といわれる教育基本法をめぐる動きが、慌ただしくなってきました。4月28日、政府は与党合意に基づく教育基本法「改正」案を閣議決定し、直ちに国会に提出しました。自民党は法案審議のため特別委員会の改置を強行し、今国会(会期は6月18日まで)での成立を目論んでいます。
 今回の「改正」案については、政府・与党により密室で協議されたものです。この3年間で70回開かれた与党検討会は、資料もすべて回収されるなど非公開で行われてきました。教育の目標に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんでんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」が明記されました。「国を愛する」ことは、一人ひとりの心の問題です。それを法律に書き込むことで強制が生まれ、憲法で保障された思想・良心の自由を侵すことになります。PTA全国協議会の調査では、教育基本法の内容をよく知らないという人が88.8%にものぼり、またNHK調査では、改正すべきだとする人でも76%が「今国会での成立にこだわらず、時間をかけて論議すべき」と答えています。
 今後の教育の行方を大きく左右する基本法、十分な議論もないまま拙速に「改正」させてはなりません。じっくり時間をかけて慎重に議論をかさねていくよう、当面は署名の集約に全力をあげていきましょう。
 また、憲法改悪のための手続きを定める国民投票法案は、国会に提出されてはいませんが、現在、衆議院憲法調査特別委員会で与党の骨子案を基に議論がすすめられています。自民党は、公明、民主党との協議で合意を得て、あくまで今国会での成立を目指す方針と伝えられています。この法案が成立すれば、一気に憲法改悪への流れが大きくなっていきます。憲法改悪のための国民投票法案の成立を阻止するため、署名の集約に全力をあげていきましょう。
<>2006/05/14 120<>0<>【2006.5月】翼<>翼
 やわらかな緑のころとなった。この時期になるといつも思う。「1年中この時期が続かないものかと」。
 日米両政府は5月1日、「日米安全保障委員会(2プラス2)」を開き、在日米軍再編の最終報告について合意した。米海軍厚木基地の空母艦載機の岩国への移転や、在沖縄海兵隊八千人のグァム移転を含む基地再編を、8年後の2014年までに完了すると明記している。自衛隊と在日米軍の司令部統で日米の軍事的「一体化」が加速されていく。
 それにしても、政府は地元自治体や住民の意思をどのように受け止めているのか。昨年10月、頭越しに中間報告が示された。その後岩国市では、3月の住民投票で投票者の9割、資格者の過半数が反対だった。4月の市長選でも、「計画の撤回」を掲げた前市長が大勝し、民意が「反対」ということは明確である。また、広島県でも県西部を中心に16万人の反対署名も提出されている。
 国は「誠心誠意、話し合いたい」と口では言うが、一体、いつ本気で地元と話し合ってきたのか。地元の意志を本気で聞こうとしてきたのか。最終報告を合意しておいて、その後話し合うというのでは全く本末転倒であり、とても納得できるものではない。
<>2006/05/14 119<>0<>【2006.5月】社会主義の歩みと将来への展望 (21)<>社会主義の歩みと将来への展望
 個人の尊厳と自立的連帯を求めて(21)
広大名誉教授 北西允
第23回 ソ連「一国社会主義」とコミンテルン 左右の政敵を指導部から放逐したスターリンは、自己の独裁的支配を強めるとともに「ソ連は世界の革命の砦」という建前のもとに、ソ連一国の国力充実に意を尽くした。さらに彼の意志は、1920年代末以降コミンテルンを媒介にして世界各国共産党に決定的とも言える影響を及ぼしていった。
 もともとコミンテルンの創設自体、社会改良主義の克服という課題のもとに企てられたものであった。したがってレーニンをはじめロシア共産党の指導者らが、社会民主主義にきわめて批判的であったのは事実である。しかし、コミンテルン創設から1924年の第4回大会までは、様々な社会主義・労働者勢力との統一戦線を模索する試みも企てられなかったわけではない。
 ところが、革命情勢が遠のいて資本主義が相対的安定期に入り、スターリンがソ連共産党、ひいてはコミンテルンに君臨するに及んで、社会民主主義勢力に対するその方針はいちじるしく排他的なものと化していった。とりわけ1928年のコミンテルン第6回大会は、台頭するファシズムを前にして、社会民主主義その他の民主勢力と手を組んでそれを阻止しようとするどころか、社会民主主義=社会ファシズムとまで規定し、社会民主主義に「主要打撃の矛先を向けよ」との極左的方針を打ち出した。
 翌29年のニューヨークにおける株式大暴落に端を発した大恐慌は、たちまち資本主義世界全体に波及し、資本主義経済は大混乱に陥った。大恐慌の打撃が最も著しかったドイツでは、ナチスが1933年遂に権力を掌握するが、コミンテルンが社会民主主義に対する方針を転換して「反ファッショ統一戦線」戦術を採択するのは、その2年後の第7回大会に置いてである。この間、ソ連では一種の「開発独裁」体制下で社会主義建設5ヵ年計画は着実に実施に移され、国力は大きく増進したのである。
<>2006/05/14 118<>118.jpg<>【2006.5月】教育基本法・憲法の改悪をとめよう!ヒロシマ<>教育基本法・憲法の改悪をとめよう!ヒロシマ集会・開催

『日の丸・君が代』の強制や処分、教育基本法の改悪を許さない労働者・市民ら100名が4月15日、広島市内・ロードビルに集いました。はじめに呼びかけ人の栗原君子が「愛国心を盛り込んだ教基法の改悪を自民・公明の与党は合意したが反対のため頑張ろう」と挨拶しました。続いて田中信尚さん(ノンフィクションライター)が「蘇る『靖国』思想と『日の丸・君が代』強制」と題して講演をおこないました。講演のなかで田中さんは「愛国主義教育の行き着く先は国のために死ねる人を作るもの。卒・入学式の儀礼は子どもたちに服従を強制する装置である」「『元号』『靖国』『日の丸・君が代』の意図するものは天皇制と国家にとって都合の良い国民に再生産することである。『靖国』は国のために死ぬことを受け入れさせる所である。」などと語りました。宗教者や市民運動の立場からの意見も述べられ、最後に全員で「教育基本法改悪の『与党合意』に抗議し、国会上程に反対する決議」を採択して集会を終えました。

<>2006/05/14 117<>0<>【2006.5月】働く者の相談室ひろしま 賛同人募集<>働く者の相談室ひろしま
第5期(2006 年度)賛同人募集
 「労働相談ひろしま」も間もなく5周年を迎えます。この間、雇用・労働情勢の悪化の中で、未組織労働者や外国人労働者の数多くの労働相談に応え、支援と連帯の輪を広げてきました。しかし、労働者の状況は一層深刻であります。
この期にあたって、労働相談活動が、職場の多数派となりつつある非正規・不安定労働者の不満や要求を共有し連帯するならば、真に資本と闘う労働運動再生と労働者の組織化に貢献するものと確信できます。
 つきましては、一人でも多くの労働者・市民の皆さまのご賛同とご支援をお願いいたします。
*賛同金 個人1口(1000円)以上
*申込先 
 〒732-0057 広島市東区二葉の里1-3-16 吉村ビル3F 
       082-361-3751 FAX082-264-2310
<>2006/05/14 116<>116.jpg<>【2006.5月】 広島総支部で学習交流会<>税制改悪にどう立ち向かうか
広島総支部で学習交流会

 広島総支部の学習サークル「コンパス21」は4月24日、東区地域福祉センターで第12回の学習交流会を開いた。
 ‘税制改悪にどう立ち向かうか’と題して 、郵政ユニオンの仲間からレポートをうけ、論議を交わした。
 学習会は、1、なぜいま「税制か」を問題にすることが、この国の悪政を見破る重要な根拠 2、税制の憲法上の根幹は「応能負担原則」つまり「公平・公正負担原則」 3、現行の税制・税率は誰にとって有利か−−実際の数値を知ろう 4、「財政再建」は税制のフラット化からではなく憲法の原則に戻すことから という柱で問題提起を受け、その後、参加者で論議した。
「税法上の不利が資本の海外移転につながるとの相手側の批判について、これはウソだ」、「応能負担原則を憲法から抽出することについての質問」等々が議論となった。      広島総支部
<>2006/05/14 115<>115.jpg<>【2006.4月】10周年を契機に更なる前進を!<>10周年を契機に更なる前進を!
新社会党広島県本部委員長
栗原君子
 3月11日、12日、私たちは結党10周年という節目の中央本部大会を終えました。本当に早かった、よくぞ皆さんが今日まで持ちこたえてくださったという思いです。いまや結党時に私たちが想像していた通り、自民党は数の力で公明党を巻き込み民主党の精神的応援を得て、憲法などそっちのけで戦争のできる国・人づくりに躍起になっています。

私たちは10年間をしっかり総括して次へと歩まなければなりません。一口に言ってこの10年間、護憲・民主勢力にとっては押されっぱなしであったような気がします。マスコミは相変わらず二大政党制を煽り続けておりますが、少なくとも二大政党というからには、一方の極に政策の対比できる政党がいなければならないのです。同じ基本政策を持つ保守政党がAとBに分かれて日米の財界優位、労働者切り捨ての競い合いを行っています。私たちは小泉構造改革が招いた圧倒的多数の生活弱者と共闘して平和で人々が人間らしく生き続けられる社会を創るために奮闘しなければなりません。当面、府中市議選勝利をはじめとする自治体選挙闘争のきめ細かな取組みが大切です。広島県は86市町村が23市町となり護憲政党にとって議席確保すら難しい状況とはいえ、候補者を立てなければ闘えません。鍛えられた活動家の集団として果敢な闘いを起こしましょう。<>2006/04/12 114<>0<>【2006.4月】岩国基地機能強化反対集会<>岩国基地機能強化反対集会
 岩国基地強化反対集会が3月19日、岩国市旭町グランドで開かれ、3500人が参加した。
 主催者を代表して長嶺平治・同集会実行委員長が挨拶を行った後、移転反対期成同盟の、中川・大竹市長が「自治体の最大の責務は、住民の安全、安心を守ること。今回の案は絶対容認できない」と強い口調で訴えた。
 また、厚木基地報告を行った神奈川県平和運動センターの金子副議長は「爆音のたらいまわしを許すなが私たちの立場、基地強化を共にはねのけよう」と連帯の挨拶をおこなった。
 参加者は「岩国市民と地域住民とともに、岩国基地機能強化反対・低空飛行訓練反対の立場で断固行動する」とした集会決議を採択した後、基地の(一)部を「人間の鎖」で取り囲み、「艦載機の岩国移転反対」「住民投票を尊重せよ」とシュプレヒコールをくりかえした。集会には、県本部から栗原委員長、石原書記長が参加した。<>2006/04/12 113<>113.jpg<>【2006.4月】『第11回定期全国大会』<>『第11回定期全国大会』
 3月11・12日、東京都内で、結党10周年の節目の大会となる第11回定期全国大会が開催されました。まずこの1年間に亡くなつた同志に黙祷を捧げ、続いて栗原委員長がこの10年間を振り返り、「憲法を守るためぜひとも共闘を成功させよう。私もみなさんの先頭に立って闘う」と参院選への決意を込めて力強くあいさつ。来賓は参院議員の糸数さん、評論家の佐高さん、全労協議長の藤崎さんの3人、10周年ということで、山口元書記長、小森前委昌長、岡崎前副委員長からあいさつがありました。
 今年は大会の議長を、愛媛から男性、広島から女性ということで、広島の土屋みとりさんが行いました。議事に入り、横堀書記長より第1号議案(総括と方針)、上野副委員長より第2号議案(参院選・統一自治体選の具体的方針)の提案があり、質疑討論に入りました。質疑討論は2日間で計31人の代議員が
行い、みんな熱弁で、時間内にはなかなか終れりませんでした。広島からは、土屋さん(広島)と城間さん(尾道)が、労働運動、自治体選なとの内容を中心に参加し、会場ガら大さな拍手をうけました。今年は結党10周年ということで、1日目の夜パーティーが行れれ、多くの懐かしいみなさんも含め400人が集まりました。
 2日目の午後、横堀書記長は討論を集約し、「大変厳しい情勢ではあるが、全員でスクラムを組んで前進していこう」と結びました。採決に入り、執行部提案の議案は、賛成多数ですべて可決されました。
 最後に大会宣言を採択し、栗原委員長の音頭で、参院選勝利!統一自治体選勝利!にむけて、「団結がんばろう!」を全員で高らかに行い、2日間にわたる大会を終えました。<>2006/04/12 112<>112.jpg<>【2006.4月】『自衛隊のイラクからの即時完全撤退を求める<>『自衛隊のイラクからの即時完全撤退を求める座り込み』
 米英のイラク侵略戦争がはじまリ3年が経過した3月20日、平和運動センター、原水禁のよびかけで、原爆ドーム前において標記の座り込みが行われ、被爆者・労組員・市民なご約80人が集まりました。ちょうごどの日は執行委員会ということもあり、新社会党からも10人が座り込みに参加しました。
 まず、向井議長が「イラクの状態はベトナムと同じ状態に陥っており、直ちに外国の軍隊は撤退すべさだ」と述べ、続いて被爆者を代表し宮崎さんは、「3年も経つのに一般市民を巻き込んだ殺殺戮が続いていることは、被爆者として絶対に許すことができない」と述べました。自衛隊のイラクからの即時完全撤退を求めるアピールを採択し、小泉首相なとに宛てて送付しました。最後に参加者全員でドームにむかって黙祷を捧げ、集会を終えました。
 戦争が始まって3年、市民の記憶が薄れてさたのか、座り込みをしていても目の前を通り過ざる市民の「何のための座り込み?」という視線の変化が、気になります。<>2006/04/12 111<>0<>【2006.4月】 『翼』<>『翼』
 各地の桜の便りがとどとく4月というのは、何か人の心をうきうきさせる。大きなま新しいランドセルの新入生の姿は、見ていてほほえましい。4月はまた、それぞれの場所で、親しい人との別れと、新しい人との出会いの時でもある。人と人との繋がリを大切にしていきたい。
 さて、国の新年度予算が、3月末に「予定」通り成立した。この通常国会の冒頭には、耐震強度偽装問題、米牛肉輸入問題などいわゆる「4点セット」で、野党に攻撃材料はいくらでもあった。しかしながら、年度内でのスムーズな予算成立である。
 この一番の責任は、何といっても野党第一党民主党のふがいなさである。
 メール問題での迷走が、小泉自公政権を大さく助けた。2月中旬にメール問題が発覚して以来、全く攻守ところをかえ防戦一方になり、結局、本人は議員辞職、代表は辞任に追い込まれた。野党第一党がこれでは、与党のやりたい放題、われれれの思いなど国政に反映されるはずはない。
 これからの後半の国会では、教育基本法改悪案の上程が予定されると報道されている。野党第一党には、しっかりと腰をすえて、ぶれないで反対の姿勢を貫いてほしい。民主党にこのようなことを望むのは、もともと無理な話か。
<>2006/04/12 110<>0<>【2006.4月】がんばってます89号 西本章<>がんばってます89号
福山市議会議員   西本章
先日、ある中途視覚障がい者の人と話す機会がありました。その女性は、40才半ばで視力を失い、盲学校へ入学し、今は家で鍼灸・指圧のセラピールームを開設して頑張っておられます。
 今の一番の願いは、支え合える地域が欲しいと言われています。地域には、「○○地区福祉を高める会」などが組織されていますが、それを一番必要としている人の所へは、ほとんど届いていないのが現状のようです。
 その人はある日タクシーを利用した時、故意に遠回りをされ不当な料金を請求されたそうです。そんなタクシー運転手がいることも許せませんが、外出時にはボランティアなどによる支援ができないものか、考えさせられました。
 しかも、4月からはそのタクシー券さえも、所得制限を理由に配布されない人がかなりの数いるとのことです。
 今、福山市だけでなく、どこの自治体でも協働のまちづくりということがさかんに言われています。しかし、掛け声だけに終わるのではなく、内実のある、暖かい福祉はどうあるべきなのか、考えていかなければなりません。
 私も、もうすぐ任期の半ばを迎えます。一人ひとりの暮らしの中からの願いを実現していけるように、改めて気持ちを引き締めて行こうと思います。
<>2006/04/12 109<>0<>【2006.4月】時言 「こんな政治はいらない」<>時言 「こんな政治はいらない」

 「格差がでるのは悪いことではない」と、この国の首相は言い放つ。しかし国民は国政に、そのようには信託していないし、格差を是とする政治などいらない▽国民の厳粛な信託に依っている国政は、主権者一人ひとりの尊厳・生命・自由・財産等を等しく守っていくことを第一義としている。それ故、契約・生産等経済自由主義に基づく活動によって生み出される格差の是正は、前記信託を受けての国政の最も重要な責務であり、それを果たし平等を確保していく所得再配分は極めて重要である▽加えて資本の側の利潤は、空気や水、あるいは道路等々社会的・公的な資源を利用し、労働力を搾取してのものであってみれば、当然にも、所得再配分は行われなくてはならない▽さらに規制を緩和し、経済活動の自由を拡大し、資本の側の利潤を増大させる小泉改革においては、当然にも格差が拡大するので所得再配分機能をより一層強化しなくてはならない▽それにもかかわらず、冒頭の小泉放言である。そこには市場万能、競争激化・強者優先・格差拡大という小泉改革の本質が表明されている。その言辞のとおり、所得税の累進税率を80年代の80%台から、37%にまで引き下げ、医療や年金等社会保障を破綻させることで所得再配分機能を低下させ、逆に株式譲渡益への課税を10%に抑え、相続税の最高税率を03年には70%から50%に引き下げた▽それこそまさに露骨な格差拡大である。それは国民の信託に違背し、民主政治の否定である。            (文責 安保英賢)
<>2006/04/12 108<>0<>【2006.4月】社会主義の歩みと将来への展望(22)<>第22回ロシア共産党内の権力闘争  北西允
 資本主義体制は、第一次世界大戦によって大きく揺らいだが、ドイツ革命の失敗後次第に革命の波は遠のき、1924年ころから敗戦国ドイツなどを除いて相対的安定期に入っていく。一方資本主義を打倒したロシアでは、戦時共産主義、ネップ(一時的な市場経済政策への回帰)と革命政権の経済政策は左右に揺れた。その間ロシア共産党内部では、一国社会主義を目指すべきか、革命をヨーロッパ先進諸国に波及させるべきかという問題をめぐって指導者間で激しい論争が繰り広げられた。論争は権力闘争の様相を帯びていたが、結局、Iスターリン(1879〜1953)が政敵を放逐して実権を握り、以後はスターリンの個人独裁のもとで一国社会主義を志向するようになる。
 スターリンがロシア革命で演じた役割は決して大きなものではなかった。しかし、彼が1922年に共産党書記長の地位を得てからは、左右の反対を排除するためあらゆる術策を弄した。書記長として党官僚を掌握していたのが彼の強みであった。スターリンは、レーニンの晩年、まずコミンテルン議長G.ジノビエフ(1883〜1936 )、全ロ・ソビエト中央委議長L.カーメネフ(1883〜1936 )とトロイカを組み永続革命を唱える左派のトロツキーの失脚を画策した。しかし、レーニン死後、スターリンへの権力集中を恐れたジノビエフとカーメネフは、今度はトロツキー派と合同してスターリンの一国社会主義に反対した。これに対してスターリンはも『史的唯物論』(1921)などの著作でレーニンの厚い信頼を得、指導部の一角を占めるようになったN.ブハーリン(1888〜1938)と組み、1926年ジノビエフをコミンテルン議長から引きずり下ろしてブハーリンを後継者に据え、翌27年にはカーメネフを除名に追い込んだ。だが、工業化と農業集団化を巡ってスターリンと対立したブハーリンは「右翼」とのレッテルを貼られ、やがてコミンテルン議長の地位などを奪われることになる。
 こうして革命の過渡期としてのプロレタリア独裁は、党の独裁、中央委の独裁、そして遂にはスターリン個人の独裁へと変質していったのである。
<>2006/04/12 107<>0<>【2006.4月】「九条の会・福山」結成<>「九条の会・福山」結成
 三月十日(金)午後六時30分より県民文化センターふくやまで「九条の会・福山」が結成され、結成記念の講演会が九条の会事務局長の東京大学小森陽一教授をお迎えして開かれました。
結成呼びかけ人の代表者から「憲法九条を守ろう」の一点で今後福山の地でも憲法を守る運動を創っていきましょうの挨拶で開会し、小森教授から「憲法を守る運動の到達点と今後の課題」と題しての講演がありました。 思想・信条・支持政党の枠を超えた幅広い市民を結集して「九条の会・福山」が結成されたことは、国会で九条を中心に憲法改悪の動きが活発化している中だけに、その意義は極めて大きいものがあると思います。
 今後はより多くの市民を結集した運動を粘り強く創っていかなければなりません。当日はいろいろな行事と重なり予想していた800名に達しなかったことが残念でした。
<>2006/04/12 106<>106.jpg<>【2006.4月】6の日行動・憲法学習会を開始<>6の日行動・憲法学習会を開始
−「九条の会・広島県北」−
2月4日(土)に旧みよし平和人権センターに100人が集まって発会した、「九条の会・広島県北」。毎月6日の日、県北(三次市・庄原市・安芸高田市など)一体を「憲法九条を護り、今こそ活かしていこう」という街宣活動を3月からはじめました。会員のワゴン車に看板とスピーカーをとりつけ、人通りの多いスーパーなどの前何カ所かで街宣を行います。4月6日は5人の参加でしたが、それぞれがマイクをもって訴えました。
 また毎月第3木曜日の学習会も始まり、まず第一回として、今国会に上程される可能性のある「国民投票法案」の問題点を会員のレポートで学習し、国民投票法案の阻止のため、署名活動への参加と啓発ビラの作成をしていくことを確認しました。
県北の地には他にも高等学校退職教職員・九条の会などがあり、連携して九条改悪反対の輪を広げていく活動が始まっています。<>2006/04/12 105<>0<>【06.3月号】結党10 周年を基盤に護憲共同で勝利を!<>結党10 周年を基盤に護憲共同で勝利を!
新社会党広島県本部 副委員長 三木郁子
3月11日〜12日の新社会党第11回定期全国大会は、「結党10周年」という節目の大会となります。この節目を基盤に、07年の参院選へ向けて護憲共同の実現へ前進を図り、何としても護憲勢力の議席拡大実現に総力を結集しようではありませんか。
 小泉構造改革がもたらしている「格差拡大」のひずみは、多くの国民生活へ深刻な影をもたらしています。1年に3万人を超える自殺者を出し続け、依然として高い4%台の失業率、またこの経済格差は、教育の分野にも2極化をもたらしています。そして、生活保護世帯は全国で月平均100万世帯を突破し10年で1.6陪の増となっており、すでにこの1月の調査で71
%の人々が「所得等格差拡大を実感する」と答えています。
 これらの行き着く先は社会保障を切り捨て、教育基本法改悪、軍事費の増大と憲法改悪です。
 そのためにも日常活動を積み重ねつつ、横の広がりをもたらす努力をしようではありませんか。
 1996年1月1日の新社会党結党の精神と党の「21世紀宣言」を一人一人が心新たに刻み、この結党10周年をさらなる飛躍の道へと繋げようではありませんか。<>2006/03/22 104<>0<>【06.3月号】続けていますよ〜『九の日行動』<>続けていますよ〜『九の日行動』
 2001年の参議院選挙の敗北で落ち込んでいたとき(故)栗原貞子さんから「憲法が危機なので、女性が立ち上がって平和のために継続した運動をしてはどうか・・」と投げ掛けられ『平和大好き!輝く女性たちの会』ではじめたものです。憲法九条の九にちなんで『九の日行動』とし、毎月・九日には広島市内・繁華街で時々の政治情勢を書いたチラシを配り街宣を行っています。近年、チラシの受け取り状況が悪くなっていますが、それでも有事法制審議時とかBSE問題で議論されていたときなどのようにメデイアが多少なりとも取り上げていれば受け取り方も良いように思います。通行人のなかには「頑張ってください」と声をかけてくださる方も多くあります。はじめはマイクを持つことに躊躇していた仲間も今では堂々と話せるようになり、順番に平和のことや職場の問題、生活のことなどを政治にからめて説得力のある訴えをしています。月・一回とはいえ、参加者はある種ストレスの解消をしているようにもみえます。
<>2006/03/22 103<>0<>【06.3月号】広島総支部『第11回学習交流会<>2月15日、東区地域福祉センターで第11回学習交流会が開催された。今回のテーマは「教育行政による教育破壊攻撃の現状」であった。県高教組の北村環さんを講師に約2時間、学習し、認識を深めた。
 憲法改悪と教育基本法改悪は表裏一体で、平和・人権・主権を破壊する攻撃をしてかけられてきている。その実態は、愛国心育成、エリート選別・育成、一斉学テや学区制の廃止による競争、日の丸・君が代強制、教組弾圧、つくる会教科書の採択など、すさまじいものがある。そして、広島県の教育現場では、教育長辰野による強圧的な「是正指導」によって、いかに教育内容がねじ曲げられ後退してきたのかが、具体的に語られた。
 一方で反撃の闘いも高まってきている。それは、1人教育現場の苦闘から共同した地域課題へ、全国的な反撃へと広がっている。3月3日には全国集会も開かれる予定である。 学習会に参加した仲間たちは、講演を受け、学習した内容を今後の活動に生かしていこうと誓い合った。(広島総支部)
<>2006/03/22 102<>0<>【06.3月号】『岩国基地機能強化反対!働く者の廿日市・大竹<>『岩国基地機能強化反対!
 働く者の廿日市・大竹地域集会』
 米軍岩国基地への空母艦載機の移転計画に反対する集会が、2月19日、廿日市市内のはつかいち市民大野図書館で開かれました。この集会は、西部地域(廿日市・大竹市)で働く者らでつくる「岩国基地機能強化に反対する働く者の会」(岡原美知子会長)の主催で、労組員や市民など約130人が参加しました。
 来賓の山下廿日市市長は、「情勢は非常に厳しいが、白紙撤回にむけて住民と行政が協力し全力で取り組んでいく」と挨拶、また厚木基地の爆音訴訟に取り組む爆音訴訟団事務局長の藤田栄治さんが講演し、「われわれは米軍を追いだしたが、今度は岩国がしっかりと拒否してほしい」と締めくくられました。続いて岩国市の田村市議会議員から現地報告があり、「3/12の住民投票が成功するよう多くの人々に支援をお願いする」と話されました。最後に、「基地機能強化絶対反対!住民投票の成功!」などを盛り込んだ集会アピールを参加者全員で採択し、3時間の集会を終えました。
<>2006/03/22 101<>0<>【06.3月号】翼<>翼
 大雪にみまわれた非常に寒かった冬も終わり、少しづつ到来を感じさせる頃となった。
 2月10日〜26日まで、イタリアのトリノで開催された第20回冬季オリンピック大会、深夜のテレビ放送で、毎日眠い日々を過ごされた人も多いと思う。大会前にはかなりのメダル獲得が期待されるという報道が多かった。が、なかなか現実は厳しく、獲得したメダルは女子フィギアでの1個という結果であった。周囲からのさまざまなプレッシャーの中、自分の持てる力を出し切った荒川選手には、心から拍手を送りたい。
 しかし、オリンピックの期間中、あちこちで写しだされる「日の丸」には閉口した。今年、3月の野球の国別対抗戦、6月のサッカーのワールドカップと、国を意識させるスポーツの世界大会が続く。特に若い人たちが、「日の丸」の旗をふったり、顔や服に書いたりしている姿をみる時、「日の丸」についてどのくらい考えながらしているのか、気になってしかたがない。
 3・4月は卒業式・入学式のシーズン。私たちは、かつてアジア侵略の象徴として使われた「日の丸」が、平和憲法をもつわが国の旗として、絶対にふさわしいものではないことを、あらゆる機会を通して訴えていく必要がある。<>2006/03/22 100<>0<>【06.3月号】時言 「小泉改革の光と陰」という欺瞞<>時言 「小泉改革の光と陰」という欺瞞
 昨今、国民を嘗め切ったマスメディアは、「自由や競争の拡大という健全な資本主義をめざす小泉改革の陰の部分としてのライブドア事件や格差拡大に対し、早急な手だてが求められる」とする意識作りにやっきになつている。▽しかし、この「小泉改革の光と陰」論は嘘である。例えばライブドア事件は「小泉改革が破綻したからではなく、むしろ定着しつつある証」だとする識者の意見。あるいは、格差を肯定し、逆に平等こそ(社会主義的な)悪・悪平等等として攻撃する首相の弁るさらに資本の側が小泉改革の目的(光の部分)通り巨額の余剰資金を入手し、一方貧困率が急上昇していることがその証左である。▽本来資本の自己展開は資本の論理を否定する契機を自らの内に持ち合わせない。それ故にこそ突入したかつての国家独占資本主義・戦争という歴史の反省に立っている戦後は、人の手に負えにくい資本を規制の檻に入れ、国家が所得再分配の機能を果たして来た。▽それが社会主義による撃肘を失った九0年代以降の新自由主義に迎合した首相は、規制の檻を取り払い、資本を自由競争の野に放った。これは戦争への途への回帰である。まさに資本の僕の走狗であり、働く者への犯罪者である人物を賛美するメディアは確信犯である。▽今や人々は拝金主義と社会荒廃の中、真理・正義への無関心・無知・傲慢に陥り、職や希望を奪われ、人たる誇りさえも放棄させられている。そこに「これぞ小泉改革の成果」としてほくそ笑む資本の顔が見える。(安保英賢)
<>2006/03/22 99<>0<>【06.3月号】社会主義の歩みと将来への展望(21) 北西允<>21回 第1次大戦がもたらしたヨーロッパ の混乱とファシズムの台頭
 総力戦となった第一次世界大戦は、それまでの戦争とは比較にならない膨大な犠牲者と深刻な社会的混乱をもたらした。交戦国の戦死者数は856万人に上ったが、民間人の死者はそれを大きく上回って1,856万人を数えた。敗戦国では革命的混乱が相次ぎ、ドイツが共和制に替わったのに続き、オーストリアでは600年も続いたハプスブルグ家の支配に終止符が打たれ、トルコでも帝政が崩壊した。また主戦場となったヨーロッパでは、政治地図が大きく塗り替えられた。
 戦争による社会の混乱と民衆の苦難を背景に右翼勢力も台頭してきた。戦勝国のひとつイタリアでは、参戦を煽って社会党から除名されたB.ムッソリーニ(1883〜1945)が、戦後の混乱と革命運動の高揚に危機感を抱き、1919年復員軍人らを基盤にミラノで戦闘者ファッショ(ファッショとは結束の意)を結成し、黒シャツ隊を組織して暴力的な反革命運動を展開した。彼は1912年戦闘者ファッショを国家ファシスタ党に改組し、翌22年数万の武装部隊を率いてローマに進軍し、国王は彼に組閣を命じた。以後ムッソリーニは、サンジカリズムの異端的論客・ソレルの影響ももあって権威主義的コーポラティズム体制を築いていく。
 ワイマール憲法下のドイツでは、A.ヒトラー(1889〜1945)が、過酷なベルサイユ体制に喘ぐ民衆の不満に乗じ、民族社会主義(ナチズム)を標榜して政界に打って出た。彼は、
1921年ドイツ労働者党を発展的に解消したナチス・ドイツ労働者党党首の地位につき、反対勢力との武闘組織・突撃隊を編成しながら党勢の拡大に努めた。ヒトラーは1923年ミュンヘンでクーデターを起こすが失敗、下獄中に『わが闘争』を執筆し、1924年に釈放されてからは突撃隊に加えて新たに親衛隊を組織したが、主に合法路線をとって政権の獲得を目指した。
 こうした動き対抗すべき左翼勢力が分裂抗争状態を深めたことも、ファシズムの勢力伸張に有利に働いたのは否めない。<>2006/03/22 98<>0<>【06.3月号】府中市議会議員 小森龍太郎<>がんばってます
府中市議会議員
小森龍太郎
 「住民投票などしなくても、四月には選挙がある」「小中一体校の計画に反対の人が多いなら、私の再選は、はかなく夢と散る」ー
 これは、四小学校統廃合による小中一体校の建設にむけ、JT府中工場跡地購入のば売買契約に関わる私の質問に対する市長の答弁です。私は、「小中一体校建設に反対の市民は多い。住民への説明も不十分で、合意は得られていない。市長は、合意が得られたと言うが本当にそうなのか、住民投票などで市民の声を聞くべきではないか」と質問したのです。
 選挙は争点を一つに絞って行うものではないと思います。日頃の独裁的なやり方に似通う点は少なくありませんが、これでは郵政民営化のみを争点にして衆院解散・総選挙に踏み切った小泉首相と同じ論法です。
 市長は、次の選挙を無投票と考えているようです。自分に勝てる候補はいないから、他に候補者は出ないとのおごりが、このような答弁につながっているのでしょう。
 かつて、市長は公の場で、「何でも反対する議員を落選させてほしい」といった趣旨の発言わしたことがあり、その後も明らかに人物を特定できるような言い回しで、同様の発言をしたとも聞いています。このようなことからも、私と市長の政治的対立の構図がご理解頂けると思います。自らの使命の重要性を自覚し、独裁市政を打倒するため、全力でがんばります。
<>2006/03/22 97<>97.jpg<>【06.3月号】米空母艦載機の岩国基地移駐案受け入れの賛否<>3月5日(日)13時より岩国市錦帯橋河川敷においてね米軍再編に伴う米軍空母艦載機の岩国基地への移駐案受け入れの賛否を問う岩国市住民投票成功に向けての新社会党緊急集会を行いました。
 住民投票は、5日告示・12日投票となっており投票日一週間前の成功へ向けての盛り上がりへと繋げる集会でもありました。
当日は、小春日和の暖かい天候に恵まれて、新社会党の桃太郎旗の下、近畿・四国・中国ブロックから40名近い参加者での集会となり、広島県本部からは、15 名近くが参加しました。
 まず最初に栗原委員長よりあいさつがあり、各ブロックからの連帯のあいさつの後、地元山口県本部田中委員長と艦載機が実際に離発着すれば最も影響を受ける地域からということで、石原県本部書記長からそれぞれ問題提起を受けました。
 午前中の「岩国住民投票を成功させる会」全戸ビラ配布行動から参加した広島総支部の仲間もいました。
 住民投票は、投票率が50%以上でなければ有効にならず、しかも受け入れ反対票が圧倒的多数を占める結果とならなければなりません。
 現地では、移駐賛成派が街宣車を出し、投票棄権を呼びかけているという大変緊迫した情勢にもあり、今回の住民投票の結果は単に岩国市だけの問題ではなく、米軍再編に伴う我が国全体に影響を及ぼすだけに、何としても住民投票勝利結果をもたらすための緊急行動でした。
 党独自集会の後は、14時からの1500名規模の市民集会へと合流し〜みんなで描こう 平和の人文字〜、ピースマークと「3・12G0!」 の人文字へそれぞれが参加し解散しました。
<>2006/03/22 96<>96.jpg<>【06.3月号】2・11ヒロシマ集会<>2・11ヒロシマ集会
 2月11日、「教育基本法改悪反対!ヒロシマ集会実行委員会」の主催で、原爆資料館のメモリアルホールで「教育基本法と憲法の改悪をとめよう。『日の丸・君が代』の強制を許しません」 という集会が開かれ県内から250人ばかりが参加した。
 講演は名古屋大学教授の浦部法穂さんが、「改憲論はクーデターの企て」というテーマで、「自民党が昨年10 月に発表した『新憲法草案』は、憲法「改正」ではなく、まさにそのタイトルの『新憲法』という名の如く、まったく現憲法を廃棄するもので、それは「改正」に名をかりたクーデターに等しい」と切り捨てた。また東京都の「『日の丸・君が代』不当処分撤回を求める被処分者の会事務局長の近藤徹さんが、裁判闘争を通じて、「日の丸・君が代」強制に屈しない戦いこそが、戦争へ進もうとしている日本を押しとどめる楔であるとして闘いの広がりを報告した。県内各地での闘いの報告もなされ、ここ一年の闘いが正念場と確認しあった集会となった。
<>2006/03/22 95<>0<>【06.2月号】これからが本当の闘い<>これからが本当の闘い
 憲法改悪、教育基本法改悪を許すな
          新社会党広島県本部
副委員長 高橋晋作
06年は新社会党結成10年の節目です。結成の時のあの熱い思いを忘れてはなりません。憲法改悪、教育基本法改悪を絶対に許さない闘いを早急に県内各地に構築しなければなりません。
 「小選挙区比例代表制」という選挙制度の害毒が先の第44回総選挙で現実化して、その結果はマイノリティーをいっさい捨てて、得票総数が50%にも達していない自民党が70%
を超す議席を得て大勝利したわけです。
 その小泉自民党によって平和憲法は危機を迎えています。憲法の破壊と明文改憲の策謀が同時に進み、文字通り「戦争の出来る国」への総仕上げがされようとしています。
 敗戦の年、小学校6年生であった小生は当時の軍国教育は、食糧難、空襲等々の体験を思う時、二度とあの過ちを繰り返しては成りません。
 私たちは憲法改悪、とりわけ九条改悪が現実のものとなってきた今こそ、「新社会党」結党の原点に立ち、改悪阻止(国民投票勝利の大目標を達成するため、それぞれの地域で護憲勢力の総結集に向けて全力をあげて取り組みましょう。
<>2006/02/16 94<>94.jpg<>【06.2月号】2006年県本部 旗開き<>2006年県本部 旗開き
 1月14日、広島市の東方2001で「2006広島県本部〜旗開き〜」が行われ、各総支部・支部から約80名のみなさんが参加した。
 土屋県本部書記次長の司会で、まず栗原委員長が「憲法9条が危なくなってきた今こそ、我々が頑張らなければならない。07年参院選勝利に向けて活動を強化していこう」とあいさつ。続いて中央本部の横堀書記長が、「広島県本部には、今後も各都道府県本部の中心となって活動してほしい。栗原委員長を07年参院選の比例区候補に内定した。当選に向け全力を傾注してほしい」とあいさつしました。
 さらに来賓として、北西フォーラムフリー代表委員、秋光高教組委員長、山今広教組委員長、政平県連書記長、金朝鮮総連委員長、川田全港湾委員長、池上県労委員長のみなさんから、激励のあいさつがありました。
 続いて新春トークに移り、小森県連顧問が「憲法第九条2項と『法華経』の常不軽菩薩について」と題して講演がありました。絶対平和主義について憲法第九条と法華経の内容の類似性を指摘し、「法華経は日蓮のよりどころとなった経典なのに、公明党の今の動きは全く理解出来ない」と結ばれました。
 場所を移した第2部のバーティーは、石黒さん(広島総支部)の明るい元気のいい司会で進行されました。まず自治体選立候補予定者からの決意表明(4月府中選挙、小森龍太郎さん)があり、続いて参加している各総支部・支部のみなさんから一言づつ近況報告が行われました。1人の総支部、合併により10人が前に立つ大きな総支部などさまざまですが、どの総支部の皆さんも、「情勢は厳しいが、全力で頑張るぞ!」という気持ちがひしひしと伝わってくるものでした。
 清々しい気持ちで、元気のでる「旗開き」となりました。
<>2006/02/16 93<>0<>【06.2月号】『‘07参院選、‘06自治体選について』<>『‘07参院選、‘06自治体選について』
 今年の自治体選挙は、2月の尾道市増員選挙(因島、定数7)、3月の福山市増員選挙(神辺、定数4)、4月の府中市議選が予定されています。しかし因島と神辺については、定数が大幅に削減される合併に伴う増員選挙で、上田さん、藤原さんなど現職の議員がいますが、総合的に情勢を判断した結果、残念ながら候補者の擁立を断念しました。4月の府中市議選、小森さんの当選をめざし、全力でがんばっていきましょう。
 年が明け、‘07の参院選も後1年半になりました。憲法改悪が現実的な動きになってきた今、大変に重要な選挙です。中央本部は、改憲阻止のため護憲各派、市民団体、民主団体、文化人など広範な護憲勢力の結集をはかり、比例区で共同候補を擁立し、また、比例の確認団体の名称については、広範な勢力が結集できるような名称になるよう努力を続けています。昨年12月の中央委員会で、新社会党からの候補者1〜2名のうち、1人を栗原委員長に内定しました。
 選挙区については、無所属共同候補も含め9の都道府県本部・ブロックに、候補者擁立を要請することが、同委員会で確認されています。広島県本部もこの9の中に入っており、前回‘04年の岡本三夫さんのような候補者を想定し、その準備にとりかかります。
 まだまだ先のような感じがするかもしれませんが、1年半とういうのはすぐに経ちます。勝利にむけて、全力でがんばっていきましょう。
<>2006/02/16 92<>92.jpg<>【06.2月号】2006年三原地区合同旗開き<>2006年三原地区合同旗開き
 インフルエンザ流行注意報が警報に変わり、寒さも一段と厳しくなった1月20日に三原地区合同の旗開きが6団体約100名の参加者で市民福祉会館にて行われました。
 開会に先立ち、青年部による歌声・続いて「緑の山河」の斉唱で幕をあけました。
 冒頭、七川義明旗開き実行委員長が、「小泉改革がもたらしたものは、問答無用の弱肉強食社会、目先の利益だけを優先するあまり、理性は押しやられ感情をむき出しにした社会に巣くう歪は、「勝ち組・負け組」という言葉ではごまかしきれないところまできている、と指摘し三原地区に集う民主団体が結束して、2006から7年にかけての平和・民主主義の正念場を闘い抜こう」と挨拶。
 来賓として県本部書記長の石原顕さんから、祝辞と「我々、新社会党は時代に流されることなく、小さきとはいえ、護憲・平和の道を邁進していく」と力強い挨拶を頂き、三原市議会議員の七川松美さん、岡崎敏彦さん、高木武子さんから、それぞれ挨拶を頂き参加者は万雷の拍手で応えていました。
 続いて今年度、久井・世羅総支部から三原総支部に仲間入りをした石本豊司さんの乾杯の音頭で交換会に入り和やかに歓談しました。参加団体の決意表明の後、全水道三原副委員長の団結がんばろうで会を締め、寒さに首を竦めながらも温かいものを感じながら、会場を後にしました。
<>2006/02/16 91<>0<>【06.2月号】中国ブロック機関紙分局会議開催<>中国ブロック機関紙分局会議開催
1月28日(土)午後より広島市内において、中国地方の5県本部関係者が参加し機関紙分局会議が開催されました。
 中国ブロックが機関紙拡大モデル地区に指定されているのを受けさっそく企画されたものです。
 まず最初に中央本部機関紙担当の横堀正一きんより全国的状況の報告と説明がなされ、続いてブロック担当者より今日までの動向と現状の細かい数字などが報告され、各県の意見交換にはいりました。
 きたんの無い率直な意見が出された中で、浮き部数の配付努力や自治体合併などで減部を余儀なくされる中での奮闘ぶりや配付・集金を徹底することの困難さなどさまざまな現場の声が上がってきました。
 今後の方向として、@分局交流を定期的に開催する。A総支部での分局管理の徹底。B党員の協力体制づくりC分局配置が多いほど部数増につながるので、よく話し合って分局を増やすことが大切。D選挙闘争と結合して機関紙拡大へ結びつけていく努力を。E自治体議員の果たすべき役割として機関紙がどれだけ配付されているか。あるいはどれだけ関わっているかの点検。など等が主に集約され、厳しい情勢を何とか乗り越え3月の全国大会までには、お互いの成果を持ち寄り、07年の闘争に向けてがんばる意の意識統一が図られました。
 栗原君子中央本部委員長も出席し今後への闘いの決意と協力を訴え閉会となりました。
          (中ブロ三木郁子)<>2006/02/16 90<>0<>【06.2月号】『翼』<>『翼』

 1月下旬、ライブドアの堀江社長が、証券取引法違反容疑で逮捕された。企業買収をめぐって嘘の情報を開示したり、株式交換目的で発行した株式の売却収入を利益に付け替える粉飾決算などの疑惑がもたれている。
 昨年9月の総選挙、広島6区にホリエモンは「刺客」として送り込まれた。選挙中、小泉首相、武部幹事長などの自民党執行部は、「改革の旗手」「わが弟、わが息子」などと持ち上げ、自民圧勝の一つの要因となった。それにしても、事件発覚後、小泉首相、武部幹事長などなんと歯切れの悪いことか。必要なときにはあれほど持ち上げたくせに、今度は手のひらを返したように、「公認も推薦もしていない」など、それほど関係は深くなかったと必死に弁明している。
 この5年間の小泉構造改革の中で、富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなり、格差の拡大が顕著になってきている。富めるもの・成功者の代表として、堀江社長を最大利用したことは間違いない。
 メディアの態度にも大きな疑問を持つ。堀江社長の選挙時の扱いは、連日多くの時間・スペースを割いて報道し、公平性を欠くものであった。このような人物をこれだけ報道した責任を、メディアはどのように考えるのだろうか。
<>2006/02/16 89<>0<>【06.2月号】頑張っています87<>頑張っています87
福山市議会議員
池上文夫

 自治体合併では、全国のトップを走っている広島県。つい数年前までは80を超える自治体であったが、今では24の自治体になり、住民サービスの低下が懸念される。この合併によって我々新社会党の地方議員も減少している。
 合併に際して推進派は、よく「スケールメリット」という言葉を使い、大きいほどサービスが良くなると言いたいのだろうが、私は地方自治は小さければ小さいほどいいと考えている。自治体が住民に果たすべき役割の多くは住民福祉であり、そのことからすると行政と住民がお互いの顔が見える関係においてサービスが提供できることが一番望ましいのである。
 国は膨大な借金を抱え財政状況が厳しくなり、以前ほど税収が期待できなくなると、途端に行財政改革を声高に叫んでいる。この借金を増やしてきたのは、それまで政権与党を長年続けてきた自民党政治そのものではないか。その責任を、我々国民に押しつけてきているのである。今回の市町村合併も、住民サービス切り捨ての自治体合理化そのものである。
 これと並行して公務員攻撃が激しくなってきているが、これは昔から続いている官と民の労働者を分析しての賃金・労働条件の低位平準化攻撃でもある。
 常に分団を持って仕掛けてくる権力の攻撃に対して、新社会党の地方議員として、幅広い地域の労働者と連帯して反撃に転じよう。
<>2006/02/16 88<>0<>【06.2月号】社会主義の歩みと将来への展望(20)<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自立的連帯を求めて(20)
広島大学名誉教授 北西允
(20)社会主義勢力の共産主義と社会民主主   義への分裂
 反戦の立場を貫き革命に成功したロシア共産党は、革命を他国に波及させるべく、世界革命とプロレタリア独裁を基本方針に、1919年第2インターに替わるコミンテルン(第三インター)を創設して革命勢力の国際的結集に乗り出した。
 敗戦後のドイツでは、国王退位後、社会民主党主導下にワイマール共和国(その憲法は、日本国憲法にもある「社会権」を世界で始めて規定したことで知られる)政権が誕生し、ドイツ共産党による暴力革命を鎮圧したことは既述した。
 しかしコミンテルンの呼びかけに応じて、それへの加盟を真剣に検討した社会主義政党も少なくなかった。たとえばフランス社会党(1905年創立)は戦後、レーニンに次ぐロシア共産党の幹部・L.トロツキー(1879 〜1940 )の工作もあって、第二インターからの脱退を圧倒的多数で決議し、一時コミンテルン加盟へと大きく傾いた。しかし加盟条件があまりに厳しかったため、大半は加盟を断念して社会党を再建し、左派だけがフランス共産党を名乗ってコミンテルンの傘下に入った。
 イギリス労働党は、その他の社会主義政党と異なり、1900年の創設時に「社会主義」あるいは「社会民主主義」という呼称を意識的に斥け、「労働」を党名として発足し、大戦までは自由党左派の庇護の下にあった。だが1918年、同党は、資本主義の危機と社会主義運動の国際的高揚の中で、非マルクス主義の微温なフェビアン社会主義を指導理念とする一種の社会主義綱領を初めて策定した。労働党の一加盟団体であった弱小のマルクス主義政党・イギリス社会党は、コミンテルンに加盟して党名をイギリス共産党と改称した。因みに日本共産党も、1922年コミンテルン日本支部として結成されている。
 1923年には反共・非共の社会主義勢力によって第二インターが復活するが、これによって、戦前、第二インターに加盟していた左右両派の国際的社会主義勢力は、共産主義対社会主義、革命主義対改良主義というのっぴきならぬ対立に陥ったのである。
<>2006/02/16 87<>87.jpg<>【06.2月号】『岩国基地機能増強反対!座り込み』<>『岩国基地機能増強反対!座り込み』

 1月16日、原爆ドーム前で、米空母艦載機の移転など岩国基地の機能強化に反対する座り込みが行われ、県平和運動センターと県原水禁のメンバーら約100人が参加しました。平和運動センターの向井議長は「騒音など住民が安心して暮らせる環境を破壊する岩国基地の増強は、絶対に許せない」とあいさつ。在日米軍再編案の白紙撤回を求めるアピールを採択し、首相や防衛庁長官などに送付しました。
 この日は、麻生外相が、在日米軍再編の中間報告への理解を求めるため、広島県庁を訪れるとのことで、座り込み終了後約20人は県庁正面前に移動し、抗議行動を続けました。しかし、外相を乗せた車は、予定された県庁正面ではなく裏口から県庁に入り、肩すかしを食らったメンバーらは「理解を求めるために来たのに、裏口から入らなければならないのか」と大きな憤りを覚えました。翌日の新聞に載った「艦載機、1年の半分しか岩国にいない」の外相の発言を知り、絶対に許せないとの思いをさらに強くしました。
         
<>2006/02/16 86<>86.jpg<>【06.2月号】重慶大爆撃の被害者と連帯する会・報告集会<>重慶大爆撃の被害者と連帯する会・報告集会
 1月7日、広島市内おいて『重慶大爆撃の被害者と連帯する会』の報告集会が開催された。日中戦争中、中国では蒋介石率いる国民党政府が日本軍に追われて南京から重慶に移り暫定政府を置いていた。その重慶を日本軍は1938年2月から3年8月まで無差別爆撃によって6万数千人の被害者を出し、死者は24000人にのぼったという。この度、30名〜40名の中国人生存者が日本政府を相手取り今年3月30日、東京地裁に謝罪と賠償を求める第一次の提訴を起こすことになった。受害者は「日本の戦争責任を裁いた極東軍事裁判でも重慶爆撃は対象外とされ過去の清算は終わっていないこと、日本に再び過ちをおこさせないためと今も世界で続く無差別爆撃を禁止する国際条約づくりの原動力にさせたい」などの思いから立ち上がった。集いでは事務局長の由木栄司さんが経過と『支える会』の必要性を述べ、大阪、神戸、名古屋などからの参加者の発言、重慶訪問者がそれぞれ意見を述べた。最後に日本側弁護団事務局長の一瀬敬一郎さんがこの間の経緯と『連帯する会』への期待を語った。代表の栗原君子が「この国(日本)に再び過ちを繰り返させないために『会』を大きくし団結して支えよう」と訴え集いを閉じた。
<>2006/02/16 85<>0<>【06.2月号】「時言」<>「時言」

主権者たる「私」がレフリーである。

 シェークスピアは「ヴェニスの商人」で、裁判官ポーシャに「契約社会」たる近代ヨーロッパを具象化したとされている。「金で弁済不能なら胸の肉1ポンドで支払う」との契約の履行を求めるシャイロックにポーシャは「(契約には)血を流してもよいとはなっていない。血を1滴たりとも流さず切り取れ」と判決する。「胸の肉1ポンド」に当然血を流すことを含むとか、ユダヤ蔑視とかの論はここでは置いておいて、自由に基づく契約に求められる厳正さを敢えて強調しているという考えである▼翻って昨今この国では偽装・偽造・虚業等々の言語が氾濫している。それを追及されれば、言い逃れ、弁明、居直りである。これら等はすべて首相の範に倣ってのことであり、さらに歴史も物事の理も弁えない首相が、自由競争・市場主義を持てもて囃し、弄んだが故の禍いである▼自由競争なるものが「独占」を生み、貧しき者には「餓死する自由」としてのみ作用し、国家独占資本主義から戦争へと突き進んだ歴史、その反省から生まれた「規制」・「ルール」に対する厳正さが、かろうじて自由を飼いならせることを私たちは知って来たはずである。嘘・虚・偽等は論外である▼今急激な新自由主義の突進の中、「追いつかないルール作り」と、「レフリーなき市場主義」等の文章が流布されてもいる。しかし新自由主義・市場万能主義を「嘘と居直りで突き進む政治」を批判し変えていくレフリーは主権者である私たち自身であることは、確かなことである。
                       (安保英賢)

<>2006/02/16 84<>0<>【2006.1月】06年・団結を固めてスタ−ト!<>06年・団結を固めてスタ−ト!
新社会党広島県本部
委員長 栗原君子

 2006年を迎え気持ちを新たにされていらっしゃることと思います。毎年、年末には一年間の反省を私なりにしておりますが、政府の言う「景気は回復傾向にある」とは裏腹に、俗に言う「勝ち組」「負け組」の格差は拡大し、庶民の生活は確実に厳しくなってきたことを実感します。昨年9月の総選挙は郵政民営化のみで自民党が圧勝L市民はまるで詐欺師に掛かったような選挙でした。郵政民営化法、イラク派兵の延長、自民党の「新憲法草案」、民主党の「憲法提言」などと与野党でもって改憲の競い合いを始めます。まもなく始まる通常国会ではよくもここまで捜し出したものだと思うほど税金をかける大増税案や労基法改悪案が待ち受けています。
 06年は護憲を掲げる全ての団体・個人にとって正念場の年でもあります。
勿論、新社会党にとってもいくつかの中間選挙、そして来年に控える統一自治体選挙や参議院選挙に向けた改憲阻止の仲間を如何に結集できるかの闘いでもあります。市町村合併や社会の右傾化、職場環境の厳しさにより動きにくい状況となっておりますが、それでも仲間と励まし合い、団結を固めて頑張るしかありません。私たちは改憲派より先に潰れるわけにはいきませんので、くれぐれも健康に留意されご健闘ください。<>2006/01/24 83<>0<>【2006.1月】「総選挙総括に関する中央委員会報告」<>「総選挙総括に関する中央委員会報告」

 昨12月3日開催の第一回中央委員会において、「総選挙総括と情勢」、「自治体選挙・参議院選挙闘争方針」が中央本部より28名もの中央委員が質疑・討論に立ちました。その内容は割愛しますが、広島県本部より「総括」に対する県本部のまとめを、原案への補強として提起しましたので、以下にその概略を報告します。

@「郵政民営化の是非を問う」とした選挙の結果は、自公の小選挙区総得票数3350万。野党は3450万と、反対の方が100万票多いにもかかわらず議席は与党が圧勝。この「民意に反した政権誕生」は小選挙区比例代表制の害毒の現実化である。選挙制度の改変をこそめざすべきだ。

A今回の朝日新聞の世論調査で、テレビを観て投票の判断をするとした人は53%にも及んでいる。この傾向を知悉した与党は「抵抗勢力」退治・刺客・ホリエモン等々によって有権者の耳目をテレビという「作られた現実」に吸引し続けた4.このことから、今後「情報の作り手の意識の操作」という視点での私たちの対応が求められる。

B有権者は「誰の・何のための改革か」を見失い、不満・不安・閉塞感から「改革幻想」に陥った中での選挙となった。小泉改革の本質「中産階級の取り込み・収奪の方法論の変更等々についての喧伝の必要あり。

C「護憲」とは現行憲法の保障する民主的な生活を守り、戦争への道を止める闘いであることを強調する必要がある。

<>2006/01/24 82<>0<>【2006.1月】新社会党労働運動委員会第10回全国総会<>新社会党労働運動委員会第10回全国総会
 
新社会党労働運動委員会第10回全国総会ならびに交流会が昨年12月10日〜11日に神奈川県熱海市で開催された。例年と比べて若干参加者が少なかったものの方針的確認と、課題が浮き彫りとなった総会であった。特に、07年までに憲法改悪反対、「労働契約法」反対の取り組み強化、参議院選での栗原委員長を当選させるために全力で取り組むことが確認された。
 さらにユニオン運動と地域労働運動をいかに結合するべきかをめぐって、さまざまな論議が行われた。
 新自由主義の進展の中で、労働者を取り巻く労働条件は急速に悪化している。正社員の非正規化、賃金の切り下げ、分社化、委託業者への転換等々、いたるところで搾取と抑圧が強化されていることが報告された。問題は、新自由主義に対抗する労働運動の構築をいかに行うかをめぐって、党内でもまだ統一した見解が生み出されていないことである。方向として、地域労働運動に打って出なければならないことは理解されるが、それぞれに職場での活動に縛られて地域にまで手を伸ばせないというのが現状であろうか。
 だがこの問題点を克服せずして、党の労働運動の発展はあり得ないし、新社会党の存立基盤の形成もはかれないことが明確となった総会であった。 (土屋信三)<>2006/01/24 81<>0<>【2006.1月】党西日本憲法闘争交流会開催<>党西日本憲法闘争交流会開催
 12月18日(日)13時から17時まで岡山市において、党西日本憲法闘争交流会が開催されました。
 当日はあいにくの寒波により、広島の参加予定者も山間部の人は雪のため参加できませんでしたが、全体では40名余り12府県本部からの参加となり、対象ブロックは、九州・四国・中国・近畿の4ブロックでした。広島からは6名の参加でした。
 松枝副委員長の司会により、まず最初に中央本部大衆運動委員長の江原さんよりあいさつを受け学習会に入りました。
 講師にピースリンク広島・呉・岩国世話人の湯浅一郎さんを招いて、「米軍再編に伴う基地強化の現状」と題して問題提起をしていだきました。
 湯浅さんは、憲法九条改悪の物理的背景は、日米同盟の世界化と派兵国家への道であるとし、日本国内の基地へ米軍の陸・海・空軍の司令部を集中させ、自衛隊との一体化が図られる方向にあり、今後ますます日米の共同演習なども日常的に行なわれるようになってくることなど、詳しい資料を基に説明され、最後に「粘り強く共に闘いを進めて行かなければならない。」と結ばれました。次に城間和行さんより「基地と犯罪」と題しての提起に続いて各府県本部の憲法闘争の取組状況の報告と意見交流を図りました。悪天候の中、参加された関係者みんな元気の出る交流会とな
り、07年闘争へ向けてがんばる決意へとつなぐことができました。(三木郁子)<>2006/01/24 80<>0<>【2006.1月】翼<>翼
 2006年、明けましておめでとうございます。今年が皆さんにとって希望の持てる年になることを心より願っている。年末から記録的な寒い冬になっているが、健康に留意し、この冬を元気に乗り切っていきたいものである。
 この正月、中学のクラス会があり、懐かしい顔に久しぶりに出会った。7年毎に開いていますが、前回は不参加だったので14年ぶりである。頭は白く薄くなり、体型は太くなり、顔にはしわがふえ、多少の個人差はあってもみんな確実に年を重ねている。男女がほぼ同数の参加だったが、概して男性よりも女性の方が元気がいい。仕事や子育て以外にも自分の趣味や特技を生かし、しっかりと地域に根ざして生活している。
 最も感心したのが、ある女性の活動である。友人ら10人のグループで、地域の一人暮らしのお年寄りの世話をしているとのこと。といっても、活動の中心は週1回、2〜3時間話し相手になること、報酬はなし。お年寄りが元気になってくれるし、自分たちもさまざまな生活の知恵を得ることができ実に楽しいと、目を輝かせて話していた。
 地域でもさまざまな人たちと繋がり、憲法や教育基本法の改悪を阻止していこう。その運動、活動の中心に私たち一人一人が立とう。もう一歩、もう半歩の努力を!このようなことを思う正月である。<>2006/01/24 79<>0<>【2006.1月】がんばってます86<>がんばってます86
呉市議会議員  得田正明

 「指定管理者制度」の導入にあたって
 指定管理者制度とは、これまで公の施設の管理の委託先を公共及び公的団体、特定の貸出資法人に限定されていた「管理委託制度」に代わって、新たに創設された制度で、民間事業者を含め幅広く管理主体(指定管理者)を選択できるというもの。
 その目的は、多様化する住民ニーズに、より効果的、効率的に対応するために、公の施設の管理に民間の能力を活用しつつ、住民サービスの向上と経費の縮減を図るとされている。しかしながら、この制度は、地方独立行政法人制度、構造改革「特区」と並ぶ、三位一体の自治体リストラ、公の外部委託(アウトソーイング)の究極のツール(道具)である。
 そもそも、公の施設とは「住民の福祉を増進する目的をもって、その利用に供するための施設」である。従って、公の施設管理についてはあくまでも自治体の責任であり、公共サービスの質と水準の確保を図る必要があり、管理運営に対する公平性や透明性が充分に確保されなければならないものである。
 各自治体において、条例(案)が検討されていると思われるが、指定にあたっての「選定委員会」のあり方、「事業計画書」及び「協定書」の内容や位置づけ、市長、議員等の「兼業禁止規定」の明記、「選定基準」の明確化と情報開示、運営上のリスク分担、議会の関与等々、多くの問題点を内包している。セーフティーネットの軽視が叫ばれている中、自治体の公的責任を後退させてはならない。

<>2006/01/24 78<>0<>【2006.1月】時言「新年を踏み出すに当たって」<>時言「新年を踏み出すに当たって」

 新年を迎えるに当たって、心を顰めて思いをめぐらせてみる▽就中、90年代から強化された新自由主義的反動攻勢に対し、断じて許せないとして押し返そうとしてきたが今や、例えば「日の丸・君が代」の強制は生徒の内面の自由を侵害しかねない状況である。一方、03年の「武力攻撃事態法」、04年の「国民保護法」等々によって今やこの国は、方体制上軍事態勢国家となるに至っている。加えて(労働)法制の改悪や優勝劣敗の競争激化策動等による賃金、労働条件の劣悪化・収奪強化による格差拡大・社会的な不満・不安・犯罪の多発に及んでいる。そこに中国や韓国との対立を引き起こし、それを又拝外主義に利用し台頭するナショナリズムを肥やしにしての改憲策動が進んでいる▽行きつく先が見える中、「どうしたら間に合うのか」の問いが切迫す る▽この格差拡大は貧困立が貧困率が先進国中最悪となったことにも象徴されているが、行政による「就学援助(学用品・通学用品・給食・修学旅行等の費用の援助)四年で四割増。東京・大阪で四人に一人」(朝日1月3日)の記事には驚かされる。これこそ小泉構造改革・規制緩和・小さな政府の生み出す実態である▽今この国の多くの人は、例えば靖国参拝・イラク侵略戦争あるいは今世界で起きている事等について、マスメディアの情報操作や諸々の恫喝も手伝って正しい判断を奪われ、生活保守主義者に陥らされている。この時、自分の居る場所や情勢を的確に把握することで初めて新たな年に踏み出せるといえるところである。
                       (安保英賢)<>2006/01/24 77<>0<>【2006.1月】社会主義の歩みと将来への展望<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自立的連帯を求めて(19)
                 広島大学名誉教授 北西允

マルクスは、先進資本主義国の同時革命を想定していた。それは主として、資本主義の成熟度に応じて革命的諸条件が塾醸成されると考えたこと、『共産党宣言』を発表した1848年には、フランスでは二月革命、ドイツでは三月革命が起こり、イギリスではチャーティスト運動が革命的高揚を帯び、オーストリアその他でも革命的騒擾が生起したこと、によるものであった。
 ところがレーニンは、帝国列強が世界を支配の鉄鎖で覆い、自国の矛盾を植民地にしわ寄せするなどして延命を図るようになったため、革命は先進帝国主義国ではなく、鉄鎖の最も弱い環、つまりロシアで勃発し、漸次他国に波及すると主張した。彼は、ロシア革命後に企てられたドイツ革命に期待を寄せるとともに、第二インターに替わる第三インターナショナルの創設に心血を注いだ。
 革命後のロシアでは「戦時共産主義」の下、ソビエト政権は、内には農民や一部兵士の叛乱、外からは日本を含む帝国主義諸国の武力干渉に遭い、それらを武力で鎮圧あるいは排除するという騒然とした状況が続いた。
 ドイツでは、社会民主党を離脱した独立社会民主党は、リーブクネヒトやルクセンブルクの指導下にスパルタクス・ぶんと、さらには1918年末にドイツ共産党を結成し、1919年以降二度にわたって武装蜂起を試みたが、帝政崩壊後に樹立された社会民主党政権によって鎮圧された。
 このドイツ革命と同時並列的に、第三インターの創設準備が進められた。レーニンは、社会民主主義という用語は、いまやマルクス主義の裏切りに他ならない日和見主義、改良主義に堕したと説き、1919年に創立したインターナショナルに共産主義インターナショナルの名を冠した。
 コミンテルンは、翌20年の第二回大会で有名な21か条の加盟条件を採択した。それは著しく中央集権的な条件ばかりで、第二インターの連邦主義を排除し、コミンテルンは「全世界的な単一の共産党でなければならない」とし、事実上、白人のためだけに存在した第二インターとは対照的に、「その隊列の中に、白人、黄色人、黒人、全世界の勤労者が友好的に団結する」ものでなければならないねと述べ、その目的は、「国家の完全な廃絶への過渡的段階としての国際的ソビエト共和国の設立」であると規定したのであった。
<>2006/01/24 76<>76.jpg<>【2006.1月】2005送年会∞なべ・鍋NABE ∞<>2005送年会∞なべ・鍋NABE ∞        − 尾道総支部−

 尾道総支部では12月26日夕方より、最後の執行委員会を兼ねて「2005送年会」と称して、みんなで材料を持ち寄り鍋談議で締めくくりました。
 それぞれが口々に今年の出来事などを話しながら、食べながら、飲みながら盛り上がりました。憲法改悪から佐高信の話、そして家で飼ってる動物のはなしから薬味づくりからアルコールの話題などなど話題には事欠かない会でしたが、尾道総支部も自治体合併により年が明けると因島と瀬戸田が新尾道市となり、北は御調から南は瀬戸田までの広範囲となります。
 尾道総支部としても、今後の組織再編問題や活動の連携などさまざまな課題がありますが、新しい年も一つ一つ取組を進めて行かなければならないと鍋を囲みながら意識統一が図られ、最後に植田稔総支部委員長のあいさっで会を閉じ、みんなで後片付けをし送年会を終了しました。
<>2006/01/24 75<>0<>【2006.1月】『岩国基地の拡大・強化に反対する <>『岩国基地の拡大・強化に反対する広島県西 部住民の会』

広島県西部の住民が、12月3日、廿日市市内で「岩国基地の拡大・強化に反対する広島県西部住民の会」の結成集会を開き、住民と行政が一体となって計画の白紙撤回を求めていくことを決めました。結成集会には、廿日市市、大竹市、広島市などから事務局が予想した倍の住民、約200人と、多くのマスコミも参加し、関心の高さを裏付けました。
 まず共同代表の柴田さんの開会あいさつ、県西部3市で構成する移転計画反対期成同盟の山下三郎・廿日市市長からのあいさつがあり、続いて「厚木基地爆音防止期成同盟」副委員長の金子豊貴男さんが講演。厚木基地周辺の騒音被害をビデオで紹介しながら、「騒音のひどい半径10キロを岩国基地にあてはめると、宮島付近から騒音が激しくなる。撤回させるためには、自治体や住民が連携することが絶対に必要だ」と強調されました。さらに11月、岩国市で「市民の会」を立ち上げた河本かおるさん、そして宮島町の吉田正裕・大聖院座主から連帯のあいさつがあり、会場から大きな拍手をうけました。
 最後に「だれもが平和で安心できるくらしを求め、住民と行政が一体になって計画の白紙撤回の世論と運動を広げていこう!」とのアピールを採択し、学習会やニュースレターの発行など、今後の運動方針を確認し集会を終えました。<>2006/01/24 74<>0<>【2005.12月号】理論委員会報告3<>理論委員会報告3
塚本理論委委員長の追加報告と議論(前回報告済み)に続く柴戸事務局長報告は、「支配階級が今日、どのように支配しようとしているのかを見極めておかないと闘いの方向を見失う」として、「今の新自由主義的支配は、議会制民主主義というベールをはずして、むき出しの支配をしなければならない状況にはない」との判断に立ち、「今進行しているのは、グローバル化の下の“経済的新自由主義に照応した強力で小さな新自由主義型国家”づくりに“天皇制”という日本的特殊性を加えた支配体制づくり。そういうものとしての新憲法制定・・・・ではないか」と諸々の資料に基づいての分析・提案かせなされました。そのような分析という側面を含みつつ「今日のグローバル化は軍事的な占領による植民地化ではない。すべてを戦争に向け動員していく帝国主義国家戦争の不可避性は今日、消滅している。そういう意味ではファシズムではないと考える。ただし東アジアへの対応、あるいは格差拡大社会への不満を抑えるため等に、言論の自由等人権よく乙、軍事大国化路線はある」等の報告でした。以上について、なせそう考えるのか、それについての議論に言及する余白がないが、学習の必要を痛感。

<>2005/12/22 73<>73.jpg<>【2005.12月号】韓国労働者大会に参加して<>韓国労働者大会に参加して

11月12日〜15日にかけて新社会党代表団11名は韓国・民主労総主催の『全国労働者大会』に参加しました。この大会は毎年この時期に開催されるもので、チョン・テールという青年が労働者としての要求を掲げて焼身自殺で抗議したことから端を発しったもので、今年で35周年になります。12日夜の前夜祭も(私たちは11時にはホテルに帰りはましたが)夜を徹して行なわれました。今年のスローガンは「非正規職の権利擁護を求める」「WTO加盟反対」「FTA反対」「在韓米軍撤退」などを上げていました。13日は7万人の参加者が8車線の道路を完全に占拠し飲み物・食べ物など持参して、座り込んでの集会参加でした。参加者は闘いの中から生まれたという数多くの労働歌にこぶしを振り上げながら歌い、力の入った演説に聞き入っていました。集会後、私たちはテントを張って闘い続けている三つの闘争団への激励訪問を行ないました。新社会党の友党であり綱領的にも殆んど重なる韓国・民主労働党は民主労総が「闘う自分たちの政党が欲しい」との願いの中から結党したものです。14日には国会内において民主労働党のチェイ・スンヨンさんとの懇談の機会を得ることができました。         (栗原君子)
<>2005/12/22 72<>0<>【2005.12月号】翼<>翼
 12月の声を聞き、なにかと気忙しく感じる今日この頃である。早いもので05念も終わろうとしている。みなさんにとって、今年はどのような年だったろうか。
 9月の総選挙では、民意を反映しない「小選挙区比例代表並立制」とマスコミの大々的な「小泉劇場」報道の中、小泉自民党が圧勝した。その後、小泉の独裁的な手法で、「強きを助け弱きを挫く」政治に一層拍車がかかり、多くの勤労国民は、明日への不安を抱えたままの生活を余儀なくされている。
 11月に広島市安芸区で発生した「女児殺害事件」は何とも痛ましい。ある日突然、最愛の子供の命が奪われた保護者の気持ちを考えると、憤りを感じる。さまざまな可能性を秘めた少女の人生が、このような形で終わりを迎えることは、絶対に許すことは出来ない。最近、弱いもの、特に小さな子どもが被害にあう事件が後を断たない。さまざまな要因が考えられるが、なかなか将来への展望を見出せない。不安だらけの閉塞した現在の社会状況にも要因があることは間違いない。
 誰もが、将来への展望が持て、安心して働き、安心してくらせる社会を確立するため、一歩一歩確実に、できるところから努力をしていく必要がある。<>2005/12/22 71<>0<>【2005.12月号】惜敗 廿日市市議 増員選挙<>惜敗
廿日市市議 増員選挙
11月3日の廿日市市、大野町、宮島町の合併に伴う廿日市市議増員選挙が、11月20日告示、27日投開票で行われました。定数18人が7人に減った大野選挙区に立候補した「西本ヨシハル」さん(無所属、新社会党推薦)は、680票を獲得したものの、第10位で惜敗しました。
 3月の補欠選挙で当選し、議員になつて約8ヶ月、他のどの候補よりも大野全域をこまめに歩き、多くの住民からさまざまな声を聞き、その声を議会や行政に反映させるべく全力で取り組んできました。しかし8ヶ月しかなく、まだまだ知名度も足りず、残念な結果になりました。また、少し充電期間をとって、平和、憲法、住民の暮らしを護るためね活動を開始すると自分の思いを語っています。
 多くの方からご支援をいただき、本当にありがとうございました。
<>2005/12/22 70<>0<>【2005.12月号】福山総支部全党員学習会<>福山総支部全党員学習会

新社会党福山総支部は、10月28日に全党員集会を開催した。市町合併に伴い、福山総支部・新市支部・神辺支部を再編し、今後を展望していくための集会であった。会の前半は学習をもとに意見交換をし、後半は食事をとりながら膝を交えて交流を行った。
 前半の学習会では、兵庫県本部の鍋島書記長をお招きして、組織強化のポイントを地元の支部活動を中心にご提案いただいた。少人数であっても、日常的・定期的に活動を行うことで党員の意識が高まっていくとのことであった。その後次のような意見が出された。先の総選挙で自民党が4割台の得票率で約7割もの議席を得るという、小選挙区比例代表並立制の不公平性のピーアール。今後の国勢選挙で戦うための護憲勢力結集の必要性。党の力量をつけていくための日常活動の充実などだった。

後半は飲食を交え、新しい顔や以前からの仲間と、日頃の状況などを交流することができ、今後の活動につながる有意義な会となった。(湯藤元博)
<>2005/12/22 69<>0<>【2005.12月号】がんばってます(85)<>因島市議会議員  上田栄司
2005年も師走にはいり、周辺ではクリスマスの飾りつけや家のかたづけ、正月の準備が始まっています。このような中にあって私の住む因島市は、来年1月10日に尾道市と合併し、50余年の市政に終止符を打ちます。本年3月の合併調印式によりその日程を理解してはいるものの、一個の地方自治体、それも自分が住み続けた市がその役割を終えようとする時、大変複雑な思いです。まして自らが今回の合併に係わっている事を思えば、今後の因島地域に対し少なからず責任を負い続けなければ成らないことも感じている所です。
 先日「男女共同参画推進審議会」の最後の会合があり、出席された各委員からは、「尾道市に合併する条例が廃止され、この男女共同参画社会実現に向け取り組んできた動きが中断するのは残念だ」「何とか今後も活動が続けられないものか」「尾道市の人権行政の方向に不安を感じる」等の発言が続く中、「合併によって条例規則が廃止されるのは大変残念であり、私たちの本意ではない。しかし各種セミナーやフォーラム等の学習会、研修会を通じて、因島の地に“男女共同参画社会” の種をまいて着実に今芽ぶいてきた。この事に誇りを持ちながら、尾道行政にフィードバックしてゆき、近い将来条例制定させよう」との発言があった。
 民主主義は、住民の手によって深化する現実を見た気がした。これからも多くの方々とスクラムを組みながら因島地域から人権尊重を発信しつづけてゆきたいと考えている。<>2005/12/22 68<>0<>【2005.12月号】党地域ユニオン連絡会議・第6回全国交流<>党地域ユニオン連絡会議・第6回全国交流集会
 
 党地域ユニオン連絡会議の第6回全国交流集会が、山形県南陽市で11月5〜6日にかけて開催された。山形の置賜ユニオンをはじめ、多くの仲間たちが準備を進め、本当に心温まる交流会を行うことができた。
 新社会党は、100の地域ユニオンの結成を方針として掲げている。この方針は徐々にではあれ、確実に前進している。だが、新社会党の結党時の精神や勢いから比較すると果たしてどうだろうか。松枝党労働運動委員会委員長はこの問題意識から、議論を少なくして、もっと実践に多く取り組むべきではないかという提起をされている。くわしい内容は「労働運動通信」(第3号)を参照してほしい。このことはきわめて大事である。情勢の進展の中で、理論を軽視することはできないが、より実践的な回答を出さなければならない時がある。それがまさに今なのである。新社会党の綱領を実現するために、また地域の労働者と結びつくために、新社会党として動かなければならないことは多い。そのための拠点として、地域ユニオン活動を活発化させる必要性と任務が明らかになったのが、この交流集会の一番の成果ではないだろうか。さまざまな地域で苦闘している仲間たち。力を合わせて前進していこう。勝利は必ずわれわれのものである。そうしたことを素直に思える交流集会であった。      (土屋)
<>2005/12/22 67<>67.jpg<>【2005.12月号】11.3 憲法のつどい<>11.3 憲法のつどい
 加藤周一さんの「いまこそ 憲法!」を聞いて 11月3日、中国新聞ホールは、「九条の会」呼びかけ人の加藤周一さんの講演を聴く人で埋まった。86歳の加藤さんは、日本の戦後史わひもときながら、「いまなぜ九条か」を説き、いま私たちは何をすべきか、熱いメッセージを送ってくれた。すでに「新憲法草案」なるものが出た。日本の「軍隊」が「国際貢献」と称して海外派兵できる、戦争ができる国にするというものだ。アジアからの孤立も顧みず、日米同盟一辺倒の政府に対する批判勢力は、いまや市民運動しかない。「否」と声をあげ、それぞれが全身をかけて九条(憲法)を守っていく。地域で、職場で、学校で、マスメディアで、宗教家、芸術家、映画人、それぞれの特殊性を生かしつつ、声をあげ、一人一人を獲得していくやり方で、草の根の裾野を広げていこう。横の連携をとりながら力を結集していこう。ヒロシマの訴えるものは大きい。「いつでも、どこでも、いっしょにやりましょう」と呼びかけてしめくくった。何かしら力を与えられた講演だった。
              (細谷絢子)
<>2005/12/22 66<>0<>【2005.12月号】社会主義の歩みと将来への展望 (18)<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自立的連帯を求めて(18)
広島大学名誉教授 北西 允
かつてレーニン主義は、独占資本主義=帝国主義段階におけるマルクス主義の政党的発展の所産だとの評価が、とりわけ共産主義を信奉する人々の間で一般化していた。そのため「マルクス=レーニン主義」という呼称が、1990念を前後するソ連・東欧共産圏の解体まで広く使われていたように思う。日本共産党も例外ではないし、そういう私自身も同様であった。
 しかしソ連崩壊後、ロシア革命の再検討が進み、膨大な「秘密文書」が公開され、レーニンの論的らの著作が見直される中で、レーニンは必ずしもマルクスの政党的後継者ではない、との所説が有力になってきている。とはいえ、レーニンの思想と活動を全否定することもまた誤りではなかろうか。
 レーニンの代表的著作としては、『帝国主義論』(1916)と『国家と革命』(1917)があげられよう。これらはロシア革命の渦中で書かれたものであり、彼の高揚した意識が文体にもほとばしっている。
 まず『帝国主義論』でレーニンは、@生産と資本の集積が極度に進んだ結果、経済生活で決定的な役割を演じる独占体が造りだされた、A銀行資本と産業資本が融合し、金融寡頭制が生み出された、B商品輸出とは区別される資本輸出が顕著になった、C資本家の国際的独占体が形成されるようになった、D資本主義列強による世界の分割が完成している、E帝国主義大国は、超過利潤によってプロレタリアの上層部を「労働貴族」化し、日和見主義を培養している、F帝国主義は、その経済的本質において独占資本主義であり、資本主義のあらゆる矛盾を極度に激化させている。これらの特徴から、帝国主義は「死滅しつつある資本主義である」とレーニンは断じた。
 ついでレーニンは、『国家と革命』の中で、マルクス・エンゲルスの著作を援用しつつ、大要@国家とは、相争う諸階級の衝突を緩和し、社会を秩序の枠内に維持するため、社会の中から生まれながら、外見上は社会の上むに立つ権力である。A国家は、一階級による他階級抑圧の機関であり、この抑圧を合法化し強固にする機関である、B国家は、公的暴力装置(常備軍・警察・監獄等)を備え、支配階級はそれを媒介に従属階級を抑圧する、C国家は、社会の階級分裂によって必然的に生まれた、従って国家は階級の消滅とともに不可避的に消滅する、と説いた。ただそれ以後の部分は、彼が革命運動に専念したため未完のままおわっている。
 ここでひとつ付け加えなければならないのは、晩年のマルクス、エンゲルスが、民主主義が発達した欧米諸国における「平和革命の存在」に言及した点について、レーニンは、これらの諸国でもその後官僚・軍事機構が著しく拡大強化されたため、その可能性は失われたと述べたことである。

<>2005/12/22 65<>0<>【2005.12月号】 時言  <>時言 
小泉「改革」は誰のための「改革」か?
 許し難いことではあるが今日、労働者は正規・準正規に、さらに正規にあっては総合職・一般職・専門職等にと、非正規は契約・派遣・パート雇用等々に分断されている。加えてそこに個々人の労働実績に応じた賃金支払いという成果主義が取り入れられてもいる。このように労働者の個別化が図られ、そこに膨大な数の格差による序列化されたピラミッド型の階層社会が形成されている。そこでは格差に伴う利害が対立し、上を見たり下を見たの果てしのない自己疎外に陥り、団結は阻害される▽「分団して統治」することの旨みを知悉した資本と、その走狗たる政治権力の策動にからはまり、出口を見失った姿のようである。そこに充満する不満や閉塞感から人々はマスメディアのふりまく「心主義」、そこに蔓延する観念論、拝金主義、あるいは希望や理想の喪失による刹那主義等におちいっている。まさに意識はメディアという巨大商業資本によって汚染・誘拐され続けているのである▽この資本の側の思想による汚染(自己疎外)と差別を利用した支配策動こそが、規制緩和・民営化・構造改革等「小さな政府」作りに象徴的な市場主義である▽私たちはこの資本の側の戦略の延長線上に戦争が想定され、それが故の憲法九条第二項殺しの改憲攻撃が仕掛けられていることを明確にしなくてはならない。それが為には個々人の日々の生産活動・生活の次元からの唯物論的な発想に立って、自らの社会的位置を厳しく自覚しなくてはならない。
(安保英賢)
<>2005/12/22 64<>0<>【2005.11月号】「改憲阻止の諸行動を再構築しよう」<>「改憲阻止の諸行動を再構築しよう」
新社会党広島県本部副委員長
高橋晋作
 9月11日投開票された第44回総選挙の結果、自民党は単独過半数を大きく超える296議席を獲得し、自公連立政権は327議席に達し、引き続き小泉内閣が存続することになりました。私たちは社民党との政策協定を交わし、「07年参議院選挙での共闘」にむけた相互の努力を確認しつつ護憲勢力の議席獲得を目指しましたが、結果はいま述べた通りであります。
 この総選挙の結果、憲法・民主主義・国民のいのちと暮らしはいっそう深刻な危機に直面することになりました。とりわけ、憲法改悪の動きは一層活発になることは必死です。
 県本部も07参議院選挙に向けて護憲候補の擁立の話し合いを早急にすすめなければなりません。県内各総支部、支部は憲法改悪阻止の共同戦線を構築、拡大するために全力をあげなければなりません。
 これらの行動の基盤となるものは党の組織の強化と拡大であることをお互いに確認して県内各地での日常活動を今一度考えてみようではありませんか。
○定例的な役員会や学習会はできていますか。
○支持組織との話し合いは出来ていますか。
○財政確立の話し合いや取り組みは出来てい ますか。
○外宣活動などはどうでしょうか。
<>2005/11/18 63<>63.jpg<>【2005.11月号】 当選 江田島市議会議員 <>当選 江田島市議会議員選挙
 山本一也 新社会党推薦 551票 
10月16日に行われた合併後初の江田島市議会議員選挙において、山本一也さんが551票を獲得し、みごと当選を勝ち取った。
 初の市議選となった今回の選挙は、選挙区制で行われ、山本一也さんは大柿選挙区(定数8,立候補12名)から立候補。旧大柿町議選では2度当選し、今回が3度目の選挙となった。
 選挙戦では、これまでの議員活動で一貫して取り組んできた「福祉・環境・教育」をテーマに「誰もが住んで良かったといえる町づくり」を終始市民に訴えた。
 激戦を制し当選を果たした山本一也さんは、選挙事務所に集まった支持者にお礼を述べ、「高齢者福祉、漁港整備、教育環境の充実などに積極的に取り組み、様々な問題となるNLP誘致には断固反対し、民意を市制に反映させていく」と決意を表明した。
 当日有権者数は7522人、投票率は80.32%と前回(78.58%)を上回った。

<>2005/11/18 62<>0<>【2005.11月号】「理論委員会報告」A <>「理論委員会報告」A 安保英賢
前回に続き「現代日本とファシズム」をテーマとする第7回理論委は10月29日、塚本理論委員長の追加報告、柴戸政策委員会事務局長の報告を基に論が交わされました。塚本委員長からは概略以下の報告がなされました。93年以降の55年体制崩壊を一つの契機として、議会制民主主義という階級支配のベールは捨て去られ、国家独占資本主義の特色としての独占による階級支配が強化されたこと。それがための方策としての、小沢・土井会談で導入された小選挙区比例代表並立制は、議会制民主主義の否定をその本質とするが、今次選挙はそれを顕在化させることになった。
加えて一方の国家主義の流れは86年の自民党300議席獲得を受けての「人間である前に日本人たれ」以降、森の「神の国発言」・扶桑社の教科書・靖国参拝等の策動の中、「国民意識」が強化され、戦中の方向へ向けた国民の団結、すなわち「国のために何かする」等、個人の考え方の中に国家が入り込んできている。「それは準戦時体制に近く、総じてファシズム的だ」と報告された。これを受けた議論の中「まだ議会制民主主義のベールをかなぐり捨ててはいない」「ファシズムを思想・運動・体制という視点で考える時、まだ体制は到っていないが極めて危険な状況」との声が多かった。柴戸報告は次回。<>2005/11/18 61<>61.jpg<>【2005年11月号】岩国基地機能強化反対市民集会報告<>岩国基地機能強化反対市民集会報告
 10月23日岩国基地機能強化反対市民集会実行委員会が主催し、岩国市元町第3公園(通称;生協の公園)で3000名規模の反対集会が開催された。
 集会挨拶で注目を引いたのは、首長を中心とした3市2町の反対同盟を代表して大竹市長は、連帯挨拶として「沖合移設工事と拡張計画はセットであることに住民はだまされた思いが強い」と怒りをあらわにすると同時に、「広島湾の安全・安心を守ることを合言葉にしよう」と訴えだった。
 また主催者側の中野(連合山口)事務局長は、現在進められている「沖合移設工事」は地元負担の軽減と、騒音被害を解消することが目的であったのにも拘らず、これでは、当初から2008年に完成する「沖合移設工事」と基地機能強化・拡張計画がセットではなかったのかと、疑問を呈する状況に至っていることに、怒りを隠せないでいた。
 反対運動は、町議会での決議、市長会、県知事、等と連携を取りながら運動は取り組まれ、特に地元岩国市では6万名の署名が取り組まれたとの報告がされた。
 集会は決議文を採択し会場から基地ゲートに向けてデモ行進をおこなった<>2005/11/18 60<>60.jpg<>【2005年11月号】広島総支部第十回学習・交流会<>広島総支部第十回学習・交流会
 −「米軍再編と岩国基地」−
 10月18日に、東区民センターで広島総支部の学習会が26名の参加で開催された。
 岩国市議の田村順玄さんは講演のなかで、「騒音と事故の軽減のため地元住民の悲願とされてきた岩国基地の滑走路沖合い移設が、実はとんでもない国家的詐欺であり、米軍再編構想による基地の拡張と機能強化しかもたらさないものだ、ということが明らかとなった。事実、マスコミが報じるように移設ではなく増設であり、これにともなって厚木から空母艦載機約70基の移転が、米軍再編に基づく日米安保協議の中で合意され、NLP(夜間離着陸訓練)の訓練場が硫黄等から岩国に移転されようとしている現実を知ることとなった。」と報告した。
 すでに岩国からはアフガン・イラクへ民衆虐殺の米軍部隊が送り込まれた。それを支えるため呉とヒロシマの自衛隊が派兵された。またNLPをはじめ基地拡張にともなう直接被害は私たちの想像を絶するものであり、単に騒音や事故にとどまらない。被害と加害の「現地」となるヒロシマの市民は、いったい今どうするのかが鋭く問われている。
間違ってならないのは、再編ではあっても縮小ではない。「米軍がいつでもどこでもやりたいようにやれる」というのが基調であって、再編幻想に爪の先ほども惑わされてはならない。私たちは、あくまで米軍基地も安保も自衛隊も不用の無防備平和都市ヒロシマを目指す。そのためにも、反対闘争を強めよう。<>2005/11/18 59<>0<>【2005年11月号】翼<>翼
◇小泉総理が今年も10月17日に第5回目の靖国神社参拝を行った。年に一度は靖国神社に参拝するという公約を果たしたわけである。しかし、今年の靖国神社への参拝は、9月30日に大阪高裁が「小泉首相の靖国参拝は違憲」と出た後だけに、平服で賽銭を投げ入れる等、神社側からも「非礼だ」と批判がでている。◇靖国神社に替わる国立追悼施設の設置の提案は2002年当時の福田官房長官の私的諮問機関より出されたが今まで店晒しになっている。そして、小泉総理の靖国参拝の度に繰り返されるのが、無宗教の国立追悼施設の設置である。中国や韓国などからも、A級戦犯を外した国立追悼施設をという声があがり、朝日新聞等もそれに旗をふっている。民主党や公明党、共産党、社民党も概ねそれに賛成をしている。◇しかし一寸考えてみたい。死者の追悼はあくまで個人の「信教の自由」に属することである。なぜ、国が国立の追悼施設をつくるのか。戦争は、「兵士」(教育)と「武器}と「戦死者を祀る施設」が3点セットがそろって出来る。問題点は「靖国か国立追悼施設か」ではなく、「国家の追悼を許すのかどうか」ではないか。憲法9条を堅持し、「戦争しない国」を求めるのに、国の追悼施設ははたして必要だろうか。
<>2005/11/18 58<>0<>【2005年11月号】がんばってます議員活動83<>大崎上島町議会議員 なかむら修司
 島の中にある教員住宅はほとんどが空き家状態。クラス担任全員がフェリー通勤となっている小学校もあり、濃霧や異常気象の時、授業は成立しません。「同和教育憎し」で始まった教育改革は、過疎地の教育も確実に破壊しており、住民からも「どうなっとるんや」と反発が出始めています。
 議会で、「教職員の管理が優先し子どもの教育条件が侵害されている。島や過疎地での子育てが出来なくなる。もっと真面目な対応をすべき」と迫ってみるが、「県教委の計画の範囲で頑張るしか・・・」との返答の繰り返し。
 もちろん地域進出などほとんどなく、少人数学校でありながら、児童虐待や育児放棄などは増え続けています。
 こうした状況に対応をすべく、個別の子どもネットワークでの情報収集を取り組んでいますが、もっと大きな住民ネットワークへの発展が必要です。
 また、地元高校が統廃合の対象となり、行政・住民・学校での組織を提案し結成したものの、危機感が薄く活動は盛り上がっていません。
 今一度、島の子どもたちの学ぶ権利を保障するという立場から、統廃合反対の取組みを進めねばと思っています。 
 与えられた議席を最大限活用しながら、同和教育の再生にむけ頑張り続けます。<>2005/11/18 57<>0<>【2005年11月号】社会主義の歩みと将来への展望<>社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自立的連帯を求めて(17) 
広島大学名誉教授 北西 允
(第17回)レーニンとロシア10月革命
 第一次大戦末期のロシアでは反戦気分が軍隊にまではびこり、1917年2月、首都ぺとログラードでストライキ鎮圧に赴いた兵士が、労働者と提携してソビエト(労兵協議会)を立ち上げた。ソビエトはやがてロシア全土に波及し、1905年の帝政崩壊後に成立した臨時政府と並んで二重権力状態が出現した。4月に亡命先のスイスから帰国したレーニンは、革命の性格と方針を明確に説いた「四月テーゼ」を発表し、名実ともに革命の指導的地位に就いた。7月の武装蜂起失敗後、レーニンは一時隣国フィンランドに逃れるが、10月に帰国すると「すべての権力をソビエトへ」と訴えて武力革命の指揮に当たった。労農同盟に基盤をおくボリシェビキ党と社会革命党左派(左翼エス・エル)による社会主義10月革命は、大きな抵抗もなく成功し、レーニンはソビエト人民委員会の初代議長に選ばれた。
 ソビエト政権は、即日「ブルジョワ新聞」の廃刊を命じ、12月には反革命的言動を取り締まる秘密警察・チェーカーを創設し、翌18年1月には憲法制定議会を強制的に解散し、正式国名として「ロシア社会主義ソビエト共和国」を採択したぬ。一方、ソビエト政権は、レーニン主導のもとに1918年8月ドイツとの間に単独講和条約を結んで戦争から離脱することに決した。またボリシェビキ党は、食糧徴発問題を巡って農民を支持基盤とする左翼エス・エルとの決定的に対立した。それらがもとで左翼エス・エルは政権から離れた。
 ソビエト政権はモスクワに遷都し、ボリシェビキ党はロシア共和党と改称し、1918年7月に「ソビエト憲法」を制定した。政権は、翌8月左翼エス・エルの叛乱鎮圧を契機に共産党以外のすべての政党を解散させ、マルクスが唱えたプロレタリア階級の独裁は共産党の一党独裁に書き換えられることになった。この「代行主義」は、さらに党中央委員会の独裁、そしてレーニンの死後、幹部間の権力闘争を勝ち抜いたL.V.スターリン(1879〜1953)による個人独裁へとエスカレートしていく。
<>2005/11/18 56<>56.jpg<>2005年11月号 婦」被害女性の証言を聞く集い』開催<>『日本軍「慰安婦」被害女性の証言を聞く集い』開催
 10月21日、広島市内において、日本軍の『慰安婦』として被害を受けたキム・オクソンさん(82才)が、高齢であるにも関わらず初めて来日し証言をした。最初に呼びかけ人のひとり、栗原君子が「証言を聞かせてもらいキムさんの辛い思いを共有し、日本政府に戦争をさせないための活動に生かそう」と延べた。続いてキム・オクソンさんが証言をおこなった。キムさんは「15歳の時、近所の女の子といたら区長が来て二人を着の身着のままで無理やりトラックに乗せ釜山へ、釜山から船で着いた先は台湾であったと後で知った。朝昼夜も無く、毎日、何十人もの軍人と性関係、痛くてできないと言えば殴られ、痛くて気絶すればバケツで水を何杯もかけられる。食事はおにぎりのようなものが時々与えられ、軍票もお金も見たこともない。一人の子は軍人100人の相手をさせられ気絶、もう一人の女の子は自殺した。15歳のときから8年間続いた。戦後、山奥をさ迷っていて朝鮮兵に助けられて帰ることはできたが、性病の手術で子宮も摘出した。韓国に帰っても差別され、金持ち女性から軽蔑された・・・」などと苦しい体験を語った。聞き入った参加者は日本軍の蛮行を憎み戦争反対への決意を固めた集会でした。 (栗原君子)
<>2005/11/18 55<>55.jpg<>“連帯”「韓国との姉妹都市を訪問−市民運動の連提を−」<>「韓国との姉妹都市を訪問−市民運動の連提を−」
三次の「 平和を考える市民の会」(以下市民の会)の6人が三次市と姉妹提携をしている韓国・泗川市を訪問した。三次市と泗川市とは今年春、歴史教科書の問題や靖国参拝問題、竹島(独島)の問題で交流が中断している。6月には泗川市から全教職員組合慶南支部泗川支部長の宗先生が泗川市より市民の会の教科書問題を考える市民講座に参加している。
 今回の市民の会の訪韓はそのお礼と報告に訪れたもの。訪問団は、交流が中断している両市の交流再開を願って、吉岡三次市長に泗川市長へのメッセージをもとめたが、公式訪問でないと断った。逆にわざわざ三次市から泗川市へ電話を入れ、「公式訪問ではない」と電話を入れたにもかかわらず、泗川市から公的に迎えられ、市長との会談や歓迎交流会が開催されるなどの歓待を受けた。
 6月に宋先生が三次を訪れた時、市長は会わず、教育長が会談をドタキャンするという対応とはあまりにも対照的だった。泗川市からは今年の10月に、航空博覧会に三次市長宛に招待状を発送したが、多忙を理由に訪問を断ってきたと言う事実を初めて知り大変驚き、再び三次市行政の対応に恥ずかしい思いをしたことである。
 今後市民の会は、泗川市を窓口に、泗川市の市民運動などとの交流を図っていくことにしている。
                        (小武正教)

<>2005/11/18 54<>0<>地域からの護憲運動を強めよう 栗原君子 <>地域からの護憲運動を強めよう
新社会党広島県本部委員長
栗原君子
 先の総選挙で郵政民営化のことしか言わなかった小泉首相は「刺客」だの「クノイチ」だのとメデイアに担がれ、手品のようなことをやってのけました。改革の美名のもと、与党は安定多数の議席を得るや郵政民営化は勿論ですが、テロ特措法の再々延長、新憲法草案、改憲のための国民投票法案、大増税案、教育基本法改悪案、労基法改悪、福祉の切捨てなど・・着々と準備をし言いたい放題、やりたい放題で国民はまるで詐欺師にかかったようです。政治家二世、三世、そのうえ右翼の養成所といわれている松下政経塾出身者が目につきます。自民党も民主党を取り込むためにハードルを少々低めにして与野党の両保守党が市民に痛みを押し付ける「改革の競い合い」を始めました。元々、国会は改憲派が多数ではありましたが、さらに翼賛国会の様相が強まりました。それにしても「民主党を社会党的にする」と言っていた旧社会党から行った人の姿が見えないのは残念です。次の国政選挙は憲法選挙になるのでしょうか。まもなく11月3日の憲法公布の日がきます。私たちに平和な社会と人間らしい生活を保障し、国家権力から市民を守ってくれている憲法を地域から変えさせないため闘いが益々、重要となってきました。今年、後半の自治体選挙の勝利にむけ頑張りましょう。

<>2005/10/23 53<>53.jpg<>【2005.10月号】第5回全国女性委員会・学習交流会<>第5回全国女性委員会・学習交流会
 9月24日〜25日(日)と2日間に渡って、全国女性委員会が千葉県は、九十九里浜の海岸を眼下にした会場において開催され、北は北海道から南は熊本までの40名あまりがつどいました。広島から三木郁子よこ村上美鈴の2名が参加しました。
 委員会冒頭、開催地県本部女性委員長の秋元寿子さんの歓迎のあいさつに続き、栗席君子中央本部委員長、本池奈美枝中央本部女性委員長が、あいさつに立ちました。
 1日目は、「新自由主義教育改革・教育基本法改悪の動向について」と題して、横堀正一さんの講義があり、
1.教官基本法制定の経緯・背景。2.教育基本法の制定。3.新自由主義教育改革のイデオロギー。4.家族論。とまとめられ、最後にジェンダーバッシングや扶桑社版の教科書問題の今日的状況に及んでいる事へのつながりまで行きました。
 次に岡崎宏美さんより「女性と年金」と題しての講義につつぎ、各県本部からの報告をし、攫の交流会へと続きました。
 2日日は、「女性と社会主義−へ−ベルと山川菊江に学ぶ」と題して上野中央本部副委員長の講義、各地の活動報告があり、来年の開催地を熊本に決定し閉会となりました。(三木郁子)
<>2005/10/23 52<>0<>【2005.10月号】「理論委員会」報告<>「理論委員会」報告
9月17日、中央本部で開催された第6回理論委員会は、予定されていた塚本理論委員長からの「90年代の日本の政治」との報告を、急遽「ファシズムについて」に変更して議論がすすめられました。以前から小泉政治については、意識ある人々の間で「ファシズム」の視点から批判が展開されていましたが、与党圧勝という「9.11総選挙」の結果を受け、理論委員会もファシズムへの懸念、あるいはそれを議論の遡上に上げる必要性に立ってのことです。塚本報告は「今日の政治状況をどうみるのか」という視点から始まりましたが、それがすでに、あるいはいよいよファシズム体制であると規定するのであれば、どのタイミングで「反ファシズム闘争」を展開するのか、あるいはファシズム化の原因を明示し、それをつぶしていかなくてはならないからです。
 周知の如く「ファシズム」とは大概的に言えば、議会制民主主義を否定した一国一党による独裁政治体制を言うのでしょう。さらにそれは歴史的にみて共通した装いを纏って出現していますので、今後その「装い」をメルクマールにして就中9.11以降の小泉政治を診断していかなくてはなりません。
(その「装い」等の議論は次回)(安保英賢)
<>2005/10/23 51<>0<>【2005.10月号】『岩国基地問題を考える広島県西部住民の<>連帯
『岩国基地問題を考える広島県西部住民の会』
 9月22日夜明け廿日市市内において、第3回目の「岩国基地問題を考える広島県西部住民の会」の準備会が開催されました。この会は、神奈川県の厚木基地よリNLP(夜間離着陸訓練)などの機能が岩国へ移転される予定と、6月に報道されたのをけ契機に、岩国基地の機能強化には絶対に反対という廿日市市を中心に県西部の住民が集まって作られたものです。第1回目は7月9日に、岩国市議の田村さん、ピスリンクの湯浅さんを招いて、『岩国基地を問うシンポジウム』を、約80人の参加で開催しました。
 米軍再編協議がすすみ、遅くとも11月中には中間報告が出されると伝えられています。岩国市など山口県の自治体、広島県西部の自治体も横能強化には絶対反対の声をあげています。しかし、伺といっても大きな力になるのは、住民の「基地の強化は許さない」という強い意思です。これからも署名、学習会な
ど粘り強く運動していくとともに、この会自体をもっとしつかりこしたものにするため、12月3日に結成集会を開催することを決定し、そのための準備を進めています。
<>2005/10/23 50<>0<>【2005.10月号】 『翼』<>『翼』
 さわやか季節を迎えた。特に今年は暑かったためか、よけい心地好く感じられる。
 9月、110月は運動会・体育祭の時期である。今年は、保育園、幼稚園ガら高校まで行く機会があった。熱心に演技する子どもはもちろんだが、見ていて最も楽しいのが、懸命にわが子を応援する親の姿である。大きな声で応援したり、必死に両手を合わせて祈ったり、中には子どもがゴールすると感極まって泣
き出す人もいる。ここまで応援してもらえる子どもは幸せだなと思う。しかし、この様な姿勢が他の面にも及べば、子どもにとって重荷になることも多いのではないかとも思う。
 開会式では、どこも「日の丸・君が代」があった。「君ガ代」の流れる1分足らずの時間の何と長く感じることか。決して強制するものではないという「日の丸・君が代」法制化時の閣僚の答弁は、一体どうなったのか。秋空の下、これから運動会を行おうとする開会式の最初に、あのテンポの遅い「君ガ代」
が流れたのでは、どうにも元気・やる気はでない。時と内容を選ばす、とにかく最初に「日の丸・君ガ代」を実施することが必要と、地域のさまざまな行事でも実施することが増えてきている。粘り強く拒否する姿勢を持ち続けたい。<>2005/10/23 49<>0<>【2005.10月号】社会主義の歩みと将来への展望 16<>第16回第一次世界大戦と第二インターナショナルの崩壊
 第一次世界大戦は、イギリス、フランス、ロシアの「三国協商(後に連合国)」と、ドイツ、オーストリア・ハンガリー、イタリアの「三国同盟」との長年にわたる確執を背景に、1914年から1918年にかけヨーロッパを主戦場にしつつも、日本を含む32ヵ国が参加し、世界的規模で戦われた帝国主義戦争であった。
 戦争の危機が迫る中、第二インターナショナルは1907年のシュッツガルト大会において、R.ルクセンブルクとレーニンの修正案を受け入れ「社会主義諸党は戦争阻止のために闘う義務を負う」のみならず、不幸にして戦争が勃発した曉には「社会主義者は戦争の早期終結のために介入し、人々を奮い立たせて資本主義制度の転覆を促進するため戦争を利用する義務を負う」との決議を採択した。さらに1912年のバーゼル大会でもこの決議は再確認された。
 ところが、いざ戦争が始まると第二インター加盟の大半の政党は、これらの決議を反古にして「祖国防衛」を口実に武器をとり敵味方に分かれて戦った。第二インターの中枢に位置したドイツ社会民主党では、左派のローザらは反戦の立場を堅持したものの、ベルンシュタインらの右派は積極的に、中間派のカウツキーらは逡巡しながらも自国の戦争を支持した。第二インター加盟政党で党全体として反戦の姿勢を貫いたのは、ロシアのボルシェビキ党、セルビアの小政党、イギリスの労働党の一加盟団体・独立労働党ぐらいであった。こうして第二インターは事実上崩壊した。
 戦争中イタリアは「同盟」から「連合国」側へ寝返り、1917年にはアメリカも「連合国」側について参戦した。同年ロシアでは二度にわたる革命によってボルシェビキ党が権力を撮り、戦線から離脱して単独で「同盟」側とブレスト・リトフスク条約を結んだ。その後も戦争は続行されたが、ドイツ帝政は1918年に革命的混乱の中で崩壊し、そのあとを継いだエーベルトの率いる社民党政権は「連合国」に和を請うた。これに前後して、「同盟」諸国も相次いで降伏し大戦は「連合国」側の勝利に帰した。
<>2005/10/23 48<>0<>【2005.10月号】がんばってます82<>がんばってます82
大野町議会議員 西本ヨシハル
日頃より大変お世話になっています。私は今年の3月に補欠選挙があり、幸いにも無投票で議員となることが出来ました。暖かいご支援をいただき本当にありがとうございました。
 私はこのチャンスを生かし、議会の度ごとに合併問題や教育問題、そしてさまざまな身近な問題について、町長・執行部に対して一般質問を行いました。合併問題では、「廿日市市と合併することで大野町民にとって福祉の向上がはかれるのか?、平和で豊かな地域社会となるのか?」など問いつめましたが、何ら具体的な回答は返ってきません。
 教育問題では、「「君が代・日の丸」強制によって教職員を処分することは憲法・教育基本法違反であり、人権侵害になるのではないか?」と迫りましたが、「上司への命令違反、信用失墜行為である」とオウム返しに答弁するばかりでした。私としてももっと鋭い質問をし、具体的な答弁をさせるよう研鑽しなければならないと反省しています。また、「つくる会教科書」を不採択するよう質問し、結果的に広島県においては「採用ゼロ」となり、これからも広範な不採択運動・教科書問題学習の必要性を感じています。
 私は身近な問題として、「ごみ箱廃止問題」で住民と連携しながら議会で取り上げてきました。現在も各戸を訪問し、廃止反対の署名活動を展開しています。これからも私は、日常活動と連動させながら、来るべき11月27日の投票日にむけて全力を尽くしますので、何とぞよろしくお願いします。
<>2005/10/23 47<>0<>【2005.10月号】時言 「民意と政権の関係」<>時言 「民意と政権の関係」
私たちが、そのこと故に断固反対し、新社会党を立ち上げた「小選挙区比例代表制」の害毒が、第44回総選挙で現実化した。すなわち、一票でも多い得票をした者が、当該選挙区の唯一の当選者となる。二位・三位等他の候補の累積得票数が当選者を倍するものであろうとも、すべては死票となる。それ故このような当選者を束ねた政党の当選者数とその政党の得票総数とは極端に乖離することが生じる。そこに民意を反映していない多数党政権が生じる。
▽例えば今般、小泉首相の言う「郵政民営化の是非を問う」選挙の結果は、自公の小選挙区総得票数3350万。反対した野党は3450万で、100万票多い。議席数は与党圧勝でも、その実民意は郵政民営化を否決しているのである。
▽かって90年代半ば、時の政治腐敗をこそ「改革」すべきをマスコミを使嗾「選挙制度の改変」(小選挙区制度の導入)にねじ曲げ、今回は「郵政民営化法案」に反対する者に、利益誘導・利権・既得権益の確保等々の古い自民党との烙印を押し、切り捨て、自らは改革者面をして、マスコミを使嗾、沸騰させた。
▽マスコミの悪業もさることながら、こんな手練手管・だまし絵こそが民意に反して与党が勝利した要因である。さらには半世紀に亘って自民党が張り巡らせた利益誘導の網の目にしがみつく地方・地元の依頼・服従心のなせる業である。自民党政治の悪の温床は何一つ変わっていない。「ホリエモン金をもって来てくれ」の声が耳から離れない。
(安保英賢)<>2005/10/23 46<>0<>【2005.10月号】映画「9-NINE−憲法九条は訴える!<>映画「9-NINE−憲法九条は訴える!」向島上映会開催
 8月29日(月)18時30分より、映画「9−NINE-憲法九条は訴える!」の向島上映会が開催され、労組・民主団体に一般市民約80名の参かがありました。
 まず最初に主催者を代表して、三木郁子さんのあいさつに続き、「憲法と私」というテーマで4名の方のリレートークがありました。視覚障害者ボランティアの石井裕生さん、九条の会・おのみちから山口妙子さん、宗教者の季平博道さん、前尾道市議会議員の城間和行さんのそれぞれが、自分の体験を通して、特に今日のわが国の情勢を見る時、「戦争への道」へと突き進んでいることへの警鐘を鳴らした話となりました。
 映画上映は、43分間もので「九条の会」を立ち上げた加藤周一さんや大江健三郎さん、井上ひさしさんなど著名な9人の方々の集会での語りかけや、コメディアンによるパフォーマンスなどの内容となっており、自分たちの住んでいる身近な人々に改めて「憲法九条」に関心をもってもらう機会となった上映会でした。
<>2005/10/23 45<>0<>【2005.10月号】 自治体議員団会議05年度総会を開催<>中国ブロック・広島県
 自治体議員団会議05年度総会を開催
 中国ブロック自治体議員団会議(谷口満議長・鳥取)は、去る9月24日(土)13:00より広島市オフィスヤンターにおいて、2005年度総会を開催した。冒頭のあいさつに立った田中健次副議長(山口)からは、「小泉による9.11ショックが尾を引く中での05年総会となった。我々の闘いは、益々重要となり、近づく07年参議院選・統一地方選をにらんだ取り組みが必要となる。護憲共闘を基軸とした必勝体制確立に向け、直面する各自治体選挙勝利に向け、闘いを強化しよう」と訴えた。
 続いて、04年各報告、05年各方針提案のあと、討議に入り、
○全国方針を具体化するための研修会が必要。○各地の課題をもとに、情報交換を。○各議会前における課題意識をもった対応。○等々を参加者で協議し、「中国ブロックと各県本部との役割を整理しながら、より充実した議員団活動継続に向けとりくむ。研修会を開催し、学習と実践交流を深める」等々を申し合わせた。
 最後に福原武常任委員(島根)の団結ガンバローでしめくくった。なお、引き続いて開催された広島県自治体議員団会議総会では、合併に伴う大柿(江田島市)・大野(廿日市市)・因島・神辺・府中への取り組みを確認し、交流を深めた。<>2005/10/23 44<>0<>【9月号】息をひそめてでも来るべき時に備えよう<>息をひそめてでも来るべき時に備えよう
新社会党広島県本部
副委員長 三木郁子
郵政法案が参議院で否決され、小泉は衆議院の解散という暴挙に出て衆議院選挙が行われた。結果は場民圧勝という私たちの想像を上回る大変残念な結果となってしまった。しかも自公で2/3を大きく上回る議席数を与えてしまったことは、憲法改悪も一足飛びに国民投票法案成立へと持ち込まれそうである。
 この選挙で、護憲勢力が壊滅的な打撃を受けることに備え、我々としては、全国的に護憲勢力の支援に力点を置き、社民党と政策協定を交わし、特に07年の参院選にもターゲットを当て護憲共同候補の実現へ向かって努力することの合意がなされている。
 自民圧勝にため息をつき立ち止まることも許されないし、傍観的であってもならない。
 護憲議席数が解散時よりわずかばかりでも増となったのは、今後われわれが果たすべき役割も大きいし、またこの事を基底に確かな先を見据えつつ粘り強く闘う以外には道は見えてこない。
 ますますエスカレートするであろう小泉構造改革は、生活者の生きる権利さえも根こそぎ切り捨て、大資本最優先の施策の流れに反撃しつつ、日常活動を積み重ね、息をひそめてでも来るべき時に備えよう。
 当面する自治体選挙に勝利すべく歯をくいしばってがんばろう。

<>2005/09/30 43<>0<>第44回総選挙について<>第44回総選挙について
 この結果を何と表現したらいいのだろうか。12日の新聞各紙には、「自民地滑り的圧勝」「小泉自民党、歴史に残る大勝」などの文字が踊っている。自民、公明の与党で過半数どころか、憲法改正の発議までできる2/3以上の327議席を獲得した。残念ながら新社会党は候補者を擁立することが困難であったが、兵庫1区で無所属で立候補した原和美・兵庫県本部委員長は、21.844票9.8%、第3位と健闘し、07年の参院選にむけて展望をきりひらいた。
 広島県本部は、社民党県連合と政策協定を結び、07年参院選での共闘にむけた努力を確認し、1区・3区の社民党選挙区候補を推薦し、護憲勢力の議席獲得を目指した。しかし広島では、議席獲得には至らなかった。
 この選挙の結果、小泉内閣は、特別国会で郵政民営化法案を成立させた後、年金・医療などの社会保障制度の改悪、消費税、所得税などの大増税、教育・労働政策の改悪、そして憲法改悪へと突き進んでいく。私たちの命とくらしは、いっそう深刻な危機に直面することが予想される。07年の参院選にむけて、憲法擁護勢力との共同行動を強化することが大変に重要であり、そのために全力で取り組んでいく必要がある。
<>2005/09/30 42<>42.jpg<>【9月号】第10回平和を考える新社会党のつどい<>第10回平和を考える新社会党のつどい 
            
 8月5日夜、「平和を考える新社会党のつどい」が節目の第10回として西区民文化センターを会場に開催された。全国各地から80人を超す党員・党友が参加し、会場では新社会党の中にもにはヒロシマに寄せる熱い思いが伝わってきた。栗原委員長の挨拶の後、被爆者で県原水禁の常任理事の下原さんが被爆体験の講演を行った。爆心地近くの被爆者は消滅している。原爆資料館に展示してある被爆者の人形は爆心地から離れたところの姿をくっつけたもので、本当の原爆の恐ろしさは、あんなものではない」と被爆者ならではの証言に、全国からの参加者は聞き入った。
 続いて、広島修道大学名誉教授の岡本三夫さんは、自らの少年時代の戦争体験の中から、広島との出会い、8月6日の広島への思い、さらには戦争の原因と平和への条件を糾明する平和学の大切さを話した。そして「九条にあぐらをかくのではなく、私たち一人ひとりが九条を活かすことによって九条を護らなければならない」と結んだ。
<>2005/09/30 41<>41.jpg<>【9月号】8.6ヒロシマ大行動 全国から3000人が結集<>8.6ヒロシマ大行動
 全国から3000人が結集8.6ヒロシマ大行動

 被爆60周年のヒロシマから、新たな出発!
 被爆60周年を迎えた8月6日、広島県立総合体育館で第7回目の「8.6ヒロシマ大行動が開催された。国際連帯として、イラク・韓国・中国からのゲストを迎えた。また被爆者、被爆二世、さらには沖縄で反基地闘争を闘う労働者、「日の丸・君が代」闘争を闘う東京・広島の教育労働者、「つくる会教科書阻止の特別報告」、国鉄(jR)の解雇撤回闘争を闘う鉄建公団訴訟の原告と、全国のそれぞれの現場で「戦争への道」を阻止するために闘う者たちの連帯で集会はすすめられた。一人の勇気とそれを支える仲間がある限り、「平和と平等」を求める闘いは決して滅びることはない、そんな確信を抱かせる第7回の8.6行動であった。
 集会後参加者は広島市内を1時間デモ行進をして「戦争への道をわたしの立っているところから止めよう!」と訴えた<>2005/09/30 40<>0<>【9月号】翼<>翼
記録的な大雨をもたらした台風14号は、特に九州、中国地方を中心に、死者21人、行方不明6人など(9月8日現在)大きな被害のつめ痕を残した。被災されたみなさんには、心よりお悔やみを申し上げる。▽県西部の宮島町では、厳島神社は満潮時の社殿への浸水だけにとどまり大きな被災は免れたが、弥山から発生した土石流で民家や商店、旅館が被害をうけ、復旧には相当な時間がかかるとみられる。宮島での土石流災害は1945年以来、60年ぶりといわれ、近年進行の激しい、松枯れとの関係が指摘されている。▽気になるのが、大水の時の流木やごみの多さである。何度となく言われてきたことだが、林業の衰退で山の手入れが十分でなく、保水力が低下している。降った雨が一気に流れて、山から倒木などが流出する。森林の保護について、単に経済面からだけでなく、風土の保全という観点から抜本的対策が必要と言われてから久しい。▽相次ぐ災害や記録的な降水量といい、異常な気象が続く。教訓は大いに生かしていきたいが、しかしこれまでの経験だけに頼れなくなっているのは間違いない。行政も、また私たち住民も、災害から身を守ることについてじっくりと考えていく必要がある。<>2005/09/30 39<>0<>【9月号】がんばっています東広島市議会議員 鈴木利宏<>がんばっています
東広島市議会議員 鈴木利宏
先日の衆議院選挙の結果は、小選挙区制の怖さをまざまざと見せつけられました。多くの有権者が政策の中身よりも「郵政民営化が改革の突破口」という「小泉」自・公連立政権に惑わされ、あらゆる法案を成立することができる全議席の3分の2を超える327議席をあたえ、4年間の白紙委任をしてしまいました。
この結果によって、独裁的な強権政治の嵐が吹き荒れ改憲の波が押し寄せ、人権が蝕まれ、平和が脅かされことはあきらかです。嵐に立ち向かう備えを強固なものにするために、いまこそ小異を捨てて心ある仲間の再結集が必要です。私自身が次代を担う子どもたちに今を生きる大人としての義務を果たす正念場だと考えています。
 さて、バブル経済の崩壊後、二極化が進むなか、地方分権・財政再建という名の下に国・地方自治体を挙げて自立・自己責任といったまやかしの言葉で国民の人権感覚を麻痺させ、教育や福祉が後退させられ、生活弱者の人権が切り捨てられています。
 わたしの住むまち東広島も例外ではありません。今年2月7日に1市5町による広域合併をして新東広島市が誕生しました。しかし、教育や福祉、生活関連事業の予算が後退し、大型の箱物事業が優先しています。議会の内実は建前と本音の違う議員の多さに驚かされます。選挙戦ではどの候補も「市民の代表として市民本位の市政実現」を訴えていたにもかかわらず、折り返しを迎えたいま、市民不在の利益誘導に終始しているようにしか見えません。議員としての権利である定例会での一般質問も教育・福祉の充実を訴える声を抑えるために年2回に制限をかけられました。市役所とは本来住民に一番身近な行政として市民の役に立つ所であるべきです。また、議員は市民の負託を受けた代表として住民の視点で議会活動をしなければならないと思います。
 わたしは、周りに惑わされることなく、初心を忘れず市民と本音で語りあえる議員を目指して、心ある仲間とともに粘り強い活動を続けたいと思います。
<>2005/09/30 38<>0<>【9月号】時言「投票日を前に見定めておきたいこと」<>時言「投票日を前に見定めておきたいこと」
一、「五五年体制」中も、それ以降も、党を中心とした保守勢力は、政官財の癒着・利益誘導・腐敗・既得権益の獲得等々で自己増殖を続けた。今七七0兆に及ぶ国の借金に象徴されるこの国の破綻は、そのような政治のつみである。この失政による危機に対して、自民党の小泉内閣は規制緩和・民営化(官から民へ)等、構造改革を叫び「小さな政府」をめざしている。これは市場万能・優勝劣敗への道であり、米英型あるいは資本の側・雇用する側の思想である。
二、しかし求められる「改革」の方向は至上主義一辺倒を唯一の方法とはしない。社会的不均衡の是正を重要視する仏・独型や高福祉国家をめざす北欧型もあるのでである。にもかかわらずマスコミは至上主義を評価する識者(?)を登場させ、残念なことに雇用される労働者さえもその方法を自らを利するものと思い込まされている。その結果は大企業の空前の増収と、5%近い失業者・35%に及ぶ非正社員・さらに年収ダウンの労働者の状況である。
三、今こそ有力な対抗軸が求められる。「改革」攻撃は市場主義の方向だが、「市場」は市民社会の一部にすぎず、市民参加の作り出す分野やサービスを拡大させる。あるいは規制緩和で教育の商品化を進め、買う側(富裕層)の自由の保障を拡大しようとしているが、父母や地域社会の参加共生の中で作る方向こそ大切である。これこそ労働者大衆を主人公とする新しい社会主義である。 (安保英賢)<>2005/09/30 37<>0<>【9月号】社会主義の歩みと将来への展望 15 北西允<>第15回 ロシア社会主義労働党の結成と分裂
 ツアーリズムの弾圧下で度々流刑や亡命生活を余儀なくされていたマルクス主義者の活動家、V.I.レーニン(1870-1924)は、1898年にG.プレハノフ(1858-1918 )らとともにロシア社会民主労働党を結成する。しかし、同党は1903年にドイツ社会民主党をモデルとする穏健派のメンシェビキと職業革命家の党を目指す急進派のボルシェビキに分裂した。
 ボルシェビキのリーダー・レーニンは、『何をなすべきか』(1902)、『一歩前進二歩後退』(1904)などの著作の中で、ツアーリズムを打倒し労働者階級を解放するには、職業革命家による党の指導が不可欠であり、革命党組織のあり方として後に「民主集中性」と呼ばれるようになる組織原則を明らかにした。レーニンによれば、労働者の運動を自然成長性に委せば、せいぜい労働組合を組織して賃上げや労働条件の改善を目指す体制内運動にとどまらざるをえない。社会の変革という目的意識をもった集団的な指導なしに労働者階級の真の解放は実現出来ない、と主張した。
 ロシアの状況が西欧諸国に比べて異常に厳しかったのは事実であるが、レーニンのこうした主張は、マルクスの見解とはかなり異なっていた。マルクスも党という形での労働者階級の組織化を否定したわけではないが、枯れが力説したのは、労働者階級それ自身の努力による解放であったし、またプロレタリアートの政治組織が取るべき形態についても特別の関心は払わず、それぞれの国の労働者がおかれている固有の状況に応じて決めればよい、と考えていた。レーニンの見解に対して、この時期メンシェビキに所属していたL.トロツキー(1879-1940)が「代行主義」と論難し(『われわれの政治的任務』1904)、ドイツ社会民主党左派のR・ルクセンブルクが「超集権主義」(『社会民主党の組織問題』1904)と批判したことは記憶に値しよう。今日、「民主集中制」の組織原則を維持しているのは、日本とポルトガルの共産党だけだといわれる。
<>2005/09/30 36<>0<>【9月号】憲法改悪阻止!<>憲法改悪阻止!
映画『日本国憲法』上映会−三原−
 平和・人権・教育・環境を考える三次市民会議の主催で、映画『日本国憲法』の上映会を行いました。
 5月上旬、「輝く女たちの会」のチラシで映画の完成を知り、「週刊金曜日」等の紹介記事を見て、三原総支部の企画・各参加団体の協力で8月27日・28日開催しました。
 知の巨人ともいうべき論客たちのインタビューを中心にしたもので展開される論理は、うすっぺらな改憲論を吹き飛ばす力に溢れていました。
 戦力の放棄を謳う憲法を今まで以上に積極的な意義を見いだそうとしている彼等に敬服し、感服させられると同時に、日本のそれは、何故いとも簡単に軽薄な改憲論に組み込まれてしまうのでしょうか。
 この映画で問われているのは、考える存在としての人間のあり方だと思います。押しつけられたのは憲法ではなく、「9条を改正しろ」という屁理屈のほうです。
 私たちは考えつづけなければいけません。どんな社会にしたいのか?。気恥ずかしくとも、9条が教えている方向へ間違いなく進んでいかなくては、日本人は近現代史上最も間抜けな人間になってしまいます。
 今世界で日本語の「もったいない」という言葉が話題になっています。大量消費社会を皮肉った言葉として見直されています。それよりもはるかに「もったいない」ことをしようとしているこの国に私たちは改めて「もつたいない」を連呼しなければいけません。<>2005/09/30 35<>0<>【9月号】『被爆60周年 原水爆禁止世界大会』<>『被爆60周年 原水爆禁止世界大会』
 暑い暑い中、「ヒロシマ」は被爆60周年を迎えた。60周年という節目の年ということでもあり、今年の原水禁大会は、原水禁、連合、核禁会議3団体の共同主催で開催された。
 8月4日15時に平和公園を出発し、県立体育館まで4000人で折り鶴平和行進をし、17時から「2005平和ヒロシマ大会」(昨年までの開会総会)が行われた。ここ何年かでは圧倒的に多い約1万人の参加者で、県立体育館の3階までほぼ一杯になり、特に少年少女合唱団の歌には会場から大きな拍手が贈られた。
 5日は8つの分科会、3つの広場、メッセージfromヒロシマが行われ、昨年以上の参加者があった。
 6日は体育館の武道場でまとめ集会が行われ、一連の大会を締めくくり、長崎大会に引き継いだ。
 新社会党も節目の大会ということで、県内はもとより各都道府県本部から例年以上に多くの参加者があった。
 参加者の減少や、大会運営資金の不足などさまざまな課題のある原水禁大会で、今年は被爆60周年ということもあり、3団体の共同主催となった。参加者の大幅な増加、運営資金の増加などの利点もあったが、「核兵器廃絶」の一点での共同開催であり、これまでの大きな柱であった「脱原発」が分科会でしか語られないという、今後の原水禁に大きな課題を残す大会となった。<>2005/09/30 34<>0<>【8月号】 憲法改悪阻止のため全党員の結集を<>新社会党広島県本部
    副委員長 高橋晋作
 旧日本社会党が自衛隊合憲、日兵安全保障条約の容認などと、方針を一八0度転換したとき、私たちは衆・参全五人の国会議員を中心にして新社会党を立ち上げました。ご承知のとおりです。今年は結党十周年の年です。「初心忘るべからず」の言葉のように、あの結党のときのあの気持ちをお互い思い起こして、改憲阻止闘争の体制強化と十周年にふさわしい党建設を達成する年にしようではありませんか。
@総支部、支部で定例的な会議や学習会、宣伝行動などをやりきりましょう。たとえ集まりが少人数であっても、継続することです。継続は力です。07年を展望するとき、草の根の運動の拠点づくりのためにも。
A労働組合組織や民主団体の組織などの組織内党員協の集まりも可能な限りやりきりましょう。
B党建設の基本は財政の確立です。党費や国政選挙資金積み立ての意義への理解と推進を図る話し合いも早急にやりきらなければなりません。
 党を取りまく内外の状況は極めて厳しく大変ですが、結党時の熱い思いをお互い思い起こしてがんばりましょう。

<>2005/09/03 33<>0<>【8月号】 『翼』<>朝夕はやっと涼しくなってきたこの頃であ
るが、例年に比べ少し暑いように感じる。8月18日、結党以来私たちの中心となつて活動し、県本部執行委員であった佐古琢也さんが肺ガンで亡くなった。この二年間は入退院を繰り返しながら、懸命に病気と闘っていた。その闘う姿は、元気な頃の佐古さんの何事にも全力で取り組む姿勢と全く同じであった。 8月沖縄に行く機会があり、町域の83%を米軍基地が占める嘉手納町を訪れた。1日前から合同訓練が行われており、アメリカ本土や岩国、厚木からも多くのジェット戦闘機がやってきていた。嘉手納にいた3時間、飛び立った回数は15回、特に飛び立つ時の騒音は凄まじい。目の前にいる人の声も全く聞こえない。基地近くの住民のことを思うと胸が痛む。訪れた日の朝、米軍が町には何の予告もなく、基地が襲撃されたことを想定し即応訓練を行ったそうである。30発の模擬爆弾を、役場の駐車場から2mしか離れていない場所で爆発させ、その音と煙で一時役場は騒然となったらしい。
 沖縄では、テレビも新聞もこの事件を大きく報道していた。広島に帰って聞いてみたが、ほとんど報道されていない。『基地の島』沖縄、私たちは絶対に無関心であってはならない。
<>2005/09/03 32<>0<>【8月号】時言 「21世紀は見直しの世紀」<>7月31日の新聞は、英同時テロで逮捕された四容疑者のうち二人はソマリア出身、もう一人はエリトリア出身と共に「難民の子」が犯行に及んだ可能性が高まったことに「衝撃」が走っている、と伝えている。この「衝撃」の背景として「難民として受け入れたのに・・・・」というニュアンスが読み取れもする。しかし、ソマリアは一八八0年から独立する一九六0年まで北部が英国、南部はイタリアの保護領。エリトリアも英・伊両国が宗主国であった時代があり、両国にはソマリア・エリトリア等東アフリカからの移民が多いと、新聞は伝えている。
▽八九年以降の「市場・収奪のグローバル化」は、同時にそれを生み出す契機ともなった情報のグローバル化でもある。そこでは精神の植民地からの解放・自立自尊の精神から、それまでやむなしとして甘んじてきた現実への見直しが始まっている。私たちはなぜこれ程までに貧しいのか。この国の原油は誰のものか。あるいは、なぜ私は難民なのか、難民の子なのか。なぜ虐げられ差別されるのか・・・。そこに形成される自己意識と自らの現実との乖離。追いつめてくるグローバリズムの波。不満と敵対心は充満してくる。▽韓国や中国においても同様に、新しい自己意識からかつての日帝侵略、その後の政治決着への見直しが進み、それが反日の基ともなっている。このように21世紀はグローバル化の中、自由・自立・自尊に立脚した「見直し」の世紀となって作動しはじめている。
                       (安保英賢)<>2005/09/03 31<>0<>【8月号】「がんばってます」80因島市議会議員  上田栄司<>国民不在の国政選挙が始まりました。まさに小泉独裁政治の集約と言ってもいい今回の解散総選挙です。国民いじめ、地方いじめの小泉政権に「NO!」を突きつけなければいけません。しかし現実は、落下傘候補が乱舞し、マスコミ・メディアはこぞって芸能ニュースで扱います。「これからの私たちの生活、どうなるの」「地方の有権者をバカにするな」、私の回りで聞こえて来る生の声です。
 因島市は、来年1月に尾道市と合併をひかえ、多くの市民は尾道行政に入る事の不安を抱えて毎日の生活を送っています。そこへ降って湧いたような衆議院選挙。とまどいと同時に「年金や福祉、景気が先だ」と不満も聞こえてきます。
 私の住む因島市は少子高齢化が進み、高齢化率は30%を超えました。地域経済もまだ厳しい面をぬぐえずにいるというのが現状です。 「政治は地方から」言い古された言葉のようですが、今こそ求められている政治理念だと思う今日この頃です。
 先日地元の祭りに予定候補者が顔をのぞかせました。回りはカメラや携帯を手にした未成年がほとんどで、大人たちはまさに見ているだけ。「有権者をバカにするな」という先日の男性の顔が浮かんできました。平和で安心して暮らし続けられる古里を保持するため、老・壮・青・子、すべての事に耳をかたむけながら取り組んでいきたいと思っています。<>2005/09/03 30<>30.jpg<>【8月号】広島県内で「つくる会」教科書は不採択!<>広島県内で「つくる会」教科書は不採択!
 「あぶない教科書はいらない広島県民集会」
 7月16日(土)11時より、広島県庁前広場において、県内各地から約300人が集まって、2005年教科書採択問題・広島県民ネットワークが主催する広島県民集会が開催されました。主催者のあいさつに続き、被爆者、反基地運動、弁護士、在日韓国人、教育関係者などさまざまな立場から、「つくる回」教科書をこのヒロシマの地で、絶対に採択させてはならないという訴えが続きました。集会の後、本通り、金座街、YMCA、そして県教委まで約1時間、ギター、チァンゴ、太鼓の明るいひびきとともにパレードし、道行く人々に教科書問題をアピールしました。7月13日栃木県大田原市教育委員会が、「つくる会」教科書の採択を決定したことも伝えられており、参加者一同それぞれが危機感をもって集まり、いい集会とパレードになりました。
 8月末現在、ほぼ県内各地で教科書採択は終わりました。正式な発表は、県教委からの発表ということですが、洩れ伝わってくるところによれば、広島県内で「つくる会」の教科書は採択されなかった模様です。これも県内各地の「つくる会教科書を採択させてはならない」という様々な活動の成果といえると思います。


<>2005/09/03 29<>0<>【8月号】尾道・向島総支部第10回定期大会<>7月29日(金)19時より、尾道・向島総支部第10 回定期大会が開催された。
 議長選出後、植田稔総支部委員長があいさつに立ち、「われわれを取りまく情勢は、憲法改悪、教育基本法改悪への流れが加速している厳しい中にある。しかし、運動そのものがこのような流れに埋没してしまってはいけない。護憲の党を担う者として、一人ひとりが主体的に日々の活動をがんばって行こう。」と述べた。闘いの総括では、原田書記長より、4月に行われた尾道市議会議員選挙に三木・村上の二人を擁立して闘ったが、議席確保できなかった要員の反省結果を教訓として今後へ繋げていく事。学習活動と情宣活動では、「九条の会・おのみち」の活動や毎月の「24の日行動」の継続が今年も出来たこと。執行委員会もほぼ定例開催出来たことなどが報告されたが、全党員への連絡が不十分だった反省点も今後の課題となった。
 2005年度の運動方針では、全国大会・県本部大会でも確認されている3点が承認された。
新役員も一人交代があったのみで引き続き再任され、畑本さんより大会宣言が読み上げられ、最後に城間さんの団結がんばろう!で締めくくられた。
<>2005/09/03 28<>0<>【8月号】新社呉・安芸第10回定期大会<>呉・安芸総支部(得田正明委員長)の記念すべき第10回の定期大会が7月14日開催され、40名の党員が結集し、白熱した議論が展開された。
 冒頭、得田委員長は、小泉政権の構造改革の狙いと社会荒廃の現象との相関関係を訴え、党員としての誇りと自覚をもとに、組織化をめざそうと挨拶。
 来賓として、栗原県本部委員長、谷口呉市協議長が挨拶をし、党の社会的使命と政治の不条理、人権荒廃の実相として「呉市連続大量差別紙片事件」を厳しく訴えた。
 活動方針としては、一、組織化の闘い。二、財政確立の闘い。三、教宣活動。の三つの柱を中心に、十二項目の重点取り組み項目をあげ、具体的な実践と、党員としての責務が確認された。党員からは、自治体選挙闘争への積極的支援のあり方、連続講座の内容について、財政運営に対する効率化、共闘の強化、教宣活動の充実等々。建設的な意見が多く出され、実り多い大会となつた。
 政治や経済の矛盾が拡大し、憲法・教基法の改悪の流れなど、社会情勢の動向と分析を科学的に行い、新社会党としての果たすべき使命も確認するとともに、戦後六0年の節目に、平和の尊さと人間の尊厳を強く自覚し、厳しい闘いに邁進することが決議された。

<>2005/09/03 27<>0<>【8月号】広島総支部第10回定期大会<>7月13日(水)東区地域福祉センターで、第10回党総支部定期大会が開催された。
 大会には役員・党員21名が参加した。来賓として県本部石原書記長と広教組広島地区支部清水書記長を迎え、議長に郵政支部の三嶋さんを選出して大会を運営した。04年度闘いの総括、05年度運動方針、04年度決算、05年度予算および会計監査報告が各役員から報告・提案され、質疑・討論の後、いずれも原案を一部補強の上で承認・決定した。役員改選は、安保委員長が県本部委員長代行として専任されるため勇退し、新たに加藤新委員長ほかの役員が選出された。改憲の下地作りのため進められている教育基本法の改悪や郵政民営化攻撃に代表される公共サービス切捨てと対決し、夏から年末にかけての一連の平和運動、反基地・イラク撤退の行動を全力で闘うことで改憲攻撃にストップをかけることが要請されている。総支部の組織体制を確立し、想定される総選挙や統一地方選挙を闘い抜ける主体的力量を培うことを全体で確認して、第10回大会を成功裏に終了した。

<>2005/09/03 26<>0<>【8月号】新社会党三原総支部第十回定期総会<>去る7月27日、新社会党三原総支部の第10回定期総会が、三原市人権・文化センターで行われた。
 今回は、一市三町の合併後であり、世羅・久井支部、大和支部・本郷支部と同三原総支部を統合した総会となった。
 名称は、三原総支部とし、各支部から出席の党員を前に、七川委員長が、これまでの経緯と今回の意義を含めて冒頭の挨拶をおこなった。その後は例年通りの内容だが、当面の活動として、八月二十七日、二十八日両日、福祉会館にで、映画「日本国憲法」の上映を行うことを確認し終了した。
 総会後、軍事産業の実態についてのビデオ「軍需工場は今」を観て討論・交流し散会した。
なお、新役員には、各支部から執行体制に入り船出した。委員長に七川義明さん。書記長に小林義朗さんを選出した。


<>2005/09/03 25<>0<>第44回総選挙に関する政策協定<>第44回総選挙に関する政策協定
 新社会党広島県本部と社民党広島県連合は、被爆地ヒロシマの党として、あの悲惨な戦争の反省から生まれた憲法を守り、生かす使命があります。
 両党は、労働者、市民、平和と民主主義を希求するすペての人々が結集できる国民連動として、憲法を守る大衆的な運動を構築する先頭に立ちます。
 以上の認識と決意に基づき、私たちは来る第44回線選挙が、日本国憲法を守り抜く主要な闘いであると位置づけ、当該選奉において護憲を旗印とする候補者の当選のために全力を傾注するとともに、今後の闘いの中で相互支援を基本に連携を酎ヒするためにも、ここに政策協定を締結結するものであります。

一、憲法改悪に反対し、平和で安心して暮らせる社会を築きます。
@日米安保条約を廃棄L、憲法の絶対平和主義の精神を貫きます、。
A自衛隊のイラクからの即時撤退を求め、違憲の自衛隊を見直します。
B戦争協力法である有事法体系に反対します。
C米軍基地の縮小・撤去を進めます。
D国家補償に基づく被爆者援護法へと改正します。
E小選挙区制を廃止し、民意が反映できる選挙制度を確立します。

ニ、良好な環境や社会保障制度を作るために努力します。
@原発の新増設反対、代替エネルギ−・自然エネルギーへの転換を促進します。
 大型公共事業の見直し、循環型社会の構築、環境汚染物質の削減、規制の強化などに努 めます。
A介護医療、年金・保育など社会保障の充実をめざします。

三、生存権を確立し、差別のない社会をめざします。
@市場万能主義の小泉構造改革、とりわけ直面している郵政民営化に反対します。
A自民党・小泉内閣の「改革」は、非正社員等社会的弱音を、、急増させ・切り捨て・自 己責任へと転嫁することに邁進している今こそ、働く者の権利を守り、雇用の保障と創 出、解雇制限法の成立に努めます。
B差別を犯罪ヒして明確に禁止する「差別禁止法案」の実現に向けて取り組みます。
C「教育の憲法」とLての教育基本法の改悪に反対します。

四、消費税など大衆課税の引き上げに反対し、大企業優先の税制を改め、福祉社会優先の 財政政策をめぎします。

五、上記の政策をふまえ、両党は、この選挙戦を契機に、07年参議院選挙で、両党を含 む広範な市民・労働者とともに改憲阻止のための壮大な共同を実現します。

六、社民党広島県連合は、上記の政策協定事項について、その具体化に尽力するとともに 新社会党広島県本部は、社民党候補者金子哲夫、上村好輝の当選に向けて取り組みを進 めます。
2005年8月24日
 新社会党広島県本部委員長 栗原君子
 社民党広島県連合代表   金子哲夫<>2005/08/27 24<>24.jpg<>【7月号】時の鏡<>時の鏡<>2005/07/22 23<>23.jpg<>【7月号】『第10回広島県本部定期大会』<>『第10回広島県本部定期大会』
 6月18日(土)東広島市の中央公民館において、県内各総支部・支部から約90人の代議員が参加し、記念すべき第10回の広島県本部定期大会が開催されました。地元の賀茂・東広島総支部のみなさんには、さまざまな協力をいただき本当に御世話になりました。
 冒頭のあいさつで、栗原委員長は「憲法や教育基本法改悪の動きが着実にすすみ、情勢は大変厳しいが、記念すべき第10回の大会を迎えた今、立党の時の気持ちを思い起こし、団結をより深めながら勇気を出して日常活動を強化していこう」と力強く訴えました。続いて中央本部から横堀書記長、フォーラムフリー、広教組、高教組、解放同盟など8人の来賓のみなさんからの挨拶、いづみネット、新社会党中国ブロック各県本部からのメッセージの紹介がありました。
 午前中は、執行部より24年度の総括、2005年度のスローガン・運動方針の提案があり昼休憩に入りました。昼休憩時、財政小委員会が開かれ、2004年度決算、2005年度予算が審議され、財政称委員長より午後の冒頭報告されました。質疑・討論にはいり、広島・呉・安芸・因島・三原・尾道・向島・大竹廿日市・三原の各総支部の代議員より、党・労組・民主団体連絡協議会のありかた、財政問題、日常活動のあり方、憲法党争、自治体選挙の報告などについて、積極的な意見交換が行われました。
 採決に入り全議案が賛成多数で可決され、日常活動の強化、憲法改悪阻止党争、党員一人1000円の積み立てを含む07参院選・自治体選挙勝利への取り組みなどの方針が決定されました。栗原県本部委員長が中央本部委員長に就任したことに伴い、安保副委員長を委員長代行に選任するなど執行部を選出し、「憲法九条の改悪を許さない」「働くものの権利、命とくらしを守る」特別決議、「大会宣言」を採択しました。
 最後に、栗原委員長の音頭で「団結がんばろう」を参加者全員で力強く行い、大会を終えました。

<>2005/07/22 22<>22.jpg<>【7月号】気持ちを切りかえスタートです<>気持ちを切りかえスタートです
         新社会党広島県本部
         委員長  栗原君子
先月、第10回県本部大会を終え新たな気持ちでスタートです。県本部結成当初、他党から「数年、持つか」などと悪口もありましたが、今日まで、みんなで持ちこたえることができました。大会は(旧)社会党時代の激しい議論まではいかなくても、もっと地域活動の報告をして欲しかったのが率直な思いです。さて東京都議選でも示されたように、政策的には殆んど同じような保守二大政党が財界やマスコミの応援を得ながら「改革」と称して労働者、市民、社会的弱者へのいじめ合戦をやっています。さらに米軍再編による岩国基地の強化・拡大について藤田県知事も外務省と防衛庁に申し入れをしていましたが、私たちとしても見過ごすことはできません。呉基地も含め近隣からの軍拡を阻止しなければなりません。いま、広島の護憲派に課せられた責任は重くフットワークの良い行動が求められています。党中央本部は07年の改憲をにらんで『憲法改悪阻止闘争本部』をたちあげました。護憲を党是とする新社会党が腰を据えた闘いをしようというものです。特に「憲法9条・25条」(平和的生存権)を中心にしたものです。これには党内だけに留まらず幅広い人々と共闘するために一歩踏み出すことが重要かと思います。まもなく被爆60年の『8・6大会』を迎えます。皆様、猛暑のなか健康に留意されお元気にお過ごしください。
<>2005/07/22 20<>20.jpg<>【7月号】連帯・教科書展・自治体訪問・市民講座・シンホジュウ<>「ともにつくろうーアジアの未来」
 教科書展・自治体訪問・市民講座・シンホジュウム開催
 「2005年広島県教科書採択県民ネット」は今年夏の中学校の教科書採択において、扶桑社の教科書を県内で採択させないためにの取り組みを展開してきた。
 「つくる」会はこの度の教科書採択にあたっては、県教委にたいして「つくる会」の資料を教育委員会に配布したり、また選定基準を扶桑社に有利なように変更したりと、市民に知られないように背後に回って採択させようとしている。それに対しては、出来るだけ問題点を世論化していくことだと6月にまず県内各地(廿日市・広島・三次・庄原・東広島)で教科書展を開催した。
 さらには、韓国の「アジアの平和と人権の連帯会議」の人たちと一緒に、広島市と大邸市、三次市と泗川市のように、姉妹都市縁組みをしている都市から市民を迎えて、21世紀をともにつくっていくための視点から教科書問題の市民講座(三次)、シンポジュウム(広島を開催した。さらには、その姉妹都市の韓国市民からの要請行動を、各自治体の市長、教育長に対して行っていった。廿日市・庄原のように、市長や教育長の対応もあれば、市長も出ず、前日教育長がドタキャンし、姉妹都市・泗川市の市民代表が抗議の行動をするというような状況もあった。しかし三次の「平和を考える市民の会」へ泗川市の市長より、「韓日市民の将来のために扶桑社の教科書が採択されないよう頑張ってほしい」というメッセージもよせられ、真の友好・連帯の活動を確信することも出来た。また県内のすべての教育委員会へ、広島県内で扶桑社の教科書が採択されないようの共同アピール文を発送した。

<>2005/07/22 19<>0<>【7月号】社会主義の歩みと将来への展望<>第14回 フランスのサンジカリズム
 パリ・コミューンの崩壊後、フランスではしばらく社会主義運動の低迷が続いていたが、19世紀末には社会主義ないし労働者政党が相次いで結成された。それら諸政党の中でマルクス主義を指導理念とするフランス社会党が一時期優位にたった。しかし20世紀に入ると、衰退したアナキズムの衣鉢わ受け継ぐサンジカリズムが台頭し、労働者大衆の支持を広く集めるようになる。政党政治は、もともとブルジョワ的なものであって、労働者階級には馴染まず、政党から独立した産業別労働組合のゼネストやサボタージュなどの直接行動によって資本主義社会の転覆を図るというのが、サンジカリズムの主張であった。それを端的に表したのは、労働総同盟(CGT)が1906年の大会で採択した「アミアン綱領」である。「綱領」は、@階級闘争の承認。A労働者階級の自主独立性。B社会の最重要基盤としての労働者階級。C産業別組合主義。D労働者政党無用論。E闘争の武器としてのゼネスト、からなっている。
 一般には『暴力論』(1908)を著したG.ソレル(1847〜1922)が、革命的サンジカリズムの代表的思想家だと看做されがちであるが、かれによれば、ゼネストとはプロレタリアートの少数エリートが労働者大衆を勝利に導くための「神話」に過ぎず、それが現実に可能か否かは問題ではなかった。ゼネストという「神話」は、労働者の闘争心の支えとなり、その士気を鼓舞し行動に駆り立てる「感覚的武器」に他ならなかった。ソレルはまた、多数者支配は幻想に過ぎないと主張し、あらゆる効果的な決定は少数者によって行われ、政治的・社会的・道徳的・宗教的変革はすべてエリートの手で実現されると見ていた。
 こうしたソレルの思想、なかんずくそのエリート主義は、のちにB.ムッソリーニ(1883〜1945)に強い影響を与えサンジカリズムの信望を著しく失墜することになる。それが自主管理社会主義として装いを新たに復権するには、ソ連型社会主義の権威失墜を待たねばならなかった。

(北西允)
<>2005/07/22 18<>0<>【7月号】時言・「誰が107名の生命を奪ったのか」<>「誰が107名の生命を奪ったのか」
 JR西日本の尼崎事故原因について、流布されている巷間の論では、JR西の利益第一主義の体質、さらには定時運行が守れなかった等の「違反」や「不始末」に対する処分・「日勤教育」等に見る人権無視の厳罰主義を取り上げてはいる。しかし、その人権無視によって強行された国鉄民営化にまで遡って検証・検討しているものは少ない▽「あの時(民営化時点)、100人を超える国鉄労働者が自殺し、強制収容所もどきの人権センターに閉じこめられた。今も復職を求める1047名の国鉄マンを無視し続けている。このような国鉄解体の歴史問題は否認され、働いている人が『無理だ』と言えない会社を造って来た」と野田正彰「惨事はなぜ起こったか、検証・尼崎列車脱線事故」(『世界』7月号)は言っている▽このようにJRは歴史的に、重く陰湿な人権無視・侵害を自らの体質・出発点としており、この会社の本質が日々、運転士を暴力的に襲い、107名もの人命を奪ったのである。この民営化強行のタカ派国鉄官僚の一人がJR西の井手正敬会長(事故当時)であり、彼こそ国労潰しに走った人物である▽民営化・規制緩和・構造改革等を柱とする新自由主義こそが、労働者から人権・生活・生命まで奪って来たが、今また米国の要請に応えての郵政民営化、あるいは広島の平和・人権教育潰し攻撃である。被害は弱者に集中する。今求められるのは人権の確立であり、反転の契機はその闘いにこそ胚胎するのである。
                       (安保英賢)

<>2005/07/22 17<>0<>【7月号】頑張ってます80回<>自治体議員活動
尾道市議会議員 植田稔
 平成の大合併と言われる市・町・村の合併が広島県は他県に比べて突出して進み、もはや終結を迎えようとしています。
 私にとってのこの一年は、すでに合併ありきが線香しての動きに追従した感は否めず、いま忸怩たる思いがしています。
 尾道市は去る四月二四日に御調町・向島町との合併による議員の増員選挙を行いましたが、立候補を断念された下文明さん、立候補されて当選を果たせなかった三木郁子さん、村上美鈴さんと一度に三名もの議席を失う結果となりました。
 合併は財政難を大儀に、自治体職員・議員をいかにして多く削減するかの大合理化であることがわかっていながら、合併ありきの支配的な考えに抗せず、良い結果を出せなかった不甲斐なさを反省しています。
 今年は第二次世界大戦から満六0年になります。小泉内閣をはじめとして、総保守化による憲法改悪の動きか加速している今こと、憲法を護り、「九条」を護って、恒久平和を実現する闘いに集中しなければならないと考えています。
 そのために私はいま仲間とともに、これまで部落解放・平和教育などのために組織されながら、有名無実となっている組織の点検を行い、今日の反動の情勢に抗することの出来る組織の再構築をするための話し合いをしています。
 選挙闘争も先の反省をしっかり踏まえ、このような営みを通して議席確保のため頑張りたいと思います。
<>2005/07/22 16<>0<>【7月号】6,14国鉄闘争勝利・広島集会報告<>6,14国鉄闘争勝利・広島集会報告
 夕方6時、仕事を終えた労働者たちが続々と詰めかけてきた。東区民文化センターの大集会室、70席が埋まってなお、後ろには立って参加する仲間が10数名に上った。総勢約90名の参加で、冷房も効かないほどであった。
 集会は、なんといっても加藤弁護士の講演が圧巻であった。わかりやすく国労闘争の歴史と鉄建公団訴訟の持つ意味と見通しについて、時には岡山弁(?)を交えて熱弁をふるわれた。参加した誰もが、あらためて国鉄闘争の持つ意義について確認し、いま自分たちが何をなすべきかを認識させられた。
 加藤弁護士は、講演の最後にあたり、「国労に勝つという戦略戦術はあったのか」と問いかけ、「あった。疑いもなくあった」と答えられた。それは「国労組合員が誰一人としてJRへ行かない。仲間が解雇されるなら、俺はJRには行かない」という選択肢であった。しかし、実際には「自分さえ助かればいい」という思想の前に屈服してしまった。だから、敗北してしまったのである。労働者は、個々人は弱い存在である。それゆえ団結して闘うのだ。今一度、弱いものの団結を取り戻そう!これが加藤弁護士の力強い呼びかけであった。
鉄建公団訴訟の勝利判決を突破口にして、どう反撃を組織するのか。このことが大きく投げかけられた集会であった<>2005/07/22 15<>0<>【7月号】福崎裕夫<>“提言” 地方通貨が社会を変える福崎裕夫
 人は死に、商品は劣化する。ところがお金はいつまでも劣化しない。本来、物やサービスの交換に使われるべきお金が貯蓄や投資に回され、物やサービスの交換が損なわれ、経済を悪化させる。マルクスと同時代のシルビオ・ゲセルは劣化するお金(地域通貨)を考え出した。
 現在、地域通貨は欧米や南米で流通しており、基軸通貨の信用のない南米では地域通貨の信用の方が高い地域もある。地域通貨とは財産が地域外に流出するのを防ぐ。時間の経過とともに劣化するので早く使われ、地域内の交換を促す。また、様々なサービスが生まれる可能性があり、地域社会の創造に役立つ。今、日本でも、各地で様々な地域通貨が生まれている。
 大半の宗教は利子を禁じてきた。利子は経済拡大を前進とし、環境問題や戦争の一因ともなっている。時とともに減価する地域通貨について再考してみては?
                       (福崎裕夫)<>2005/07/22 14<>0<>【7月号】福山総支部定期大会<>福山総支部定期大会
6月7日(火)19時より福山市人権交流センターにおいて、第9回の総支部定期大が開かれました。池上文夫総支部委員長挨拶、高橋県本部副委員長の挨拶に続いて、経過報告、05年度の活動方針が提案され、満場一致で決定されました。特に今度の方針として強調され、確認されたことは、今の総支部の現状と07年を展望したとき、党組織の強化が何よりも優先すべき最重要課題である。特に党費と機関紙代の集金状況は深刻であり、福山総支部の状況我見本部の財政にも大きな影響を与えており集中した取り組みによって早急な課題解決をしなければならない。そのために党支部での機能回復のための総支部での執行委員会、学習会等々の定例化、各組織党員協の取り組み強化等が確認され、7月中旬を目途に全力をあげることを確認して大会を終了しました。大会で決定された方針にそってがんばらなければなりません<>2005/07/22 13<>0<>【7月号】掲示板<>掲示板
◎平和を考える新社会党の集い
  8月5日(金)18:30- 広島市西区民文化センター
○被爆60周年原水禁世界大会・広島大会
  8月4日(木)14:30- 折鶴平和行進・被爆60             周年広島大会
5日(金)分科会
    6日(土)まとめ集会
○8.6 ヒロシマ大行動 
   8月6日(土)12:30- 県立体育館
   8月7日(日)13:00- 国労会館
 <>2005/07/22 12<>0<> 「われわれの護憲闘争は、東アジア民衆の平和と民主主義確立に<>「われわれの護憲闘争は、東アジア民衆の平和と民主主義確立に直結する」
新社会党広島県本部副委員長
三木郁子
 先般、東京において第10回という節目の定期大会が開催されました。役選大会でもあり、栗原君子中央本部新委員長執行体制が承認されました。
 わが広島県本部から前小森委員長に次いでの栗原委員長誕生は、県本部としての重責もさらに増す事となります。
 また、大会1日目終了後にシンポジュウム−日韓民衆のたたかいと改憲阻止闘争−が企画され、韓国民主労働党役員お二人と女性史研究家の鈴木裕子さんのそれぞれの現状認識や意見が出され、全国の代議員・傍聴者が熱心に聞き入りました。
 わが国の護憲闘争のありようは、まさに東アジアの民衆の平和と民主主義の確立に直結していることを実感することが出来た大変有意義な企画となりました。
 さまざまな面で大きなひとつの歴史的闘いの節目となるであろう2007年に向けて、統一自治体選勝利、国民投票法案や教育基本法改悪への改憲阻止行動としての護憲の共同戦線と国政選挙教頭への取り組みなど、まさに分刻みの私たち一人一人の主体的行動が要求されます。
 広島県本部として、またヒロシマの責任と役割を果たすためにもこれらの歴史的闘いに共に積極的行動へと結集出来る体制を整えましょう!

<>2005/06/17 11<>11.jpg<>第10国定期全国大会』<>第10国定期全国大会』
 第10回定期全国大会が、5/28.29の両日、東京の墨田リバ−サイドホールにおいて開催されました。全国から150人の代議員(広島県本部からは13人)と、約50人の傍聴者が参加し、活気あふれる大会となりました。韓国の民主労働党の代表、全労協議長など来賓あいさつがあり、小森中央本部委員長が10回目を迎える定期大会の意義を中心に、力強いあいさつを行ないました。続いて上野書記長より昨年の総括と今年の運動方針が提案され、その後、一括して質疑・討論に入りました。
 18時から20時まで、韓国の民主労働党の代表ら2人、鈴木裕子、横堀正一さんらによる「日韓連帯シンポジウム」が行われ、東北アジアの安定と平和に向け、いかに取り組むべきか、民主労働党の日々の活動、教科書問題などについて意見がかわされ、大変有意義なものでした。
 2日日も引き続き質疑・討論が行われ、合計38人の代議員が討論に参加し、予定の時間をかなりオーバーするくらい覇気のあるものでした。
 広島からは、土屋さん(広島)が労働問題、上田さん(因島)が自治体選挙を中心に討論に参加し、会場から大きな拍手をうけました。今大会で印象的だったのが、1番目は徳島の35歳の代議員、2番日は東京の24歳の代議員というように非常にフレッシュな苦い人から討論が始まったことでした。特に、東京の24歳の代議員が、2年後の自治体選挙に立候補する決意を囲めたことを報告すると、会場が割れんばかりの大さな激励の拍手が送られました。
 採決にうつり、総括・運動方針とも執行部の提案通り、賛成多数で可決されました。続いて特別決議、大会宣言が採択され、新しい中央本部委員長に小森さんにかわり、栗原さんが満堤一致で選出されました。最後に参加者全員が、栗原新委員長の音頭で「団結ガンバロー」を行い、活気溢れる2日間の大会を
終えました。

<>2005/06/17 10<>0<>24行動の報告<>24行動の報告
1999年5月24日、日米ガイドライン関連法案が強行採決をされたその日から、尾道の駅頭で毎月24日の17:30から「平和のための24行動」をとりくんでいます。党総支部の党員・党友が支えつづけているその行動はビラ撒き一つをとっても会のビラだけではなく、あらゆる市民運動のビラ・チラシも参加者の責任において一緒にとりくみます。クリスマスイブや夜店。まる6年を超えて今では、誤解を恐れずに言えば「街の風景」になっています。参加者も三人だけのこともあれば20人を超えて市民運動のビラが5種類という日もあったりします。「毎月一回おなじ場所にあつまり、平和の訴えを共同する。」本当に地道な行動ですが、この一年あまり、尾道で取り組まれた広範な市民運動の成果はこうした地ならしなくして生まれ得なかったとも言えます。街を行く市民と党員が平和のためのビラを介在にして憲法を議論する。こうした風景に私たちはいつも感動をし、学んでいます。これからも地道な活動ですが憲法改悪の危機感をばねにし、あらゆる護憲勢力の団結の軸となるべく、市民に顔のみえる24行動をつづけます。仲間のみなさんの参加を待っています。
<>2005/06/17 9<>9.jpg<>時の鏡<>時の鏡<>2005/06/17 8<>8.jpg<>「9条の会 尾道」が発足<>「9条の会 尾道」が発足
戦争を知らない人が政治の中軸にいて議論をしている。戦争を知らないことは悪いことではないが、知ろうとしなければならない−
小田実さんは、日本を再び誤った方向へもっていこうとする政治家の言動を厳しい口調で批判した。
 憲法9条いまこそ旬・小田実さん講演会(9条の会・おのみち主催)が5月8日、尾道市公会堂で開かれ約700人が参加した。
 季平博道さん(住職)が主催者を代表してあいさつをおこなった後、同会のメンバー6人が尾道ことばで憲法前文を朗読。続いて、「今、思うこと」の演題でマイクを握った小田さんは、飢えと空襲の戦争体験を中心に語りながら、「日本は、殺し、焼き、乳母ツタ歴史と、殺され、焼かれ、奪われた二つの歴史を持っている。この二つの体験を止揚したのが憲法。日本のみが民主主義と平和主義を結合した憲法をもつている。憲法は、日本にとっても世界にとっても大切なもの」と訴えた。

<>2005/06/17 6<>0<>翼<>

 夏の到来を感じさせる今日この頃だ。これからのうっとうしい梅雨、そして暑い夏わ元気に乗り切りたいものである。
 それにしても、小泉首相や自民党の政府高官の歴史認識には、開いた口がふさがらない。このような人物が、長い間首相をしているのかと思うと本当に情けない。中国・韓国からさまざま批判の声があがるのも当然である。
 このような中、7〜8月には来年度から中学校で使用する教科書の採択が、全国の各教育委員会で行われる。特に「作る会」の扶桑社版歴史・公民教科書はあまりにも自国中心主義の歴史観で貫かれており、戦争を賛美し、国民の権利より義務を強調し、憲法改正に導く非常に危険な教科書である。このような教科書を絶対に子どもたちに渡してはならない。広島県教委は、各地教委を集めた教科書採択事務の説明会で、「つくる会」の会報や自民党の方針案を報じた産経新聞の記事を配布するなど、この教科書の採択を押し進める姿勢を示している。
 6.7月には市民団体の主催で「教科書展」や学習会、県民集会などが予定されている。集会に参加したり、各教育委員会への申し入れや要請書を送付するなど、この危ない教科書の採択を阻止するため、それぞれ全力で取り組もう。<>2005/06/17 5<>0<>第13回 イギリス労働党の誕生<>第13回 イギリス労働党の誕生
 去る5月5日の総選挙で第二のサッチャーともいうべき、Tブレア(1953〜)の率いるイギリス労働党は、とりわけイラク侵略戦争に率先加担したのがわざわいして前回よりかなり議席をへらしたものの、結党以来初の三連勝を果たしたことは記憶に新しい。ところでイギリスは他国に先駆けて産業革命を遂行し、労働組合の結成も最も早かった。ところが労働者政党や社会主義政党の創設という点では、大陸諸国よりかなり遅れをとった。これは19世紀中葉、イギリスが「世界の工場」の地位にあって労働者の賃金や労働条件も他国よりかなり高水準にあり、また1880年代末まで労働組合が、産業別や階級連帯に背を向けた熟練工の特権的組合の域を出なかったからでもあった。
 さらに普通選挙権の獲得もフランス等の国に遅れ、1884 年の選挙法改正でようやく男子普通選挙が成立するが、それまで労働組合は二大政党の一翼を担っていた自由党の「テーブルからこぼれ落ちるパンくずを拾う」ことに甘んじていた。
 しかし内には1878年に始まった長期不況と、外からのアメリカ・ドイツの朝鮮に直面してイギリス資本主義の優位は揺らぎ、労働組合も未熟練労働者に門戸を開放して大勢の建て直しを余儀なくされた。こうした状況を背景に労働者政党結成の機運がようやく高まり、1884年にはフェイビアン協会やマルクス主義的傾向を帯びた社会民主連合などの社会主義の宣伝団体が結成され、1893年に独立労働党が創設される運びとなった。労働組合のナショナルセンターTUCも、これらの動きを糾合して1900年に労働者の代表を議会に送るため団体加盟の労働者議員選出委員会(1906年に労働党と改称)を誕生させた。労働党は第二インターへの加盟は認められたものの、社会主義という「新しい福音」には耳を傾けるには至らなかった。党名を第二インター加盟政党の一般的な呼称である社会民主とか社会主義としなかった理由もそこにあった。なおフェイビアン社会主義が労働党の指導理念として採択されたのは1918年の党大会においてである。

<>2005/06/17 4<>0<>がんばつてます 79号府中市議会議員 小森龍太郎<>がんばつてます 79号
府中市議会議員 小森龍太郎
 日ごろのご厚情に対し、紙面をお借りするのは恐縮ですが、感謝を申し上げます。
 さて、府中市政に開しましては、大変ご心配をおかけしているところですが、市長の独裁ぷりは、相変わらずと言わぎるをえません。ニ年前に府中市隣保館を、「地域ふれあい会館」に名称を変更し、同和行政の色合いを縮小しようと画策し、ついに今年の三月議会には、このふれあい会館を、公民館に変更する議案を出してきました。
 ご承知のように、隣保舘事業は、社会福祉法に基づいて運営されておりました。昨年ベースでは、853万円あまりの運営費が、府中市に入ってきておりましたが、公民館に変更することで、このお金は府中市に入ってこなくなります。また、国の補助金を受けて建設された隣保館ですから、この建物の用途を変更することになれば、補助金等に係わる予算の執行の適正化に関する法律によって、補助金(約500万円)の返還が生じてきます。また、一方では、今年度から、小学3年までが対象となっている放課後児童クラブを有料化(月額2500円)しました。こちらのほうは、450万円の財源不足になるからその分を受益者の負担にすると言うのです。
 このように、もらえるお金はもらわず、足りないお金は市民の負担。これは、単なる一例に過ぎず、常にこのようなことを続ける市長。いっまでも、こんなことを続けさせるわけにはいきません。 ひきつづき、みなさんのご指導をいただきながら、市政民主化に向け、全力でがんばります。
<>2005/06/17 3<>0<>時言 「分割民営化が真の事故原因である」<>時言 
「分割民営化が真の事故原因である」
 JR西日本の脱線事故の原因、それを生みだした様々な要因がマスコミ等で指摘されている。例えば「秒単位のダイヤ厳守」、守れなければ処分・「日勤教育」等の過酷な労務管理。それをいやがっての「急カーブに制限速度を大幅に超えて突進した」ことが直接原因とされている。安全の確保より、過密ダイヤ・高速運転による乗客確保・利益優先というJR西日本の経営方針への批判などである。しかし、それ等を生みだした一九八七年の「国鉄の分割民営化」そのものを真の事故原因とする論調は極めて少ない。▽そのJR発足時の福知山線では普通・快速が一日九三本だったが、今では三六九本と四賠増、加えて五万一五三0人だった職員を三万二八00人へと四割程削減している。さらには新型ATSの配備など安全対策面の投資の節減。この「過密ダイヤ・大幅リストラ・過酷な労務管理・安全軽視・・・・」等は、JR各社に共通しており、それ故事故は多発している。▽それにしてもなぜそんな無茶なことが罷り通っるのか。行政の監督責任は、JR職場間での指摘は、等々の疑問の声を聞く。しかしそこは、中曽根民営化策動最大のねらい通り、JR労働運動は、今や当局を支えており、労働者は当局にものが言えない状況に陥っている。▽英国に見る再国有化の議論もさることながら、今こそ一0四七名の解雇撤回闘争、職場の民主化闘争等、JR職場での闘う労働運動つくりとそれの支援が求められている。国鉄時代「世界で持つとも安全な鉄道」と言われていたのだから。           (安保英賢)<>2005/06/17 2<>0<>「労働相談室ひろしま」<>連帯 
「労働相談室ひろしま」
 更なる拡充を!
第4回賛同人会議を開催。
「働く者の相談室ひろしま」の第4回賛同
人会議が4月27日(水)、東区地域福祉セ
ンターで開かれ、賛同個人、団体20名が出
席、4年目を迎えた労働相談活動の強化に
向けて協議した。
 運営委員会を代表して安保英賢世話人
は、現代世界はグローバリゼーションの深
化によって貧富の格差拡大、地域紛争の激
化、失業、非正規労働、ニートなどの拡大、
長時間労働、サービス労働、賃金抑制など、
あらゆる手段で労働者分断支配と搾取が強
化されている。しかもわが国は小泉政府に
よる改革と称する「規制緩和」が主導的役
割を担っている。私たちが立ち上げてきた
「労働相談ひろしま」がこの状況下で中小
零細企業に働く未組織労働者の労働相談に
誠実に対応し連帯することは必ず労働運動
や社会変革の力になることを確信し、4年
目を共に歩むよう訴えた。
 会議は、活動総括、活動方針、財政及び
新役員を満場一致承認決定した。
 
 ☆賛同人が目標数に達しておらず、相談
  室では、党員・党友の皆さんからの賛
  同申込みを望んでいます。

<>2005/06/17 1<>0<>2005教科書採択問題・広島県民ネットワーク<>連帯
「ともにつくろう!アジアの未来」
2005教科書採択問題・広島県民ネットワーク
の活動
5月22日、広島西区民文化センターにおいて、関西大学講師・上杉聰さんが「子どもたちに渡せますか? あぶない教科書」と題して講演し、県内各地で教科書採択問題に取り組む市民と問題点を確認しあった。上杉さんは、「つくる会」は今年こそ10%採択を目指して中山文科大臣・町村外相・安部幹事長代理と最強の布陣をしいて、わざと世論化せず上から教育委員会へ圧力をかけたり、白表紙本を配布するという違反をしたり、広島県教委が「つくる会」の機関誌のFAXを資料として配付したり裏で動く戦略をとっている。したがって反対するわれわれは、いかに世論化して、扶桑社の教科書が問題があるか、そのやり方に問題があるかを多くの市民に知ってもらうことが肝心だとまず現状をのべた。
さらに扶桑社の教科書は、「歴史教科書」は、「皇国史観教科書としての性格を強化したもの」であり、「公民教科書」は「憲法改悪を指向したもの」であることを、すでに明らかになっている資料をもって説明。この教科書によって「幼稚で偏狭な『愛国心』を育て、戦争をできる子どもたちをつくる教科書であると述べた。
 また広島県民ネットワークでは以下のような活動がすすめられていくこととなった。
@共同アピールの取り組み
  連絡先:県民ネット事務局 FAX 0829-31-0876  E-mail:moyuru@ruby.ocn.ne.jp
A日韓シンポジウムの開催
(1)日時:6月25日(土)18:00〜 
   場所:東区民文化センター
(2)日時:6月25日(土)13:30〜15:30     場所:三次市生涯学習センター
B「あぶない教科書はいらない!広  島県 民集会」(集会とデモ)
  日時:7月16日(土)17:00〜   場所:広島県庁前広場
C「教科書展」(主催:教科書展実行委員会) への参加・協力
  6月9〜12日フジグランナタリー(廿日市市)/6月13〜15日広島大学西図書館(東広島市)/6月21〜23日三次まちづくりセンター(三次市)/6月25〜26日広島市東区民文化センター(広島市)/ 6月28〜29日 庄原市ふれあいセンター(庄原市)
D地元教育委員会へ要望書の提出

<>2005/06/17